ヨダカ 第四話 オツベルとハク②
登場人物
●ヨダカ…主人公。薬屋。スラを持たない。髪の毛と眼は黒色。服も黒いものしかない。蛙(カジカ)を「カジ」と呼び、たまにぞんざいに扱う。
●カジカ…蛙。元々は人の形だった。魔女ポウセの甥。
●オツベル…農場を経営する大地主(金持ち)。本当の姿は初老の女性。ヨダカの前では、麦の一族のスラを使い、若い娘に変身する。
●牛飼い…オツベルのことを「バーさん」と呼ぶ。声はダミ声で、蒸しすぎた饅頭のような顔をしている。
●白の一族の少年…(牛飼いが物語るには)最近、オツベルに媚ついている少年。白い髪、白い肌が特徴。
前回のあらすじ
誰もが別の人、そのものになれる力、スラ。
ヨダカ(主人公)はオツベル(金持ち・クライアント)に白の一族のスラを大量に頼まれる。しかしヨダカは白の一族のスラが希少であるため大量の購入は無理であることを説明。結局、出来るだけという条件でヨダカは白の一族のスラを探すことにするが…
第四話 オツベルとハク②~オツベルと少年~
その日は月が雲に隠れ、街が暗くとても静かになっていた。あれほど騒がしかった雑踏も、街に餌を求め歩いてきた野良犬の鳴き声さえも今は全く聞こえなかった。その街の中に光が漏れている一軒の家があった。
「待っていたわ」
オツベルはその男に語りかけた。
「いやぁ。大変でしたよ」
その背の低い男はケタケタと笑いながら、黒色の麻袋でできたバッグをテーブルの横にさっさと置くと、オツベルよりも先に座った。先程つけた電灯のオレンジの光がだんだんと強くなり、部屋全体と男の不気味な笑みを浮かび上がらせていた。
「オツベル様。約束の品です」
男は笑いながら、カツッカツッと、石のテーブルの上に6本、小瓶を並べた。
「まぁ。こんなに!」
オツベルは驚く素振りを見せながら男の姿を見た。それは、オツベルにとってその癖は悪ものだと自分自身理解していた。オツベルは必ず、自分よりも劣りそうな相手がいればその人物に対し、自分にない欠点を探そうとした。それは自分の姿に自信が無いことだと頭の中では分かっていた。実際、この目の前にいる男に対してもそうであった。
その男の脚はまるで象の脚のように太かった。しかも、そのお腹もその脚に見合っており、その肉のせいで、黒いジャケットの下に着ていたシャツのボタンが今にも押されて外れそうだった。太く黒々しい眉毛と髪はキレイに整えられていたが、顔は浅黒く、オツベルは彼に不快な感情を抱いた。
「だけど…白の一族のスラって、それほど取れないと他のスラ売りが言ってたわ…なぜこんなに…」
オツベルはその不愉快な表情を悟られないように、男に質問した。
「いいえ。私(わたくし)はムネネ市に住んでいるので、直接、白の一族のスラを手に入れて入れているのです。多分、そのスラ売りは別のスラ売りから買っているのでしょう。普通はそうなのですが…それだと、購入するライバルは増えるし、手間が増える。私はそれを省きオツベル様に多くの白の一族のスラを安く提供できるようにしているのです」
その背の低い男はべらべら喋ると、そのあとに、またニヤっと口を曲げた。
「あら。そうなの…」
オツベルは男の答えに興味はあまりなかった。オツベルは男から視線を外し、オレンジ色に光る電灯を見た。いつの間にか自らの痩せた手が、シワで垂れた口元をつまんでいた。オツベルはヨダカが言われたとおり、スラの使用を控えた。当然、体は本来の姿に戻り、肌は白く変化して、そしてその口元や手のハリがなくなってしまった。オツベルは男に気づかれないように、オツベルは手を口から離し、その手を開いたり閉じたりした。少し、鈍さを感じた。
「どうかなされましたかな?」
男がオツベルの方を向き、訊いた。
「いいえ。何でもないわ」
彼女は慌てて何事もないように痩せた手で濃い緑色の髪と白髪が混じった髪の毛を耳にかけた。
「いくらかしら?」
「一本当り4時間、150テールが6本なので合計900テールです」
「あら。意外と安いわね…」
オツベルは独り言を言うように呟いた。オツベルは革でできた財布から9枚、お札を出した。
「ちょうど…。ありがとうございます」
男はまたケタケタ笑いながら、金を受け取り、少し色褪せた浅葱色の巾着袋の中へとしまった。
