文芸男子の独り言

創作BL。苦手な方はご注意をば。

 言葉は、一つ一つにそれ相応の重みがある。例えば「可愛い」を例に出すのであれば、何通りもの意味合いがあり、それで表される感情もはやり何通りもある。女性が服を見て言う可愛いと恋人に伝える可愛いの重みは全く異なる。同じように他の言葉にも重みがあり、それは人に寄っても言い方によっても変わってしまう。
 交流というのは、本当に難しいものだ。相手の気分によっても捉え方は見事に形を変える。自分に取って軽い言葉が相手に取って重い言葉であることも、その逆もまたあり得てしまう。
 暇つぶしに寄った図書館で、そんな内容の本を読んだ事がある。確かに言葉は軽くも重くもなる。が、それこそが言葉の――小説の面白さであると、僕は思う。

 小説を書き始めてもう三年が経つ。賞を取るまでは痛々しいと馬鹿にされ続けて来たが、取ってすぐに手のひら返しと言うべきなのか周りの僕に対する接し方も変わっていた。しかしもて囃されていた時期もすぐに終わってしまい、今や僕に対する印象は「無口で暗いよく分からないけれど小説を書いているらしい同級生」だろう。幼い頃から無口で暗いと言われる事には馴れているし今更何も思わない。面と向かって「お前って無口よな」だとか、「お前って本当暗いよな」と言われようと「その通りだ」と返す事が出来る自信がある。ただ、そんな印象のせいなのか全く声を掛けられることはないため、恐らく返事をする機会は無い。
 毎日登校し熱心に勉学に励んでいるというのに、話し掛けてくるのは部長か担任ぐらいだった。
 しかしそれは、過去の話である。

 まさに晴天と言うべき晴空が広がっていて、とても気持ちのよい日だったと思う。小説のアイデアが出ずに校内の中庭をうろうろしていると、男にしては高い方であろう声を掛けられた。
「ねえ、そこ邪魔。どいて」
 一面に群青色が塗られたキャンパスとその色が付いたエプロンを持って、僕をまっすぐと見てそう言っていた。ネクタイの色から見るとどうやら一つ上の先輩のようだった。余程急いでいるのか僕がいるのが気に喰わないのか、先輩はとても虫の居所が悪いようだった。こちらはこちらでアイデアをひねり出そうとイライラとしていたのだが、僕はこくりと頷き、そろりそろりと別の場所へ向かおうとした。
 ふと、本当にふと。僕は目についたキャンバスを見て思わず見とれていた。本当に絵なのかと疑ってしまう様な、これをどう表現すれば鮮明に伝えられるのか、それすら分からないような本当に綺麗な色をしていた。必死に考えて出した答えを上げるならば、写真。ベターな答えだとは言え恐らく一番近いだろう。
「あの、絵描いてるの、見てていいですか」
「……興味あるの?」
 この絵が出来るのを見ていたいと思わず口からこぼれた言葉に、先輩は反応した。馬鹿にされるとでも思ったのか顔をしかめたが僕の顔を見て安堵したように「いいよ」と呟いた。僕ならば馬鹿にしない、と判断したのだろう。
 それもそうだ。僕には馬鹿にする気なんて全くなかったからだ。おおまかに分ければ同じ創作活動であるし、それ以前にずっと見ていたいと感じたからだ。この絵が完成するのを、この目でずっと見ていたい、と。
「絵の事、きっと君にはわからないでしょ?」
「はい。全く分かりません」
 美術の授業は小説のプロットを考えているくらいで、全くと言っていい程興味はない。先輩が言った事はとても的確だった。それでもやはり、見ていたいと思った。
「よく分かりますね」
 だって俺も小説そんなに読まないもん。そう言った先輩は、子供の様な笑顔で微笑んだ。
「僕の事ご存知なんですか?」
「文芸部のエースくん。名前はなんていったっけな。確か、ヤスなんたらくん。違う?」
「安井です」
「そう、安井くんだ」
 改めて、と僕に手を差し出し、また先程の子供の様な笑顔で無邪気に微笑むと、ぐいっと僕の手を引いた。ほぼ無理矢理握手をさせられた所で、彼はまた真剣な表情をして絵を描き始める。その姿はプロさながらで、僕はそれをじいっと見ていた。

