招霊機  「逝く処」 3章 ジェイソン・ミナツキモデル・001 

ちょっと今日はえぐいかな・・・。

 
 影の内部に呑みこまれた美月に早速、ネズミ軍団の攻撃が仕掛けられる。
 まずは小さい奴らが美月に豪雨のごとく体当たりをかましてくる。
 美月もためらうことなく霊刀「三日月丸」を振り回し応戦する。
 ギヤッ!ギャッ!
 次々とネズミ達が斬られてはその存在を消滅させていく。
 しかし、数は断然あちらの方が多い。美月の制服に体に小さな傷が次々とできあがる。
「何でこんなもの、大量発生してんだか」
 美月はぐっと先頭きって突撃してきた大型犬級の馬鹿でかいネズミを切り倒し、片手で大急ぎで印をきる。
 どんっ。
 ばちっ。
 次に襲ってきたネズミが赤い火花を散らして見えない壁に跳ね返された。
「最低・・・」
 結界の中、美月は嘆いた。
 制服のブレザーがやられてぼろぼろである。
 これでは作り直すしかない。
「・・・やっぱ自腹でだろうな・・・」
 こんなときでも自然溜息がでる。
 木村一家に報酬はいらないと言ったのはなるべく不信感から神社に連絡されない為の嘘である。本当は宮司が自ら出向いてそれなりの報酬を頂くのが正当なのだ。
 美月の希望通りに事が事が済んでも収入ゼロであり、おまけに勝手な行動を咎められ今月のお小遣いも貰えなくなる恐れだってある。
(でも生きて帰ってから考えよう)
 気を取り直し、美月は結界の向こう側の気配を探り始める。
 まだネズミ達は攻撃を諦めてはいない。
 次々と結界の壁に体当たりしてきている。
 美月の張った結界の役目は防御だけではない。
 ばちっ!ばちっ!
 ネズミの体が結界に接触する度に赤い光が飛び散る。
 ギャッギャッ!ギャッ!
 悲鳴をあげてネズミの体が瞬時にして崩れていく。
 結界は、それに触れる霊体に相当のダメージを与えるのである。
(だけど・・・)
 結界外の気配を目を閉じて探る美月の眉間に皺が寄った。
(何だろう・・・このネズミ・・・)
 結界にやられ体が破壊されようが怯むことなくネズミ達は美月への攻撃を止めようとはしない。前足やしっぽどころか頭もない状態でぶっかっくる奴も多数いる。
(『自分』の意志、ってものがない)
 妙な話である。
 動物霊、特にこの手のタチの悪い連中は、本能のまま気まま得手勝手、自己中心な思考の塊である。そんな俺様野郎の自分至上主義の奴らが、己の霊体が破壊され永久に消滅しようとも、なおかかってくるのは何故か。
(使役されているのか?一体、誰に?)
 美月は目を開けた。
(まさか木村さんが?)
 そんな力を彼女が持っているとすれば、真っ先にその能力で佐々木にリベンジするはずだ。
(これは、何なの?)

 がうっ。

 突然美月の目の前に、眼球が白く濁りきった犬の顔面が出現した。

 腐りきった肉の臭いが美月の鼻腔にあっという間に進入してくる。
(結界が破られた―!)
 美月の網膜に大きく開けられた犬の口腔内のビジョン。

「ギャッ!」
 犬の首が視界から消えた。

 見上げれば生首犬に飛び蹴りをくらわせている銀色のロボット。

「あんた・・・」
 ロボットは新たに襲いかかってきた犬の生首を手で払いのけた。
「ミツキ」
 機械の音声。
「ミツキ、大丈夫デスカ?」
 ロボットがぐいと近づいてきて彼女の顔を覗きこんだ。
「私の名前・・・」
 ガウッ!新手の犬首が飛んでくる。
 彼の手の先の拳は堅く握りしめられ、そいつを瞬間にして打ち砕いた。
「知ってるの?」
 ロボットの動きが止まった。
 ジーッと美月の顔を見つめて(いるのだろう)動かない。
「・・・アナタハ『小泉美月』」

