先輩が好き

甘酸っぱい恋かな?

……それは完全な一目惚れだった。
大学に入学して一ヶ月。友達も出来ず、私は一人で廊下を歩いていた。
いつも通り、一人で食堂へ向かおうと階段を下りようとした瞬間、ある人に目を奪われた。
その人は一緒にいる友達にからかわれて髪がボサボサで、身長は百七十もないだろう。
私は、彼の笑った顔より照れている顔が可愛くて、髪を撫でる仕草がかっこよく見えた。
窓なんて閉まっているはずなのに、どこか暖かくて強い風を感じた。
胸が締めつけられた感じがして、痛くて苦しいのに何故が辛くはない。
そして、左目から一粒の涙がこぼれ落ちた。それは、きっとコンタクトがずれたせいだと私は自分をごまかした。でも、彼が私の隣を通り過ぎた瞬間、確信してしまった。
これは恋だ、と。何故かと聞かれても答えなんてでてこないだろう。それでも、もし言葉で表現しろと言うなら……運命、と小さく呟くのかもしれない。
これは私の初恋の物語であり、きっと最初で最後になるであろう運命の出会いだった。

六月、梅雨もあけた頃、その日は午後からの授業だった。
遅刻ギリギリの時間で家を出た為、信号に引っかかっていた私は少し焦っていた。
時計を見ると、もう授業開始の五分前……、
「これ、遅刻かも……」
そんなことを考えていた。でも、その気持ちは一瞬で消された。
信号が変わった直後にトラックが通り過ぎて、やっと渉れると思った時、そこに彼がいた。
「先輩……」
私は小さく呟いた。初めてあった時と同じで、また友達にからかわれている。
せっかくのさらさらだった髪が、またくしゃくしゃにされちゃって……でもなんか可愛い。先輩は一緒にいる友達と、そのままこっちに向かってきた。でも、下を向いて歩いていたから当然、私の存在に気づいてなんかいないだろう。
金曜日だけしか会えないと思っていたのに、こんな偶然って……奇跡って本当にあるんだと思った瞬間だった。

先輩は大学四年生で、前にスイーツ研究会と書かれてある部屋に入っていくのを見た。だから後日、先輩がいないのを確認して私もその部屋に入り、
「あの……私をここにおいて下さい!」
と、叫んだ。……本当に先輩がいなくてよかったと今でも思っている。
……というか、誰もいなかったんだけど、ね。恥ずかしくなって部屋を出た時、ばったり出会ってしまった。先輩の友達に。
「あ、あの……その……えっと」
「もしかして入部希望?」
「……はい」
「あー。金曜日、また来てくれない? うち、週に一回しか活動してなくて」
「わかりました。……失礼します」
あの先輩、まぁ隼人さんって言うんだけど、あの時に絶対覚えられたよな。勿論ちゃんと金曜日に、もう一度行って入部してきましたよ。その日は体調崩したらしくて先輩いなかったけどさぁ。その時は隼人さんに怒りを覚えた。理由? さぁ、どうしてだろう。先輩と仲がよくて……だから、何だっけ?

「ヤバイ、本当に遅刻する」
回想話はこれくらいにして、学校までの一本道を全力で走る。でも私、足遅いからあんまり意味ないし、早歩きのほうが最悪いいのかもしれない。
「はぁ、はぁ……はぁ。二分前か」
ギリセーフでいいと思う。多分。その日は授業中、先輩に会えたことが嬉しくてニヤケがとまらなかった。ノートで顔を隠し、寝ているふりをしながら別のノートに先輩の似顔絵を描いていた。絵のクオリティは低いけど、そこはまぁ気にしないで。
また来週もこの時間に来ようかな? 会える確率はそんなに高くないけど……。

