月がこちらをみている

「はい、それババー!」
「ちょっと! 声でかいよ!」
 大きな声を出す佐藤(さとう)くんを、小声で制する。ここは病院だ。 
 そんな佐藤くんが、うれしそうにわたしを指を差すのは、ババ抜きでわたしがジョーカを抜いてしまったからだ。
「やっと抜いてくれた。金沢(かなざわ)さん、いっつもババ抜いてくれないんだもん。超能力かって思うくらい」
「今日は失敗しちゃったな」
 ちっ、とわざと舌打ちしてみせると佐藤くんは
「女の子が舌打ちするなんてだめだよ」
 と、深く垂らした前髪と黒縁メガネの間にちらちら見え隠れする眉を寄せる。うっとおしそうだから、どこかで分けちゃえば? と言っても垂らしたままの前髪。分けてやれと勝手に髪を触ろうとすると、ものすごく怒ったのでそれからそういうことはしないようにした。
 佐藤くんは最後のカードを目の前に放り投げると小さくガッツポーズ。
 
 佐藤くんとは、わたしが入院しはじめた半年前。
「トランプ持ってない? なんか誰も持ってなくてさ」
 そう、わたしの部屋を訪ねてきた。小さい顔に、黒縁メガネが妙に浮いて見えたことを覚えている。大昔にやってたっていう、体は子ども、頭脳は大人なあの名探偵の漫画みたいだな、と思った。学校の歴史の授業で紙の漫画のことが出てきて知った。
 わたしも入院していてひまだった。それから佐藤くんとトランプをするようになった。佐藤くんはそれからのトランプ友達だ。
 看護師さんに見つからないよう、お互いの部屋でだれも見回りにこないのを見計らって移動している。ちょっとびっくりなのは、わたしの病室はそうでもないのに佐藤くんの部屋はやけにセキュリティが厳しいことだ。
「ここを通れば、カメラに映らないよ」と、佐藤くんに教えてもらった通路を慎重に通る。なんだかスパイになった気分になる。 
 トランプは、互いに知っているゲームのバリエーションが少ないものの、七並べ、豚のしっぽ、ジジ抜き、神経衰弱。最近は、ババ抜きをしている。
「ねー、そもそもババ抜き始めたのって佐藤くんが、暇だから秘密でも言い合おうって言ったからでしょ? わたしは負けた時にちゃんと言ったのにさあ。佐藤くん、初戦と今日やっと勝ったくらいじゃん」
 わたしは佐藤くんに不服を申し立てる。
 ほんとうならば二戦目で負けた佐藤くんは、もう秘密を話していなければならないルールだ。 
 わたしが佐藤くんに話した秘密は、入院前に幼なじみのマサイキにもしかしたら手術で死ぬかもと思って告って玉砕したことだ。
「だって、お前死ぬかもしれないんだろ? 俺、ツライだけじゃん」って。
 今でも、その時のことを思い出すと視界が滲む。わたしから視線を逸らすマサイキ。佐藤くんよりもずっと前髪が短くてあんなにはっきりと顔が見えていたのに、なにも気持ちが見えない。恋とはおそろしい。思春期って残酷。十四歳って残酷。自分のことばっかじゃん。
 まあわたしも、人のこと言えないけれど。
 今は、臓器移植の技術が進んで難しい移植でも成功率は九十パーセント超えをしている。失敗なんてたぶんないんだと思うけど。
 でも、手術が怖いのは変わらないし、それに……万が一……万が一、だ。 
 うまく心臓が機能しなくてなにもなく生涯を終えるより、恋をひとつでもしたと言えるような死ぬ際でありたい。そう思って告ったわけだから。まあ、わたしだって自分のことばっかりだ。思春期だし、十四歳だし、恋は素晴らしいように思える。
 佐藤くんに、茶化されるだろうなあと思いながらしどろもどろにそんなことをを話すと
「そうだね。でも僕は、金沢さんの幼なじみみたいなことは思わないけどな。もし僕だったらそんな……」
 しん、とした黒い雲がかかったような月のような目で、わたしをじっと見て言ったことを今でも鮮明に思い出せる。なんだかよくわからないけど、その顔にわたしは吸い込まれてしまう。
「……僕だったら?」
「なんつってね~、嘘~」 
 でも次の瞬間にはそんな顔をしていた佐藤くんなんて嘘だったかのように、すっとぼけた顔で軽く口笛なんか吹いている。
「なにそれ。どうするか言ってよ」
「なんでもないって」
「ていうか、夜に口笛なんか吹いたら蛇がくるし」
「そんなの迷信だし。僕は今、勝ってとっても気分がいいんだからしょうがない」 
 口笛している曲は、フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン。わたしの家のサイドボードに飾ってあるオルゴールは、ネジを巻くとこの曲が流れた。
 つうっと、か細い三日月のように目を細めた。でもどこか影があるように思えるのは、窓から注ぐ青白い月光のせいだろうか。
