禁断掌上

一話完結の短編です。
暖かい目で見てやってください。

【2月18日17時、台車駅(だいしゃえき)前噴水広場】
はぁはぁはぁはぁ。
交通人の行き交う噴水広場に俺は腰を下ろした。奴らは迫ってくる。どんなに逃げても、どこに逃げても。この街だけじゃない、この国はもう何十年も前から奴らが跋扈はびこっている。
「・・・あと・・・14時間か・・・。」
俺はスマートフォンを開いてストップウォッチの数値を数秒眺めていた。どれだけ願っても1秒の長さは変わらない。諦めて空を見上げた。馬鹿みたいに紅い空に流れる淡くオレンジに染められた雲を見てまた奴を思い出した。
「・・・吸いてぇ~・・・。」
あと14時間、俺は禁煙に耐えられるだろうか。

【2月17日19時30分、ファミレス『LOOK』】
「平 幸七(たいらゆきなな)さん、でよろしいですか?」
目の前に座るおばさんが紙を見ながら俺の名前を確認した。返事をしながらテーブルの端にある灰皿に手を伸ばした。
「今回は我ら『香の園』に入団ご希望いただき誠にありがとうございます。」
『香の園』。ネットで検索すれば一発でわかるカルト宗教団体。教祖様である『香の君』は顔をあまり出さないが、ネットや本で有名だ。活動内容なんてあってないようなもんで、ネット上では事実と誇張された情報が溢れかえっている。
目の前のおばさんは熱心に資料の内容を説明している。そんな姿を愛煙のPEACEの煙越しに見ていた。なんでこんなにこの人は熱心になだろう。
あの~、と俺は説明を遮った。こっちを不思議そうな目で見ている。目こぇ~。
「他の人から『香典』がもらえる、って聞いたんだけど・・・。」
『香典』、香の園に入団する際に行われる試験に受かると貰えると噂されている特典。それが欲しくてこんなカルトな世界に飛び込んだんだから。
こちらの意図を理解してくれたようで、おばさんは先ほどの笑顔に戻った。取り敢えず何か食べましょうか、という提案に従いハンバーグ定食を注文した。

「人間は様々な欲望に晒されながら生きています。」
カルボナーラを食べながらおばさんは説明を始めた。俺はハンバーグを食べたまま話を聞く。おばさんはパスタを巻く手を止めて指差した。
「例えば食欲。食べなければ人間は生きいけません。この水だってそう。」
今度はお冷のコップを指差しながらそう続けた。
「教祖様である香の君はこれらの欲望をコントロールできるんです!」
教祖様、ってすごい言葉だな。これを聞くだけで異世界の話に聞こえる。いつの間にか俺もおばさんも食事を終えていた。
「香典は、この欲望をコントロールできる素質を持った方にのみ与えられる特典です。」
香典のことはネットで散々調べた。早い話、課題をクリアしたら教団が莫大な金と力を使って『願いをかなえてくれる』というものだ。
俺の願いはただ一つ。金が欲しい、ただそれだけだ。
「それで、どうしたらその資格を手に入れられるだ?」
ネットの情報では課題の内容まではわからなかった。口止めされているのか、それともそもそも香典を手に入れたものがいないのか。だがまぁいい。俺は手に入れてみせる。そう心に誓いながら大きく煙を吸った。
そんな姿を見ておばさんが俺に向かって指をさしている。なんだ?
「そのタバコを1日やめて見せてください。」

【2月18日17時10分、台車駅前噴水広場】
最初は楽勝だと思ったさ。でもいざやってみると俺の生活はタバコを中心に回ってるって気づいた。
朝起きて一服、朝飯代わりのコーヒーの後に一服、仕事中にも休憩時間にも一服して昼飯の後にも一服、と思いきやひと歩きしたら一服、そして晩飯と夜食の後にそれぞれ一服して、寝る前にも一服・・・。それにしてもホントに変な国だぜ。年々タバコの税金上げるくせに、未だにコンビニの前には灰皿が完備されてるし、自販機だって減る傾向を見せない。駅には必ず喫煙所があるし、喫茶店や居酒屋だって終日全席禁煙の店のほうが珍しい。
ふと顔を上げると、周りの連中が怪訝そうにこっちを見てやがる。いつの間にか独り言言ってたらしい。
吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい
はっと我に返ると、自分の右手が口元を覆っているのに気づく。慌てて周りを見回して、この10時間ほどですっかり見慣れた白服を探した。すぐ近くでこちらを見た白服を見つけて、両手を上げて首を振った。
あのおばさんから課題を聞かされた翌日、つまり今日の朝7時、呼び出された教団本部―なんか廃校の小学校を改造してたみたいなやつ―で会った何十人もの白いスーツを着た連中だ。24時間奴らが俺がタバコを吸わないか見張ると聞かされた時は、むしろそのストレスで吸いたくなるんじゃないかと思ったよ。
再び吸いたくなった気持ちを紛らわすためにスマホを開くと、この広場に来てからまだ10分もたっちゃいないと気づいた。きついなぁおい。また独り言がでかかった矢先、スマホの画面が変わった。今一番会いたくない奴から電話がかかってきた。

