過去をビールに流す
親は無条件に子を愛する、などというのは妄言だ。これはおれ自身の体験からはっきりといえる。父は知らないので語ることはできないが、母はおれを愛していなかった。
しかし、テレビやインターネットのニュースを見ればひどい母親などありふれているようで、おれの母はそこまでひどくなかったな、と思わせられる。まるで愛情を感じさせなかったが、母としての義務は果たしていた。いつも食事は提供されていたし、服や靴も与えられていた。洗濯もしてくれていた。学校で必要な教材を買ってもらえない、ということもなかった。時には兄からのおさがりを使うこともあったが、それは兄がいる弟ならば当然のことだろう。母子家庭で決して裕福ではなかったが、不自由な生活は送っていなかった。ひどく折檻されるようなこともなかった。稀に叩かれることはあったが、怪我を負うほどではなかったし、タバコの火を押しつけられたり柱に縛りつけられたりするようなひどいことはされていない。
では、どうして愛されていなかった、と感じるのかといえば、具体的な例を挙げるのは難しい。ただ、母がおれに感情を向けたことはほとんどないのだ。
母は水商売をしていたため、家で顔を合わせることは多くなかった。同じ食卓で食事をとることは週に一度あったかどうか、という程度だ。そんな週に一度の機会におれが味噌汁をこぼして母に頭を叩かれたことがあった。母がおれに向けた感情といえば、そういった時の怒りの感情くらいのものだ。褒められたことなど一度もない。憎しみのような感情をぶつけられることもなかった。母の前でおれは、存在しているのかいないのかわからない人間だった。
それでも悪い母親ではない、という人もいるだろう。実際その通りだ。おれはもっと母に感謝するべきなのかもしれない。しかし、三十歳になった今になっても感謝の気持ちなど湧いてこない。もちろん、感謝の言葉を伝えることもない。そもそも母が現在どこに住んでいるのかを知らない。生きているかどうも知らない。おれは母にもう十五年会っていないのだ。
だが、会わなければならないのだろう。
先日兄が死んだ。自殺だった。いったい兄が何に悩み苦しんでいたのか、おれにはわからない。だからこそ悔やみ自分を責めている。
兄はおれにとって唯一家族と呼べる存在だった。おれも兄も父の顔は知らず、そもそもおれたちが同じ父の子かどうかもわからない。母のことは、おれを育ててくれた人だとしか思っていない。
おれと違って母は兄を愛していたが、兄は母を愛していなかった。むしろ嫌っていた。それは母のおれへの態度のせいだった。兄は、母がおれのことをまるで気にかけないのを、ずっと苦々しく思っていたらしい。
おれが中学三年生になったばかりの春のこと。兄は三つ年上なので高校三年生になったところだった。中学校に提出する進路希望の書類に保護者のサインが必要だったので、おれは母にそれを頼んだ。
「高校行くの? もう家を出たら?」といいながらも母は書類にサインをした。
おれは何も答えずに母から書類を受け取ったが、その場にいた兄が母に突然いった。「じゃあ出ていこう」
それを聞いたおれと母が首をかしげて兄を見ると、兄は母に顔を向けて言葉を続けた。「おれが高校を卒業してノブが中学を卒業したら、おれたちは出ていくよ」
おれの久信(ひさのぶ)という名前から、兄はおれのことを「ノブ」と呼んでいた。
「たーくん、あなたはいいの」母は急に甘ったるい声を作って兄にいった。
兄は武(たける)なので「たーくん」だ。
「いや、もう決めたんだ。おれは高校を卒業したら家を出るつもりだったし、それにノブも連れていく」といってから兄はおれを見た。「ノブ、それでいいだろ?」
兄からそのような話を聞いたのは初めてのことで戸惑ったが、うれしい提案なのでおれは顎で喉を叩くように素早く数回頷いて答えた。
「大学はどうするの?」母は少し狼狽しつつも依然媚びるような猫なで声で兄に訊いた。
「行かない。前にもそういったよ」
「今どき大学にも行かないんじゃ、将来仕事なんてないわよ」
「あるよ。仕事なんていくらでもある」
「ねえ、お金の心配は要らないのよ。たーくんを大学に行かせることくらいできるから」
「じゃあ、その金でノブを大学に行かせてよ」
「久信のことは関係ないでしょ」
「あるよ。ノブはおれより勉強ができるんだし、こいつを大学に行かせたほうがいい」
「だからって、たーくんが大学に行かない理由にはならないじゃない」
「そもそも、おれは大学に行きたいだなんて思っていないよ。ただ、この家を出たいだけだ。ノブもいっしょにね。ノブとふたりで生活するんなら、行きたくもない大学に行くより働いたほうがいいじゃないか。そうしないと生きていけないしね」
おれは兄と母のやりとりを冷や冷やしながら聞いていた。母は段々苛立ってきているようで、もう甘い声は出していなかった。
