バロック
ひずみ
何事もそつなくこなし、友達もそこそこいる。小中高と真面目な朴念仁で通ってきた彼には1つ、誰にも明かせない秘密があった。彼が地元を離れ一人、海洋学を専攻しているのはその秘密と関係がある。
月7万円と、学生にしては少々高めの家賃だが彼は己の住まいが気に入っていた。アルバイトをしてコツコツ貯めたお金で木目の温かみのある家具を揃え、シンプルな食器をきっちりと戸棚に並べている。そんな平凡な彼にお似合いな平凡な室内に1つ異彩を放つ家具、いやオブジェに近い、少し歪んだ球体の、一抱えにはできなさそうな、装飾華美な水槽がどっしりと居を構えているのだ。水槽にしては大きいが水槽以外には見えない。というのも、青白い光の中に浮かぶは熱帯魚では無い。赤いシンプルなヒレの金魚が泳いでいるのだ。しかし普通じゃない。真っ赤な薄いおヒレのその先に、透き通るような肌の、人間の上半身が繋がっている。魚のようなエラだろうか、腹には切れ込みが入っており、にわかには信じがたいが、アンデルセンの童話に出てくる様な人魚だ。水槽の中の住人はゆらりと赤い髪をなびかせながら小首を傾げて彼に問いかけた。
「ねえ、いつになったら僕はここから出られるの」
問いかけは泡になって消えていく。君だけに見ていて欲しいと願ってしまった僕を、いつまでこんなに立派な水槽に大事に、大仰に、深刻に、重たく、手厚く、歪に閉じ込めておくつもりなの。再びゆらりと一つ瞬き、薄く濁った瞳を閉じた。
何も生まれず怠惰で澱みきった関係。君はもう僕だけのもの。呟かれた言葉は届いただろうか。
バロック
デコラティブって使いたかっただけの即興小説。