武器を我が手に 2

少年のヒーローはフィデル・カストロだった。
少年が今よりももっと幼かった時分、少年のヒーローはジョン・ウェインだった。西部劇の大スターである彼の作品群の中でも、少年は特に「駅馬車」が好きだった。野蛮なインディアンどもを、ウィンチェスターのライフルでもって片っ端から撃ち殺していくその姿に、それまでの人生では味わったことのないような種類の興奮を覚えたのだ。テレビ放映されたこの白黒映画の画面に見入りながら、当時まだ十歳にもなっていなかった少年は眼を輝かせた。
少年はまた、同じく俳優のクリント・イーストウッドも好きだった。彼の作品群の中ではダントツで「ダーティ・ハリー」が少年のお気に入りであった。少年にとっては、イーストウッド=ハリー・キャラハンだったのだ。まっとうな生活をおくる市民たちを脅かす凶悪犯罪者たちを、44マグナムという巨弾でもって始末していくハリーの大胆不敵さに痺れたのだ。キ印といえども、生身の人間には過剰ではないかと思えるほどのストッピング・パワーを平気で駆使するハリーが少年は大好きだった。月々の小遣いがある一定の額に達すると少年は馴染みの模型屋に走り、スミス・アンド・ウェッソンM-29のモデルガンを手に入れた。少年はそのロングバレルの大口径のマグナム・リボルヴァーを片手で構え、ハリー・キャラハンになりきってみせた。残忍な悪党どもは容赦せずに撃ち殺す。そうした姿勢こそが男のあるべき姿なのだと、少年は信じようとした。
未開の大地を白人たちのものにするため、あるいはサンフランシスコの街からアメリカのルールに従わない者たちを一掃するため強大な力を行使するのだ。その強大な力をもって相手を脅かすのではなく、相手を完全に殲滅してしまわなければならないのだ。完全に抹殺してしまわなければ、この世から完全に悪はなくならないのだと、少年は固く信じるようになっていった。
しかし少年の中に根付き始めた、この信念の萌芽と呼べそうなものに少年自身が満足しきっているというわけではなかった。いくらヒーローだととらえてみたところで、リンゴ・キッドやハリー・キャラハンは映画上の人物であり現実の世界に住む人間ではないのだ。ジョン・ウェインやクリント・イーストウッド本人が正義を守るために悪党を撃ち殺しているのだとは、いかに幼い少年といえどもさすがに思わなかった。
 映画スターをヒーローとみなしている自分自身を幼稚な存在なのだと意識するようになるのは、少年が成長する上では当然の変化であった。空想上の人物ならどのような英雄的行為も可能なのだと誰でもすぐに気づくものだが、そうしたヒーローに対して一度燃やした愛着をひき剥がすには、それに代わる新たなヒーローの登場を待たなければならなかったのだ。現実の世界に生き、現実に存在する敵と戦っている新たなヒーローが……。
強くて、男らしくて、戦争の経験のある者でなければならない。顔立ちは凛々しく、身長は高く、何よりも正義を重んじる男でなければならない。そうした少年のヒーロー像に合致する男、それがフィデル・カストロであった。
 少年の通う中学校の図書館で彼という男を知ったとき、少年は自身の内側に炎が燃え立つのを感じた。自身の願望を体現しているこの男の出現によって、少年は映画の世界から現実の世界へと強引に引きずり出されたのだ。
「銃で世界を変えることって、本当にできるんだ!」
 少年は映画の世界でしか実現しそうもないことが現実の世界でも起こりえることを知り、その新たな発見に夢中になった。そしてその日から人生に於ける新たな目標が、少年の中で徐々に形づくり始めた。
少年のヒーローはフィデル・カストロだった。
ヒーローの思想は自身の想いを代弁しているのが当然であると少年は考え、日本はアメリカの被占領国なのだと信じるように心がけた。それは結果ではなく目標として革命を選択した少年にとっては、当然辿り着くであろう結論であった。
