治安維持課

滝川 零

プロローグ
 当時私はまだ三歳だった。
 だが、もっとも印象的なことが起こった年なので鮮明に覚えている。
 世界はおよそ半世紀の間、『管理の神』通称“MOG”という人間のあらゆるものを管理してくれる、システムに任せっきりの時代を生きていた。
 しかし、その中にも不満を持つ者がおり、それは個人ではなく、集団であった。システムの崩壊を目的としたその組織は、本当に世界を混乱に導いてしまった。
 あの“三ヶ月の混乱”からおよそ二四年。
 管理の神がいなくなった世界に生きる人々は、自分の考えで生きるという、システムが導入される前の時代に戻った生活を送っていた。

1、治安維持

 二一四七年、一二月。
 真冬の寒空の下、一台の車に乗る黒いスーツ姿の男女。
 そんな二人のもとに無線が入る。
『二二区で強盗発生。現場付近の治警(ちけい)は直ちに現場に急行せよ』
 無線からの機械音声に現場に向かうと、男性が返した。
 女性はしぶしぶシートベルトを締める。
車内のボタンを押すと、外装ホログラムが解除され,警察車両へと早変わりし、赤灯が光り始める。

 秋月(あきつき)(あきつき)リゼ。
 『警視庁治安維持課一係』に所属している女性捜査官。真っ黒なショートボブに切れ長の目つきをした彼女のパートナーが車を運転する男性、弓月(ゆづき)(ゆづき)アレン。彼女とは同期で入庁してから、ずっと組んでいる相棒だ。
 彼女と恋愛関係を噂されたが、既に別の女性と婚約している。

 『警視庁治安維持課』、大きく三つの係に別れている。略称は『治警』。
 設置目的は広域の治安維持。特殊な犯罪捜査に当たる。
 過去の警察組織では特殊捜査班にあたるもので、誘拐、殺人事件などを担当している。
 かつて、『MOGシステム』というものに管理されていた世界は犯罪など起こることはほぼなかった。
 あの革命の五年で世界はまるで一周してしまったかのように、システムの出来る前の世界に逆戻りだ。
 だから、彼女達のような、特殊な犯罪にあたる存在を政府は新たに、正確には名前を変えただけの元の警察組織を作ったのだ。

「お疲れ様です」
 三階建てのとある会社のビルに着き、近くの交番の警察官に敬礼される。
 “KEEP OUT”と表示される、テープ型のホログラムの周囲には人だかりが出来ている。立てこもり事件を珍しく思う野次馬だ。
「何が楽しくて見たがるのかしら」
「放っておけ。俺達は事件解決に勤しむとしよう」
 車のトランクを開けると、大きくて黒い、鋼鉄製のケースが収納されている。
「解錠(オープン)」
 私がそう言うと、ケースが開く。
 中には特殊な形状の銃と、特殊警棒の『スタンバトン』が二つずつ入っている。
「認証、治安維持課一係、秋月リゼ」
 彼女が銃を手に取り、そう呟く。
 ユーザー認証がなされ、いつでも撃てるようになった。
 対犯罪者鎮圧用特殊銃『ハンター』、社会の秩序を保つため、罪人を裁くための私達に与えられた武器。
 オンラインの状態で、警視庁本部にあるメインサーバーから事件の情報が送られ、それに応じて発射できる弾の種類が決定する。
 立てこもり事件を起こす犯人なら、即刻その場で射殺対象、『炸裂弾』が発射される。
「今日も血を見ることになりそうね」
 私は一言だけ言うと、送られてきた立てこもり犯の情報に目を通す。
 兵藤ゲン、性別男、年齢四八。予想動悸、会社をリストラされた精神的ショックからの報復行為。
「ありきたりだな」
「どんな理由にしろ、私達の仕事を増やさないでほしいわ」
 行こう、と言うアレンに続いて私も扉を開けて中に入る。
 一階には受付カウンター、その横にエレベーターがあるだけだ。
「エレベーターは避けた方がいいな」
 扉が開いた瞬間、犯人に出くわす可能性を考え、私達は非常階段から慎重に進むことにした。
「まるで昔の刑事だな」
 非常階段を上る最中、アレンが思い付いたように言う。
「世界がそうなったのよ。全てが管理されていた時代は、私達が小さい頃に終わってしまったから」
 彼はそうだったな、と言うと銃を握る手に力が入る。
 三階に出る扉を開け、廊下を歩く。
 現場である部屋の扉の前まで来た私は、手首の端末に、部屋の可視化が出来るよう要求する。
私の視界には内部の様子が見えるようになった。
 支給されている端末とリンクしたコンタクトのおかげだ。
 人質達は、みなロープで手足を縛られており、円になるよう座らされている。その中心に立つのが犯人だ。
兵藤は片手に包丁、反対の手で女性社員を掴んで引き寄せていた。
「このまま突入なんてしたら、犯人の気が動転して女性が危なくなるな」
「なら、囮になってくれる」
「何」
 自分の案を彼に耳打ちする。
 少し考え込んだようだが、了承して銃を置いた。

「お前ら、ちょっとでも動いてみろ。この女をすぐに殺すからな」
「兵藤、馬鹿なマネは止めろ」
 気が立って叫ぶ兵藤に怒鳴るのは、彼をクビにした上司だった。
「元はと言えば、お前が悪いんだ。今まで必死に生きてきた俺にこんな仕打ちを」
 今にも切り掛かる勢いの兵藤が、部屋の扉が開くのに気付く。
「誰だ」
 血走った目で扉を見ると、一人の男が両手を上げて入ってくる。何も持っていないアレンだ。
「俺は警察の者だ。だが、安心しろ、装備は何も身に着けていない」
「そんなことが信用できるか。後ろを向け」
 顔は半分兵藤に向けておき、言われるがままに後ろを向くと、兵藤が何も持っていないのを確認しようと、女性を少し離れて立たせる。
 その瞬間、アレンは振り返ると同時に懐にあったスタンバトンを投げる。
 慌てた兵藤は女性を突き飛ばし、その間を投げたそれが通り抜ける。
 そして、アレンの後ろからリゼがハンターの引き金を引く。
 青い光を帯びた炸裂弾が、彼の体に命中した。
 次の瞬間、兵藤の体は爆発し、臓物の混ざった血が周囲の人間にかかる。
 一瞬の静寂が場の空気を支配した。
 遅れてアレンが、
「何とか終わったが、これは全員セラピー送りだな」
 疲れた声で呟く。

 私達は治安を維持する者。
 そのために、毎日凶悪な犯罪者に立ち向かう。
 『管理の神』はいなくなった。
 しかし、犯罪減少のためにまた新たなシステムが作られた。
 それが、『テミスシステム』。
 法・掟の女神の名。
 私達、治警はそれが下す判決に従い、生まれ変わったこの世界を守る使命を請け負ったのだ。


 
 立てこもり事件の犯人を裁いた私達は、駆けつけた『警視庁医療課』に人質達の心理セラピーと事後処理を任せ、その様子を表のパトカーに寄りかかりながら見ていた。
 警察内部にも医療関係者の組織が備わっている。治警などが動く場合に医者が必要な時、この『医療課』が真っ先に出動する。
 遺体の処理、現場の整理などは医療課の仕事だ。
「無事に解決は出来たが、やっぱりこの手の事件で人質が完全に無傷ってわけにはいかないな」
「犯人に拘束された時点で無駄よ。私達の仕事は表向き、外傷がないように努力すること。心の傷まで気は配れないわね」
 それもそうかと、アレンが寂しげに地面を見つめる。
 そんな彼をよそに私はスーツの内ポケットから取り出した煙草を咥えて火を点けた。
「また、吸ってるのか」
「仕事終わりの一本がたまらなくてね」
 私が子どもの頃は、外で煙草を吸うことなど許されなかった。
 というより、煙草なんてもの自体無かった。
 世界が変わると同時にこの世にいらないとされて、消えていたものは幾つか生き返った。これもその一つだ。
 私は犯罪の発生率が多い時代に世界を逆戻りさせた人物は嫌いだが、煙草を復活させてくれたことだけはありがたく思っている。
 煙を吐き出すと、現場のビルから一人の女性が出てきた。
 真っ直ぐに私の近くに来た彼女。
「まったく、一〇人以上もセラピー送りなど、どれだけ仕事を増やせば気が済むんだ」
「私達だって、増やしたくてやっている訳じゃないのよ」
「もう少しやり方を考えろ」
 白衣に黒のYシャツ、紺色のパンツスーツのズボンを履いた彼女、香澄(かすみ)(かすみ)アリサ。警視庁専属の心理カウンセラーだ。
 私、アレンと所属は違うが、同期である。
 毎度事件の度に出る被害者のセラピーを彼女と助手の複数人で行っている。
「結構頑張ってんのよ、私達も」
「まあいい。どっちにしても、事件後はセラピーを受けないとダメな人間は出るからな」
 黒く整えてある髪を乱すかのように、頭を力強く掻く彼女の顔は。とても嫌そうなものだった。
 私も専門は違うが気持ちは同じだ。
「とにかく、事後処理は終わった。犯人の遺体は片付けたし、清掃もしたよ」
「了解。じゃあ、俺達も署に戻って報告してこよう」
 アレンが車に乗り込む。続いて私も助手席に乗ろうとした時だ。
「おい」
「何」
 アリサに呼ばれ、顔を上げて煙を宙に吐く。
「煙草は程々にしとけ。肺が腐っちまうぞ」
 私は手持ちの灰皿に吸い殻を捨て、大きなお世話よ、とだけ言い返し、車に乗った。
 
 警視庁治安維持課一係に戻った私とアレンは早速、局長室に赴く。
 扉に立つと、私とアレンの網膜、指紋認証がなされ、扉が解錠される。
 扉を開けると、部屋には私達のボスが来るのを待っていたように椅子に座っていた。
「治安維持課一係・秋月リゼ捜査官、並びに弓月アレン捜査官、ただいま戻りました」
 敬礼した私は一息に言い切る。
「ご苦労だった。二人とも。今回も見事だったよ」
 警視庁刑事局局長、和泉(いずみ)(いずみ)シモン。私達治安維持課の全てを統括するボスだ。
「光栄です」
「まあ、堅苦しいやり取りは終わりにしようじゃないか」
 彼が手を下げるので、私達は敬礼を止め、手を体側につける。
「今回は人質の数も多かったため、セラピー送りになる人間の数が多いのも仕方の無いことだ。我々の目的は善良な市民を守り、犯罪の危険から遠ざけること。しかし、限度がある。その限度が今回の事件にはよく表れている」
 ボスの言うことは正しい。私達が来る前にもう人質は取られていたのだから、人質の心理を守ることなど出来ないのだ。
「これからも頑張ってくれたまえ。君達は明日非番だったはずだ。ゆっくりと休むといい」
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
 私とアレンは局長室から出る。
 緊張が解けて、深呼吸する。
「やっぱり、事後連絡には慣れないな。局長は凄くいい人だけど、あの威厳が」
「とりあえず、事件は終わりよ。一係に戻りましょう」
 一係に割り当てられた部屋に戻ってきた私達を迎えたのは、他の仲間だった。
「お疲れです。お二人とも」
「ご苦労様、よくやったな」
 最初に声をかけてきたのは、私達の後輩である、小梅(こうめ)(こうめ)エリ。二年前に配属されて、まだ新人だ。彼女の情報収集能力は一係にとって大いに貢献している。
 次が一係をまとめる御堂(みどう)(みどう)マリヤ係長。治安維持課の係長で唯一の女性捜査官。部下のことをより考えている、理想的な上司だと私は思う。
「ありがとうございます」
「最近、前にも増して犯罪が多くなっている気がするよ」
 アレンの言葉に小梅も頷く。自分も同じように思うと。
 そんな二人の会話を聞き流し、私は今日の報告書を書き始める。
 途中、小梅に声をかけられた。
「明日私も非番なんですけど、秋月先輩、どこか出かけませんか」
「ごめんなさい、明日は友達に会うの」
 彼女が苦笑して謝罪するので、気にしていないことを伝える。
 彼女には何回か誘われるが、あまりいい返事を返せていない。
 書き上げた報告書を係長に送信し、帰宅する準備を終える。
「じゃあ、お先に失礼します」
「お疲れ」
 アレンに見送られ、私は署の駐車場に停めてある自分の車に乗る。
 キーを回して、エンジンをかける。
 自動運転に切り換え、記録させてある家までのルートを選択する。
 ひとりでに動く車の中で、私は一息つく。今日も疲れた。
 明日の午前中は体を休めないと。
 頭の中で犯人の上半身が吹き飛んだのを思い出す。早く忘れてしまおう。そう思い、車窓からの夜景を眺める。
煌びやかなイルミネーションを思わせるビル群の光が眩しい。

 家は至って普通の住宅街の一軒家だ。中に入り、電気を点ける。
『お帰りなさいませ、リゼ様、本日もお疲れの様ですが、食事の方はどういたしましょうか』
 壁の内部にあるスピーカーからの機械音声に、私は栄養価の高いものと大雑把に頼む。
『かしこまりました』
 すると、キッチンの天井から機械のアームが何本か伸びてきて、器用に食材を切り、フライパンで炒め始めた。
 リビングの天井から伸びてきたアームが、私がスーツの上着を脱ぐのを手伝い、クローゼットへと収納する。
 これは、体の不自由な者や老人、仕事により帰宅時間が遅いなどの、様々な理由で使える『生活支援システム』だ。
 私の場合は精神的に激務なものとされ、警視庁から支給されたものをこの家に組み込んである。
 ソファに座った私は煙草に火を点け、煙を吐き出す。灰が落ちそうになると、灰皿を持ったアームが目の前で止まる。
 手首の端末でニュースを確認する。今日も暗いものばかりだ。
「MOGがあった世界の方がきっと良かったんでしょうね」
 誰に言うでもなく呟くと、食事の用意ができたと知らせが入るので、テーブルに置いてある料理を食べる。
 野菜と肉、魚のバランスがきっちりと取れており、スタミナもつきそうなメニューだ。
 自分で考えて、作る気力などない。
 食事を終えた私は、浴室に入り、シャワーのボタンを押す。
 染み付く血を洗い流すかのように、目を閉じて、全身で感じるように熱い湯を浴びる。
 浴室から出た私は、部屋着に着替えてベッドに自分の身を投げ出す。
『もうお休みになられますか』
「ええ、消灯をお願い」
 部屋の電気が自動で消える。
 しばらくすると、私は眠ってしまっていた。

 大勢の人がいる。隣には男性の姿が、そして、人々の中心には女性の姿があった。幼い頃に見た光景だ。
 みんなが女性に拍手喝采を送っている。
だが、その女性の背後は血で真っ赤に染まった大地だった。
 管理されることのなくなった新たな時代の幕開け。
 それは本当の自由を手に入れた代価として、多数の犠牲を出したということ。
 女性はその赤く染まる大地に向かって歩き出す。
 私は泣きそうになりながらその後ろ姿を追う。

 目を覚ますと、体中汗だくだった。
 大きく深呼吸し、時計を見遣ると、いつも起きる時間と同じだった。
 部屋着を洗濯機に入れ、シャワーを浴びる。
「嫌な夢だ」
 誰に言うでもなく、浴室の壁に手を着いて独り言ちる。
 朝食も生活支援システムに任せた。
 テレビを点け、朝のニュースを見る。
 殺人に関するニュースが二件。昨日私達が解決した事件と別のモノが一件。
「二〇区で起きた殺人事件か」
 私は本庁にあるテミスシステムにその事件の資料を請求する。
 私達が使うこの腕輪型端末は、MOGシステム稼働時から存在していた。それが、テミスシステムとリンクするようになっただけだが、私達警視庁の人間に支給されるのは一般のモノより機能が多い。事件の資料を要求すれば送られるのもその機能の一つだ。
 送られてきた資料に目を通す。
 被害者は女性。刃物で切りつけられた跡が数カ所。現場付近で怪しい男を目撃。当時の格好は濃紺のフード付きコートにジーンズを着用。
 被害女性の身近な人物を取調中。
「捕まるのも時間の問題か」
 私は朝食を済ませると、軽く部屋の片付けを行う。気分転換の一つだ。これだけは生活支援システムに頼らず、自分で行う。
 整理し終わった後に、積んであった本を読み始める。今でも製本された紙の本は珍しい。人気の作品ならば、電子書籍を製本してくれる場合がある。
 MOGシステムを破壊した彼女も本が好きだったと聞く。それなら煙草や酒と同時に本も生き返らせてくれれば良かったのにと思う。
 新刊で出る物は電子書籍で読むが、昔のものはなるべく紙の本で読みたいのだ。
『リゼ様、本日のご予定はお決まりですか。本日、近くの公園でイルミネーションがライトアップされるショーを開催するそうです』
「悪いけど、興味ないわね。夕方からちゃんと用事はあるから、今はゆっくりしたいのよ」
『失礼しました。御用の際はいつでもお呼び下さいませ』
 生活支援システムがスリープモードに入った。決して悪いシステムではないが、少しお節介な部分がある。
 全てが管理された世界ではなくなったが、やはり人間はシステムの力をなしには生きていけないのだ。

 夕方、五時を知らせるアラームが鳴る。
そろそろ準備をしなくては、そう思い、クローゼットを開け、中からいつもと違う黒いビジネススーツを取り出して着替える。
 メイクは軽く施しておく程度。
「じゃあ、出かけるから、戸締まりよろしく」
『了解しました。行ってらっしゃいませ』
 車に乗り込んでハンドルを握る。今日行く場所はまだマップに登録していないので、自分で運転するしかない。
 私は端末で道を確かめながら進めていく。この時間は車が多い。信号に停められたので、走り出すまで、歩道を行く人々を眺める。
 楽しそうに笑う家族、忙しそうに早足で歩く人などもいる。
 これが本来のあるべき姿なのだろうか。だとしても、やはりシステムがあった方が良かったのではという思いもある。
 信号が青になったので、車を発進させ、目的の店へと到着する。店の前にはもう一台、黒い車が停まっている。
 私がその車の後ろに停めて出ると、私と同じように黒いスーツを着た、長身の中年男性が歩み寄ってきた。
「秋月様、お待ちしておりました」
和久井(わくい)(わくい)さん、久しぶり。あなたがいるということは、もうあの子も中にいるのね」
「はい、奥の席におられます」
 彼に礼を言った私は扉を開けて店内に入る。
 和久井キヨシ。今日私が会う人物に信頼されている一番の部下、秘書の役割を果たしている。
 華美な装飾に正装をした男女達が、所々に座っている店内。
 もう何回か似たような店には来ているが、フレンチレストランは初めてだ。
「お客様、ご予約はされていますでしょうか」
「友人に会いに来たの。もう奥にいるそうですけど」
 声をかけてきたサービススタッフは失礼しました、と私を店の奥の席が見える場所まで案内する。
「あちらの席で、お間違いないでしょうか」
「ええ、合っています」
 スタッフはお辞儀をしてからその場を立ち去った。
 私はゆっくりとその席に歩いていく。
 そこには私と違い、真っ白なワンピースの女性がいる。
 本を読む彼女。
 真っ白でショートボブの彼女。
 私の親友である彼女。
「何を読んでいるの」
 机の横に来た私の質問に彼女は顔を上げずに答える。
「『彩りは彼方へ』、私達が産まれる前の作家が書いたものよ」
 顔を上げた彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「久しぶりね、リゼ」
「ええ、キルア」
 彼女が私の親友だ。

 神代(かみしろ)(かみしろ)キルア、彼女と出会ったのは中学の時。
 教室で一人、本を読む彼女を数人の生徒が冷やかしていた。
 彼女は一切反応を見せなかったが、私は一応注意した。
 そんなくだらないことやめな、って。私もよく一人でいることが多かったのだ。クラスの人間は皆考えが子ども過ぎて付いていけなかった。
 いや、むしろ私が子どもの考え方をしていなかった方がおかしいのか。
 冷やかしていた生徒達はブツブツと何か呟きながらどこかへ言ってしまった。
「止めなくても良かったのに」
 私はその言葉に驚いた。
「なぜ」
「だって、おもしろいじゃない」
 彼女が何を楽しんでいるのか理解できなかった。
「皆と違ったことをする人間を冷やかすしかできない、人間のような物を見ているのは」
 私は不思議と彼女の言葉に心が踊った気がした。彼女は変わり者だ。
 だが、私も彼女同様に変わり者なのかもしれない。
「私、秋月リゼっていうの」
「知っているわ、同じクラスだし」
「でも、私はあなたのこと知らない」
「あら、そう。神代キルア」
 おかしそうに笑いながら名を名乗る彼女。その日から私と彼女は友達になった。

「いつもお勤めご苦労様ね」
「ありがとう、と言いたいけど、何だかあなたが言うと皮肉っぽいわね」
 それは私と彼女の境遇が真反対、むしろ敵対しているからだろう。
「あら、私は本心から言っているのよ。リゼは特別だから」
 素直に嬉しく思うことにした。
 私は治安維持に努める警察。
 彼女は一昔前に消滅したが、MOGがなくなると同時に復活した“マフィア”という組織の娘で、自分自身も、大本程ではないが、充分に大きな組織を持っている。
 
 彼女と友達になり、しばらくしてから家に行ってみたいと言った。
「私は構わないけど、いいの」
「ダメかしら」
「いいえ、言ったでしょう。私は構わないって」
 彼女はいつも送り迎えの車が来ていた。私を待たせて、運転手と話をしていたのを覚えている。
「お嬢様がお友達をお連れになるなんて初めてのことですので、きっとお父様も喜ばれますね」
 彼女の家に向かう最中の車の中で運転していた男性が話したのを覚えている。それがさっきの和久井さんの今よりも若かりし頃だ。
 家に着いた私は彼女が何度も確認した理由がようやく分かった。
 彼女の家は豪邸だった。門の前には黒いスーツを着た男の人が立ち、内部も壁に整列する同じ格好の人達が私達に頭を下げていた。
 いつもこうなのだろうか。
 私が最初に連れてこられたのは彼女の父の部屋だった。
「初めまして、キルアの父です」
 初老の、少し長い髭の男性。
 神代ギンジと言えば、神代財閥で有名な名前だ。しかし、その実体はマフィアのボス。
 裏社会の大物に出会った私は消されるのではないかと怯えたが、キルアがそんな私をおもしろがって腹を抱えて笑ったのを覚えている。今でもそれを話題に上げられると恥ずかしい。
「娘の友人に手などかけませんよ」
 彼女の父も笑っていた。何とも似た親娘である。

 運ばれてくる料理はどれも見た事のないもので、見た目も味も良い。
「お互い、境遇が真反対になったものね」
「でも、こうして今も合っている」
「確かにね」
 彼女と仕事の話を始めた。これは情報交換にもなる。
「最近事件が多くて困るわ」
「ニュースで見た。昨日の事件、リゼが解決したのでしょう」
「まあ、人質がみんなセラピー送りだったけど」
 彼女はいつもおかしそうに笑う。
「犯罪っていうのは、誰かに見つかってから、初めてそう呼ばれるの。だから、犠牲者あってこその言葉なのかもね」
 その言葉に、あまりいい気持ちはしない。
「そっちはどう、と言っても、あんまり話せることはないでしょうけど」
 仕事の話しと言ったが、私と違って彼女はあまり話さない。
 当然、危ない橋を渡っているからだ。
「仕事ではないけど、この前家に強盗が入ったの」
 それでどうしたのか問う私に、口元を拭いた彼女は笑顔で答える。
「返してあげたわ。少しお灸を据えてね」
 詳しい内容は聞かないことにした。
 彼女は華奢なようにも見えるが、日頃から鍛え上げていると言う。
 それも構成員五〇〇〇人を纏める、彼女の威厳の一つなのだろう。
 だが、やはり彼女に多くの人間がついてくるのは、独特の雰囲気と言うのだろうか。目には見えない何かを彼女が感じさせるからだ。
「まあ、仕事の方は順調ね。今度また外国に行かないとだから、会うのはしばらく先になりそう」
「今度はどこへ行くの」
「アメリカへ一ヶ月」
 アメリカ、懐かしい国だ。私も産まれて直ぐアメリカに行き、三歳になるまで向こうで生活した。
「お土産を楽しみにしていて」
「そんなの、別に気にしなくていいわよ」
 それからは仕事なんかの話は抜きにして、もっと楽しいことを話す。
「さっき読んでいた本はおもしろい」
 私の問いに彼女は本を手に取る。
「そうね。もう三回目だけど、人物の心情が細かく書かれているし、文章としても読み易いからお勧めするわ」
 彼女は私に『彩りは彼方へ』というその本を渡してきた。
「リゼも読んでみるといい。主人公はあなたと同じ仕事をしているから」
 どういう話か問うと、読めばわかると返された。
 タイトルからは想像も出来そうにないことを彼女が口にしたので、気になって仕方ない。
「ありがとう、読ませてもらうわ」
 その本を側に置く。
 私が本を読むのは彼女の影響が大きい。髪型も、色は違うが自然と彼女に合わせている。
 話すようになってから、いつも彼女が持っていたそれについて質問したところ、それが“本”というものだと教えてくれた。私はそれまで電子書籍でしか文字の書かれたものを見た事がなかったので驚いた。
 あまり人間関係の広い訳ではないが、彼女一人から色々なことを教わっている気がする。
 食事を終えた私達は外に出た。
「送っていこうか」
 私は自分の車があると言ったが、彼女が私の手を掴んだ。
 これから最低でも一ヶ月は会えないとなると、もう少し一緒にいたいということなのだろう。
 自分の車は家からここまでの道のりを記録させていたので、自動運転に切り換えると、ひとりでに走っていった。
 私は彼女の車に乗った。
「この街の安全は、リゼ達が頑張ってくれるから、保たれているのよね」
 ふと、キルアがそんなことを言い始めた。
「どうしたの、急に。それに安全な訳でもないわよ」
「なんとなく。海外に比べれば充分にマシよ」
「守っているのはあなたも同じでしょ」
 神代財閥はこの都市の治安維持に協力している。また、マフィアと知らない近隣住民とも友好な関係を築いている。
 警視庁の上層部は裏の顔に当然気付いているだろうが、この都市を守るために協力してくれる組織を、邪険にする意味はない。
「それもそうね。私達も犯罪は少ない方がいいから」
 私は、走る車の窓から外を眺める。
 何気ない風景だ。行く時と同じ。
 だが、私の視界に飛び込んできたもので、それは一変する。
 歩道の人ごみの中に濃紺のコートに、フードを被った人物がいた。
 私の中で朝に見た捜査資料が浮かぶ。“現場付近で怪しい人物を目撃した情報。当時の格好は濃紺のフード付きコートにジーンズを着用。”
「車を停めて」
 私は気がつくとそう叫んでいた。
 和久井さんは一瞬戸惑いを見せたが、ただ事ではないと感じたキルアが和久井さんに車を停めるよう指示する
 停車した車のドアを開け、すぐに来た道を走って戻る。
 人ごみをかき分け、辿り着いた。
 コートを着た人物の肩を掴む。
 ゆっくりと振り返ったその顔は、驚きに満ちている青年の顔だった。
「な、なんですか」
 怯えるように問う青年に息を切らして告げる。
「悪いけど、身分証明の出来るものあるかしら」
 私は手首の端末から警察手帳を映して見せた。
「見せてもらえる」
 これは単なる職務質問。怪しいところがなければ、彼に謝罪すれば済む話。
 青年は、はいと言うと、コートの中に手を入れた。
 だが、コートから手を出すと同時に私を突き飛ばす。
「動くな。動くとこいつを殺す」
 抜き出した手にはナイフが握られており、近くにいた女性を人質に取ったことで、周囲が騒然とする。
 しかし、まだ本当に事件が起こっていると認識している者は少ないようで、何かの撮影かなどと言っている者もいる。
 確信した、こいつが昨日起こった殺人事件の犯人だ。
 私が起き上がると同時にすぐ側の路地裏に逃げ込んだのが見えた。
「待て」
「リゼ、何があったの」
 私は追いついたキルアに、殺人事件の犯人だということを伝え、逃げた犯人を追う。
 人質を連れたままならそんなに早くは移動できないはず。
 私は走りながら、端末に向かって半ば叫ぶかのように本部に連絡を取る。
「治安維持課一係の秋月リゼ、二〇区の女性殺人事件の犯人を発見、追跡中。応援を要請する」
 通信を切り、男を探す。
 端末を弄り、本庁にあるテミスシステムの補助を受ける。私の目が暗視ゴーグルを着けたのと同じ状態になる。これにより、暗闇でも見ることができる。
 前方に女性を連れて走る男を見つけた。
だが、更に先の路地を抜けた通りにいたのは、
「キルア。なんで、そんなところに」
 車を停め、降りてくるキルアの姿があった。
 キルアに邪魔だと叫ぶ青年。
 しかし、彼女はまったく動じることなく、そこに立っている。
「まだ若いのに馬鹿なことを」
 キルアがそう呟くと男は女性を後ろに投げ捨てる。
「大丈夫ですか。キルア、逃げて」
 私は跳んできた女性の転倒を防ぐように寸でのところで捉え、前方のキルアに叫んだ。
 だが、彼女にその言葉は必要なかった。切り掛かってきた青年のナイフを、体を少しだけ逸らして避け、顔面に一発拳を撃ち込む。怯んだ青年の腹部にもう一発強烈なパンチを叩き込んだ。
 青年はその場から少し跳び、地面に伸びる。
「大したことなかったわね」
 彼女は澄ました顔でそう言った。

 駆けつけた香澄にまた何か言われるかと思ったが、彼女は周りの野次馬の声を聞いて、何故か笑顔になった。
 そして、乗ってきたパトカーのスピーカーをオンにした。
「ええ、皆さん。今日は撮影のエキストラのために協力ありがとうございます」
 言い出した内容よりも、普段見ない軽快な彼女に驚いた。
「私達はリアルなドラマ撮影のために、付近の方々に撮影と明かさずに行っておりました。もちろん、私含め彼女達は役者としてやっております」
 彼女はこの状況を完全に理解できていない目撃者達を含め、テレビの撮影であったことにしようとしているのだ。
「もちろん、撮影の許可は区長にちゃんと取ってありますので、ご安心ください。それでは、お騒がせしました」
 スピーカーからの声が止むと、次第に付近の目撃者達は安心したようにその場からみんな去っていった。
「あの写真、撮ってもらっていいですか」
 キルアは二人組の女子学生から写真を頼まれたが、事務所がOKを出さないからごめんなさいと、断る。
「何が事務所よ」
「まあ、いいじゃない」
 私は彼女の手に血が付着していることに気付いた。内ポケットからハンカチを取り出して渡す。
 彼女がそれを拭き取りながら言う。
「犯人の血だったようね。ありがとう。これ、洗って返すわ」
 と、和久井さんに渡した。
「別にいいけど」
「それぐらいはさせてちょうだい」
 私とキルアが話していると、フラフラと足取りの不安定なアリサが寄って来た。
「まったく、昨日の被害者達のセラピーも終わってないのに、大声出したから死にそうだよ」
「お疲れさま」
「ま、今回は大声だすだけでセラピーの必要はないみたいだし。良しとしよう」
 彼女はそれだけ言うと、パトカーに戻っていった。
「大変な仕事ね」
「まあね。あなたが強かったからいいけど、もう犯人逮捕の協力なんてしないでよ」
「状況によるわね」
 私は事後処理を任せ、キルアの車に戻り、送ってもらった。

 翌日、ニュースには二〇区の殺人犯は捕まったと報道された。
 但し、私達が捕まえた場所とは別の区で。
「本当にドラマ撮影って事で終わらせるんだな」
 アレンが休憩室のテレビを見る私にコーヒーを渡しながら言った。
 礼を言った私は、その紙カップのコーヒーを眺める。
「ちゃんと、ミルクは入ってる」
 私の問いに、一つ分入れたと彼は言う。
 コーヒーは好きだが、ミルクがないと飲めない。キルアにはそんなに苦いものじゃないと言われるが、まだまだ私の舌は子どもだ。
「無理に知る必要なんてないのよ。彼ら彼女らが見たのは、テレビドラマのための演出だったと思えるなら、それで」
「そうか。知らぬが仏ってことだな」
 飲み干したコーヒーの紙カップをゴミ箱に投げ入れ、一係の部屋に戻る。

2、中毒者

昼下がり、廃墟ばかりの隔離区画にある工場に、一係のメンバー総出で訪れているところだ。
「こちら秋月(あきつき)、入り口に待機」
「了解、こちらも裏口に待機している」
 御堂(みどう)係長に通信を入れた私は、懐のホルスターから『ハンター』を抜く。
「まったく、緊張するな」
「私、こういうのは初めてで」
「心配しないで、小梅(こうめ)。私達もいるから」
 私とアレンと小梅が正面入り口。
 御堂係長と残りのメンバーが裏口から。
『よし、慎重に中に入るぞ』
 係長からの合図で私達は工場に潜入した。

 三日前の夜だった。私が捕まえた二〇区の殺人事件容疑者である青年の事情聴取得を係長が行った。
 青年の情報は、小梅がテミスシステムにアクセスして集めたものを係長に渡してあった。
 殺害された女性は青年の交際相手だったという。
「なぜ、交際相手を殺害した」
「――彼女は高校の先輩でした。交際を始めて三年ぐらい経ちます」
 それで、と係長が先を促した時だ。
「取り調べ進んでるかな」
 私達がいる取り調べ室の隣の部屋に入ってきたのは眼鏡をかけ、少し髪が長い鑑識課の課長、川内(せんだい)エニシだ。
「お疲れ様です」
「お疲れ。どうよ、取調べは」
「今、害者の女性との関係を話しています」
 なるほどな、と川内は顎に手を当てて、制服のポケットから袋に入った錠剤のようなものを取り出す。
「愛する彼女。まあ、愛してたかは分からないが、交際相手を殺したのはこれのせいだろう」
「なんですか、それ」
 小梅の質問に彼は面白そうに答える。
「今、若者の間で出回ってる違法ドラッグさ。最近になってまたこんなものが流れちまってる」
 MOGシステムがなくなったことで復活したものの中には違法な物もある。
 その一つとして、違法な薬物だ。
 服用した際の効力を私が問うと、課長は両手を広げて話す。
「一時的な満足感。幸福感を味わえ、ハイテンションになり、疲れも感じない。だが、代償として薬が切れた時には酷い脱力感や錯乱、嘔吐なんかを引き起こす」
 課長が言ったとおり、薬による症状で女性を殺した線は高い。
「たった一錠が地獄の始まりさ。天国と地獄を行き来するようなことになるとは思いもしなかっただろう」
「もう、地獄から抜け出せないでしょうけど」
 青年の様子をマジックミラー越しに見て言った。
 御堂係長の方も青年がドラッグを使用していた事を自白したので、事情は分かったようだ。
「彼女は僕にドラッグの使用を止めるように言ってきました。薬の効果が切れそうになっていた僕はカッとなって、キッチンにあったナイフで彼女を何度も何度――」
 話している内に泣き出す青年。
「お前にドラッグを売ったのは誰だ」
「バーで買いました。教えてくれたのはその店にいた常連客の一人です」
 係長がそのバーの場所を聞く。
「一九区と二〇区の境目近くにあります。“BREAK”って名前です」
 次に聞くのは薬の入手方法。流石に、店で堂々と置く訳にもいかない。
「合言葉です。その日の客の人数について話して、次に店を何年やっているか、最後に“幸福が欲しい”と言うだけです」
「“幸福感が欲しい”、だと」
 青年が言うに、この言葉は先の二つを言い終わった後でない意味がないらしい。
御堂係長は立ち上がると同時に、鋭い視線で青年を睨みつける。
「お前は一生をかけて罪を背負え。彼女は喜ばんだろうがな」
 そう言い残し、取り調べ室を出た。
 一係に戻った私達は早速、仕事を言い渡される。
「犯人から情報を得た。まずは違法ドラッグを扱うバーから探る。担当は秋月、弓月(ゆづき)、そして蘇芳(すおう)だ」
「蘇芳さんなら、まだ来ていません」
 私の指摘に御堂係長の表情が少し曇る。
そこへ、大きなあくびを手で隠しながら入ってくる女性。
「すみません、遅刻しました」
「遅いぞ」
 彼女が怒りを込めて言うが、私の先輩である彼女、蘇芳ライラは面目ないと笑っている。
 彼女は私とアレンの先輩であり、係長の次に長く、この一係にいる。
 彼女はいつもこの調子だ。スーツも、ネクタイをせず、胸が苦しいとシャツのボタンは二つ目まで開けているし、だらしない。
 だが、私含め一係のメンバーは彼女を邪険に扱う事はない。ムードメーカーとしての存在が大きいのだろう。
「まあいい。とにかく事件の話をするから座れ」
 彼女は私の前にある自分の席に座る。係長は先の続きの述べると、仕事にかかるよう宣言する。

 私は蘇芳さんに誘われて休憩所に来た。まだ仕事もしていないのに、彼女はコーヒーを飲むという理由だけで来ている。
「リゼちゃん達と組むのは久々だね」
「そうですね。最近はアレンと二人で対処できる事件が主だったので」
 たわい無い会話の後に仕事の話を始める。早速、今日の夜に例のバーに行く事を決める。
「OK。じゃあ、三人ともスーツじゃ怪しまれそうだし、私達は着替えた方がいいか」
 確かに三人揃って同じようなスーツ姿では、変に思われる。
 私と蘇芳さんは私服に着替えてから、アレンの車に乗せてもらい、目的地に向かおうということになった。
 その事を報告に行こうと一係の部屋に戻る最中、私は係長と話している男性を見つける。
「では、私と小梅は他にも違法ドラッグを取り扱う場所がないか探してみます」
「お願いします」
 二人の会話が聞こえる所に立ち、終わりの頃合いを見計らって間に入る。
 係長を呼ぶと、男性の方も私に反応する。
 彼は私達一係の中でも最年長の柳(やなぎ)ツカサだ。
「プランは整ったか」
「私と蘇芳さんは一旦帰宅して、服装を変えます。それから例のバーへ行こうかと」
 係長はその報告に了承し、一係の部屋に戻る。
 残った柳さんは思い付いたように私に話す。
「二〇区の事件解決、お疲れさまです」
 私が偶然であったと言うと、捜査資料をしっかりと覚えておくという基本が出来ていることを褒めてくれた。
 彼は係長よりも少し歳上だが、何故今も現場に赴く一係にいるのか分からない。もっとも、聞いていいとは思わない。
 全部で六人。これが一係のメンバーだ。
 前線に立つことが多い私達の係が女性ばかりということで不安要素とされたこともあったが、皆それぞれ相応の能力を持ち、発揮している。

 私が家に着いた頃には九時近くになっていたが、バーに行くなら丁度いい時間だろう。
『リゼ様、帰宅なされたのにお出かけですか』
「仕事よ。これから、潜入捜査のために着替えてるの」
『では、こちらの方が向いてるのでは』
「検討するわ」
 結局私は自分で選んだ、シャツにシステムの選んだジーンズ、ブーツを履いて出た。
 家の前で待っていると、いつも二人で乗っている仕事用の乗用車が目の前で停まる。
「まあ、至って普通だな。似合ってるじゃないか」
 車の窓を開けたアレンが笑うので、助手席に乗り込んでから脇腹に軽い拳を一発当てる。
「やめろよ、本心で言ってるんだぜ」
「奥さんに言いつけるわよ」
 私と彼のやり取りを先に拾われていた後部座席の蘇芳さんが笑って眺める。