 美月は息を呑んだ。

「どうして、その名前を・・・」

『小泉』― それは、彼女が水月神社の養女になる前の名字だった。

 ぐわっ!
 鈍く空気を切る音。
 反射的に上半身を仰け反らせ美月は、それとの激突を免れた。
 美月の鼻先すれすれを黒い影が高速で通過した。
 新たな犬首。
 慌てて美月はまたもや襲いかかってきた犬首を三日月丸で切り捨てた。
 しかし次には再びネズミ軍団が襲いかかってくる。
 美月は片手で刀を振り回し、残りの手で印を切り結界を作り直す。もちろん銀色ロボットも囲ってやる。
 がん、がん、がん!
 次々と犬首、お化けネズミが結界の壁に激突してくる。その度に不気味な振動が美月の足の裏から伝わってくる。
「ロボットさん、」
 そう呼ぶしかない。
「J、ト呼バレテイマス」
 掠れた電子音声。
「正式ナ名称ハ、ジェイソン・ミナヅキ・モデル001、デス」
「その、J」
 聞きたいことは山ほどあるが、美月の頭の回線は最優先事項の質問を正確にはじき出す
「これ、どういうことか解る?」
「動物ノ霊体エネルギーヲ利用シタ攻撃デス。内容ハ ハスキー、ラブラドール、柴犬、ドーベルマン、ポメラニアン、サモエド、ジャックラッセルテリア、チワワ、アメリカンショートヘア、シャム、マンチカン、アビシニアン、チンチラ、スコティシュフォールド 総勢297頭。ドブネズミ 6498匹。」
「動物を使役・・・」
 
 蟲毒の術。
 複数の動物を一か所に閉じ込めて共食いをさせ、最後に残った動物の霊体を自分の使い魔にする術。
 いやおうにも真っ先に思いつく。
「どれだけ殺したの・・・」

 がうっ!
 またひとつ、血に染まったプードルの首が結界を破って侵入してきた。
「・・・っ!」
 三日月丸がプードルの眉間を貫く。
 ぎゃいーん!
 断末魔の声をあげ睨みつけてくる犬の眼を見つめながら、美月は呼吸を整えた。
 そして静かに話しかけた。
「おまえ、何されたの」
 眼球の周囲の筋肉が苦しげにびくびくしている。
 それでも、その両眼の色が確かに変わった。
 美月の脳裏に犬の記憶―。

 生まれたばかり―母犬の温もり―初めて自分をそっと抱き上げた人間の手の優しさ―ペットショップらしき場所でかけられた様々な人の声の優しさ。
 愛しか知らなかった。
 全てを信頼して見上げていた。
 あの、あの日、自分を買っていった佐々木ですらも―。

 あの日から、たくさんの犬と一緒に暗い糞尿だらけの檻に閉じ込められ、散歩どころか一度も抱きしめてもらえず、餌と水だけで体だけ大きく育てられ、気の狂いそうな寂しさを味わい、そして―。
 餓えさせられ、闘わされ、同族を喰らわされ―。

 美月はプードルの眉間から刀を抜いた。
 そして再び三日月丸を振り上げる。
 きらり。
 刀身が涼しい光を放つ。
 術者が不明な今、蟲毒の術からこの子を解放するにはこれしかない。
「神様」
 苦しいぐらいの悲しさと悔しさを心の底からの強い祈りで押しつぶしながら。
「この子が―天に帰れますように―」
 ぶんっ。

 ふぅー。
 プードルは長い一息をつく。
 そして消えた。

 美月の願いのとおりの場所へ逝けたかどうかは確かめようがないのだが。

「彼らは―」
 美月は告げた。
 ちょっと泣きかけているのを気がつかれたくなかったので、振り向かずに。
「彼らはペットショップから購入されては殺されたのね」
「木村杏奈サンノ家庭ノ経済状況デハ購入不可能ナ頭数デス―術者ハ彼女デハナイ」
 美月は尽きることのない動物霊軍団に目をこらした。
(そもそも、こんなこと木村さんがやっているとしたら、とんでもない時間のロスだわ。犯人の佐々木に復讐の目的なら、こんなクソ面倒くさいことなんかしないで当事者にとっとと取っ憑いて目的を達成すればいいことだし)
 必ず術の施行主がいるはずなのに、さっきから霊視能力を全開にして探しているのにその姿が見えない。
「だったら術者は誰?」
「美月」
 Jの音声。
「ソレハ生キテイル人間トハ限ラナイ」
 美月は彼を見上げた。
「んな、馬鹿な・・・術は生きている人間の為に在るもの。死者には使えないはずよ。それに・・・」
 美月は呻いた。
 視えないのだ。
 Jに百歩譲って死霊が蟲毒の術を施行しているとしても、ホモ・サピエンスの霊体が一つも視えないのだ。