日本が主権独立国家であるとの日本側の主張は、少年にとってはそうであると信じていたい国民に向けられた甘言にしか思えないものであった。終戦によってあたかも日本国民が大日本帝国軍部から解放されたかのようなイメージは、アメリカ人が日本人におこなったマインド・コントロールであり、楽をして生きるのを望む人間たちが喜んでとびつく安全地帯なのだと信じるようにも心がけた。そうした一切は、日本国民に向けられた白人優越論の押しつけに他ならないのだと……。
中学校でその日に受けた近代史の内容は、少年によって斜めに分析された。
 少年のヒーローはフィデル・カストロだった。
そのことからもわかるように、大日本帝国を擁護しようとも、それはアメリカや西洋諸国全般に対する批判からそう主張しているだけであり、少年は右寄りというよりはむしろ左寄りであった。帝国主義全般に対する少年のささやかな反発は、授業や自主的に読まれる本などによって厚みを増していき、やがてはささやかなる怒りへと成長していった。圧倒的な軍事力によって小国を制圧するその卑劣なやり方は、少年の中に眠っていた正義感を目覚めさせた。また、その正義感はすぐさま少年が元々持っていたはずの破壊欲と結びつき、少年の人格を形づくる原型となった。
武力に対抗するには武力しかないのだ。破壊には破壊でもって、殺戮には殺戮でもって対抗するしかないのだ。少年の頭には抑止力としての武器などといった発想はまったく浮かばなかった。銃は弾丸をこめなければ価値がなく、弾丸は銃口から発射されなければ意味がなかったのだ。
そして、いつかは自分自身がそれを証明しなければならない日がくることを夢想していた。
 帝国主義的思想に対する反発は、必ずしも反体制であらねばならないことを意味しているわけではないのだが、少年はやはり、反体制であることこそが正しいのだと信じるようになっていた。裏面の裏面は表面ではなく、やはり裏面でなければならなかったのだ。
 少年は決心する。どのような形であれ、反体制であることを皆の前で示さねばならないのだ、と。
 中学生である少年にとっては学校、すなわちそこに巣食う教師たちこそが、自分の反発すべき体制であった。
少年は印象的かつスマートな反抗の方法を色々と模索したが、それら体制の分子たちにとって、少年の反抗が反抗と呼べるようなものであったかどうかは疑わしい。
少年が忌むべき体制の分子たちに攻撃をしかけるのは決まって社会科の授業中であり、その攻撃は教師を質問攻めにしては授業を延滞させるといった妨害工作程度であった。
終戦に導くための手段として原子爆弾を使用したアメリカの正当性をしつこく教師に追求してみたり、ユダヤ系の人間がアメリカの富裕層の中でどのくらいの割合を占めているのかといった質問をしつこく繰り返したりしては教師をうんざりさせた。
大東亜戦争と東京裁判についての柔軟な見解を生徒たちの前に披露している、この社会科の教師に向かって少年は吠える。
「我々有色人種は、いったいいつになったら正しい歴史を語ることを許されるのでしょうか?」
 教師はそれに対して穏やかな笑みを浮かべて応えるのみであった。正面からまともに向き合って相手をするよりも、穏やかな笑みを浮かべて受け流すほうが授業の損失時間は少なくて済む。教師たちは自分の「職」を守るために、十代半ばにも達していない子どもに向かって愛想笑いを浮かべて見せた。
このようなサボタージュを授業の度に繰り返す少年は、当然のことながら教師たちからは嫌われた。徐々にではあったが、そうした空気はやがて職員室中に広まっていき、やがて全ての教師から疎んじられるまでに成長していった。ケツのでかいカミさんの下敷きになっている薄給の公務員たちからは忌み嫌われたのだ。彼ら教師は、皆が憧れるものに憧れ、皆が憎むものを憎む、そんな素直な少年たちだけを愛したのだ。彼らにとって正義とは、必ずプラス側に向かったその先にあるもので、その逆であるマイナス側の先にあってはならないものだったのだ。だからこの少年の場合、いつも決まって生徒指導室に呼び出される愛らしい問題児たちや、学業での成績が優秀なお利口さんたちのように教師たちから愛されるようなことは決してなかった。教師たちにとってこの少年は、正義漢でも、優良児でも、問題児でもなく、ただの規格外品だったのだ。