 例のバーに着いた私達は車を近くに停めて、準備を始める。
 あまり人通りの無い場所で、トランクの中にあるケースからハンターを出し、ホルスターを体に装着する。
 ステルス機能をオンにし、ホルスターごと持っているのか分からなくなったところで準備完了だ。
 店内はどこにでもあるかのようなバーであった。カウンター席とテーブル席に別れている。客の入りはまあまあと言ったところか。
 私達はカウンターに並んで座る。
 マスターに注文を聞かれたので、私達がそれぞれ、酒を注文した所で蘇芳さんが例の合言葉を唱える。
「マスター、私達この店始めてなんだけど、客足はいつもこんな感じなの」
「日によってかわりますね。今日は木曜日ですから、明日は仕事を終えて一杯飲みにくる人は多いでしょう」
「ふーん、そんな事が分かるって、マスターこの店長いんだね」
「なに、まだ一〇年程です。それなりに感覚を掴んでるだけですよ」
「そうなんだ。でも、いいね。こういう雰囲気の店。こんな店を開きたかったよ」
 蘇芳さんの演技が終わった所で、私が最後の言葉を言う。
「最近疲れてるし、幸福感が欲しいですね」
 マスターの横顔を見ながら。
 合言葉を言い終わると、マスターはグラスを拭く手を止め、置いた後にカウンターから出た。
「私の仕事が幸福を得られるかは分かりませんが、良い物ならありますよ」
 着いてこいと言わんばかりに、他の従業員に店を任せ、カウンター横の扉を開ける。
 ビンゴだ。私達はそう思い、彼の後ろに着いていく。
 下へと続く階段があった。それを下りていくと、薄暗い電灯の少し広い空間。中央には、一人の男が机に足を乗っけていた。
「新しいお客だ。よろしく頼むよ」
「分かった。じゃあ、あんた等はここに来てくれ」
 私達に、それではとだけ言うと、マスターは上へと戻っていった。
 私達三人は男に呼ばれて机に近寄る。この男が違法ドラッグの売人だろう。
「あなたは」
 蘇芳さんの問いに男は足を机から下ろし、代わりに片腕を置いて顔を見る。
「あんたら、幸福になりたいんだろ。それを実感できる物をやるよ。ただし、お代はいただくぜ」
 笑う男に、私は一歩前に出て微笑む。
「そう、ならもっと楽しい場所で話しましょう」
 私はハンターのステルスを解除し、男の額に当たる程の近さで構える。
「お前ら」
 奴は焦ったように上着の懐に手を入れようとするが、
「動かないで。少しでも妙な動きをしたら殺す」
 私の脅しに手を止める。もっとも、今回はまだ調査という段階なので、男が私達に危害を加えない限り、炸裂弾が発射される事はない。
 確保、身柄拘束の場合は『神経麻酔弾』となり、撃たれた相手はその場で即効性の麻酔薬により眠る事になる。
「ちょっと、私達警察がそんな言葉遣いだと、イメージダウンになるよ」
 蘇芳さんが私に優しく諭しながら、男の両手を拘束する。
「じゃあ、上のマスターも一緒に来てもらおうか」
「何も話さねえぞ」
「安心しろ、ここに置いてある薬が話してくれるさ」
 アレンが彼の背後にある紙袋やトランクに入っている大量の違法ドラッグをスキャンする。
「川内課長の言ってたのだ。それ以外にもあるみたいだな」
 私はその場を二人に任せ、上にいるマスターの元に戻る。
 カウンター横の扉から店内に戻ると、今度は酒の瓶を整理するマスターの姿があった。
「どうです。良かったでしょう」
「ええ、とっても。だから、あなたも来なさい」
 私はカウンターの中に入り、客に見えないように銃口を突きつける。
「あなたは」
「抵抗しないで。話は署で聞く」
 従業員に店を任せるよう指示を出させ、私達は売人の男とマスターを連れて、他の客達に気付かれないように裏口から、署に連行する。
「ご苦労だった三人とも。あいつらは留置場に入れておく。明日から取り調べを開始しよう」
 係長に後を任せ、私達の今日の仕事は終わった。

 取り調べ室を二つ使う。
 マスターの方を私が、売人の方を係長が担当する。付添人はアレンと小梅だ。
「この青年に見覚えは」
 端末を机の真ん中に置き、ホログラム投影されたディスプレイに青年の写真を映す。少しの間を置いたマスターは、ありますと短く答える。
 薬を売ったか問うと、素直に答える。
「この青年は殺人を犯した。今この署にいる。あんた達のことは彼が話した」
 マスターは、青年が逮捕されたことに驚いた。
 しかし、当然のことだろう。薬の服用、所持の時点で犯罪だ。服用などしていれば、更に罪を重ねるのは目に見えて分かる。
 私は、誰の指示で薬を売っていたのか問う。一係は最初から、バーはただの販売所として使われていたにすぎないと考えていた。
 マスターが重い口を開く。
「それは――」
 
「お前が売ったのは調べがついてる。で、誰からその薬を売る用命令された。お前達だけであれほどの量を持てるわけない。後ろに誰がいる」
 御堂の問いに、後ろ手に手錠で椅子に拘束された売人の男は、顔を見ようともせずに無視をする。
 仕方ない、と溜め息まじりに呟いた御堂は、付添人としていた小梅に医療課に行くよう頼む。
「薬なんか使われても吐かないぞ」
 男の言葉に御堂は、何を言っているのか、という言葉と同時に薬ではなく、器具を持ってきてほしいと頼む。
 小梅は急ぎ足で取り調べ室を出る。
「何をする気だ」
 男は少し焦りを感じさせる声で御堂を見る。横目で睨みながら、彼女が答えた。
「薬が嫌だと言うのなら、少し痛い思いをしてもらうしかないな」
 彼女の言葉から何かを悟った男がもがく。
「警察にそんなことは許されていないはずだ」
「法を犯した者を裁くためなら、私もしたくないが、仕方ない」
 騒ぐ男に話しているところに、ちょうど、医療器具を幾つか持った小梅が戻ってきた。
「これでいいでしょうか」
「上出来だ」
 係長はメスを一本手に取り、男の目の前に持ってくる。首元にそれを宛てがう。「言うか」
 男は、観念したように分かったと、きつく目を閉じる。メスを机に置くと、安堵の溜め息を漏らしてから、話し始めた。
「ある男に言われたんだ、あのバーのマスターと一緒に薬を広めろと」
 男だと。御堂の疑問混じりの言葉に、そうだと答える。
 どんな男だと問うと、
「本名は知らねえ。俺達には“DD”と名乗っていた」
 “DD”と御堂は繰り返す。
 どこで会っていたのかを聞く。
「会うのはいつも、隔離区画の工場だ。俺達が薬を売り切ったのを見計らったのか、電話がかかってくる」
「最後に取引をしたのはいつだ」
 男は一週間前だと答える。肝心の場所について聞いたのだが、男とマスターはいつも連れて行かれる時には目隠しをされて車に乗せられていたとのことで、場所までは知らないと言った。
 今までに三回の取引を行い、全て目隠しを取られた時には目の前に“DD”という男が仲間を数名連れて、薬の入ったトランクなどを迎えによこした車に詰むという流れだったそうだ。
 その時、いつもひと言だけ、彼が述べるそうだ。
『人間の本質を呼び覚ませ』
御堂はそこまで聞いて、男を留置場に戻すよう取り調べ室にいる警官に頼んだ。
 御堂の隣に立つ、医療器具を乗せたトレーを持つ小梅にもういいぞとだけ言う。
「それにしても、よく出来てますね」
 小梅がメスを手に取る。すると、それにノイズが走り、ボールペンへと形を変える。『外装ホログラム』。物に表面上に情報を書き加え、精緻なホログラムで覆う。ただし、元の物体が必要になる。
 始めから小梅は医療課になど行っておらず、この外装ホログラムを用いたペンを用意していた。これは、取り調べを始める前の打ち合わせ通りだ。
「ともかく、奴は情報を吐いた。後の処理は他に任せるとして、私達は裏の人物を探ろう」

 一係に戻った私達は早速情報の共有を始める。
「私達もある男の名前が出てきました。“DD”という名前です」
 係長の報告に続いて私が言った。
 小梅がファイルをスクリーンに映し出す。
「さっき調べてみたものです。隔離区画に大きな工場は全部で五つありました。その中に医療関係の道具を作っていたものがあります」
 引き継いで係長が話す。
「犯人はそこを拠点にしている可能性が高い。あの男達に場所を明確にしないようにしていたみたいだが、無意味だったな」
 私達は隔離区画のその工場の地図を手ミスシステムに要求し、端末にインストールしておいた。
「犯人確保は明後日行う。それまでに色々と申請がいるからな」
 一係全員が使うハンター等の武装、突入のシミュレーションをしておく必要がある。

 『隔離区画』。あの“MOGシステム”がなくなった際に起きた混乱により、多大な被害を受け、機能を失った区画である。
 しかし、そんな場所は浮浪者等のたまり場になっており、全く人がいないわけではない。
 昼下がりに私達は、黒幕である人物がいると思われる工場に来ていた。
 テミスシステムの内部スキャン機能を使い、工場内を3D展開した図が映し出される。中に生体反応が見当たらない。しかし、これ以上薬の製造を行わせる訳にもいかないので、工場を押さえる必要がある。

 三人一組に別れた私達は表口と裏口から慎重に中へと入る。
 工場はかなりの大きさだった。
 私達は最初に制御室を探す。壁に取り付けられている工場内のマップと、端末に映し出された自分達の位置情報を照らし合わせて、場所を確認した。
 制御室を探す理由は大きく二つ。
 ここで実際に薬が作られていたという証拠を探すためと、今でも薬が作れていたということは、工場内のシステムが生きているということだ。監視カメラをハッキングして、工場内を見渡せるというわけだ。
 制御室に向かう途中、また着いた時に犯人に遭遇しても対処できるように慎重に進む。
 しかし、その心配も杞憂だったようで、誰にも遭遇する事なく、制御室まで来れた。中には誰もいない。
 しかし、最近まで誰かが使っていた形跡がある。メインコンピュータと思しきPCの起動ボタンを押す。
 すると、制御室にある監視カメラのモニターが全て映し出される。
「どうやら、当たりだったようね。アレン、係長に連絡を」
 アレンが係長に通信を入れる。
 私はその間に、モニターから犯人を探すために赤外線表示されているキーボードに触れて操作する。
「秋月先輩、今人影が」
 小梅が一つのモニターを指差したので、巻き戻す。
 確かに誰かが映っていた。
「係長、例の薬を生成するためと思われる場所に誰かいます。至急向かって下さい」
 アレンが係長に追加連絡をした所で、私は操作を終える。
「もういいのか」
「端末でこの工場内の監視カメラの、指定したモニターを映し出せるプログラムを構築したから。今送るわ」
 二人が驚いていたが、この程度なら造作もない。私は治警に入る前に『サイバーセキュリティ技術者』の資格を取るための試験を受けて合格した。その道に進む事はなかったが、関連する知識を活かす。本来なら、サイバー攻撃を防御する役割のセキュリティ技術者の知識だが、逆を言えば、ハッキングなどの知識も持ち合わせていないと出来ない。
 二人の端末からプログラムを受信した通知音が鳴ったところで、私達も向かう。

 御堂は柳、蘇芳の二人と裏口から入った。少し歩いた所で、アレンからの通信が入る。
 制御室に着いたという連絡と、追加で薬の生成場所に人影が映ったというもの。直ちに向かうと伝え、通信を切る。
 御堂達は走って薬の作成場所に向かう。
大きな扉を開けると、幾つもの薬を作るための機材が並んでいる場所にでた。
「別れましょう。慎重にお願いします」
 三手に別れ、薄暗い工場内を歩く。地面を歩く度に足音が響く。この静寂が更に不気味だ。
 天井近くの窓から日が差しているが、それでも明るいとは言えない。
 御堂がゆっくりと歩みを進める。
 ふと後ろに気配を感じ、素早く振り返る。
 しかし、誰の姿もそこにはない。銃は構えたまま下ろさずに、少し緊張しすぎかと思った。
 彼女の額から伝ってきた汗が顎から落ちる。
 地面にその一滴が着いた瞬間、側にあるベルトコンベアーの下から誰かが跳び出してきた。
 瞬時にそちらに銃口を向ける。
 しかし、相手の方が一歩早く、銃を蹴り飛ばされた。
 続けて放たれる相手の拳を受け流し、反撃に出る。
 敵の腕を引いて、近づく顔面に掌底を放つ。
 しかし、首を傾けられた事で、空振りする。
 その手を敵が掴んで引いたので、御堂がバランスを崩す。
 腹部に迫る敵の膝蹴りを御堂は自らの足を、少し上げてガードした。
 そこで、相手に蹴りを入れ、二人は離れる。
 何者だという彼女の叫びに、相手は何も答えない。
 フードで顔を隠しているため、この薄暗い場所では全く顔が見えない。
御堂と謎の人物が再度、接近しようとした瞬間だった。
 相手の眼前を緑の光線が横切る。
 それが飛んできた方を見ると、柳がハンターを構えて立っていた。
 分が悪いと判断したのか、相手は逃走する。
 柳が再度引き金を引いたが、犯人の姿は更に暗闇に紛れていたので、当たらなかった。
「大丈夫ですか。御堂さん」
「ええ、何とか」
 遅れて駆けつけた蘇芳に犯人の後を追うように頼み、御堂は蹴り飛ばされたハンターを急いで拾う。
「すみません、柳さん。確保に至らず」
「今は、蘇芳さんを追いましょう。彼女を信頼していない訳ではありませんが、一人では心配です」
 落胆する御堂の肩を叩き、柳は蘇芳の後を追う。

『こちら御堂、犯人と思しき人物を発見したが、確保に至らなかった。入り口付近を塞ぐように車両を操作してくれ』
「了解」
 私は乗ってきた警察車両を全て、工場の入り口前に停めるように端末を操作する。
 支給されている端末は車両の制御システムと連携しており、ある程度の操作なら、遠隔で行う事が出来る。
「係長が確保できなかったって、敵はどんな奴なんだか」
「どっちにしても、ただ者じゃなさそうね。私達も急ぎましょう」
 私達は端末の監視カメラ映像を切り替えながら、犯人の行方を追う。
 すると、近くの通路から発砲音が聞こえてきた。ハンターによるものだ。
音のした方に走っていくと、広い空間に出た。資材搬入用のトラックが停めてあったであろう駐車場に出た。今は一台も停まっていないが、そこには犯人と思われる人物と蘇芳さんがぶつかり合う。
 アレンに自分のハンターを渡した私は犯人に向って走っていく。
 蘇芳さんが攻撃を避け、私がそこから相手に向って一発叩き込む。
 顔面に拳が当たるが、手応えは薄い。反撃してきた敵の拳を私が受け止め、蘇芳さんが犯人の腹部に蹴りを放つ。
 しかし、その蹴りは犯人にもう片方の手で止められる。
 私は、掴んでいた腕に関節技をかける。敵の関節から骨の折れる音がする。
だが、声どころか痛がる様子も無い犯人に私は驚きを隠せない。
「二人とも下がれ」
 アレンの声に振り返ると、ハンターを構えている。
「蘇芳さん」
 私の声に合わせて、掴まれている足を振り払い、私は、犯人の腕を掴んだまま地面に叩き付ける。すぐに犯人から離れる。
 次の瞬間、発砲音と炸裂弾の着弾した音が聞こえる。
 体が爆散し、その血が私と蘇芳さんの顔に少しかかる。
 犯人の頭と下半身がその場に残り、事件は収束した。

 現場に駆けつけた鑑識課達が工場内で調査している間、私は外のパトカーに寄りかかって煙草を吸っていた。
「いやー、血がかかるって気持ち悪いね。早くお風呂入りたいよ」
 蘇芳さんがタオルで顔を拭き、いつもの笑顔を見せる。
 アレンに少し非難の目を向けると、
「仕方ないだろ。二人が犯人相手に格闘してたんだから」
 と言うので、私は気にしていないと告げる。
 血肉がかかった事よりも気になる事があった。
「それにしても、あの犯人おかしかった」
 私の言葉に蘇芳さんも確かに、と賛同する。
「違法ドラッグを使って痛覚を遮断していたか」
 自分の問いに違うと自分で答える。
「それにしては、他の症状が一切見れなかった。奴は始終何も言葉を発さず、無反応のまま。薬をつかったのならもっと暴れるはず」
「私も秋月と同じだ」
 御堂係長が歩み寄ってきてそう言う。私は急いで煙草の火を消し、車内の灰皿に入れる。
「同じというのは」
「あの犯人が一切無反応だったことだ。私が声をかけたのは一回だけだが、その後に柳さんが撃った炸裂弾が目の前を横切っても、彼の方には見向きもしなかった」
 確かに自分に向って発砲した人物を見ようともせずに逃げるのは少しおかしい気もする。
「とりあえず、鑑識の結果を待とう。今日はみんなご苦労だった。本庁に戻ったら、私が和泉(いずみ)局長に報告しておく」
 私達はパトカーに乗り込む。
「早く家に帰りたいわね」
 いつも通りだな、と呟くアレンに今日は特に帰りたいと言う。
「なんで」
 アレンが聞くので一言だけ、
「お風呂に入って血を流したいの」
 と、蘇芳さんの言葉を借りた。

3、七つの大罪

暗い部屋で一人本を読む者がいる。
 何やらぶつぶつと呟きながら。
「人間の持つ七つの大罪。奴らを許さない。奴らは断罪されるべき」
 その者は次に一言だけ、
「彩りは彼方へ」
 と呟く。

 違法ドラッグ事件から二日後。
 いつものように蘇芳さんは遅刻して御堂(みどう)係長に説教され、小梅(こうめ)は報告書のデータを消して再度作成など、相変わらず騒ぎの絶えない一係。
 家に帰ってきた私は、この前友人であるキルアから借りた本を読んでいた。『彩りは彼方へ』。主人公は刑事として日々、事件解決に努めている男性。
 そんな中、ある事件が起こる。
 “七つの大罪”事件。被害者は様々で、殺され方もそれぞれ違う。
 毎回犯人が残したであろうメッセージとして、人間の持つ七つの大罪。
 傲慢、怠惰、嫉妬、強欲、暴食、色欲、憤怒の単語が壁に書かれる。
 それぞれ、その罪の一つに該当するであろう、世間に知られる有名人が殺されていった。
 そして、七人目の被害者の自宅を訪れたところ、犯人は死体の横に立っていた。至って普通の中年男性で、自ら犯人であると語り、警察に捕まった。
 その時に犯人が口にした言葉こそが、『彩りは彼方へ』だったのだ。
 これは本の話で、実際に起きた訳ではない。
 最後は中々良かった。次に彼女に会った時に返そう。
 私はその本を枕元に置き、眠りにつく。

 翌日。一係に着くと、鑑識課の川内課長がいた。内容はこの前の違法ドラッグ事件に関するもの。
「鑑識の結果が出たよ。少し信じられん事で時間がかかってしまった」
 課長は鑑識の結果をプロジェクターに表示する。
「これが、今回の犯人として扱われていた人形の画像だ」
 人形、私の頭の中でその単語が反芻される。
「これは本物の人間の体を使って作られた“死体人形”さ」
 死体人形。近年、医療技術者達が挑む課題の一つ。死者の復活を研究する際に出来上がったもの。しかし、これは完全でなく、生き返った死体は、頭にプログラムを埋め込まれた人形でしかなかった。生体反応がなかったのも今回の相手が死体であったためであろう。
「作り方に関しては公にされていない。こんな未完全な物、いやそもそも死者を蘇らせるなんて技術を悪用されたら困るからだ」
「しかし、もう悪用されてしまった」
 私の言葉に課長は何故か、うっすらと笑みを浮かべて頷く。
「どこから情報が漏れたかは分からんが、この人形を作った者こそが真の犯人ということだ」
 まだ裏で操っている人物がいるのか。それを聞くだけでも少し疲れが出てくる。しかし、相手はただ者ではなさそうだ。私は心の奥底で、どのような人物なのか、自分がその人間を逮捕できるか試してみたくなる気持ちがあった。
「当面はその人形を操っていた人物を追う必要がありそうだな。全員、捜査にあたるぞ」
 係長の言葉に一係が仕事に戻ろうとした時だ。
 端末に連絡が入る。
『十三区で不審死体を発見。治安維持課は直ちに急行せよ』
「また新しい事件か。秋月(あきつき)、小梅、弓月(ゆづき)の三人で向ってくれ」
 私達はパトカーに外装ホロを被せた乗用車に乗り込み、現場に向かう。
「まったく、今度は何だってんだ」
 面倒そうに呟くアレンの気持ちは痛いほど分かる。
 この時はまだ誰も知る事はなかった。これが新たなる事件、新しい事件の始まりだという事を。

 十三区に着き、早速現場であるマンションの一室に来た。
 いつものように現場に入らせないためのホログラムで出来たテープをくぐり、先に来ていた一般刑事達に挨拶する。
 警察内部は分裂している。私達治警は特殊な事件の場合に要請される。だが、それでは人員が足りなくなるのは必然。基本的には“一般刑事課”に所属する人間が事件を受け持っている。
「かなり酷い状況です」
 刑事の一人が青ざめた顔で言うので、ただ事ではないようだ。
 マンションは普通だ。入ってすぐの廊下を歩いていくとリビングになっている。
 そして、そこが現場だった。
 そこにもう一人、今回駆けつけた一般刑事課一係の係長と思しき人物がいた。
「一般刑事課、一係係長の鵜川イスケです」
 五〇手前ぐらいの男性だった。私達は
お互いに挨拶を済まし、現場を見る。
「何だ、これ――」
 アレンが驚きの声をあげる。
 鵜川の横に、顔面をぐちゃぐちゃに潰されている全裸の女性の遺体があった。
 小梅は口元を抑え、遺体に背を向ける。
「アレン、小梅に付き添ってやって」
 私の言葉に分かった、と彼も気分が悪そうに答え、外に出た。
 その遺体を眺めるように私はしゃがむ。
 あまり動じない私に鵜川が感心しているかのような言葉をかける。
「平気なのですか」
 私だって見たくて見ている訳ではないが、仕事上、これらの遺体はよく見てきた。それでも、これはかなり酷いが。
 警察学校時代、選択授業で『心理耐性強化訓練』という名前の授業を受けた。内容はスクリーンに映し出される、昔の凄惨な事件、画像、書籍などを見せられるというもので、大半の受講者は、途中で投げ出した。私を含む数人だけが、その授業を最後まで受け続けたのを、アレンに恐ろしがられた思い出がある。
 仕事上、嫌でも慣れてしまうと答えると、彼は複雑な表情で、嫌なものだと言った。
「害者は織部アマネ。四〇歳。女性です。織部クリニックという美容整形会社の社長です」
 私は彼の読み上げる害者の情報に耳を傾けながら、彼女の体に他に外傷がないかなどを探す。
「なるほど、結構な有名人ね」
 次に遺体から部屋の中を見回す。
「社長にしては、随分と部屋が質素だと思いませんか」
 私の問いに彼は、端末のホロ投影された資料ページをめくる。
「ここは彼女の自宅ではなく、借りているそうです。他にも、借りているマンションの部屋は幾つかあるそうで」
 何故、そんなに幾つも部屋を借りているのか。私が疑問に思った事を訊くと、刑事が少し言い難そうにしているので、私は歩み寄る。
 察したのか、鵜川は私の近くで小声で話す。
「なんでも、害者は結構な男好きで、夫に内緒で様々な男と関係を持っていたそうです。遺体を発見したのも、今日ここで会う約束をしていた男です」
 刑事が小さく指を指す方を見ると、事情を訊かれている最中の若い男性の姿があった。
「すみません、私もお話を伺いたいのですが」
 警察手帳を端末から表示させて見せると、男性は話に応じてくれた。
「あなたは彼女が結婚していることをご存知でしたか」
「はい。僕以外にも何人か愛人がいることも」
 男性のぎこちない答え方がしばらく続く。まずは、出会いのきっかけを問う。
「三ヶ月前に店で飲んでいたら、彼女に声をかけられたんです。とても、綺麗でして、そのまま家に着いていきました」
 他にも幾つか質問をする。
「では、最後の質問です。彼女に一度でも殺意を抱いた事は」
 この問いに彼は今までとは違う、はっきりとした声で答える。
「そんな事ありませんよ。確かにあの人は色々な男と関係を持っていましたが、僕はそれでも彼女に惚れていました。――すみません、取り乱しました」
 私も酷い質問をした事を謝り、再び現場に戻る。
「他に何か手がかりのようなものは」
「我々にわかるのはその程度でして」
 私は現場を邪魔にならないように歩き回る。
 そして、遺体のそばにある壁をほとんど埋めるように貼られた大きなポスターを見る。
 被害者である織部アマネの会社の広告で、彼女自身がモデルとして映っている。
 確かに四〇には見えない、などと考えながらポスターの隅を見る。
 すると、何か色が着いている。
「このポスター、剥がしてみました」
 いいえ、という刑事の返事。
 その色が着いた部分から、私はポスターを剥がしてみた。刑事は現場を荒らさないようにと注意をしようとしたが、ポスターが無くなり、露わになったその壁を見て言葉を失った。
「なるほどね」
 壁に大きく紫色の塗料で書かれていたのは“Luxuria”という文字。
「この被害者にピッタリの言葉ね」
 私の言葉に鵜川がその意味を問うかのような目で見てくる。
「“七つの大罪”ってご存知ですか」
 私の言葉に彼は、首を傾げる。無理もない。そんな事は学校で教えられる訳でもないからだ。
「人間の持つ七つの罪というのがあるんです。傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲という」
 そこで言葉を区切り、壁に書かれた文字に向きって述べる。
「これはその罪をそれぞれ、ラテン語にしたもので。その仲の色欲です」
 整形などで美貌を保ち、男を何人も誘惑する彼女の罪としてはピッタリだろうと私は思った。
 私の言葉に刑事は驚きと感心の混じった返事をする。
 外にいる、二人の元に行く。
「アレン、小梅、本庁に戻るわよ」
 胸の奥に何か引っかかるものがあるが、
 私は現場を他の刑事達に任せ、二人を連れて本庁に戻る。


 私達は、早速残りの一係メンバーにも現場の写真、状況を説明する。
「色欲か。確かに被害女性に適した言葉かもしれませんね」
 柳さんの言葉に係長も頷く。
「まずは害者と関係のあった男を全て探る必要がありそうだな」
「明日から始めたいと思います」
 私の提案に係長は頷く。
「そういえば、こちらも少し進展があってな。あの人形の写真をバーのマスターと薬物を販売していた男に見せたところ、DDという人物ではないそうだ。二人は犯人の顔を見ているということで、似顔絵をプログラムに作成させている」
 違法ドラッグ事件の犯人も見つかっていないまま、次の事件が起こった。
 一係だけでは厳しい状況だ。

 翌日。害者の端末に入っていた連絡先リストから、愛人と思しき男性を訪ねていく。三人で手分けしてもいいのだが、小梅を一人にするのは良くないという思いから、アレンと組むように言った。
 私は一人でリストに乗っていた男性の家を訪ねる。
 一人目は普通のサラリーマンだった。
「彼女が亡くなったのは今朝のニュースで観ました。まさか彼女がこんなことに」「お気の毒さまです。そこで、犯人逮捕のため協力していただきたいのですが」
「私でできることなら」
 まず、昨日の男性と同じ質問を二つ目までする。
そして、最後のあの質問をすると、昨日の男性とは真逆で冷静に否定した。
次は昨日の男性と同じく若い男だった。
私は次の、その次の男性にも同じ質問をしていく。
 そして、今日の分が終わった所で本庁に戻ってきた。
「まったく、何がお気の毒なんだか」
 疲れて愚痴をこぼす私に蘇芳さんが笑顔で寄ってくる。
「大変そうだね。何か分かったの」
「いいえ、とりあえず、今日話を聞けた分では犯人と思われるような人物はいませんでした」
「よく分かるね」
 彼らの部屋を捜索させてもらったが、凶器らしき物なども見つからず、近隣住民に聞き込みをしても特に変わった人物がいなかった。
 何よりも彼らは、答え方はそれぞれ違うにせよ、彼女に本気で惚れていたのが分かる。
「刑事の勘ってやつかな」
 蘇芳さんの言葉に私は、そうかもしれませんと苦笑して返す。

 また次の日も同じように聞き込みに行こうと思った矢先だ。
「秋月、また事件だそうだ。今度は一四区で」
 その場にいたのは、私と係長だけであった。早急に二人で現場に向う。
 十四区のレストランが現場だ。また前の時と同じく鵜川達、一般刑事課が担当だった。
 今回はどのような遺体かという私の質問に、前回と同様。惨い遺体だと言い、第一発見者がセラピー送りになったと付け足した。
 今回の害者は男性。
 春日ギンジ。このレストランのシェフをしていた人物だ。
 現場は発見当時のままだ。腹部に穴が空いており、胃が近くのテーブルに置かれていた。
 胃の中には彼が仕込みをしていたであろう、料理の具材が詰め込まれている。
 係長はその現場を見て、異常だとひと言で思いの全てを言い放つ。
私は第一発見者が誰かを聞く。
「この店のウエートレスです。この光景を目撃してパニックを起こしている所にもう一人この店に勤めているウエートレスが出勤してきて、警察に連絡したそうです」
 鵜川はそこまで話すと、また付け加えたように私に言った。
「それと、ありましたよ。例の文字が」
 調理場に案内された私は壁を見た。
“gula”。“暴食”を意味するその単語が黄色い塗料で大きく書かれていた。
 一昨日の現場での私の胸の奥の何かが、少しすっきりとした気がする。
 害者についての詳細な情報を求める。
「被害者の春日ギンジはこのレストランでシェフを勤めており、海外からも高い人気を誇っています。ただ、この店の料理、実はカロリーや栄養表示が実際と異なっていることを疑われたことがあるんです。つい、二週間前に」
 恐らくこの男の罪状はそれだろう。偽りのカロリー表示をした料理を摂らせることで客の体重を増加させた。
 それにより、逆に自分の胃の中に自分で作ろうとした料理の材料を詰め込まれた。
「“七つの大罪”というやつですね」
 鵜川が私に訊ねた。
「そうです。人間が持つ七つの罪というもの。正確には罪に導くものといった考えで生まれたものです」
 犯人の目的はなんだろうか。
 私は自分の頭の中にある考えをまとめるべく、本庁に戻って治安維持課全員に招集をかけてほしいと局長に頼んだ。

 本庁に戻る最中、係長に頼み、私は家に寄った。私の推測を説明するために必要な物を取りに。
「今回招集をかけたのは、一係が担当している事件についてだ。一係の秋月捜査官から全員に話があるということで集まってもらった」
 和泉(いずみ)局長が会議室に治安維持課の一係から三係までを集めた理由を話したところで、私が前に出る。
「一係の秋月リゼです。今回は貴重な時間を少しお借りして、私個人の事件の推測を話したいと思います」
 スクリーンに一件目と二件目の事件の写真が映し出される。
 まだ現場を見た事の無い二係、三係からは驚きの声が聞こえる。
 事件の概要を説明したところで、例の“七つの大罪”について話した。
 そして、私は家から持ってきた物を取り出す。
「今回の事件、犯人はこの本に書かれている殺人事件を実行しているという考えに私は至りました」
 それは、キルアから借りている例の本、『彩りは彼方へ』だ。
 この本に書かれている、“七つの大罪事件”について説明する。
「殺害方法は本と異なっていますが、現場に残されているメッセージ、ターゲットとなる人物はそれぞれ罪状に有名人という点から推測しました」
 私はそこで話を終える。すると、二係の男性捜査官が手を上げて発言した。
「そこまで、分かったところで次はどう動こうとお考えですか」
 本の中でも“色欲”、“暴食”の順に殺されている。今回の事件と同じ。よって、次の罪に該当するような人物を何人か予想立て、護衛にあたる事が犯人逮捕に繋がる可能性が高いと私は返した。
 私は本を開いて次に標的となるであろう罪状を述べる。
「“avaritia”。“強欲”です」

 和泉局長は一係と二係に今回の事件解決の協力態勢を取るように言い渡した。三係は補助にあたる。
 これ以上の犠牲者を出してはならない。本の中で被害者は全員殺されてしまった。今回は、この本という予備知識のようなものがあったから、犯人がどう動くのか推測できたのだ。
「やっぱり、お前は凄いな」
 アレンがデスクで、ここ最近、あるいは以前に問題を起こしている有名な人物をテミスシステムに検索をかけて探しながら言う。
 私が、何が凄いのか問うと、他の捜査官ならそのような本があることすら分からなかっただろうと言う。
「私はたまたま読んでいただけよ」
 犯人が思う“強欲”にふさわしい人物を探しながら答える。
 一係、二係でリストをつくり、該当した人物は四人。
 一係の六人、二係の六人で一二人。三人一組の班を四つ作る。その際、私達の班は小梅から蘇芳さんへと変更になった。
 私の班は、伊集院シロウという高級ブランド会社を経営する社長に事情を話に行く事にした。
 恐ろしい金の亡者だとネットの裏掲示板などには書かれており、そんなネットの情報を鵜呑みにした訳ではないが、彼の会社の影響で何社もの会社が潰されている。
「あの、秋月先輩」
 伊集院の会社に向おうとデスクを立った私に話しかけてきたのは小梅だった。
 私は何かあったのかと問う。
「すみません、捜査から外れて――最初から全然仕事ができていなくて」
 始めの織部アマネの遺体を目にして、逃げたことをずっと悔やんでいた。
 彼女の肩に手を置いた。
「気にすることじゃない。こんな異常殺人事件を見て、平気でいろなんて無茶は言わないわ。あなたにはあなたの仕事があるのよ」
 これで彼女の気が少しでも晴れればいいと思って言った。
「ありがとうございます。先輩みたいになれるよう頑張ります」
 彼女は一係の部屋を出て走っていった。
「何だか複雑な気分ね」
 私はそう呟いて、待たせているアレン達の元に急いだ。

 高級ブランドを取り扱う、伊集院グループ。社長室に着いた私は,細身で自社のロゴが袖に刺繍されたスーツを着ている彼に事件の事を話した。
「昨日、ニュースで観ましたよ。殺された織部アマネ。彼女とは何度かお会いしたので驚きました」
「私達に護衛をさせてください。犯人が次に狙っているのはあなたかもしれないのです」
 私の言葉に彼は表情を険しくする。
「先程の話を聞いたところ、あなた達は私が裏で不正な金の取引をしていると言いたいようでしたが、それはまったくのでたらめです。そのような噂は流されましたが、私は、裏の取引なんてものはしておりませんし、犯人に狙われる理由はないと思いますが」
 その言葉に返したのは蘇芳さんであった。
「その事に関しては謝罪します。ですが、犯人が何を思って二人もの人物を殺害したのか、その意図は掴めておりません。次の標的は伊集院さん以外かもしれません。しかし、犯人の意図が掴めない以上、私達はできるかぎり動く事しかできないのです」
 その言葉の後、少しの間をおいて、伊集院が護衛を頼むという返答をした。

「金のためなら、犠牲も厭(いと)わないか」
 アレンの誰に言うでもなく呟く。
「彼が裏で取引をしていたかは分からないけど、事実だとすれば、皮肉ね。私達は善良な市民を守り、治安を維持するためにいるのに」
 蘇芳さんが、少しくたびれた表情で答える。
 私達が護衛として、彼の豪邸の駐車場で監視を始めておよそ六時間。深夜一時頃だ。
 怪しい人物どころか、人の出入りが全くない。
「本人ももう眠っているかもね。使用人もほとんど帰っているし」
 私はハンドルに手を置いて退屈そうにしているアレンに仮眠するように言った。
「お前は休まなくていいのか。昨日の二件目の事件から動きっぱなしだろう」
 しばらくしてから交代してくれればそれでいいと言うと、アレンはシートを少し傾け、眠りにつこうとする。
 それから一〇分程経った時だ。
 私の端末に緊急通信が入る。かけてきたのは係長だった。
「秋月、三件目の被害者だ。十七区の川原に来てくれ」
 焦りを感じたその声に私はアレンを起こし、席を変わってもらう。すぐに車を走らせて、一七区に向かった。
 現場にはすでに多数の刑事や鑑識が集まっていた。橋のすぐ下だ。
 立っている係長に呼びかけると、現場に行くように言われた。彼女の表情は悔やんでいた。
「秋月さん。どうぞ、現場はまだ弄ってありません」
 一般刑事課の鵜川が現場を覆うホログラムで出来たテントに私を招き入れる。
 遺体はまた酷いものだった。
 死因はおそらく溺死。しかし、その後で顔を切りつけられた後が無数にあり、手首と足首が切り落とされていた。
 害者の情報を求めると、彼はいつものように端末に表示された資料のページをめくりながら、読み上げる。
「久我(くが)サトシ。四〇歳。見た事ありませんか。テレビドラマなんかで有名な俳優です」
 テレビなどもう何年も観ていない。
 鵜川はテントから出るように言う。
 例の文字です、と短く言い放った。
 直ぐ側の橋に緑色の塗料で例のメッセージが残されていた。
“invidia”。“嫉妬”だ。
 その文字を見た彼は、その文字の理由となるような、害者の情報を話し始める。
「害者はドラマだけでなく舞台にも出ていました。そこで、自分よりも優れた共演者や若手の俳優に、嫌がらせや舞台に細工をしてケガをさせたりしていたそうです。舞台関係者は彼の行動を知っていて尚、世間には公表しなかった。彼もそれなりのキャリアがあったからです」
 刑事は溜め息をついてテントに戻った。私はその場に膝から崩れ落ち、“嫉妬”を意味するその単語を眺めることしかできなかった。

 翌日、連続殺人事件がまた起きたとニュースで流れていた。
 それを警視庁の休憩室で眺める。正確には頭には何も入ってきていない。ぼーっと眺めているだけだ。
 他の捜査官は私の推測が外れたことに関して何も咎めはしなかった。誰も何も言ってくれなかった。
「観てないなら消すぞ」
 私はその声にようやく意識を取り戻す。アレンが何も言わずに目の前に座る。体も顔も横に向けたまま。
「ひどい顔してるな」
 私はその言葉に、うるさいと返しながら、隠すように机に突っ伏した。
「もう一度、やり直しだな」
 その言葉は責めるようでもなく、慰めるものでもなかった。私は体を起こして机に両手を置く。
「私は、自分が読んだ本の事件を実行する犯人のことを全て分かった気でいた。だから、次の行動もこの本の通りだと思い上がっていた」
 私の言葉に答える事なく、彼は黙って聞いていた。
「まだ何かあるのよ。犯人は何を目的にこの殺人事件を起こすのか。考えないと」
 アレンは私の目を真っ直ぐにみる。
 落ち着け、と言われた私は、深く呼吸する。
 目を閉じ、昨日の事を反芻する。
 思い出すのは伊集院の言葉。織部アマネと何度か会った。
 私は、ゆっくりと目を開ける。
「伊集院とこれまでの害者の関係を洗う」
 私の言葉に彼は不敵な笑みを見せる。そうこなくては、と意気込んで立ち上がる。早速、テミスシステムにかけて詳細な情報検索を行うと、走っていった。
 その後に私も続く。