そのときだった。
「オツベルさん。こんばんは」
若い少年の声が扉の向こう側から聞こえた。
そして扉が開くとそこに15、16歳ぐらいの少年が立っていた。その肌は白く、まるで牛乳をこぼしたかのように真っ白だった。
「こんばんは」
オツベルは少年に挨拶した。すると、少年はまた首を軽く曲げた。その白くまっすぐな髪の毛が肩から滑り落ちた。
「おっと。長居しすぎましたかな」
男は振り返り少年の姿を見ながら、またニヤっと口を曲げた。それと同時に呟いた。
「白の一族ですか…」
男は椅子から滑り降りるかのように降りた。そして、彼の前に立って彼の顔を覗き込んだ。
「お美しい…」
少年はその赤い眼を細めた。
「おっと失礼。わたくし、ダイゾウと申し上げます」
男は黒いジャケットの内側を探り始め、一枚の紙切れを出した。
「もし。お金に困っていらしましたら…」
男の表情は電灯の影で不気味に浮き上がった。
「ケホン」
すると後ろから掠れたような高い音の咳が聞こえた。男は慌ててその紙切れを仕舞い込んだ。
「おっと。オツベル様の大切なお客様を…」
男はまたニヤっと笑って、オツベルほうを振り返った。
「では。わたくしはこれで…」
男は小走りで自分が座っていた席に戻り、近くに置いていた黒い麻のカバンを持ったと思うと、何か慌てた風にオツベルに深々とお辞儀をし、少年が入ってきたところと同じ扉から出て行った。
「こんばんは。ハク」
少年はその声に気がついたかのように、オツベルの方に振り返った。真っ直ぐな白銀の髪がまた肩を滑るように撫でた。
「こんばんは。オツベルさん。ごめんなさい。また来てし
まいました。来客中だったのに、お邪魔でしたでしょうか?」
笑顔を見せた少年はその頬にかかったその白い髪を耳の後ろにかけた。少年の髪は上の部分だけ結ばれていた。
「え?あぁ。…いいえ。そんな事ないわ。ただの昔からの知り合いなの。たまに…たまに来てもらっているのよ」
オツベルは急いで作り笑いをした。そして、慌ててテーブルの上にある小瓶を前回ヨダカが持ってきた紙の箱へ入れた。
「お茶…今入れるわね」
オツベルは何事もなかったように、急いでカウンターの後ろへと回った。そこに水を溜めた桶と昼間に薬売りの青年に出したカップとポットがそのまま置いてあった。
「ごめんなさい。お湯を沸かすのを忘れていたわ…」
「あ。いえ。お構い無く。あ…そうだ。これ…ありがとうございました」
少年は何かを思い出したかの様に、白いシャツの胸ポケットから何か円い形をしたものを取り出した。表面の硝子がオレンジ色に反射した。オツベルはそれに目を細め、彼に近づいた。
「時計…?いいのよ。こんなもの。貴方が持っていて」
オツベルはハクの手に重ねる様にその懐中時計を返した。
「だけど…」
オツベルは少年の顔を見た。オレンジ色に染まった白い肌の少年は目線をそらすかの様に下を向いていた。
「時計がないと困るでしょ?」
ハクの手の上に重ねたオツベルは少年の手を強く握り直した。指輪嵌めた琥珀の指輪がキラッと光ると同時に、手に浮かんだ血管が、手を翳らせた。
「いえ…この前…靴ももらったのに…」
「いいのよ。結構、時計は大切よ。持っていた方がいいわ」
「…ありがとうございます……」
ハクは少し申し訳なさそうにその懐中時計を受けとり、また先程と同じように胸ポケットへと仕舞った。
「ほんと、申し訳ないです。家族でもないのにこんなに色々世話になってしまって…」
「いいのよ。そんなこと気にしなくて。今なんて、家族がいないのと一緒よ。誰も私を看取ってくれる人なんて誰もいないわ。今なんて一人ものよ」
オツベルは飾っている肖像画を見た。肖像画は昼間とは違い背景の色と人物の境目がはっきりしなかった。
「お家族は…?」
「夫は流行り病で息子を産んだ後に…そしてその息子はラユーの方に行ってしまって」
「そうなんですか…」
オツベルはうつむき、親指の腹で目元を拭った。
「ごめんなさい…変なこと訊いてしまって…」
「そんなことないわ。立っているのも辛いでしょ?さあ、座って」