だが少年はそれを誇りにこそすれ、決して恥じたりはしなかった。自分は教師には取り入らない、大人たちには取り入らないのだと自信をもって断言できたのだ。
「いつかはあいつらも僕の前にひれ伏すときが来る!」
だから少年は他の少年たちがよくやるような種類の反発行為、例えば集団で煙草を吸ったり、髪の毛を目立つ色に染めたり、などといったことはしなかったし、そうしたことにはたいした興味も示さなかった。そうしたことは少年にとっては反抗ではなく、単なる目立ちがり屋の行為に過ぎなかったのだ。
 そんな少年が同級生たちとたいしたトラブルも起こさずすごせていたのは、やはり少年の、感情を表に表すことのない容貌のおかげだったのだろう。少年は同級生の少年たちのとる形だけの反抗には嫌悪感を抱きつつも、顔にはいつも笑みを絶やさなかった。
だが家に帰り部屋で一人きりになると、少年は小声でそんな同級生たちを罵った。
「かっこうだけのガキどもが!」
 少年が特に嫌ったのは、同級生の中でも、特に不良と目されているような少年が教師たちとの間に時折みせる「馴れ合い」だった。
生活指導の教師と、問題児とされている生徒が笑いながら会話しているのを見ると、少年はそこに自分の定義する反抗の美学といったものを見出すことはできずに、汚い大人の世界の馴れ合いを見せつけられた気がするのだった。教師と生徒のそうした関係は、自然と少年に政治家と資本家との間に見られる癒着を連想させた。
少年の定義する反抗とは、自分よりも年齢が上で、自分よりも力を持つ総ての者に対しての姿勢であり、その条件に該当する総ての者に反発することが正義でもあったのだ。少年にとって体制とは、必ず自分とは相反するものであり、必ず崩さなければならない「あるもの」だったのだ。
少年はそうした自分の姿勢に少なからず満足していた。
 少年は数少ない学友との付き合いもそこそこに家に帰ると、自室にこもってはお気に入りの革命家であるフィデルに関して書かれた本や、ヴェルナー・メルダースやチャック・イェーガーといった、空の英雄たちの写真を眺めては何時間も過ごした。また同時に兵器関係の雑誌も読み漁り、各国の装備についての研究も重ねた。そのようにして自室にひきこもっている時間の大半を偏執的な読書の時間に充てていたためか、中学生としては兵器に関して驚くほどの知識をためこんでいた。
 空の英雄の写真を飽かず眺めていたことからもわかると思われるが、少年は戦闘機が好きだった。だがパイロットになるために自分がしなければならない努力といったものを考えると、勉学のあまり得意ではない少年の熱意は急速にしぼんでいくのであった。そういった意味で少年にとっては飛行機となると兵器としての親しみが湧いてこなかった。それは戦車や戦艦でも同じことであり、だから少年は航空機や戦闘車両、艦艇に関する知識よりも、銃器に関する知識のほうを好んで吸収していったのだ。少年の理屈は簡単だった。仮に近未来の日本で戦争が勃発した場合、少年がいま現在有する能力では、銃器を使用することは可能かもしれないが、飛行機を操縦することは絶対に不可能だからだ。
少年は現実にできそうなことを想像するほうを好んだ。
「だいたい、リヒトホーフェンの時代の複葉機ならともかく、現代の最新のテクノロジーが満載されている高級ジェット戦闘機など飛ばせるわけがないではないか」と、ゴム動力の飛行機程度しか飛ばしたことのない少年は思った。
 それに、どんなことがあろうと飛ばさなければならないほどに、翼を愛しているというわけではなかった。少年のヒーローはフィデル・カストロなのだから、無理して飛行機に乗る必要もなかったのだ。
 少年は、できることなら寝転んだまま英雄になりたかった。
 たしかに少年は、頭の中では英雄だった。M‐60をぶっ放しながらアウシュビッツから多くのユダヤ人を解放した。M‐16を手にしてスターリンの暗殺に向かった。ときにはAK‐47を振り上げフランス革命に参加することもあった。
 銃を我が手に!