「だから久信のことは関係ないっていってるでしょ」語気を強めて母がいった。
「何でだよ。おれはノブを連れていきたいんだよ。関係あるだろ」
「久信が家を出たいんなら、勝手に行かせればいいじゃない」
「ノブが出たいんじゃなくて、おれが出たいんだよ」
「ダメ。たーくんはわたしの子でしょ」
「ノブは違うのかよ」
「ええ」
母のこの言葉ははっきりと記憶している。おれは母に「わたしの子」であることを否定されたのだ。愛されていないことはわかっていたが、それでも衝撃的な言葉だった。母とおれは血が繋がっていない、という可能性も考えられるが、現在知る限り少なくとも戸籍上は養子などではない。
その時のわたしは、血が繋がっているのか、戸籍上はどうなのか、といったことは考えず、ただ母の言葉に驚き妙な焦燥感に襲われていた。そして、母の返答は兄も仰天させたようだった。
「へ……」という声を上げたあと、兄はしばらく言葉を詰まらせた。
それから兄は母を睨みつけていった。「じゃあ、あんたはおれの母親じゃないな。ノブとおれは兄弟だ。ノブがあんたの子じゃないなら、おれもあんたの子じゃない」
兄が母を「あんた」と呼んだことに、おれは再び驚いた。両者を見ると、母は何かをいい返そうとしながらも言葉が出ずにただ唇を震わせており、兄は自分より頭ひとつ分身長が低い母を蔑んだ目で見下ろしていた。柔和で優しい兄のそんな姿を見たのは、この時が最初で最後だった。
それからの約一年間はおれの人生で最もつらい時間だった。兄と母は時折いい争っていたが、やがてそれはなくなり、母が家にいる時間は少なくなっていった。こんなことになったのは自分のせいだ、とおれはいつも黙って自室に籠っていた。
そして、おれと兄は家を出た。兄は高校を卒業してから市の職員として働き始め、おれは兄とふたりで住むアパートから高校に通った。もちろん、兄に甘えるつもりはなかったのだが、結局世話になりっぱなしだった。おれは週に三回のアルバイトをしながら高校に通い、さらにその後は専門学校にまで通わせてもらった。そのおかげで現在勤めている会社に就職できた。
兄とふたりで住んでいたアパートからおれの職場までは遠くなかったが、これ以上兄の負担になることはできないので、おれは就職してすぐ近くにアパートを借りた。その後、おれは一回、兄は二回引っ越しをしているが、いずれも同じ市内で、年に数回はどちらかの家や居酒屋などで顔を合わせていた。
時には、どちらかの友人や恋人をまじえて酒を飲んだこともあった。どんな相手といっしょでも兄は変わらずに朗らかで優しかった。何かに突出した能力はなくても、大して給料をもらっていなくても、兄は尊敬すべき男だった。少なくともおれにとってはそうだった。
その兄が自宅で首を吊った。理由はわからない。遺書もない。仕事上の悩み、人間関係、健康問題、経済問題、自殺には様々な理由があると思うが、兄にそういった理由があるとは思えない。それでも兄は死んだ。
兄は独身で、両親はいないようなものなので、当然葬儀に関しては弟のおれがすべての手配をしなければならない。おれは会社に事情を話して休みをもらい、兄の友人や職場に連絡をして、葬儀社とのやりとりをこなした。先祖代々の墓などはないため墓には悩んだが、すぐに納骨をしなくても大丈夫なようなので、とりあえず保留とした。思い切って墓を買おうと考えてはいるが、すぐに買えるものでもないらしい。
通夜を明日、告別式を明後日に控えた現在のおれの悩みは母のことだけだ。わざと母について考えるのを最後にしていた。おれは母に十五年会っていないのだ。そして兄も同じはずだった。母と会った、電話をした、といった話は兄から聞いたことがない。そんな母に兄のことを伝えるべきだろうか。
正直なところ、おれは母に連絡をしたくない。しかし、それはおれが母と話すこと、会うことを嫌だと思っているからだ。そんなおれの感情など抜きにして考えなければならない。兄は母が葬儀に来たらうれしいだろうか。いや、死んでいるのだからうれしいも何もあったものではない、ということくらいはわかる。それでも、兄が母をどう思っていたのかを知りたい。かつて兄は母に「あんたの子じゃない」といった。兄は母を嫌っていた。しかし、それでも母は母だ。そもそも兄が母を嫌っていたのは、おれのせいだ。おれという存在がなければ、兄と母は仲のいい家族として暮らしていたのではないだろうか。
母はどうだろうか。兄に会いたいと思うだろうか。きっとそうだろう。母は兄を愛していた。少なくとも以前はそうだった。それ以前に、息子が死んだのを知らない母親があったら、それはあまりに哀れではないだろうか。葬儀に来るかどうかは別として、おれが嫌なのも我慢して、連絡だけはしておくべきだろう。