【同日18時20分、居酒屋『らくだや』】
「まったくあのハゲ親父は何もわかっちゃいないんだよ!!!」
勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけながらそうマルコ―臼井真瑠(うすいまる)は吐き捨てた。俺は、はぁ、としかいいようがなかった。なんでよりによって居酒屋なんだよ。
そんな中途半端な返答が気にくわないのだろう、マルコが怪訝そうに見ながら溜息をついた。
「未だにプーやってるあんたにわかんないだろね。」
昔からいつもそうだ。俺と付き合ってたのもこうやって時々呼び出されるのも、所詮自分が上に立ちたいから。誰か1人にでも崇め奉られたいだけだ。
「パチンコ―じゃなかった、あんたにとっての仕事か。そんなことばっかやってないであんた、早くお金返しなさい・・・。」
ジョッキを持ったままマルコの手が止まる。キョロキョロと俺の前のテーブルの上を見回していた。
「あんた・・・タバコやめたの?」
うわぁ~、一番触れて欲しくないとこ来た。しょうがないから頷きながら、次にくるこいつの返答パターンを考えた。
パターン1、スルーされる
パターン2、ただただ驚かれる
「・・・・・・・。」
パターン3、辞めたことを―
「やっとやめたの?あんた昔から『金がねぇ』『貸してくれ』っていうわりには、タバコをやめることだけはしなかったのにね。だいたい1日何本すってっるの?そんなんで体壊したらもともこもなー」
パターン3、辞めたことに無意味に突っかかれる。最悪の反応だよ、まったく。

【同日20時5分、同所】
ここに来てから早2時間はたった。上司と同僚の愚痴、結婚願望、そして俺の禁煙に関しての話題はもう3周目に突入している。
「一箱4百円毎日すってるから月々1万円だよ!?」
うるさいうるさいうるさい吸いたいうるさいうるさい・・・
「一年で12万円、5年間で60万もあんなものに金かけてるんだよ!?ホントバカバカしいよね!!!」
うるさいだまれすいたいうるさいだまれだまれ吸いたいすいたいすいたすいたいすいたいすいた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

気づいたら店を出た先のコンビニのレジに並んでいた。何も持っていなかったので、慌てて冷蔵庫の前に行き炭酸飲料水と幾つかの菓子を買って店を出た。サイフの中身が五千円程減っていたので、ストレスが頂点に達して樋口一枚だけおいて出てきたことを思い出した。スマホにアホほどマルコからのメールと電話が入っていたが、見ずに電源を切った。
馬鹿みたいに月が綺麗に見える、人気のない公園でペットボトルを開けた。本当ならここは缶ビールとおつまみなのだが、タバコを吸いたくなるので辞めた。居酒屋でも一滴も飲んでない。
結局俺はタバコを吸うことでバランスを保ってんたんだなぁ、なんて悟ったようなことを満月を見ながら思ってた。柄にもなく。
いつもの俺だったら、マルコの話もうまく聞き流せた。タバコを吸いながら何時間でもあいつの愚痴に反論ができた。きっとタバコの煙と一緒にそういう辛い現実も飲み込んでたんだ。
「世界と繋がるためのパイプみたいなもんか。」
上手いこと言ったつもりだ。いつもだったらそれこそ煙と一緒に撒いてるけど、今日はちょっとだけ白い吐息が漏れるだけだった。
こんなもんさ。俺が生きてる世界なんて、俺が生きてきた28年間なんて。

【2月19日6時45分、香の園本部前】
「おはようございます。」
おばさんと何人かの白服が門の前で待っていた。俺は軽く手を挙げて返した。
「・・・寝てらっしゃらないのですか?」
「あぁ、寝て起きたら吸いたくなっちゃうし、間に合わないと困るだろ。」
結局朝方まで公園でひたすら物思いにふけていた。どうせ寝ようにもストレスで寝れないだろうし、帰るのも面倒だったし。
そうですか、と昨日とは違い中に案内される。建物の中は綺麗に真っ白に塗装されていて、小学校というよりは病院みたいだ。
「いかがでしたか?欲望を1日制御してみた感想は?」
キョロキョロと周りを見る俺を見ずに、歩きながらおばさんが聞いてくる。
「辛かったよ。でもそれ以上に分かったかな、俺にとって喫煙が世界との繋がりだったんだなって。」
不思議な気分だった。もう吸いたいなんて思う気持ちが湧かなかった。
「そうですか。でしたら―」
立ち止まったのは重厚なドアの前、多分元校長室だ。ドアには『香御前』と書いてある。
「こちらで香の君がお待ちです。」