 Jの姿が美月の傍から掻き消えた。
 と、思いきや、、
「・・・!」
 地上3メートル程の地点で急に姿を現す。
 。
 細く長い腕が唸りをあげ金属の拳が撃ちつけられる。

ごおおっ。
 何かに激突したJの拳を中心に周辺の空気が一気に渦巻き始めた。

(瘴気が・・・!)
 髪をざんばらに風に掻き乱されながら美月は感じた。
(瘴気が消失していく!)
 あんなにぎっしり空間にひしめいていた動物軍団の気が一気に「そこへ」吸い込まれていく。

 それまでの混沌が嘘のように動物霊達はすっかり消えてしまった。

 動物霊軍団が消滅した後にそこにへたりこんでいたのは、高級ブランドの服装を身にまとってはいるものの薄幸そうな顔つきばかりが印象に残る中年女性であった。
 Jに腹を撃たれた格好のまま、彼女は口をだらんと開け、涎を垂らして生気のないどんよりとした目つきでこちらを見ている。
「誰・・・?」
 美月の問いにJが抑揚のない声で答えた。
「佐々木伸也ノ母親デス」
「え・・・?」
 死んだはずだろ?学校の前で。義兄の圭も訳が解らんと愚痴つていたし、新聞にも載っていたし。
 だから死霊のはずだろ?
 ならば。
(私に見えないはずはないのに)
 ならば。
(あれは、なんなの?)
「死」の気配すらないあれは?

 死んだはずなのに動いている女。
 上半身を前後に揺らしながら彼女は立ちあがった。
 
 佐々木母は一歩、足を進めた。
 ごりっ・・・。
 妙な音がした。
 ごり・ごり・ごりっ・・・。
 すかさず、Jが彼女の腕を掴む。
 ばしっ。
 佐々木母は大きく腕を振り、ロボットの手を払いのけた。
「ええっ!」
 そんなことできるのは人間の力ではない。
 さらに彼女は歩みを続けた。
 彼女の黒いスーツパンツを履いた両下肢は真っ直ぐではない。
 一歩ごと折れ曲がる個所と数がぐにゃぐにゃと変わっていく。
(・・・骨が折れている・・・?)
 それもぐちゃぐちゃに。
 芯である骨がなく筋肉だけで歩行している、そんな印象。
 だのに虚ろに微笑みさえ浮かべながら佐々木母は美月に近づいてくる。
 異常な肢体の佐々木母に木村一家は恐れをなして後退した。
「標的ハ、アナタノヨウダ」
 いつのまにかJが横にいた。
 ボキ。鈍い音がして佐々木の母の背丈がガクンと下方に落ちた。
 膝から下の骨が崩壊したようだ。
  それでも彼女は痛みを顔にださずに膝を地面に擦り付けながら歩み続ける。
これも骨折したらしい両腕を前後に大きく指の先までゆらゆらぶらぶらさせながら。
 歩み寄ってくる佐々木母の周囲に黒い影が吸い寄せられるように集まってきた。
 瘴気と霊気。
 5月の夜気を凍りつかせるかのように冷たい。
 黒い気体はだんだん形を成してきている。
「また・・・」
 美月は再び現れつつある動物霊軍団にうんざりした。
 もうはっきりと動物霊達は実体化してしまっている。そのぎらぎらに光る夥しい数の双眼はすべて美月に向けられているのだ。
 ばっと膝歩きの佐々木の母が両腕を高く差し挙げた。さっきJの縛を払いのけたその腕すらもぐにゃぐにゃゆらゆらしている。
 同時に動物霊達が彼女のもとに集合し、彼女の体のあらゆるところにしがみ付いた。
「ひえっ・・・」
 月明かりが背後から佐々木母と固まった動物軍団を照らす。
 こちら側、光のあたらない影になった方から見ると、その塊が見事にあるものを形作っているのが判った。
 巨大な人の手、手首から先、だ。
 ちらと、いつか見た江戸時代の化け猫の絵を思い出す。
 沢山の猫が形作る大きな怒りの形相の猫の顔。
 それの人間の手首バージョンだ。
 その絵のように制止画像ならまだしも、一匹一匹の動物がその範囲でごそごそぐずぐずと蠢いているのである。
 悪霊と人間の蠢くアルチンボルド―・・・悪趣味極まりない趣向だ。
 がくっと佐々木母が腹を折った。地に着かんばかりとなった顔を前に向けた。土色の顔に剥き出しの白目。
 結果、手を伏せた形勢となる。
 どっどっどっどっどっどっ・・・次にはそれぞれの指先がそれぞれのタイミングで地面を叩き始め、そのリズムは段々早くなる。
「私に喧嘩売るって?」
 どどどどどど・・・指を足代わりにこっちに猛突進してくる。
「上等じゃない!」
 美月の脳は生命の危険に対して迷うことなく「逃亡」ではなく「反撃」を選択し、アドレナリンを一気に放出した。
 死んでいるのだ。佐々木母は、間違いなく世間一般的に死亡している。ならば彼女はかつて見たことのない芸当をしてくれているがまごうことのない悪「霊」なのだ。