 銃さえ手にすることができれば、恐れるものなど何もなくなるはずであった。
 二度の大戦によって飛躍的な進歩を遂げた、その黒光りする金属の殺人兵器を少年は愛しく想った。そして、それら銃器関係の雑誌に掲載されているレポートを読みながら、自分が実際にそのガンを撃ったとき、どのような反動を両手に受けるか、また相手にどの程度の損傷を与えることができるのかを想像して胸をときめかせた。
 轟く銃声!跳ね上がる薬莢!
「この弾はホロウ・ポイントだ。君の身体にバカでっかい穴を開けることになるぜ!」
 少年は自身が被弾する様をどうしても頭に思い描くことができなかったが、他人が被弾する様は簡単に想像することができた。
 少年が好む銃器の種類には、特にこれといった枠決めは存在しなかった。西部劇に登場するピース・メーカーから、スパイ映画に登場するワルサーPPKまで、なんでも好きであった。知識のみで実物に触れた経験など全くない少年は、当然のことながらそれらの銃器が持っている欠点も知らなかった。ガン・レポートで論じられているそれらの銃器の問題点も、そのガンのもつ美しさによって補われて当然であると信じていた。このオートマチック・ピストルはすぐにジャムる、などといった連続作動に支障をきたすようなモードは別だが、短銃身でフロント・ウェイトが少ない分取り回しは楽だがマズル・ジャンプは大きいとか、フロント・サイトにホワイト・ドットがないため瞬時にターゲットをとらえにくい、などといった欠点は自分の腕次第でカヴァーできるものだと信じていた。気に入った外観をもつ銃は、欠点もその銃の個性として少年には受け入れられたのだ。
ただ、もし少年が自分で使う銃器を選択しなければならないのだとしたら、少年としてはどうしても外すことのできない要求項目が三つあった。
 まず、特殊なサイズの口径をもつ銃ではないこと。これは重要だった。戦闘中フィールドで弾丸が尽きたとき、10㎜などといったサイズの弾丸を使用していると敵側から容易に弾丸の回収ができないためである。こうした点は少年の心配を煽った。だからオートマチック・ピストルやサブ・マシンガンならば9㎜、アサルト・ライフルならば5・56㎜か7・62㎜の弾丸を使用しているものが望ましかった。
 もう一つは故障が少なく信頼性が高いこと。少年は想像する。敵(どのような場合であれ少年とは反対側で武装している人間)と、廃墟となった建物内でばったりと遭遇する。瞬時にお互いに、肩からストラップで斜めに吊るされたサブ・マシンガンを腰だめにかまえる。至近距離のため、万が一にも狙いを外す可能性はない。脳から、引き金にかけた指に指令が伝達される。
「カチッ!」
 少年の耳に、乾いた金属音が虚しく響く。
 このような場面は想像するだけでも恐ろしかった。次の瞬間、少年は全身に9㎜の弾丸をくまなく浴びることだろう。また市街戦を想定した場合、走り回っている最中になにかのはずみでホルスターから銃が抜け落ちたとき、それだけでフレームがねじまがってしまったら、その後は丸腰で武装している敵と対峙しなければならない。そんな目にあうのはごめんだった。いくらチェコのCz75のように精度の高い拳銃であっても、そこに頑丈さが加わらなければ、少年にとっては武器としては失格なのであった。
 最後に黒い銃であること。ブルー・スチールの表面か、サテン・フィニッシュが施されており、光の反射を極力抑えたものでなければならなかった。アメリカ人好みのステンレスやニッケル・メッキで光り輝くような銃は敵の発見を促すようなものであり、少年にとってはこれもまた失格であった。
 マッチ・シューティングではなく、あくまで実戦を想定している少年にとっては、それらは不可避な条件だったのだ。ジャングル、砂漠、市街地。あらゆるフィールドにおいて信頼のおける銃器が必要だったのだ。