 その週の金曜日、授業が終わると教室を飛び出す。階段を降りて別校舎まで走り、今度は階段を登る。そして、廊下の突き当りにある部屋に私は入る。
「よし、今日も一番乗り」
誰もいない部屋のど真ん中で、私はおもいっきり叫んだ。……というか、叫ぼうとしたけど、声には出せないのであくまで心の中で、そう心の中で。
ここはスイーツ研究会の部室みたいなものだ。鍵をかけているわけではないので、誰でも自由に入れるのが特徴。部屋には何があるかというと……机と椅子、後は部員の所持品ばかりだ。
ここで毎回スイーツは食べるが、それ以外は基本的に自由だ。レポートが終わらないと嘆いて手伝ってもらっている人や、自分のパソコン持ってきて遊んでいる人、世間話をしてたり。それなら別にここじゃなくても出来ると思う……けど、違う。なぜなら、タダでケーキが食べられるからだ! しかもいろんな種類のケーキを少しずつ。だから遠くに足を運んでもここに皆、来るのだ。まぁ、私の目的は違うけど……。
「あら、今日も先、越された」
後ろから声がした。振り返ると扉の前に黒髪の美少女が立っている。
「あれ? 髪型、変えたの?」
先週会った時はポニーテールだったのに今は髪をおろしている。
「まぁ、ね。貞子みたいで嫌なんだけど……」
「全然、羨ましいよ。私なんてこんなチリチリで」
「いいじゃん、そのパーマ。女の子らしくて」
その美少女は机に重そうな荷物を置きながら言った。改めて見ると本当に私の憧れだ。
身長が百六十超えていて、さらさらな黒髪のストレート。スタイルも良くてどんな服を着ても似合いそう。せめて身長だけでも五センチでいいから欲しいなぁ。だって、後、一センチで百五十超えるから……。
「ウィース」
 その直後に二人の男がやってきた。えっと確か、二年生なのは覚えているけど……うーん、誰だっけ? 大量のレポートに頭を抱えている人と、それをブーブー文句言いながら手伝う人だったよね。
「今日のケーキ何?」
一人が言った。えっと、手伝っている人であっているよね?
「さぁ、何食べましょうか?」
美少女が言った。私はいつも通り、机の引き出しから封筒を取り出す。
「五千円札と一緒にメモが入っています。そろそろレポートの提出よろしく」
「マジ! またレポートかよ」
レポートと聞くと、頭を抱え込むのが癖になっているのだろうか? その人は鞄から大量のレポートを取り出し、にらめっこを始めた。
「レポートは私達、一年で適当にやっておきますから、なんか買ってきて下さい」
いつの間にか、美少女が封筒を持っていた。あれ? さっきまで私が持っていたはずだよね……。まぁ気にしない。一人が美少女から渡された五千円札をポケットにつっこみ、どこかへ行ってしまった。わざわざ封筒から取り出す意味はあるのだろうか? 男の人の行動ってよくわかんない。……ついでに今のは、あれ? どっちの人だっけ。
「さて、寧々悪いけど飲み物買ってきてくれない? その間にレポートやっておくから」
あっ、自己紹介が遅れたけど私、寧々って言います。よろしく。
「いいよ。ホットレモンティーでいいんだよね?」
「うん、よろしく」
 美少女はどこからか持ってきたのかノートパソコンを開いて、カチャカチャとキーボードをうっている。しかもそのスピードが尋常じゃない速さなので、一瞬振り返ってしまった。……やっぱり、凛さんは私の憧れだ。その美少女の名前は東凛子って言うんだけど、本人が自分の名前にを気に入っていないらしく、私は凛さんって呼んでいる。子が余計なんだよって前に言っていたから。でも隼人さんだけは未だに凛子さんって呼んでいる。本人に毎回、やめてくださいって言われているのに……。本当、懲りない人だなぁ。
 階段を降りる途中に、
「あっ」
二人の男性に出会った。
「今日は何?」
一人の男性が口を開いた。まぁ、例の隼人さんなんだけど……。だから勿論、その隣には先輩がいる。あれ、今日なんか違う。なんというか、いつもと雰囲気が……。うーん。でも、うん、多分気のせいだ。私の。心の中で勝手に悩み、解決した。
「二年生が今、買いに行きました」
先輩への違和感をなかったことにして隼人さんの質問に答えた。
「そう、か」
同時に、私は破裂寸前の心臓をどうにかしたくて、先輩方に軽く会釈をして行こうとした。
「あっ、そうだ。今、部屋には誰がいる?」
「凛さんがパソコンでレポート作成しています。凄い、早いですよ!」
「……キーボードのこと?」
「はい!」
隼人さんは少しだけ口角をあげた。だから私も少しぎこちない笑顔を見せてから、階段を降りた。(これはあくまで隼人さんに向けてではないから、あくまで……)
 あの時、先輩は私のことどう思っていたんだろう。ただの後輩としか認識されていないんだろうなぁ。きっと。私が凛さんだったら先輩の記憶に残れたのに……。隼人さんは、凛さんの話しかしないから。それだけ愛されている凛さんが、ちょっぴり羨ましいけど隼人さんに好かれるのはちょっとなぁ……。

「凛子さん! これから、僕とご飯行きませんか?」
「お断りします」
それは突然の出来事だった。どのくらいかと言うと、私が飲み物を買ってきて部屋に入った瞬間、聞こえたセリフだった。……なんか、入部した日を思い出すなぁ。