 ぶわっ!
 夜気を切り裂き化物が突進してきた。
(そこだっ!)
 佐々木母が立ち上がり、アルチンルボーの掌―佐々木母の腹部が―露わになった。
 そこ目掛けて美月は三日月丸を打ちつける。


「ソノ防御ハ無効デス」
 機械的な音声。

「・・・?」
 無効?

 カーン。

 今まで聞いたことのない音。
 
「え?」

 どこまでも物質的な音。

 最初は何が起こったか判らなかった。
 ただ異様に掌が痛い。

(嘘・・・!)

 刀身がはじき返された。

「霊体が斬れない?」

 何故?

 瞬間で美月の視界に影が差した。
 佐々木母の変身体が彼女の体全体を覆いつくしたのだ。。
 動けない、何も見えない。何かが鼻と口いぴったりとくっついて呼吸が出来ない。
 焦りと恐怖。
 こんな感覚、久しぶりだ。
 こんな感覚、二度と味わいたくないからがんばってきたのに。
 子供の頃―。
 母が眼の前で死んだ。
 次には悪霊が美月の命を奪いにきた。
 その恐怖と悔しさ。

 思い出してしまった。

 最期の瞬間なのか?
 人間の本能の底から湧き上がる恐怖に襲われているというのに美月は目を閉じることができなかった
 すぐ目の前に佐々木母の白目が現れた。
 ゆっくりゆっくり瞬きしている、嗤っている。
 その周囲を夥しい数の動物霊たちがどろどろ流れるように蠢いている。
 そうか。
 今、自分は総てをスローモーションで捉えているんだ。
 これは、もう駄目なのか。

「ギャーッ!」
 多数複数の叫び声。

 美月の肺に新鮮な空気が一気に入ってきた。

 舞い上がる黒い巨大な手。
 舞い上がりながらも、バラバラとどんどん形を崩壊させていく。
 落ちていく黒い欠片達は地に着かないうちにどんどん姿を消していく。

 崩れていく巨大手の影の下に「彼」がいた。

 最初は月明かりで照らされている足元しかはっきりと見えなかった。
 銀色の足が瞬時で黒いブーツに「変わった」。
 剥き出しの銀色の関節が見えていた手には人間の物と変わらない皮膚が覆い、硬く握りしめられた拳が佐々木母の腹部を直撃していた。
 巨大手はもう元の形を失くしつつあり、「彼」を覆う影は急激に小さくなっていく。

