桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君14

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続きです

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君14

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 なんだろう、この恥かしさは。
 桃井の男、鷹雄の意識のなかで、光顕は一人で悶えていた。
 これは俺じゃない、俺じゃない。俺じゃない
 そう唱えてみても、五感への刺激から気持ちの揺れに至るまで、鷹雄が感じる全ての事象が、光顕に感覚として流れ込んでくる。しかも、相手の山神姫は、鹿王と鈴と同じ顔をしているときては、気恥しいどころの騒ぎではない。
 なんだあの恥ずかしいバカップルは。抱き上げてぐるぐるとか、勘弁してくれ
 あの山神姫のなかで、鈴が、鷹雄の実体は光顕だと知りながら、鷹雄のあの気障な振る舞いを見ているのかと思うと憤死ものだ。
 は、恥ずか死ねる。
 山から都へ帰る道すがら、山神姫との別れを惜しむ鷹雄の中で、光顕は大きなため息をついた。



都での鷹雄は非常に忙しい身の上らしい。
 大内裏にある典薬寮とは、現代でいう厚生労働省と大学が合わさったような国の役所で、鷹雄はここで医得業生という、言わば医大生のような身分である。毎日、葵祭の行列で見るようなひらひらした装束に身を包んだ貴族達が、優雅に内内裏に参内しているようだったが、そんなに身分の高くない鷹雄は、いつも内裏の西側にある藻壁門から大内裏に入っていた。左右に内匠寮と左馬寮を眺めると、その先の造酒司の真向かいに典薬寮があった。大貴族たちはもっと大きな門を通るらしく、一介の学生である鷹雄は彼らの姿をみることはほとんどない。偉くなるほどに現場から離れていくのは、どの時代も同じだ。この薬典寮でも、薬典頭を筆頭にしたお偉いさん方は大内裏の中心部でいそいそと政治活動に明け暮れていた。官位が下がれば下がるほど研究者肌の人間が増えていく。つまり、医得業生である鷹雄の周りは怪しげな薬草の研究に没頭している変人ばかりだった。
 「おい、この煙はなんだ。煙とうでかなわんぞ」
 出仕してきた同僚の康成が、入ってくるなり悲鳴じみた声あげる。
 「あれは、陰陽寮の護摩の煙だ」
 のんびり答えるのは同じく医得業生の頼光だ。
 「護摩業?何のご祈祷だ」
「今度は春宮様のご病気の具合が芳しくないらしい」
「女御様の次は春宮様か。女御様の時に使った薬湯は?」
「それが、その薬湯も効かないらしい。あれは効力が強いゆえ、子供にそう何度も使えぬ。症状を聞く限り冬に流行る咳逆とよく似ているのだが、この暑いさなかに咳逆はあるまい。物の怪か呪術の類ではなかろうか」
「だから、陰陽寮の出番というわけか」
康成と頼光はなるほどなあ、と納得している様子だった。
 インフルエンザの一種だろうか。最近では夏でも局地的にインフルエンザが流行する例が散見できるというし
石の器で防風と呼ばれる植物の根を磨りつぶしながら、光顕は現代の常識でもってそう結論づける。悪寒、頭痛、高熱、間接の痛み。春宮の症状を聞く限り、インフルエンザで間違いないような気がした。どうやらこの時代では、風邪もインフルエンザもすべて咳逆と総称しているようだった。しかし、知識があったところで器具も薬のない状態では、光顕にはどうしようもない。ことの成り行きを見守るしかなかった。しかし、春宮はまだ御年六つの子供らしい。インフルエンザの高熱から脳障害を引き起こしたり、気管支を患う可能性もある。
 せめて、頭を冷やせとか、水分と塩分を取れとか進言したほうがいいのか?
そこまで考えていやいやと、光顕は心中で頭を振る。変にこの時代に合わない知識を持ち込むべきではないだろう。
 それにしても、と光顕は気を取り直して、手元の石の器を見る。器の中に水を足しながら丹念にすり潰された根っこはペースト状になっていた。
 どれだけ無言ですり潰してんだろ、こいつ
この鷹雄という男は、かなり寡黙な男のようだった。同僚たちがやいのやいの噂話に花を咲かせているというのに一向に混ざろうとしない。同僚たちもそんな鷹雄を気にも留めていないので、もともとこういう男なのだろう。山神姫と会っている時とは別人のようだ。
 「おい、鷹雄。鷹雄はおるか」
そう声を上げて入ってきたのは典薬頭である二条為房だった。典薬寮を統べる存在で、いわば一番の上司にあたるが、変人の長はやはり、一番の変人だった。細面の顔に一筆書きをしたような細い目の奥で、期待に満ちた瞳がキラキラと輝いている。
「牛黄を使う許可が下りたぞ。すぐに調合に入る」
「牛黄、ですか」
牛黄とは、牛の胆石を差す。解熱、鎮痛のほか、末梢神経に働いて発汗を促すため、異物の排出も期待できる。しかし、非常に希少で高価なため滅多なことでは使用できない素材だ。
 つらつらと頭を巡るのは、おそらく鷹雄の知識だろう。光顕は漢方薬についてほとんど何も知らない。
「そうだ。春宮様に牛黄を処方することになった。またとない機会だぞ。御所秘蔵の品を実際に扱えるなぞ、一生に一度あるかないかだ。どうだ、嬉しいだろ。私は嬉しい。さあ、宝物倉に参るぞ。鷹雄、ついて来い。康成と頼光は調合の道具をそろえよ」
為房は遠足に向かう子供のようにはしゃいだ様子で声を弾ませた。仮にも子供が苦しんでいるというのに、このはしゃぎようはいかがなものか。光顕はむっとなった。同時にどうやら無表情の鷹雄も内心では激しい反発を覚えているようだった。
 なんだ、案外いいやつじゃないか
宝物倉に向かう為房の後を追いながら、光顕は鷹雄を少し見直した。