 この時期になるとまさに秋晴れといった快晴で手はもう届きそうにない。あの先輩と出会ってから一カ月が経っていた。今でもたまに会う事があり、その度に雑談をして別れる。僕は小説の話を、先輩は絵の話を。未だ合う趣味は見つからない。一つ覚えているのは、先輩は空が好きだと言っていた事だ。今日の様な快晴はもちろんの事、曇り空でも雨でも嵐でも同じ表情をすることはないから、描くのがとても楽しいのだと言う。名前すら未だ知らないのに、会うのが楽しみになっていた。
 廊下を歩いていて、話しかけてきたのは文芸部の部長だった。突然奇天烈な事を言い出しては、それを本当に実行してしまう、実行力の塊のような人である。
「安井くん」
「どうしたんですか」
「今度文化祭があるでしょ? その時に部活のポスターを貼りたいんだけど、うちって絵を描ける子がいないのよね」
「はあ」
「そこで安井くんにお願いがある。誰か知り合いに絵描ける子いない?」
 部長も承知の上であるとは思うが、僕には知り合いと呼べる人すら片手で済む程度しかいない。友人の少ない僕にこんな頼み事をするとは、部長もなかなかやるものだ。これを言うと恐らく頭をぶたれるので言わないでおく。そんな中で、ふと思い浮かんだのはあの先輩であった。
恐らく美術部であろう、名前の知らないあの先輩だ。
「いることはいますけど」
「あ、ほんと? じゃあ頼んで来てもらえないかなあ」
「名前知りませんし」
「そんな子に頼もうとしているのか君は」
「頼めと言っているのは部長でしょう?」
「無口な癖になかなか言うね。私は文芸部の展示がより良くなる事をただ願っているだけよ」
「なら自分で探して下さい」
「そう言う訳にもいかないのよね。忙しいの」
 その後、僕は部長に押されて美術室前までやってきていた。押して来た部長は彼氏とデートがあるなどと言ってうきうきルンルンと昇降口へ掛けていった。その掛けていった所を体育教師に見つかり叱られていたのだが、気にもせず簡単に謝ってまた昇降口へ掛けていった。体育教師も僕も呆れていた。
 その一部始終を見終えた所で、僕は美術部の戸を開いた。ところが、あの先輩は美術室にはいなかった。同級生の部員から雨が降っていようがなんだろうがいつも外で絵を描いていると聞いた。同級生は「用があるならば伝えておく」と言ったが、お願いごとは自身で伝えるのが筋だろうと思った僕は自分で伝えると言い、彼が居るという中庭へ向かう事にした。
 中庭に行くと、この間と同じ場所で彼は絵を描いていた。ざあざあと鳴る大雨の中自分ではなくスケッチブックに雨があたらないようにして、雨宿りには到底使えないような小さな木のしたに座って、新しくしたと言っていたジャージを思いっきり汚して、ただただスケッチをしていた。こんな灰色だらけの日を、彼の目はどう映しているのだろう。
「先輩、」
 水も滴るなんとやら、とはよく言ったものだ。
 声を掛けた、その時だ。先輩の横顔を見て、どきりと胸が鳴った。この感情はきっと伝えてはいけないんだ、と、直ぐに分かってしまった。勘違いだと思い過ごしたかった。ああ、なんてことだろう。どうしてしまったんだろう。こんな事今まで一度も無かったのに、いったい何があったというのか。
(うそ、だろ)
 どきりどきりと、まるで賞の発表をされた時のような、大きな雷の音に驚いてしまった時の様な。きっとそれ以上の心音がただひたすらに心に響く。ああ、そんな。僕は先輩を、ひどく美しいと感じてしまったのだ。彼から目をそらしても、収まる気配はなかった。信じたくなくても、自分を無理矢理信じさせようとしているような、そんな気分になった。
「なに? 一体何を隠してるんだ、安井くん」
「なにも……」
「嘘つき」
 あの時のようにいたずらっぽく笑う先輩に、また胸が鳴った。ああ、これからどうしようか。ただの先輩後輩の関係ならばこんな気持ちになる必要なんてなかったのに。小説でだけ読んだ事のある感情を、自分は正に今感じているのだ。
 これはきっと、所謂――。
(だめだ、だめ、だ)
 一度気付いてしまえば、もう止まらないの。それが恋よ。そう言っていた部長の言葉を思い出す。彼女が書くポエムでも、同じ様な事を書かれていたのを思い出した。