 しばらくして、私の班は伊集院の社長室に来ていた。 
「昨日は残念でしたね。犯人は先に別の人物を手にかけたようで」
 彼の皮肉めいた言葉を気にする事なく、自分の失態を恥じていることだけ述べる。
 そこで本題に入った。今日は別の要件で来たと告げる。
「あなたと他の被害者の関係です」
 伊集院の眉が少し動く。
「昨日おっしゃいましたよね、始めの殺人事件の被害者、織部アマネと何度か会った事があると」
 彼は何も言わずに頷く。
 私は立ち上がって端末に二人の情報と伊集院の情報を映し出す。
「警視庁のシステムを舐めないでいただきたい。被害者達とあなたは会った事がある程度の関係ではありません。同じ学校に通っていた友人。事件に関与していると私は睨んでいます。」
 織部アマネだけでない。被害者は全員彼と同じ高校に通っていた。もちろん、被害者同士も同じだ。
「確かに私は彼らとまた推測でしょう」
 私は力強く答える。
「いいえ、これはこの事件に大きく関わっています。話してください、あなた達が高校時代の時の話を」
 はっきりとした物言いに伊集院は椅子を後ろに向け、窓から外を眺める。
 少しの沈黙の後、彼は話し始めた。
「私含め全部で七人のグループだった。あの時、私達はMOGシステムの加護がなくなり、荒れていました。特に私のグループはね。そして、ある一人のクラスメイトに手を出すことで鬱憤を晴らしていました」
 彼のいたグループは日頃からある男子生徒に嫌がらせを行い、自分たちの鬱憤を晴らしていた。それも、高校を卒業するまで。
「私は思いました。最初の織部の事件では、まだただの殺人事件であると。ですが、今回の久我の事件で確信しました。彼が私達に復讐を誓っている。断罪を行っているのだと」
 私はその男の名前を問う。すると、彼はある提案をしてきた。
「私が彼に命を狙われるのは当然のことです。殺人犯を生み出した当然の報い。だから彼が捕まった時は、私も逮捕してほしい」
 二〇年近く前の愚かな自分を振り返り、改心したとでも言うのだろうか。
 その願いに言葉を返すことなく、彼らが生み出したという、その殺人犯と思しき男の名前を聞き出す。
 重い口から発せられた名前を聞いた私は、去り際に一言だけ言い放った。
「伊集院さん、あなたは確かに、強欲という罪がお似合いです」
 本庁に戻った私は早速犯人の捜索にあたるように全担当捜査官に伝えた。

 警察は気付いたのだろうか。
俺は何も本の通りに殺しをやっている訳ではない。
これは断罪だ。奴らは俺の人生を狂わせた。全ては復讐のためだ。
 男は隣に置いてある死体を見下ろしながら考えていた。

 昨日、伊集院から教えてもらった名前の男を追う。
 諏訪(すわ)タツミ。現在は一二区のマンションで一人暮らしをしている。運送会社に勤務しているが、彼の職場に電話してみたところ、ここ最近、来ていないという。
「やっぱり、こいつが犯人なのか」
 諏訪の住むマンションに向かっている最中の車内でアレンが疑問に思ったことを述べる。
 今回、蘇芳さんは本庁で情報収集にあたってもらっているため、二人だけだ。
「可能性は高い。これ以上はくい止めないと」
 マンションに着いた私達は、彼の部屋のインターホンを押す。
 しかし、反応がない。管理人に借りてきた鍵を使い、慎重に扉を開ける。
 中は真っ暗だ。短い廊下のはずだが、とても長く感じる。アレンが左右にある部屋の扉をゆっくりと開く。まだ犯人と断定はできないので、ハンターは使えない。スタンバトンを構えて部屋を探る。私は、真っ直ぐに歩いていき、リビングの電灯を点ける。
 そこには、至る所に犯行の計画と思しきものが書かれた紙、ナイフなどの刃物が散乱していた。
「どうやら、ビンゴみたいね」
 私は鑑識課に連絡を入れる。
「川内課長、一係の秋月です。一二区のマンションを調べてほしいので、至急来てもらえますか」
『分かった。何人かそっちに向わせよう――ちょっと待ってくれ』
 川内が通信の向こうで別の電話を受け取ったようだ。
『秋月、残念な知らせだ。新しい被害者が出た。お前の所にも連絡がくるだろう』
 通信が切れると同時に事件の発生を教える通知が入る。
 九区のボクシングジム。
 私はアレンに諏訪の部屋を抑えてもらい、現場へと向った。

 現場には鵜川がいた。
「いつも早いですね」
 私の言葉に彼は、仕事ですからと疲れた笑みを浮かべる。
 そして、遺体の側にくると真剣な表情に戻した。
 場所はボクシングのジムだった。経営者は能美(のうみ)マコト、元は選手として活躍していた。激昂して相手選手に後遺症が残る程の試合をしたことがある。
 MOGシステムがあった頃は、危険なスポーツは全て禁止されていた。
 もちろん、彼が選手だったのはそれが無くなってからの事だ。
 そんな彼が無惨にもリングの上で、両腕を潰され、体にはいくつもの打撲痕がみられる姿を晒している。
 そのすぐ側に赤い塗料で“ira”とメッセージが残されている。
「“憤怒”か、なるほど。しかし、仮にも元ボクシング選手の彼がこうもあっさり殺されますかね」
 私の疑問に彼が、追加の情報を読み上げる。
「まだ簡易チェックですが、一般の鑑識課が調べた所、体から毒物が検出されたそうです。それも、神経を麻痺させる」
 彼の事務所に飲みかけの飲料があり、そこからも同じ成分が検出されたという。彼は体が動かなくなった状態で、抵抗も出来ずに殺された。
 鵜川も私の考えに頷く。
 そこで、彼に例の諏訪の件について離す。犯人と思しき人物が浮かび上がったことと、その理由も。
 彼は大変感心して、もう事件は解決も同然だと喜んでいた。だが、肝心の諏訪が見つからないことには逮捕のしようがない。アレンに通信を入れる。
「四人目の被害者だったわ。そっちは何か分かった事は無い」
「今、鑑識と部屋の中を漁ったんだが、例の本が見つかった。ただ、リゼの持っていたものと違うんだ。写真を送る」
 彼の言葉に疑問を持ったが、写真を送るというので、通信を切ってそれを待つ。アレンから送られてきた写真を見るとそこには、確かに本が映っている。だが、それは私の読んだ物とは違った。
 アレンに諏訪の家にあったその本を持ってくるように再度通信を入れて頼んだ。

 夜、一台の車がある豪邸の近くに停まった。周りにある塀の一部分に前々からここに訪れ、少ない作業時間を費やして穴を開けていた。それをくぐり、今度はこの屋敷の使用人と同じ格好をする。この数週間の間、ここに勤める人間達の格好をよく観察し、同じものをデザイナーに頼んで仕立ててもらった。
 懐にはナイフを一本だけ忍ばせ、使用人用の勝手口から中に入る。この豪邸は以前から建てられていた物を軽く改装した程度だということも把握している。そのため、セキュリティに関しては甘い。
 まだ、本来の使用人の勤務時間のはずだが、誰の姿も見当たらない。
 好都合だ。そう思い、急ぎ足で目的の場所に急ぐ。
 この豪邸の主の寝室。扉の鍵は用意しておいたピッキングツールで開く。この部屋は主しか入れないようにするため、鍵は一つしかない。それにより、誰かが入るであろうという心配をしなくなった主は、鍵にもセキュリティをかけていないという甘さの連続により、侵入を許してしまったということだ。
 音を立てないように鍵を開け、ゆっくりと扉を開ける。
 広い寝室だ。天井も高い。奥にベッドが一つあり、その他には、壁際に机が置いてある程度だ。
 ベッドの毛布は人が入っているのを示すかのように膨らんでいる。
 側まで歩き、そっと懐からナイフを取り出す。一切の迷いなく、そのナイフを思いっきり突き立てようと高らかに上げた瞬間だった。
 突然、毛布が飛んできた。
 それと、同時に持っていたナイフが弾かれ、腹部に強い衝撃が走る。
 腕を後ろに回され、顔を床に叩き付けられた。
 必死に抵抗しながら、その人物を男が見上げる。
「おとなしくしろ」
 黒いスーツに身を包んだ女性が男に叫んだ。照明が点き、他にも同じような格好をした男女が入ってくる。
 ベッドに潜っていたのは、リゼだ。入ってきたアレンが、
「諏訪タツミ、連続殺人の容疑で逮捕だ」
 手錠をかけ、奴を立たせる。
「おいおい、まだまだ終わってねえのによお、こんな若い女に捕まるなんて」
 捕まったというのに、うっすらと笑みを浮かべて言う諏訪。
「おあいにく様、あんたの部屋を調べて見つけたのよ。随分とやってくれたわね」
 リゼは諏訪に例の本を見せて続ける。
「あんたはこの本の通りに殺しを行っていた。私の読みは間違っていなかった」
「あんたも読んでたのか。でも、その割には遅かったな」
 諏訪の言葉に彼女は溜め息をつく。
「そうね。なぜなら、私が読んでいたのは和訳されたもの。あんたのは海外の原作そのものだったからね」
 諏訪の読んでいた『彩りは彼方へ』は、リゼが借りて読んだ和訳本とは違い、原作となる海外のものだった。そして、和訳版との決定的な違いは、殺す順番であった。和訳されたものは原作と順番が改変されていたのだ。そのため、今回五人目の被害者になるはずだったのが、強欲となる。
「普通ならそんなこと、あり得ない。物語の辻褄が合わなくなるから。でも、この本は違う。殺された人物の罪を入れ替えても成り立つようになっている」
 和訳をした者が何を思ってこのような順番にしたのかは分からないが、そのせいで随分と遠回しさせられた気分だ。
 起こされた諏訪は笑みを浮かべる。そして、一言
「The color of the distance」
 と私に言った。
「そいつを連れて行ってくれ」
 係長に指示に、アレンと蘇芳さんがパトカーに連行しようとする。
 二人が諏訪を連れて扉に差し掛かった時だ。
「久しぶりだな」
 今回の被害者になるところだった伊集院が諏訪の前に姿を表したのだ。
「後、もう少しでお前を殺して、全財産を奪ってやる所だったよ。」
 諏訪が怒り交じりの声で言った。
 だが、金よりも伊集院を殺すことが最優先だったと奴は述べた。
 伊集院は黙ってその言葉を受け止め、そして、その場で土下座した。
「お前は悪くない。全ては若くして愚かな私達が悪かったのだ。だから、お前は悪くないのだ」
 そう涙ながらに謝る。
 しかし、諏訪は今更謝ったことに関して厳しく咎め、伊集院の頭を蹴る。
 蘇芳がみぞおちに一発打ち込んで気絶させ、落ち着いた所で連れて行った。
 その様子を見ていた私達の元に立ち上がった伊集院が歩いてきた。
「治警の皆さん、本当にありがとうございました。諏訪をあんな風にしてしまったのは、私達の責任です。どうか、お願いします」
 リゼの前に手を出してきた。
「顔を上げてください」
 伊集院は私の顔を見る。
「あなたにこの前言った言葉、覚えていますか」
 彼女が去り際に彼に対して、強欲という言葉が似合うと言ったこと。
「あなた達は諏訪という一人の人間を貶め、彼の人生をめちゃくちゃにした。それを謝罪により、何も失わずに罪を償う権利をもらおうとまでした。そんな考えを持ったあなたは、そのグループの中で最も強欲にふさわしいと思ったのです」
 自らの過ちを謝罪し、過去の許しを請おうなどという。
「いや、あなたは本当に罪を感じているのかもしれない。だとすれば、他の仲間よりも罪を償えるかもしれない。だからといって許される訳ではない。その罪の意識は死ぬまで持つべきものだと私は思います」
 リゼは彼を避けて歩き、部屋から出て行った。それに続くように他の一係の捜査官もその場を後にする。

「事件は解決したようですね。本当にお疲れまでした」
 鵜川が車の近くで待っていた。
「お疲れ様です。私よりも鵜川さんの方がお疲れでしょう。いつも現場に一番に到着し、誰よりも調査が早かった」
 私は煙草に火を点けて言った。
「それが、私達刑事の努めです。どんな人間であろうと殺されるというのは可哀想なものです。それは犯人も同じこと」
 犯人が可哀想。私の言葉に彼は月を見るかのように上を向いて話す。
「誰にも自分の思いを告げることができず、そのような犯行に至ってしまった犯人もまた被害者の一人です。だから、我々が一刻も早く逮捕することで、その犯人の思いを聞き出してやることも救いなのではないかと思うのです」
 彼のような刑事は初めて見た。恐らく、私もこのような考えを求められているのだろう。だが、私は彼のようになれない。それでも、彼の言葉に感心することぐらいは出来る。
「では、失礼します」
 敬礼する鵜川に、私は今まで一番力のこもった敬礼を返す。



 諏訪が捕まったニュースは翌日、大々的に報じられた。最近起こった事件の中でも、最も猟奇的な連続殺人事件として当然だろう。
 それと同時に、伊集院グループが裏で行っていた悪事の全てを公表して、逮捕されたニュースも一緒に報道されていた。

 それをいつものように休憩室で眺めている。
「観てるのか」
 いつものようにコーヒーを渡され、ミルクの有無をアレンに確かめる。
「とりあえずは、お疲れさん」
 コーヒーを啜るアレンに例を述べた私は、紙カップの中に映る自分の顔を見つめる。
「あの本だと、全員助からずに犯人が捕まったんだろう。なら、俺達は三人も救った事になる。素直に喜ぶべきだろう」
 黙っている私に気をかけたのか、そう笑いかける彼の顔を見て、少し疲れが取れた気がした。
「そういえば。最後にあいつが言ってたの、どういう意味なんだ」
 続けて飛んできた彼の質問は、諏訪が連行される際に述べた言葉のことだろうと思った。
「“The color of the distance”。『彩りは彼方へ』という意味よ。あの本のタイトル」
 和訳された方の犯人は最後に捕まった時に日本語で言っていたが、奴が読んでいたのは英語で書かれていたため、それに合わせて言ったのだろう。本と全く同じ終わりにはならなかったが。
 なるほどな、と感心しているアレンと、コーヒーを啜る私の端末に同時に通信が入る。
『二三区で立てこもり事件発生。治警は直ちに急行してください』
 私は残っていたコーヒーを飲み干し、カップをゴミ箱に投入れた。
「おい、昨日の今日なのに無理するなよ」
 その言葉に私は、休憩室の扉を開けて言う。
「大丈夫よ」
 二人は休憩室から車両の止めてある駐車場へと向かう。

 その日の夜、風呂上がりの私の端末に通信が入る。
『リゼ、元気にしている』
「キルアじゃない。私は相変わらずよ」
 彼女から電話があるのは珍しい。
『今、アメリカにいるんだけど、そっちで連続殺人と聞いてね。リゼがどうしているかずっと連絡を取りたかったのだけど、忙しくて中々できなかったわ』
「ありがとう。もう事件は解決したわ」
 そして、あの本の話をする。
『今回の事件って、あの本に似ていたわよね』
 彼女の言う本とは、私が借りたものだろう。
『なるほど、じゃあ最後にはあの台詞も言ったの』
「The color of the distance、英語で言ったわ」
 キルアは電話越しで笑う。今度、ちゃんとした原作も読まなくてはと。
 あの本のタイトルの意味は何なのかという、ふと疑問に思ったことを言うと、彼女は面白そうに話す。
『“彩りは彼方へ”。犯人は殺害現場に様々な色を残していった。そして、最後捕まった彼は、もう何も彩りがない牢屋に入れられるだけ。だから――』
 彩りは彼方へ、と私達は声を揃えて言う。
 後日、彼女が帰ってきた際にあの本を返す約束をして、私は通話を終えた。

4、獲物と狩人

 手に熱い感触が、赤い液体が、彼の体から出ている。
 暗い路地で、息を荒くしている彼の手を握り、私は何も出来ず、その赤い液体の溢れる場所を抑える。
 名前を何度も叫ぶ。
 喉が張り裂けそうだ。
 だが、関係ない。
 私は何度も彼の名前を呼ぶが、遂に目を覚ます事はなかった。

 目を覚ました。端末のアラームが鳴っていたので、それを急いで止める。
 まずは眠気を取るためにシャワーを浴びよう。
 熱い湯が私を目覚めさせる。
 次に朝食を作る。なるべく栄養価を考えて調理していく。
 それを食べた後は、いつものスーツに着替える。もう何度と着慣れた。
 警視庁に勤めることになり、ずっと繰り返してきた朝。今日も無事に一日を終えれることを祈る毎日。
 鞄の中身を確認し、机に目をやる。
 そこに置かれている一輪の花が入った花瓶。その隣に置かれている写真立てには私と一緒に笑顔で写る彼の写真が収まっている。
 行ってくるよ、とだけ告げた。
 私は扉を開けて、今日も治安維持課一係の係長として、警視庁に向かう。

 オフィスに着くと、一係の新入りである小梅(こうめ)が報告書を持ってきた。
 私は、自分のデスクに座り、それに目を通す。
「今回は問題なさそうだな。この調子で頑張ってくれ」
 受け取ったそれを、ファイルに挟むと、
 彼女は嬉しそうに自分のデスクに戻り、次の仕事にかかっていた。
 懐かしい。彼女を見ると、まだこの治警に所属したての頃の自分を思い出す。
 しばらくして、次に私の部下にあたる秋月(あきつき)が入ってきた。
「係長、諏訪タツミの件の報告書をまとめておきました。今から送信しても大丈夫ですか」
 それは、四日前に解決したばかりの事件だ。ここ最近の事件では最も凄惨なものであった。
「構わないが、あまり無理はするなよ。お前はただでさえ、あの事件で最前に立って、辛いものを見たはずだ」
 私の言葉に彼女は慣れています、と軽く笑顔を見せる。
 頼りになる部下だが、まだまだ恐れ知らず過ぎるのには気付いてもらいたい。
 今度は秋月と同期の弓月(ゆづき)だ。二人は警察学校時代からよくペアを組んでいたのを見ていた。
「自分も報告書をまとめたので、お願いします」
 私は二人の報告書に目を通す。
 彼も秋月に負けず劣らず優秀だ。特に問題となる部分はなかったので、二人にも報告書は問題ないと伝える。
 そろそろ自分の仕事を始めようと思った矢先だ。
『一五区で殺人事件。治警は直ちに急行してください』
 機械音声で告げられた私達は、四人で現場に向う。

 現場は一五区のとある空き家だった。誰も住んでいないこの家で死体が発見されるとは奇妙だ。
「治安維持課の御堂(みどう)です」
 私が警察手帳を表示すると、現場を確保している警察官が敬礼して道をあける。ホログラムのテープをくぐり、先に現場に到着していた一般刑事に話を伺った。
「何とも無惨なものです。何やら薬品を使ったようでして、とにかく酷い」
 薬品。私はその言葉が引っかかった。
 そして、遺体のある部屋に入った私は、遺体を見て眉を顰める。
「皮膚がドロドロに溶けているんです。こんな遺体を見るのは初めてでして」
 顔の皮膚が溶けている無惨な遺体が横たわっていた。
 見覚えがある。この遺体には。
 “水酸化ナトリウム”。皮膚などを溶かせる薬品として真っ先に思い付いた。過去に捜査した事件で犯人が使っていたからだ。私はテントから出る。
 秋月が私の顔色を見て、セラピーに行くことを勧めてきた。
 そんなに酷い顔をしていたのか、私は大丈夫としか言えなかった。
「少し気分が悪くなったが、なに、問題ないさ。それよりも、事件の調査にあたろう」
 遺体についての詳しい結果は、鑑識課からのものを待つことにし、本庁に戻って捜査を始める。

 被害者は一四運区に住む女性。
 勤務している会社が一五区にあり、電車を使って通勤していた。
 しかし、昨日は会社に来なかったという。真面目な性格だったと言われる彼女が、無断欠勤をしたことで、上司は何回か連絡したそうだが、一度も出なかった。
「鑑識の結果、殺害された予想の時間は昨日の午前中、おそらく昼前だということです。遺体の状態が酷く、正確な時間は分かり難いと」
 小梅が鑑識から聞いてきた結果を報告する。
「また、薬品を使われていたんですが、死因は腹部にある刺し傷。ここから毒が検出されたそうです」
「じゃあ、会社に向う最中の害者を、人目のつかない所で毒を塗った刃物で殺し、それから薬品を使ったってことか」
 アレンが小梅の言ったことをまとめて納得する。
 すると、係長が立ち上がり、
「過去の捜査資料を渡しておくから、みんな目を通してくれ。何かの参考になるだろう」
 この場にいる全員にファイルを送信してから、部屋を出て行ってしまった。
 今日の係長に何か異変を感じると思ったのは私だけではないだろう。
 そこに入れ違いで蘇芳さんが入ってきた。
 今日は午後から夜の担当である彼女に、挨拶する。彼女は、私に返事を返すと、午前中にあった事件について質問してきた。小梅が軽く説明すると、送られてきた資料を見せてほしいと言われたので、彼女の端末に転送した。
 それが受信されたことを知らせる通知が鳴り、すぐに彼女は目を通す。
 少し見た所で、大きく溜め息をはきながら、納得したように椅子に座った。
 何があったのか、という私達の質問に、話していいのか逡巡していたが、その過去の事件について話し始めた。

 本庁のトレーニングルームに来た御堂は、練習用の人型アンドロイドの設定を最高に近い状態にして相手をする。
 練習用アンドロイドは対人格闘訓練のため、様々な格闘技の技をメインPCにプログラミングされており、相手の動きに合わせて最適な攻撃を繰り出してくる。凶悪な犯罪者を捕まえるためには、それなりの腕がいる。
 彼女は所属してから、何かあるとここに来ていた。ストレス発散になると教えてくれた、ある人物の影響が強い。
 アンドロイドは、外装ホロで雰囲気を出すために大柄な男のデザインを選択する。それをまるで本物の人を睨みつける。最初に動いた相手の繰り出す、右のストレートを避ける。と同時に手首を掴み、左膝をその右肘に下から当てる。
 相手が生身の人間なら折れていただろう。今度は胸ぐらを掴みにかかった左手を弾き、そのまま頭突きを相手の顔面にあたる部分に喰らわせる。
 よろめいた敵の胸に肘打ち。そこから、右のアッパーを繰り出す。
 何とも呆気なくアンドロイドが練習の終了を電子音声で告げる。
「ここにいましたか」
 トレーニングを終えようとした御堂に声をかけたのは、先輩である柳であった。
 設けられているベンチに並んで座る。
「川内さんから聞きましたよ、午前中の事件のこと」
 御堂は、そうですかとだけ答える。
「やはり、例の事件と同一犯だと思いますか」
 彼の言葉に頷く。
「こんなことをするのは、奴しかいないでしょう。毒、薬品を使うのが、奴の特徴です」
 確かにと彼は御堂の言葉に上を見上げるように答える。


「“毒殺薬品事件”。連続で四件も続いた事件で、標的は全て若い女性だった」
 係長からもらった資料に目を通しながら、蘇芳さんの言葉に耳を傾ける。
 当時のニュース記事なども、結構な量が貼られている。もう七年も前のものだ。
 その時の報告書に目を通すと、担当捜査官の名前が書いてある。
 御堂マリヤ、蘇芳ライラ。そして、伊崎リオという、聞いたことのない男性捜査官の名前があった。
 私達が知らないのも無理はない、と彼女が苦笑して答える。彼女が配属された頃にはまだいたそうだ。
「私が配属されて、半年を過ぎた頃かな。その事件が起こったのは」

 九年前。毒殺薬品事件の起こる二年前の夏だ。
 私はまだ一係の捜査官になって四ヶ月の新人だった。
 それは彼も同じだった。
「御堂さん、この前の事件の報告書、提出お願いできますか」
 突然呼ばれて、変な声を出してしまった。彼は私に謝り、もう一度ゆっくりと言い直す。
 私達をまとめている柳係長に報告書の提出をする。
 内容もしっかりとしているので、受け取ってもらえた。挨拶をして、席に戻る。すると、隣から小さく笑い声が聞こえる。
「そんなに緊張しなくてもいいだろ。報告書を出すだけだぜ」
 伊崎リオ、私と一緒に一係に配属された同期だ。
「いいでしょ、別に」
 少し恥ずかしくなり、厳しく返す。
「そう怒らないでくれよ」
 申し訳なさそうに手を合わせる彼に怒ってはいないとだけ告げて仕事に戻る。
 いつも彼にはからかわれてばかりだ。
 だが、ふざけているように見えて、捜査の時は誰よりも柔軟な発想をする新人であった。その彼の背中を追うようにしていたのが私であった。
 他の先輩達には、私は新人らしくていいとよく言われる。
 毎日、必死で事件の解決に勤めていた。凄惨な殺人事件を前にしても、逃げずに最後まで向き合っていた。
 しかし、彼と一緒に行動していると、自分の未熟さ、成長を感じないので辛い事が多くなった。
 ある日、リオを探していた私は、彼がトレーニングルームで、アンドロイドを相手に格闘しているのを見つけた。
 終わった所で私は声をかけた。
「体を動かすのは楽しいだろ。鍛えられるし、一石二鳥だ」
 タオルで頭を拭きながら、言う。
 彼が実際にトレーニングしているのは初めて見た。
「本当に楽しいの」
 私はあまりここに来たことがない。別に体を鍛えなくとも、ハンターがあれば、敵を瞬時に捕獲、処分が出来るからだ。
「分かっちゃいねえな。何かにすがりっぱなしじゃ、いつか痛い目を見る。体を鍛えておいて損はない。それに」
 彼が少し間を置くので、続きを促した。「ストレスの発散にもなる」
 何とも想像よりは、迫力に欠けたことを言う彼だったが、それから少しはここに足を運ぶようになった。

 配属二年目にして、初めての後輩ができた。
「蘇芳ライラです。先輩の方々を見習って頑張りたいと思います」
 初々しさと力強さを感じさせる彼女の挨拶に二年前の自分を思い出す。
 今回の新人は女性捜査官一人だけとなった。厳しい試験を通れたのは五人だけで、他の係に二人ずつ。一係はそれほど人員を必要としない程には足りているので、彼女一人だ。
 教育係には私とリオが選ばれ、主に三人で捜査にあたることになった。
 勝手な思いだが、私とリオを足して割ったような子だった。
 彼女が配属されてから、半年が過ぎた頃、不審な遺体が発見された。
 殺された後に薬品で皮膚を溶かされた遺体だ。
 その時、遺体を観たリオは、
「ただごとじゃないな」
 といつにも増して真剣な様子で答えた。彼の言葉の通り、被害者が続出し、ただごとではなくなった。
 四人目の被害者が出た時だ。薬品の出所を掴んだ私達は、その薬品を扱う会社に勤めていた男に狙いを定めた。
 この事件の容疑者、乾カヘイ。
 私達は街を人目を避けながら歩いている奴を街頭カメラで見つけて追っていた。リオの後に続いて、私、その後ろを駆けつけた柳さんが。
 路地を曲がった奴をリオが取り押さえようとした。
 だが、奴は隙をついて、隠し持っているナイフを彼の腹に刺した。
 私が駆けつけた時、奴にもたれかかるようにしたリオの姿があった。
 私を見た乾は、リオを突き飛ばして逃げて行った。
「リオ」
 私は彼の名を叫んで、走り寄る。
 腹部からどくどくと溢れる血を見て私は完全にパニック状態だった。
 すぐに病院へと電話をかける。
 私の手を掴んだ彼は、途切れ途切れの言葉で、犯人を追うように言った。
 彼の手を取り、傷を抑える。血で自分が汚れることなど考える余裕も無く。
 柳さんが走り寄ってきて、リオと私に目をやった後、乾が逃げていったとされる道を走っていった。
 呼吸の弱まる彼の上半身を抱き寄せ、傷口を抑えて出血を抑える。
 病院に搬送され。すぐに手術が行われた。私は手術室の前で祈る。
 乾を追っていた柳さんも、奴の姿がすでになくなっていたことを確かめ、蘇芳と一緒に病院に来ていた。
 どれくらい待ったか分からないが、手術室のランプは消え、中から出てきた担当医に私はすがりつくように訊いた。
 彼はこの程度で死なない。そのために日々鍛え上げてきていたのだ。
 だが、医師は何も言わずに首を横にゆっくりと振った。それで全てを察した私は、その場に泣き崩れた。
 
 三日間、部屋から出なかった。仕事にも行かず、私はずっと部屋に籠っていた。
 突然鳴り響く端末の通信音に眠っていた私は起こされる。
 相手は柳さんであった。出ることはしなかったが、メッセージで彼の声が聞こえてくる。渡したいものがあるから来てほしい。いつでもいいとのことだった。私は、ゆっくりと立ち上がり、スーツに着替え、本庁に向かった。
 泣き腫らした目は酷いものだった。
 目の腫れを誤魔化すように軽くメイクを施しておいた。
 着いて早々、柳さんは私を会議室に連れてきた。
 そこで、スーツの襟につけていたバッジを取り、私の襟につける。
 それは一係の係長を示すバッジだった。私は、なぜ彼がそんなことをしたのかを問い質す。
「部下を死なせたのは私です。私は自らの責任のため、係長という役職を捨てる事を和泉(いずみ)局長に伝えました。そして、次の係長はあなたにしたいと」
 その言葉に私は言葉を荒げる。
「柳さん。あなたは自分がしたくなくなったものを私に押し付けているだけではないでしょうか」
 大切な仲間が殉職したばかりで、まとめ役となり、仲間を引っ張れなど、普通では考えられない。
「そうです。私は弱い人間です。だから、あなたという強い方にお任せしたいのです」
 私が強い。違う、私だって弱い人間だ。リオの方が本当はこの一係をまとめるのに向いていた。
 私は、彼の代替品に過ぎない。
 そう言うと、彼は私の肩を掴む。
「皆が一度として、あなたをそんな風に言ったことはありますか」
 その言葉に私は、自分の考えがいかに愚かなのかを思い知らされる。
 勝手な私の思い込みだったのだ。それでも、私には出来そうにないと思った。そこで、彼はこの話を一旦終えようと提案する。まだ、渡すものがあると。
 彼はある小さな箱を渡してきた。
 開けてみると、中には随分と綺麗な指輪が入っていた。
「それは、伊崎君の自宅から見つかったものです」
 私は驚いて、それを落としそうになった。
「彼には身寄りがないので、警察が荷物の処分などを担当しました。そこで、その指輪とあなたに当てた手紙がみつかりました」
 彼は、スーツの内から出した手紙を渡してきた。受け取った私はそれを読む。
 内容は私達が配属されて、二年が経ったなどと書かれていた。
 そして、途中から、彼の胸の内が書かれていた。また、涙がでそうだった。
 だが、心に誓ったのだ。もう泣いてばかりの姿を彼に見せるようではならない。私はなんとしてでも、リオを殺した奴を、乾を捕まえる。
 そして、一係を率いていくと。
 涙を拭い、凛々しく敬礼をする。

 蘇芳さんはそこまで言い終えると、自分が会議室の外から聞いた話だと言った。
私はそこで、いつも係長が首から下げているチェーンについた指輪の意味が分かった。
 そこに、係長と柳さんが戻ってくる。
「皆揃っているな、さっき渡した資料にもう目を通したか」
 私達の前で、聞こえるようにそう訊ねる彼女に頷く。
 この事件の犯人逮捕を一番に望むのは、係長だろう。
 彼女は、それぞれの仕事を割り振ると、自らも仕事に移った。

 私達が過去の事件から犯人を乾カヘイだと想定して、捜査を進める。
 まずは、犯人が使用した薬品が水酸化ナトリウムであることは確定していた。そしてナイフに塗っていたであろう、毒がどこで手に入るか。
 数々の手がかりを調べる。
「水酸化ナトリウムを置いている工場、研究所などに問い合わせた所、数の減りや盗まれた形跡などはないとのことです。そして、ナイフに塗られていた毒なんですが、七年前と同じものだと分かりました」
「これで、乾カヘイが犯人なのは、ほぼ確定だな」
 後は乾を探すだけだ。私はそう思って、七年前の彼の写真を様々な街頭カメラ映像と照らし合わせ、テミスシステムからも抽出を試みたが、見つからない。
 それもそうだ。七年も見つかることなく過ごしてきたような人物だ。徹底して街頭カメラなどを避けてきたにきまっている。
 なら、なぜ今になってまた殺人を犯したのか。直接問い質す必要がありそうだ。

 隔離区画に近い、古い店に来ていた。
 色々なものが置かれているこの店は、表向きでは中古ショップという扱いになっているが、実体は違う。
「久しぶりだな、御堂」
 厳しい表情をした店主を勤める初老の男性は、私を見てひと言だけ述べる。
 私が入ってくる前から読んでいたであろう、古い本に向き直り、何が欲しいと言った。
「七年前に起こった、“毒殺薬品事件”の容疑者、乾カヘイの居場所」
 しばらく何も言わなかったが、店主は本を置いて、煙草に火を点ける。
「悪いが、もう長らく会っちゃいねえ。会ったとしても奴に協力はしないつもりだった」
 灰皿に灰を落としながら、そう告げる男の前に、私は厚い封筒を投げる。
 彼は、金はいらんと言った。だが、私の目的はもう一つある。
「銃が欲しいの」
 その言葉に、彼は私を少し睨む。
 煙草を吸いながら、奥に来るように言った。
 店の奥には、ありとあらゆる凶器が置かれている。このご時世でも、そんなものを扱えるルートはあるようだ。
 本来ならば、この場所を摘発するべきなのだろうが、今はそんなことはどうでも良かった。
「M92Fだ。使い方分かるか」
 彼が目の前の机に一丁の銃を置いた。予備の弾倉を二つ合わせて。
 銃を鞄にしまい、店の奥から出て行こうとして呼び止められた。
「御堂、お前刑事辞めるのか」
 私はゆっくりと振り返る。
「覚悟はしている」
 それだけを言い残して、店を出た私は自宅へと戻る。

 翌日、リゼが昨日乾の顔を整形したと仮定してモンタージュを作成した。それに類似する人物を街頭カメラから数人見つけ出し、手分けして行動を追った所、犯行が行われた日に一五区に姿を表した男を一人だけ見つけた。その男の行動を追う。他の映像を追うと、隔離区画に入っていくのが見えた。
「係長、犯人と思しき人物を見つけました。隔離区画にいる可能性が高いです」
 一係全員にカメラの映像を見せ、私達は隔離区画へ向かった。
 そこで、班を分けて捜索を行う。
 私とアレン、蘇芳さんが一つの班となり、柳さんと小梅がもう一つの班となった。
「係長は」
 小梅が質問すると、彼女は背を向けて一人で充分だと言った。
 そして、犯人を見つけても殺すなと付け加える。彼女自ら、奴に制裁を与えるつもりだろう。
 ハンターも奴を確保できるよう、麻酔弾が発射されるようになっている。

 警察がこの隔離区画に入ってくるのが、見えた。
 まだ一人しか殺してないというのに、随分と早いものだと不思議に思う。
 ビルの上で、パトカーから降りてきた人物を見ると、懐かしい顔が三人もいる。
「なるほど、あいつらなら俺の事を知っていて当然か」
 男は廃墟ビルの非常階段から降りて、逃走ルートを走る。

 汚れた廃墟ばかりのこの区画。どこまでも続くようなその光景の中に私は奴がいることを願う。
 歩いている最中、彼に言われたことを思い出した。
「俺達の仕事ってのは、ある意味、紙一重だ。もしかすると、俺達が犯罪者になることだってあるかもしれない」
「何よ、急に」
 休憩所でテレビのニュースを眺めながら、突然そんな事を言い出す彼。
「犯罪者を追う余り、俺達の心まで犯罪者のものと同じになっちまう可能性があるかもしれないということさ」
 そんなことが本当にあるのだろうか。だとすれば、おかしな話だ。正義のために悪を追う私達が同じになるなど。
 そう呟くと彼は言った。

「正義とは何か」
 あの時の、彼の言葉を小さく呟き、フッと笑う。私がやろうとしているのは刑事としての仕事だ。ただの殺人などではない。
 奴を探す。曲がり角を、銃を構えてゆっくりと進む。
 狭い路地だ。ここはあの七年前と別の場所だが、何となく似ている。そう考えている時であった。
 空き缶のようなものが蹴られる音が聞こえた。音のした場所まで、一目散に駆ける。曲がり角を曲がった所に男の背中が見えた。
「乾」
 私は奴の名を叫んで、引き金を引く。
 しかし、麻酔弾は壁を削るだけだった。奴がまた別の門を曲がる。
待て、と叫びながら、奴の足下を狙って撃つ。
 しかし、走りながらでは中々当てる事が出来ない。道を曲がる度に、撃つ。そんな追いかけっこも終わりを遂げる。
 奴が逃げたのは、路地の中でも少し開けた場所で、行き止まりだった。息を切らして壁に手を付く奴を追い詰めた。
 こちらを向いた奴の顔は、秋月の作成田モンタージュの一つにそっくりであった。整形手術を受けていたが、私には奴が乾だと分かる。
「あの時の刑事か。仲間の心配なんかせずに俺を追っていれば、すぐにでも捕まえられただろうに」
 黙れ、と奴に怒鳴り、足を狙ってハンターの引き金を引く。しかし、弾が発射されない。
 奴を追いながら撃っている内に弾が尽きたのだ。
 奴は楽しそうに笑っていた。殺す、こいつは何があっても殺さなくてはならない。そう思った私は、銃を捨てる。そして、本物の銃を取り出す。
 奴は笑うのを止め、怯えたように壁にすがる。
 安全装置を外し、試しに足を撃つ。
 警察学校では、今でも普通の拳銃を訓練の時に扱っている。久々に撃ったこの感覚。
 奴は足に穴が空き、地面で喚いている。
 それに歩み寄り、頭を踏みつけて抑える。
「何を喚いている。まだ始まったばかりだ」
 奴は、大げさに騒ぐ。
 そして、懐に隠し持っていたナイフを起き上がると同時に私に刺そうとした。成長がないと思いながら、私はその腕を避け、手首を捻る。
 ナイフを取り落とした所で、再度地面に寝転ばせ、手の甲に力一杯ナイフを突き立てた。
 地面に固定された手を必死に抜こうをする奴の腕を踏みつける。
 肘を砕く勢いで。
 奴を見下ろしながら、頭に銃口を向ける。
 ようやく、終わる。仇を取れると思った時だ。
 誰かが、私の足に何かを撃ち込んだ。倒れる際に背後を見ると、そこにはこちらにむけてハンターを構える柳さんの姿があった。

 乾カヘイは救急車に乗せて運ばれた。係長は、医療課によって警察病院に運ばれる。同時に来ていた香澄(かすみ)が私に声をかけた。
「セラピーの必要な奴がいるんじゃないのか」
 私は、煙草を吸いながら、現場で忙しなく動いている皆を眺める。
「係長なら病院に行ったわよ」
 その言葉に、彼女は溜め息をつく。
「あの人がセラピーの対象になるとは、この仕事を始めて今日まで思わなかったよ」
 同じ気持ちだ。あの係長が追い詰められる程に大切な人がいたのだ。
「いや、失礼な話ね」
 私の独り言に香澄が反応したが、仕事に戻ろうと誤魔化した。

 事件解決から一週間。係長は今も戻ってきていない。
 彼女が所持していた拳銃は、私達が秘密裏に処理しておいた。それは、柳さんからの頼みだ。
 彼は、入院している彼女の元にこの一週間、必ず足を運んでいる。
 今日も一係のオフィスには、二人を抜いた人員しかいない。
 最悪、事件解決には私達だけでもあたれるが、一係の存続にも関わる。
 だが、皆の思いは係長に戻ってきてほしい。ただ、それだけであった。

日の差し込む病室にいる三人。
 御堂は窓を眺め、曇りの空を眺めていた。彼女の側には椅子に座っている柳。そして、ベッドの真正面の壁にもたれかかり、腕を組んでいる香澄の姿であった。誰も何も話さない。
 だが、その沈黙を終わらせたのは、御堂であった。
「夢を見ました。柳さんに撃たれて眠ったあの日、私の目の前に彼が出てきたんです」
 私を見るなり、年を取ったなんて 揶揄う(からか)彼の顔は、昔と変わらないままで」
 柳はその言葉をただ、聞き続ける。香澄も同じように何も言わない。
「そして、言ったんです。私はもうただの捜査官じゃない。仲間の命を預かる大事な役割を持っていると」
 そこで、御堂は柳の方を向く。その瞳はとても力強いものであった。
「ご迷惑をおかけしました。戻れるのなら、私はまた、一係に戻りたいと思っています」
 申し訳なさそうに、しかし、どこか力のあるその言葉に彼は立ち上がり、
「待っています。皆で」
 とだけ言い残し、病室を出て行った。「もう大分治ったみたいですね」
 香澄が少し疲れたような声で話す。
 御堂は、彼女にも迷惑をかけたことを謝る。すると、彼女は後ろでに手を振りながら病室を出る際にひと言だけ述べる。
「あなたには、困った時に助けてくれる仲間がいる。そのことさえ忘れなければ大丈夫でしょう」

