ファイアレター

野良猫としてのプライドを20ニャン捨て、渾身の猫撫で声で「ぼくおなかへってるんだ。なんかちょうだい」と言ってみたら、小さなカゴを持った少女は僕にそっとマッチ箱を差し出し無邪気に笑ったので、プライド捨てる相手間違えたと激しく後悔した。
少女はベンチに降り積もった雪をあらかた払いのけた後、僕に座るようにジェスチャーした。
偶然にも歩く気力と体力が底つきかけていたので、仕方なくベンチの上で丸くなってやる。

雪は止んだが、少し風があるので、公園にぽつんと設置してあるベンチは、若干ふきっさらし感は否めない。
少女は僕の横に座った。
少女が防風人となり、いささか心地良く気分が良い。
心地よい、と思ったのも束の間、風の向きが変わった。
少女の防風猫となり、いささか心地悪く気分が悪い。
ふきっさらし感は否めない。

何の遊具もない小さな公園はひっそりと静まり返っている。
向かって左側の入口からベンチに向かって、雪の上に点々と僕の小さな足跡が続いている。
足跡に気品が漂うのは隠しきれない。
少女の足跡が右側の入口からベンチへ続いている。
左側の入口から右側の入口へ向かって、たまに人が通るが、誰一人としてこちらには見向きもしない。
けしからん。
こんなにプリティなにゃんこが寒さで震えているというに。
まあ、街灯もないので夜目が利かない人間には仕方あるまいか。
見えたとしてもベンチの上に黒いマフラーの忘れ物があるくらいにしか思わないのだろう。
いやしかし、猫がベンチで丸くなっていても誰も見向きもしないのは1000歩ゆずるとして、夜に公園のベンチで少女が足を抱えて座っていても素通りしていくとはどういうことだ。
いくら暗いといっても子供の大きさは確認できるはずだ。
気づいていても寒いからみんな早く帰りたいのか。
都会人はみなこうなのか。
いずれにせよ、みな足早に通り過ぎていく。

視線を感じて振り向く。
少女と一瞬目が合った。
少女はすぐに視線を逸らした。
僕も視線を正面に戻す。
また視線を感じたので振り向く。
一瞬目が合う。
少女は視線を逸らす。
僕は視線を戻す。
何度か繰り返しているうちに、少女が僕に気があるのではないかと思うようになった。
仕方ない。
プリティな猫の宿命だ。
頭を上げ、のど元を少女に向け「くるしゅーない、なでなでするがよい」とポーズをとった。
しばらく待ったが何もする気配がない。
のどをゴロゴロ鳴らす準備はできていたが、一向になでなでする様子はない。
誰が言っていたか。「男の半分は勘違いでできている」と。

誰も前を通らなくなってしばらく経った。
風も止んだ。
お腹が鳴った。
もう何日もまともに食べてないことを思い出した。

少女は抱えていた足を地面に下ろし、膝の上にカゴを置いた。
カゴの中からマッチの箱を取り出し、僕の前で振って見せた。
興奮しない。
少女には申し訳ないが、振られているものが何なのか完璧に知っているので、興味津々の表情やしぐさを披露することはできない。
少女は箱の中から一本取り出しマッチを擦った。
火の中に美味しそうなローストチキンが見えた。
思わず大声で「ニャー」と叫びながら踊りかかったが、僕の鬼気迫るジャンプに恐れをなしたか、マッチの火が消えてしまい、一緒にローストチキンも消えてしまった。
また少女がマッチを擦ると、再びローストチキンが火の中に現れた。
今度こそと、もう一度ジャンプする。
マッチの火は消えず、確実にとらえたと思ったがそのまま通過してしまい、ベンチに着陸した。
振り向くと、もうチキンは消えていた。
少女は無邪気に笑いながら何度かマッチを擦った。
そのたびにチキンが現れ、そのたびにジャンプし、そのたびに消えてしまった。
一体、何の訓練だ。
何度か火に向かってジャンプを繰り返した後、脳裏に火の輪くぐりのライオンが浮かんだが、サーカスにでも売る気なのか。
端から見れば少女に芸を仕込まれてる猫に見えているに違いない。
野良猫としてのプライドが残り50ニャンにまで減った。
体力が尽きてベンチにへたり込んだ。
少女はマッチの箱を僕の目の前に置いた。
警戒を怠らずに箱に接触を試みる。
なかなか中身が出てこない。
ようやく中から箱が出てきたが、マッチ棒を手に取るのは困難を極めた。
生まれて初めて肉球を恨み、僕は自分でマッチを擦るのをあきらめた。

