森のレストラン

森のレストラン

 ライオンを食うのははじめてだ。
 私は深い森のなかに建つレストランの席についている。


 先ほどまでの私は、鬱蒼と木々が茂り、昼の日光が遮られた薄暗い森のなかにいた。道らしい道もないところをただぼんやりと歩いていたのである。前方の明るさが増したなと思いながら、そのまま進んでいるとふっとひらけたところにでた。
 眩しい光が辺りを照らし、白いほどに屋根を輝かせる建物の姿が目に入った。屋根と正面入口の間に森のレストランと書かれた大きな看板を掲げている。
 奇妙だった。森の奥深くに来ているはずだ。こんなところにレストランがあるものなのか。店の中を見ると明るい。電灯が点いているように感取される。店内に客はいなさそうだが営業しているのだろうか。
 私はその店の不思議な魅力にひきつけられともかく中に入ってみることにした。
 入り口の扉をひくと扉上部に取り付けられられているベルが鳴った。店内はやはり電灯が点いていたが、ひっそりとしていて人の気配は感じられない。内部は、入ってすぐ左手にレジカウンターがあり、横目にそこを通り過ぎるとテーブルと椅子が置かれているフロアに出る。厨房が見えないが、フロアの左側に通路がありそこが厨房につながっているかに思えた。
「すみませーん!」
 声をかけてみたが、反応はない。こんなところにあるレストランだ、潰れてしまって営業していないのかもしれない。厨房はどのようになっているのか。ふいに探検心が湧いて、左側の通路に入ってみることにした。
 通路を行くとすぐに壁に突き当たり、そこからまた右に通路が伸びている。その通路の先を行くと広い空間にでた。調理器具や調理台、調味料等料理に必要なものが揃っておりここが厨房だと分かった。通路口の前に立って厨房内部を見たとき、この通路口は厨房の右後方にある。厨房正面奥には、冷凍庫らしい金属製の扉があり、厨房左後方には木製のドアがあった。
 木製のドアを開けて中に入るとロッカー、テーブル、椅子、棚などがあり書類や雑貨が散見された。休憩室のようなものかもしれない。入ってすぐ右手にドアがあるが、これは外へと繋がる裏口だろう。正面に見える壁の右側にある戸には更衣室と書かれたプレートが貼り付けられており、左手の壁にも中程のところに戸があった。後者の戸にも白いプレートが貼り付けられていたが何も書かれていなかった。何をする部屋に繋がっているのか。気になった私はそちらの戸の中へ進んだ。
 そこはあまり広くはないが横に長い部屋だった。壁にグラフが描かれた紙が貼られてあり、部屋右奥に置かれたスチール製のデスクの上にもファイルやら書類やらが沢山ある。左奥には金庫があった。店長が店舗の管理・経営の机仕事をするための部屋という印象を受ける。
 デスクに寄ると、天板に投げ出された、表紙に「重要資料」と題されたファイルが目に入った。手にとって開く。最初のページに新聞の切り抜きがあった。


○○研究所爆発
前日の○月△日、○○研究所で大規模な爆発、火災があった。死傷者は1名。同研究所は、先日、遺伝子操作した人間を軍事利用するための研究を行っているとの内部告発があり、世間で批判を浴びる真っ只中にあった。しかし、事故で研究資料は全て消失、問題の追求は困難になった。