 それから、更に三日後であった。御堂は一係の係長として復帰した。
 和泉局長も、彼女の処分は特に言い渡さなかったという。
 彼女をまた一係に戻そうと思った動機をリゼが聞いた。
 彼女は答える。
「ここは、彼がいた場所だから。私はいつか離れるときまで、彼の思う正義を抱いておきたい」
 そう微笑んで。

5、芸術的な死を

 東京の地下を走る終電。車両には酒に酔った中年の男性、大学生ぐらいの女性、そして本を読む青年が乗っていた。
 もう終着点に近いころだ。
 
「これは古い話だ。昔、同じ乗り物に乗り合わせた男女がいた。男は眠りに陥りそうだった。そして、同乗したか弱い女性も同じく。しかし、彼女は突然、何かに操られたかのように、全く面識のないその男性の首にナイフを突き立てた」
 青年が本を眺めて声に出すと、突然女性が立ち上がった。その目には光が宿っていない。
 男性の目の前に立った彼女は、鞄から鋭い刃物を取り出す。
 そして、男の首にそれを突き立てた。
「女は苦しむ男に対し、執拗にそれを何回も突き刺す。血を浴び、肉を浴び、恍惚の表情を浮かべながら」
 彼女に刃物を突きつけられた男性は、酔いなど覚めたかのように目を見開く。苦しそうに呼吸をする男性に何度もその刃物を突き刺す女性。
 男性が動かなくなると同時に電車は駅に停まった。
「終着点だ。芸術作品の出来上がりを告げるのは、彼女の笑い声。そしてそれは、新たな物語の始まり」
 青年は駅のホームでそう言い残し、車内を赤に染める二人を置いて去っていく。

 年が開けて、一月の真冬の寒さが身にしみる中、私達治警一係は地下鉄の車両で死体を眺める。
「犯人は駅員に現場を取り押さえられたらしいな」
 係長の言葉に小梅(こうめ)が資料を読み上げる。
「はい、都内の美術系大学に通う女子学生だそうです。害者の男性とは面識は全くないという話ですが」
「見知らぬ相手に、ここまでするか」
 遺体の横に屈んで、私は言う。
 昨日の終電、終着点に着く直前で女子学生がいきなり男性の首に、持っていた刃物を突き立てた。
「こりゃ、ただの殺人事件では済まなさそうだ」
 アレンが私の向かい側で、遺体の周りを見渡しながら言う。
「車内の映像見せてもらえるそうです」
 蘇芳さんに駅員室まで来るように言われ、私達は駅員室の幾つかのモニターの映像を観る。
 それは終着点に着くしばらく前から始まった。
 女子学生と男性だけになったのは終着点の三つほど前の駅だ。
 二人ともただの乗客のように見える。
 終着点近くになった時だ。女子学生が立ち上がった。
 その瞬間、映像が途切れる。
 係長が訊くと、駅員が確認した時からだそうだ。
 そして、映像が戻ったかと思うと、もう女子学生が高らかに笑っており、そこを駅員に押さえられる所だった。
「別視点のカメラは」
 私が言うと、駅員は、首を振る。
「別のカメラは先程のカメラで観る事の出来ない手前の席が映るんですが、そのカメラは終着点に着く更に前から映らなくなっていました。さっき見せたのが唯一長くあの車両内を映していたものです」
 私は礼を言い、もう一度、現場になった車両に戻る。
 何か引っかかるのか、と私の横に経つアレンが問うたので、気になる事を話す。
 何故、この席を映すときだけカメラは正常に仕事をしなかったのか。
 私はカメラに映らなかった場所に座る。
 大事な時に停まったカメラと、その前から停止していたカメラを見る。
「ここに映りたくない何かがいた」
「まさか、そんな簡単にカメラを弄れるとは思えないが」
 私は係長の元に戻る。
 犯人である女子学生に話を聞きにいきたいと申し出るためだ。
「彼女なら、駅員に見つかってからパニックに陥ったらしい。セラピーを受けているだろうから、香澄(かすみ)に連絡を取った方がいいな」
 そう言われ、香澄に通信を入れてみる。相変わらずの疲れたような声が聞こえる。例の女子学生はどうなっているか訊くと、今は特に問題がないとのことだ。
 アレンを連れて、私は被疑者の元へと向かう。

 本庁に戻り、医療課にあるセラピー対象者用の部屋に向かう。
「何を訊くつもりなんだ」
 彼の言葉に、私は色々とだけ答えておく。
 部屋の前に着き、ドアをノックする。中から入っていいと許可が出たので、自動で開いた。
「香澄、被疑者の女性は」
 そこだよ、と振り向かずに指で私の背後を示す。
 後ろにはカーテンを閉めてあるベッドが置いてある。
 ゆっくりとそれを開けると、眠っている女子学生の姿があった。
 私達が向かっている間に、落ち着いたのだが、そのまま眠ってしまったのだという。
「タイミングが悪かったわね。まあ、いいわ。彼女について何か分かった事あるかしら」
 私の質問に香澄は溜め息をつく。
「さっきまでずっとパニック状態でな。ここに来るまでずっと、私はやっていない、の一点張りだ。何とか落ち着いたと思ったら、疲れが溜まっていたせいか、眠ってしまった」
 私はやっていない。その言葉を頭の中で反芻する。
 あの映像を観ると、彼女がやっているに違いないが。アレンが頭をかきながら、困ったように言う。
 すると、彼女の瞼がゆっくりと開かれた。
 起きたか、と声をかけながら、香澄がベッドまで歩いてくる。
「あの、私は」
 寝ぼけているのか、自分が運ばれたことを忘れているように、辺りを見回す。
 そんな彼女にコーヒーを手渡した。
「飲めますか。申し訳ないんですが、これしかないので。一応豆はちゃんと挽いてるので、味は大丈夫だと思いますが」
 普段なら見ない彼女の丁寧な対応に驚きの視線を送る私達の側で、女子学生はカップを受け取り、ゆっくりと口に近づける。
 少し飲むと、ホッとしたような表情を浮かべた。
 香澄が私達の事を紹介し、話を聞けることになった。
 私が、彼女が電車に乗る経緯を訊いた。
「昨日は大学から返る途中、友達とご飯を食べに行きました。それで、帰りが遅くなったので終電に乗りました。そこで、眠くなって、降りる駅まで居眠りしてたんです」
 そして、起きたと思った時には駅員に取り押さえられ、血の付いた凶器を手にしていたという。
 次の質問に移る。
「あなたは男性との接点は何もなかったんですよね」
「ありません。初めて見た方ですし、私も疲れていたので、誰が乗っていたかなんて見てませんでした」
 両膝を抱え込んで座る彼女を見て、ふと気付いたことを訊いてみた。
「すみません。付かぬ事をお伺いしますが、あなたの左手は――」
 私がそこまで言うと、彼女は何かを察したように左手の袖を捲る。
「“電子義手”です。子どもの頃に事故に遭って、その時に取り付けました」
 私は彼女のその義手を見せて欲しいと頼み、了承を得た。
 触れてみると、至って普通の義手だ。外装は強化プラスチックで出来ているため、硬度は高いが重さをさほど感じない仕組みになっている。人間の本物の腕に近い動きを行えるようにプログラムされているのだ。
 私は、彼女に礼を言い、腕を放す。
「私、どうなってしまうんでしょうか。このまま警察に――」
 その場を去る前に、私は不安な表情の彼女に言う。
「今すぐにとはいきませんが、真相は突き止めます。ただ、期待はあまりしないでくださいね」
 はい、と彼女の顔は、先程よりかは安心を見せた。

 オフィスに戻った私達は、その後の調査で分かった事を川内課長に話してもらう。
「凶器は“パレットナイフ”だ。油絵に使うやつ。こんなもんで殺人なんて、まあ俺は今まで聞いた事ないな」
 ホログラムで作られたスクリーンに血の着いたパレットナイフが映し出される。「例の監視カメラについては」
 係長の質問に課長は困った表情をする。「あれなんだが、どこも異常が見当たらなかった。現に今は正常に作動してる。あの一部分だけ映らなかった理由はまだ分かっちゃいない」
 女子学生が立ち上がった瞬間に映らなくなったカメラの映像。私はその事も含め、今回の事件で重要な点を頭の中で整理する。
 課長の報告が終わった後、係長から各自に仕事が言い渡される。
秋月(あきつき)と小梅は例のカメラについて調べてくれ。蘇芳と柳さんは現場付近の調査を。私と弓月(ゆづき)は被害者についてもう少し詳しく調べる」
 それと、係長は付け足すように言う。
「今回の事件のことではないんだが、この場で話しておく。この前の連続殺人事件の犯人である諏訪と、この前の事件の犯人、乾の口からも“DD”という人物の名前が出てきた」
 一係全員に緊張が走る。
 諏訪の連続殺人事件の計画に協力、乾に殺人を促したのは、その人物だと言う。
 ここ最近の事件に出てくる名前。男とされている奴は何者なのか。姿を見せることなく、私達を弄ぶかのような奴を一刻も早く捕まえなくては。
 そのことを念頭に捜査を開始する。 
 私は駅からもらってきていた、例のカメラのデータを自分のPCに入れた。
 まずは、可能な限り、復旧作業を行う。どんな些細なことでもいい。手がかりが見つかれば。
 データ復旧ソフトを起動し、その映像の復旧を試みる。
 だが、エラーの連続で復旧の気配がない。そこで、このカメラの機能に気付く。
「もしかすると、音声が録れてるかも」
 車内カメラにしては、結構いいものを使っているじゃないかと思った。
 ほとんどの公共機関には、カメラが取り付けられる義務が為された。何かトラブルが起きた場合、それを記録しておき、事件解決に用いるためだ。
 通常は撮影だけで、音声まで録れるものは中々ない。
 私は音声プログラムの復旧を始める。
 女子学生が立ち上がった瞬間から映像が途切れた方のカメラが録ったと思われる音声を復旧させるため、キーボードを叩く。しばらく試してみた結果、雑音(ノイズ)混じりだが復旧は出来た。
 私と小梅はパソコンに耳を近づける。
『これ――古い――。昔、ある――に乗り合わ――いた。男は――』
 聞こえてくるのはノイズ混じりで途切れ途切れだが、男のものだ。
『女は――対し、――それを何回も――。血を――、肉を――、恍惚の――』
 断片的にしか聞こえてこない声で、何を言っているのか全く分からない。しかし、小梅がそこまで聴いた所で、あることに気付いたようで、監視カメラの映像を流しながら、その音声を再び流す。
「これ、多分この二人のことですよ」
 そう言って示したのは、殺された男性と女子学生だった。
 私はもう一度音声を再生する。
 集中して聴くと、確かに合っている。この声が言う、“男”と“女”は被疑者と害者のことだろう。
 分かったことは、やはりカメラに映らない場所にも人がいたということだ。
 だが、何故映らなかったのか。何か仕掛けがあるに違いないが、それが分からない。
 そこで、小梅の端末に通信が入った。
「別に出て構わないわよ」
 私の言葉に彼女は頭を下げて、一係のオフィスから出て行った。
「エリちゃんどうかしたの」
 近くにいた蘇芳さんに声をかけられたので、通信が来ていたことを話すと、最近よく誰かと通話していることを教えてもらった。
 彼女は、小梅に交際相手が出来たのでは等と話していた。
 いくら後輩とはいえ、通話の相手まで探る必要はないだろうと思い、片隅に置いておく程度にそれを覚えておく。
「すみません、遅くなりました」
 一〇分程で戻ってきた彼女と音声の解析を始める。
 テミスシステムにこの声と近い人物をリストアップさせた。結構な人数がヒットしたが、これで分かったことは、この声の主が男だということ。
 再度リストの作成を依頼した。今度は予想できる年齢を割り出し、その年齢に近い人物を出させた。
「大分数が絞れたわね。十人ぐらいならすぐに回れそう」
 そのリストに載っている人物に電話をかけてみる。
 二人程、今すぐにでも会えるというアポを取ったので、係長に捜査の進捗を報告し、聞き込みに行くことを伝える。
「この中に事件の真相を知っている人物がいるかもしれないんですよね」
「そうね。あの声だけじゃ頼りないけど、貴重な証拠だから」
 そんなやりとりの中、私は道中の車内で、小梅に質問してみた。先程の通話についてだ。
 すると、恥ずかしそうに、最近仲の良い男性が出来たと言う。
 同じ絵画教室に通っている青年だそうだ。彼女が芸術方面に興味を示しているのも驚きだった。
「彼の絵を見た時、なんと言っていいのか、すごく引き込まれる気がしたんです」
 そう語る彼女は楽しそうであった。
 私達のように普段から過激なものを見る職業に就く人間は何よりも趣味を大事にしたほうがいい。そして、それを共有できる人間も必要になる。
「余程、素敵な絵を描くのね。その彼」
 私も見てみたいと言うと、その内彼に話してみるそうだ。

 あのカメラに録音されていた声の主を探しに行ったが、今日会った人物は二人ともハズレであった。
 両名とも昨日は電車に乗っていないということで、裏もちゃんと取れている。まだ八人は残っている。この中に真相を知る者がいることを願うしかない。
 御堂(みどう)係長達も被害者について調べに行き、戻ってきたところだ。
 だが、思うように進展はない。私達は気を取り直し、続きは明日からにした。
 帰る仕度をしていると、時計を見た小梅が急いでオフィスを出て行った。
「何かあったのか」
 アレンが椅子に座ったまま移動してきた。
 さあね、とだけ返して私もオフィスを出た。彼女に仲の良い男がいることは言わずに。

 いつも待ち合わせ場所は変わる。
 今回は美術館だった。
 場所は二一区。警視庁から車でおよそ一時間程の場所だ。
 入館料は端末を翳す事で、電子マネーによって支払われる。
 静かな雰囲気の中、私はなるべく音を立てないように、しかし急ぎ足で、彼の姿を探す。
 すると、一枚の壁に飾られた絵を見つめる人影があった。
 少し乱れた呼吸を整え、鞄から取り出したコンパクトの鏡で髪とスーツの襟を正して、歩み寄る。
「遅くなってごめんなさい」
 私が小さく声をかけると、彼はゆっくりとこちらを向いて微笑んだ。
「エリさん。お仕事中にすみませんでした。どうしても会いたくなって」
 宮島アスカ。私と同じ絵画教室に通う美術大学に通う青年。銀色に染められた、男性にしては少し長いと思われる髪が揺れる。
「いいのよ。今日の仕事はとりあえず終わったから。それで、何を見ていたの」
 私は彼の見ていた絵を横に立って見る。
「イタリアの画家が描いた物です。特殊な技法で書かれていて、まだそれを実践している人は数えられる程度なんです」
 一見すると普通の絵で描かれている。それは、広大な草原に赤い服を着た人物が描かれた幻想的な絵だ。
 しかし、彼が言うに赤い色は動物の血を用いているらしい。
「何だか気味が悪いね――」
 私の感想に彼は、他の絵を見ようと提案した。
「なぜ、急に美術館に」
 私が質問すると、彼はいつもの微笑み浮かべて、勉強の一環ですと答えた。
「一人ではつまらないので、エリさんも一緒にと思いまして」
「なんだ、そうだったの。私はてっきり――」
 そこまで言って、言うのを止めた。
 彼が先を求めたが、私は何でもないと誤魔化した。
 絵画を見ている時の彼はとても楽しそうだ。私も彼と一緒に見ている内に楽しくなってくる。
 色々な人物の、様々な作品。
 それは別世界のようだった。
 一通り館内を回った私達は、美術館を出て、すぐ近くのレストランに入った。
「楽しかったです。付き合って頂いてありがとうございました」
 彼が例を述べるが、私としても色々と勉強にはなったので良い時間だった。
 料理が運ばれてくるまで、本の話をした。彼は本もよく読んでいる。
 様々な分野に手を出し、インスピレーションを求めている。
「私もその本、読んでみようかな」
 彼は今度その本を貸してくれると言う。
 職場にもよく本を読む先輩がいると話した。そして、彼の絵を見てみたいと言っていたことも。
「本の話は楽しそうですが、僕の絵を見せるなんて恥ずかしいですね」
 照れくさそうに笑う彼の顔も魅力的なものだった。
 店から出た私は車で彼を送る。車内で話すのは、絵のことだ。
「今度はどんな絵を描くの」
「まだ決めていなくて。よければ、同じテーマで描きませんか」
 私が彼と同じテーマなど描けるのだろうか。
 一五区にある住宅街で彼を下ろした。家まで送らなくていいかと言うと、遠慮された。
「じゃあ、今週末は絵画教室で会いましょう。アスカ君」
 私は家に帰るべく車を走らせた。

 彼女は僕に惚れているだろう。
 この宮島アスカという偽の名前を使う男に。
 僕は自分の芸術作品を作るために手段を惜しまない。
 髪を風に揺らしながら、今回の作品の為に歩く。
 時間は二二時。作品作りにもってこいな場所まで歩く。
 しばらくすると、喧騒が聞こえてくる。飲食店の並ぶこの場所は仕事帰りの人間が多い。
 端末から音が鳴る。すぐ側のバーに条件を満たした人物がいるようだ。そこに入ると、客は僕以外に女性一人しかいない。ちょうどいい。ここは喧騒が聞こえてくる割に人の入りは少ないようだ。
 まずはコートのポケットに入っているリモコンで店の隅にある監視カメラの機能を停止させる特殊妨害電波を流す。
「お客さん、ウチの店は初めてだね」
 マスターと思しき人物がグラスを拭きながら話しかけてきた。
「分かりますか」
「ええ、人通りは多いのにあまりお客が来ませんからね」
「いい店だと思いますよ。雰囲気が好きです」
 礼を言ったマスターは注文を訊いてきた。
 僕は“ブラッディ・マリー”を頼む。
 ウォッカをベースとしたトマトジュースを用いたその酒は、まさしく血の色に見える。
 一六世紀のイングランド女王、メアリー一世の異名に由来している。彼女が即位した後に三〇〇人のプロテスタントを処刑した事から、『血まみれのメアリー』と恐れられていた。
「これを頼まれたのも店を開いて二回目ぐらいだ」
「少ない物なんですね。まあ、もう頼まれる事もないでしょう」
 マスターが不思議に思い、その訳を訊いてきたが、僕は時期に分かると言った。
 五分後、僕はコートの懐から小さな本を取り出した。
「今日も私は芸術を生み出す。新たな作品作りの幕開けだ」
 僕の唐突な朗読をマスターは目を瞑って聴いていた。
「ここには女が一人と男が一人。準備は整った。さあ、始めよう。まずは刃物を手に取る」
 すると、二つ席を開けて座っていた女性が立ち上がる。
 そして、カウンターへと入って行く。
「ちょっと、お客さん、ここへの立ち入りは禁止しています」
 マスターが席に戻そうと近寄った瞬間、女性はマスターの腹に何かを当てた。
 密着した状態から離れたマスターの腹部には先程まで、置いてあった包丁が刺さっていた。
「女は何度も男を刺す。彼女はその血を元に酒を作る。そのためにはもっと必要だ」
 女性は呆然と立ち尽くすマスターを押し倒し、抜いた包丁を何度も突き刺し、グラスを片手に取る。
 それを傷口に押し当て、血を入れる。次にウォッカを注いだ。
「これこそ、真のブラッディ・マリーだ」
 僕は目の前に置かれたマスターの血で作られたその酒を見つめながら呟く。
 そのまま店内を出て、再び歩き出す。今度こそ自分の家に帰るべく。

 地下鉄での事件から二日後、私達は第二の現場に来ていた。
 一六区のバーのマスターが女性客に殺された。刺殺だ。何度も刺された後があり、カウンターにはその血を使って作られた酒が置かれていた。
 発見が遅れたのは殺害された後、その日に客が来なかったこと。容疑者の女性がマスターの死体を見て気絶していたことに、翌日は定休日としている日だっので、二日という期間が開いたのだ。
「ふざけやがって」
 アレンが苛立ったように床を強く踏みつける。
 私は彼をなだめて、現場を観察する。
「またしても不可解な事件だ。それにしても、何で容疑者の女性は自分が殺した者の遺体を見て驚いたのかだ」
 係長の言葉に小梅が端末から捜査資料を開ける。
「さっき、香澄さんから来た情報では、女性はこの店で飲んでいることは覚えていたそうです。睡魔に襲われ、いつの間にか眠っていたと。そして、気付いた時には自分の目の前に害者の遺体があったそうです」
「つまり記憶が抜けていると」
 私が言うと小梅は頷く。
 そこで、アレンが店の隅にカメラがあるのを見つけた。店内で唯一の監視カメラだ。
 バーの奥に録画されているレコーダーがあったので、データを映しておいた。
 川内課長達、鑑識に任せて本庁に戻った私達はさっそく、カメラの映像を再生する。
 店内がマスターと女性だけになる状態まで映像を早送りした。そして、目的の部分になって少しした所で、映像が途切れた。次に映った時には、マスターがカウンターで女性に刺されている映像が映し出された。
 私は頭に手を当て、溜め息を吐く。確信した。この前の事件と同様で何者かが裏で糸を引いていると。
 
 この前の事件と今回の事件の整理をした。
「前回の事件は地下鉄の終電で起こりました。害者は中年男性、犯人はその場で抑えられた女子学生です」
 小梅がまとめた資料をスクリーンに映しながら読み上げる。
「そして、今回の事件は一六区のバーの店主が常連客である、近くの会社に勤める女性に包丁で何回も刺されたというものです」
 そこまで読み終えると、スクリーンの画面が消えた。
「女性の方はさっき、香澄先生が話を訊いたそうなのですが、やはり覚えていないと」
「自分で殺したのに、覚えてなくて、気付いたら目の前に死体があって気絶しましたって、ショック症状的なもので一時的な記憶喪失ってこともあるかもね」
 蘇芳さんの言葉に係長は頷く。
「いずれにせよ、この事件、何か裏がある。一刻も早く解決せねば」
 私はもう一度あの映像を再生する。何度か見た所で停止した。
 なるほどと呟いた私に、隣で見ていた小梅が質問してきた。この映像で疑問に思ったことを述べる。
「マスターが扉の方を見ている。映像が途切れる寸前だが、誰かが入ってきたのかもしれない」
 この監視カメラは扉の真上から店内全体を映しているため、扉が開いたのか分かり辛い。そして、誰が入ってきたのかもすぐに分からない。
 だが、マスターがこのカメラの方を見ていることが、誰かが入ってきたことを物語っている。
「誰なんだ。一体誰が入ってきた」
 私が音声の復旧を試みる。
 しかし、今回の監視カメラは音声まで録る事ができないものだった。
「とりあえず、マスターを殺した女性に話を訊く」
 私と小梅は香澄のいる、セラピー専用室に連絡を取り、今から向うと言った。

 私達が着くと、ベッドの上で女性が香澄の出したコーヒーを飲んでいるところだった。
「初めまして、治安維持課一係の秋月です」
 小梅も続いて名乗ったところで、私は話に入った。
「今回はあなたに事件のことを訊きたいと思いまして」
「セラピストの方にも言ったのですが、覚えてなくて――」
「覚えている部分を話して頂ければ良いです」
 女性は、仕事終わりにあの店に寄った。
 しかし、疲れていたせいか少し飲んだ所で寝てしまい、起きたと思った時には目の前にマスターの死体があり、自分の手に血の付いた包丁が握られていた。
「眠ってしまったのはいつ頃ですか」
「それも詳しくは覚えていないのですが、店に来て三〇分ぐらいだったような――多分、二三時近くだと思います」
 そこで、カメラの映像が途切れた時間を思い出す。
二十三時、女性が机に突っ伏していた姿が映っていた。
「寝そうになっている時、誰か入ってきませんでしたか」
 女性は顎に手を当てて考える。そこで、何かを思い出したように話す。
「確か、扉が開く音が聞こえました。私もそこで寝てしまったので、誰が入ってきたのかは分かりませんでしたが――」
 やはり、誰か来ていた。それだけでも充分な情報だ。
 私が立ち上がろうとすると、女性が足を摩っていた。
「どうかされたんですか」
 私の質問に女性は自分の足を見せた。
 それは、一見普通の足のようだが、精巧に出来た義足だった。
「たまに少しだけ痛むので、こうやって摩ってると落ち着くんです」
 態々言わせてしまったことを謝罪し、前の事件の犯人とされた、女子学生を思い出す。
「その義足、見せていただけませんか」
 私の言葉に戸惑いながらも、女性は義足の右足をベッドから下ろした。
 その義足はあの女子学生の義手と同じ会社、仕組みのものだった。
 彼女に例を述べて、私は一係の部屋に戻る。
「電子義手と義足について調べるわ」
「どうしたんですか、急に」
「今回の事件を解く鍵かもしれない」
 早速、電子義手を作っている会社を調べ、電話をかける。
 すると、その会社からある人物の名前を紹介された。
 東央大学理工学部の教授が、義手に使う電子回路の開発者だと。
 早速教授に連絡を取ってみた所、今日会えると言ってくれた。

 東央大学、日本で一番の学力を誇る国立大学だ。その歴史は長く、あのMOGシステムの開発者もこの大学出身である。
 その古く、何度も改修工事を為されたであろう研究棟に私達は来ていた。
「ここが、教授の研究室か」
 扉をノックすると、どうぞという声が聞こえ、鍵が解錠された音がする。
「失礼します」
 私達が中にはいると、そこには様々な論文と思しき紙の束が、机に散乱しており、とてもじゃないが綺麗と言えない光景が飛び込んできた。
「警視庁治安維持課一係の秋月リゼです」
「同じく一係の小梅エリと申します」
 挨拶を終えると、奥にある椅子に座る老人が立ち上がる。
「東央大学理工学部教授、西城(さいじょう)ハジメです。どうぞ、おかけになってください」
 私達は、近くに置いてある椅子に腰掛けた。
「こんな汚い場所で申し訳ない。私にはこの方が慣れているもので」
「いえ、構いません。それよりも急かすようで申し訳ないのですが、お話を聞かせてください」
「そうでしたな。しかし、私に話とはどういったものですか」
 私は今回の事件ついて話した。
 彼は、自分の開発した技術が事件に関連しているのではということで真剣に話を聞いていた。
「なるほど、電子義手の使用者が事件を起こしたと。それで、私を疑われているのですか」
「いえ、違います。電子義手の特性についてお聞きしたいんです」
 昔に観たドラマの真似事だと笑っている彼に、電子義手の影響で監視カメラに何らかのトラブルが起きるか訊いてみた。
 彼は、笑うのを止め、質問に答える。
「それはあり得ません。電子義手からは確かに微弱ながら電波が出ていますが、それが監視カメラなどの機器に影響を与える事はないです」
 次に電子義手の仕組みについて質問した。
「電子義手は本物の腕、足のような動きができると言われていますが」
「脳に直結している回路があります。人間の本来の手と同じ動きが出来るように、脳から送られてくる信号を受け取って動かしているのです」
 私はその言葉に驚いた。
「つまり、脳と直結していると」
「完全にではありませんが、そういうことになりますね」
 二つの事件、犯人とされている女性二人は電子義手・義足の装着者だった。
 つまり、脳の手足を動かすための信号を受け取るために一部の神経繋がっている機械を身に着けているようなもの。
「その電子義手や義足は、電波を逆に感知することはあるのでしょうか」
「基本的には電波などを感知する事はありません。影響もそうないかと。ただ、ウイルスなどを流されれば別ですが」
 教授に協力してくれたことの例を述べて、本庁に戻るべく車を走らせる。
「先輩、何か分かったんですか」
「仮説の段階だから、正しいか分からないけど、この事件の鍵にはなったわ」

 本庁に戻った私は一係メンバーを集め、西城教授から聞いてきた話を元に立てた仮説を話す。
「今回の事件、犯人とされる女性二名はどちらも、この電子義手・義足の装着者でした」
 それぞれの仕組みを説明し、本題に入る。
「西城教授の話によるところ、この電子義手・義足自体からも微弱な電波を出しているが、外部からの電波による影響はないということだそうです」
 ここからが私の仮説だ。
「ですが、全ての電波が影響を与えないものとは限らない。私は現場に居合わせた第三者がこの電子義手の回路にウイルスを流した。それは脳にまで影響を与え、体を自在に操ることが出来るのではと」
 そう、犯人は別にいる。その人物が女性達の義手・義足に何らかの方法でウイルスを流し、脳を操る事で、殺人事件を起こさせたのではないか。
「そんなことが可能なのか。まさか、初対面の男か女にウイルスを流されるような距離まで近寄られないだろう」
 アレンの言葉も最もだ。
「その方法がまだ分かってない。これはあくまで仮説なのよ。もしかすると、接近を許せる身内の犯行かもしれない」
「秋月の仮説、事件の進展としては充分だな。とりあえず、被疑者の親しい人物をあたってみよう。それと、彼女達の義手と義足を調べてくれ」
 係長から言い渡された仕事のために、私と小梅は被疑者の元に早速赴いた。
 留置場にいる一人目の被疑者を川内課長の元に連れて行く。
「電子義手か。これにウイルスを流して犯行なんてこと考えつく奴は、結構頭がいいかもしれんな」
 関心したように呟きながら、素早くキーボードを叩き、電子義手の回路を調べるための装置を起動させる。
 目の前にはベッドに寝かされた彼女が不安そうな顔で、天井を見上げている。
「よし、準備完了だ。スキャンだけだから、痛みを感じる事とかはないし安心してくれ」
 課長が彼女の不安を和らげるように言った。
 ベッドの側にある機械が彼女の義手に赤外線を当てる。
 数分間、念入りにスキャンされて出た結果は、義手の回路に微かな異常が見られたことだ。
「これだ。恐らく何かのウイルスか電波の影響を受けたに違いない。回路に見たこともないプログラムが仕込まれていた」
「どういったものですか」
「遠隔操作系だ。しかもこれは、複雑なだ。じっくり解析する必要がある」
 私の読みはあたっていたと確信した。二人に礼を述べ、オフィスに戻る。
「犯人は何らかの形で、彼女達を犯人に仕立て上げたんだわ。自らの手を汚さずにね」
「川内課長が言っていた遠隔操作のウイルスがそれを表しているってことですね」
 問題はそれをどのようにして流したかだ。
 私は考えるのに疲れた脳を休めるため、明日の予定を確認する。
「そういえば、小梅は明日非番だったわね」
 私の問いに、彼女が返事をする。
 となると、一人で捜査を進めることになりそうだ。
「私も明日調べておきましょうか」
「休める時にはしっかり休んでおかないとダメよ。ただでさえ、神経をすり減らすような仕事だからね。明日はしっかり休むこと」
 私の言葉に小梅は嬉しそうに頷く。

 薄暗いこの空間で僕は側にあるランプの光だけを頼りに本を読んでいた。
 『言霊を持つ者』。名前の通り、主人公は言葉による呪力という『言霊』を持ち、自分の力を見せつけるかのように言葉で人を殺す。実に芸術的だと思う。
 口にするだけで、相手が死ぬなど、夢のような話しだ。
 僕が胸を踊らせてその本を読んでいると、人の気配がした。
「また、その本を読んでいるのね」
 声の主は女性だ。もう何度と聞いた声。暗くて顔は見えなくとも分かる。
「僕の今回の作品に必要なものなんだ」
「知っているわよ。あなたの作品、三つ目が楽しみね」
 声だけで彼女が楽しそうにしているのが分かる。
 僕はふと、腕時計を見る。いつもの時間になっていた。
「そろそろ行かなくちゃ。また帰ってきたらゆっくりと」
 立ち上がって、壁にかけてあるコートを手に取る。暗くても場所は覚えているので分かるのだ。
「例の絵画教室ね。また素晴らしい作品を期待してる」
 部屋の扉に向って歩く際に彼女に礼だけ言った。
「ありがとう。また貴女を楽しませてみせるよ、”DD”」

 日曜の今日、私は毎週のようにこの絵画教室に通っている。
 昔から父の影響で絵を見るのも、描くのも好きだった。
 だから、今目の前には真っ白なキャンバスが置かれている。
「今日は何を描かれるんですか」
 私がそれをみつめていると、背後から声がかかる。
「アスカ君。今来たところ」
 私の問いに微笑んで彼が頷く。
 私はもう一度キャンバスを見る。
「まだ何を描くか決めてないの。テーマは自由なんだけど」
 すると、彼は顎に手を当て何やら考えている様子だった。
 そして、思い付いたようにいつもの柔和な笑みを浮かべて言った。
「エリさんが思う自由というものを表現してみてはいかがでしょうか」
 その言葉に私は不思議と納得した。
「私の思う自由――ありがとう。頑張って描いてみる」
 鉛筆を取って、下書きを始めた私は先程までとは違い、作業が捗っていた。
 昼過ぎに講座が終わるので、続きは次になる。
「ねえ、アスカ君。よければ、この後どこかでお昼どうかしら」
「構いませんよ。どこがいいかな」
 私は、彼と一緒に近くの店に入った。
 そこで彼が先程の絵について話した。「そういえば、前に同じテーマで描こうって言ってましたね」
 確かにこの前会った時に言っていたことを覚えている。しかし、私が自分の好きに描いてしまっているので、彼と同じとは行かないだろう。
「なら僕も自分の好きな絵を描きましょう。そうすれば、エリさんと同じテーマで描いたことになりますし」
 そういうことなら、好きに描いても問題ないだろう。
 絵についての会話を終えてしまったので、私は何気なく彼のことを訊いてみた。
「アスカ君って大学生だったよね。もう就職先は決まったの」
「いえ、就職活動中です。恥ずかしいことに中々決まらなくて」
 自分もまさか二年前まではこの仕事に就くとは思っていなかった。
 アドバイスのつもりではないが、実際自分がどのような仕事をしているかなど分からないものであると話すと、なぜ治警に入ったのかと言われた。
 その質問に私は改めて自分が治警に勤めようと思ったのか考えた。
「私、就職のための模試を受けたら、治警を勧められたんだ。調べてみたら、治警って一般刑事課程ではないけど、難解な事件を幾つも解決してたの。だから、私も犯罪を少しでも減らせるようにしたいって」
 普通過ぎて彼には退屈な話だったかもしれない。
 しかし、彼は素敵な理由だと言ってくれた。
「エリさんに合っている職業だと思います」
「そうだといいんだけど。なんで私がこの仕事向いてるのか未だに分からないんだよね」
 今でも事件の現場で遺体を見ると緊張はするし、先輩達の後についていってるに過ぎない。
「まだ治警になって二年目じゃなかったですか。なら、エリさんの才能が開花するのには早すぎるということですよ」
 才能と私は小さく声に出す。
「人には誰しも隠された才能があります。ですから、その模試の結果を鵜呑みにする訳ではないですが、エリさんには治警としての才能がちゃんと備わっているはずです。まだそれが発揮されていないだけで」
 自分よりも年下の彼の方がよほど大人に見える。
「アスカ君はなんだか、年下に見えないね。私よりも人生経験豊富そう」
 何だか複雑です、と彼は笑った。
 私はその後、彼と別れてから帰路についた。
 才能。私にその才能が備わっているとすれば、いつ開花するのだろうか。
 そんな事を考えながら、明日の仕事のために資料を少しだけでもまとめておこうとパソコンの電源を点ける。

 彼女と別れた後、僕は笑いが止まらなかった。
 犯罪を減らすなど無駄な話だ。何ともおもしろい彼女。
 今日も作品を作りに行こう。僕が喜ばせたいのは、小梅エリではない。もっと、崇高なあの人を楽しませるために僕は作品を作るのだ。
 彼女から、少しだけ事件の話を聞き出した。
「私が言ったこと誰にも言わないでよ。今追ってる事件の解決には半分ぐらいは近づいてると思う。先輩が凄い人で、犯人はその女性達じゃないってことはほぼ明確にしちゃったの」
 彼女から聞かされた通りであれば、僕の予想よりも早く追いつかれてしまいそうだ。
 仮に捕まったとして、その間に出来るだけ多くの作品を作らなくては。
 今回は住宅街を歩く。
 どこかに気配がないか探る。
 すると、いつもの感覚がしてくる。
 電子義手を装着している者がいるはずだ。その気配は至って普通の民家からしてくる。僕はコートの懐から眼鏡を取り出す。もちろん伊達だ。レンズを通して中の様子を伺えるようにプログラムをフレームにインプットさせてある。それをかけて民家の壁から中を覗く。
 二人の男女がいる。見た所、姉と弟のようだ。
 電子義手を使っているのは弟らしい。再度。コートの懐を探る。銀色の蝶の形をした集音装置。ひとりでに飛び出したそれは、民家の壁に張り付いた。
 これは僕が自分でプログラムを組み込んで開発したものだ。
 ただ、素材は彼女が用意してくれた。
 Bluetoothヘッドセットを耳にはめ、蝶が拾う音を聞いた。
『よく頑張ったわね。内定も決まって私も安心だわ』
『ありがとう。姉さんも結婚が決まって良かったよ。僕のせいで今まで迷惑かけて』
 なるほど、幸せの始まりか。僕は心の中でそう思い、自然と口元が歪む。
 さあ、始めようか。そう頭の中で呟き、音を立てないように颯爽と柵を飛び越え、庭に侵入する。壁にもたれ掛かり口を開く。
「仲の良い男女がいた。二人は家族だ。姉は苦心して、弟を立派に育て上げた。しかし、彼の心は姉を慕うあまり、やがて彼女を自分だけのものにしたいというものに変わる。そう独占欲に」
 僕が話すに連れて、弟に変化が訪れる。
『どうしたの』
 姉の疑問と不安が混じったような声で放たれる問いに弟は椅子から立ち上がる。
『姉さん――僕は』
 弟が姉の首を両手で掴む。
 姉の苦しみにもがく声と弟の悲しそうな声が絶妙なハーモニーとして僕の中で流れる。
 その声も止んでしまった。
 これで今日の作品作りは終わりだ。そうして帰ろうとした僕は背後の気配に振り返った。
 突如、何かが飛びかかってきた。
 真っ黒な猫だ。
 ただ飛びかかられただけなら無視して帰ればいいのだが、耳にはめていたヘッドセットがなくなっていた。
 急いで辺りを探そうとした時だ。車の音がする。柵から少し顔を覗かせて見ると、巡回中のパトカーであった。
 このままヘッドセットを放置して行くわけにはいかない。暗闇の中、必死でそれを探す。

 パトカーに乗っている警官の一人があくびをする。
「おい、パトロール中だぞ、集中しとけよ」
「眠いもんは仕方ないだろ」
 注意した警察官もその言葉には無理もないと思う。ここ最近、犯罪の件数は増えている。自分達の対処するものなど、細かな事件だが、だからこそ毎日多くの事件に遭遇している。
 もう少し犯罪が減らないものかと思いながら、何か異常がないかチェックする。
 すると、何やら民家の庭の木々が揺れている。何か不自然な動きのそれを確認するため、パトカーを停めてその民家に庭を調べることを伝えようとインターホンを押す。しかし、反応がない。
 警官の一人は許可をもらうまえに庭へとゆっくりと歩みを進める。
 一人は再びインターホンを押す。
「すみません。警察の者です。お宅の庭で何か不審な動きがあったので調べさせてもらいたいのですが」
 扉越しに少し大きな声で告げる。相変わらず反応がない。
 何やら嫌な予感がする。
 扉に手をかけると鍵は開いていた。
 中に入る事を伝え、ゆっくりとリビングに出ると思われる扉を開けた。
 そこに飛び込んできたのは、倒れた女性とその側で泣いている青年の姿だった。
「警察のものです。何があったんですか」 
 青年に声をかけても、泣いてばかりで返事がない。
 すると、窓の外にもう一人の警官の姿が見えた。そちらも察したらしく、急いで窓を開けて入ってくると本庁に連絡を入れた。