 ふと、佐藤くんの背にあるカーテンの閉まってない窓に目をやると、月が少しだけ欠けて白く冴えてこちらをみている。
 佐藤くんの個室は、いつもカーテンを締めない。
 空がいつでもみえる状態がいいのだそうだ。
 そういえば雲や虹や、星座のことや空のことを佐藤くんはいろいろ知っている。ここに入院する前の病院でたくさんそういう本を読んだそうだ。
 そんなに入院している佐藤くんの、病気がなにかをわたしはまだ知らない。
「満月までもう少しなのかな」 
「満月はもう過ぎて、今は新月に向かっているんだよ」 
 と佐藤くんは言う。新月……と聞きなれない言葉を口にすると
「太陽と重なって、地球からじゃ月が見えなくなることだよ」   
 佐藤くんは掛け布団に散らばったトランプをかき集めながら教えてくれた。
 ふうん、そうだったのかと思っていると
「さて、じゃあ金沢さんの秘密教えて」
 トランプをとんとん、と両手で揃えながら言う佐藤くんに
「は? 佐藤くん、今まで負けた時にひとつも秘密言ってないじゃん」 
 と、鼻先に指をびしっと突きつける。
「だって、僕今勝ったじゃん」
 いけしゃあしゃあとはこのことか、である。散々はぐらかしておいてそれはないじゃん、じろりと佐藤くんを見る。
「もー……さようでございましたねっ。てか、わたし実はあした手術なんだ。早く寝ないとな……」
「そうかあ、そうだよねえ」 
 静かだけど、重たい。でもどこかやわらかさが感じられる声だった。佐藤くんの病室に沈んでいく。
 佐藤くん、わたしの手術を知ってる? 誰にも言ってないはずなのに。
「じゃあそういうわけで、わたしもう自分の部屋に帰るから。睡眠薬飲んどきたいし」
 佐藤くんのベッドのそばのスツールから立ち上がろうとすると
「はい、注目ー!」 
 急にまた大きな声を出す。
 びっくりして「ちょっと!」と佐藤くんの口をばたばたと両手で塞ぐ。スツールがびっくりした拍子に傾いて倒れてしまった。ぐわんぐわん。スツールが倒れた音の余韻の中、ゆっくりと佐藤くんは口をふさぐわたしの手をはがし
「……今日でトランプ遊びが最後になりまあす」
 と小さめの声で言った。
 すっかり揃えてしまったトランプをわたしに渡す。えっ、えっ? と受け取りながらも戸惑っていると
「僕、明日でいなくなるんだ」
「えっ? それって退院ってこと? まじ急だね」
 わたしは刃物ですっと、切り傷をつけられたような気持ちになる。佐藤くんがなにも秘密を言わないのは、わたしにそこまで心を開いてないからか。信用がないからなのか。
「そ、急なんだ」
 なんてことないことのように言う佐藤くんが、またわたしの傷を深くする。
 でもこうして半年、生半可な気持ちで佐藤くんとトランプをやってきた中ではない。わたしは負けたくないと思い、
「じゃあさ、メアドかLINE交換しない?」
 ポケットに入れていたスマートフォンを取り出しながら言うと、それを遮るように
「それは……できないなあ」 
 さっき「はい、それババー!」と大きな声で無邪気に喜んでいた佐藤くんとは思えない、静にバリアを張るような返事だった。佐藤くんは喜んだりしょげたり、なんだか忙しい人だなあと思い、またわたしの傷口はえぐられる。佐藤くんにとってはわたしは、その程度の存在だったのか。たかが、トランプ友達だったか。
「あのさ、金沢さん明日の手術、心臓移植じゃない?」
「ていうか、なんで知ってるの? わたし言った覚えないんだけど……あ、もしかして加藤さんから聞いた? まあなんにせよ、超怖いんだよねー手術」
 加藤さんとは、わたしの点滴をよく替えに来てくれる若い看護師さんだ。優しいし、明るいし、とても好きなんだけど難を言えばちょっとお喋りが過ぎる。うっかり、他の患者さんのことを漏らしたりすることなんて日常茶飯事だ。「彼氏ができないんだよねえ」とよく言ってるけど、そういうところがモテないんじゃないかと思える。でもまあ、佐藤くんならいいや、とわたしは気持を切り替える。どうせ、ずっと言おうと思っていたし。
「ちがうよ」 
 佐藤くんはそう言い、パジャマのボタンを上からひとつふたつ外してその向こうへ通り抜けてしまえそうなほどの白い左胸をはだけさせる。
 そこには『カナザワ ミサ移植用心臓』というスタンプ……いや、焼き印のようなものが表れた。
「これが、僕の秘密。こんなんじゃ、告ったりできないだろ。だって僕の気持は物理的に金沢さんのものになるのだから」
 佐藤くんはそう言いながら顔にいつまでたっても馴染まない黒縁メガネを外し、いびつに笑ってみせた。