「――」
 新聞記事を流し見て少々不意をつかれた感がした。他のページもペラペラめくり、軽く目を通してみる。雑誌の切り抜きもあるが論文や研究資料のようなものが多くを占める。最後のページを繰り終わったとき息をついた。
 ファイルの中身は凡そレストランの抱える重要な情報として私が予期していたものとは違っていた。その中身は一時世間を騒がせたライオンと人間の遺伝子操作に関わる問題についてのものだった。
 当時、内部告発によってある研究所が受精卵の段階でヒトの遺伝子を組み換えライオンの遺伝子を導入する研究を行っているのではないかという疑惑が世間の中に沸き起こった。研究所の所長はその内容を否定し、近く調査が行われるというところで研究所は謎の爆発に遭い研究資料が消失し、当の事故で告発者が死亡してしまったため、実施された調査も無駄に終わってしまった。
 一部の有識者からは、実験は一応成功していたのではないかと言われていた。雑誌等では、順調に成長したヒトは強靭な筋肉を有し人間を一捻りで殺すとか、その肉体を維持するために人間の血肉を定期的に摂取する必要があるだとか、嘘か本当か知らないがそんなことが色々と噂されていた。
 私は、今目を通したファイルの中身を思い浮かべぞっとした。――ここに消失したはずの研究所のデータが混じっているのではないか?
 このファイルの中にはそう考えずにはいられないようなものがあった。そしてその内のデータは実験の成功を肯定していた。さらにまことしやかに噂されていたのいくらか――定期的に人間の血肉を摂取することを含む――までもを真実であると裏付けていた。
「っ!」
 そのとき部屋の外、どこかここから離れたところで物音がした気がした。よく耳をすますと足音が聴こえる。足音が少しずつ大きくなる。
 ガチャリとドアが開く音が聞こえた。今私がいる部屋の隣の、休憩室のような部屋のドアだ。私はじっと息を詰めて壁の向こうに意識を集中させた。足音は彼が入ってきた方とは反対方向へ進んでいく。確かその方向には更衣室があった。更衣室の戸を開閉したらしい音が聞こえ、その後は何やら人が動く音がする。着替えているのかもしれない。私はずっと緊張したまま、石のように固まっていた。しばらくすると再び更衣室の戸が開くのが聞こえ、足音をたてて反対方向のドアから出て行ったのが分かった。
 ふっと息を吐いて緊張の糸を緩めた。心臓が激しく鼓動を打っているのに気がついた。私は音をたてないように用心して、今いる部屋を離れると、休憩室らしい部屋の裏口から静かに外に出た。
 私はこの店から離れて、森のなかここまで来た道を戻ろうと思った。店の前の方にまわったとき、店内の方へ振り向いてみた。
 ふりむいてみなければよかった。店内にいた、大柄の、ライオンのようなヒゲを蓄えた男と目が合った。男は手を挙げ、にこやかな表情をして私の方へかけてくる。私は引き攣った微笑を浮かべていたのではないか。脚は微かに震え、棒になったように動かなかった。


 店内に入ると、ソファーがある奥のテーブルに誘導された。
「よくこんな森の深くまできましたね」
 私がソファーに座ると男が話しかけてきた。
「ええ」
 私は相槌をうった。
「散歩……というのもこの辺りでは変ですな。珍しいものでも見に来ましたかな?」
「そんなようなものです。……そして迷いました」
「迷った!? そいつはいけない! いやに落ち着いていますな。後で道を教えますよ!」
 私は先ほど見たファイルのこともあって、最初取って食われでもするのではないかと内心びくびくしていたが、目の前の男は親切そうで、私の不安や心配は杞憂に終わりそうだと思った。
「では水をもってきます。メニューはそこにありますので、どうぞごゆっくり」
 男は礼をして例の厨房へとつながる通路へと去っていった。私はラミネート加工されたメニューを開いて料理名を上から順に見ていった。そして一番下にある料理名に目が釘付けになった。
「お決まりですか」
 いつの間にかコップと水差しを手に持った男が傍にきていた。私は目を大きく開いたまま顔をあげた。
「この……ライオンのステーキセットを……」
 メニューの一番下を指さして、少し震えが入った声で言った。
「かしこまりました」
 男はこれ以上ない程口角を引き上げにんまりと笑った。氷水の入ったコップと水差しを置くと厨房へ去った。
 一人残された私は水を飲んで落ち着くと今更ながら少し後悔した。ライオンのステーキと見て思わず注文してしまったが、妙な焦燥を覚える。ライオンと言えばあのファイルだ。なぜあのようなものがレストランにあったのか。森の深奥にたつレストラン、ライオンヒゲの男……考えるところは色々ある。
 まあ、良い。ライオンを食うのははじめてだ。楽しみに待つとしよう。


 どのくらい経ったろうか。男が盆に料理が盛られた皿をのせてやってきた。
「お待たせしました。こちらがライオンのステーキです」
 男がテーブルに、ステーキが盛られた皿とライスが盛られた皿を配膳する。ステーキの方を見ると、ポテト・ブロッコリー・人参が添えられ、肉の傍らにソースで満たされた小鉢があった。
「これが……ライオンの肉ですか」
 見た目には普通の肉と変わらない。鼻で空気を吸い込むと肉が焼けた香ばしい匂いににんにくのきいたソースの香りが混じって好ましく、食欲をそそる。
「こちらのソースをかけてお楽しみ下さい。まっ、私は大根おろしをのせたのにポン酢をかけて食うのも好きなんですがな」
 男は気さくに笑う。だが目を見るとその笑顔の奥に何か隠しているように感じる。何だろう、あの背筋をなぞられるようなどこか微妙に嫌な感触のする目は。あの目に見詰められるとまるでとらえられたようで……あの目はそうステーキを前にした人のような……。
 私は思考が急激に鈍くなっている事に気づいた。そしてそのままぷつと意識が途絶えた。