 危なかった。猫という予想外のアクシデントに焦っていた。
 しかし、現場に証拠を残すような真似だけはしないという冷静さだけは発揮できた。
 ヘッドセットは警官に見つかる前になんとか回収できた。
 走ったせいで少し息が荒い。
 今日の作品作りは美しい終わりを見せられなかったが、僕はそのまま彼女の待つ隔離区画へと急いで帰る。

 私達は新たな事件の現場に来ていた。
「これで三件目か。しかも、住宅街でとはな」
 疲れた声でアレンが現場を睨む。
 夜遅くの通報にも関わらず、野次馬が何人もいる。
「被害者は犯人の姉だそうです。何でも、警官達がかけつけた時には既に遅かったようで、青年は遺体の横で泣いていたと」
 私の言葉に係長が反応する。
「つまり、自分が殺したという自覚があった」
 そう、青年は他の加害者達とは違い、自分の犯した罪の意識があるのだ。
「そして、彼は右手が電子義手でした」
 一連の事件とみて間違いない。
 ただ、ここは普通の民家。監視カメラなどあるはずもなく、手がかりという手がかりがないのだ。
 そこに柳さんが入ってくる。
「現場を発見した警察官の話を聞いた所、庭の木々が不自然に揺れていたのを調べようとしていたそうです」
 私は早速、庭に出る。窓を開けて、家からの光が差すそこには、白いペチュニアが咲いていた。花言葉は“あなたと一緒なら心がやわらぐ”だったか。皮肉なものだ。この花言葉が合う姉弟だったのだろうと思いながら、ライトを片手に手がかりを探す。
 その時だ。リビングに誰かが入ってくる音が聞こえた。
 現場を荒らさないための手袋はめている小梅だった。
「すみません、遅れました」
 焦りを感じさせる声だ。
「災難だったな。折角の非番の夜だったのに」
 アレンが彼女にそう告げると、自分も刑事としての勤めを果たすまでですと力強く答えていた。
 小梅に事件の詳細を自動でまとめたファイルを転送し、再度手がかりを探す。
 すると、何か音が聞こえた気がした。鈴の音だ。それと同時に側の植え込みが揺れる。
 かき分けてみると、一匹の黒猫がいた。
「こんなとこで何してるのかしら」
 私が抱きかかえると、一鳴きした猫は、飛び降りて横の壁をガリガリと引っ掻き始めた。
 家の中から顔を出したアレンが、猫を見た。
「ここの猫みたいだな」
「何で分かるの」
「被害者の部屋を見に行ったんだ。そしたら、その猫と一緒に映った写真があった」
 そう、とその猫を見ると何とも言えない気持ちになった。
 私は猫の元まで歩み寄る。
「あんた、飼い主が亡くなったのに何してるの」
 相変わらず壁を引っ掻く猫が気になり、壁を見てみるが、何も変わったところはない。
 もう一度抱きかかえ、正面から見据えた。
「その壁に何かあるのかしら」
 私の質問にまた一鳴きした猫の前歯を見て私は気付いた。
「ちょっとこれ。アレン、これを見て」
 私は猫の口元を少し強引に持ち上げ、前歯を見せる。
 すると、そこが微かに赤くなっているのが分かる。
「これ、血か」
 その言葉に私も考えが一致した頷きをする。
 腕の端末を外し、リビングのテーブルに置き、川内課長に通信を入れる。
 課長に要件を伝え、猫をホログラム画面の前に持ってきた。
 最初はただの猫と思っていた課長も歯に付着している色に気がついたようで、画面から血液かどうかを調べてみると言い、猫の顔が移った状態の画面を撮影した。
 数分後、通信が入る。
「その猫の歯に付着しているのは血液で間違いない。画面上からでは分かり難いから、血液型までは分からん。もう少し他にもあるといいんだが」
 私は庭にもう一度戻り、ライトで周囲を照らす。あの猫が引っ掻いていた壁の近くを重点的に。
 そして見つけた。壁のすぐ側にある白いペチュニアの中に赤色を帯びているものが一輪だけあるのを。
 こちらも少量だが、持ち帰って調べるなら充分かもしれない。
 私は両手を合わせ、小さく謝罪の言葉を述べてからその一輪を切り取る。
「課長、これを持ち帰るので、調べてもらえませんか」
「ああ、構わん。できるだけ早く持ってきてくれ」
 私はその花を無菌のナイロン製の袋に入れ、証拠品として持ち帰る事にした。
「秋月はそれをすぐに届けてくれ。小梅も一緒に頼む」
 係長を含む四人は家の中と庭で引き続き有力な証拠を探すらしく、私と小梅だけが本庁にいる川内課長の元に行く事になった。
「これで、犯人が分かるんでしょうか」
「断定はできないけど、かなり有力だとは思う」
 道中の車内で私はこれが有力であることを願いながら車を運転する。

 走って戻ってきたためか、それとも予想外の出来事に未だに心が落ち着かないせいか。それも分からないまま僕はアジトに戻ってきた僕は、ソファに身を任せるように座る。
 とにかく、一息つき部屋の明かりを点ける。出かける前にランプの元に置いていった『言霊を持つ者』に目がいく。
 この狭いアジトでもランプの明かりだけでは心もとない。
 普段なら気にはならないが、今日はいつもと違う。一刻も早く気分を落ち着けたいのだ。
 すると、扉の開く音が聞こえる。そこには長く端麗な金色の髪に深い青の瞳。赤いYシャツにデニム姿の彼女がいた。笑みを浮かべた彼女は歩きながら、
「遅かったのね」
 とだけ言った。
 僕は今日のことを悟られないように出来る限り平静を装う事と、言い訳を考えた。汗をかいているのは帰りに警察の車両と遭遇して、面倒ごとにならないよう走ってきたからだと言うと、彼女は近くまで歩み寄り、右の頬に手を触れる。
「大変だったようね」
 彼女の手は少し冷たかった。
 そうでもないと強がって答えておく。
 僕の返答に彼女は離れて行く。
「おやすみさない、エリス。いや、アスカの方が良かった」
「からかわないでくれ、ここでは本名でいい」
 扉が閉じられ、彼女の姿が見えなくなった所で僕はコートを脱いで、壁にかけようとしたが、そこで気がついた。
 コートに何か赤いものが付着していることに。白の中に赤く染まる部分がある。
 それは血だった。彼女がさっき触れた右の頬から耳にかけてまで手で触れると、指先にその赤い液体がついていた。
まさか、これはあの猫にやられたものか。
 だが疲れていた僕は、そんなことを考える余力もない。体を休めるために寝床についた。

 翌日、私は一係のオフィスで昨日課長に頼んで調べてもらった血液の結果を話す。
 血液型はA型。更に、そのDNAでテミスシステムに検索をかけてみたのだが、
「該当する人物が一人も出ませんでした」
 私の言葉に全員が驚く。
 無理もない。この結果を始めに聞いた私も小梅も信じられなかった。
 調べた川内課長も驚きを隠せない様子だった。
 テミスシステムは犯罪捜査のために国民全員のデータが入っている。それを閲覧できるのは、私達治警や一部の関係者だけだ。
 しかし、そのシステムに該当しない人物などいるのだろうか。現在の日本の人口はかつてのMOGシステム稼働時よりも減っているが、それでも少ないとは言い難い。
 システムが登録を損なっていた可能性も考えたが、その確率も低いだろう。
 システムに該当しない、登録をなされていない人間など今までに見た事もない。
 とにかく今分かっていることは、最初の車内監視カメラから取れた音声で男だということ、そして血液型はA型。
「これだけの情報では特定の人物と断定する事は困難だな」
 係長が苦い表情を浮かべる。
 新しく手がかりを見つける度に犯人に近づいた気はするが、いつも足りないのだ。決定的な人物を見つけ出す程の手がかりにいまだありつけない。
「とにかく、犯人はA型の男ということぐらいしか分かっていない。そして、テミスシステムに登録されていない人物」
「でも、本当に信じられないです。街頭カメラ何かに映ってたりしたら不自然だと思うんですよね。登録されてない人物なんて」
 蘇芳さんの言う事も一理ある。今の時代において、テミスシステムから完全に隠れて生きる事など相当困難だろう。家に引きこもっているにしてもそれは同じ事である。
 ともかく、引き続いて捜査を行う事にした。
 だが、私は何故か係長と二人で車に乗り、走っている最中だった。
 彼女が私をある場所に連れて行きたいというので、それに応じたためだ。
「突然連れ出してすまないな」
 問題ないとだけ答えて、窓から外を眺めていた。
 今日は雨が降りそうだ。
 しばらくして車が停まった場所は隔離区画に近い中古ショップであった。
 ここは、という私の問いに係長は、入れば分かると店の扉を開ける。
 中は薄暗く、視界が悪い。誰もいないのだろうか。などと考えていると。奥の方から足音が聞こえてきた。
「なんだ、まだ治警に残っていたのか」
 渋く低い声からは男性という事だけが分かる。
「おかげさまで。今日は会わせたい人がいるの」
 係長が言う人とは私のことだろう。相手は彼女と知り合いのようだが、一体どのような人物なのか、見当もつかない。
「会わせたい。まったく、何を言っている。まあ、まずは明かりをつけよう」
 スイッチを押す音が聞こえると同時に薄暗かった部屋が明るくなり、突然の光に私は一瞬目を隠した。
 明るさに慣れてきた私は、声の主を見る。そこに立つのは、短い白髪に眼鏡をかけた、目つきの鋭い初老の男性だ。
「そいつが紹介したいって奴か」
 彼の言葉に係長が頷く。すると、男性は店の奥に続く通路を顎で示す。来いということなのだろう。私も係長もついていく。
 奥にある部屋は失礼だが、店の中よりも断然綺麗であった。
 部屋の中央に置かれた向かい合うソファにそれぞれ座る。
「紹介しよう、秋月。この人は風見ジン。表向きは中古ショップを営んでいるが、本職は情報や裏物を取り扱っている」
 私はその言葉に驚いた。情報屋という職業は本の中でしか出てきた事がないからだ。このご時世、調べる手段など山程あるので、それを専門職にしているなど珍しい。
 私の心を読んだかのように彼が話す。
「機械に調べられる情報には限界がある。じゃあ、機械で調べられない情報を調達するのは誰か。人間だよ」
 確かにその通りだと思う。私達も機械頼みではなく、被疑者に取り調べを行うなどの行為は今でも生きている。
 風見は係長の姿を真っ直ぐ見つめたまま私に言った。
「そこの女に銃を撃ったのも俺だ」
 彼の言葉に私は少し前の事件を思い出した。
 係長はそれを明かされたことに驚く様子は見せなかった。ここに連れてきたからには嫌でも分かるからだろう。
「彼女は私の部下、秋月です」
 私はフルネームで名乗る。しかし、風見は分かっていると言った。
「俺を誰だと思ってる。治警にいる人間は大体把握してる」
 互いの紹介が終わった所で、係長が本題に入る。
「秋月にも情報の提供をお願いしたい」
 係長は真剣な表情で風見を見つめる。
 すると彼は、ソファに背を預けるように座り直す。
「そいつに特性があると言いたいんだろう。俺のテストをクリアしないことには了承できないな」
 テスト、と私は疑問に思った事を訊いてみた。
「俺は自分が面白いと思った奴にしか情報を売らないんだ。だから、お前が面白い奴かを試させてもらう」
 私の了承も得ずに話を先に進められる事に憤りを感じないことはないが、ここまで抵抗もせずに足を踏み入れてしまったのは私自身にも責任があるとした。
「テストは簡単だ。俺の質問に一つ答えてくれるだけでいい」
 その程度なら簡単だろうと普通は思う。しかし、明かりが点き、彼の顔を見た時から思っていた。彼は普通ではない。
「テストを受けます」
 しかし、情報をもらえるのはありがたい。それに、彼がどのような質問をするかを知りたい、好奇心も大きかったためだ。
 彼は質問する。
「目の前には傷ついて動けない人間がいる。そいつはお前に関わりのある人物、あるいは全くもって赤の他人でもいい。そして、お前は弾の一発入った銃を持っている」
 風見はそこで一度言葉を区切る。
 少しの間を開け、言った。
「そいつを殺すか、それとも殺さないか。 どちらかを選べと言われればどちらを取る」
すぐには答えられなかった。彼が求める答えはどちらなのか。それをじっくりと見極める必要がある。
「時間はやる。ただし、あまりにも遅いと不合格だがな」
 私は目を瞑り、視界に何も映らないようにして集中する。
 状況を頭に思い浮かべる。
 私は真っ直ぐ立っている。目の前には誰か倒れている人がいる。
 それは誰なのか、じっと見つめ続ける。そうすることで誰か分かりそうな気がするからだ。
 しばらくして、見えたのだ。
 目に映るその人物、髪は白く短い、身長は私とそう変わらない。綺麗に整っているはずが傷ついている顔。
私は、銃の弾を確認する。一発だけ入っているその銃を倒れる人に向ける。
 大きく息を吸い、止める。
「私は」
 目を見開き、
「殺しません」
 上に向けて引き金を引いた。
「理由は」
「大切な人を思い浮かべました。苦しみから解放しようという思いの元、撃つか躊躇しました。ですが、それは私の身勝手な行動でしかない。命を奪うというのは、いかなる理由の元でも愚かな行為でしかないから」
 私は言い切った。これではまるで綺麗ごとの塊だ。彼がそんなものを聞きたがる人物とは到底思えなかったが、言わずにはいられなかった。
 沈黙の中、彼はシャツの胸ポケットから煙草を取り出し火を点けた。
 一服したところで、彼が口を開く。
「身勝手か。なら、お前がその人を生かそうとするのも身勝手じゃないのか」
 予想もしていなかった答えだ。
「相手はそのまま死ぬのがいいと思っていた場合、助けてしまったお前はそれを阻害したことになる。それは身勝手な行いじゃないのか」
 彼の問いに私は反論が思い付かない。彼の言葉からして不合格だろう。
 半ば諦めかけていたところで彼が口を開く。
「だが、選択する理由は人によって変わる。お前さんのその考え、俺は嫌いじゃない」
 彼はうっすらと笑みを浮かべて一服する。
「良い答えだ。あんたにも情報提供を行うことにしよう」
 合格ということなのか、私は気付かれないように安堵の息をつく。
 彼は早速何か知りたい事があるか訊いてきた。私が係長の方を伺うと、彼女は何も言わずに頷く。
「テミスシステムに登録されていない人間というのは、今の時代いるのでしょうか」
 私の質問に風見はそんなことかと、知っているような反応を見せた。ソファから立ち上がった彼は背後の本棚にある本を指で追いながら、一冊だけ取り出した。
「あの“三ヶ月間の混乱”を覚えてるか」
 本を読みながら私達の前に戻ってくる彼が言っているのは、MOGシステムが停止してから起こった三ヶ月の世界的混乱のことだ。
 私にとっては嫌なものでしかないそれを思い出せた彼に対する嫌悪の気持ちが募ってしまった。
「何があったかは知らないが、頼むからそんなに睨まないでくれ」
 自分でも知らずのうちに目を鋭くしてしまったようで、彼に感情的になったことを謝罪する。
「話に入ろう。これを見てくれ」
 彼が見せてきたのは新聞を切り抜いて本に貼り付けているものだった。
 私は本題よりも先にその本について訊ねた。
「スクラップブックという奴だ。最近じゃ新聞は電子化されてしまったが、お前さんの世代じゃまだ紙のものは見たことぐいあるだろう。それの中で気になる部分を切り取って保存しておくものだ」
 私が幼少の頃には確かに新聞は紙であった。毎朝父が熱心に読んでいるのを思い出す。
 そんな事に何の意味があるのかと思ったが、こうして昔の事件が今になんらかの影響を及ぼしているということをしることが出来るというのが、これの役割なのだろう。
 貼られていた新聞の日付は二〇年近く前のもの。世界的混乱が終結してしばらくしてから発行されたものが何ページかに渡って貼り付けられている。
 内容は世界的混乱で親を亡くした、はぐれたまま見つからない子どものことが書かれた記事ばかりが貼られている。
「この記事にも書いてあるように当時、あの混乱が終結してしばらくしてから懲りない政府は、新たなシステムの開発を技術開発局にさせた。それがお前さん達法を守る人間を手助けするために、国民の情報を教えてくれるテミスシステムだ」
 MOGシステムのように何もかもを管理している訳ではなく、その人物の存在を照明するために様々な情報が登録されているシステム、いわば戸籍だ。
「そのシステムを作る際にな、各地で全国民の様々なデータを収集して登録した。新しくこの世に生を受けた者は各所に設置されている管理局にDNAを持って行き、登録してもらう」
「それはテミスシステムの仕組みですが、それが関係しているのですか」
「最初に言ったようにシステムが出来た当初は義務として登録に行く必要があった。しかし、ある場所にいる人間だけは義務とされなかった」
 私はそこで該当するような場所を考えてみた。
「まさか、隔離区画」
 私の疑問混じりの答えに彼はそうだ、と答える。
「この記事に書いてある子ども達はな、自分がいた場所が隔離区画になってしまい、取り残された。あるいは隔離区画に連れて行かれた可能性が高いと俺は考えている」
「根拠はあるんですか」
 係長の問いに彼はソファに背を預けるようにして天井を見上げた。
「御堂、お前にも言ってなかったことだが、俺はもと刑事だった。今のように治警と一般で分けられていない時代のな」
 彼は懐かしむように話し始めた。
「ある日、殺人事件で俺達がかり出された。被害者は子どもだった。体中に殴られた後のある女の子でな、死体を見るだけで怒りや犯人に対する殺意ってのを抑えるので精一杯だった。一刻も早くその子を殺した犯人を捕まえてやろうと意気込んだ矢先だ、その子の情報が一切なかったんだよ。名前はおろか、血液型、どこの生まれかなんかはもちろんのこと分からねえ」
 そこで彼は新しく煙草に火を点け,一服する。
「そして俺達は隔離区画に目をつけた。そこに長くいる老人にその女の子のことを聞いてみた。すると、知っているらしくてな、犯人と思しき男まで辿り着くことができた」
「それが、隔離区画に過去の混乱の際に紛れ込んでしまった子ども達がいるという推測を生み出した」
 私の言葉に彼は、ああと小さく答える。
「俺の中では推測ではなく、ほぼ確信に変わっている。当時子どもだった彼ら彼女らは今でも隔離区画で、運が良ければ生きているに違いない」
 確かにあり得ない話ではない。だが、確率としてはあまりにも低いだろう。
 街とは違い、隔離区画では暴力や窃盗など日常茶飯事だと聞く。そんな状況で、更に二〇年以上も前のその場所で生きていくのは相当困難だ。
「まあ、俺に分かっているのはこのぐらいだ。少し隔離区画を調べてみたこともあるが、どんな人間がいるかまでは掴めなかった」
「いいえ、とても参考になりました。ありがとうございます」
 店を出ようと立ち上がると、私と係長の端末に通信が入る。
 係長にはアレンから、私には小梅からの通信だった。
「どうしたの」
『先輩、今弓月先輩と現場から少し先の区にある街頭カメラを調べてみたんですが、怪しい人物が映っているんです』
「どんなものか送ってもらえる」
 今送ります、と小梅から届いたファイルは昨日の夜一〇時前後の映像だった。そこには白いコートにフードを目深に被っている人物が走っている姿が映っている。
「これは。今からそっちに向うわ」
 私は通信を切り、同じ内容を聞いていた係長と車に急いで戻った。
 風見に再度礼を述べて。
 
 街頭カメラの管理局に着いた私は小梅達と合流し、あの不審な人物が今どこにいるかをカメラの映像で検索をかけてもらった。
 すると、一五区の一台のカメラに類似した人物の姿が映る。昨日と格好は同じで、背格好も似ている。
 私達はその人物の映像を追うことが出来るよう、街頭カメラの映像が端末にも流れるように設定を申し出る。

 昨日の失敗を彼女に気付かれたのか。僕は分からないまま、隔離区画を歩き回っている。ここで人が死んでも警察がくるのは遅い。来ないことだってある。ここは隔離された世界なのだ。
 だから、芸術作品を作るには街に出るのが一番だ。
 警察が僕の犯した失敗に気付いていたとするとまずいが、僕の血液だけでは誰か分かることはまずないだろう。
 とにかく、また彼女に作品を見たいと言われたので、僕は街に来るしかないのだ。
 一五区、人が多く、作品作りには持ってこいではあるし、隠れるのにもちょうどいい。
 だが、そんな考えが裏目に出るかのように僕の視界に映ったのは、真っ黒な車二台が走ってくる様子だった。建物の影から伺う。中から下りてくる人間は皆スーツに身を包んでおり、その中には小梅エリの姿があった。
 治安維持課の捜査官達で間違いないと確信した僕は急いでこの場を離れなくてはと思った。
 だが、彼らは端末を眺めている。そして、僕が動き出すと同時にこちらを見た。おかしい、見えてはいないはずだ。
 だが、相手は追ってきている。とにかく逃げるしかない。
 路地裏に入った僕は息を整える。
 今の所追っ手は来ていない。だが、彼らが僕を犯人と思っている可能性は高い。何がいけなかったのか。現場の治を見つけたとしても、テミスシステムに僕の情報はないはずだ。
 すると、端末に通信が入ったので応じた。
「大変そうね。大丈夫」
 彼女の声だった。
「何のことだい。今はターゲットを探している所だよ」
 僕は治警に追われている可能性があることを隠す。
「あら、そうなの。まあ、いいわ。もしものための逃げ場所を用意してあるの。あなたのいる場所から近いから、必要になれば使ってね」
 通信が切られ、同時に地図が送られてきた。なぜ彼女は僕の居場所が分かるのか。端末にはGPS機能など備えていない。コートのポケットを探ると、中から小型の発信器が出てきた。コートをその場に脱ぎ捨てる。発信器だけを捨てなかったのは治警の目を欺くためでもあった。早速、端末に表示される場所へと向かう。

 一五区に着いた私達は、街頭カメラの映像を切り替えながら、白いコートの人物を追う。すると、偶然にもすぐ側のカメラに目標が映った。その方向を見ると、こちらに気付いたのか、白い何かが翻るのが見えた。
 私は小梅を連れて後を追う。
 しばらく走った所で、カメラの無い場所に逃げられたのか、どのカメラにも映らなくなった。
 カメラの映像を切り替える横で小梅が不安の表情を浮かべている。
「どうかした」
 私の問いに、彼女は理由を話す。
「さっき、管理局で映像を観た時からなんですけど、あのコート、見た事ある気がするんです」
 どこで見たのかを問うと、彼女は断定はしなかったが、自分の通っている絵画教室で仲の良い青年が同じものを着ていたような、と話す。
「本当はそうであってほしくないんですけど」
 親しい人間が事件に関与しているなど、信じたくもない。
 彼女の肩に手を置く。
「それは、被疑者を捕まえれば分かる事。今はとにかく仕事に専念しなさい」
 そこにアレンから通信が入った。
「どうしたの」
『被疑者のものと思しき、白いコートを見つけた。残っていた毛髪から簡易スキャンでテミスシステムに検索をかけたが、情報がない』
「分かった。私達もこの近くを探してみる」
 そのコートを見つけた場所の地図が送られてきたので、周囲の建物を3D展開してみる。
「小梅、犯人のものと思われるコートが見つかったらしい。今映しているこの部分がその発見場所。この付近で人が隠れられそうな場所を検索して」
 私の指示に彼女は、同じように端末で3Dマップを表示し、テミスシステムから各建造物の詳細な情報を要求する。
「この、建物。もう使われていないビルが一つだけあります」
 見せてきた地図には、そのビルだけが赤く表示されている。
 私はビルの近くにいる蘇芳さんと柳さんに通信を入れ、至急向ってもらうように頼んだ。
「でも、先輩。こんな簡単な検索なら、先輩にすぐできるのでは」
 その問いに私は微笑んで微笑えむ。
「あなたの成長を確かめるためよ。前に教えたこと、ちゃんと覚えてたようで良かったわ」
 私達はそのビルに向って走りだした。

 もう使われなくなった小さなビルだというのに、エレベーターはしっかりと機能している。
 彼女から送られてきた地図には四階、このビルの最上階に逃げ場所があることを示す。どうやらそこは社長室のようだ。
 今回の失態は恥ずべきものだ。たった一つの予想外な出来事で、全てが狂わされた気がした。
 それを自分の力で補うことも出来ないのが一番の失態だ。
 四階に着いたことを示すエレベーターの音が鳴り、扉が開く。
 一体何の会社だったのかも分からないが、廃ビルだけあって何もない。
 エレベーターを出て直ぐ、目の前は廊下になっており、そこから左右に扉が幾つかある。
 奥にある扉が元社長室だ。
 ゆっくりと扉を開ける。そこには、奥に大きな机が一つ置いてあるだけであった。
 暗いので、扉の横にある電灯のスイッチを押してみた。
 エレベーターだけでなく、このビルにはまだ電気が通っていたようだ。
 電灯の明かりに目が慣れるまで手をかざしながら歩く。
 机の前に立ち、僕はそこにあるものの存在にようやく気付いた。
 小型のモニターと、その前には鈍く光る拳銃が置かれていた。
 これは、と誰に言うでもなく呟くと、モニターの電源が点いた。そこにはこの場所を教えてくれた彼女が映っている。
「これは一体」
『あなたには失望したわ、エリス』
 その言葉に背筋が凍り付く気がした。
『言葉による、人を操れるプログラム。おもしろいアイデアだけど、あなたには所詮過ぎたおもちゃだったようね』
「待ってくれ。これからもあなたに僕の作品を――」
『黙れ』
 鋭く言い放たれた彼女の言葉に僕は、その場に磔(はりつけ)にされたかのように動けなかった。
『そこにある銃の意味、あなたになら分かるわよね』
 先程とは打って変わった笑顔で語りかける。
『あなたの作品は見ていて楽しかったわ』
 そこでモニターが切れた。
 この銃で僕がすること。様々な考えがよぎるが、恐らく一番最適なものを僕は思い付いた。その瞬間、背後の扉が開かれる。

 蘇芳と柳はリゼが怪しいと言うビルに着いた所だった。
「ここに犯人がいるんでしょうか」
「まだ分かりませんが、嫌な気配がさっきから治まりません」
 二人は中に入り、かつてここにあった会社の物であろう、各階にある部署が書かれたパネルを見つけた。
 エレベーターのボタンを押してみると、まだ動いているようで、それは四階から下りてきた。
「四階に行くのに誰かが使ったということですね」
 柳の言葉に蘇芳も賛同する。
 二人はエレベーターに乗り、四階で降りる。
 まっすぐと続く廊下の左右には扉がいくつかあるが、奥にある部屋だけ電気が点いている。
 音を立てないよう慎重に近づくと、中から声が聞こえてきた。
 男の声だ。誰かと会話しているようだが、もう一人の声は小さくて聞き取る事ができない。
 蘇芳は柳と顔を見合わせ、扉に手をかけた。
 そして、開くと同時にハンターを構える。
「警視庁治安維持課だ。無駄な抵抗はやめろ」
 蘇芳が叫んだ言葉も意味がないほどに部屋は静か、というよりも男だけが背を向けて立っていた。
「そこのあなた、ゆっくりとこちらを向きなさい」
 呼びかけに応じたのか、男はゆっくりとこちらを向いた。
 それは真っ白な髪に白い肌の青年。そして、彼に不釣り合いな黒い銃が握られている。
「武器を捨てなさい。あなたを連続殺人事件の容疑で逮捕する」
 その言葉に青年は突然笑い出した。
 気が狂ったかのように笑っている彼に蘇芳と柳は困惑を隠せない。
「なるほど、こういうことだったのか――分かったよ」
 何かに納得したような青年は、自身の頭に銃口を当てる。
「馬鹿な真似は止めなさい」
 柳の呼びかけに青年は言った。
「貴様らのようなシステムに飼われた犬に殺されるぐらいなら、全ての秘密を持ち、僕は喜んで命を捨てよう」
 銃声と同時に、その真っ白な髪が赤く染まった。
 ゆっくりと力なく横向きに倒れた彼を前に呆然と蘇芳は立つ。
「蘇芳捜査官、これを」
 一人、前に進んだ柳に声をかけられ、意識を取り戻した。
 青年の背後の机に、モニターがあるのに気付く。
「恐らく彼は、モニター越しに誰かと話していたようですね」
 柳の推測も蘇芳は頭に半分程度しか入ってなかった。
すぐ側にある青年の死体に気を取られて集中できない。
 そこに遅れてリゼ達がかけつけた。
「蘇芳さん、被疑者は」
 リゼの言葉に彼女は側にある青年の死体を見やる。
 そして、小梅がゆっくりと歩み寄ってきた。
「そんな、嘘。なんで――」
 小さな声で、泣きながら死体の頬を撫でる。
「知り合いなの」
 蘇芳はリゼに歩み寄り耳打ちする。
「そのようですね」
 リゼは青年の顔を見つめながら答えた。
 その後の処理のために鑑識課と医療課が到着した。セラピストの香澄は強いショックを受けた小梅を医療課の車に乗せて、搬送するように助手に告げている。
「まったく、最近一係の人間でセラピーを必要とするのが多いな。お前も受けるか」
 彼女の言葉に冗談でしょう、とリゼが軽く受け流す。
 運ばれる死体を見ながら、アレンは私に一冊の本を持ってきた。
 犯人の着ていたと思われるコートの中に入っていたらしく、鑑識に渡す前に私に見てもらいたいと言う。
「どうして私に」
「本をよく読んでいるお前なら、この本のことも分かるんじゃないかと思って」
 受け取った本のタイトルは『言霊を持つ者』。
 残念ながら、聞いたこともない本だ。私は本を開いてページを流すようにめくる。
 すると、途中で多くの書き込みがされている部分が見つかる。
「随分と熱心に読んでいたようね。それもただ読むだけじゃない」
「どういうことだ」
 本をただ読むのではなく、その仕組みを理解しようとする読み方。
 鑑識に渡すようにアレンの手に本を置く。
 現場から出た私が煙草に火を点けようとした時だ。上から落ちてきた水が煙草の先端に当たる。
「雨か」
 車に乗り込み、再度煙草に火を点けてから、エンジンをかけた。

 家に戻った私はソファに座り一息つく。そして、手に持ったケージを置いて開ける。中から一匹の猫が出てきた。
 今回の事件の被害者である姉弟の飼い猫を譲り受けたのだ。
 元から動物は嫌いではない。
「今日からここがあなたの家よ」
 私の言葉に一鳴きする。思わず笑顔になった私が名前を考えなくてはと思う。「キール。あなたの名前でどうかしら」
 前に読んだ本に出てきた登場人物の名前だ。その登場人物も猫が好きであった。キールの柔らかな毛並みに触れるだけで、心が少し和む。
 今の小梅にはこういった存在が必要なのかもしれないという思いが私の中に出てくる。
 そんな私の膝に乗ったキールが鳴いた。
 

 モニターを切った私に声がかかる。
「彼を捨てて良かったの」
 女性の声。自分とそう年齢も変わらないであろう彼女に答える。
「いいのよ。まだまだ手はあるから」
「さすがだね。次はどうするの」
 私は目の前のキーボードを操作し、モニターの映像をあの社長室にしかけておいた、隠しカメラに切り替える。
「秋月リゼ、楽しませてくれそう」
 モニターに映る彼女を指で撫でる。
「警察の人間を相手にするのは危険じゃない」
 彼女が私に不安混じりの問いをする。だが、いずれは私達と相対する。今のうちにどれほどの力があるのかを試す必要がある。
 そのことを伝えると、彼女はいらぬ心配だった事を謝罪した。
 私は彼女の横に座り、その頬を撫でる。
「あなた程、私のために動いてくれる人はいないわ。都合良く聞こえるかもしれないけど、悪い意味じゃないのよ」
「大丈夫、私があなたに不満をもったことなんてないよ」
 私は警視庁の人間を標的にできるかと思うと楽しくて仕方がなくなった。
 そろそろ彼らと直接戦ってもいいだろう。しかし、もう少し準備がいると告げた。彼女は自室に戻ると言い、立ち上がる。部屋から出て行くところで、こちらを振り向く。
「あなたの計画、楽しみしているわ、“DD”」
 扉の閉まった音が部屋に響く。

6、深淵に踏み込む

 警視庁治安維持課一係のオフィスに私達は集まっていた。
 ただ、一人、小梅(こうめ)エリを除いて。
 セラピーを担当する香澄(かすみ)は、彼女の自己嫌悪によるものが強いという。自分が仲の良く接していた人物が犯人ということにも気付かなかったこと、その犯人に少しだが好意を抱いてしまったことも大きい。
 彼女のいない一係の部屋の中で私達はスクリーンの前に立つ鑑識課の川内課長を見る。
「解析結果だ」
 私達を集めたのは、この間の不可解な連続事件の犯人の情報が集まったからだと言う。
「今回逮捕された犯人、名前はエリス・シュルツ。イギリス人だ。奴の情報を探すのには苦労したよ。MOGシステムの残留ファイルを引っ張り出してきたことでようやく分かった」
 残留ファイル。MOGシステムの崩壊後、登録されていたデータの全てが消えたわけではなかった。今でもそれは警視庁の秘匿情報として残されている。捜査のためとしても調べるのはかなり制限される。課長もそれを調べるためには様々な申請を踏んだと思う。
「外国人か。でも、MOGの残留ファイルから見つかったってことは、あれが存在してる時には、もう日本にいたってことですよね」
 アレンの質問に可能性が高いと頷いた課長は、画面を切り替える。
 犯人のコートに入っていたものとして小さなリモコンを映し出された。それは機器を狂わす事の出来る電波を出せることが確認され、カメラを狂わせていたのはこれが原因だと言う。
 次に映るのは、犯人の喉から出てきた物だと言う。これも小型のマイクだった。
「こんなものが喉から出たときは驚いたが、今回の事件の仕組みが何となく分かった」
 課長は更に画面を切り替え、文字の羅列を見せる。
 少しして、それがプログラム言語だと分かった。
「なるほど、そういうことですね」
 私が言うと、彼は笑みを浮かべた。
 どういう事かと言う、アレンの問いに課長が答える。
「犯人は自分の喉のマイクから発する言葉で電子義手、義足の回路から脳へと命令を下せるようにしていた」
 私は彼のもとで授業をいくつか受けたことがある。何となく課長の考えることは分かる。
「そしてこのプログラムの名前を考えた」
 私が問うと、彼は落ち着いた声で言う。
「“言霊プログラム”」
 あの本のタイトルから取った名前であるというのは明白だった。
「こんなものを開発できるなんて奴は相当な天才だ。しかし、プログラムは出来ても、肝心の小型マイクやその他の機器が必要になる。それをどこで手に入れたかだ」
 課長が退室した後、私達は係長から仕事を言い渡される。
「小梅がいない今、私達五人は二つの班に別れる。単独行動はさせられないからな。柳さんと蘇芳、弓月(ゆづき)のA班。私と秋月(あきつき)のB班だ」
 A班は犯人の情報を引き続き捜索、それとMOGシステムの残留ファイルに残っている者のリスト作成を鑑識と共に行う。
 B班の仕事はDDの手がかり、マイクの出所を掴むことだ。
 私は早速係長とあの場所へと向かう。

 中古ショップの扉を開けた私達を見た彼は、ゆっくりと立ち上がると、奥へ来いと首で示し、客室に通す。
「私達がお客としてくるかもしれないじゃないですか」
「その可能性は零に等しいだろう」
 彼はポケットから煙草を取り出し、一服すると、何が知りたいのか問う。
 ここのオーナー、風見は表向きでは中古ショップのオーナー、裏では情報屋という物語にでも出てきそうな人物だ。
 係長は風見に犯人であるエリスが持っていた機器の写真を見せる。
「この機器をまとめて取り扱ってる人物はいるのでしょうか」
「この手の機械を作るための素材を扱う奴は結構いる」
 彼はこめかみに手を当てて、困った顔をする。しかし、何かを思い出したように目を開く。
「一四区だ。そこに俺と同じように店を開いてる奴がいるんだが、機材なんかを扱っている。数種類じゃなく、何百とな。情報屋はしてないが、裏物は扱っている。訊いてみるといい」
 私達は彼に礼を述べ、一四区にあるという、教えられた店に向かう。
 そこは昔の機材を扱っている店で、マニアなどがよく来ているそうだ。
「あなた達のような方は初めてだ」
 とそこのオーナーである初老の男性は答える。私達は刑事であることを明かしたが、目的は店の摘発でないことを伝え、該当する商品を探してもらう。
 同じものを店の奥から持ってきた彼は、一ヶ月前に一つ売れたと言う。
 それを買ったという人物について話す時、エリスの写真を見せると彼で間違いないと言った。
 彼がDDなのだろうか。だとすれば、あまりにも呆気ない。
 一旦警視庁に戻ろうと車に乗り込んだ時だ、端末に通知が入る。事件を知らせるものだ。

事件が起きたのは一五区。店からすぐの場所だった。
 現場は私達治警とは別の一般刑事が既に保持していた。
「治警一係、係長の御堂(みどう)です」
「同じく、秋月です」
 現場の前に立つ警官挨拶をしてホログラムで作られたテントに入る。
 被害者は男性。発見された時には既に亡くなっていたという。
 ここは、某企業のビルの前だ。
 自殺の線が濃いだろう。
 しかし、遺体には全く外傷がないのだ。
 まだ鑑識が来ていないため、正確な死因は分からない。
 テミスシステムによる簡易チェックを端末から行うと、目の前の企業に勤めている情報が表示された。早速話を聞きにいこうとした所に鑑識課が到着した。
 テントに入ってきた川内課長が部下に指示を出し、調査を始める。
 私と係長は害者の勤めていた会社に入る。

『龍崎コーポレーション』、社長である龍崎ヨシカゲが設立した、システム提供会社だ。
 生活支援システムもここが開発したものである。
「お会いできて光栄です」
 そう言って、握手を求める私の目の前に立つスーツ姿の厳つい顔をした男性。この会社の社長だ。
「まさか、刑事さんとお話をすることがあるとは思いませんでした」
 彼と向かい合ってソファに座った私と係長は早速事件の話に入る。
「秘書からも先程聞きました。亡くなったのは我が社の社員だそうですね」
 ええ、と私は答えて座る。
 まさか、社長に会うとは思わなかった。会社の屋上と亡くなった害者の机を調べさせてもらえれば、それで良かったのだが。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。
「何故、社長自ら私達に面会を」
 係長の質問に社長は答える。
「自分の部下が亡くなった調査をしてくれる刑事さんに挨拶するのは不自然ですかな。捜査に協力するにあたって気をつけてもらいたいことがあるのです」
 気を付けろというのは、この会社に迷惑をかけるなということだけ。
 具体的にと私が聞くと、利益を落とすことに繋がるようなと、笑っているが、目は笑っていない。
「社員に不安を与えないようにお願いします」
 私達は充分に配慮することを約束し、害者の男性のデスクを調べに行く。

