大学ノートの終始事情 FILE:01.終点。

大学ノートの終始事情 FILE:01.終点。

このデンシャはデンキで動く。

『終点。』


「次はー、■■、■■です。終点、仮装場に到着後、このデンシャは――」

 がたん。ゴトン。単調な音に揺られている。鳴り響く音は途切れない。
 まどろむ猫のそれより浅い睡魔に身をゆだね、ただ体を揺らす低い音が鳴るに任せる。薄ぼんやりと靄のかかった意識は、このままだと何もかもを手遅れにして終点に向かうと告げている。
 それでもいいか。そんな風に結論付けて、意識が切れるでもなく起きるでもない浅い眠りを続ける彼の肩を、何者かが叩いた。

 まだ寝て居たいのに。最後まで、眠っててもよかったのに。
 口からこぼれそうになったそんな泣き言をそっと飲み下しつつ、目の前の青年を見る。
 白い。どこまでも白い青年だ。愛嬌を意識して持ち上げられた口の端が描く緩い弧が彼の風貌をどこか幼い物へと変えている。はかなげな風貌と相反するような愛嬌のある笑み、そしてその癖触れればこちらの手が切れそうなほどの鋭利で怜悧な独特の空気を持つ白い青年をしばし見つめる。
 しばしの沈黙。その後に、自分と同じ顔のくせにどこまでも違う青年はにかっと酷く愛嬌のある笑みを浮かべた。

「よっ。お目覚めかい?」
「……アンタが起こしたんだろう」

 理不尽だ。そんな無言の反抗など意にも解さない飄々とした青年はきょろきょろと物珍しげに辺りを見渡している。
 それに合わせて、同じように辺りを見る。等間隔に並ぶ大型の二人掛けの座席と天井から下がるつり革、並ぶ窓の外は先ほどから変わらぬ速度で流れてる。詰まる所の、電車の中。
 電車など、とっくの昔から一台も動いていないと言うのに。
 人影は自分たち二人以外になく、非常にガランとした車内の様相によく合う黄昏色の光が窓の外から差し込み、紫と橙のコントラストを色濃く落としている。何かを置き去りにした秋色の、透き通った紅茶を注いだような空間。その中でただ何よりも白い青年は、くるると笑って振り返る。

「『このデンシャはデンキで動く』、か。随分少ないデンキじゃないか」
「まぁ、落としてきたんだろうな。色々と」
「いつに落としてきたんだい?」
「ずっと昔かな」

 電車の外の風景はガラクタの街。壊れた街に住むフラスコの中の小人たちが、こちらに向かって手を振っている。
 僕はそれに応えない。
 答えない。

「長かったな、ここまで」
「ああ、長かった」
「どれくらいかかった?」
「おおよそ十六年と少しかな」
「少し?」
「ざっと四十六億年」
「本当は?」
「二年くらい」
「……短いな」
「似たような物さ」

 青年は僕から目を反らしたまま、窓の外をじっと見ている。

「……最初はどこだったか。目覚めた僕は何も持っていなくて、本当に何も無くて。与えられた自分と与えた彼らしかなかったんだ」
「悲しい話だな」
「ああ、愛しい<かなしい>話だな」

「幸せだったかい?」
「少なくとも、平穏ではあったかな」
「退屈は?」
「しなかった」

 がたん。ごとん。電車はただ静かに揺れている。同じ速度で時間は流れていく。僕らは唯終わりの時間を待っている。

「少し時間が流れて、気づけば僕はただの観客で。きっと気づいたんだ。僕がいなくても、世界は繋がって、回っていく」
「助けてって言ったってどう誰に助けてもらえばいいのやら。だって助けてほしさに自分を傷つけ続けるような人がいるのに、僕なんか構ってる時間無いだろうに」
「僕は普通が好きです。普通を求めちゃだめなの? 普通しか教えてくれないのに。
 普通が好きです。普通が好きじゃだめなの? でも普通って何だっけ。だってみんな同じようなことしか言わないんだもん。僕だって寂しいのに」