私や凛さん、他の先輩方がいて隼人さんはこの部屋に遅れて入ってきた。隼人さんはその扉をあけた瞬間、硬直した。その場にいた全員が無言のまま見ていた。
「隼人さん、羽悠さんはどうしたんですか?」
誰かが、口を開いた。
「あ、あぁ。風邪らしい。……彼女達は?」
「今日、入部してきた一年生です」
隼人さんは人形のように動く様子がなく、じっと大きく目を開いて一点を見ている。その目線の先にはポニーテール姿の凛さんがいた。
「……隼人さん?」
 他の誰かが、言った。この無言の時間をどうにかしたいと誰もが感じていたと思う。隼人さんはその声が届いたのかは……わからないけど大きく足を一歩だけ動かした。凛さんの方向に。そして、
「君が好きだ。僕と付き合って下さい」
と言った。そしたら、
「お断りします」
と即座に振られた。私たちは一体、何がおこったのか理解できず、ただ二人の姿を交互に見ていた。

「凛さん、買って……きたよ」
 かるい回想をしていたら自然と口が開いた。その前に何があったのかは聞かないでおこう。なんとなくだけど、嫌な予感がするから。
「ありがとう寧々」
「……凛さん?」
凛さんは平然としていた。いや、内心では相当怒っているけど、いつも通りにすることで抑えているんだな、多分。
「凛子さん、何も二人きりだなんて……まだ、言ってませんよ!」
「二人きり? まだ?」
 これはヤバイ。凛さん、怒りが頂点に達しているよ!
「凛さん、それなら私と三人で隼人さんのおごりで、なら」
「断る」
そう言って部屋を出てしまった。でもすぐに戻ってきて、自分の荷物と開きっぱなしのパソコン、そしてコンビニの袋を持って何も言わず誰とも目を合わせないまま出ていった。
私は追いかけようとしたけど、多分レポートの続きをするから邪魔になると頭がよぎって、動けなかった。

 凛さんは結局、閉校時間ギリギリまで待ったけど帰ってくることはなかった。隼人さんは凛さんが去ってから何も言わなくなったし。せっかくの美味しいケーキがマズイと感じる程、気まずい空気がながれる状態で時間だけが過ぎていったのだ。
 はぁー。凛さん、もう来ないってことはないよね……。
 辺りが暗いせいか気持ちまで沈んでしまい、下をむいて歩いていた。
「寧々?」
どこからか声がした。でも、それよりこんな遅い時間までいたことないから、この場所が大学のどの辺りなのか全然わからない。帰れなくなったらどうしよう。
「寧々ってば、どこ向かっているの?」
肩を叩かれてそう言われた。一瞬、幽霊? と思ったけど違う。凛さんだった。
「凛さん! どうして」
「それより早く、あなたを待っていたんだから」
強引に手を引っ張られた。凛さんの意外な一面に驚きつつも、無事に帰れる保証ができたので安心している自分もいた。

「凛さん、凛さんってば!」
 大学の門を出てからも凛さんは私の手を離してくれず、今日に限って信号も青ばっかりで……(いや、いいことなんだよ? でも、もう疲れたというか)それに靴紐がほどけてきたから結び直したいんだ。
「……痛っ」
何か小さい物体に躓いた。何かと思ったけど、足元にあったのはただの石ころ。
豪快に転んだわけでもないので、血がでることも特になかった。
「ごめん。強くひきすぎた」
「大丈夫だよ」
立ち上がる前に靴紐をしっかり結び直して、手で足をかるくはらった。
「凛さん。そんなに急いでどうしたの?」
少しだけ早歩きしながら聞いた。
「レポートが終わって帰ろうとしたら、門付近で羽悠先輩たちにばったり遭遇しちゃって。
お互いにさっきのこと謝って私が帰ろうとしたの。そしたら羽悠先輩が奢るから四人でご飯行こうって」
「四人……なんで私?」
「それは、私と寧々しか一年いないからでしょ? ちなみに奢るって全額、羽悠先輩が出すと思うよ。言いながら自分に指さしていたし」
 羽悠先輩の奢りかぁ。なるべく私は安いのを頼まないと。凛さんと隼人さんはまだしも、私は完璧おまけみたいな存在だから……。
「先輩待たせるのはまずいって思ったら、つい足が……」
うん、その気持わかる。どんな相手だったとしても先輩である以上、勝手に体が動いちゃうよね。さすが、元剣道部。
「凛子さーん」
 遠くから声が聞こえた。誰なのかは言うまでもない。さっきまでの出来事なんか嘘だったと思うくらい、満面な笑みを浮かべて彼女の名前を大声で叫んでいる。
「だからその名前で呼ばないでよ」
 隼人さんの声とは対照的に小さく、吐き捨てるように凛さんは呟いた。この二人をみていると、家族のような温もりを感じる。ブーブー文句を言いながらも隼人さん達に近づく凛さんと、距離が縮まる度に大きく手を振る隼人さん。そして、そんな二人を苦笑しながらみている私と先輩。まだまだだけど、先輩と私の距離も縮まっているような気がした。