 害者の所属していた部門はプログラム開発。提供する場所に合うプログラムを組む部門だ。
 彼の机は綺麗に整理されている。無駄なものはあまりないと言った感じに。
 彼のPCを点けようとした所で呼び止められた。
「社長の秘書を勤めている茅場(かやば)メイコと申します。社長からあなた方の捜査を見守れと言われて来ました」
 “見守れ”、つまり監視役だ。
「早速ですが、当社の職員のPCは当社が調べるという義務を設けています。警察の方でもそれは守って頂かなくては」
 失礼、と私は彼女の目を見た。
 若いのに凛々しく、随分と鋭い目をしていると思った。
「屋上は調べて頂いても構いません。私も同行させていただきますが」
 茅場を連れて屋上へとエレベーターが上がっていく。
「秘書をされて長いのですか」
 私の純粋な質問には彼女も優しかった。
「もう五年目ですね。前任の方が辞めてすぐ、プログラム部門にいた私が選ばれました」
「随分と急に仕事が変わりましたね」
「社長は秘書の資格を持たない者でも、自分が任せたいと思った社員を秘書としてつけるそうですか。そろそろ着きますよ」
 屋上に着いた私達は全景を見渡す。
 ヘリポートの役割も担っているこの場所は、外部の人間が来るためでもあるのだろう。
 私は乗り越えるのを防止するための手すりに触れる。
 その手すりの先にもまだ地面があるのは、ヘリポートになっている部分が少し小さいからだ。
 手すりを越えてもすぐに落ちないためというのもあるのだろうが。
 恐らくこの先から落ちると、害者の倒れていた場所に落ちることが出来る。
 手すりを越えようにも秘書が見ているので、止められるだろう。
 私はその手すりの先を手首の端末から写真に収めていく。
 署に戻って川内課長に調べてもらうためだ。
「もうよろしいのですか」
 私は充分調べたと秘書に述べ、エレベーターに戻る。
 プログラム部門、私は下に下りる最中のエレベーター内でその名前を頭に浮かべる。
 斜め前に立つ秘書の顔を見ると、後ろからだから分かりにくいのか、無表情だった。それともう一つ、彼女は耳にイヤリングをつけている。
 私は先程、正面に立っていた時の彼女を思い出そうとしたが、エレベーターから到着したことを知らせる音が鳴る。
 秘書がビルの出入口で私達を見送った。
「怪しいな、あの秘書」
 署に戻る最中、係長が助手席で私に言った。
「社長もですね。二人とも何か隠している」

 署に戻った私は、早速鑑識課に向かう。
 写真を調べて欲しいと彼に課長に頼んだ。
 私が端末から彼のパソコンへとデータを送信する。
「なんだ、屋上か。これがどうしたんだ」
「さっき起きた事件の害者が、勤めていた会社の屋上です」
「なるほどな。しかし、部下から来た資料だと、外傷はなかったそうじゃないか」
「確かに屋上からの転落が死因とは考えられません。ただ、念のためです」
 分かった、と課長は早速写真の解析を始める。
 時間がかかると言われた私は休憩所に赴く。 
 煙草に火を点け、一服する。
 秘書の顔を思い出す。初めて会った時、私のほぼ真正面に立った彼女の髪に少し隠れた耳。
 イヤリングが見えたのは正面の私から見て、右にあたるはずだった。つまり彼女の左耳だ。そして、戻る最中のエレベーターでは私は彼女の右側。つまり彼女の右耳を見ていた。そこには確かにイヤリングがなかった。
 片方しかしていないのは不自然だ。
 私が考え込んでいると、灰皿を持った手が目の前を横切る。
 見上げると、そこにはアレンの姿があった。
「灰、落ちるぞ」
 短いその言葉で私は自分の持っていた煙草の火が手に迫っているのを察し、灰皿に灰を落とした。
「ここで話すのも久しぶりね」
 隣に座った彼は私の言葉にそうだな、と曖昧に返す。
「何かあったの」
 アレンとも長い付き合いだ。声だけで何かあったことぐらいは察する事ができる。詳細な部分までは分からないが。
 私の問いに、アレンは灰皿を眺めて言う。
「お前、最近妙じゃないか」
 その言葉に私は少し表情が曇る。
「どういう意味よ」
「係長とばかり行動している」
「あれは、御堂係長が決めたことじゃない」
「だから、おかしいんだ」
 少し口調を強めてアレンが言った。
「前までお前と一緒にいたはずの俺は、何も変わらない。同じ事件を追っていたはずなのにだ。だけど、お前はどんどん俺の知らない所に行ってしまう」
 彼の言わんとすることが何となく分かってきたが、最後まで何も言わないでおく。
「このままじゃ、お前はもう戻ってこない気がする。俺はパートナーとしてそんな結末は嫌だ。もうこれ以上、深追いするのは止めた方がいい」
 彼は私のためを思って言っているが、自分のためでもあるのだろう。
 相棒である自分だけが置いていかれている、そんな思いにかられているのだろう。しばらくの沈黙の内、口を開いたのは私だった。
「やっぱり親子ね」
 私の言葉に疑問を抱く声を挙げる彼の目を見て話す。
「私も両親に置いていかれた。あの人達はいつも私の追いつけない所にいた。必死で追いつこうと勉強して、強くなって、でもそれでもあの人達の考えていることは分からなかった」
 私は立ち上がり、灰皿を置いて続ける。
「知ってはならないような気がするのよ。多分、巻き込みたくなかったんだと思う、私を。母は四歳の時にいなくなったし、父は私が警察学校に入学を決めて、治警になれた二〇歳の時に財産を残して自分の持っていた会社を畳んで姿を消した」
 これはアレンにも話したことのない私の過去だ。
「あの親と似ていると実感するのは嫌だけど、やっぱり逃れられないのよ。私もあなたを巻き込みたくない」
 私は自分でも分からない内にアレンを、この世界の闇に触れようとしている自分に付き合わせたくないと思っていた。だが今ならそれが確かであると言える。
「あなたは守るものがある。だから、知るのは私だけ充分なのよ。これは、私自らが知りたいことだから」
 DDと呼ばれる人物が何を考えて行動しているのか、刑事としてではなく、人として気になるのだ。
「それは、ただの自分勝手じゃないのか」
 彼の言葉に私は笑って、そうねとだけ返す。
「私はあなたの思っているほど遠くにいないわ。まだまだ、追いつける場所にいるのよ」
 その言葉に彼は大きく息をついて立ち上がる。
「そうだな、ただでさえ、一係は大変なんだ。こんなことで凹んでいられねえな」
 頬を勢い良く叩いたアレンは、それでと続ける。
「今回の事件、どうなんだ。また例の奴が関わっているのか」
 DDが関わっているのかはまだ分からないとだけ言っておく。
そこで、私の端末に通信が入る。川内課長からだ。
『さっきの屋上の写真から、面白いものが見つかった。すぐにでもいいから来てくれ』
 私はアレンに課長からの通信で呼ばれたと言うと、一緒についてくることになった。
「一体何が写っていたんです」
 私の問いに、課長はホログラムディスプレイの一つに表示されている写真をズームして見せた。
さらにカメラの向きを無視したかのように反対側から、見えるように。
 写真の技術も向上し、私達治警の使っている端末で撮影した写真はその場から三六〇度回転させることも出来る。
 そして、更にズームする。
 映像が補正されてようやく見えるようになった所に映し出されたのは、イヤリングだった。
 私はすぐに秘書の茅場のしていたものだと気がついた。
「こんなところに落ちてるなんて、実に不自然じゃないか」
 早速、係長にもこのことを伝える。
 私はアレンを加えて、係長と龍崎コーポレーションに再び向かった。
「秘書が犯人だと言うのか」
「まだ、断定は出来ません。彼女に問いつめる必要があります」
 車内の通信機が鳴り響く。鑑識課が検死の結果を報告してきた。男性の死因は劇薬によるもの。首に注射痕があったという。これも茅場に問い詰める必要がある。
 会社に着いた私達は、受付にいる女性社員に秘書の茅場を呼んでもらうように頼んだ。少し待つように言われた私達の背後から声がかかる。
「リゼじゃない。こんな所で何をしてるの」
 よく知るその声に振り返ると、そこには私の親友である神代(かみしろ)キルアが部下である和久井(わくい)と一緒に立っていた。

 リゼと御堂が会社から去った後、社長室にはまた新たな人物が訪ねていた。
「お元気かしら、社長」
 満面の笑みで社長室を歩くのは、神代財閥の令嬢、神代キルアであった。表向きは財閥令嬢、裏は海外で言う所のマフィアと変わらないその組織の長を父に持つ彼女。そんな彼女自身も自分の組織を拡大している。
「アメリカはどうでしたかな」
 龍崎はキルアと向かい合って座れるようにソファに移動した。
 つい先程もここで客の相手をしたところだが。
「MOGシステムがなくなってから、世界はまた元通りというのは本当だと実感しました。あちらに比べると今の日本は平和過ぎます」
 世界を統制していたシステムがなくなり、世界は昔に戻ったと言われている。
「それで、今回の分のシステムソフトは」
 キルアの言葉に社長が頭を傾け、ソファについているボタンを押す。
 二人の間にあるテーブルが中央から開き、下からジュラルミンケースが上がってきた。
「どうぞ、中を拝見してください」
 キルアの横に立っていた和久井が順番に開いていき、キルアに中が見えるよう開けた。
 多数のディスクが入っている。
「確かに」
 和久井はケースを閉めると、そのジュラルミンケースを持つ。
「あなたの会社が開発したシステムは、向こうでも好評でしたよ」
 その言葉に龍崎は素直に喜びを浮かべる。キルアが受け取ったのは、彼の会社が作成している生活支援システムだ。外国に輸出するにあたって仲介役を担っているのが、キルアの組織である。
MOGシステムを開発後、日本の技術確信はめまぐるしく、他国を凌いだ。そのMOGシステムが崩壊後も一番に持ち直したのは、やはり日本であった。
 前と同じように他国は日本の技術の導入を望んでいる。しかし、中には国の意志ではなく、個人で買うことを希望する金持ちもいる。
 キルアのしている事は、要するに密輸だ。
「不思議なものですな。マフィアが海外にシステムを送るなど」
「不思議な事でしょうか。昔から裏での取引には私達のような悪が関わっている。後ろめたい事、知られたくない事をやるのは悪の仕事です。至って自然の成り行きでしょう。それにこの仕事は私達としてもありがたいのです」
 どういうことかと問う龍崎に彼女は話す。
「技術の進歩がめまぐるしくとも、日本だけで今の組織を維持するのは限度がある。だから、あなたの作るシステムを売ると同時に他国にも私達の組織の名を広めることができる。昔のような協力体勢がいるのです」
 彼女の考えに龍崎は拍手を送る。
「やはり、親子共々素晴らしい方々です」
 ところで、とキルアが別の話に切り替える。
「ここの社員が亡くなったそうですね」
 まだ、ニュースにもなっていない事を何故彼女が知っているのか問うと。
「超能力ですよ」
 と笑ってみせた。冗談だろうと疑う龍崎に、
「信じるかどうかはお任せします。とにかく、警察には気をつけることですね。裏での取引が漏れてしまうかもしれないですから」
 と話す。
 キルアの言葉に龍崎はご心配なく、と強気に出る。
「あなた達との関係まで知られることはないでしょう」
 その言葉にキルアが笑い声を上げながら立ち上がり、背を向ける。
 何がおかしいのかという問いに、彼女は首だけを龍崎に向けて言った。
「この関係のことではありません。もっとも、警察に知られた所で私は気にしませんし。私が言っているのは、あなたが個人的に行っている出資の事ですよ」
 その一言に龍崎は表情が変わる。なぜ彼女がその事を知っているのか。
 出来る限りの平静を保つよう努力したが、彼女の顔からはもう何もかもお見通しだと言いたげなのが分かる。
「まあ、気をつけてください。では、私はこれで失礼します」
 キルアは社長室を出た。
 まさか本当に超能力とでも言うのだろうか。 
 しかし、そんなことがあるはずもない。この秘密だけはなんとしても守らなくてはならないのだ。
 そんな龍崎の元に、治警が再度訪ねてきたという連絡が入る。

 私は久しぶりに再開した友人に歩み寄る。
「あなた、こんな所でなにを」
 キルアは私と同じようにスーツを着ている。恐らく仕事の途中だろう。
 「久しぶりね、リゼ。ちょっとここの社長と話があって。そうだわ、これ返しておかないと」
 思い出したように懐から、以前貸したハンカチを取り出してきた。
「いつも持ち歩いてた訳じゃないわよ。ただ、今日は何故か、あなたに会いそうな気がしたから。本当に会えて良かったわ」
 彼女のその言葉に反応した訳ではないが、怪訝な表情を向ける。
「それで、なんの用事かしら」
 その問いに彼女は、秘密とだけ言って、身を翻す。
「それよりも、お目当ての人が来たみたいよ」
 彼女の言葉に振り返ると、エレベーターから下りてこちらに向かってくる茅場の姿があった。
「じゃあ、私はもう行くわ。また電話するわね」
 キルアに声をかけたが、彼女は後ろ手に手を振り、和久井さんは私に頭を下げてビルから出て行った。仕方なく、私は茅場の方へと歩み寄る。
「私に話があると聞かされたのですが、どういったご用件でしょうか」
 私は、屋上へとまた着いてきてもらうよう言い、半ば強引に彼女をエレベーターに乗せた。
「さっきの、一体誰なんだ」
 屋上に向かう最中、アレンが訊いてきたのはキルアのことだ。
「中学の時からの友達よ」
 私に友人と呼べる人物がいることの方に驚いていた彼の腹に肘を打つ。
 そんな私に次は茅場が声をかける。
「一体、あそこに何があるというのです」
「この事件を解く鍵です」
 私の言葉に溜め息をつく彼女を気にする事なく、エレベーターが到着するのを待つ。
 下りた私は早速、今日写真を撮った場所へと走り、手すりを勢い良く飛び越え、ヘリポート外の地面へと降り立った。
「何をしているのですか」
 背後から茅場の厳しい注意がなされても気にかけず、私は例のイヤリングを探す。
 彼女はしばらく注意していたが、諦めたようで何も言わなくなった。
 うるさいのが黙った所で私は探すのにより専念する。
 しかし、そこからイヤリングが見つかることはなかった。
「もう、気が済みましたか」
 無表情で告げる彼女に私は、ええと答えて謝罪を述べる。
「今日はお引き取り下さい。社長には不要な心配をかけたくないので、このことは内密にしておきます」
 ビルから出た私達は車に乗り込んだ。
「結局、あのイヤリングは見つからなかったな」
 私と一緒にアレンも探していたが、何も見つからなかった。
 しかし、そんなことは想定内だ。
「当然よ。回収しているに決まってるじゃない」
 私の言葉にアレンは、どういうことだと問う。
「犯人がイヤリングを落とした事に気付いて回収する所までは、私の想定内。本当に見つけたかったのは、これよ」
 私が見せたのは、ハンカチに包んでいたボタンだった。
「これは」
「スーツの袖についてるものよ」
「こんなもの、どこで」
「鑑識課でこれを見せられた時にね、イヤリングの写っていた部分の隅に影と重なって何かあるのが見えたの。そこは死角になっていたから、入念に探さないと見つからない」
 そこで、気付いたようだ。
 これを調べて、害者の着ていたものと一致すれば、害者が屋上にいたことが照明できる。
「イヤリングは写真であそこにあったことが照明できるから、このボタンと一緒に落ちているのが不自然ってことになるわね」
「茅場と害者が屋上にいたってことか」
 私はそれともう一つ調べなくてはならないことがある。

 鑑識課に例の証拠品を私、調べてもらう間に私は、和泉(いずみ)局長の元へ行く。
「最近、一係は随分と多忙なようだが、大丈夫かね」
 私は問題ないことを伝え、今日訪ねてきた要件を話す。
「“ハッキング許可”の受理をお願いします」
 捜査において必要な情報が入手困難であり、極めて特殊なケースのみ認められる、ハッキングによる情報の取得を認めるものである。
「なぜ、それを」
 局長が理由を問うので、今行っている事件の捜査、龍崎コーポレーションのPCを調べる事ができないと伝えると、あっさり許可証を申請し、通ってしまった。
「君は優秀だと評価が高い。悪用などしないだろうという、テミスシステムの意思だよ」
 局長から渡された許可証を受け取り、退室した私は、早速署内の各申請書受け取り機関にそれを提出した。
 これで、私が龍崎コーポレーションにある害者のPCにハッキングをかけることができる。
 まずは防護壁の突破だ。会社のPCには外部からの不正アクセスを取り締まる厳重な防護壁が存在する。
 しかし、この程度なら数分で抜けることができるだろう。
 PCの操作は昔からよく好んで自ら行っていた。
 防護壁を突破した私のPCから、今回の害者のPC内部に入っていたデータを見る事が出来る。
 しかし、仕事に関するもの以外見つからない。
 私は害者が何か会社の不利益になるものを持っていたのではと睨んでいる。だからこそ、彼のPCを洗えば何か見つかるかと思ったが。
 私は一度、休憩室に行き煙草を吸う。
すると、そこに先輩である蘇芳さんがやってきた。
「あら、リゼちゃん。捜査はどうなの」
 この状況でも明るい彼女を見習いたいところだ。曖昧な返答しかできなかった私に彼女は、
「PCの中に見つからないなら、どこか別の場所に移しているんじゃない」
 助言をくれた。
 その別の場所がどこか分からないが、私は彼女の言葉を参考にもう少し別の場所を探してみる。
 もう一度害者のPCの中身を見たが、やはり何も変わったものはない。
 どこか、ここではないどこかにデータを移してある。
 私はそこであるものを思い付いた。
 検索エンジンを運営している会社が提供している機能の一つ、自分のデータの保管場所の提供。
 アカウントさえあれば誰でも個人サーバーを作る事が出来、そこに個人のデータを置いておけるのだ。PCのデータ容量を消費しない
 私は害者のアカウントを乗っ取り、その中にあるデータを探す。
 表計算ソフトで作られた様々なデータが存在した。
 順番にそれを開いていく。
 すると、いくつかパスワードの必要なものがあった。
 それもパスワードを解析し、自動入力で開く。
 毎月の、龍崎コーポレーションの金の動きが詳細に記されていた。
 私はそれを全て確認する。不正に使っているのは違いない。
 何に使ったのかまでは分からないが、これに関しては社長を直接問いただすしかないだろう。
 恐らく、害者が殺されたのはこれを調べていたためだろう。社長が気付いて茅場に命じて殺させたか、または茅場個人が社長にこのことを知られる前に始末をしたのか。
 優秀な彼女のことだ、社員の不審な動きなど分かるのだろう。
 どちらにせよ、犯人は彼女でほぼ確定なのだ。ハンターを向ければ全て解決するだろう。
「何か分かったか」
 アレンが私の座る椅子に手を置いて訊ねるので、例の不正な金の動きを記したデータを見せる。
「こんなものがあったのか」
「大企業なら、こんなのいくらでもありそうよ。問題は、何に使っているのか」
 動いている金額は、一番少ないものでも、一般人にとっては大金だ。
「確かに怪しいな。そういえば、あのボタンな、害者のスーツので、間違いないそうだ」
 私はその報告に思わず笑顔になる。
 これで確定だ。茅場は屋上で害者を殺した。後は何故死体を屋上から落とさなかったのか。
 どちらにしても、明日あの会社に行けば全て分かるはずだ。

 翌日、私と係長、アレンの三人は龍崎コーポレーションに来ていた。
 早速、秘書の茅場を呼んでもらう。
 エレベーターから出てきた彼女は私達を見るやいなや、うんざりした表情を見せる。
「今日はどういった、ご用件で」
 私は笑顔でここではない場所を用意してほしいと言った。
 広い会議室の一つに私達と彼女だけで入る。
「それでは、話に入りましょう」
 会議室の机を前に座る彼女の目の前に証拠品として袋に入っているボタンを置いた。
 これは、と問う彼女に屋上で見つけたと言う。
「そして、これがもう一つ落ちていたであろうものです」
 それは、彼女が身に着けているイヤリングがあの屋上に落ちていたことを示す写真であった。
「あなたの持っていたものですよね。何故、被害者の男性の着ていたスーツのボタンと一緒に落ちていたんでしょう」
 彼女は一言も言葉を発さない。
「あなたは屋上で害者を殺した犯人である。違いますか」
 私の問いに、彼女は反論するかと思った。
 しかし、驚くことに彼女は、
「ええ、そうです」
 とあっさり認めた。
 これには私達も拍子抜けだった。
 彼女は話し始めた。
「もっと、早く気付いてほしかったのですが」
 その先を促す。
「社長が謎の出資をしていることには私も気付いていました。私が彼を殺したのは、社長のその出資について探っていたためです」
 ここまでは私の推測が当たっていた。
「ですが、私は社長に彼を殺すよう命じられた時、戸惑いました。本当に正しいのはどちらなのか。そして、密かに彼に協力することを決めたのです」
「なら、なぜ殺した」
 アレンの言葉に答えたのは私だ。
「それが彼への協力だったのよ」
 その言葉を引き継いで茅場が話を戻す。
「そうです。彼は自分が死ねば社長は安全だと油断するのを狙い、警察にも自分の調べていた不正な出資についてまで探られると思ったのです」
「現にそれは成功したということね。私達はあなたと害者の考え通り、殺された理由を探り、謎の出資をしているデータを手に入れた」
 だが、分からないのは彼の死因だ。なぜ屋上から落とさなかったのか。
「あなたが屋上で殺したのに、そこから落とさなかった理由は、死体の損傷を避けるため」
 私の問いに、彼女は静かに頷く。
「彼が死んでも自殺で片付けられては意味がありません。そして、捜査が困難になり時間を取るようなことも。ですから私は警察が他殺の線でも調べてくれるように彼に提案したのです」
「社長としては、自殺に思わせられるのがベストだったんでしょうけど、秘書のあなたに任せ過ぎたのね」
 彼女は社長が何か危険なことに関与していることを恐れた。そして、私達に彼の身柄の保護を申し出た。
「あなたの罪が消えた訳ではありません。ですが、社長にも話は伺う必要がありそうです。彼は今何処に」
 私の問いに、彼女はまだ社長は来ていないという。普段から来るのは遅い方だが、今日は更に少し遅いと。
「係長、彼女を署に連れて行くのをお願いしてもいいでしょうか」
「私は構わんが、どこに行く」
「社長の家に直接行きます。何か嫌な予感がするんです」
「俺もついていこう」
 私はアレンと外装ホロを纏った車両にに乗り、社長の家に向かう。

 一三区にある社長の家に着いた私達は、車両を停め、門の横にあるインターホンを鳴らす。
 モニターに使用人と思しき女性が映り、私達が警察であることを示すと、門を開けた。
「龍崎社長はいらっしゃいますか」
「ご主人様は、今日体調が優れないとのことで面会は拒否されています。私達使用人が要件を承るよう申し付けられているので、お通ししました」
「社長に直接会わないと意味がないのです。それで、社長は自らあなた達にそうおっしゃったのですか」
「いえ、そういった内容のメッセージが端末に送られてきましたので」
 私は強引に屋敷の中に入る。
 彼の寝室であろう、奥にある部屋の廊下を走る。
「やられたか」
 私の目に飛び込んだのは、荒らされた部屋。そして、その奥の窓が開いていた。

 目が覚めると、龍崎は椅子に縛り付けられていた。
 頭が痛い。微かに血が出ていることが分かる。手すりに両手を固定され、足も同じように拘束されている。
 思い出せるのは昨日眠りにつこうと寝室のベッドに入った所までだ。
「お目覚めかしら、社長」
 龍崎が昨日の事を思い出そうとしているところに声がかかる。
「君は」
 よく知る人物。暗いこの空間にわずかに差し込む光に照らされたのは端麗な金色の髪が光る女性であった。
「DD、これはどういうことだ」
 ジーンズのポケットに手を入れ、余裕の笑みを浮かべる彼女が歩み寄る。
 差し込んだ光から外れたのでその顔は見えなくなってしまった。
「どういうこと、ですか。あなたの部下がミスをしたようなのでね」
 顔こそ見えないが笑い声を上げながら彼女は話す。
「ミス、何のことだ」
「あなたが私にしてくださった出資、あれのデータが警察の手に渡ったようです」
 その言葉に龍崎は驚く。
「馬鹿な、あれは茅場に処理を任せたはずだ」
「その秘書が、ミスを犯したのですよ。あなたの言う通りにしたように見えるようにしていたようですが、警察にも分かるようにね」
 一体なぜ、彼女がそんなことを。理由は何にせよ、この状況は非常に危険だ。打開策はないものか、と考える彼にDDは話しかけてくる。
「それで、あなたをここに運んだのは、もう出資を必要としなくなったことをお伝えしようかと思いましてね」
 龍崎は焦りを抑えきれなくなった。
「ま、待ってくれ。私は君の思想に興味を持って出資をしていたのだ。せめて、君の理想とする世界を見てから――」
「それでは意味がないのよ」
 冷たく放たれる彼女の言葉。
 再度龍崎に歩み寄った彼女が彼の額に何かを押し付ける。彼の死を宣告する冷たい銃口であった。
 彼の目の前にも光が微かに差していたので、彼女の顔が再び視界に入る。
 その顔は、これから人を殺そうとするとは思えない笑顔をであった。龍崎は、そんな彼女を悪魔と呼ぶ。
「そうね、私は人間じゃないのかも。この世界でシステムに認識されないから」
 そう言い切ると同時に引き金をゆっくりと引いた。
 龍崎の額に穴が開く。
「ありがとうね、社長。あなたは随分と約に立ってくれた」
 DDは龍崎の力なく下がる頭を眺めて言った。
「さあ、ご対面といきましょうか。警視庁治安維持課」

 茅場を署に送った係長、他のDDに関連しそうな事件を洗っていた蘇芳さん、柳さんも龍崎社長の家に来ていた。
 鑑識課に現場任せ、私達は屋敷の庭に大きめの簡易テントを建てて、即席の対策本部を作った。
「私と蘇芳さんで調べた、この前の殺人事件の犯人が亡くなった現場で小型の監視カメラを見つけました。データは破損されていたましたが、誰かがそれを通して見ていた可能性が高いことと、音声だけが復旧できました」
 柳さんが、その場にいる一係全員の端末にデータを送信した。開くと、自動的に音声が流れる。
 片方は男性。これは自決したエリス・シュルツのものだろう。そして、もう一つは聞こえ難いが、女性の声だとかろうじて分かる。
「もしかして、DDは女なのか」
 アレンの言葉に私は別段驚かなかった。
「犯罪をするのに性別なんて関係ないのよ」
 私の言葉に彼は少し怯えた顔をする。
「この話している人物は、私達を振り回しているDDという人物の可能性が高い。龍崎社長の謎の出資、誘拐は無関係ではないと思える」
 係長の言う通りだ。私もこの事件に奴が絡んでいると見ている。
 社長の部屋は金庫などの金目のモノが重点的になくなっていた事から、もう社長の出資をなしにやっていける体勢を取ろうと考えているのだろうか。
 そんな奴の動きを探るのに必死だった私達は、翌日社長の遺体を見つけることになり、事件は急変を迎える。

7、正義と悪

社長の遺体を見つけてから三日が経った今、私達治安維持課の一係から三係の使える人員の全てが会議室に集められていた。
 私達の目の前には大きなホログラムスクリーンが二つ並び、その真ん中には和泉(いずみ)局長が立って話を始めた。
「君達も知っての通り、今東京の騒ぎは由々しき自体だ。一係が前々から解決してきた事件のほとんどに、この女性として仮定されているDDという人物が関わっている」
 この辺りの説明は、他の係にも前から話していたので知っていることだろう。問題はこの次からだ。
「現在確認出来ているところで、およそ四〇件は下らないだろう。テミスシステムによる認識不可な人間による暴動が起きている。略奪、暴行、酷いケースは殺人まで。三日前の龍崎コーポレーションの社長殺人を皮切りに、自体は深刻化している。君達には連日この会議室にあつまり、事件の鎮圧を行ってもらっていることに申し訳なく思う」
 局長の責任ではない。他の一般刑事達も捜査にあたっていることを、以前協力した鵜川から聞かされた。今回の事件で何がマズいのか。相手が認識できないためにハンターがほとんど機能を果たさない。
 混乱に乗じて悪事を働く日本人は何人か餌食になっているが、通用しない認識不可な人物達とは殴り合うぐらいしか方法がないからだ。
 私も既に数名確保したがハンターを撃ったのは一人もいない。
「今日も君達にはこの二三区内の見回りをしてもらう。各装備のメンテナンスは全てこちらの自動整備装置が行ってくれているが、注意はしてもらいたい」
 解散、という局長の言葉で私達はそれぞれ仕事に入る。
「ここんとこ、血を見過ぎた気がして、俺の精神もやられそうだ」
 そう語るアレンの後ろで、蘇芳さんも普段は見せないような疲労が溜まっているのが目に見て分かるような顔をしている。
「自動運転で担当区域、一四区から一八区内の見回りを行うわ。私が起きてるから、二人は休んで」
 私も疲れていない訳ではないが、二人よりかはマシだと思う。
「お前も休んだ方がいい」
「そうね、リゼちゃんも疲れた顔してるよ」
「では、お二人が休んだ後に休憩をもらいます」
 二人は少し迷っていたが、納得したようで、少し仮眠を取りはじめる。
 私は自動運転の車から周囲の映像を目の前に広げ、それを眺めている。
 私は胸の奥底で興奮していた。ここ最近だが、追ってきていた人物にようやく追いつけそうな気がする。
 会ったら問いつめたいことは山程ある。
 いや、その前に一発殴ってもいいだろう。それぐらいの気持ちが私の中にある。
 私達のパトカーが住宅街に入った時だ。突然近くの民家から火が上がった。二人もその音で目を覚まし、私はパトカーの運転を手動にし、その場で停めた。
「そこを動くな」
 私は燃える民家の前にいる人影に叫ぶ。片手に火炎瓶を持ったその男は日本人ではなかった。ハンターが役に立たない。
「リゼ。お前は下がってろ。あいつは、俺達が――」
「問題ないわ。私は大丈夫」
 彼が言い切る直前に男に向かって駆け出す。後ろから私を止める声と追ってくる足音が聞こえる。
 私は駆けながらスタンバトンをホルスターから引き抜く。男は私が動き出した瞬間に、中間に落ちるよう火炎瓶を投げていた。私はそれが地面で割れる前に足を滑り込ませ、衝撃を和らげ蹴り上げる。
 狙った訳ではないが、男のすぐ後ろに落ちた。火から逃れようとした男は当然前に出てくる。
 私は前に出てきた男の顔に飛び膝蹴りを繰り出す。
 寸での所で、体を逸らして回避した男。私は宙に浮いた状態から体を捻る。
 その勢いに任せてスタンバトンで男の首を狙う。
 男は反応できずにそれを受ける。
 倒れた男の体は痙攣を起こしていた。
「問題なかったでしょう」
 着地した私は、追いついたアレンに声をかけると、彼は呆れたように大きく息をつく。
 気絶させた男は病院に搬送され、意識が戻ると同時に牢に入れられるだろう。
 パトカーに寄りかかり、煙草を吸う私の隣にアレンが来る。
「無茶しすぎだ。お前は自分が思っている以上に周りから見たら疲弊しているのが分かるぞ」
 私は煙草を車内の灰皿に入れ、また空を見る。
「私は知りたいのよ」
「何を」
「奴が何を考え、何を思い、こんな事件を起こすのか」
「DDって奴のことか。それは俺だって同じだ。だが、休息も必要だろう」
 私は次に地面を見る。綺麗な青空に対して、灰色のアスファルトはまた別の良さがある。
「犯罪者を追うあまり、自らもそれになる」
 アレンが突然言い出したので、私が彼を見ると、係長から聞いたのだと言った。係長は昔の同期から聞いたとのことだが。「私がそうなると」
「ならないようにできるか」
「ならないわ。私は悪を潰えさせるためにいる組織の一員だからね」
「組織に属してるなんて事は関係ない。これは個人の問題だ。前に言っただろう、お前は俺の知らない所に行きそうだと」
 そんなことを言っていたな。つい数日前だと思った。
「あなたは来てはダメと私は言った」
「お前をそこに行かせはしない」
「面白いわね、それ」
 私は車に乗り込む。彼と状況説明を終えた蘇芳さんも乗せて、引き続き巡回にあたる。
 私は運転を任せて、重い瞼を閉じる。

 街の至る所を映し出す監視カメラからの映像を引っ張ってくるモニターを眺める私は楽しくて仕方がなかった。
「平和な生活を少し脅かしただけで人という生き物は崩れていく。実に簡単で楽しめる」
 後ろから声がかかる。
「DD、次はどうするの」
 私の右腕である彼女の後ろには数人の男女がいる。
 椅子から立ち上がった私は、彼らを一瞥して言った。
「集まってくれてありがとうね。じゃあ、早速行きましょうか」
 どこへと問う彼女に私はある場所の名前を出す。
「テミスシステムの本拠地、警視庁へ」
 私の信頼する彼女、クラリスのハッキング技術はエリスにも劣らない。
 正直に言ってしまうと、二人もいらなかったのだと今になって思う。
 エリスは切り捨てて正解だった。
 そんな事を警視庁に向かう最中、偽の認証プログラムを組み込んである車両の中で思う。
「テミスシステムを見つけたとして、私達はどうすればいいの。あなたが見ていなくても、破壊していいのかしら」
「先に破壊してもらっても構わないわ。どの道そうするのだし」
 了解、とクラリスがノートPCに入れているクラッキングシステムの再確認を行う。
 私としては、テミス自体も見てみたい気もするが、会いたいのだ。警視庁の捜査間、秋月(あきつき)リゼに。

 それは私達が眠っている間に来たものだった。端末から緊急警報が鳴り響く。全捜査官に通達されたそれは警視庁に何者かの襲撃があったことを示すものだった。
「現場に近いのは私達と係長、二係の一組か」
 私の言葉に焦りながらもアレンは警視庁への道を進む。
「警視庁への襲撃って、奴らの狙いは何だ」
「テミスシステムそのものじゃないの」
 蘇芳さんがいつになく冷静に答える。
「これは私達を分散させるために行った大規模なテロ。あの事件と一緒だわ」
 彼女の言うあの事件とは、MOG崩壊の事件だ。
 あの事件の模倣犯だというのか。

 署に着いたのは一係の人員だった。
「二係もすぐに到着するだろう。その間に私達で出来る限り犯人を追う」
 私達は車両からハンター、スタンバトン、スタングレネードを三つ装備して態勢を整える。
「ハンターは役に立つのか」
 アレンの疑問混じりの声に柳さんが答える。
「鑑識課の川内課長からの連絡です。技術開発局が認識の有無に関わらず発砲できるよう規制解除のプログラムを送ってくるそうです。その代わり、発射されるのは全て炸裂弾。敵は全て排除する形になります」
 柳さんが言い終わってすぐに端末に例のプログラムが送られてきた。自動的にハンターに組み込まれたそれは、いつでも相手を殺せる銃となってしまった。
「奴がいたとしてどうしますか」
 私の言葉に係長は、捕獲を命じた。殺すなということだ。
 私達は犯人が潜伏するであろう、警視庁に入った。

 警視庁は繋がる二本の塔となり、全部で五〇階の高さを誇る。西と東に分けられているが、その最上階は繋がっており、テミスシステムの中枢がある。
 襲撃があったという警報から一〇分。私達は東、係長達は西から上を目指す事になった。内部は破壊された扉だらけだ。西も同じ状況だと通信が入る。エレベーターも緊急防犯装置の作動で使う事はできない。それは作動する引き金となった犯人達も同じこと。そのため、最上階へと続く階段の扉などが主に破壊されている。
「犯人は最上階を目指していると見て間違いはなさそうね」
 蘇芳さんの言葉に私は頷く。
「奴は一体、何を望んでいるのか」
 アレンの言葉に私が返す。
「システムのない、認証のない世界。また、何もない世界を望むのよ」
 私の言葉にかれは走りながら苦い表情を浮かべる。
「来るわ」
 蘇芳さんが階段の上からこちらに銃を向けてくる敵を見て言った。
 私は相手が引き金に指をかける前にハンターを構える。
『識別なし、照準補正なし。周囲に警戒して発砲を行ってください』
 銃と連動した端末からなったその音声でプログラムが正常に作動していることは分かった。
 私は敵の隠れている場所を撃つ。
 身を隠すのに使っていた手すりごと、敵の体が爆散した。
 こちらまでは飛んでこないが、内蔵や血液が壁に飛び散る。
「まったく、撃つなら一言頼むぞ」
「次からは気を付けるわ」
 私達は引き続いて上を目指す。
 三〇階の半ばに差し掛かった所で、エレベーターが使えるようになったという通信が入ったので、私達は階段をそれを使うべく、踊り場にある扉から廊下へと出た。
 そこには待ち構えていたように敵がいる。片手に構えていた銃を発砲してきた。私達は直ぐ側のオフィスに隠れる。敵の銃弾が止んだところで、アレンが飛び出した状態のまま、銃口を向ける。
 バリケードにしている机に炸裂弾が当たったが、もろとも吹き飛ばされるだろう。
 しかし、敵はそれを避けた。着弾して机が吹き飛ぶ前に。今までと少し違う。スピードが桁違いだ。床に倒れ込んだばかりのアレンに襲いかかる敵に蘇芳さんが飛び蹴りを繰り出す。
 敵はそのままガラス張りの壁を突き破り、ビルから落ちていった。
 アレンが礼を述べながら、彼女の手を取っているところだ。
 銃声が響くが、二人には当たらなかった。蘇芳さんが、近くにあった椅子を蹴り上げ、敵に当てる。私は、オフィスの扉からスタングレネードを投げる。閃光と同時に敵の銃声が少し止んだ。
 今度は私が勢いを付けて飛び出し、敵との距離を詰める。前転で相手の前に転がった私は、足をかけて転倒させ、そのまま背中を軸に足を回転させて起き上がる。同時に倒れた敵に一発撃ち込む。
 体が風船のように膨らんだ後、爆散した。血が少し足元にかかる。
 休む間もなく、新しい敵が来る。
 私の後ろから蘇芳さんが撃つ。しかし、相手は傍らに落ちていた机を蹴り上げ、それを盾とした。
 机は粉々に爆散したが、敵は動じる事なく私を飛び越え、長めのナイフを二本抜き放った。そのまま背後の二人に襲いかかる。
 蘇芳さんが迫る刃物を避け、その空振りした腕に拳を叩き込もうとするアレン。敵はそれを阻止するべく、もう片方の腕から攻撃を繰り出す。まるで局に合わせて舞っているかのようだ。
 二人とも日頃から同じように対人格闘に関しては鍛えているので、そう簡単には負けはしないだろうが、敵は相当な手練れらしく苦戦を強いられている。
 加勢しようとした私だったが、アレンが止めた。
「お前は先に行け。ここは心配するな」
 その言葉に私は逡巡したが、最上階を目指すためのエレベーターまで走った。

 警視庁四七階、展望台として活用されているこの場所は、広い空間になっている強化ガラス越しに街の風景を一望できる作りになっている、円形の空間は、中心に大きな柱、その周りを囲むかのように少し細めの柱数本で支えている。
 外はすっかり暗くなっているが、街の建物の明かりで綺麗に彩られている。
 この展望台は夜景を綺麗に見せるのを重視してか、明かりが点いていない状態だ。
 床は映像を映し出せるモニターとなっており、海や空の映像を映せる。強化ガラスもそれが可能だ。日々、犯罪者達と命がけで闘う捜査官の心を癒すためでもある。
 だが、私はそんなものに癒しを求める状態ではない。頭の中は奴を追う事で一杯だ。
 エレベーターがそこで強制的に止められた。柱の一つがそのエレベーターの扉になっている。その展望台とされる四七階に着いた私は息を整える。アレン達と別れた後も、エレベーターまで何人かの敵を相手にした。何とか全員倒せたが、私の体は疲労を隠せないでいた。
 エレベーターを下りた時から気になっていたのが、地面を覆うスモークのようなものだ。
 だが、最上階まではもう少し。そんなことを気にしている暇はない。私が真ん中の大きな柱の横から螺旋状になっている階段に向かって、歩き出そうとした時だ。