 ばさっ。
 最期に佐々木母の体だけが残り地に落ちた。

 銀色ロボットは、もういない。
 かつて彼が立っていたその場所には、月の光に照らされ輝く金色の長い髪の青年がいた
 歳の頃20代前半。黒のライダージャケットにまた黒のレザーパンツ姿。
 透き通った深いブルーの瞳。
 小さく整ったベースに一つ一つの完成されたパーツが理想の位置に鎮座している顔。
 髪や皮膚、目の色彩はヨーロッパ系、顔のつくりは東洋系、なんとも不思議な雰囲気である。

「あなたは・・・」
 美月は思わず呟いた。
「あの時の―」

 忘れるはずがない。
 母が殺され、何もかも無くし、命まで失おうとした彼女を助けてくれ、水月神社へと連れてきてくれた、あの人。
 今の父母に恐怖と疲労で眠ってしまった幼い美月を託すと、どこかへ去ってしまったという、あの人。

 それは『招霊機』のジェイソン・ミナヅキモデル・001と名乗るロボットであった。

 だが今は再会を喜んでいる状況ではない。 
 美月の視線はすぐさまJの足元に崩れ落ちた佐々木母に戻った。
 あれだけ大集合していた動物霊達も消え失せ、元の人の形に戻っている。
 ただ、うつ伏せに倒れている佐々木母の手足はそれぞれとんでもない方向を向いていた。
「彼女はすでに死亡していた」
 もうJの声は先程の機械的なそれではなく、なめらかな人間の音声であった。
 美月の声がわずかに震える。
「でも・・・これは確かに体を持った人間じゃないの?」
「だけど、死んでいたのです」
 Jは断固とした口調で言った。
「さっきも言ったけど、死んだ人間が蟲毒術を使えるわけがない。術は生身の人間の為のものよ」
 美月も引き下がらない。
「では美月。今の彼女の生死を見極めて下さい」
「死んでいるわ」
 霊視するまでもなく佐々木母が死亡しているのは一目瞭然である。
「では彼女の魂は今、どこにありますか?」
 美月はハッと顔をあげた。
 そういえば。
 体から抜け出たばかりのはずの佐々木母の霊体を、まだ目にしていない。
 体内に残っているのか。いや、それなら彼女は「生きている」ということになってしまう。
 Jと目が合った。
 彼は悲しそうにその澄んだ青の瞳で美月を見つめていた。
 けっしてざまみろという表情ではなかった。
「彼女の魂は」
 彼が指差したのは、
「まだ、この中です」
 佐々木母の亡骸。

 じゃり・・・。

 じゃり・・・。

 美月は折れ砕かれた骨を鳴らして筋肉だけで立ち上がろうとしている佐々木母を言葉もなく凝視した。

 じゃり、じゃり、じゃり・・・べたん、べたん、べたん。

 軟体動物が移動するかの様に手足をうねらせばたつかせ佐々木母がこちらに向かってくる。
 土気色の皮膚に白目が異常に目立つ。
  
 じゃりじゃりじゃりじゃりべたべたべたべたべた。

 佐々木母は美月目掛けて突進してきた。

 べったん!

 地を蹴り化物が高くジャンプした。
 それしか方法はないのかと突っ込みたいくらいにワンパターンに美月に覆い被さるように襲いかかってくる。
 
 と、同時に腰に何かが巻きつき、体が後方へと勢いよく飛ぶ。

 ばたっ!

 目の前で佐々木母が顔面から地面に落ちる。

 呆然としている美月を片手に抱えたJは、彼女を地面に降ろした。

 佐々木母が顔を上げた。
 鼻腔から口から血が多量に流れ出ている。前歯のほとんどが折れている。
 それでもべたべたべたとこっちに這い進んでくる。
 Jが飛び上がった。
 助走せず高く飛び上がった。
 佐々木母の傍に着地し、右手を高く差し上げた。

 Jの拳が佐々木母の背中を突き刺した。

 がんっ! 

 誰がどう聞いても。
 金属と金属が衝突する音。
(そういえば、さっき三日月丸を打ちこんだ時もあんな音がした)
 その直後の手の痺れと痛みまで思い出す。
 
Jの拳が佐々木母の背中中央から体内へとめり込む。
「うわっ!」
 美月は不覚にも声をあげてしまった。
(ロボットが人殺し・・・?)

