黙って見てろ

味噌汁が不味い。不味いといっても味が悪いからでは無いのだ。自分で言うのも何だが俺の作る味噌汁は結構うまいはずだ。そうではなく、今日の朝食の話題が問題なのだ。俺が中学二年の時お袋が死んでから家事全般は俺の仕事になっていた。親父は俺の作る料理に文句も言わない代わりにうまいと言ったことも一度もない。「ごくろうさん」と言うこともない。話し合う事もない。要するに一方的な物言いなのだ。今日にしてもそうだ。大学に行かずに働きたいと言う俺に対し最初は静かに聞いていたが
「今時、大学にも行かないで、ろくな仕事に就けるか。」
と、いきなり怒鳴りやがった。
「お前は俺の言う通りにやっていればいいんだ。」
確かに、俺は社会に出た事もなく家事が忙しくてアルバイトもしていない。世間の事も何も知らなかった。何かなりたい職業があるわけでもなかった。敢えて言えば、これ以上親父と一緒に居たくなかった。ただそれだけと言っても良かったのかも知れない。俺は一口味噌汁を啜った。相変わらず、今日の味噌汁は不味かった。あまりの不味さに俺は咄嗟に叫んだ。
「黙って見てろ!」
そう言って家を飛び出して登校したのだった。
その夜、俺は一通り家事を済ませると自分の部屋にすぐに引っ込んだ。直ぐにでも家を出ていくつもりだった。洋服ダンスからありったけの洋服と下着を詰め込むと俺は立ち上がった。
「待てよ?何処に行こう?」
不覚にも俺には行くあてが無かった。俺は悔しかった。家事ばかりして世間の高校生並みの事を何一つしていない。そんな気がした時、俺の頬を一筋の雫が伝わるのがわかった。俺は階段をかけおり風呂に入った。湯船に浸かった俺は涙を洗い流さんとするかのように両手で激しく顔を拭った。そして、風呂を出るとそのまま自分の部屋に入り寝てしまった。
習慣というものは恐ろしいものだ。翌日も家事をするために早起きをしてしまった。寝室の天井を眺めながら昨日の事を思い出していた。
「くそっ!」
俺は心の中でそうつぶやいた。
「仕方ない。朝飯の準備でもするか。」
俺はそう思いベッドから起きた。すると、昨日寝た時と部屋の中が何か違う。具体的に何が違うかうまく言えないが違うことは分かるのだ。部屋のなかを注意深く見回して見る。すると、昨日準備したカバンの上に封筒があった。俺はなぜか封筒を用心深く開けてみた。
すると、中から学生が持つには不相応な位の現金と手紙が出てきた。手紙を開くとそこには久しくお目にかかったことが無かった親父の字があった。
「ひろし、お前ももう大人だ。自分の道は自分で決めろ。考える時間も必要だろう。俺と顔を合わせると色々遠慮することもあるだろう。おばさんの家に行くがと良い。しばらくはそこから学校へ通え。そして自分で将来の事を良く考えてみろ。どうせ何も考えていないんだからそれが分かり空しくなり泣いたとしたら、家に帰ってこい。そうしたらまたお前に仕事を任せてやる。お前にもし根性があるのなら戻ってこないで頑張ってみろ。お前の将来などたかが知れているが将来どうなるか楽しみにしている。
                  父」
そんな内容が書いてあった。俺はどういう事か確かめようと一階に降りて居間に入った。そこには、朝食が準備されていた。二人分が用意されている様だったが一人分は既に食べ終わっており食器が流し台に片付けられている。用意されている食事の内容は俺がいつも準備しているものとは比べ物にならない美味そうな物ばかりだった。
「これみんな親父が作ったのか?」
恐る恐る食べてみる。美味かった。親父こんなに上手く料理が出来るくせに全く手伝わないってどういう事だ。などと俺は思って段々腹が立って来た。それと同時に自分が情けなくなり粋がっているのが悲しくなって来た。俺は一息ため息をつくと目をテーブルに落とす。すると、テーブルの脇にメモがあるのが分かった。メモを手にして読む。
「お前がいなくても上手くやる。」
という短い一言が書いてあった。俺は食事を切り上げ自分の部屋に戻るとまとめていた荷物を取り封筒と一緒に持って出た。教科書をカバンにまとめておばさんの家に直行した。