 先日、点滴を替えにきてくれた加藤さんに手術が不安だと訴えると
「だーいじょうぶよ。今は進歩してんだからリラックス!」
 なんて、親指を立ててグッとしながら説明してくれた。 
 
 二十一世紀も終盤である現在。
 臓器移植手術の成功はごく当たり前のことだ。 
 
 赤ちゃんの頃に髪の毛からもうひとりの自分を作って”もしも”の時のために保険をかける時代になってきている。オリジナルと同時に成長させるのだ。
 クローンを作らないことも選択できるけど、わたしの場合は生まれつき心臓があまり良くないため、両親が申し込んでいた。
 もうひとりの自分から移植された臓器は、拒絶反応がほぼないということだ。
 作られたクローンの存在は、本人にバレないようにあえてメガネをかけさせ、顔がよくわからないようにさせる。変装に近い。オリジナルが男の子だと、クローンは女の子に近い格好をさせるとかも聞いたことがある。
 それを、いつでも新鮮な体の部位を使えるようにしておく。
 わたしの今回の心臓の手術でも、わたしのクローンの心臓を使う。その子は、心臓が取り出されると特殊な方法で廃棄されることになっている。
「この世界に同じ細胞を持つ子かあ。会ってみたい」
 天真爛漫、天然な加藤さんだけど看護師らしく手早く点滴を取り替えて整えていた。なんだかんだ言ってプロなんだなあ、なんて当たり前のことを思ってそんな加藤さんを見ていると
「ねー、ほんと。あたしもクローン作ってるから、会ってみたいかも。でも本人とクローンが合うことは犯罪になっちゃうからだめなんですってよ」
 どこかさみしそうに加藤さんがわたしに笑ってみせた。
「ふうん、なんで?」
 加藤さんは、よし点滴ばっちり、と腰に手を当てて
「人権だとか倫理の問題がって言われてるけど。それより、細胞が呼び合って恋愛関係になりやすいことが研究でわかったっていうのが大きいとかなんとか。ほんとなのかしらね」
 と説明してくれた。
 
 わたしは、喉から胸に鉛がつまったように声が出ない。
 なにが、佐藤くんならいいや、だ。全然よくない。
 言うべく言葉が金魚すくいの金魚のように、掬おうと近づくとするりするりとすり抜けていく。喉、胸の苦しさで、そうしたくないのに目から涙がこぼれて佐藤くんの掛け布団に透明な染みをつくっていく。

「ごめん」 
 
 なんの「ごめん」なの?
 じわじわと傷口から出血するように目から涙が溢れてくる。
 佐藤くんの口元は、わたしの涙でぼやけながらも震えているのが確認できる。
 わたし達二人のことを、佐藤くんの病室の窓からやけに白い月だけがみていた。

月がこちらをみている

確か、映画の「わたしを離さないで」を見た後に、なんかこういうの自分でも書きたいYO!と思って書いたやつだったと思います。

月がこちらをみている

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-21

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