「待っていたよ、秋月リゼ」

 柱の影から声がかかる。女性の声だ。
 頭に浮かぶその名前を呼ぶ。

「お前が、DDか」

 姿を現したその人物は、金色に輝く長い髪と合う深い青色の瞳をした女性だった。日本人でないことは明らかであった。

「会えて嬉しいよ」
「ええ、私もよ」
 彼女は嬉しそうに、私も嬉しそうに、互いにどこか奥深く狂気的な何かを感じさせる笑みで言う。
「最上階に用があるんじゃないの」
「テミスシステムの実体も気になるけど、仲間に任せているわ。あなたと対面する方が楽しみだった」
 私は銃口をゆっくりと向ける。しかし、機械音声が残弾が零であることを告げる。
 床にそれを投げ捨てた私を見て、奴はゆっくりと歩く。
「さて、何から話そうか。私について知りたい事はあるかしら」
「ふざけるな、と言いたい所だけど、名前だけは教えてもらいましょうか。DDって、本名じゃないんでしょう」
 彼女は体を深く曲げながら悩むようにしていた。元に戻して私と目を合わせる。「“リリス・カーライル”。これで満足かしら」
 リリス、その名を頭の中で反芻する。
 それ以上の事を聞く気は無かったが、奴がDDとなる経緯を話し始めた。

 二四年前。あの時、六歳の私は両親と旅行に来ていた。日本は危険な状態だと言われていたが、気にはせずに。
 だが、あの時日本にさえ来なければ、こんなことにもならなかったのだろう。
 私と両親が日本に来て三日目、車を借りて街の中を観光している時だった。突然目の前で爆発が起き、私達の車は他の車に巻き込まれて衝突事故を起こした。
 気を失っていた私は何とか車のドアを開けて外に出た。
 どのくらい気を失っていたかは分からないが、目の前では右、左に別れて銃を撃ち合っている大人達の姿があった。ここは世界で一番の平和を約束された国、日本ではなかったのかと問いたい気持ちだった。
 両親の姿が車にもないことを気付いた私は、堪らずその場で泣き出してしまった。そこに突然誰かが駆け寄ってきた。
「大丈夫」
 私の目の前で叫んだのは女の人だった。私を担いだまま銃を撃ち、仲間と思しき人達の元にまで走る。銃声が止むと、駆けつけた救急車に私を乗せるよう隊員に言った。
 彼女の名前は聞けなかったが、落ち着いた時にお礼を改めてしたいと思った。
 その背中を見送った私は、救急車に揺られて近くの病院へ搬送される。
 しかし、しばらく走った所で曲がり角から来たトラックにぶつかられてしまった。短時間で二度も事故に遭う人生なんて、そうそうないだろう。そして、生きているというのも。
 私は横転した救急車から這い出た。今度は誰も助けてくれそうにない。救急隊員達は死んでいるのかも分からなかった。直ぐ側に落ちていた簡易医療キットを見つけ、背中に負う。
 使い方など分からないが、持っておいて損はないだろう。
 それからしばらくの間、日本は大混乱を起こした。それが日本だけでなく、世界中だと知るのには時間がかかった。
 混乱に乗じて、店から食べ物や服、お金を盗み、私は普通の少女とは自分でも言えないようになっていた。
 私はとにかく歩いた。国に帰りたいが、何よりも両親を見つけるために。
 ある日のことだ。人気の全くない場所に迷い込んだ。
 そこは先程までの人が行き来している場所とは大違いだ。店なんかは扉が破壊され、道路には車も走っていない。
 路地裏に人の気配を見つけたので、それを追って走る。
 行き止まりに差し掛かった所で、私は数人の子どもから銃を向けられた。
 だが、私が子どもだと分かると、その子達を分けて入ってくる一人の大人がいた。若い女の人だった。
 彼女はここの子ども達の面倒を見て一緒に暮らしていると言う。
 檜山(ひやま)イノリ。彼女の名前だった。私が外国人と分かっても、別段驚かなかった。ここには国籍関係なく、何人も外国の子どもがいたからだ。
 彼女は自分達の住処としている廃ビルに私を招いてくれた。
 ほとんどが子どもであった。大人と呼べるのはイノリだけ。彼女に近い年齢でもまだ中学生ぐらいの人達ばかりであった。
「リリスは、両親はいないの」
 ビルの屋上から見える夕日を眺めながら、彼女の質問に首を横に振る。日本語は小さい頃から勉強させられていたので、大体分かる。
「ここまで来るのは辛かったでしょう」
 優しい彼女に抱きしめられた私は泣き出してしまった。あの事故の日以来だ。今まで溜まっていた辛い思い出が一気に蘇ってくる。
 それからは、この“隔離区画”と呼ばれる外の世界から離れた場所で私は生活した。
 この隔離区画内の中でも食料はあるし、自給自足のための菜園なんかも、作れる程に店も揃っていた。
 私達はイノリを中心に生きていた。彼女は皆のことを常に考え、私達もそんな彼女についていくことが当たり前になっていた。
 日本に来て、最悪の人生になったと思っていた。しかし、今では、それも忘れてしまうのではないかと思うぐらいに楽しい生活だった。

 だが、私の幸せはそう続かなかった。ここでの生活も、既に三年が経ち、私は九つになっていた。もう国に帰ろうという思いは完全になくなっており、両親を探すという目的も薄れていた。学校には当然行っていないが、それなりに字は読めたので、私は本を読むようにしていた。難しい内容のものは、イノリが教えてくれた。彼女に憧れて本を読んでいる面もあったので、嬉しかった。
 その日も彼女の側で本を読んでいる時だった。
 見張り役の子が私達の部屋に駆け込んできた。理由を聞くと、ビルに数人の男が押し掛けてきたという。
 イノリは彼らとの話し合いに応じた。
 内容は協力関係を結ばないかというもの。彼女は拒否した。男達は外見からして危険な雰囲気を纏っている。
 彼女の態度にリーダーと思しき男が部下に、私達を全員連れて行くように指示を出した。私達は抵抗しようとしたが、相手の方が銃を出すのが早かった。
 連れてこられたのは、廃墟のビジネスホテル。男達のグループの拠点だった。
 私や他の子ども達は一室に入れられ、鍵を閉められた。部屋は特に何の変哲もない。
 部屋を見回していた所で扉が開く。入ってきたのは細身で長身の男だった。ベッドに座った男は私にバスルームで体を流すように言った。理由を聞くとベッドの側にある机を蹴って急かされた。
 私は泣きそうになりながらシャワーを浴びる。かけてあったバスタオルを体に巻いて出てきた。
 男の元に戻ると、それを取るように要求してきた。拒否すると、男は溜め息をついて腰から何かを取り出してこちらへ向けた。銃だ。
 やらないのなら殺すと脅された私は、裸体を晒す。辱めに涙が止まらなかった。そんな私の涙も男を興奮させる材料に過ぎないのだろう。銃をベッドの側にある机に置き、私の手を取ってベッドに押し倒す。
 男は、まさしく鬼のようだった。
 私は恥辱を受けるぐらいなら殺してほしいと願う。
 虚ろになった私の視界の端に男が置いた銃が見える。
 男は私の体に夢中で、体に手を持ってきていた。
 脳内で声が響く。なぜ私が死ななくてはならないの。死ぬべきは悪。私は悪ではない。伸ばせば届くだろうか。私はゆっくりと慎重に手を動かす。
 男は獣のように私の体に夢中なっている。汚らわしい。死ぬのは私じゃない。殺されるのは私じゃない。
 殺すのは私、殺されるのはこの男。死ぬのはこの男。
 私は銃に手が届いた瞬間、息を吸い込む。しっかりと握り、銃口を男のこめかみに当てた。
 男の動きが一瞬止まる。
 動く間も与えずに引き金を引いた。反動に耐えきれなかった私の腕は、銃を放り投げてしまった。綺麗に弾けた男の頭は体ごとゆっくりと地面に倒れる。急いで落ちた銃を拾った私は、何も考えずにその体にも何発か撃つ。
 初めてだった。私達も銃を持っていたが、持たされていたのは年得上の子ばかりだったからだ。
 銃声を聞いた仲間と思しき男が、扉を開けた。裸体を晒す少女の私が、男を殺したことに理解が追いつかなかったのだろう。入ってきた男の胸に一発、腹に三発撃ち込んでやった。
 撃つたびに手が痛む。反動で倒れそうになるが、何とか堪える。
 無我夢中だった。罪悪感など微塵もない。悪いのは奴らだ。私は他のみんなを探すため、服を着直す。男の血が少し着いていたが気にならない。
 二人目の男が持っていた銃を奪った私は、弾が切れた銃を捨てる。
 隣の部屋へ。そこには今にも襲われそうになっている私の仲間がいた。
 男は銃声が響いたにも関わらず気がつかない程、少女の体に夢中だったようだ。私はゆっくりと近づき、後頭部に銃を押し当てて撃つ。
 その男からも銃を奪う。襲われていた子が私に縋り(すがり)付いて泣く。引き離して、ここから動かないように言った。
 男どもは実に馬鹿であった。少女の体に気を取られるあまり、私が隣の部屋で銃を撃っても気付かずに、次々と殺されていく。気付いて撃ってきた者もいた。私は扉の影に隠れ、男が発砲を止めたと同時に身を乗り出して撃つ。足、腕と当たった。倒れ込む男の額に銃口を当てた時、命乞いをしてきた。男の相手をさせられていた女の子は泣いていた。私は再度男を睨みつけ、引き金を引く。
 悪に情けは無用だ。こんな奴ら、殺しても問題ない。
 何故か、気分が高揚してきた私は銃を振り回しながら廊下を歩く。
 すると、目の前に部屋から飛び出た男が立つ。手には散弾銃を持っていた。
 それに続いて出てきたのは、上半身が裸のイノリだった。
「リリス、あなた」
 男の前に立ちはだかり、私を見て言った。
「イノリ、逃げて」
 私は叫ぶ。
 彼女は男の持つショットガンを掴んで、私を守ろうとした。
 だが、男は彼女を引き離し、そのお腹に一発撃ったのだ。
 何も言わずに倒れる彼女。私はありったけの弾丸を放つ。
 弾が無くなったところで息を切らしながら、私はイノリの側に走り寄る。
「リリス――なんでこんなことに」
「私が皆を助ける。だから死なないで」
 先程までの高揚感は消え去り、悲しみに支配されそうだった。
 涙が溢れてくる。彼女の苦しそうな顔に雫が落ち、私の顔に手が触れる。
「逃げて。これ以上命を奪ってはいけない――」
 彼女の最後の言葉がそれだった。
 イノリを撃った男は私達に話を持ちかけてきた人物だった。
 立ち上がった私は、散弾銃を手に取り、残りの仲間を助けに行く。
 リーダーが殺されたことにも気付かない男達の頭を撃つと、まるで果物を潰したかのように破裂した。
 時には拾ったナイフで切り刻み、敵と思われる奴は全員殺した。
 そして、皆を集めた私はまたイノリのいる場所へと戻ってきた。
 近くにはあのリーダーの死体もいる。
 イノリのお腹に開いた穴に手を触れた私は手に着いた彼女の血を見る。
 これが死というものなのか。私は短時間で何人を死に導いたのか分からない。
 廃墟のホテルから逃げた私達は、ビルに戻った。
 幸い、留守にしている間に誰にも荒らされていなかったようだ。
 私達はイノリの遺体を持ち帰ってきていた。彼女の本棚から医学に関するものを探す。粗雑だが、お腹を縫って、棺桶の代わりをみんなで作り、彼女の遺体を入れる。
 私とイノリがよく一緒にいた部屋に置いた。

 翌日、私と数人の仲間は、もう一度あの忌々しいホテルに行った。男達の隠していた物資を漁るためだ。
 中には銃、弾薬の他にも食料や通信機器などが見つかった。
 使えそうなものは何でも持っていくとうことで、ビルまで運ぶ。
 私はそこでようやく彼女の死を再確認した。
 あの時は男達を殺す事に夢中になっていたせいで、彼女の死を受け入れられていなかったのだ。
 戻ってきた私は、彼女の棺桶に寄り添うように座る。
 しばらく考えていた。これからどうするかを。
 私は英雄などではない。ただの人殺しにすぎない。心も死んだ人形のように。
頭の中で何かが切れる音がした。
 その日から私は“死の人形”、Dead Dollとして生きることを決意する。
 人間の心など持ってはならない。情けの感情などは当然捨てなくては。
 それから、私は皆のリーダーとして、この組織を保った。
 やがて大人になった私達の中に外の世界に行きたいという者が出始める。私は止めなかった。
 結果は分かりきった事。出て行った者は皆死んでしまった。
 外の世界ではまた新しくシステムにより管理された世界が作り上げられていたからだ。
 人はまだ分からないのか、自分達が過去に犯した過ちを。私達のような存在を作ったのはシステムのせいだった。それなのに、また同じことを繰り返している。
 許せない。外の世界が、外の人間が許せない。私達がやらなくてはならないのだ。間違った人を正しい方向へと向かせるのだ。それはあのシステムを崩壊させた人の願い。
 こうして、私は外の世界を変える事にした。

 奴は言い終えたと同時に足を高く上げ、その場に音が響くよう地面を踏みつけた。
 床と強化ガラスのモニターに少女が犯されている映像が流れる。少女はどことなく奴に似ていた。
「私の過去、傍観するにはいいものでしょう」
 何故、こうも笑みを浮かべて淡々と辛い過去の思い出を話せるのか、私吐き気がした。
「人を殺したことで狂ってしまったというわけね」
「これが私自身なのよ。本来の私が目を覚ました」
 彼女は相変わらずその笑顔を崩す事なく、私を見ている。
 犯される映像に見飽きたところで私は話す。
「あなたがどんなに苦しい状況で生きてきたとしても、人殺しであることには変わりない。同情なんてしない」
「それでいいのよ。でも人殺しと言うならあなた達も同じではないかしら」
 どういう意味かと問う。
「その銃で何人撃ったの」
 私の側に転がるハンターを見て言う。
「奴らは犯罪者だ。私ではなく、システムが殺すのを選択した」
 そこでリリスは声を上げて笑う。
「なら、純粋な少女の体を汚した彼らも裁かれて当然でしょう」
「お前は自分の意志で殺した。まだ公正な裁きが為されていない相手だ」
「その公正な裁きとやらを待つ間に全員死ぬわ。目の前で襲われた人間がいても、システムが悪と認めなければ動けない木偶が法を守る犬とは笑わせてくれる」
 私は歯を食いしばる。
「お前達だって、正義という看板を下げただけで私となんら変わりない人殺しだ」
 違う。私達は無闇に命を奪っている訳ではない。だが、これ以上は何を言っても無駄だろう。
「私は、お前を逮捕する。それが法を守る者としての使命よ」
「面白い。なら、やってみせなさい」
 ここに来るまでにスタンバトンは使い物にならなくなっていた。
 だが、問題ない。彼女をすぐに捕まえてはなんともしっくりとこない。

 私は奴との間合いを一気に詰める。まずは右から真っ直ぐ拳を放つ。
 奴はそれをいとも簡単に避けてみせた。私も当たるなどとは思っていない。
 外した私の腕を掴んだ奴は自分の脇にその手を挟み込んだまま後ろに倒れる。完全倒れた所で奴は私の腹に足を当てて投げる。
 私は背中から叩き付けられた。痛みを感じる余裕もないほどに早い動作であった。遅れて痛覚を刺激するその投げ技を受けた私は奴が跳ね起きたのが気配で分かる。
 私は体を反転させ、すぐに態勢を立て直す。
 姿勢の低い状態から走り寄る右の回し蹴りを繰り出す。奴は身を屈めて避ける。私は途中で足を振り下ろす。それが当たる前に、奴が地面を擦るように繰り出した蹴りによって、体を支えていた足が蹴り払われ、地面に倒れる。そのまま乗られるのを恐れた私は地面を転がって距離を開け、立ち上がった。
 流れの早い戦闘に私は追いつくのもやっとだ。先程からどうにも体が重く感じる。自身で分かる程に動きも遅くなっている。
 戦いに集中しなくては。そう思った矢先だ。離れていた奴が突如、目の前に姿を表した。防御も間に合わず、腹に一発、顎に一発もらった。
 骨は折れてない。だが、体重の乗った重い拳は私の脳を揺さぶる。
 何が起こったのか分からなかった。
 倒れた私の体は何かに縛り付けられたように起き上がるのを拒む。息切れも激しい。
「もう終わりかしら」
 相変わらずの余裕を見せる笑みを浮かべた奴は、仰向けになった私に馬乗りになって懐から銃を取り出す。
 額に当てられた。
「残念ね、秋月リゼ。もう少し楽しませてくれると思ったのだけれど」
 私は奴を睨む。本当は寒いはずのこの場所で汗まで出てくる。 
「だけど、あなたは私の中には唯一いないタイプの人間だった。死ぬ前に何故私に勝てなかったか教えて上げようか」
 私はかすむ視界の中でも奴を睨み続ける。
 奴が答えとやらを話し出そうとした時だ。甲高い音が響く。
 私に向けられていたリリスの顔がゆっくりと別の方を見たので、私も首を動かす。
「あらあら、随分と面白いお客ね」
 一つは奴、それに対してもう一つ声が聞こえる。
「その答えとやら、私にも聞かせてくれないかしら」
 聞き覚えのある声で、そこいるのが誰か見なくても分かった。

 敵の男は左手のナイフで俺、右手のナイフで蘇芳さんを相手に器用に立ち回る。ハンターを撃つにしても、見方に当たる可能性が高く迂闊には撃てない。
 蘇芳さんが隙をついて敵のナイフを弾いた。
 しかし、それに焦った男は俺を相手にしていたナイフを彼女の腹に突き刺した。俺は瞬時に男のその左手を肘から折る。ナイフを放したのを確認して直に男の体を掴んで投げる。
『識別なし。照準補正なし。周囲に警戒して発砲を行ってください』
 俺は引き金を引く。被弾した男の体が膨らんで爆散した。
 蘇芳さんの傷口を確認したが、かなり深い。
 医療課に連絡を取ってみる。
 すると、香澄(かすみ)に繋がった。庁内に取り残されたままだと言う。
 蘇芳さんを診てもらうべく、反対の棟にある医療課まで連れて行くことになった。
 東から西への連絡通路が存在する階は、今の場所からだと引き返した方が早い。
 彼女を仰向けのまま抱きかかえる。発汗と息切れが激しいのを見ただけで、急がなくてはならない。
 最上階を目指すのは後になるが、人名優先だ。
「蘇芳さん、今から医療課まで連れて行きます。気をしっかり持ってください」
「一人でも大丈夫だから――弓月(ゆづき)君は最上階へ」
「そんな状態で無理に決まっているでしょう」
 俺は口調を強めて急ぎ足で移動する。

 曲がり角に差し掛かる度に彼女を壁に寄り添わせ、安全確認をする。
 連絡通路に差し掛かった。真っ直ぐな廊下を渡りきればもうすぐそこだ。
 一気に駆け抜けよう。そう思い走り始めた矢先、目の前に何かが落ちる。
 地面を少し削る程の衝撃を持つそれは、人だった。
 身長は裕に二mは越しており、筋骨隆々とした男だった。
 俺は彼女を少し下がった所の壁に寄り添うよう下ろす。
 ハンターを引き抜くと同時にそれを弾かれた。
 鋭い左の拳。俺の頬を切るほどの早さ。
 外した隙を狙って胸に体重をかけた一発を当てる。
 しかし、恐ろしい筋肉で衝撃が軽減される。
 俺は襟を掴もうとする敵の手を逃れるために半歩下がり、右足からのローキックを、相手の右ふくらはぎに当てる。
 予想以上の効果を発揮したそれは、少し相手の態勢を崩す。そのまま頭を掴み、顔面に力任せの膝蹴りを喰らわせる。
 鼻血を吹き出し、歯の折れた相手はその場に倒れた。
 意外にも呆気なかった。
 蘇芳さんの元に戻り、再度抱えようとしたときだ。
 起き上がった男が俺の首を掴んで壁に叩き付ける。
 もう意識を取り戻したというのか。
 俺は必死に奴の腕を剥がそうと、足を体に当てて押す。
 だが、少ししか効果をなさないその動きは意味がない。
 俺は意識が少し遠退き始めてきた。
 一刻も早くこの状態から抜けなくてはならない。
 しかし、体に入る力が増々弱まる。
 もう終わりかと心まで折れかけた。
 だが、横から迫る人物に俺も男も気付かなかった。
 突然敵の頭部に横からの飛び蹴りが当たる。不意打ちを受けた男は俺の首を放す。同じように少し吹き飛んだ俺は、咳き込んだ。
「弓月先輩、大丈夫ですか」
 顔を上げた俺の目の前に立つその横顔は、可愛い後輩のものであった。療養していたはずの小梅(こうめ)エリだ。
 彼女の名を呼ぼうとしたが、男が小梅に迫っていた。
 敵の攻撃を受け流し、顔面に一発。怯んだ相手の懐に入り込み、腕を床についた状態で蹴り上げる。
 よろけた相手に、腰のホルスターから抜いたハンターを向け、引き金を引く。
 爆散した相手の血肉が壁、床に飛び散る。
 安心したように大きく息を吐いた彼女は銃をしまう。
「大丈夫ですか。香澄さんに遅いから迎えに行くよう言われてきました」
 差し出された彼女の手を取って立ち上がる。
「そうか、治療のために来てたのか」
 俺は弾かれた自分のハンターをホルスターに戻し、蘇芳さんに駆け寄る。
 二人で彼女の肩を担ぐ。
「もう大丈夫なのか」
 俺の問いに小梅は真っ直ぐ前を見つめて答える。
「皆が戦っているのに私だけ何もしないのは、もう嫌なんです」
 この前の事件で負った心の傷が、彼女を強くしたのだろう。
 俺はなんとも言えない感情を胸に苦笑する。
「良かったよ、お前がいて助かった。ありがとう」
 彼女は笑顔で力強い返事を返す。
 医療課の部屋へ行く最中、思い出したように言った。
「そういえば、端末で庁内のカメラの映像を観ている時にもう一人誰か映り込んでいたんですけど、知りませんか」
「いや、俺達意外に到着した捜査官の話は聞いてない。二係もすぐに来ると言ってたが、もしかしたらもう中に入ってきているのかもな」
 小梅の言う人物とリゼのことは気になるが、今は蘇芳さんの心配が先だ。
 俺達は引き続き医療班の部屋を目指す。

 警視庁、ここは私のような人間が来る所ではないが、この際仕方ない。
 私の家を襲撃しようとした認証のない外国人。そいつの身に着けていた通信機から特定した場所が警視庁であった。
 もっとも、私はなんとなくこの場所に導かれた気がする。
 中に入った私は、エレベーターのボタンを押した。
 反応はなし。階段に続く扉が破壊されたのを見ると、入った連中はここを使ったようだ。
 階段を駆け上がっていく。
 途中にいくつか死体を見つけた。それも爆発したかのような。
 刑事が使っている銃のものだろう。実際に使っている所はないが、死体を見た事ならある。
 その死体につられてきたのか、武装した人間が複数、目の前に現れる。
 確認もせずに撃ってきた。だが、隠れる必要など無い。さっさと殺せば済む。
 敵との距離を詰めるため、階段の途中で壁を蹴って踊り場まで飛ぶ。空中で持ってきていた獲物の布を開く。
 鞘に収められた刀を一気に引き抜く。
『無白』、私がこの刀に付けた名。真っ白な刀身は浴びた光を反射させ、血で赤く染まる。
 敵の持っていた、銃ごと、体を叩き切った。
 血飛沫が出る前に、私はその場を走り抜ける。その後も何度か敵に遭遇したが、何の事はない。
 私は切り捨てて走るだけだ。
 そして、階段を上りきり、開けた空間に出た。地面にはスモークのようなものが漂う中、二人の女性がいる。
 一人はもう一人に馬乗りになり、銃口を額に当てていた。答えがどうのと言った話をしている。
 倒れてる方は私のよく知る人物だ。
 刀の柄を持ち、一直線に投げる。
 わざと外すように馬乗りになっている人物の後ろを通過して、中央の柱に突き刺さった。
「あらあら、随分と面白いお客ね」
 笑顔で私を見るその人物に私も笑顔で返す。
「その答えとやら、私にも聞かせてくれないかしら」
 私の親友、秋月リゼに銃を向ける女に言った。

「財閥のご令嬢は随分と血の気が多いのね。こんな物騒な物を振り回しているだなんて」
 DDことリリス・カーライルはリゼの上から立ち上がり、階段近くにいるキルアに言った。
 やはり彼女がそこにいる。リゼは彼女に話しかけようにも声が出せない。リリスはキルアに少し歩み寄る。
「答えを聞かせてほしいと言っていたけど、あなたにはもう分かっているのでしょう」
 彼女のその言葉にキルアは答え合わせだと言うと、自分なりの答えを話し始めた。実に楽しそうに。
 キルアは人差し指を立てる。
「一つ目、この床に漂うスモーク。幻覚性作用のある違法ドラッグね。私の部下も手を出したのでお仕置きしてやったことがあるわ」
 中指を立てる。
「二つ目、スクリーンに映された映像との連携。この違法ドラッグは単体でも効果を発揮するが、この全面フルスクリーンで流される犯される少女。これが、リゼには別のものに見える。それによる動揺。彼女自身は平気な風に装っていたんでしょうけど、自分でも気付かない内に動揺は大きくなっていた」
 最後に薬指を立てる。
「三つ目、あなたの手下達を相手にした戦闘による疲労。これがトドメね。リゼは無茶をするところがある。休息もあまり取らずに疲労の溜まった彼女には、薬の効果は絶大」
 当たっているかしら、と腕を組むキルアの答えに、リリスは声を上げて笑う。
「あなた本当におもしろいわ。何故、あなたのような人物にもっとはやく会わなかったのかしら」
 その言葉にキルアも静かに笑う。
「私もあなたとは気が合いそうね。特に人を殺すってことに関しては、とても」
 奥に隠された狂気、それが露わになるかのような笑みを浮かべる二人は円を描くように歩く。
「それで、なぜあなたはこの薬の効果が表れないのかしら」
「それは私にも分からないわね。まあ、体が頑丈だからとしか言いようがないわね」
 興味深そうに返事をするリリス。
「随分と楽しそうね。その体、殺した後じっくり解剖してもいいかしら」
「殺せたらね」
 笑い合う二人の動きが止まる。
 向かい合った状態から動き出したのはリリスであった。
 リゼに対して、違法ドラッグなどの幻覚作用を用いた戦いを行ったが、彼女がそれを使わなかったとしても、リゼに勝機があったか分からない。
 あの隔離区画で英雄と呼ばれる権威を保つには、それなりに強さがないと無理だ。
 瞬時に間合いを詰める俊敏な動き。そして、力強い踏み込みから繰り出されるバックキック。
 キルアはそれを難なく躱す。横に避けた彼女は目の前のリリスの足を蹴る。片足で立つ彼女の重心は不安定だ。
 押せば簡単に倒せる。
 キルアの蹴りを受けて倒れそうになった彼女は倒立の姿勢に入り、足を器用に動かして再度蹴りを繰り出す。キルアはそれを腕で防ぐ。カポエラか。
 そう思ったキルアは彼女から二、三歩離れる。
 リリスは倒立を止め、また向かい合う形になる。
「結構な判断力と反射神経を持っているのね」
 キルアは答える。
「組織を担う者として嗜みよ」
 今度はキルアから仕掛ける。
 彼女のシャツの襟を掴もうと首元を狙う。それを嫌ったリリスは、その手を寸での所で掴む。
 キルアはもう片方の手から胸元を狙うが、それも止められる。
 腕が交差したまま、力が拮抗した状態になった。しかし、それも一瞬しか続かない。掴みにいこうとしたキルア本人が腕を振り払い、二人そろって胴ががら空きになる。キルアは足を突き出す。
 リリスもそれに劣らない反射神経を見せた。自分の片足を上げて、膝でキルアの攻撃を受け止めた。
 後退したキルアはステップを刻みながらパワーとスピードを兼ね備えたストレートを放つ。
 リリスは、身を翻して回転させる。そのままバックハンドを繰り出した。
 しかし、キルアはそれが迫るのを知っていたかのように、ストレートを放って
伸びきっていた右手を曲げ、肘でバックハンドを止める。そのまま左手を彼女の脇腹に一発当てた。
 軽い攻撃だが、ダメージはあった。
 ほんの少し離れた彼女を休ませる事なく再度襟を掴みにいく。
 初めて攻撃を受けたリリスは焦りを感じていた。
 襟を掴みに来ている手に反応するのが遅れたが、なんとか間に合った。
 キルアの手を掴むのではなく、弾いて間合いを取る。
 二人の早さは異常だ。
 相手より優位な立場に立つにはどうすればいいか。そのための最適な判断が早すぎる。
「もう飽きてきたし、リゼのことも心配だから終わらせましょうか」
 キルアが言い切ると同時にリリスの目の前に詰め寄る。
 彼女は何が来るか予測する。キルアの左手が指を揃えて開かれたまま迫る。
 リリスは片腕で顔、もう片方の腕で胴を守る態勢に入る。
 だが、その判断が間違った事を腕の隙間から見えたキルアの狂気的な笑みから汲み取った。
 左手はフェイント、本当の狙いは右によるアッパーカットである。リリスの腕は正面からを守るものであり、下からの攻撃には対処できなかった。
 まともにそれをくらったリリスの体が少し宙に浮いて、後ろに倒れる。
 まだ意識はある。キルアはすかさず、彼女の右肘を踏みつけて折る。
 そして、左膝も同じように。
 呻く彼女の頭をしっかり掴み、頭突きを喰らわせた。
 リリスは体から力が抜ける。
「これぐらいしても、問題ないでしょう」
 容赦のない彼女は急いでリゼの元に走り寄り、彼女の名前を呼ぶ。
「あいつは」
 苦しそうに問うリゼに、キルアは終わったとだけ返し、彼女を起こそうとした。
 すると、銃声と共にすぐ側の大きな柱に傷がつく。
 リゼをその場に寝かせたまま振り替える。そこには拳銃を握った女性が立っていた。自分とそう都市は買わないだろう だろうか。
 そんなことを考えながら、キルアはゆっくりと立ち上がる。
「危ないわね。使い方はちゃんとわかっているのかしら」
 彼女の言葉に女性は手の震えを抑えるかのように力が入る。
「あなたが、彼女をそんな風にしたの」
 恐らく、この女の事だろうとリリスを横目で見たキルアは、怯えたように訊く彼女に私は、答えてやる。
 再び女性が引き金を引いた。キルアの頬をかすめて、強化ガラスに当たる。
 キルアは何も言わずに柱に突き刺していた刀を抜き、彼女を睨む。
 先程までの笑顔など微塵も感じない、怒りが全てを支配する。
「あなたは、私達にこれ以上手出しできない。こっちにはテミスシステムがある」
 女性はコートの中からリモコンのようなものを取り出す。
 そのボタンを押すと、クラッキングシステムが作動し、テミスシステムの機能を停止させられると。
 その言葉を聞いたリゼは阻止するべく立ち上がろうと、力を入れる。
 しかし、そんなリゼと裏腹にキルアは女性にボタンを押すように言った。当然女性も拍子抜けして問う。
 キルアは刀を持ったままゆっくりと歩く。
「好きにしなさい。別に私はシステムが破壊されてもなんとも思わないわ。それよりも、私とリゼに対してやったことの落とし前を付けてもらいましょうか」
 彼女がそんなに怒っているのはリゼでも見た事がない。今彼女を止められる人間など、誰もいないだろう。
 女性は銃を向けたまま、後ろに後退る。しかし、周りを支えるように、そこに在る柱に背中がぶつかる。
 キルアが刀を突き刺した。
 一発の銃声と甲高い音が同時に響く。リゼは痛む体を必死に二人の方へと向ける。そこには、柱に刀を突き刺したキルア、恐怖のあまり座り込んで涙を流す女性の姿があった。
「殺す気もないような奴が引き金を引くな」
 女性の銃は撃った弾はキルアに当たらなかった。彼女が手に持つリモコンをゆっくりと取り上げたキルアは、その場に叩き付けて踏みつぶす。
 そして、何事もなかったかのようにリゼの元に戻ってきた。
「まったく――冷や冷やさせられたわ」
「そんなに怯えなくても大丈夫よ」
 打って変わって、楽しそうに語る彼女に担がれた私は気を失った。
 同時に階段から複数の足音が聞こえる。それは、蘇芳を除く一係のメンバーであった。
「おい、リゼ。何があった」
 アレンがキルアに担がれたリゼの元に走り寄る。
「命に別状はありません。しばらくは安静にさせないとだけど」
 キルアに付き添ってアレンが医療課の部屋まで案内することになった。
 残りの御堂(みどう)、小梅、柳は犯人の確保とシステムの安全確認に向かう。
「柳さんはシステムの安全確認を。ここは私と小梅で処理します」
 柳は上にあるシステムを目指して走る。
小梅が柱にもたれかかる女性に手錠をかける。そして、上に刺さった日本刀も回収する。
「こいつがDDか」
 御堂が倒れるリリスを見て、疑問混じり言った。
 長らく追ってきた被疑者に手錠をはめ、事件は一旦幕を閉じた。

8、殺人者の回路

リリス・カーライルが逮捕されて三日。リゼは未だに目を覚ましていなかった。
 リリスの方は昨日意識を取り戻したところだ。蘇芳も既に目を覚まし、今日は念のために一日安静ということになっている。
 今回の事件で警視庁に出た被害は大きかった。
 ほとんどの人員がリリスの陽動作戦のために外にいたのだが、残っていた者から死傷者が数名出た。
 鑑識課、医療課、局長室など無事な所はいくつかある。
 会議室で以前のように治安維持課の一係から三係まで全てが集められていた。
「今回の事件、皆よくやってくれた。局長である私の責任は大きい。本当に申し訳ない。これからは事後処理にあたってもらいたい」
 局長が壇上で謝罪とこれからの動きを指示し、解散となった。
 その間も、アレンはずっとリゼの容態が気になっていた。
「もう三日ですし、流石に不安になりますよね」
 小梅(こうめ)も浮かない顔をしている。
 警察病院に移され、無菌用のガラスに覆われたベッドに横たわる彼女を廊下の窓から眺める。
 入室禁止なため、入り口と真反対にある廊下の窓からしか見れない。
「本当に、良いパートナーですね」
 横からリゼの友人だという女性が歩いてくる。
 あの日の事件の全てを知っている一人、神代(かみしろ)キルア。
 アレンは彼女と廊下に備え付けられているベンチに座る。
「俺は何もしてやれなかった。あいつの側にいて助けてやれなかった。今回だって俺がしっかりしていれば蘇芳さんも負傷せずに済んだはずだ」
 後悔の念を語る彼の隣で、キルアは本を読む。リゼが読んでいる時とそっくりだ。そんな彼女を見ていると、本を読むのか問われた。
 アレンがあまりない、と答える。
 すると、本を閉じた彼女は、
「なら読んでみるといい。相棒のことを知るためなら、一緒にいるだけでなく、その人と同じ事をしてみるのがいい。でも、それで仲間と同じようになれるか分からないけどね」
 言い終わると同時に本を彼の膝に置いて立ち上がる。
「それ、リゼのお見舞いに持ってきたのだけれど、まだ目を覚まさないようですし、先に読んでみてはいかが」
 キルアは踵を返し、歩いていく。
 アレンはその本を手に取る。タイトルは『殺人者の回路』。

 事後処理もいよいよ落ち着いてきたので、少し早く帰る事ができた。
 最近は帰るのも遅い時間なので、妻にも迷惑をかけていた。
 今日は早く帰れるという約束を守れた。
家の扉を開けると、廊下の隅から誰かが走ってくる。
 娘のセリナだった。その目線に合わせて屈んだ俺に抱きついてきた彼女を抱きかかえる。
「おかえりなさい」
 後から遅れて来たのは妻のイリヤであった。
「ただいま」
 久しぶりに起きている娘を見た気がする。娘の方も俺の姿を見たのは久しぶりだろう。
 イリヤは俺と同じ高校で同じ部活に入っていた。彼女の方が一つ上だ。
 その時から交際していた俺は、刑事になると同時に彼女と婚約した。
 夕食を済ませた俺とイリヤは久々にじっくりと話す。
「大丈夫、疲れているようだけど」
 無理もない。ここ最近ずっと動きっぱなしなのだ。だが、それは他の皆も同じ事だ。
「ああ、ありがとう。もう事件は解決したんだ。今は事後処理をしているんだけど、それもその内終わるから」
 俺の言葉に彼女は少しだけ安心したような表情を見せる。
「同僚の人は大丈夫なの」
 まだ目を覚まさないと伝えると、再び不安になる。だが、リゼがこの程度で負けるとは思っていない。
「パパががんばってるから、へいわなんだよね」
 俺の足下でセリナが笑顔で言った。
 彼女を抱き上げる。
「そうだな。パパはママとセリナのために頑張るからな」
 自分にも言い聞かせるよう、セリナに言った。
 前よりも重い娘を抱えると、これが背負っているものの重さなのかと再確認する。
 寝る前になって、俺はリゼの友人からから借りた本を手に取る。
 紙の本を読むのは初めてかもしれない。インクの匂い、紙の感触。電子では味わえないものだろう。
 電子書籍も、もうしばらく読んでいないが。
 読み始めようとした所で、イリヤが寝室に入ってきた。俺の横でベッドに入った彼女も紙の本に驚いていた。
「あまり、無理はしないでね。おやすみなさい」
 そう言うと、俺の背後でベッドに入った。彼女に挨拶を返し、本を開く。
 『殺人者の回路』。
 主人公は精神科医で様々な殺人犯と対話をすることになる。
 一人目の男性は殺人を犯したというのに罪悪感を微塵も感じなかったと話す。彼が殺したのは仲の悪かった隣人であった。
 二人目の女性は殺してしまった後に後悔していると言う。彼女が殺したのは喧嘩をした交際相手だった。
 三人目の男性は何も覚えていないのだという。それは彼が一〇人もの人間を殺した殺人鬼だからだ。
 ここで精神科医は思った。殺人者とはみなパターンに当てはめられる。その思考回路によって類型を作れるのではないかと。
 それが本のタイトルの由来。もちろんフィクション。まったくの作り話なのだが、論文でも読んでいるかのようだ。
 気がつけば二時間程で半分近くまで読み進めていた。
 俺は本を電気スタンドの側に置いて、眠りについた。

 まただ。大歓声の中、中央の壇上に立つ女性。私の隣に座る男性。いつ思い出しても嫌な光景だ。
 だが、今回は違った。男性とは反対側、少し離れたところにリリス・カーライルの姿があった。
 それになによりも、幼かったはずの私の体が大人になっている。
 私は特に身構えることもせず、壇上を見直す。
 しかし、そこには既に何もなかった。
「人を殺すとは、罪か否か」
 リリスの言葉に私は奴の方を向かずに答える。
「いかなる場合であろうとも、命を奪うという行為は等しく罪よ」
「果たしてそうかしら。あなたは自分を襲う人間を前にして無抵抗で死ぬのか」
「殺さずとも対処できる」
「それは人による。君は出来ても、か弱い少女ならどうする」
 奴の言う事にも一理ある。
 しかし、それは正当化させるための言い訳ではないだろうか。
秋月(あきつき)リゼ、あなたはもう何人も殺しているじゃない。正義の名の下で殺すのは、悪にならないのかしら」
 理由もなく殺している殺人犯とは違う。私達、治警は法を守るために誤った行いをした者に裁きを与えるだけだ。
「それはあなた達のエゴイズムに過ぎない。神の使いにでもなったつもりか」
 違う。私は耳を塞ぎ、奴の声が聴こえないようにした。しかし、耳からではなく、まるで脳内に直接語りかけているかのように頭に響く。
 そこでゆっくりと目を開ける。
 ガラス越しの照明の光が視界に入り込んでくる。眩しさで瞼が重く感じる。
 体も鉛のように重い。
 ここは恐らく病院だろう。警視庁にキルアが来たところまでは覚えている。
 私の覚醒に気付いた医療システムが電子音声で担当医に連絡を入れたのがわかる。何とか首を動かして横に向けると、私のことを心配そうに見つめるアレンの姿が窓に在った。
 