また、おなかが鳴った。
思わず「さしみが食べたい」とつぶやいた。
少女がマッチを擦った。
火の中に"ささみ"が見えた。
惜しい。
"ささみ"じゃなくて"さしみ"だ。
「さしみが食べたい、さしみが食べたい、さしみが食べたい、さしみが食べたい」と連呼してみた。
少女がマッチを擦った。
「ささみ」と「はさみ」と「はらみ」と「はまち」が出てきた。
だいぶ遠回りして最後にようやく刺身が出た。
今度ははっきりとした口調でゆっくり、「ミルクが腹いっぱい飲みたい」と言ってみた。
少女がマッチを擦ると、火の中に"ミルクの海でおぼれている僕"が映った。
猫語がこの少女にはわかるのか。
しかしちょっと違う。
確かに腹いっぱいミルクは飲めるが強制的に注ぎこまれていて、見てて気持ち悪くなる。
「日向ぼっこしたい」とリクエストしてみた。
火の中に"炎天下の砂漠でジリジリ焼かれる僕"が映った。
少女は無邪気に笑っている。
猫語は通じてると考えて良いだろう。
通じてはいるが解釈がおかしい。
まだ幼いからか。
その後も何回かチャレンジしてみた。
リクエスト「元カノに会いたい」は、"僕と元カノと元々カノとの修羅場"が映った。
リクエスト「爪が研ぎたい」は、"ド派手なネイルが施された僕の爪"が映った。
リクエスト「ライオンになりたい」は、"ライオン柄の服を着させられた僕"が映った。
リクエスト「地球を侵略したい」は、"地球儀に猫パンチをかます僕"が映った。
リクエスト「ゴキブリのクリームパスタが食べたい」は、"クリームパスタが絡みついて動けない僕を食べようとしてる巨大ゴキブリ"が映った。
そして、ようやく分かった。
少女は――こいつは、無邪気に笑ってない。
邪気をびんびん感じる。
邪気100パーセントの満面の笑みと言っていい。
それに、僕の言葉が通じてるならば、出会った時の「なんかちょうだい」も理解しているはず。
それにもかかわらず、その答えが"マッチ箱"というのは悪意以外の何物でもないだろう。
それはつまり、あの時の微笑は「食えるもんなら食って見な」という底意地の悪い嘲笑ということになる。
体中の毛穴からふつふつと怒りが湧き上がってきた。
こいつはとんでもなく嫌な奴だ。
こんな嫌な奴に会ったのは初めてだ。
いや、以前に一度あったか。
いつだったか。
確か、ばあちゃんの家の縁側で日向ぼっこをしていた時だ。

玄関に誰かがやってきて、家の中に入っていく。
のそのそ居間に覗きに行くと、掘りごたつに足をつっこんでいる知らない後ろ姿が見えた。
ばあちゃんが席を立つと、不意に客がこっちを向いた。
目をそらさずに警戒していると、客は手に持った何かを僕に向けて振っている。
興奮してきた。
好奇心で近づいていくとそれは小さな箱だった。
手の動きが止まると、箱は急に中身を出してきた。
そこには数本の棒が入っている。
食べ物ではないことを直感した矢先、いきなり尻尾をつかまれた。
強い痛みが全身を走り、思わず大声を上げた。
僕のSOSが届いたのか、ばあちゃんがお気に入りのカーディガンを羽織ってやってきた。
その時には尻尾は自由になっていたので、すぐにばあちゃんの元へ行った。
これこれこういうことが起きました―早急に対策をしてはどうか、と理路整然と訴えたが「遊んでもらってよかったね」と能天気に棄却される。
その後二人で何か話していた。
尻尾つかんだあいつからばあちゃんを守るため、全身全霊をかけて10メートル離れた物陰から、ぷるぷる震えながら―武者震いしながら見張る。
時々僕の方を二人が見た。
客が灰皿の上で箱の中の棒を大量に燃やし始めた。
ばあちゃんがブツブツ何か言っている。
客が帰った後、ばあちゃんの所に行くと、灰皿には大量の燃えカスがあった。
ばあちゃんは僕の両脇を持って自分の顔の前に持ってきた。
その時ばあちゃんは僕の体を見て、驚いた表情と声色で何か言った。
その後、僕を膝に乗せて頭を撫でながら一人でブツブツしゃべっていた。
当時は人語が理解出来なかったので何を言っていたかわからない。
僕は安心して眠ってしまった。
起きた時にはもう、ばあちゃんは動かなかった。
揺すっても叩いても鳴いても泣いても動かなかった。
それからずっと動かなかった。
僕は、ばあちゃんをこんな風にしたのはあいつだと思った。
あの少女だと。
少女?

