花鈴蘭の銀細工

窪田 棗

あの頃は、何もわからなかった。ただ、今ならば少しだけ君の気持ちが分かる気がする。手を差し伸べてくれた、君のことを。

ホシとナツ

ただ真っ直ぐに、走っている。いつかの放課後、何となく帰宅するのも躊躇っていた時、窓の外に君を見つけた。その日の朝に、校門で思い切りぶつかってしまったこともあってか、目が離せなかった。陸上部なのかもしれないと思ったが、走るフォームはそうではなさそうだ。どちらかというと、野球部のような短い時間で力強く走る印象だった。ぶつかった時に怪我はしていないようで、ほっとした。時間に追われるわけでなし、と今朝の謝罪にいこうと窓際から離れ、君がいる校庭へと足を向けた。それが、始まりだったように思う。

廊下を走っていると、どこからかバニラの香りがした。いつも気になってはいたが、同じ教室の前で香るので、きっと誰かのつけている香水の香りだと思い込んでいた。そんなことを考えていたら、さっきまで窓の外にいた君が角を曲がった時にそこにいて、またもぶつかってしまった。
「う、わっごめん!大丈夫だった?」
ぶつかったのはこちらなのに、先に声をかけてくれた。ぱ、っと顔を上げると不安げにこちらを見ながら手を差し伸べてくれている。その手をありがたく握って、ゆっくりと立ち上がった。
「こっちこそごめん。しかも朝もぶつかっちゃって。ありがとうね。さっき窓の外からら走っているのが見えたから、謝りに行こうと思ってたの。」
「あ、朝の!1日に2回もなんて、何かあるのかな?お互い怪我がなくてよかった。謝るのはこっちもだし、お互い様。」
なんて君が笑うから、つられて私も笑った。そして気づいた。
「バニラの香り…」
心の声がさらりと漏れてしまった。少し驚いた表情の後に大声を出して君は笑う。
「今、そこ気になる?面白いね。家が洋菓子屋だから、いつもバニラの香りが服に移るんだよ。」
「そうなの?なんだか甘くて美味しそうだから、いつも気になってて。思わず。」
そして、顔を見合わせて笑った。初めて話をしたのに、昔から知っているような、心が暖かくなるそんな話し方をする人だなあとお互いに思っていたと知るのは、もっと後だった。
「あぁ、そうだ。名前を聞いてなかったね。僕はホシ。夜空に輝くお星様。なかなかいないでしょ?」
「ホシくん。」
「いや、ホシでいいよ。そう呼んで欲しい。」
得意気に、でも少しだけはにかんで私の目をじっと見ていた。
「ホシ。私はナツ。季節の、夏と同じ漢字。私のことも、ナツって呼んでくれたら嬉しいな。」
「もちろん、そうするよ。あぁ、それと…ナツは彼氏はいるの?」
あまりにも唐突だった。なんの脈絡もないところからそこへと話題がうつったので少し動揺してしまった。
「え、あ、急にどうしたの?」
「ううん、時間あるなら一緒に帰らない?途中まででも。彼氏いるなら相手に申し訳ないからね。気になって。でももう少し話してみたいな、と思ったんだけど。どう?」
さらりと言って、屈託なく笑う。それにつられて笑った。
「うん、帰ろう。私ももう少しホシと話したい。それに、気遣う相手はいないから大丈夫だよ。」
「そうか、ありがとう。玄関で少し、待っててくれる?すぐ、行くから。」
それに頷いて、鞄を取りに教室へと戻った。そのあいだ、ホシは何をしているのだろうと考えを巡らせながら。

あの子はどうして、あんな風に笑うのだろう。目は細く、綺麗に曲線を描いている。左右対象に口角はあがって綺麗だ。片笑窪も愛くるしい。周りの女の子たちは口を隠して笑う人が多いので目を引いた。第一印象は笑顔が印象的な子、だった。気付けば目で追っていることが多くなり、話してみたいと思うようになり、そうしているうちあの時に一目惚れしていたのだと自覚した。勇気も、きっかけも今までずっと無かったが、ぶつかってしまったことをきっかけに話すことが出来た。いま、自分の顔はきっと、ほころんでいるのだろう、と予想がつく。あの子は、ナツといった。名前も知らなかったがこの後のことを思うと、地に足がついていない感覚だった。すぐに着替えて、準備をして玄関へと向かいたい。ナツとどんな話が出来るのだろう、と思いを巡らせた。

花鈴蘭の銀細工

花鈴蘭の銀細工

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-24

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