 佐々木母の背から出てきたJの手が何かを掴んでいる。
(人間の手・・・?)
 そうとしか見えない。
 細い手首のネイルを施した手。高価そうな指輪まで見える。女だ。
 今度は、ひっぱり上げられる手にまとわりつくかのように夥しい数の配線とネジと何だか用途の判らない機械の部品らしい物が出てきた。
 それらが何を意味するか美月が思いつく間もなく、Jは佐々木母の体内から一気に女の手に続く物を引きずり出した。

「ええっ!」

 佐々木母の体内から、ひっぱりだされたのは、佐々木母であった。

 ひっぱりだされた佐々木母の全身が高く宙に浮いた。
「霊体・・・?」
 今度ははっきりと感知できる。
 佐々木母が「死んでいる」気配を。
 彼女は憎々しげな目でJを睨みつけ、彼の手を振り解いた。
 そして宙を全身をうねらっせて泳ぎ、さっきまでいた地に横たわっている体に戻ろうとした。
 自然、美月の視線は地面の佐々木母の体に移動する。
「・・・?」
 そこには佐々木母の姿はなかった。

 あるのは、あの銀色ロボット。
 背中が大破している。

(Jと同機種?)
 ギシーッ・・・。
(まだ、動く!)
 うつ伏せのまま銀色ロボットは背後に手を伸ばした。
 佐々木母はその手にすがろうとしている。
 まさに銀色と土色の指先が触れようとした時。
「まだこんな奴の力を借りて罪を重ねるつもりですか」
 Jの手が横から佐々木母の手を掴んでひっぱりあげた。

「あなたの魂を」
 白目を剥き出し憎々しげに睨みつける佐々木母にJは不敵な笑みを返した。
「お預かりします」

 佐々木母の姿はそこで掻き消えた。

 美月はただ呆然とするしかない。
 視覚的に消えただけではない。
 霊体の気配すら消滅してしまったのだ。
「まさか、そんなこと・・・できるの?」
 人間の魂を機械の体内に取り込むことが。

 それが「招霊機」なのか。

 今まで実物を見たことが無かったからこのロボットに対して半信半疑の気持ちしかなかったのだが、本当に存在するし本当にそんなことができるのだ。

 美月はぽつりと呟いた。
「あんたみたいなロボット、大量生産されていたら今頃・・・」
「大量生産はされました」
 Jは静かな声で言った。
「え?」
「大量生産されたのが、この『試作品(プロト)』です」
 彼の指先が後方に腕を上げたまま倒れていつ佐々木母を取り込んでいた招霊機を指した
「これが・・・『試作品(プロト)』?」
 美月の声は擦れていた。
「・・・これと、あんたは違うの?」
「違います」

 ギイッ。バンッ。
 挙げられていた大量生産型だという招霊機の腕が落ちた。

「私は彼らの欠点を改良して造られた」
「ちょっと。じゃ『試作品(プロト)』の方が大量生産されたってこと?なんか矛盾・・・」
 美月の言葉が途切れた。

 ドン・・・ッ。
 試作品(プロト)の両手が地面を力いっぱい突いた。

「試作品(プロト)は何でも自分の核(コア)に取り込みます。悪霊であろうと、あなた達霊能力者が『巨大容量の霊体(ビッグ・ファット)』と呼ぶモノも。ロボットは体だけは人間よりずっと頑丈にできているので誤って取り込んでも人間の様にすぐには破裂しません」
「そういうのとか悪霊とかを試作品(プロト)は無分別に取り入れると」
「そうです」
「・・・あんたは取り込む霊を選ぶ、と」
「そのようにできています。いえ、そのように育てられた」
 そこで何故かJは眉をひそめた。

 ギイイーッ。
 試作品(プロト)が立ち上がった。 
 さっきJに開けられた腹の穴からだらりと垂れた配線をずるずるひきずりながら二人に近づいてくる。
「じゃ、こいつには今何が入ってるの?悪霊?それとも・・・」
 視えない。悔しさを感じてしまうほど視えないのだ。