 月日の経つのは早いものである。俺はあの後おばさんの家にしばらく居候になったが一日も早く一本立ちしたかった。おばさんの家にいるのも親父に間接的に状況が分かる様で嫌だったので一か月もしない内におばさんの家を抜け出した。そして、住み込みで高校の先輩の勤める鈑金屋に世話になるようになっていた。あれから数年が経ち技術も一人前になった。親方から独立を勧められ少しながら蓄えも出来たので俺も一本立ちしたいと思い会社を作ろうと思ったが、裸同然で家から出てきた身、ようやく二十歳を過ぎたとは言え戸籍も住民票もマイナンバーも実家に置き去りだった。会社を作るにも一本立ちしなければならない。俺は仕方なく実家に行き事情を説明して住民票の移転手続きをしようとした。
 久しぶりに実家の前に立つ。車がある。今日は平日だ。
「親父は何で車に乗って出勤しなんだ?」
そんな疑問を持ちつつも、まあ、昼間に家の外でずっと待つのも大変だ。かえって待つ手間が省けた。と思い、玄関のチャイムを鳴らしてみる。おかしい、何度鳴らしても応答がない。仕方がない。俺は玄関先に腰かけて親父の帰りを待つことにした。女子高生が数人通りこちらを見てはヒソヒソ話をしている。あんまり待っていると警察でも呼ばれそうだ。そう思い出直そうと立ち上がった時、見憶えのある中年の女性が声をかけてきた。隣のおばさんだった。
「ひろしくん。久しぶり。お父さん大変だったねぇ。」
「親父に何かあったんですか?」
おばさんは俺の意外な回答に暫く呆気に取られていた様だったが少しして語った。
「知らなかったの?暫く家にいなかたもんね。お父さん何日か前に倒れて救急車で病院に運ばれたんだよ。」
「そうなんですか?」
「早くいった方が良いよ。」
俺はおばさんに礼を言うと準備もそこそこに病院に向かった。面会時間にはギリギリだったが事情を話して何とか許可を貰った。病室は相部屋だった。静かに入って親父のベッドの側に立つ。
親父は寝ているようだった。顔を覗いてみる。何十年ぶりだろう。こうして親父の顔をまじまじと見るのは。歳月は親父を痩せさせていたが、思ったよりも精気は残っている様に見えた。もう、何十分位見ていただろう、もう時間も遅い。親父の顔も見たので下宿に帰るかと踵を返した時、後ろから声がした。
「一言も挨拶無しとはずいぶんじゃないか?」
振り返ると親父は目を開けてこちらを見ていた。
「何時から起きてたんだ?」
「ずっとた。」
「何で話し掛けなかったんた?」
「そっちから話し掛けるのが礼儀じゃないのか?全く良い年になって何も分からないんだな。で、そっちはどうなんだ?」
「どうって?」
「一人で生きてられてるかって事だよ。決まってるだろう。」
相変わらず親父の言葉には棘があった。
「順調だよ。今度会社を作る事になったんだ。そっちこそどうなんだよ。」
「実は去年勤めていた会社が潰れてな・・・」
俺はそれを聞いた瞬間、気の毒に思うと同時にしてやったりと思った。あんなにバカにされていた俺が社長になり大企業に勤めていたのを自慢していた親父が今や無職!そう思うと人生の不思議を感じるとともに、無性に可笑しくなった。それが不覚にも親父にばれたのだろう。親父が俺に言った。
「何を笑ってるんだ?」
「あんたのそのカッコ悪い姿だよ。」
俺はもう悪びれずに答えた。
「お前だってどうなるかわかんないぞ。」
親父はそう言うとにやけて見せた。
「うるせえなぁ。黙って見てろ。」
そう言いながら俺はニヤリと笑い返した。
「俺だってこのままじゃ終われない。そっちこそ黙って見てろ!ってな。ハハハ。」
親父はそう言うと乾いた笑いを響かせた。
「うっせえぞ。いつまで騒いでるんだ。」
病室から他の入院患者の罵声が聞こえる。それを聞いて俺と親父は顔を見合わせてバツが悪そうにお互いに笑みを見せた。
人生何が起こるか分からない。だからこそ人生なんだろうな。

黙って見てろ

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黙って見てろ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-29

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