暫くは食べられないであろう

 

 



車内でひとりでひっそり泣いて、ぐったり疲れて、
そのまま眠っていたら、滝沢くんに起こされた。

「バス停、ふたつ乗り過ごしてるけど。」

わたしと目を合わさずに彼はそう言った。
寝起きで曇った脳みその中で考える。

「……もしかして、あたしを起こすために、滝沢くんまで乗り過ごしてくれたの?」

言葉を濁しながら、最終的に彼は
「あー……うん。」と頷いた。

きゅっと胸が痛む。

「良かったのに」と嫌味たらしく呟いてみたものの、
そんな自分はあまりに滑稽で、惨めで、「でも、ありがとう。」と付け足して、小さな会釈までつけた。

彼はまた「あー」と言葉を濁してから
「いや、うん。どういたしまして」と返した。

隣町の清水小学校前バス停にふたりで降りる。
見上げると、夕焼けが校舎の後ろで溶けていた。重たい瞼に、優しい色が染みた。

「滝沢くんどうする?迎え呼ぶの?」
「いや、谷瀬町まで6キロぐらいだし歩く。」
「え、」
「片瀬さんは?」

起きてから、初めて彼が目を合わせてくれた。

「迎え呼ぼうかな」
「親、出張じゃなかった?」

そうだった。
彼の情報を得たいわたしは、どうにかそれと交換しようと、
押し付けるようにわたしの情報を彼に伝えまくっていたのだった。
それも今日の放課後で終わりになってしまったけれど。


「そうだった。じゃああたしも歩こうかな」
わたしの答えに彼は黙って頷いてから、歩き出した。

今日の体育で作った靴擦れに、無理を言ってわたしも隣を歩き始めた。

時々、同じ制服を着た見たことあるようなないような顔のひとたちが、
興味ありげな視線を刺してきたけれど、わたしたちは無視して黙って歩き続けた。

今までこうしてふたりになったときは、
わたしが話題を作って、話を広げていたけれど、今日は滝沢君から話しかけようとする気配がずっと滲み出ていたので、
わたしは彼がタイミングを掴むまでひたすら黙っていた。

夕焼けが溶けきって、空が藍色になった頃、滝沢くんはわたしに合わせてくれていた歩調をぐっと遅くした。わたしもそれに合わせる。

「今日さ、」
「うん」
「片瀬さん、バスで泣いてたじゃん」
「……見てたんだ」

よく考えてみればそうだ。
わたしは顔を見られないようにバス停に居るときからひたすら顔を伏せていたけれど、
とりたてて、顔を伏せる理由のない滝沢くんや周りの人は知人が同じバスに乗っていたら、普通気づくのだ。
ましてや滝沢くんの場合なんて、それが一時間程前に振った相手なのだから、尚更だろう。

「俺が原因?」

たっぷりの間を空けて彼が言った。
同じくらい間を空けて言葉を探しながら
「原因っていうより、理由…かな」

「そっか」と彼は呟いた。
ここでも「ごめん」と言わない彼はやっぱり優しくて聡明だ。


 “まさか告白するなんて思ってもいなかった”
というのは、これからわたしがわたしの恋路を応援してくれた友人に使っていく言い訳だ。

彼とふたりきりになったら言おうって、4月からずっと同じバスで乗り合わせていた彼と、
この前初めて隣の席に座ったときから決めていた。
気まぐれだろうとなんだろうと、知る知らない関係なしに、今まで異性の隣が空いても、座ろうとしなかった彼が、
会話やメールを交わすようになって半年後、空いていたわたしの隣に座ってきたのだ。期待を抱かないのは無理だった。

その日は、それから一ヶ月後にやってきた。
その間、わたしと彼は校内で目があったら会話はせずとも必ず視線を絡めたし、時間があれば、それなりの会話も交わした。
確信は間違った方向に濃くなる一方だった。