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 秘蔵の牛黄を使っても、春宮の具合は一向に良くならなかった。それどころか、他の貴族たちにもちらほら同じ症状が出始め、一気に洛中洛外に広まっていった。狭い世界で生きている時代である。蔓延もまた早い。昨日はどこそこの二の姫が、今日は何々中将と宮様がといったように、次々罹患し、ついには死者まで出始めた。昼夜を徹して行われる陰陽寮のご祈祷も功を奏さず、為すすべのない薬典寮は日に日に、世間から強い非難を浴びるようになった。
 病人たちに接する機会の多い薬典寮の人間もまた次々と病に倒れて伏せってしまい、その組織機能が麻痺してしまったのも痛手となった。
「もう調合は試し尽くしてしまったぞ」
疲れた声で頼光が呟いた。時刻は夜半過ぎ、かがり火だけが、闇に塗りつぶされた大内裏をぽつんぽつんと照らしていた。老人、子供といった抵抗力の弱い者から順に罹患するのは病気の常、薬典寮のお偉方も伏せってしまった。未だ無事なのは、比較的体力のある若い医得業生達だったが、如何せん知識も経験も乏しい。責任感からか這うように出仕してきた為房が薬典寮内に床をつくり、床から指導監督を行うも、芳しい結果は得られない。連日連夜、調合が続き、いかに医得業生達が若いといえど疲労は確実に蓄積していく。
 「これ以上いったいどうしろというのだ」
 もはや読みつくした唐渡の漢方医学書を投げ出し、康成が途方に暮れた様子で天を仰ぐ。ロウソクの灯りにぼんやりと浮かんだその顔は、疲労のために目は落ち窪み、肌も異様なかさつき方をしていた。烏帽子も放り投げ、髪が解れるのも気にせず、ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟る。先ほどまでざらついた声で指示を出していた為房もいつしか静かになっている。力尽きて寝入ったようだった。
 それまで、黙々と薬の配合を調整していた鷹雄がふと顔を上げる。綺麗な丸い月が出ていた。
 「おい、この非常時に涼しい顔をして月見か」
 絡んできたのは康成だった。やめろと頼光が制止するも、康成は聞かない。
 「まったく、呑気なものだな。それとも何か。為房さまのお気に入りは結果を出さずとも出世が約束されているのか」
 「やめろ、康成。みっともないぞ」
 「なぜだ、事実ではないか。こいつは一人澄ました顔して、人に取り入るのが上手い。牛黄だって、私やお前は触ることすら禁じられていたのだぞ。しかし、こいつだけは、調合にまで口を出していた。一体何様のつもりなのだ」
 「もういい、お前は少し黙れ。鷹雄、お前は少し外の空気でも吸ってこい」
 頼光に促され、鷹雄は薬典寮を出た。さりとて、どこかに用事があるわけでもない。鷹雄は小さく息を吐き、ぶらぶらと大内裏に隅をあてもなく歩き始めた。
 誰もが疲れ、周りからの非難に晒され、心身ともに限界だった。鷹雄とて疲れていないわけがない。病み苦しむ人々を前に、何もできない自分の不甲斐なさに、血を吐くほど憤っている。それを表に出すことを潔しとしないだけだった。
 不器用な男だな、ほんとに
 鷹雄の中で、光顕が呆れかえって嘆息する。中にいるからこそ、光顕にはわかった。他の二人よりも重用されているということはそれだけ、鷹雄に負担がかかっているということだ。それでも、鷹雄は不平不満を言わず、悪しざまに罵られても反駁しない。ただ黙って耐えている。鷹雄の人となりを知るにつけ、光顕の中に違和感が広がっていた。
 ほんとにこいつが、山神姫から徳利を奪った挙句、他の女に乗り換えたりしたのだろうか。
 そういえば、鹿王は何か含みのある言い方をしていた。もしかしたら桃井の話とも、鈴の話とも違う真実があるのではないか。
 鷹雄は再び、夜空を見上げた。たっぷりとした満月が暗い空に昇っている。そしてふと嫌な考えが脳裏を過った。もう一月ほど山神姫と会えていない。人の世でこれほど病が流行っているのだから、山神姫にも何らかの影響が出ているかもしれない。いや、山神姫は、神世の住人だ。それに、仙酒もある。あれは万病に効くのだから大丈夫だ。
 しかし、とさらに鷹雄は考えを巡らせた。山神姫があの酒で動植物を癒す場面は多々見てきたが、山神姫本人があれを呑んでいるところを見たことがない。
 もしや、山神姫自身には効かないのではないか
 そう思うと居てもたってもいられなくなった。病み衰え、身罷った若い女の末期の姿が眼裏に浮かび、その姿が一瞬山神姫の姿に重なる。
 顔が見たい。声が聴きたい
 会いたい・・・
 ほんの一時で構わない。元気な姿さえ確認できればそれでいい。
 なかば無意識に鷹雄は駆け出していた。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君14

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君14

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-23

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