廻らない地球儀

雪粒フミ

第1話

風の音で、目が覚めた。
浮上する意識に逆らわず、ゆっくりと目を開ける。真っ暗だった。
まだ夜が明けていないのか。それとも光が入ってこないだけなのか。起きたばかりの頭でそんなことを思い、どちらでもいい、ともう一度目を閉じると、風の音が空間を支配した。
日本が今、必死に冬になろうとしているのか、ほんのわずかな期間しか訪れなかった秋を無理矢理に追い出そうとしているように感じる。結果、一昨日あたりから気温は急激に下がり、昨日からは冷たい、強い風が吹き始めた。通学途中にある公園の木々は、最後に意識して視界に入れたときにはすでに裸になりかけていた。加えてこの風のせいで、今日あたりには完全に飾りがなくなっているだろう。冬になるために、風は、温度だけでなく、その象徴までも奪っていく。
冬が来なくて困る人間なんてたかが知れている。なのにどうして、そこまでして自分の存在を人に見せつけたがるのか。まるで、「自分を見ろ」とでも言わんばかりに――。
そこまで思考を巡らせたところで、季節相手に馬鹿なことを考えている自分に気づく。これでは、自分が馬鹿だ――。サエは、意識的に唇の端を持ち上げた。サエは特別秋が好きなわけではないし、季節が春であろうが夏であろうが、もちろん冬であろうが、そんなことは全くどうでも良いことであった。これ以上頭を使いたくなくて、思考の糸を断ち切るようにゆっくりと目を開ける。やはり真っ暗だった。窓を叩く風の音も変わらない。目を閉じていた時間がごく僅かなのだと知る。もう一度目を閉じても、サエが起きるべき時間まで眠れそうにないので、目を開いたまま、時間が過ぎるのを待とうとした。
――と、本当に目を開けているのか疑いたくなるようだった闇が、少し薄くなる。外に意識を向けるが、夜明けの気配は、ない。まだ完全に機能しない身体をのろのろと上半身だけ起こすと、暗闇にかすかな光を与えたのは、机の上に無造作に置かれたスマホのそれであった。瞬間、嫌な予感が頭をよぎる。しばらくの間、着信を知らせるオレンジ色のランプが点灯しているのを眺めていたが、中々止まないそれに対して、予感が確信に変わる。浮かんだのは、一人の顔。……出来ることなら、関わりたくない。しかし、サエに電話をかけている相手は、サエが寝ていようが起きていようが、電話に出ない許さないとでも言いたげに、留守番サービスに繋げられては何度も何度もかけ直しているようだった。
サエは仕方なく、点灯し続けるそれの画面に表示された文字を見た。確信が事実へと変わる。右上に小さく並べられた文字によると、時刻は午前5時30分を少しまわったところ。サエは、心底面倒だと思った。何でこんな時間に電話をかけてくるんだ。大人しく寝ておけばいいのに。しかし、この相手にそんなことを言ったって、余計に面倒事が増えるだけだということもよく分かっているので、いつもの「守山サエ」になるべく、抱えたイライラを少しでも減らそうと軽く舌打ちをして、応答ボタンを押した。無視し続けるという選択肢は、なかった。

「おはよう、実里(みのり)。こんな朝早くからどうしたの?」

心の内とは全然違う、びっくりするほど優しくて甘い声が出たことに、サエは感心した。スマホの向こう側からは啜り泣く声が聞こえてくる。ああ、これは、非常に、面倒だ。

「サ、エちゃ……っ、あ、のね……あの……っ」

女子の中でも高めの彼女の声は、泣いているとまるで、小さな子供が欲しいオモチャを手に入れることができず、駄々をこねているように聞こえ、鬱陶しい。頭に響いて、気持ち悪い。が、サエはそんな気持ちを声色には微塵も滲ませず、変わらず優しい口調で語りかけた。

「実里、落ち着いて?大丈夫、ゆっくり息を吸って……」

せめて話ができる状態になってから電話をかけてくれば良いのに。サエはため息をつきそうになり、慌てて吐こうとしていた空気を吸い込んだ。通話口からは、フーッフーッという音が漏れてくるので、実里はサエに言われた通りに落ち着こうとしているのだろう。なんて面倒くさいんだ。スマホから意識を逸らしたくて、しかし何をすれば良いか分からなくて、窓でも開けようかと立ち上がると、「あのね、サエちゃん……」と、まだ聞くのを許せる範囲の声が、遠慮がちに切り出す。

「また、過呼吸になって……ママが、『なんでそんな風におかしくなるの!』って私のこと怒って……やっぱりママは、私のことおかしいって思ってたんだよ……。ママが怖くて、寂しいよぉ……。サエちゃ……、サエちゃん……っ」

また泣き出した実里の煩わしい声を黙って聞いていたサエは、どうすれば電話を終えられるか考えていた。正直なことを言うと、実里の母親の言う通りだ。実里が「しんどい」と口に出したときは、いつも誰かに構って欲しそうに、へにゃりと、わざとらしいほど弱々しくなる。サエは、そんな実里を見ると、決まって何かで殴りたくなる衝動に駆られる。消えてしまえばいいのに、とも思う。が、今実里に対してこんな感情を抱いたところで電話が終わるわけではないことは重々承知だ。実里にとって、何か都合の良い言葉はないものか。サエは、冬用の分厚いカーテンを開けて窓の外を見た。相変わらず夜明けの気配はなくて、我慢できず電話越しに聞こえないように小さくそっと息を吐き出した。

「大丈夫だよ、実里。お母さんはちょっと疲れてるだけだよ。私は実里の味方だから、安心して」

何て無責任なんだろうと、サエは思った。

廻らない地球儀

廻らない地球儀

  • 小説
  • 掌編
  • 成人向け
更新日
登録日
2015-11-30

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