「片瀬くん」

早退した友達に頼まれた本を、図書室に返却しにいったときカウンターに彼がいた。
いつもはかけていない眼鏡がえらく似合っていた。

「図書委員だったの?」「いや、代理。」

そんな会話から始めた気がする。
返した本を雑に本棚に戻す姿に、すこしショックを受けたのも覚えている。

そこから告白するために、なんと言って、本棚の影に彼を連れこんだのかはあまり覚えていない。

気づいたら、

「気づいてると思うけど、滝沢くんがすき。」と面と向かって告げて、

そのあとに
「この前バスで隣に座ったのが噂で広まってて、付き合ってる噂まで流れてるみたいで。……それが本当になったらなって思った」

なんて少女漫画顔負けのこっぱずかしい台詞を続けていた。


それを聞いた彼は、緩んだ口元を押さえながら、「まじで」と小さく呟いた。

でも急に真面目な顔をして、
「俺、まだ付き合うとかあんまりわかってないし、叶わないってわかってるけど、他に、その、……好きなひとが居る」

となんともきまりが悪そうに、でも目だけはきちんと合わせながら応えてくれた。

そして「ありがとね」を何度も何度も告げたあと「ごめん」だけは一度も言わないままわたしに別れを告げた。


 学校で女の子とあまり話しているところを見ないから、
今まで彼は色恋沙汰にはあまり関わってきていないだろうと決めつけていたけど、
多分彼は今までたくさんの告白を受けてきている。そして、きっと気持ちに応えられないことを「悪い」と思っていない。
罪悪感を感じられることが一番辛いことをわかっている。

それに気づくわたしは、彼を周りより少しはわかっていると密かに思うのは傲慢だろうか。

落としていた視線をちょっと上げると、街灯に照らされた電話ボックスに、並んで歩くわたしと彼の姿がうつっていた。
あまりの絵のならなさに、急いで目を逸らした。彼も見ただろうか。

急に顔を隠したくなって、首に巻いたマフラーに埋もれる。

やっぱりわたしは馬鹿だ。
こんなにも絵にならないのに、彼の礼儀に期待して、自惚れて、想いを打ち明けるなんて馬鹿だ。あまりにみっともない。

それでも、こんなわたしの隣に腰掛けたり、歩いてくれる彼の優しさに、
心のどこかで、もしかしたらを想像するわたしは、見苦しくて、そこまでわかっていても尚、そんな期待を捨てることができない。


「片瀬さんっ」
呼ばれても顔をあげられない。

「ごめんね」
嗚咽が混ざらないようにしながらどうにか呟く。

彼が謝らないことに、とても感謝しているのに、わたしは彼が謝ざるを得ない状況を作ってしまっている。

「ごめん」

そしてとうとう謝った彼に勝手に失望するのだ。わたしは勝手だ。あまりにも勝手だ。

「ちょっと来て」

彼はわたしの手を引いて、コンビニとガソリンスタンドの間にある曲がり角まで連れていった。

「ちょっと待っててね」

優しさしか含まない声で彼はそう言い残して、わたしを置いていった。
痛くなった鼻の奥に、近くの家のお風呂の匂いや夕食の匂いが届く。

数分しないうちに、彼が戻ってきた。

「ピザまん派だったよね?」

わたしは、こんなくだらない情報すら彼に伝えていたようだ。

うんと頷いて、お礼を告げる。
これから暫くは、わたしはピザまんを食べられないだろう。

わたしはピザまん、彼は肉まんを頬張る間彼はなにも言わなかった。
そしてお互い食べ終わると、何もなかったようにまた歩き始めた。
いつもわたしたちが降りるバス停は、もうすぐそこにあった。

「滝沢くん」
わたしは急かすように呼び止める。

「今日はあたしが寝過ごしたせいで、ごめんね。」
「俺が勝手にしたんだし。俺こそ、ごめんね」

二度目のごめんねにやっぱり勝手に傷つきながらも

「ありがとう。」
「こちらこそありがとう。……じゃっ」

そう言って彼は片手をあげる。
わたしも片手をあげた。

「うん、じゃあね、ありがとう」
「ばいばい」
「ばいばい」


彼が背を向けて、見えなくなってから、バス停前のベンチに腰掛けて、靴を脱ぐ。
かかとの部分が血で真っ赤に染まっているのを見たら、どぷっと、また涙が溢れた。


  


  

暫くは食べられないであろう

暫くは食べられないであろう

振られた数時間後に、彼と下校が重なった。 やっぱり、私はこの人を好きでよかった。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-04-21

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