イノチ
──自分の心を打ち明けたなら。
──もっと永くこの世に留まれたなら。
きっと違う人生を、歩めたのに。
そんな後悔をしてほしくない。
そういう想いを込めて書きました。
出逢い
朝の教室。
いつもと変わらない、憂鬱な気分で廊下側の一番後ろの席に座るのは俺、倖田類。
そして同じくいつもと変わらない様子で俺に近付く男、由井裕樹(ひろき)。
「おはよ!倖田」
「…」
鬱陶しいので、無視。
決まった流れだ。
そして、それを見るこのクラスの女子の中心である高根蘭(らん)が俺に陰口をわざわざ俺の聞こえる声量で言うのもまた決まった流れ。
「い~じゃん裕樹~。そんな喋らない唐変木放っておいて」
唐変木ってなんだ。
そんな抗議が口から出そうになったが、面倒くさいので言葉を押し殺す。
「なんでそんなこと言うんだよ…このクラスの仲間だろ?」
まだ高校生になって2ヶ月も経ってないのに、仲間も何もあるか。
「な?倖田!」
「…やめろよ」
いい加減にしてくれ。
俺は、目立たずに高校生活を終えたいんだ。
「そんなこと言うなって~。つれないな~」
「…っだから!」
気安く組まれた肩の手を、強引に引き剥がす。
「…倖田?」
「もうやめろって言ってんだろ!何なんだよ毎日毎日…!!俺に構うな」
「倖田!」
俺の口は、気付いたらそんなことを口走っていた。
俺の足は…教室からどんどん遠退いていた。
『目立たずに高校生活を終えたい、か…』
孤立していることが、既に目立つ原因になっているのにそんなことを抜かす。
俺は、多分、…いや、絶対、バカだ。
「どうしよ…」
考えナシに学校から飛び出して来てしまった。
とりあえず、血が昇った頭を冷やそうと、ベンチに腰掛ける。
「はぁ…」
自然と出る溜息。
一人で感傷の世界に浸っていた俺は、気付かなかった。
後ろに、人がいることに。
「…ねぇ」
『明日学校どうしよ…』
「ねぇねぇ」
『行かないと…だよな…』
「ねぇ、そこのキミ」
『どんな顔して教室に入れば…』
「ねぇってば!!」
「何だよ!うるさい…な」
「やっと振り向いた」
『うわ…』
なんだこの子。可愛い。
腰まで届く長い真っ黒な髪はサラサラで、白いワンピースは、彼女の肌の白さをより際立てていた。
日除けの帽子ですら、彼女を引き立てるだけのただのアイテムになってしまう。
「ごめんね、うるさくして。迷惑だった?…よね」
「…いや…別に」
「ほんと!?良かった~」
反応が早い。
最後まで言い終わる前に彼女の口から言葉が出てくる。
「ねぇ、キミ、学校は?」
「…」
「何かの振替休日とか?」
「…いや」
「あっ、今日って祝日だっけ!?私カレンダー見ないからわかんなくって」
カレンダーを見ない人もいるのか。
「…もしかして、サボリ?」
「…」
図星。
「良くないよ~。折角学校に行けるのに」
「アナタにはわかりませんよ」
「うわ~ヒドい。悩み聞いてあげようと思ったのに」
『何で…』
わかるんだろう。
「わかるよ」
「…っ」
まるで、心を読まれてるみたいだ。
「で?何かあったの?」
「…知り合いでもない人に話せません」
「あっ、確かに。じゃあ、まずは自己紹介するね!私、桜井蛍。18歳だよ。学年で言うと…高3?趣味は、読書かな!読むのも好きなんだけど、書くのも好き。実はね、ネットに自分で書いた小説載せたりしてるの。へへっ。あとはね~…ケーキも大好き!妹に買ってきてもらって、内緒で食べるんだ。後はね~」
「もういい。もういいです」
止まらなそうだったのでこちらから止めさせていただく。
「え~、つまんないの。じゃあ次、キミの番」
「…倖田類、15歳。好きな食べ物はカレー、趣味は特にありません。以上です」
「類くん、ね。はい!知り合いになったところで、お悩み相談会。始めよう?」
「…別に悩みなんてないですよ」
「そんなことないでしょ?明らかに、悩んでますって顔してるもん」
「知り合ったばっかのアナタに…」
「名前。桜井蛍」
「…桜井さんに何がわかるんですか」
「名前では呼んでくれないのね。まぁいーや。うーん…。類くんよりもちょっとだけ大人っていうのもあるし、私自身の事情もあるし。何となくわかるの」
『何なんだこの人…』
底抜けに明るいわけではないが、静かなわけでもない。
笑顔の裏には、影が潜んでそうな…
そんな気がした。
何だか押し付けられている感じのする言葉も、この人が発すると嫌味な感じはしなかった。
「…桜井さんにはわからないですよ」
「そりゃあ他人だからね。わからないかもしれない。でも、わかるかもしれない。わからなくても、話を聞いてもらえるだけでも違うんじゃない?」
「…そーなんですかね」
「そーだよ」
この人が言うと、本当にそんな気がする。
「…俺、面倒臭いの嫌で。高校生活三年間、目立たずに過ごそうって決めてたんです。でも、今のクラスが最悪で…。クラスで孤立してる奴をほっとけない性格の男がいて、それをバカにしてくる女子のトップ的な奴もいて。そいつらが放っといてくれないんです。俺の存在が疎ましいなら、存在を無視してくれればいいのに…」
「ふーん。いいなぁ」
「何がですか?」
「学校。楽しそうで」
そういえば、この人はなぜこんな所にいるのだろうか。
『さっき、高3って言ってたよな…』
この人こそ、学校はないのか?