 どんな店なのか少しだけ期待していたけど、着いた先は……居酒屋。嘘でしょ?
先輩ってセンスない人なのかなぁ、もしかして。
隼人さんは勿論、凛さんまでも平気な顔して店に入っていく。こういう時は普通カフェとかまともな食事をできる場所にするんじゃないの? そう思っているのは私だけ? 内心不安になりながら私も店に入った。

「かんぱーい」
私はカルピスで凛さんは烏龍茶、先輩達は生ビール……。これが高校と大学の違いなのだろうか? 内心モヤモヤしつつジョッキをかわした。
しばらくして……
「凛子さーん、一緒に飲もーよ」
隼人さんはお酒に弱い人みたいで、まだ二杯目の途中なのに顔が赤くなっている。それに比べて先輩は、平気な顔してもう四杯目だ。
「お断りします。それと、潰れない程度に飲んで下さいね。後が面倒なので」
お茶漬け片手に隣にはアイス……。凛さんは普段どんな食事をしているのだろう? ケーキがないからってすねて、何頼んでもいいよって先輩が言ったら遠慮なく注文するし。
凛さんはお酒飲んだら大変そうだな。口調がさらに強くなるか、すぐに潰れて寝るか……どちらにしても手のかかることは同じだ。
「寧々、何遠慮しているの? 食べな」
「そうだよ。何でも頼んでいいから」
凛さんも先輩もそう言ってくれるけど、もうお腹いっぱいなんだよね。学校でケーキ食べたし(女子は皆、ケーキは別腹って言うけど私はちょっと……無理)小食派なんだよね。別に今ダイエットしているとか、食事にはきをつかっているとかじゃないから。普通に昔からあんまり食べない方なの……。
「いえ、私もうお腹いっぱいなので」
「嘘! まだ全然食べていないじゃん」
「いや、本当に……」
 凛さんはその言葉を聞くと隣りにあったアイスをペロリと食べてしまった。二つあるから多分、一つは私の分なのだろう……でも時期的にまだ早くないか? いくら夏前とはいえ、六月だし。

 その後はすっかり潰れた隼人さんそっちのけで先輩と凛さんが盛り上がっていた。話の内容は現在いびきかいて寝ている隼人さんについて。
「本当に、あの告白は驚きましたよ」
「風邪で休んでいたけど、そうとうやばかったらしいな」
「はい。あの時は大変だったよね?」
凛さんがこっちをむいたので私は小さく頷いて、
「今日と同じくらい、しらけていました」
と言った。すると先輩はクスッと笑って
「まぁ、あれは、な」
と言って、一気にビールを飲んだ。
「……凛さん、でいいのかな? 凛さんはあいつのこと好きになる確率ってどのくらい?」
「ゼロです。人としては好きです。けど私の恋人になりたければ、最低限お酒は強くなってもらわないと」
凛さんは三杯目のお茶漬けと五個目のアイスを食べている。目の前には唐揚げとか野菜炒めとかあるのに……その二つが好きなのかな? それにしても凛さんが、だんだんお酒飲んでいる人に見えるのは気のせい? 烏龍茶も烏龍ハイもたいして見た目が変わらないから雰囲気的にそう見えているだけなのかな? そんなことを内心考えながら話しかけた。
「先輩ってお酒、強いんですね」
 普段の私ならこんなことしないだろう。でもここが居酒屋だから、先輩が少しだけなら酔っていると信じていた。だからこんなことできたのだろう。
「そう? こいつが弱過ぎなんだよ」
先輩酔っているな。隼人さんの背中かなり強く叩いているから、顔も少し赤いし。
「……ん、いてーよ」
若干寝ぼけつつ、隼人さんがようやく目を覚ました。
「水、ここにあるんで飲んで下さいね」
表情は不機嫌だけどやっぱり凛さんは優しいな。寝ぼけているから、誤ってジョッキとか落とさないようにきちんと遠ざけたりして……。私、そういうこと気づかないから羨ましい。
「そろそろ帰りますか? 隼人さんがまた寝ない間に」
隼人さんの様子をしばらく観察した後、凛さんはきりだした。携帯を見ると既に十一時を過ぎていて、確かにこのままだと終電を逃してしまう恐れがあった。
「うん、時間も時間だし。隼人、帰るぞ。さっさとトイレ行ってこい!」
「んぁ、あぁ」
隼人さんはトイレへ先輩は会計をしにレジに行った。残った私達は食器を少しだけ重ねたりジョッキを一箇所にまとめてから店を出た。でも凛さんは隼人さんを迎えに荷物を置いて戻った。
「あれ、一人?」
会計を終えて店を出た先輩は私しかいない現状に少しだけ驚いていた。
「凛さんは隼人さんを迎えに……。それとこれ、先輩の荷物です」
「わざわざごめん。ありがとう」
まだ酔いが覚めていないのかな。まだ少しだけ赤い。
「ん? どうしたの」
「あ、いえ。隼人さん大丈夫ですかね」
「多分。今日は凛さんがいたから余計、かもな」
すると店から二人が出てきた。もう目は覚めているようだけどテンションは低かった。
凛さんは隼人さんの半歩後ろを歩いていて、ときどき様子をみている。
「隼人、飲み過ぎなんじゃねーの。ほら、荷物」
「あ、それ私が持ちます。まだ完全ではないので」
二人分の荷物を持って、さらに隼人さんの様子を見ながら駅へと向かう凛さん。それを後ろで見守りながら本当ならこの役目、先輩がやるべきだと思いつつ声に出して言うことは出来なかった。まだ覚めていないのは先輩も同じだし、さりげなく隣にいられるこの状況に喜んでいる自分がいたからだ。……それにしてもあの時の違和感は何だったのだろう。