 体に痛みと圧迫感があって目が覚めた。頭がいたい。顎を下げて見ると体が縄でぐるぐるに縛られている。腕を動かそうとすると縄が食い込んで苦しい。何だこれは。私は床に横たえられていた。首を動かしてなんとか周囲を見渡すとレストランの厨房らしいことが分かった。
 そのとき足音がした。厨房中央のテーブル台、反射的にその方を向くと陰からあの男が現れた。
「おや、起きましたか。寝ている間に済ませようと思ってたんですが薬が少なかったですかな」
 薬? 氷水の中に睡眠薬でも入れられていたのか。
「あなたがなぜこの森にきたのか、予想はつきますよ。この店に迷い込んだのは不運でしたが、どのみち遅いか早いかの話ですな」
 予想がつく? 私が何故この森に来たのか本当にわかるというのか?
「ひと目でわかりましたよ。手荷物が少ないし森に遊山しに来るような格好ではない」
 確かに私は森に遊びに来たとかいうのではない。私は自殺をしにきたのだ、この樹海に。
 ひと月前、私はアパートの自室でふと目覚めた。混濁した頭で床に転がるビンのラベルを見て察した。私は自殺しようとした、そして失敗したのだ。さらになぜこうなったのか考えようとして混乱した。私自身のことを何も思い出せないのだ。薬は私の命を奪う代わりに私自身に関する記憶をもっていってしまった。
 記憶を失う前の人間関係を探ろうとしてみたが自分で処分したのか手がかりは何もなかった。自分がどうやって生きてきたのか分からない。私は世界で一人になってしまった。
 以前のことなんて知らない、私は与えられた人生を孤独の中生きようとした。だが、駄目だった。なぜか日に日に体の調子が悪くなり、この身一つさえ私には頼るものがないのだと悟らさせられた。私は自死を決意した。
「ここではあなたのような人間の体が手に入るんでね。私や私の仲間のために利用させてもらっているんだよ」
 男の声で、はっとした。男をみると右手に包丁をもっている。
「ではそろそろ」
 男が近づいてくる。男の顔は本気だ、嘘や冗談ではない。あの目で獲物をじりじり追い詰めているのだ。――殺される。
「――――――!」
 私は叫びをあげて思い切り脚と腕に力をこめた。体に巻き付いた縄が弾け飛ぶ。
「なっ! そん! 馬鹿なっ!」
 男は驚いてのけぞった。見開いた目はこちらを見据えている。
「まさか」
 男が油断した隙をついて私は全力で男をぶっ飛ばす。鋼を殴ったようだった。男は数メートル後方に飛んで壁に頭を打った。私はすかさず相手が落とした包丁を拾って対手の喉と心臓を突き刺した。動物の肉体とは思えない程の固さだった。
 相手が死んでいることを確認して厨房から通路に出た。通路からホールに出たところでさっき私が座っていたテーブルの方をみるとまだ料理が置かれたままだった。私はステーキのジューシーな見た目とにおいを思い出してにわかに食いたくなった。肉に惹きつけられテーブルの方へと向かった。
「いただきます」
 ライオンを食うのははじめてだ。
 私は深い森のなかに建つレストランの席についている。腹の空いた体が目の前の肉を求める。ステーキをさしたフォークを口に運んだ。
 肉が、血が、スポンジが水を吸うように体に染み渡っていく。日に日に悪くなっていた体が嘘のように猛然と回復していくのがわかる。

――――――――どうしたことだろう! この充足感!

森のレストラン

以前に某所で公開したものです。「ポン酢」「ライオン」「氷」というお題(作中に単語として出すだけでも良い)をもらって1日で書きました。直したい部分がいくつかあるのですが、前に公開したままの文章で投稿したいと思い、そう致しました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。

森のレストラン

森の中を歩く私の前にレストランが姿をあらわす。 無人かと思ったレストランだが私はそこで一人の男と出会う。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-27

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