「…学校、行かないんですか?」
気付けば、口走っていた。
桜井さんは、少し驚いた表情をした後、悲しそうに笑った。
その微笑みが、なぜか心に刺さった。
「…行けないの」
「何で…」
『…ってバカか俺は!』
さっきから、聞いてはいけないようなことばかり聞いている気がする。
そして、桜井さんを悲しませている気がする。
バカでも、それくらいはわかった。
「…ちょっとだけ、私の話をしてもいい?」
それが、彼女のことを深く知る、きっかけだった。
桜井蛍、という人間
「私、生まれつき身体が弱くてね。ずっと病院に入院してるの」
「え…」
「フフ、驚いた?」
「そりゃ、まぁ…」
今日知り合った人に、こんな話をされるとは。
生まれて初めてだ。
「だからね、私、学校行ったことなくて。たまに病室から見える、制服の女の子達が羨ましい。私も、病気じゃなかったらああやって制服を着てたのかなって」
儚げな表情の出所はここか。
「友達とかもいないし。いーなぁ、そういう悩み。憧れちゃう」
やっぱり、他の人が発したら不愉快なその言葉も、この人が発したら全然不愉快ではない。
「きっと、類くんの周りの人もそうだよ」
「え?」
「類くんのことを気遣う人も、類くんのことをバカにする人も、そんな状況を無視して関わろうとしない人達も、誰だって皆、悩みを抱えてる」
「…」
「抱えてる悩みが、類くんを気遣ったり傷付けたりする理由になってるかはわからないけどね」
「…」
「類くんも、何かあったの?」
「え」
「始めから、塞ぎ込んだ性格じゃ無かったでしょ?きっと」
「…」
『なんでわかるんだ…?』
「あ…ごめんね!何があったか、なんて聞くことじゃなかったね…」
思わず吹き出す。
「しつこかった人が何言ってるんですか」
「…確かに」
うーん、と考え始める。
『この人になら…』
話せるだろうか。全て。
…でも、まだ“その時”じゃない気がする。
「…いずれ、話します。その時はまた、聞いてくれますか?」
「…!うん!勿論!!」
それが、俺達の初めての会話だった。
心の闇~裕樹~
俺には、誰にも言えない秘密がある。
「──よ、マコト」
姿が見えもしない友人に、語りかける。
手を合わせ、目を瞑り、静かに合掌する。
──享年、14歳。
あまりにも短い人生だった。
彼の人生をそんな儚いものにしてしまったのは、自分だ。
ごめん、と、何度呟いたかわからないその言葉を心の中で呟き、彼との思い出の中に入った。
きっかけは、些細なことだった。
“なぁ、ちょっと頼まれてくんねぇ?”