おれは意を決して携帯電話を手に取り、まだ繋がるかどうかわからない、以前三人で暮らしていた家の電話番号を押した。その電話が繋がらなければ母に連絡ができなくてもしかたがない、とおれは考え、それに期待していたが、まだその電話番号は使われていた。しかし、しばらく呼び出し音が鳴ったあとで電話に応答したのは、留守番電話の機械音声で、それはおれにメッセージの録音を促した。
母と話をしたくなかったので、留守番電話だったことにおれは胸をなでおろした。もちろん、その電話番号が他人のものになっている可能性も考えられたが、それならそれで構わなかった。かえってそのほうが好都合なくらいだ。おれにとって大事なのは、母に兄の死を伝えることではなく、おれがそのための行動をした、という自己弁護の材料を持つことだった。
おれは電話口に向かって、自分の名前、兄が死んだこと、通夜と告別式の場所や日時、自分の連絡先を簡潔に述べ、「メッセージを録音しました」という機械音声を確認するとすぐに電話を切った。
その後、母からおれに電話がかかってくることはなかった。電話番号が変わっていたのか、おれのメッセージを聞いていないのか、あるいはおれに連絡をしたくないのか、理由はわからないがどうでもいいことだ。おれは確かに伝えたのだから。
翌日の通夜の時間になっても母からの電話はなく、坊主が経を始めた頃には、おれはもう母のことを気にしていなかった。しかし、その通夜に母がやってきた。
その人物が焼香をあげてからおれに頭を下げた際、おれはちらりとその顔を見てそれが母だと気づいた。十五年会っていないとはいえ、見間違うものではなかった。すでに五十歳を超えているはずだが、すっかり老けこんだ、というほどではない。顔を見たのはほんの一瞬だったが、まだ三十代にも見えた。その雰囲気から、母がまだ水商売をやっていることを、おれはなんとなく感じた。
そして、うろ覚えだった十五年前の母の顔が急に鮮明に思い起こされ、おれは不意に吐き気をもよおし両手で腹と胸を押さえて首をすくめた。それから出口を見やった時には、もう母の姿はなかった。
その後も弔問客が続き、おれは水飲み人形のようにただ繰り返し頭を下げながら母のことを考えた。おれに何の連絡もなく通夜に来るとは思っていなかったが、やはり兄のことを想っていたのだろうか。あるいは、連絡を受けたから礼儀として来ただけなのだろうか。別室で振る舞いの食事が出されているが、母はそこにいるだろうか。きっといるだろう、と思って、おれはその後母とかわす会話のシミュレーションを始めた。
母はおれを愛していなかったし、おれも母を愛していなかった。憎しみのような感情を持ったこともあるが、今となっては憎しみも怒りもない。とはいえ、十五年振りの感動の対面、というものもないだろう。ただギクシャクとした会話をするだけだ。会いたくない、話をしたくない、という気持ちは相変わらずでモヤモヤとしているが、一度話してしまえばすっきりするのかもしれない。母が普通に接してくるのなら、おれも普通に接しよう。過去のことを考えないようにして、表向きは平静に会話ができる程度にはおれも大人になった。今どこに住んでいるのか、仕事は何をしているのか、そんな話をして別れればいい。あるいは、後日食事でもするかもしれない。それは和解、というほどのものではなく、再び家族になることは考えられないが、心の整理をするきっかけにはなるだろう。
弔問客が途絶え通夜が終わると、おれはすぐに振る舞いの食事が出されている別室に向かった。あるいは母はもう帰ってしまったかもしれない、と思っていたが、別室に入ってすぐ母の姿を見つけた。母のことを「お母さん」と呼ぶのには抵抗があったが、他に何と声をかけていいのかわからず、おれは母の正面に立って十五年前までと同じように「お母さん」と呼びかけた。
その時にはもう、母はおれの瞳に視線を合わせて眉を寄せていた。それから無言のまま、手に持っていたグラスの中のビールをおれの顔にぶちまけた。
「あんたのお母さんじゃない」母は叫ぶようにいった。「あんたはわたしの子じゃない」
こんなにも強い感情を母からぶつけられたのは初めてのことだった。おれは突然のことに戸惑い、何もいえずにビールがかかった目を手の甲で拭った。
そのおれに母は顔を近づけて呟いた。「あんたが死ねばよかったのに」
おれがまだ痛む目をどうにか開けて母を見ると、彼女は「今日はこれがいいたかったの」と笑みを浮かべてから、足早に去っていった。
おれは茫然とその場に立ちすくんで母の後ろ姿を見送った。それから何だかおかしくなってきて、声を上げて笑った。通夜に来ていた兄の友人たち、おれと兄の家庭環境を知る彼らも、つられて笑いながらおれにタオルやハンカチを差し出してきた。
こんなにも爽快な気分は味わったことがない。おれは近くのテーブルに置かれていたビール瓶を手に取りラッパ飲みをして、それからまた笑った。
過去をビールに流す