 ギイッ、ガシャン、ギイッ、ガシャン。
 試作品(プロト)が二人に迫ってくる。
 一歩進むごとにその銀色の外観が変わっていく。
 艶やかなボディの色が灰色に褪せた。
 金属の表面のあちこちに異様な臭気を発生する泡が吹き出した。
 見る見るうちに体中に瘤ができ、膨らんできた。
 それぞれの瘤が人間の体のそれぞれの部分に変化し始めた。
「えぐっ・・・」
 それは数々の悪霊を見慣れてきた美月でもさすがに声をあげる形相であった。
 今となればさっきのネズミのアルチンルボーの方がよっぽどマシだ。
 人間の四肢と胴体と頭部と内臓で構成されたアルチンルボー。手は手の位置になく、足も足の位置にない。
 今度は全体像は何の形も成してはいない。
 下半身は無数の老若男女の上半身が両手を地面につき、丁度逆立ちの格好で上部を支えている。
 胴体は総て顔、顔、顔。総て違う人相の年齢の男の女の顔が苦悶の表情を浮かべぎっしりと並んでいた。
 顔と顔のすきますきまからは意味もなく足や手がつきででいる。
 異常に長く太い両腕はそれぞれに不規則に脈打つ内臓、血管、筋肉が絡み合って形成されている。
 頭にあたる部位はない。
 全身が血液体液でぬらぬらしている。
「キモ・・・」
「これまで奴が無分別に引き入れてきた魂のかけらの集合です」
「集合、って・・・」
「招霊機は人間の霊媒の代わりに霊を自分の体に引き込みます。招霊が済めば霊はロボットの体内から解放されるのですが、僅かながらそのデーターは招霊機の中に残留してしまいます。それらが蓄積されて異常で有害なデーターができあがるのです」
「・・・あんたはどうなの」
「私はその欠点を改良されて造られました。悪質な嗜好・性格を持つ霊のデーターの侵入・影響に対するプロテクト機能、」
Jは打ち下ろされた内臓腕を右前腕で受け止めた。
「そして人間と共に育った経験から築き上げられた『選択基準』のデーター、その二つが私にはある。だから、」
 最期の腕が引きちぎられて地面に叩きつけられる。
「私のような高レベルの―すなわちシリアルナンバー付きの招霊機は―」
 ベキッ。
「大量生産できない」
 反撃の隙を与えることもなくJの両手の指が人の頭部で構成された胴体に食い込む。
 メリメリメリメリ・・・!
 
 グワオーッ!
 顔面達が苦悶の表情を浮かべ叫ぶ。
 胴体が二分されオイル臭い血液が噴出する。
 血液は霧となって周囲の空間を覆いつくす。
 霧の中に何かが見える。
 画像だ。
 霧をスクリーンにしたホログラムだ。
「・・・・!」
 次々と形を変えていく紅いホログラム映像の内容に美月の全身に悪寒が走った。

 中年の太った女性が首を絞められている・・・次には老人が刃物で切りつけられている・・・強姦される若い女性・・・殴打される幼い子供・・・燃え上がる性別も年齢も判別できない人間・・・大きな穴に放り込まれ土をかけられる少年・・・。
 紅黒い、犯罪・殺人の再現シーンの連続再生。
 悪霊に慣れている美月ですら正視できない画像である。
「犯罪者達の記憶です。全員、犯行の後、様々な原因で死亡し未解決となった事件の容疑者です。それを警察が捜査の証拠を確定する為に招霊させた。捜査の終了後、霊を開放しても試作品(プロト)の中には引き込んだ霊の持っていた強烈なイメージのデータ・・・あなた達人間が残留思念と名付けたものが残りました」
「警察が・・・?そんな捜査をしているの?」
「公にはされていませんが一部の関係者が個人的に利用しています。そして用が済めば証拠隠滅の為に無責任な放棄をする」
 圭がこれを聞いたらどんな顔をするだろう。
 崩れ落ちていく化物の最期を見届けながら美月は短時間で多量の情報を詰め込んだ為にぼんやりしてきた頭の中で思った。

 オイルが尽きた。
 世にもおぞましい人間の罪の再現が終わった。
 そこに残ったものは頭から左右に二分割された銀色ロボットの残骸であった。
 
 美月は三日月丸を鞘に収めながら呟く。
「・・・こいつは何をしたかったんだろう」
 巨大な木村杏奈の影を作ってまで。
「再生します。」
 眼の前でJが告げてきた。
「再生?」
 美月は顔を上げた。

 Jの顔面が銀色ロボットに変化した。
 そして全身がつるっとした液体状に変わり、瞬きもしない間に見た事のある女性、佐々木の母親の姿となった―いや、佐々木の母親らしいモノ、という方が的確な表現であった
 両手をつき俯いて座り込んでいる彼女の顔から首から5分袖のスーツの袖からだらだらと汗がしたたり落ちている―ように見えた。
「うぐっ!」
 吐き気を覚えるほど凄まじい臭気を放つ液体。
(完全に悪霊化している)
 人間は身体を失くせばその精神の状態が著明に外観に現れてしまうものなのだ。美月は、そんなものを子供の頃からしこたま見てきた。
佐々木の母親が顔を上げた。
 汗にも見えたのはずるずるに溶けだらだらと流れ落ちる土色の表皮。
 完全完璧な白目。
「ヴェ、ヴェッ!」
 荒い呼吸の中当然佐々木母がえずいた声をあげた。
「ゲェボッ」
 口腔からネズミの頭がそして体が飛び出し地面に吐き出された。
「うわっ!」
 美月は思わず後ずさる。
「ゲボッ、ゲボッ、ゲボッ・・・」
 佐々木母は連続で6匹もネズミの死体を吐き出した。
「うわ・・・」
 ネズミを吐き出すと佐々木母は息も切れ切れに呟いた。
〈信也・・・〉
 ぼやけたまとまりのない声。
「どこにいるの?佐々木君は」
 佐々木母の口が横に大きく広がった。
〈はぁ。〉
 にたにた笑っている。
〈ははぁ―。〉
 口の端から茶褐色の長い涎を垂らしながら佐々木母は笑うのを止めなかった。
 それは嘲笑うというより、幸福そのものといった笑み。
〈信也。・・・母さん、やったでしょ・・・誉めてぇ〉
 月の出ている方向を見上げて叫ぶ。
〈信也ぁ。〉
 しかし、その目が見ているのは月ではないようだ。
「やった?褒めて?・・・」
 美月はハッとした。

「・・・おばさん、佐々木に指図されてあの大きな影を作ったの・・・?」
「・・・」
「何の為に?」
 美月は佐々木母に顔を近づけた。

 ぐっ!
 美月の細い首に佐々木母の骨ばった指が絡まった。
 さっきまでの虚ろな様子は消え失せ、腐った顔から殺気が滲み出ている。
〈しねえ。しんやのじゃまするなあ。〉

「そっか・・・そういうことか」
 首を絞められているというのに美月は涼しい顔をしていた。
「おばさんは囮だったのね」
 彼女の細い指の先が佐々木母の額にあてられる。
「霊(私)能者(達)が邪魔なのね」

 佐々木母の体の表面がドロッと溶けて、銀色の液体に変化した。
 それは瞬時に色彩と質感を変え元のJの姿を再構築する。
「再生終了です」

 美月が虚ろな目をして呟いた。 

「私、佐々木に自殺者は永遠に浮かばれないって言ったことあるのよ・・・だから」

「自殺者は逝く場所がない。永遠に自殺した場所で自殺した瞬間を再現する、これが世間一般の認識・・・本当かどうか判らないけど、ほとんどの人がそう信じている」
 Jに背を向けて月を仰ぎ見て呟き続ける美月。
「でも自殺という手段を取らずに死ぬことができれば、どこかしら逝く場所がある。例えそれが人を殺めた罪人が逝く地獄であろうとも」
 
 美月の視線が空から地へと戻った。
「だから佐々木は殺される必要がある。大好きな木村さんに殺人の罪を負わせ自分と共に自分と同じ地獄に行く為に。だから木村さんを浄化させようとする私が邪魔なんだ」
 視線がJに向けられた。
「なら、余計にあなたは行かないほうがいい」
 彼女から眼をそらすことなくJが忠告してきた。
「今度は確実に殺される」

招霊機  「逝く処」 3章 ジェイソン・ミナツキモデル・001 

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招霊機  「逝く処」 3章 ジェイソン・ミナツキモデル・001 

霊体を捕まえることが出来るロボットの話です。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-04-21

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