その一言で全てが始まった。
俺の幼なじみ兼親友──柏木誠(まこと)は、心根の優しい奴だった。
それを悪用するクラスの奴ら。
黙って見守る奴ら。
誠は、ただ笑っていた。
思えばいつもそうだった。
家が隣同士で両親は共働き。
夜遅くなることも多々あった。
そんな時、俺達はいつも一緒にいた。
家にご飯が無い時は一緒にどちらかの家で夕ご飯を食べ、雷が鳴っている夜は、バカやって怖い夜を乗り越えた。
それほど仲が良かったのに…
なぜ俺は、あの時──…。
「マコトーーー!」
「ヒロ。どうしたの?」
「見たか!?クラス表!」
「見たよ。あーあ、中学校生活いきなりヒロと一緒か~」
「お、おい、何だよそれ!」
「あはは、冗談だよ。よろしく…って、言い飽きたけど」
「確かにな!」
これが、中学校の入学式の時。
この時はまだ、思ってもいなかった。
俺と誠に、試練が待ち望んでいたなんて──…
「あっ、すみませ…」
「って~なー!!どこに目ぇ付いてんだよ!」
『うわ~…今時クラスにこんな奴いるのか…。マコトとは一緒だけど、ハズレかもな…』
「大丈夫か?剣人(けんと)」
「おう。マジ最悪だわ~」
「ごめんなさい、ケガは無かった?」
差し出した誠の手を振り払う、山崎剣人。
「気をつけろよ!?」
「はい。すみませんでした」
「…何なんだよあいつら。ぶつかってきたのはあいつらだろーが」
「ヒロ、そんなこと言っちゃダメだよ。僕は大丈夫だから!」
「…そっか?」
「うん!」
誠は優しい奴だった。
教室に飾る花を庭の花壇から摘むことに涙を流し、
誰か苦しんでいる人がいたら、その苦しみを分かち合おうとした。
誠はいつも笑っていた。
悲しい時も、傷付いた時も、「笑っていたらいいことがあるよ」と言って。
誠の心に負った傷は、その笑顔の裏に隠されて、一番仲が良かった俺でも見ることができなかった。
誠は、心が強い奴だったと思っていたから。
本当は、脆い心を隠そうとしていただけなのに──…。
俺はサッカー部に入部した。
誠は帰宅部。まぁつまり、どこの部活にも入らなかったわけだが。
サッカー部に誘ったが、「運動は苦手だから」と断られた。
そんなこともあり、朝と学校の間は常に一緒だったけど、放課後は別々になった。
だからその間、誠が何をしていようと、俺が気付ける筈もなく──
「おいマコト、どうしたんだよその顔の傷!」
そんなに目立つ程でもなかったが、口の横に一カ所、殴られたような痣があった。
「誰かにやられたのか!?」
「違うよヒロ、転んじゃっただけ」
「でもっ…!」
「ホントだって~。ほら、足と肘も怪我してるでしょ?」
「あ、ほんとだ…」
「そうやって、すぐに人を疑うのヒロの悪い癖。直したほーがいいよ?」
「あ…あぁ、そうだな…」
これ以来、傷ができることはなかったが、誠は徐々にやつれていった。
何かがおかしい。そう思った。
だけど、誠の「大丈夫だから」というセリフを信じた。
もっと強く問いただしていれば、違う結果になったかもしれないのに。
中2の放課後。
忘れ物をして、教室に戻った。
真っ赤な太陽が美しい、オレンジ色に染まる教室。
──誠は、窓によじ登っていた。
「…っマコト!」
「来るな!!!!」
急いで誠引きずりおろそうとしたら、誠はそう叫んだ。
「な、んで…そんなこと…っ」
「“何で”?わかってるでしょ。もう耐えられないんだ、あいつらの行いに。」
「山崎剣人…?」
「たくさん殴られた、かつあげもされた、万引きだってさせられた!ヒロには言えないことだって色々!!…もう、死んでもいいよね?限界なんだ。」
「待ってくれ…行かないで!」
「ヒロ…言わなくてごめん。でもヒロを巻き込みたくなかったんだ。」
誠のその優しさが、この時だけは憎かった。
「ヒロは大事な、親友だから」
──その言葉が、憎かった。
「マ、コト…」
「…そんな顔しないで?ヒロ。逝けないよ…」
“逝くな”の言葉が出なかった自分が、憎かった。
「ありがとう…ごめんね、ヒロ…」
赤く燃え盛る太陽が、誠を射抜く光に見えた。
「…っマコト…!!マコトォォォォォォォォォ!」
窓の下は――太陽よりも赤く、ヒガンバナよりも鮮やかで美しい、紅で染まっていた。
心の闇〜蘭〜
『愛』
それはどうしようもなく醜く、
残酷で、
切ない、
必要ないモノ。
だって、そうでしょう?
愛が無くたって生きていける。
愛が無くたって勝ち残れる。
愛が無くたって、私は――…
静かな食卓に、親子3人。
ただ黙々と食べ続ける。
「ごちそうさま」の言葉すら無く、食べ終わるとすぐに席を立って仕事に向かう父。
父が出て行くと「本当に、何なの?あの男は…」と悪態をつき、食器を片付ける母。
そんな2人を冷たい目線で見つめる娘――蘭。
私の両親は、いわゆる政略結婚のようなもの。
親に決められた相手と結婚させられたらしい。
イノチ