 吐き出す言葉をただ彼は静かに聞いている。がたん、ごとん。音を立ててティーカップが揺れている。零れた紅茶の代わりに深海が箱を満たしていく。
 気付けばガラクタの街はとっくに通り過ぎていて、窓の外を大勢の武器を持った兵隊が行きかっている。顔のない兵隊は玩具の行軍の様だ。そんな彼らは、ただ愚鈍に歩き続けてた。
 誰に知られるでもなく。歩みを止めた兵隊を他の兵隊はしばし見つめ、そしておいて行く。当てもなく彷徨い続ける死者の行軍。世界は気づけば空に大きく傾いている。日が落ちたと表現したのはどこの誰だろうか。堕ちて傾いたのはこの地面かもしれなかったと言うのに。

「時々無性に虚しくなったんだ。僕は時々、この右手で人や生き物を殺す。その手でただ意味もなく命を救う。自ら死にに行って無駄に浪費すると分かりきった命を救って、それ以外を捨てる。そして何事もなかったかのようにコーヒーを飲んで、パンを食べる。こんな偶然、許されるのだろうか。こんなこと、意味があるのかってね」
「……すまんが、俺にはその理屈は理解できないな」

 そこでようやく、白い青年は窓の外から目を離す。佇む空気はひたすらに穏やかで静謐なほどの残酷さを引き連れている。
 それはおそらく、彼らを隔てる最も大きな壁だった。彼は救う側、もう片方は常に殺すための道具。壊すための道具。飾られようと奉納されようと、たとえ埋葬されようと、戦いのための道具にすぎないのだから。

「命を救うためのメスだって簡単に人を殺せる。人を楽しませるための花火と爆撃はほぼ同じ物理現象だ。自分が手を下さずとも、回りまわってどこかで他人が死んでいる。人を殺すための道具だって、それを作った人が人が死ぬことを望んでいるとは限らない。人は意識しなくとも、生きているだけで、どこかで他人を殺しているんだ」
「……」
「お前さんはたまたまその両極端どっちにも立っていたってだけだろう。殺す側と生かす側。その矛盾さえ適当に流していればよかったろうに……。まぁ、俺が言っても今更か」
「……。いや、少し楽になったよ」
「よくやったよ、お前さんは。強い子だ」

 「ありがとう」。囁くような言葉を少しだけ聞かなかったことにして、白い白い青年はまた窓の外に視線を戻す。

「次はー終点、仮装場、仮装場です」

 そんな無機質なアナウンスに、彼は少しだけ嘆息する。とうとう終点が来たようだ。都合の悪い事実ほど、認めたくない現実ほど、向こうから勝手にやってくる。

「行くのかい?」
「ああ」
「……そうかい」

 緩やかにデンシャは速度を落とす。窓の外は、燃えるような赤。宵闇を置き去りにした、真紅。
 まるで燃え盛る火炎の様な赤。その色に少しクラリとする。

「俺は、炎、嫌いだよ」
「……そうか」
「若い奴から燃えて行く。年寄りを置き去りにしやがって」
「ははは……すまん」

 そして、デンシャが止まる。デンキが尽きたのだ。それでもなお、扉は開く。
 空いた扉の隙間から吹き込む熱風と吹きすさぶ焔の断片をしばし二人はじっと見つめ、やがて彼は歩き出した。


「終点、"火葬"場です。このデンシャは一時点検後、○○行き□□線として運行します。○○行きのお客様は、ご乗車のまましばしお待ちください――――」


 焔の中に消えゆく彼の後姿を、白い青年は唯見送る。
 直に新しいデンシャが動き出す。デンキはこれから始まり、続き、そして遠いいつかに終点を迎える。


「……さようならだ、キール」


 最後にそうぽつりとつぶやいた青年の声をかき消す様に、デンシャは動き始めた。



 この<電車>デンシャ<伝者>は<電気>デンキ<伝記>で動く。

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 ■■■の終始事情とはじまる彼の夢の話。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-24

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