「バイバイ凛さん」
駅に着いて先輩が隼人さんを送ろうとしたが、凛さんに
「私がやるんで大丈夫です」
と断られてしまった。かわりに偶然、途中まで方向が同じ私と帰ることになった。階段をのぼってホームには出たけど、やっぱり夜だから人が多くて、一本遅らせることにした。
「先輩?」
「ん?」
「もしかして髪、切りました?」
さっき隣で歩いていた時、先輩の姿を半歩下がってじっと見ていた始めは気づかなかったけど、深く考えている間にもしかして……っと思ったからだ。
「あぁ、まぁ」
先輩は髪を触りながら照れくさそうに言った。よかった。間違っていたらどうしようと心臓バクバクしていたからだ。
「短いほうが似合っていて、私は好きです」
少しだけ首をかしげて先輩を見る。久しぶりに直視したせいでじっと見つめてしまった。
「あぁー、ありがとう」
前髪を触りながら、顔を真赤にして目をそらす先輩。私はこの仕草が好きだ。

 電車にのっている間、私達は一言も喋れなかった。ギュウギュウの満員電車で場所が悪いのか、私はつり革につかまることができず、先輩の服をつまんでいた。だからお互いに気まずい空気がながれているのだ。……私だってやりたかったわけではない。この電車が大きく揺れるのがいけないんだ。言い訳になるかもしれないけど、さ。
次は〇〇、〇〇―
私は次の駅で乗り換えをする。この現状をどうにか出来る安心感と、また一週間も待たないと先輩に会えない寂しさが心の中にあった。
「どうしたの? 気分でも悪い」
「あっ! いえ、大丈夫です」
無意識に先輩の服をさっきより強くつかんでいた。それに加えて私は下を向いていたからきっと勘違いをされたのだろう。でもこの時はそんな冷静に考えている余裕がなかった。
ドアが開きます。ご注意下さい。
そのドアが開いたのと同時に、私と先輩は押し出されるように電車を降りた。そのまま立ち止まることなく、電車との距離が離れていった。
「すいません、先輩」
 ようやく立ち止まることができた時には、既に電車は発射していた。
「あぁ。まー、しょうがないよ。それと……」
先輩は私から目をそらして、顔を真っ赤にしている。
「はい?」
「そのー、えっと……そろそろいいかな?」
「えっ? ……あ、あ、あー。すいません!」
私は今のいままで先輩の服をつかんでいたのだ。……意識しちゃうと、凄く恥ずかしい。
「せ、先輩、もう大丈夫です」
私は一秒でも早くこの場から逃げ出したかった。それよりも、もう顔をあげることができなくて心臓も張り裂けそうで……このままじゃ過呼吸になりそう。
「でも、顔、赤いよ?」
「それは、えっと、そのー」
動揺していた。その時はかなり動揺していた。だから、もしかしたらこの張り裂けそうな心を、感情をぶつけたかったのかもしれない。
「先輩!」
きっと、我慢の限界だったんだ。……初めての居酒屋で場酔いをしているんだ。その時は、そう自分に言い聞かせることしかできなかった。
私は顔をあげた。そして深呼吸を一回してから、先輩の腕をぎゅっと掴んだ。
「えっ。ちょ……」
困惑している先輩をそのまま引っ張って、耳に囁いた。
「先輩、大好きです」
その後は逃げるようにその場から離れた。何がおこったのか自分でもよくわからなくて、大泣きしながら走ったことだけ覚えている。先輩がどんな顔をしていたなんて分からない。
ただ、一つだけ言えることがあるなら……。
私の心臓の音が先輩に聞こえてしまった。ドクドクドクっと張り裂けるような音が。

「告った?」
それから一週間後、先輩と顔を合わせづらくて部室の前をうろうろしていた。そしたら凛さんがきた。凛さんと別れた後の出来事を話した。
「へぇー。で、どうするの今日?」
「そうなんだよ」
あれから先輩の様子が気になって、暇さえあれば探してはいたけど……全然見つからなかった。幸運なのか不幸なのかよくわからないけど、先輩のことを考える度にあれを思い出してしまう。はぁ、私ってばなんてことを……。
「帰ったほうがいいかな?」
「さぁね。でも告白されて嫌な男なんていないだろうし、さっさと忘れれば?」
そんな難しいこと、凛さんと違って私にはできないよ。
 ガラッ
 ドアの開く音。誰だろう。できれば先輩じゃない人でお願いします。
「おはよう、凛子さん。今日も綺麗だよ」
げ……、隼人さんかよ。この人だけには絶対、知られたくないな。会った瞬間に、直感した。だってこれをネタに何か企みそうな予感がしたから……。
「もういい加減その呼び方やめて下さい。嫌だって言っているじゃないですか!」
いつものことだが、凛さんは隼人さんを睨んだ。そして隼人さんは私と目があった瞬間、
「あっ、そうそう。この間、あいつに告ったんだって」
とにっこり笑って言った。
「えっ。あ、はい……」
なんで知っているのって思ったけど、よく考えればいきなり告白なんてされたら誰かに相談するよな。隼人さんが一番、最適な人間だし。本当にあんなことしなきゃよかった。
「先輩、何か言っていましたか?」
後悔しても、今更遅かった。だから前に進もうと思って、恐る恐る聞いた。
「動揺はしていた。でも、どうするのって聞いたら顔真っ赤になって、それ以上は何も」
その言葉を聞いて、正直ほっとした。それと同時に、これからどう接すればいいのかわからなかった。そんなに関わってきた仲でもないけど、改めて考えると……どうしよう?
「羽悠! そんなところで何やってんの?」
隼人さんがいきなり大声を出した。びっくりしてその方向を見たら、
「えっ、あぁー、うん。何しているんだろうね」
先輩は部屋と廊下の境界線にずっと立っている。私は慌てて顔を伏せた。先輩は少しずつ動いているみたいだ。声を聞けばどの辺りにいるかなんて、もうわかる。だって、それぐらい好きなんだから……。
「ちょっと! いつまで黙ってるの。先輩が来たんだから、挨拶しないと」
凛さんから喝を入れられ、恐る恐る顔をあげた。
「お、おはようございます。……先輩」
「うん。おは、よう」
……どうしよう。挨拶したのはいいけど、目を離せない。私が先輩をじっと見ているから、先輩も私を見ている。どうすればいいのかわからなくて、お互いに何も言わず見つめ合う無言の状態が続いた。

「羽悠先輩、携帯持っています?」
凛さんが、最初に口を開いた。
「凛子さん! 勿論持っているよ。僕とメアド交換してくれるの?」
「絶対にしません。それに私は、羽悠先輩の目を見て話しているんです!」
……ありがとう、凛さん。おかげでやっと目が離せたよ。
「で、質問に答えて下さい」
「……あるけど、連絡交換しなくても別に」
「私とではなく、この子とです」
凛さんにいきなり両肩をつかまれ、一瞬、驚きのあまり悲鳴をあげそうになった。
「えっ……」
「なんで、いきなり」
もう私は固まることしか出来なかった。何が何だか全く整理がつかず、時計の針だけが動いているようだった。
「別によくね? 俺、初対面の人にも教えるぐらいなんだから」
平然とした様子で隼人先輩が口を開いた。
「いや、俺とお前じゃ全然違うし……」
「はー、もう。なら、彼女の連絡先を紙に書いて渡すんで登録しておいてくれませんか?」
凛さんが半ば呆れたように言った。
「連絡先ってさぁ、メアドだけ? 電話だけ? それとも……」
「そんなの、自分で決めなさい!」
もう、怒鳴らないでよー凛さん。内心そう思いつつ、私は紙に書こうとした。
「待って」
先輩の声、さっきより大きく聞こえる。多分、距離が近づいたせいだ。……えっ?
「あ、の。どうしたん、です? か」
「これ、写してくれる?」
顔をあげると先輩が自分の携帯を差し出してくれた。そこには、先輩自身のアドレス帳?みたいなページが開かれている。
「わかりました。ちょっと、失礼します」
私は急いで自分の携帯に打ち込み、画面が消える前に返した。
「あのー先輩。メアドと電話、両方で送ってみたんですけど、届いていますか?」
「……うん、大丈夫。それより、打つの早いね」
「そうですか? 急ぎすぎてよく、誤字が混ざっちゃうんですけどね」
下書きのメールを用意していたなんて、とてもじゃないけど言えない。まぁ、アドレス帳から送ることも出来るんだけど、既に用意していたなんて……まだバレていないよね、誰にも。
「あのさー、この間のことなんだけど」
……先輩、その話はもう忘れて下さい。あれは言葉のあやなんです! なーんて、言えるなら苦労なんかしないのに。
「はい」
ど、どうしよう。また、目を離せなくなってしまった。凛さんと隼人さんもいる前で、返事を聞くことになるんなんて。せめて二人きりにしてほしかった。……それもそれで気まずいけど、さぁ。
「とりあえず、友達から、ってことで」
「……あっ、はい。お願いします」
ふぅー、良かった。返答次第では涙を流すことになるかもしれなかったから。先輩に気を遣わせてしまったかもしれないけど、ありがとうございます。私、告白して良かった。
だって今日、先輩と少しだけ話せたし……何より連絡先を交換できたのが嬉しかった。

 それから数週間、連絡先を交換した影響で少しずつ先輩と話せるようになった。
……といっても私の質問攻めで、話せているのかは微妙だけど。先輩の昔話からこの大学を卒業した後の話、スイーツ研究会でやるイベントとか……でも一番盛り上がったのは隼人さんと凛さんが今後どうなるのか。くっついてほしいけど、やっぱり無理だよねーって。

ある日の帰り道、電車のホームに出ると椅子に座って音楽を聞いている先輩を見かけた。
「先輩、お疲れ様です」
二人きりなんて凄く久しぶりだ。でもあの時とはもう違う、告白したあの日とは……。
「あ、お疲れ。あれ? 帰り?」
「はい。先輩は?」
「電車待ち」
掲示板を見ると後、十分後に来る。
「私も、一緒にいていいですか?」
「あぁ、うん。ここ、座りなよ」
先輩はそう言って荷物をどけてくれた。私は座って先輩をじっと見つめた。いつもは誰かと一緒にいるから、こうして一人でイヤホンつけている姿が新鮮に見える。
メールのやり取りをしただけでこんなに、話せるようになるなんて……。まぁ先輩だから気をつかわせているのは分かっているけど、今は忘れさせて!
「……聞く?」
「……はい」
先輩はイヤホンを私の耳につけてくれた。ちょっぴりくすぐったくて、嬉しかった。先輩の隣に座れること、一緒に聞けること……。でも一番は、何も言わなくても伝わったことが何よりも嬉しかった。電車が来るまでの数分間だけだけど、私にとっては貴重な時間で同時に幸せな時間でもあった。
「あー、花火大会かぁ」
混雑した電車の中、窓の上にあったポスターに目がとまった。
「ん? どうしたの?」
「えっ……。いやー、今年、行くのやめようかなーって」
「花火?」
「はい。浴衣疲れるし、動きづらいし、人多いから……」
「あー、でも年に何回かだけだし……」
「んー。だけど今年は皆、忙しそうで……」
「じゃあ、さ」
その後、先輩は言葉をためらった。私が首を傾げていると……、
「行かない? 一緒に」
「えっ……」
私はその時、ドキッとした。いつもなら前髪を撫でていいそうな言葉なのに、今回は私の目を見て言ってくれたから……。
「って、えっ!」
言葉の意味をようやく理解した私は、驚くことしかできなかった。
「あっ……ダメなら、そのー」
顔を真っ赤にして前髪を撫でる先輩。……可愛いよ。
「全然、むしろお願いします!」
うまく言葉を選べなくて変な感じになっちゃった。えっ……これは夢じゃないよね?
「でも、どうして急に……」
理由を聞こうとしたけど、この駅で乗り換えしなきゃいけないし、メールでも話題を変えられるし……。結局聞けないまま、約束の日を迎えた。

私はその日、駅前にある時計台の下で待っていた。
キー
振り返ると先輩が立っていた。自転車と共に……。
「や、あの。その姿、疲れるって言っていたから」
先輩は今日も前髪を撫でている。可愛いな……寝ぐせもなおっていないし。
「あ、はい」
と、その瞬間
ドーン
その音と共に花火が打ち上がった。
「……始まっちゃいましたね」
打ちあがっていく花火をみつめながらボソリと呟いた。
「うん。あっ、ここ座る?」
「はい」
私は自転車の荷台に腰掛けて、先輩はハンドルを握りながら時計台にもたれかかった。
「綺麗ですね」
どの花火も大きさや色が違うのになんでこんなにも綺麗だと思わせられるのだろう……。
「うん。こうやってゆっくり眺めたのは久しぶりだな」
「そうなんですか?」
「いつもは大勢で行くから、うるさくてさ」
あっ、なんか想像つく。ワイワイしながら先輩の髪が徐々に乱れ、それをゲラゲラと笑う人達の姿。私も、その中にいれたらどんなに嬉しいんだろう。でも、知らない女の人が先輩にベタベタ触るのはちょっと……嫌かも。
「その……」
そんなにじっと見ないで下さい、先輩。って言いたかったけど、いつもと様子が違うような気がしたからそのまま会話を続けた。
「これ、お下がりなんです。こんな色が濃くって、しかも黒って」
せめて、緑とか紺とか、後は赤? それは……それで嫌かも。
「いいと思うよ。どんな色でも着る人によって雰囲気が変わるし」
「本当、ですか?」
先輩はゆっくり頷いた。その時の微笑みが別人に見えて、思ってしまった。先輩のいろんな顔をもっと見てみたい、と。そして叶うならば、この時間が続いてほしいとも……。
 それからの時間は短かった。本当は花火の写真や動画を撮ろうかなと思っていたのに、そんなことすっかり忘れていた。

「終わった、ね」
「そう、ですね」
花火が終わると駅に向かう人達で、一気にあふれた。私はそのまま荷台に座り、先輩がひとけの少ない場所まで自転車をこいだ。
「ふぅ」
ため息と同時に、先輩は自転車から降りた。
「大丈夫、じゃないですよね? なんか、ごめんなさい」
本当……最近ケーキの食べ過ぎで重くなっているはずだから、大変だったですよね。
「いや、別に。なんかあのままじゃ、はぐれそうな気がしたから」
あのー先輩? 私は自転車の荷台に乗っているんですよ? しかも先輩の。どうやっても、はぐれることはないと思うんですけど……。なんか、変なの。
「あっ、や。特に意味は無いよ。その、なんというか」
先輩は顔を真っ赤にして視線をそらしたいのか、目をキョロキョロさせている。そんな姿を見て私はもう、感情を抑えられなかった。
「先輩? あそこ何かいませんか?」
「えっ? 何処?」
先輩が後ろを向いた瞬間、私は思いっ切り抱きしめた。心臓の音が届くぐらい、強く。
「……どうしたの?」
私は何も言わず、そのまま抱きしめた。だってこの時間が終わってほしくないから……。
 しばらく無言の時間が続いた。
「あのさ、もう一度言ってくれない? あの時みたく、耳元で」
あの時みたく耳元、って……あっ、あの告白のことか!
「無理ですよ」
先輩、そんな恥ずかしいこと言えないです。いくら小声でお願いされても……。
「じゃあ」
その言葉と同時に私の腕をおろし、こっちに振り向いた。
「僕が言う」
「はっ?」
何……言ってるんですか?
「好きだ。少し前から、ずっと君のことが大好きだ」
先輩、今なんて……。何かいわなきゃいけないけど、口より先に涙が出てしまった。
「……」
だから何も言葉がでてこないし、頭が真っ白すぎて……。
「一緒にいてくれる?」
気がついた時には私は立っていた。いつ自転車から降りたのか、もう覚えていない。
「あ、あの」
「うん」
「う、はい。お願いします」
「お願いがあるんだけど、彼氏、として」
えっ……。そんな、いきなり何ですか? 考えてはみたものの、既に頭の中はパンクしているのであまり意味が無かった。
「はい。どうぞ」
それしか言えなかった。
「呼んでくれる? 名前で。まだ、なかったはずだから」
……あぁ、そうだったかもしれない。
「羽悠先輩、でいいですか?」
「うん。もう一度、言ってくれる?」
私は一回、深呼吸をして言った。今度はちゃんと目を見て。
「羽悠先輩、大好きです」
その時の出来事をきっと、一生忘れないだろう。だって私の恋が叶った瞬間であり、堂々と好きって、大好きって言えた瞬間だから。

先輩が好き

 この作品はまだ続きがあるのですが、きりがいいのでここまで
続編は書きたい気持ちが強くなったら……やろうかな? って感じです。

先輩が好き

  • 小説
  • 短編
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  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-12-01

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