シュッと音が聞こえて我に返る。
少女がマッチを擦ると、火の中にばあちゃんが出てきた。
出てきたのも束の間、少女がくしゃみをして消えた。
リクエスト「もう一回」
少女がマッチを擦る。
火の中にばあちゃんが再登場。
ばあちゃんが口を開いて、何かを言おうとした。
その瞬間、少女がくしゃみをかまして火が消える。
リクエスト「もう一回」
少女がマッチを擦る。
ばーちゃんが出てくる。
「へくちっ」と少女がくしゃみをして消える。
今のは明らかにおかしかった。
どちらかというと、火の中のばあちゃんより少女の方に注意が行っていたのでよりわかった。
たいてい、くしゃみをする前は顔がアホ面になるなどの助走があるものだ。
長年の人間観察からそういえる。
しかし今、少女は助走なしのノーモーションから、しかも「へくちっ」と取ってつけたような嘘っぽい声出してくしゃみをした。
そしてその直後からずっと少女は「してやったぜ顔」である。
だがしかし、ばあちゃんを見るためにはマッチを擦ってもらうしかない。
マッチは僕には擦れない。
再び肉球を恨む。
僕の残りのプライド50ニャン全てかなぐり捨てて、土下座して頼んだ。
リクエスト「ばあちゃんは今何か言おうとしていた。人語が理解できる今の僕なら、ばあちゃんが何を言っているかわかる。もう一度お願いします」
少女は急に真面目な顔になった。
自分の今までの行動を悔やんでるような表情にも見えた。
少女はマッチを擦った。
火の中にばあちゃんが出てきた。
ばあちゃんが何か話そうとする。
しかし、急に顔がアホ面になり「へくちっ」と言った瞬間に火が消えた。

少女の方を見ると、すぐに顔をそらし手を口に当て肩を震わせている。
次どうなるか、知っていたのか。
あの真面目な表情は演技だったのか。
どこまで嫌な奴なんだ。
「へくちっ」というくしゃみも、よくよく思い出してみれば聞いたことあった。
ばあちゃんが人前でくしゃみするときやってた。
でも、それが見れただけでもういいかと思えた。
体中のすべての力が抜けていく。
気力も体力もない。
プライドも全部使い切った。
寒さもあまり感じなくなってきた。
その場にへたり込んだら自然と眼が閉じた。
今ならばあちゃんが、何を言っているのかわかるのに。

シュッと音が聞こえる。
またマッチを擦っているのか。
またシュッと音がする。
マッチを擦る音が連続して聞こえる。
少し暖かい。
目を開けると少女がマッチを大量に燃やしていた。
火の中には、ばあちゃんがいた。
ばあちゃんが話し始めた。
柔和な表情でこちらに話しかけてくる。
その息継ぎのタイミングや言葉に詰まった時に横を向くしぐさが懐かしい。
ばあちゃんは言葉を選ぶように大事に大事に話し終えた後、最後に笑顔で「ファイト」と言うと火は消えてしまい、ばあちゃんの笑顔も煙と共に空へ消えて行った。
ばあちゃんからのメッセージ。
心のこもった、ばあちゃんからのメッセージ。
ごめんね。
全然理解できなかった。
まさかばあちゃんは英語をしゃべっていたにゃんて。
確かに、ばあちゃんの元を去ってから他の人間のしゃべりを聞いて、異国に来たような違和感を感じた記憶がある。

それと、ばあちゃん。
ばあちゃんは大きな勘違いをしているよ。
メッセージの中に頻繁に、呼びかけるように「ジュリエット」が出てきたんだけど、もしかしてそれは僕の名前かい?
僕はオスだ。
ちゃんと立派なモノがついてる。
そういえば僕の両脇を持って顔の前に近づけた時に驚いていたけど、まさかその時気づいたのかい。
ピンクのフリフリがついた服とか着させられていた意味が今わかったよ。

ばあちゃん。
言ってることの9割は呪文のようで全く理解できなかったけど。
「ファイト」は理解できる。
自分が最期の瞬間に、この少女に、僕がピンチの時にこの映像を見せてくれとお願いしたんだね。
おかげで生きる気力がわいてきた。
まずは、メッセージを聞いてる間「何言ってるかわからん」とぽかんと見ていた僕を見ながら、腹かかえて笑っていたこいつに一発猫パンチを食らわせようと思うんだけど、どうかな?

ファイアレター

ファイアレター

野良猫としてのプライドを20ニャン捨て、渾身の猫撫で声で「ぼくおなかへってるんだ。なんかちょうだい」と言ってみたら、小さなカゴを持った少女は僕にそっとマッチ箱を差し出し無邪気に笑ったので、プライド捨てる相手間違えたと激しく後悔した。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted