感想「ストーリーの悪役の扱いについて」
【1】
悪役にも人権はあります。悪の追及を描くとき、悪役の人権は守られなければなりません。
また、悪役の悪行とは関係の無い美醜、優劣、強弱、貧富などに関する事柄を暴き、その悪役を嘲笑し突き放すという内容の描写も、個人的には控える方が良いと思います。
これらの事は、悪役に限らず、全ての登場人物に当てはまると思います。
【2】
物語の主人公と悪役の和解について、少し考えてみました。考えるにあたり、参考にした物語は、「ドラゴンボール」という週刊少年ジャンプに掲載された漫画です。少年少女向けの漫画は、ある意味ではそれだけ高い倫理が要求されると思います。
「戦いのストーリー」と言っても、何かの技術の優劣を競う内容であるならば(例えば、サッカー等)、その戦いの終了後に互いの健闘を称え合って、一つにまとまることは充分に可能だと思います。
しかし「善悪の戦い」を扱ったストーリーでは、その戦いの終了後に、悪が悔い改めて善と一つになるという筋書きを実現するには、極めて難しいものがあると思います。不可能かもしれません。
「ドラゴンボール」のたくさんのストーリーの中から、いくつかの戦いについて考えてみました(単行本を持っているわけではなく、また、記憶に曖昧なところがあるため、間違った内容を書いていれば、申し訳ないです)。
悟空と鶴仙人たちとの戦いに関しては、結局、弟子である天津飯と餃子は悟空の仲間になりますが、師匠の鶴仙人は何処か地球の果てへ飛ばされたままです。世界一の殺し屋の桃白白は悪のまま、二度も悟空とその仲間に敗れ去ります。
ピッコロ大魔王は悟空との戦いで、悪のままやられてしまいます。
ピッコロ大魔王の分身(?)マジュニアは、最終的には悟空の仲間になりますが、そのためには悟空とマジュニアの共通の強敵であるべジータやナッパとの戦いが必要となっています。ナッパはべジータにより、役立たずということで破壊されます。
べジータも最終的には悟空の仲間になりますが、そのためには悟空とべジータの共通の強敵であるフリーザ一味との戦いが必要となっています。
悟空とフリーザ一味の戦いに関しては、フリーザ一味は誰も救われません。命を失いかけたのは、フリーザだけだったと思いますが、、、。後に復活したフリーザは、べジータの息子のトランクスに、細切れに殺されます。
悟空と魔人ブウとの戦いに関しては、気立ての良い太っちょの界王神を吸収したブウは(その界王神の性格を反映しているようです)、最終的に悟空の仲間になりますが、原初の完全な悪そのもののブウは悟空とその元気玉の前に敗れ去ります。しかし少年漫画らしい正義感を表すためでしょうか、原初のブウの「生まれ変わりの人間」が悟空の仲間になるという設定になっています。
悟空のたくさんの敵のうち、それぞれがどのような悪の観念の化身であるのか、その事については触れません。と言うより、考えても自分には解りません。
悟空のたくさんの敵のうち、たくさんの悪が、悪のまま悟空の前に滅び去っています。
感想「ストーリーの悪役の扱いについて」