オツベルはすぐに笑ながらハクの方を向いた。しかし、少年は座ることはなく、じっとカウンターにある電灯の光を見つめていた。オツベルはドキッとした。少年の姿はいつもと違うものに思えたからだ。光の陰に浮かぶその姿は北部に降る雪のように白く神秘的で、どこか遠い存在のように感じられた。
「僕もオツベルさんと同じですね…。僕も今はもう一人ぼっちです」
少年は笑いながらそう言った。オツベルはまばたきをした。そこにいたのは一人の少年だった。少年は深呼吸をすると静かに目を閉じた。口元は笑っていたが、指先は僅かながら震えていた。
「え…?ご両親は…」
「ある女性に殺されたんです…妹も…」
少年の薄い唇が見えた。
「まあ…」
「12歳の時でした…その女性をもう4年間探しているのですが…手掛かりがなくて…」
「それでここに」
「はい。だけど…全く情報が無くて…」
オツベルは少年の目を見た。少年の赤い目は電灯のオレンジ色で紅玉(ルビー)、いや。石榴石(パイロープ✳1)の様に透明で深紅に染まっていた。まるで目は中にに赤い炎を隠しているかの様に輝いていた。
「そうなのね…ごめんなさい。私こそ変なこと言わせてしまったわ…」
「いいえ」
少年はうつ向きながら、首を小さく横に振った。その白い細い髪が下の部分だけまた絹の糸の様にさらさらと動いた。
「でも…今はオツベルさんが家族のように接してくれてとても嬉しくて…寂しくありません」
「ハク…」
オツベルはハクに手を伸ばそうとした。しかし、途中で胸を掴み、窓を見た。何かが見えた気がしたからだ。そこには、部屋の光りが反射し、鏡のようになっていた。
「どうしたんですか?」
「いいえ。何でもないわ…」
オツベルはハクから視線を外しながら言った。手を伸ばせば簡単に触れることができる距離に少年がいたが、オツベルはそれが出来なかった。
「あ…そう言えば、今日はどうだった?仕事、何か見つかった?」
オツベルは笑いながら話題を変えた。
「いいえ…。みんな、僕の姿を見た瞬間、扉を閉めてしまって…」
少年は苦笑いを浮かべながら言った。
「本当に良いの?いいのよ。1人くらいなら、すぐに…」
「いいえ…。ただでさえ、オツベルさんにこれ以上、お世話になる訳にいけませんから。仕事くらいは自分で。それに僕だけ特別扱いされちゃうと、他の従業員にご迷惑をかけてしまいますし。それにここにいるのは一時的になるかもしれないし…」
「ハク…」
「あ…そうだ!オツベルさんに聞いてもらいたいことがあるんです!」
「え?」
少年は笑顔で真っ直ぐオツベルを見ていた。その目の中には先程の炎はなく、いつものようにきらきらと輝いていた。
「昨日、いいことあって!」
「いいこと?」
「見掛けたんです。駅で。白の一族の女性を!」
「え…」
オツベルは目を大きく開いた。
「白い肌に白い髪…白の一族に間違いないと思うのです。だけど…彼女、すぐに消えてしまって、話すことができなかったのです…」
オツベルは口を閉じた。
「噂とか何か訊きませんか?」
「さあ…」
オツベルは小首を傾げたあとに唇を押さえた。
「あぁ。彼女のことかしら…?」
「え?」
「ええ…彼女のことなら知っているわ…」
オツベルはハクから目線を剃らせながら言った。
「それは本当ですか!?」
少年はオツベルの手を握った。その赤い目が電灯の影で濃くなっていた。
「…彼女に取り合ってみるわ…。多分彼女、十一日の月の晩にしか空いていないはずだから…じゃあ、その時に…」
「ありがとうございます!じゃあ、駅の広場でって彼女に伝えて貰っていいでしょうか?そうだ…オツベルさん、また明日空いていますか?」
ハクはさっきの表情とは違い、子供のように笑った。
「あぁ。ごめんなさい…明日から出張なのよ…ちょっと、ここを空けないといけないの…」
「え?そうなんですか…じゃあ、彼女に会った次の日にまた会いましょう」
「えぇ。そうね…彼女に伝えておくわ…」
少年は笑いながら再び同じ扉から出ていった。
オツベルは少年の後ろ姿を見ながら爪を噛んだ。
「どうしましょう…」
✳✳✳
駅の周りは電灯が消され、青白い光と共に賑わいを見せていた屋台の姿はもうすでになくなっていた。辺りは音もなくすっかり静かになっていた。駅舎の白い屋根は月の光に何度か照らされながら光っていた。
肌の白い少年は、月の光を頼りながら、歩いていた。少年は、胸ポケットから金で装飾された時計を出した。