 そうか、これは恋なのか。

 気付いてしまえば、もう止まらない。どうすれば良いのかなんて事は全く分からなかった。この気持ちをどうやって抑えていれば良いのだろう。初めての感情に戸惑うばかりだ。僕は一体どうなってしまうのだろうか。
 ――そんな不安に、僕は押しつぶされてしまいそうだった。

 名前を聞いて、一ヵ月が経つ。一ヶ月前の一ヵ月前に知り合った隣にいるこの後輩の名前は、安井くんという。下の名前は聞く機会を逃してしまった。
「蛍さん」
「なに?」
 なぜか彼は俺の下の名前を知っていた。美術部の同級生から仕入れました、と言っていた気がする。こちらも同じように文芸部の同級生から教えて貰おうと思っていたが、話を出来るような知り合いが文芸部に居なかった事に気付いた。かろうじて話せなくもない部長は、彼氏との約束があると話を聞いてくれなかった。
 こちらが無理に話そうとすれば、恐らく惚気話を四時間は続けられるだろう。
「これ、なんて色ですか?」
「ああ。それはセルリアンじゃないかな。小さくだけど書いてある筈だから見てごらん」
「本当だ。よく覚えれますね」
「好きだからね」
「ふうん……あ、僕この色好きです」
「マゼンダか。以外だ、もう少し落ち着いた色が好きなんだと思ってた」
「先輩は?」
「嫌いではないけどあまり使わないかな」
「そうですか」
 安井くんは時折色の名前に興味を持つ。美術に興味があるというよりは色の名前らしく、絵具の作られかたや原材料、合う紙合わない紙の話をしても全く反応がなかった。相槌をくれたのはせめてもの救いだったのだろうか。きっとそうだったのだろう。しかし、良い事を聞いた。
 マゼンダは、言った通り嫌いではない。ただ使う機会がないだけだ。山茶花を描いた時に少し使った程度だった。空を描くのにはあまり使わない色だと、自分では思っている。
 この色を使ったら、どんな表情を見せてくれるのだろうか。彼が去った後、少し赤みを帯びて来た夕焼けの空に、一筆マゼンダを足してみると、思いも寄らないとても綺麗な色が生まれた。偶然が生んだ奇跡を見ているのだと、そんな気分になった。
 思わずスケッチブックを取り出して、真っ新なページを開く。ざっと鉛筆で線を取って、透明水彩を取り出した。ペーパーパレットに水色と、紺色と、マゼンダを出して、水で溶いたそれをどんどん乗せていく。
 気がつけばチャイムが鳴っていた、最終下校時刻五分前を伝える放送からは、聞き覚えのある生徒の声が聞こえる。そういえば、この時間まで絵を描いていたのは随分と久しぶりの事であったかもしれない。一気に描き上げた絵を見て、思い浮かんだのは、安井くんの事だった。

 次の日の放課後、会うなり挨拶もせず、安井くんは絵具がごちゃごちゃになって入っているケースを除き、その中の一つを手に取ると、
「マゼンダ、使ったんですか?」
と、聞いた。
「よく気付いたね」
「だって、小さくなってるし。なんで突然?」
「こういうのも悪くないかな、って」
「そうですか」
「うん」
 安井くんに始めて会った時に、ひどく美しい人間だと思った。ぼさぼさとした髪に色素の薄い目、白い肌、高い背、見た目の割に繊細な性格、大雑把に見えて実は神経質な所、それでいて、優しい感覚の持ち主である事――どういう理由でそう思ったのかは今でも分からない。それからというもの、自分から人に声を掛ける事なんて滅多になかった自分が、彼を見つけるとそうはならないようだ。これもまた、不思議な事だと考えた。そして俺は、一つとある結論に辿り着く。
 俺は、安井くんが好きなのではないか。
 俺は、初恋を今、経験しているのではないか。
 自分らしくないな、などとため息を吐いた。