【同日7時、香の園本部内 香御前】
蛍光灯を点けず四隅にある灯篭から漏れる火の光が部屋を淡く照らしていた。お香の匂いがどこかじいさんの家を思い出させる。
「おはようございます。」
部屋の中央に天井から垂らされた白いベールの空間ができていた。向こう側に辛うじて見える人影から、男の声が聞こえた。続けざまに、どうぞ、と言われたので、おそらくベールの前にある座布団を勧められたのだろう。しぶしぶそこに座った。
「お顔をお見せできなくてすいません。まだ幸七さんは部外者なものですから。」
簡素な部屋を見回しながら生返事で返した。声の感じからそう歳は離れていないようだ。下手したら歳下の可能生もある。
なる程、そうですか、と独り言を呟いている。何言ってんのこいつ?
「いかがですか?世界との繋がりを絶った気分は?」
・・・俺はこの部屋に入ってからその話はしていない。
「・・・なんでわか―」
「どんなご気分か、を私は聞いているのです。」
決して大きな声ではない、しかし力強く諭された。なんだこの人は・・・
「・・・悪い気はしないよ。だって自分のこと―」
「『自分にとっての欲望の位置付け、それがわかった』からですね?」
なんでこの人は言おうとしていることがわかるんだ?やばいやばい、混乱してきた・・・。
「申し訳ありません。私は幸七さんの考えていることが直接聞こえるのですが、それでは不安になってしまいますね。どうぞ、普通にお答えください 。幸七さんにとって欲望はどんな位置付けだったのですか?」
俺の考えがわかる?そんなこと、できるわけない。でも・・・。
「俺にとってタバコは、辛い現実を受け入れたり、世界とのバランスを取るためのものだったんだなぁって。」
うんうん、とベール越しに頷く。
「今回幸七さんたに課したお題は大変辛かったと思います。しかし、我々は欲望を抑えて欲しくて行ったものではありません。」
立ち上がりこちらに歩いてくる。ベールの向こうから精悍な顔立ちのお方が出てきた。
「欲望はコントロールしなくてはいけません。そのためにも、その欲望の立ち位置をはっきりさせたかったのです。」
座る俺の目の前に綺麗に正座をした。一つ一つの動作が綺麗で神々しい。
「平幸七さん。もっともっと欲望をコントロールして、苦しんでいる方々を一緒に救ってくれませんか?」
思わず俺は足を直して、目の前のお方にお辞儀をした。
「それでは今回の香典、幸七は何がご希望ですか?」
ニッコリと笑うこの笑顔には、何を言っても許されるような、そんな安心感があった。
「俺は・・・俺は今すぐ・・・」

【同日8時、香の園本部内 香御前の隣の部屋】
香の君、そう呼ばれていた青年、高梨晃(たかなしひかる)がソファーに座った。テーブルの上のウィスキーボトルをグラスに傾ける。不意にカードキー付きのドアが開く音が聞こえた。
「お疲れ様。」
入ってきた幸七に説明していたおばさん、高梨希美(たかはしのぞみ)が晃の隣に座った。テーブルの上に小型のマイクを置いた 「どう、うまくいきそう?お母さん。」
えぇ、とニッコリ笑いながら晃の頭を撫でる。幸七に見せたものより子供っぽい笑顔を浮かべた。
「それにしても、流石にこの盗聴器を使ったとはいえよく入団を決めさせたわね。いい加減どうやってるか教えてちょうだいよ。」
そう聞きながらテーブルの下の灰皿を希美が取り出した。晃はポケットから白地の箱のタバコを取り出した。
「あぁ、あれ?欲望を絶った人間は少なからず思うことを言っただけだよ。いわゆるバーナム効果ってやつ。」
誰にでも該当するような曖昧な記述が、自分だけに当てはまると勘違いする心理現象だよ、と晃がタバコに火をつけながら簡単に説明した。
「流石こうちゃん!」
とまた頭を撫でる母親に、甘えるように頭を差し出した。まるで子供のように。
「そういえば、彼は何を香典として要求したの?」
その質問にテーブルに置いた箱を掲げた。
「タバコ一本。」

禁断掌上

お読みいただきありがとうございます。

私事ですが、私生活が忙しすぎて久しぶりの更新です。
「タバコ」×「宗教」をテーマにして書いてみました。
一人でも楽しんでいただければ幸いです。

禁断掌上

「欲望を満たす」ために与えられた試練は、「欲望を我慢する」こと

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-29

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