「何て言うことだ…」
少年は苛立ちながら、目を細めた。懐中時計はキラキラと光り、示された時間がはっきりとしなかった。少年は立ち止まり、時計の後ろ側に耳を当てた。
「やはりダメか…」
少年は再び、時計を胸ポケットへと仕舞った。
そして、普段駅の広場として馬車や人々が集う石畳を見た。そこに自分と同じ白髪の一人の女性が立っていた。
「あの…すみません。遅れてしまって…」
ハクはその女性に声を掛けた。女性は赤い肩掛けを羽織っていた。
「貴方が…ハクね…」
そのウグイスの様にきれいな声をした女性は振り返ると同時に、少年を抱き締めた。
「あの…」
「ハク…会いたかった。ずっとこうしていたい…夢が覚めないのなら…」
女性の大きな胸がハクの体に当たる。
「ちょっと…」
少年は彼女の小さな肩を掴んだ。すると少年は彼女の顔を見るなり、表情を強張らせた。
「あなた…一体…誰だ…」
「え…?」
彼女はハクの眼を見た。月明かりに照らされたその目はとても鋭く、まるで竜の様に赤い眼をしていた。彼女は思わず少年の手を離した。
「ああ。ごめんなさい…いきなり抱きついたりして…」
彼女は胸に手を置きながら、言った。
「その痣…。なぜ…あなたがここにいるんだ…」
少年の声色は明らかに先程の声と違うものになっていた。
「痣?何を…」
彼女は慌てて、その白い手で髪を耳に掛けようとした。が、彼女はその手を見て、目を見開いた。月明かりに照らされた白い肌はまるでメッキが剥がれた金属のように、土留色の斑点が浮かび上がっていた。
「何よ…これ…」
彼女が慌てて右手を左手で覆い隠した、そのときだった。彼女の身体は後ろの駅舎の壁へと突き飛ばされた。
「何故…」
少年の口がゆっくりと開く。
「何故…あなたがここにいる?!何故、僕の父と母を、そして妹を何故殺した‼」
「何言っているの。違う…」
彼女は首を横に振りながら、後ろに下がった。月の白い光に照らされた白い皮膚はその間にも斑に浅黒い色に染まっていった。少年は俯きながら、壁に左側の手を突いた。
「何故だ…」
そして少年は右手で、腰に挿した刀をゆっくりと抜いた。
「違う…私は…。ごめんなさい…実は私…」
「絶対。貴方だけは許さない…」
琥珀の指輪は月明かりに照らされた。
~首都ラユー~
首都ラユーはナスタ(森)の北側、虹の橋から見て北東に位置していた。その街並みはモネラやサンムトリのモルタルの白い建物の街並みや旧都市の石作り街とはまた違い、木を使った建築が中心で、ナスタや魔女の家があるなめとこ山の木々を使用されていた。特にラユーの駅舎は街のどの木造建築よりも大きく、大きな地震が来たときにも倒れずに建っていたという話があり、ラユーの市民にとってそれが誇りであり自慢でもあった。ヨダカも自分たちが住む魔女の家の南側で、最も近い駅なので、旅に行く際には主にこの首都ラユーの駅を利用していた。駅を中心とした街は以前から賑わっていたが、5年ほど前から地方の人々やなめとこの魔法使い、そして2、3年前からムネネ市の職人などが来てからは人口が増えはじめ、商業を中心に街は栄えていた。そのラユーの中心から南側、街の外れの方へと行くと黄色な崖の端に青い瓦を三つ並べて建っている家があった。その家は屋根ごとに白や朱の旗を靡かせていた。そこは街とは違いとても静かなところで、あまり立地がよいところと言えない場所であったが、坂のふもとで見ていると、漆にかぶれたお坊さんや足を怪我した馬、萎れかかった牡丹を持った人などが、何人もその青い瓦を目指して登っていた。そこが何の場所かとラユーの市民に聞くと、誰もが知っているかのように「あぁ。医者のリン姉弟✳2の所だね」と答えた。
「はい。次の方~」
扉の前に一人、暗い目をした青年が立っていた。その口元は服で隠れていたが、眉間は寄せており、機嫌が悪いことが分かった。
「誰かと思えばカラスか…」
「ヨダカだ」
黒髪のヨダカは苛立った声を出しながら、沙漠の砂ような金色の眼と髪をした女に話かけた。
「大丈夫だ。お前は、頭以外は健康だ。はい次の方~」
女はその厚い唇にコーヒーカップを付け、足を組んだ。
「おい。ヤブ医者。休憩時間だろ…。こいつの水掻きが切れた。リンパーお前か?それともリンプーか?」