 この時間の空は薄暗い中に明るさがあって本当に綺麗だと思う。
 大学の受験まで数が月を切った。もはやのんびりしている場合ではないのだと、まわりのピリピリとした雰囲気から感じられる。俺はというと、やはり美術系の大学への進学を考えていた。すると、やはり一人暮らしや下宿をする事になる。何かと忙しい大学だと聞いているので、恐らく帰省も年に二度くらいになるのではないだろうか。安井くんと会うためにもなるべく帰ろうとは考えているが、今度は彼が受験生になってしまう。そんな事を考えているうちにすっかりとあたりは暗くなってしまった。帰らなければならない事を思い出し、少し歩幅を広めて歩くスピードを上げた。
 十五分程歩いて、自宅へと着いた。いつもなら必ず寄ってしまう文房具屋、それと画材を取り扱う店には今日は全く寄らなかった。気がついたら玄関の前に立っていたからだった。何かを考えていると集中していまう癖は今でも治っていないようだ。
「ただいま」
「おかえり、蛍。勉強はどう?」
「まあまあかな」
 迎えてくれた母にそう返し、自分の部屋へ階段を駆け上がる。がらり、と開けた自室は絵具のにおいが重なってまるで美術室のようだ。鉛筆の散乱した机を軽く片付けて、その上へ鞄を奥。さて、この自分らしくない気持ちを、いつ伝えてしまおうか。まさか自分が、こんな事でここまで悩んでしまうなんて――。なんだから笑ってしまう。
 けれど、本当に考えなければならないのだ。やはりらしくない事を考えながら、数学の問題集を開いた。

夏の日差しが照りつける八月。入学して始めてだと言うのに学園祭の実行サークルの手伝いをすることになってしまった俺は、帰ってくる予定だった日から一ヶ月程遅れて帰省した。地元は盆地だからこそ、余計に暑さが目立つ。入道雲は空にもくもくと広がり、蝉の声が響いている。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 卒業する時に、帰ってくるときは教えて下さいね、涙ぐみながら声を掛けて来た彼が今俺の目の前にいる。
 向こうへ行ってからはあまり連絡を取らなかった。安井くんは安井くんで忙しく文芸のコンクールへ出す作品を執筆していて、俺は馴れない大学生活を過ごしながら作品制作を行っていた。
 制作は空を描いた。ウッドハウスの窓から空を見る小さな少女の絵だ。朝方をイメージして描いたその絵は、あらゆる所に少しだけマゼンダが使われている。
 俺はその絵の事を考えてから、安井くんにこう切り出した。
「そろそろ名前を教えてくれてもいいんじゃないかな?」
「……言ってませんでしたっけ?」
 あの一年間、何度も安井くんと会って何度も話した。けれど、彼の名前は未だに知る事が出来ていないのだ。彼はどうやら教えていない事をすっかりと忘れていたようで、ぽかんとしている。
「忘れてたのか」
「正直な所」
 これがまた、彼らしいといえば彼らしいのだ。忘れっぽいのか高校時代しょっちゅう忘れ物をしては教科書を貸して欲しいと言われたのを忘れた事はない。違う学年でも同じ教科書を使っていて良かったな、などと軽く文句を言った事もあっただろう。
「……まあいいとしよう。で、名前は?」
「安井優介ですよ。優しいに紹介の介で優介です」
「へえ、ありがとう」
 彼の性格を表している良い名前だと思った。優しいという字は、正に安井くんらしい。
 名前を聞いて、俺は妙に、気分が良くなった。携帯を開いて安井くんの連絡先を開き、登録名を”安井くん”から“安井優介”に変更する。携帯を閉じて、俺は安井くんの方を向いた。それと同時に彼も足を止め、何かあったのかとこちらを覗く。俺は、くい、と彼のネクタイをひっぱって、彼の頬に自身の唇を重ねていた。
「好きだよ、優介」
「へっ」
 俺が思わずそう言うと、安井くんもまた頬を綺麗な朱に染めて、ゆっくりとほほ笑んだ。そして、ふと視界が遮られたと思うと、彼は俺を抱きしめて、
「僕もですよ、蛍さん」
と、そう言った。

 無意識に彼とつないだ手はやけに温かかった。遠くに見える入道雲は、いつまでもいつまでも続いているような、そんな気がした。

文芸男子の独り言

こういう関係って非常に良いと思います

文芸男子の独り言

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-01

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY