天使の夜

あじあ

「先輩、肩に何か乗ってる」
先輩の肩に手を伸ばす。それは小さな白い羽根だった。
「なんだった?」
先輩は楽譜から目を離してこちらへと顔を向ける。私は咄嗟にそれを指でつまんだまま体の後ろへ隠し、ただのほこり、とごまかした。
先輩は私の言葉を聞いて納得したのか、再び楽譜へと向き直った。
音楽室の窓から入り込んでくる秋の乾いた風が先輩の茶色がかった髪の毛を揺らす。私は椅子に座り直して先輩の横顔を眺めていた。

家に帰った私はベッドに身を投げ出した。
先輩の肩に乗っていた小さな羽根を胸ポケットから取り出して部屋の明かりにかざしてみる。それは一切の汚れのない、真っ白な羽根だった。
しっかりと持っていないとどこかへ飛んで行ってしまいそうなその小さな羽根は、明かりにかざすときらきらと輝いているようにも見える。
その羽根は、私にとってとても大事なものに思えた。先輩の羽根だ。先輩の秘密を見つけてしまったと思うと私の心臓は少し速くなる。
私だけが知っている先輩の秘密。強く握ればすぐにでも消えてしまいそうに思う。
目を閉じて先輩の横顔をぼんやりと思いだそうとするうちに私は眠りに落ちた。

朝、いつものように教室の重い扉を開ける。
教室の窓際に友人の姿を見つけて、駆け足で近付く。彼に早く本当のことを教えてあげたかった。
名前を呼んで声をかけると彼はこちらに気づいたようで顔を上げて携帯を机の上に置いた。どうかしたの、と首を傾げる彼の目は私の顔のどこを見ているんだろう。小さい疑問が頭の隅で浮かんで消える。私は彼と目が合ったことが無いことに気が付いていた。きっと彼は自分が私と目を合わせていないことを私が知らないと思っている。
けれど今の私は、その小さな疑問の答えを彼に求める気にもなれず、。
「やっぱり先輩は天使だったよ」
私は彼の目を見ながらそう言った。彼は別段驚いている様子もなかった。
「そっか、なんで?」
「それは秘密だけど、」
小さな白い羽根のことを話すつもりのなかった私は全然驚かないんだね、と続けた。彼が「俺も天使だと思うから」と言うのと教室のドアが開く音が重なった。
私は彼の彼らしい言葉に少し笑って自分の席へと戻った。

「先輩」
帰途を辿る先輩に声を掛ける。先輩はふわふわの髪の毛を揺らして振り返った。
「今帰りなの」
と首を傾げる先輩に私は頷くと自転車を押して先輩の隣に立った。
私よりも小さい先輩は、半ば見上げるようにして私の顔を見つめる。
先輩の動作のそのどれもが、先輩が一人の天使であるという事を証明していた。
私が頷くと先輩は納得したのか、歩き始めた。私は歩幅を合わせるようにして自転車を押しながら先輩の左隣をゆっくり歩く。
短い会話を交わしながら、二人で並んで歩く。先輩は私の話に相槌を打ったり、小さく笑ったりする。時間はゆっくりと過ぎていく。
黄金色の夕日がすっかり秋色になった街に差し込んでいた。夕日に照らされる先輩の横顔があまりにきれいで、私はなんだか泣きそうだった。
「先輩の羽根が見たい」
自然と口から言葉が出ていた。言うつもりはなかった、むしろ言ってはいけないことだと思っていた。
私の言葉を聞いた先輩は何も答えず、
「じゃあ私、こっちだから」
いつの間にか分かれ道に着いていた。じゃあね、と手を振って先輩は坂を登って帰っていく。
先輩が黄金色に輝く夕日に溶けていくようだった。黄金色に照らされる先輩の後ろ姿に白く輝く翼が見えた気がした。
一瞬だけ、追いかけようかと思った。
追いかけて、先輩の腕を引いて、まだもう少しだけ人間でいてくれ、と懇願しよう。もう少しだけでいいから、と言おう。きっと先輩はまた曖昧に笑うだろう。それでもいい。それでもいいから。もう少しだけ、私の大好きな先輩でいてくれ、と頼まなれば。
私は先輩の腕の代わりに自転車のハンドルを強く握り締め、サドルに跨った。
自転車を漕ぎ出そうとペダルに足を掛けて、一瞬だけ先輩の帰った道を振り返る。そこにはもう既に先輩の姿はなかった。ただ夕日に照らされるコンクリートの道路が見えるだけだった。

自転車に乗り、秋の乾いた風と黄金色の夕日を浴びながらまた坂を登る。
先輩は永遠に、私だけの秘密となった。
長尾くんも知らない、私だけの秘密の先輩。私の大好きだった先輩。
夕日に照らされる街に乾いた風が私の前髪をさらっていった。一軒家がなくなり、街の様子が一望できるほど高くまで登ったところで、自転車を漕ぐ足を止めた。
その場所からはだんだんと沈む夕日が夜を生み出していくのが見えた。その様はまるで、街全体が夜に溶けていくようだった。
先輩のいない寂しい街が夜に溶けるのをずっと眺めていた。

天使の夜

構成を考えてません

天使の夜

先輩は夕日に溶けていった

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-17

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