紅色のろうが溶ける。少女はそのとろりとした雫に触れてみたいという衝動を抑えながら、じっと小さな灯火の揺らぐ様を見つめていた。
 炎の奥では彼女の母が、机に肘をついて手を組んでいた。俯いた顔と思い詰めたその表情からは、苦悩、とは言い切れない、何か微妙な、憎しみと陶酔とが入り交じった、少女には理解しがたい感情が滲み出していた。
 今朝方、少女の祖母、母親の母が、この部屋で死んだ。それは彼女らにとって、解放の時であった。彼女らの住む家――――下町の、ごく狭い横丁を埋める無数のぼろアパートの、一室のことではあったが――――にとって、この部屋に生まれた完全な空白は、新たな世界の出現と同義であった。
 少女はそこで持て余した自由な時間を、一本の蝋燭に注ぎこんでいた。他に何か選択肢があったということもなかったが、少女はそんな自分の意識の使い方に満足していた。灯火はそれだけ美しいものではあったし、日常が炎の照らす範囲の向こうへ、薄闇の中に、ぼんやりとした幽霊となって追いやられていくのは、大変心地が良かった。
 母親は痩せこけた顔の中、やけに大きくなった両の目を時々ぎょろりと動かしながら、しきりに何かを呟いていた。抑揚も脈絡もなく語られるその言葉は少女にはよく聞き取れなかったが、それはどうやら、これまで自分を苦しめてきた祖母と、それを今まで形作ってきたあらゆるものに対する、呪詛であるらしかった。
 少女は母を、悪霊だと考えた。
 同時に、それはこの世に「あるべき」悪霊なのだと考えた。
 もしこれを殺してしまえば、目の前の炎の美しさは損なわれてしまうと少女にはわかっていた。赤い蝋燭の流す血雫と灯火とは、彼女らの紡ぎ出す暗闇に支えられて初めて、この世に映えるのである。この明かりなくしては、今、少女が安らぎを覚える自由の世界はありえない。
 いずれ夜が明けて、日が昇り、蝋燭は尽きるであろう。少女はその時、外に出なければならなかった。だが自由はそこにはないと、彼女は本能から知っていた。自由は彼女にとってどこまでも内的なものであり、真にそれが現れるためには、その場は、この家でなければならなかった。
 家には、「あるべき」ものがある。「あるべき」ものが何に覆い隠されるでもなく、そのままにある場が、彼女の家なのであった。
 少女は家が好きだった。
 そこでは不快であるはずの全てが、暗い安らぎによく溶ける。どのような思考も、許されるのであるから。

とある少女の原風景。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-04

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