 目を覚まして一時間後にはもう話せるようになっていた。
 奴からもらったダメージが想像以上に大きかったようで、体中の痛みが引かない状態ではある。
「今は安静にしていろ。事後処理は俺達で進めている」
 アレンの言葉に私は天井を見上げたまま返事をする。
 彼は仕事に戻ると言って、立ち上がった。その際に、本を置いていった。
 彼が本を読む所などみたことがない。私にとキルアが持ってきていたそうだが、先に貸してくれたと言う。
「おもしろかった」
 私の問いに彼は、夢中になっていたと返して病室を出て行った。
 しばらくして、私の元に来たのはキルアであった。
「意識が戻って何よりね。無茶をするのは控えなさい」
 私の隣で説教をする彼女。私も早く本が読みたい。
「そういえば、あなたをそんなにした女の手下も逮捕されたわよ。体が復帰したらあなたも取り調べできるんじゃない」
 彼女は端末を弄りながら笑って話す。

 次の日には、私は体を起こしても平気なほどに回復していた。
「いくらなんでも、早すぎじゃないか」
 アレンが驚くが、一度深い眠りから起きてしまえばこんなものだろうと私は言う。
「取り調べは」
「リリス・カーライルはお前よりも早く意識を取り戻した。だが、全快はしていないから、取り調べはまだだ。もう一人は昨日行った」
 彼は資料を私の端末に転送する。
 クラリス・エアハート。リリスと同じイギリス人。年齢は二四。クラッカーとして彼女の右腕とされる程の技術を持つ。テミスシステムの破壊を目的としたプログラムを作成したが、キルアの手によって作動を阻止された。
「奴については何か言っていなかった」
「いいや、何も」
 私の言う奴とはもちろんリリスの
事だ。
「奴の取り調べはリゼ、お前がさせられるだろう」
 私としてはその方がいい。そのためには早く体を治さなくてはならない。
「ありがとう。事後処理、大変でしょう」
「確かにな。でも、こうしてここに来れるぐらいには落ち着いてる」
 彼の声はどことなく力がある。
「なるべく早く戻るわ」
「頼むから、無茶はしないでくれよ」
 アレンは仕事に戻ると言い、病室を出た。私は出て行く彼を扉まで見送った後、本を読み始める。

 二日後、私の目の前には手足を拘束され、白い囚人服を着て椅子に座るリリスの姿があった。
 彼女は骨を折られていたが、医療技術の発達により開発された、『体組織急速修復治療』を用いる事で傷の治りが早い。骨折なら個人差はあるが大体四日程で動かせるようになる。
「秋月リゼ、また会えて嬉しいよ」
 奴は相変わらずの笑みを浮かべる。
「私もよ。リリス・カーライル」
 私も同じく笑顔で返す。
 お互いの名を呼び合う私達の姿は隣の部屋にいる一係の捜査官にもマジックミラー越しに見られている。
 ただ、今回は私の無理な頼みで音声は聴こえないようにしてもらった。
「じゃあ、取り調べを始めよう」
 私はファイルを開く。最初の事件。違法ドラッグ密売。死体による人形を扱い、私達を襲わせたあの事件。
 そんなこともあったかという態度で、罪を認めるリリスを睨みつけ、次の事件の内容を話す。
 係長の同僚を殺したかつての殺人犯に人殺しを促した事件。
「彼、また殺したそうだったから手助けしてあげただけよ。でも、あんなに簡単に捕まるなんて思わなかったけど」
 小梅と同じ絵画教室に通っていた青年。奴の手下であったその青年が起こした連続殺人事件。
「エリスの作品は素晴らしかった。でも、最後に私を失望させた今では、何も感じないわね」
 最後だ。今回の警視庁襲撃事件に加え、龍崎コーポレーション社長の殺害。
 奴は全てを認めた。罪悪感のかけらも感じさせない様子で。
 私はファイルを閉じて元に戻す。
 ここからは個人的、奴と私の思想の話し合いになる。
「あなたの求めた、理想的な世界とは何」
「それは刑事としてか。それとも個人的な質問かしら」
 奴を真っ直ぐに見据えたまま、答えずにいる。
 少しの間をおいて口を開いた。
「システムによる認証を必要としない世界」
「何故、そんなものを」
「言ったでしょう。間違った方向に進む人間を正すって」
 奴は語り続ける。
「二四年前のあの混乱から何も学んでいない。あの人が世界の平等を謳うシステムを破壊してくれたというのに、あなた達警察も同様に、自分の様々な情報をシステムに監視させている。前にあったあのシステムとは違い何でも管理してくれる訳ではなく、治安を守るための警察の捜査簡略を計るためのシステムと言っても監視されていることには変わらない。結局人間はシステムに頼り切って生きている」
「人の在り方は変わるのよ。システムに頼るのだって、人間が時代の流れとともに変わってきた証だわ」
 奴は鼻で笑ってみせる。
 そこで取調べの時間が終了した。再度、牢の中へと連れて行かれる奴はうっすらと笑みを浮かべていた。
 
 私は続けて奴の部下、クラリスの取調べも行った。
「あなたにとって、リリス・カーライルはどういう存在ですか」
 私の問いに俯いていた彼女は、しばらくの間をおいて答えた。
「彼女は英雄よ。私達を獰猛な獣から救ってくれた」
「確かに奴はあなた達を救ったでしょう。だが、公正な裁きを為されていない人物を殺したことは変わりない。それに今回は、まったくもって関係のない人間を巻き込んでいる。それは悪でしかない」
「私達のように社会に認証をされない者達は皆、システムに監視される事を何とも思わず身を委ねる者は、皆悪だと考えている」
 彼女は話し続ける。
「テミスシステムは神のシステム程の機能はない。しかし、認識されていないと生活する事もできないという仕組みに、また戻ってしまった。そうしてしまった者達の全てが悪だ」
 
 彼女達の取調べを終えた私はとても疲れた気がした。
「ご苦労だったな」
 係長が私の隣に座る。
「いえ、無理を言ったのは私です。申し訳ありません」
 私の謝罪に彼女は否定する。
「いや、いいんだ。私では、彼女等の思想を理解する事は出来そうになかった」
 といわれても、私も奴らの思想に関しては完全に理解できていない。
「彼女達は、システムに認識されないと生きていけない世界をまた創り出した者達、その全てが悪だと言っていました」
 係長はそうか、とだけ返す。
「確かにあのMOGシステムに人類は頼りきりだった。私はそれでも良かったのではないかと今でも思います。犯罪がなかった、理想的なシステムに任せられた世界」
 私の言葉に係長の返答は意外なものであった。
「私は、今の方が人が人らしく生きられている気がする」
「なぜ、そう思うのですか」
「犯罪が無くなる事は、いいことだと思う。だが、それは人間が何もかもを放棄したりしない限り訪れないだろう。だからと言って、罪を犯す事が人の意志が生きている証というのも嫌なものだが。それに」
 彼女は少し言葉を区切る。
「MOGシステムの時も罪を犯した人達はいた。だから、あのシステムは崩壊に導かれたのではないかな」
 完璧なシステムとされていたMOGシステムですら、万人に受け入れられなかった。
 そのため、不満を持つ者達により崩壊に導かれたのだ。
「そうかもしれませんね」
 私は彼女の言葉に少し納得がいった。だが、心の底からはできない。
 その日は、家に着いてすぐベッドに転がった。いくら傷を早く治せる技術が進歩しても病み上がりなのは変わりない。せめて服だけは着替えようと気力だけでそれを実行し、死んだように眠りについた。

 翌日、端末からの通信音で目が覚めた私は、まだ重い瞼を閉じたまま通信に応じる。
 アレンからだ。何やら焦っているようだ。彼のひと言で、私はすぐに目が覚めた。
「リリス・カーライルが脱獄した」

 目を覚ました私は、椅子に縛り付けられ、水をかけられたことで目を覚ました。
「お目覚めかしら」
 その声には聞き覚えがある。
 顔を上げると、目の前には、あの端麗な金色の髪に深く青い瞳をした女がいる。
「なるほどね」
 私は自分が置かれた状況を即座に理解した。
「状況を判断するのが早すぎるわね」
 私の目線に合うよう体を曲げた女は、爪を立ててゆっくりと、私の頬を滑らせる。
「あなたとこうしてお話しできて嬉しいわ、神代キルアさん」
 私は奴と同じく笑みを浮かべた。

9、死後の世界

 犯罪者を隔離するための収容所に着いた私は、奴がいた現場に立っている。
 部屋のベッドには、真っ赤な染みが着いていた。
「どうやら、昨晩の食事で出されたトマトケチャップのようです。血液ではありません」
 先に来ていた小梅(こうめ)が簡易チェックの結果を告げる。
「監視カメラの映像が残っています」
 柳さんに呼ばれ、監視室に移動する。そこで、昨晩の映像が流された。
 映像の始まりはリリスがベッドに血を流して倒れているところから始まる。
 異変に気付いた警備員が、室内に入る。倒れる彼女に近づいた瞬間、リリスは起き上がると同時に、警備員の首の骨を折った。
 倒れた警備員から装備を奪い、脱走したところで、奴が映る事はなくなった。
「警報システムは作動しなかったのですか」
 犯罪者を隔離している施設にして、こんなにも大胆な脱出劇は未だかつてない。警報システムの作動で見つかるはずだ。
「それが、警報システムにクラッキングされた痕跡があります」
 小梅の言葉に私は協力者がいる可能性を疑い、すぐさま、クラリスを取り調べ室に連れてこさせた。
「奴が脱走した。あなた、協力しているんじゃないでしょうね」
 単刀直入に彼女を問い質す。机を叩いた事に怯えたのか、少し声が震えながらも力強く返答する。
「していないわ。私が収容されている部屋とDDの部屋は真反対の場所にあるし、助けられるわけないじゃない」
 確かに奴とクラリスの部屋は離れている。しかし、それだけでは証明にならない。
「クラッキングのためのプログラムをあなたが隠し持っていた可能性もある。受け渡す方法もあるはずよ」
 彼女は頑に否定する。そこで私は質問を変えた。
「あなた達が隔離区画で住んでいた建物の場所を教えなさい」
 彼女はそこで黙り込む。
「時間がない。あなたは自分が英雄だと思っていた女に見捨てられたのよ。分かっているでしょう」
 彼女は俯いた。しかし、また私の目を見る。
「もし話したとして、私にメリットはあるの」
「私があなたの今後について上に掛合うというのでどう」
 具体的な内容は考えていなかったが、彼女の罪を軽くできるように話し合うことはできるだろう。
「できるの、そんなこと」
「分からない。でも、やってみなくては、あなたはこの収容所からいつ出られるかも分からない。決められた時間に餌を与えられ、狭い空間で自由に好きなこともできないまま過ごすのか、少しでも自由になれるチャンスがある方。どちらが魅力的かしら」
 彼女は、あまり考えるのに時間を取らなかった。
 場所を聞き出したので、去ろうとした私に彼女が頼み事をする。
 DDを生きて連れ戻せとのことだ。
 それに関しては約束をきちんとはしなかった。
 私は部屋に彼女を戻すように言って、収容所内の休憩室に行く。
 煙草の火を点け、気持ちを落ち着かせる。
 奴が何を企んでいるのか。様々な思考が繰り広げられる。
 そこに、アレンが入ってきた。
「焦っているな」
 私にミルクの入ったコーヒーを差し出してきた。私はそれを少しだけ口に含む。「何か仕出かすに決まっている。急がないとまた犠牲者が増えてしまう」
「分かっている。だが、そう簡単に捕まるものでもない。冷静さを失うな」
 私は立ち上がって窓から外を見る。
「街のどこかにまだ奴は潜んでいるのだと思う。少なくとも遠出をするには時間を要するはず」
「認証の通らない人間じゃ、県外への移動は――」
 私はその言葉を言い切る前に否定した。
「これは私に対する奴の挑戦かもしれないのよ」
「どういうことだ」
「奴が監視カメラの映像までクラッキングしなかったのがおかしい」
 半分は私が奴に求められているのではという自惚れに過ぎない。
「本気で逃げるつもりなら、映像だって残さないはず」
 休憩所から出る私にアレンが着いてきた。何処に向かうのか、車の助手席で彼が問う。
「隔離区画にある、奴の拠点よ」
 
 クラリスから聞いたビルは隔離区画の中心に近い場所にある。
 着いた私達は、中に誰か残っている可能性を考え、ハンターをホルスターから引き抜く。
 ビルは四階建て。電力がまだ通っているようなので、一階から調べていく。
 そして、四階を調べた時だ。部屋が幾つかある。アレンと手分けしてリリスが使っていた部屋を探す。
 途中、扉が少し開いている部屋を見つけた。
 ゆっくりと中に入ると、部屋の中央には何やら大きな箱がある。
 もしかすると、これがあの警視庁の展望台で奴が語っていた女性の棺桶なのか。
 流石に開けはしないが、周りを見るだけでこまめに手入れされているのが分かる。
 リリスや他の仲間にとって、この女性はそれほど大切な存在だったのだろう。その棺桶に触れて、私は思った。
 隣の部屋に入る。
 そこが恐らく奴の部屋であった。確証が在る訳ではないが、本が大量に置いてあったためだ。
 物語だけではない、医学、工学、統計学などの専門書まで置いてある。
 奴の知識の源であろう本が、棚、床へと大量に置かれていた。
 しかし、奴の部屋にしては随分と質素だ。華美に見せるようなタイプではないだろうが、集団を率いるのならば、作戦を練るような机などがあっても良いはず。
 私は壁に並ぶ本棚の列を見る。
 以前読んだ本に出てきた部屋に雰囲気が似ていると思った。
 棚の本を何冊か手に取り、適当な場所に置いていく。
 本棚を一つ、何もない状態にして軽く押す。
 すると、奥に動いた。
 本棚はまるで扉とでもいうかのように動く。
 そこは少し大きな部屋だ。
 しかし、先の部屋とは明らかに違う。本が置かれている事は変わらない。
 ただ、大きな机の上に幾つものモニター、電子機器が置かれていた。
 電源が点けられたままで、映るのは二三区。
 奴はここで外の動きを監視していたのか。
 だとすれば、奴も監視しているシステムのようではないかと思った。
 背後の部屋から差す明かりとモニターだけでは、まだ充分に明るいとは言えない。
 扉のすぐ側にボタンを見つけた。それを押すと、天井から下がる電灯が点く。
 部屋の中を見回すと、壁にはいくつもの紙が貼り付けられている。
 今までの事件の計画書のようなもの。その中にはこの前の警視庁襲撃事件に関するものも出てきた。
 それのすぐ側だ。港に着く国外輸出入用の無人貨物船の時間が、詳細に記された時刻表の紙が貼られていた。
 日本は海外に技術の輸出を行う。その代わり、国外から様々な物資をその対価として受け取るという貿易を行っている。もっとも、日本はあまり海外の物を必要としていない。
 相手が技術を欲しいというが、交換できるものがそれしかないため、行っているのだ。
 貨物船は無人で動かされ、港には人間よりも機械の方が多い。
 奴が何故こんなものを持っているのか。背後から声がかかる。私の隣に来たアレンに紙を見せる。
「行き先はイギリスの貨物船か。一体何のために」
 貨物船は一週間の内に二回、港に着く。それは今日の夕方であった。
「国外に逃げ出すためかもしれない」
 推測に過ぎないが、急いで本庁に戻らなくては。そう思った矢先だ。
 私の端末に通信が入る。
 相手は、キルアの側近、和久井(わくい)さんであった。
 私が何かあったのかを問うと、彼の声は少し焦りを感じさせた。
秋月(あきつき)さん、ボスと会っていませんか」
「会っていませんけど」
「昨日の夜から行方が分からないんです」
 私はすぐにそっちに向かうとだけ告げ、通信を切る。
 貨物船の時刻表をアレンの前に出す。
「キルアの行方が昨日の夜から分からないらしい。お願い、アレン。それを」
 反対されるかと思ったが、彼は何も言わずにそれを受け取った。
「彼女の家まで送ろう」
 車に乗り込んで私は言った。
「反対されるかと思った」
「そうしようと思ったさ。でも、俺はお前を止める事はできそうにないからな」
 ごめんなさい、と謝る私に彼は言う。
「らしくないな。いつもの秋月リゼでいてくれた方が、落ち着くよ」
 車をキルアの家に向けて走らせた。

 キルアの豪邸は相変わらず圧巻だ。
 そんなことに驚いている暇はないので、和久井さんの元に急ぐ。
 扉を通してもらってすぐに彼が駆け寄ってきた。
 話を聞くと、彼女は昨日の夜に出かけていたのだが、それ以降車も護衛の役割で付き添っていた部下も戻っていない。出先から帰宅しようとした時間は記録されていたそうだ。
 リリスが脱走すると同時に行方をくらましたキルア。
 関係ない事とは、考えにくい。
 しかし、奴が脱走した時間とキルアが出先から家に戻ろうとした時間を照らし合わせると合わないのだ。
 私が考えている時、
「何かあったのか」
 低い老人の声が頭上から聞こえた。それはキルアの父、神代(かみしろ)ギンジである。
 私の隣にいた和久井さんが、体を強張らせて真実を伝えるか迷っているようであった。
 助け舟を出す訳ではないが、私が素直にキルアの行方が分からない事を話す。

 応接室に通された私は、リリスの事を話した。
「娘は、その女性に誘拐された可能性が高いのですか」
 彼の言葉に、可能性でも低いものだと答えた。
「私達も協力しましょう」
 彼は自らの部下を一係に協力させようと言った。
「早速部下に車を出させますので、秋月さん。娘をお願いします」
 私は、しっかりと頷く。
 彼の部下が用意した車に乗り、東京と世界を繋ぐための港に向かう。
 その道中、係長から連絡が入った。
『秋月、私達は港に向かうことにする。弓月(ゆづき)から詳しい話は聞いた』
「了解。こちらも、港に向かっているところです。リリスだけでなく、私の友人もそこにいる可能性高いかと。彼女の父が協力してくれるそうです」
『本当か。相手の戦力はこの前で大分削られただろうが、油断はするな』
 後一時間程で港に着く。貨物船が来るまで残り二時間。

 暗く大きな倉庫の中で私は椅子に縛られたまま、奴の拳を受ける。
 何発目かは分からないが、私達の周りに立つ私の部下は助ける気配がない。
 昨日のことをようやく思い出した。
 私をここまで連れてきたのは、部下であった。
 出先から戻る前に水を飲んだ。
 その後、車中で突然睡魔に襲われ、眠りについた。
 そして、目が覚めてから今、私は奴からの攻撃に抵抗できないでいる。
「やっぱり、つまらないわね。一方的な暴力って、つまらない時は本当につまらない」
「なら、私の拘束を解除して戦うか」
 だが、奴の拳を何発受けても余裕であった。
「前に言っていたけど、あなたの体が随分と頑丈なのは本当なようね。その体のメカニズム、とても気になるわ」
 奴は楽しそうに私の胸の中心をゆっくりと人差し指で突く。
「でも、止めておきましょう」
 リリスは身を翻す。
「あなたは餌だからね」
「私なんか使わなくても、リゼはあなたを捕まえに来るわよ」
「そうかもね、でも」
 顔の半分をこちらに向けながら、
「私がこの国を離れる前に殺しておきたいのには、あなたも含まれているから」
 私はその言葉に笑う。
「おもしろい。楽しみにしているわ」
 殺すのを楽しむ者と殺すと言われて楽しむ者を眺める他の部下達はその場にいるだけで気分が悪かった。
「後、一時間と少しで私は国外に行ける。それまでに秋月リゼが来なかったとすれば、あなたを殺して彼女に精神的な復讐は出来るでしょう」
「どうかな、リゼはもうその内来るから」
 私の言葉に奴は問う。
「何故、そう言い切れるの」
「なんと言ったらいいかしら、体が頑丈以外にも人の動きというか、例えるには難しいものが、うっすらと分かるのよ」
 満面の笑みで答えた私に奴も笑っている。
「ねえ、私についてこない。あなたを殺すのを止めるわ」
 私は奴の提案を断る。
「私は今の日本が嫌いでもないし、リゼといる方が楽しいからお断りだわ。あなたじゃ、私を従わせるのは無理よ」
 私の返答を既に予想していたかのようで、奴はやはりと笑みを浮かべながら述べる。
 懐から取り出した銃口を私の額に当てる。
「あなたのような人間を殺すのは惜しいけど、仕方ないわね」
 引き金に指がかけられた。
 しかし、それと同時に奴の部下が港の入り口に車が停まった事を知らせに来た。
 私の元部下何人かと、奴の本来の部下数名に応戦する指示を出す。
「あなたはまた後で相手をしてあげる」
 そう言うと、応戦の指示を出された者以外。私の元部下をこの場に残して去った。

 キルアの父の部下と港に着いた私、と同時に一係の仲間も着いた。その中には蘇芳さんの姿もあった。
 さっき一係に戻ってきたばかりだと言う。
「退院してすぐに仕事とか、私をどれだけ働かせるつもりなのかな」
 笑いながら話す彼女に係長は、無茶をしないように告げる。
 車のボンネットの部分に端末からの情報を展開した。
「この港には倉庫が全部で一五あります。運搬用無人機三〇、警備用無人機が二〇。ただ、これは二年前のデータで現在では、使われている倉庫は一〇にまで減らされ、その分必要のなくなった無人機は使われなくなった倉庫にしまってあるそうです」
 小梅が、ここに来るまでの間に作り上げた情報をホログラムで投影している。彼女の情報収集能力は以前から認めていたが、この前の事件で雰囲気も随分と変わってしまった。
 そんなことを考えながら、資料を見る。
 無人機は全て自律稼働(スタンドアロン)仕様。
 警備用には、軽機関銃が取り付けられている。
 もっとも港にいる人間と言えば、そこで仕事をする者以外いないはずなので、そんなものを取り付ける必要はないようにも思える。
 奴が隠れられるとすれば、勿論使われなくなった倉庫だろう。
 係長が班を三つに分ける。
 私とアレン、蘇芳さんと係長、柳さんと小梅。そこにキルアの父の部下達がおよそ四人ずつ、各班に加わる。
 私達の班は使われていない倉庫を目指して移動を始めた。
 そこは港でもより奥の方になっている。急いでその場を目指そうと走っている私達の目の前に警備用無人機が三機立ちはだかる。
 咄嗟に私は横の資材に隠れるよう叫ぶ。
 私達の立っていた地面に、無人機に取り付けられている軽機関銃の弾が遅れて着弾する。
「なぜ、確認もせずに発砲を」
 部下の一人が叫ぶ。
「恐らく、クラッキングされている。入ってくる者は、無差別に撃つように設定されているんだわ」
 無人機からの銃撃が止んだところで私は、資材の影から少し顔を覗かせる。
 ハンターの炸裂弾は無機物が相手でも効果を発揮する。
 近くにあった石を無人機の前に投げた。三機同時にその石を撃つ。
 しかし、標的ではないことを認識したのか、銃撃が止む。
 同時に私は身を乗り出し、一機に向かって引き金を引いた。
 命中した無人機は、爆発する。それに伴い、もう一機誘爆した。
 残る一機から発砲されたので、私は再度身を隠す。
 私に気を取られて発砲していた一機を反対側にいたアレンが撃つ。
 全てを制御不能にしたところで、私達は、再び倉庫を目指して走る。
 別の場所からも爆発する音が聴こえる。
 他の無人機も当然クラッキングされているようだ。
 一刻も早く、奴を捕まえなくては。

 爆発音が近くで聞こえた。ここには、私の元部下が三人、見張りとして残っている。
「あんた達、何故裏切ったのか教えてくれたなら、まだ見逃してあげるわよ」
 突然言葉を発した事に驚いたのか、三人は顔を見合わせる。
 言っていいものか悩んでいるのだろう。
 すると、一人が二ヶ月前だと切り出す。
「自分達はボスの元にいる事ができて良かったと思っています。ですが、下っ端は下っ端。このまま上に上がれる見込みのない場所に居座る事に不安を隠せませんでした」
 別の一人が口を開く。
「システムの存在がある限り、ボスの元を離れても俺達はまともな仕事になんて就ける事はできない。そんな時、彼女に会いました。彼女は自分達と同じ考えを持つ他の仲間も紹介するように言い、連れて行きました」
 最後の一人が口を開く。
「彼女は俺達を平等に扱うと言ってくれました。仕事を同じように割り振り、同じように報酬をくれる。システムの破壊に失敗し、彼女を助けたのも俺達です」
 私はそこまで聞いて、笑った。
 大声を上げて笑う私に先程以上に動揺する元部下達。
 私は笑うのを止め、無表情で告げる。
「くだらない」
 その言葉に裏切った部下達への全てを込めて言った。
「暇つぶしにもならない話を聞かせてくれたお礼をしないとね」
 私は腕を開こうと力を入れる。拘束している鎖から音が鳴る。
 元でも部下達は私の強さを知っている。だからこそ、私を早く仕留めておくべきだったと後悔する事になるのだ。
 自分を拘束していた鎖が切れた。
 元部下達はその光景に後退るが、ホルスターから拳銃を取り出す。
 私は手に巻き付いていた鎖を鞭のように振るい、その手に叩き付ける。
 痛みに銃を取り落とした元部下の首に、鎖を巻き付け、力任せに引くことで首の骨を折った。
 残りの二人も同じように銃を取り出したが、撃たれる前に私は走り出し、一人の腹部に掌底を当てる。前屈みになったところで、首の後ろに手刀を振り下ろす。
 また一人再起不能になった所で、残りの一人の元に歩み寄る。
 銃を構えたまま後退る元部下に、私はさっき殺した二人から奪った銃を向けて撃つ。
 体に二発撃ち込んだ所で、倒れた元部下が何か言いたげに口を動かしていたが、額に最後の一発を撃つ。
「今までご苦労様」
 私は、その場を後に倉庫から出た。

 あの警視庁のビルで私は奴の策略により負けた。その日から、寝る度にあの嫌な夢を見る。
 前からよく見る夢だが、あれ以降更に酷くなっている。
 奴をまた逮捕すれば、私の気持ちは安らぎを取り戻し、またいつものように戻れるのか。奴の手下とキルアを裏切った部下を相手にしながら考えていた。
 こちらにいる部下としては元仲間を殺す訳で流石に最初は戸惑っていた。
 しかし、裏切り者はもう仲間ではないと言い聞かせるかのように銃撃戦を始めてしまった。
 夕日が昇り始めている。
 後、三〇分で港に貨物船が到着してしまう。さっきから、敵との撃ち合いも拮抗しており、このままでは埒が明かない。そう思った矢先だ。
 横から誰かが発砲した弾が敵の一人に当たり、体が爆散する。
 係長の班が応援に来たのだ。
「リゼ、お前は先に行け」
 アレンが、私の隣に来て叫ぶ。
「でも、この状況で――」
「いいか、奴を捕まえられるのはお前ぐらいだ。ここは俺達が何とかする。係長も来たんだ、安心しろ」
 逡巡したが、彼らにその場を任せて、係長達に気を取られ始めた敵の脇を抜け、先を目指す。

 後、二〇分。リリスは貨物船が停泊する予定の桟橋に立つ。
 持っていく荷物を置き、中を確認する。無人機やその他の機器の動作を停止できる“遠隔クラッキングプログラム”のリモコンを持っているため、堂々と侵入できるという訳だ。
 もう少しで、この国から出ることが出来る。そして、またいずれ帰ってきた時には、次こそシステムを破壊してやるという思いを胸に、海を眺めるリリスの背後で撃鉄が起こる。
「あなたが先に来るとは意外だったわ」
 振り返った先には、拳銃をこちらに向けるキルアの姿があった。
「残念ね、リゼでなくて」
「いえ、別にいいのよ。さっきも言ったでしょう。あなたを殺すだけでもいいって」
 キルアは一発だけ奴に向けて撃ったが、当たりはしなかった。元から当てるつもりはないのだ。
「死を目の前にして堂々としていられるあなたと私は、どこか似ているのかもね」
 リリスの言葉にキルアは笑ってみせる。「あなたと似ているだなんて、あまり嬉しくないわね」
 海風が強く吹き、髪が靡く。
 キルアの後ろからゆっくりと一人が歩み寄ってくる。
「やはり来てくれたのね。秋月リゼ」
 キルアの横に並び、ハンターの銃口を向けるリゼに笑いかける。
「キルア、血が出てる」
 リゼが心配したようにハンカチを取り出し、渡す。
 彼女は礼を述べて受け取り、口元の血を拭う。
「前にもあったわね。こんなこと」
 彼女は平気なようだが、リゼはリリスを睨む。
「あんたを逃がしはしない」
 リゼの言葉に彼女は関心したように口笛を吹く。
「大した執着心ね。まるで獲物を追う狩人のよう」
「私達が追うのは、犯罪者という人間だ。動物を追うのとは違う」
「表現に使ったまでよ。でも、そこに大した違いはないのでは。人間だってただの動物に過ぎないのだから」
 リリスは後ろ手に持つリモコンのボタンを押す。
 リゼの持つ、ハンターの光が消える。
「何をした」
 リリスに向かって叫ぶ。
「なに、ちょっと使えなくしただけよ。それにあなた、私をそんな銃ですぐに殺すのじゃつまらないんじゃないかしら」
 奴はもう一度、互いの体をぶつけ合う戦いがしたいということだ。
 ハンターをゆっくりと地面に置く。
 腰のホルスターを取り外し、出来る限り身軽にしたリゼはキルアの前に立つ。
「下がって。手出しは不要よ」
「協力はしないでくれってやつかしら」
 リゼはその言葉に首を縦に振る。キルア自身は平気そうだが、さすがにケガをした状態ではリリスとまともにやりあって勝てるかは分からない。
 それに、リゼとしては、この前の借りを返したいところでもあった。
「始めようか。船が来るまで残り一〇分。あなたは私を殺せるか」
「上等よ。私は警察として、あなたを逃がさない」
 桟橋の上で、二人は構える。
 同時に走り出した。
 互いに腕を突き出す。どちらも早かった。
 どちらもお互いには当たらず、髪を掠めて何本か切れた。
 先に行動に出たのは、リリス。
 突き出した腕でリゼの肩を掴みに行こうとする。彼女はそれを回避すべく、体を逸らし、肩を掴めないようにした。
 だが、次は襟を狙ってくる。
 その手を左手で弾き、一旦離れた所で再度走り出し、今度はリゼが掴みにかかる。
 左手で掴もうとしつつ、フェイントをかけての右足からのローキック。リリスはそれを受けたが、足の筋肉でダメージを軽減させる。
 そして一瞬で態勢を低くし、リゼの足を蹴り払う。
 倒れた状態は不利だ。すぐさま地面を転がり、その場から離れて跳ね起きる。
「いい反射神経だ」
「今回はあんたの小細工もないからね」
 不思議とリリスは楽しそうにしている。私が勝てば捕まり、この国で然るべき処置を為されるというのに。そんな事はないという絶対的な自信の表れか。
 リリスの拳を掴み、腕を引く。それと同時に肘打ちを繰り出すが、同じようにリリスはそれを受け止める。
 『CQC』、軍隊や警察が敵との近距離戦闘を目的として開発したもの。
 リリスがリゼの肘を掴み、握力に任せて折ろうとする。
 リゼは掴んでいた手を放して体を半回転させ、逆からの肘打ちを顔に叩もうと試みる。
 リリスは片方の腕を、顔の防御に使う。そのまま、リゼの背中に膝蹴りを放つ。それを受けた衝撃を利用して、リゼは掴まれていた肘を振り払う。
 奴に向き直ると、目の前に指が迫った。目潰しを狙う気か。リゼは咄嗟に口を開いて指を挟む。
 そのまま食いちぎることはせず、首を縦に振る事で骨を折った。
 リリスは指を強引に引き抜く。
 その際、少し切れたようで、口に入った血を勢いよく吐き出す。
 力が拮抗している。決着が中々つかない。
 折れた指を抑えるリリスを掴みにかかる。
 態勢を低くし、飛びかかる。
 だが、この前と同じだ。
 リゼの飛びかかりを避けたリリスは指の折れていない腕で、彼女の腕を掴んで地面に叩き付ける。
 すぐさま、仰向けになり、跳ね起きようとしたリゼの動きを阻止して馬乗りになる。
「なんだ、秋月リゼ。何も成長していないな」
 折れた指の骨を無理やりに戻そうとしながら苦笑するリリス。
 だが、リゼは笑う。
「いや、これでいい」
 その言葉と同時に、両足を上半身に持ってくるように上げた。
 リリスの顔に足をかけ、そのまま引き戻す。
 そう、これによりリリスが倒れ、リゼが起き上がる。
 瞬時に形成が逆転した。リゼがリリスに馬乗りになる。
 同じ事をされないよう、リゼは上半身を屈め、足が届かないようにする。
 二人の横にキルアが歩み寄ってきた。
 手に持っていた拳銃をリリスの頭に向ける。
 引き金を引けば彼女はその生を終えることになる。
 リゼは、キルアの持つ銃をゆっくりと掴んだ。
「これは、私の戦いなの。お願い」
 キルアは、握っていた銃から、二人から何も言わずに離れる。
 船の汽笛が聞こえてきた。
「この前とは違うな」
 リリスの全身から力が抜けるのが分かる。
「ええ、そうね。もう終わりよ」
 この状況においてまだリリスは笑っている。
「何故、躊躇う」
 まるで心が読まれたかのような気分だ。「私なら、躊躇はしない。すぐにでも殺す」
「口を閉じなさい」
「自分の命が危ないからな」
「喋るな」
「あなたは、どうなのかしら。秋月リゼ」
「黙れ」
 リゼは叫ぶ。今まで生きてきて初めての感覚だ。
 何かが、この女を殺せと囁いているようだ。
「また、私のような人物が現れた時、あなたは追うのでしょうね。狩人のように」
 冷酷な目でリリスの顔を睨んだリゼは疲れた声で言う。
「もう二度と会いたくないね。あなたのような犯罪者には」
 それを聞いてリリスは笑い、続ける。
「死んだ先には何があると思う」
 リゼは答える。
「天国、地獄なんてものはまやかしよ。向こうは“無”の世界。何もない」
 その言葉にリリスは瞼をゆっくりと閉じる。
「そうか。なら確かめてくるとしよう」
 瞼を閉じた彼女の暗い視界に、誰かが映る。
 優しく微笑む彼女、イノリが手を差し出している。
「そこにいるのね。イノリ」
 リリスが言い終わると同時に、リゼはゆっくりと引き金を引いた。
 果物を割ったかのように綺麗な赤い液体が飛び散る。
 終わったのか。
 そう思ったリゼは立ち上がり、銃を投げ捨て、煙草に火を点けた。
 その隣にキルアが立ち、二人は落ち行く夕日を何も言わずに眺める。

エピローグ

 私は一週間の自宅謹慎を言い渡された。これは正式な処分ではない。もっと厳しい罰を決めるまでの期間、小さな罰だ。罪状は犯人の殺害、不法な凶器を使ったことによるもの。
 覚悟はしていた。だから、私は一週間を静かに過ごす。
 もうあのような事件は御免だ。
 キルアは病院に運ばれたが、私が謹慎を言い渡され、家にいる間に電話があった。私への礼と事件解決を祝う言葉だった。
『ご主人様、久々の長い休暇ですね』
 生活支援システムと話すのも久々な気がする。
「そうね、今日で終わりだけれど」
 だからと言って会話を楽しむつもりもなく、本を読む。
『今日はどうされますか。お好みのメニューで調理しますが』
 まるで私に気を遣ったかのようなことを言うので、窓の外を見遣ると夕日が視界に入る。 
 ページをめくりながら私は任せる、とだけ告げて本を読むのに集中する。
 夕日を見ると思い出してしまう。あの顔を、笑みを、声を。
 それが嫌でカーテンをずっと閉めていたのだが、集中し過ぎていたせいか、システムが勝手にカーテンを開けていたのにも気付けなかったのだろう。
 また集中していたのか、生活支援システムが天井から伸ばしてきたアームで無理やり食卓につかされるまで、料理が出来ている事に気付かなかった。
 少し怒りを含んだ音声で説教を受ける。
 私は、観念して食事を取った。
 今日は一週間の最後、明日には処分を聞きに警視庁に赴かねばならない。

 翌日、警視庁のビルに来ていた。
 だが、一係の部屋ではなく、局長室に真っ直ぐ向かう。
 扉をノックすると、中から入るように声が聞こえる。
「待っていたよ、秋月(あきつき)君」
 局長が座ったまま私に声をかける。
「早速だが、今回の事件の処分を言い渡そう。覚悟はできているかね」
 私は、はいとだけ答える。
「秋月リゼ、捜査官。君の処分は今回の事件をまとめた報告書を一人で全て作成し、提出すること。以上がテミスシステムから出された処分だ」
 彼がうっすらと笑みを浮かべる。
 私は、少し遅れて反応した。
「それだけですか」
 拍子抜けだ。
 もっと厳しい罰。最悪、治警を辞めさせられるのではと覚悟していた。
 だが、テミスシステムが下した処分は軽いにも程がある。
「不服かね」
 局長の言葉に私は少し躊躇う。
「規則では、支給された装備以外を用いての、犯人の処分は確かに重罪だ。だが、こうもある。何らかの問題でそうせざるを得ない状況に陥った場合に関しては、犯人の処理または確保を優先せよ、とね」
 奴が私のハンターを使えなくしたことで、キルアから受け取った銃を使ったことは、その規則を守ったことに等しい。罰がないわけではないが、相当軽減される。
 その証拠が、報告書を一人で作成しろとテミスシステムが下した指示だ。
「君は優秀だ。私としても、まだこの仕事を続けてもらいたい。まあ、強要はしないがね」
 局長は穏やかにそう言った。
「ありがとうございます」
 私は深く頭を下げ、局長室を出た。
 何とも複雑な気持ちのまま、私は一係の部屋へ赴く。
 早速、今回の事件の報告書を作るために行かなくては。
 扉を前に少し迷う。一週間顔を見せていないだけで、入り辛くなる。
 だが、迷っても仕方がない。私は扉を開けた。
 中には一係の仲間、全員が揃っていた。
「リゼ」
 一番に私の元に来たのは、アレンだ。
「どうだった。処分は」
 他の皆も集まってくる。
 報告書の作成が処分だと告げる。
「そうか。良かったな」
 同じように複雑な表情をしていたが、笑顔を浮かべたアレンは、心底安心した声で言う。
「また、頼むぜ」
 手を差し出された私は、彼と握手を交わす。
 そこに通信が入り、係長が応じた。
『一二区で不審な遺体を発見。治警は直ちに急行してください』
 機械音声がそう告げる。
「事件だ。行くぞ」
 係長の言葉に全員が返事をした。
 リゼも事件を優先するように言われていたので、ついていく。

 日々、事件が溢れるこの街、この国、この世界。私達、警視庁治安維持課一係は、システムの目を欺いて悪事をはたらく犯罪者を追う。

治安維持課

ここまで読んで頂いたのならありがたく思います。所々、読み辛い表現、不快な部分があったかと思いますが、これからもっと成長していければと思います。
 これが二作品目です。前作のエピローグからの続きとなっています。
 今から一〇〇年以上先の未来を舞台にした話。人が人としての意識を持ち、自らの行動選択を行って生きている時代が持続しているのか、今の時代に生きる人達では見ることは出来ないでしょう。
 ですが、これは物語。現実はそう遠くないものかもしれません。

治安維持課

世界の平等を実現するために作られた究極のシステム『管理の神』、通称”MOG”システムの崩壊からおよそ二四年。 システム導入前の世界に逆戻りしてしまったことで増加した、犯罪件数。 秩序を守るために作られた組織『警視庁治安維持課』に所属する捜査官・秋月リゼは、凶悪な犯罪者に立ち向かう。

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2015-11-17

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  1. 1、治安維持
  2. 2、中毒者
  3. 3、七つの大罪
  4. 4、獲物と狩人
  5. 5、芸術的な死を
  6. 6、深淵に踏み込む
  7. 7、正義と悪
  8. 8、殺人者の回路
  9. 9、死後の世界
  10. エピローグ