青年は足下にいた蛙を手で覆うように持ち、目の前のリンパーに突き出した。
「オメェは目も悪いのかよ。蛙はリンプーだ。弟は大型専門だが、実験になるから喜ぶだろう…」
コーヒーのカップをテーブルの上に置いたリンパーは口角を上げた。
✳✳✳
「ぎゃぁあぁああああああ!!!」
その声は隣の部屋から響き渡った。
「なんだ。元気そうじゃないか。水掻き以外怪我がないのか?」
リンパーは椅子に座ったヨダカに話しかけた。
「ああ」
「……やはり。私の方にすればよかったか…?」
白衣の女性は何か考えているかのようにその厚い唇を摘まみながら言った。
「リン姉弟は腕はたつが、本当にポー以外まともなやつがいないな…」
ヨダカはリンパーを金色に輝く髪を見ながら言った。リンパーは『沙漠の一族』と言われる一族だった。眼とその髪の色は沙漠の砂様に金色に染まっていた。元々南の沙漠地帯や旧都市に多く存在した一族であったが、旧都市が衰退すると共にその数は減少していった。そして首都ラユーの中でもその数は少なく、極めて少数派の一族であった。その『沙漠の一族』のリンパーはリン姉弟の中で一番年上であった。専門は「人」で、一番下の樹木医リンポーと二番目の獣医のリンプーの年齢を考えるとヨダカと十歳以上確実に離れているため、その年は30歳半ばと考えられるが、見た目はヨダカやポウセぐらいにしか見えた。
「どうしたんだアイツ?足を怪我するなんて、跳んでいて変なやつでも踏んだか?」
金色の眼がヨダカを見ていた。
「…蛙なのに地面を無理やり歩いたんだ…」
青年はそう言うとその前髪を後ろに掻き上げながら、背もたれに寄りかかった。それと同時に青年はモネラの駅の大通を砂ぼこりにまみれながら歩いていた小さな蛙の姿を思い出した。その時には気が付かなかったが、オツベルの家に行った後、蛙の体の所々に砂がついていた。蛙の足の怪我はその体を駅近くの川で洗ったときに気が付いたものであった。
「は?あの足じゃあ、歩きづらいだろ?」
リンパーは眉間にシワを寄せながら言った。
「一体、何を考えているんだか…」
青年はリンパーに同調するかのようにそのままの体勢で深くため息を吐いた。
「まあ。人間だと10歳ぐらいか…。お前バカだから、変なこと言ったんじゃないのか?それで癪に触ったから、無理やり歩いたんじゃないか?」
「は?言うわけないだろ?」
青年は前のめりに姿勢を戻した。
「まあ。もともとアイツは人の形だから、仕方ないか…。そうだ。今日はポーはいないぞ。日輪(トゲ)の方へ行っている」
「今日はポーには用はない。…。そんなことより…はい」
青年は足元に置いていた薬箱から納品書と書かれた紙を出した。
「お。ありがとうな。8本で安定しているようだな…このままであれば、このまま1本減らしても大丈夫そうだな…」
女性は笑いながらコーヒーを口につけた。だが、青年の表情は硬いままだった。
「…話や様子をを見ている限り、禁断症状も出ていなそうだ。ただ次の発注が…」
青年はそう言うと同じ薬箱から発注書と書かれた紙を出した。それを見た女性は目を見開いた。
「なんだこれ!?」
「そこに書いてあるスラ自体、稀少なんで断りはしたんだが…次はどうすればいい?もしかしたら、彼女、このままだと他から買うかもしれないし、もしかしたら、もう買っているかもしれないぞ…」
「んー。また面倒なことになったなぁ…」
リンパーはその厚い下唇を摘まみながら唸った。
「あと、これは、噂なんだが…」
青年はゆっくりと立ち上がり、リンパーに耳打ちした。
「はあ!?ちょっと待て!マジか!?」
その時だった。
「ただいま…」
一匹の蛙が半開きの扉を押しながら入って来た。
「お帰り。どうした?さっきより顔色悪いぞ」
女性は何事もなかったように笑いながら言った。
「あの…先生…ヤバい…ヤバい…ヤバい…はは…」
蛙はぎこちない笑顔を見せた。
「壊れているな…プーは私の中でも天才且つ、奇人だからな。で。この件についてはそっちに行くまでには回答する…。取り敢えず、そのスラと今までのを組み合わせてくれないか」
「ああ」
青年は薬箱の蓋を閉めた。
ヨダカ 第四話 オツベルとハク②
※解説は第五話で書きます。