 少年は自身の装備について様々な組み合わせを考える。メイン・アームとなるアサルト・ライフルは、やはりカラシニコフになるだろう。ライバルのアーマーライトのM‐16は頻繁にクリーニングをおこなう必要があり、それを怠るとすぐに作動不良を起こす……らしい。携行可能な弾丸量は小口径であるM‐16に軍配があがるだろうが、頑健さと信頼の高さでは間違いなくAK‐47だろう。
サブ・マシンガンはあくまでサイドアーム的な意味合いで携行するため、できる限りコンパクトなものが望ましい。イングラムのM‐11はどうだろう?サプレッサーを装着しなければかなりコンパクトなサイズにまとまるはずだ。
そして拳銃。隠し持って行動する必要がある場合はともかく、アサルト・ライフルを使用する本格的な作戦では、拳銃を持ち歩くよりも、むしろ携行する予備弾倉を増やしたほうが望ましいと、少年はなにかで読んだ記憶があったが、もともと拳銃からガン・マニアの道に入り込んだ少年にとって、これは外すことのできない装備であった。
ベレッタM92F。ハリウッド映画にも頻繁に登場する、ヒロイックなデザインをしたこの拳銃を、少年もやはり好きだった。
 少年は空想した。革命が成就し、歓声をあげる市民の見守る中、軍用車両に乗ってパレードする自分の勇ましい姿を。迷彩服を着用し、頭には赤い星のマークが一つついたベレー帽。歓声に応えて振り上げた腕が手にしているのはAK‐47。腰にはベレッタの92Fが……。
 いや、待てよ。この場合アメリカ軍の正式採用拳銃は相応しくない。ブローニングのハイパワーかシグ・ザウアーであるべきだ。少年は手直しを加えながら空想を楽しんだ。そして、肝心なその革命がどこで起こるものなのかは、また別問題であった。ただ、敵はどうしてもアメリカ合衆国にならざるをえなかった。なにしろ少年のヒーローはフィデル・カストロなのだから……。
 最強の軍隊に立ち向かう男たち。少年はベッドの中で興奮していた。
 戦闘の勝利に酔いしれる空想を一通り味わい終えると、少年の心のうちには徐々に虚しさが募ってきた。それは、童貞がマスターベーションの後に感じる、あの虚しさと同種のものであった。
 虚しい……。
 少年はその整った顔をしかめた。銃を撃ったことがないどころか、本物の銃に触ったことさえないのだ。少年は枕のしたから金色のスナッブノーズのリボルヴァーを抜き出すと、まるで女の子のように繊細な白い手で、力強く木製のグリップを握りしめた。
 それはスミス・アンド・ウェッソンの38口径、5連発の拳銃のモデル・ガンであり、金属製のためその小振りなサイズの割には重量があった。
少年は本物と識別するため金色に塗られたそのリボルヴァーを見つめながらため息をついた。
「本物の銃を撃ってみたい……」
なぜ日本では拳銃の所持が認められないのか?
こうした法律は少年にとって、かつて侍が刀を携行して歩き回っていた日本という国にはおよそ似つかわしくないものに思えた。誰が日本人から武器を取り上げてしまったのだろう、アメリカ人だろうか?
 国内の治安を維持するためならば、一部の法律を遵守しない人間が密輸などによって銃を手に入れられる今の状況よりは、まっとうな市民も自分の身を守るために銃を持てるようにすべきで、そのように法改正することで本当の意味での力の均衡が生まれるのではないだろうか?そして、今のように武器とは無縁な生活をおくっているために戦うことを忘れてしまった国民は、銃を持つことで、平和を、国家に無償で要求できる当然の権利とは考えなくなるのではないだろうか?
「銃を撃ちたい!」
 若者には、ごく早い時分から武器に慣れさせておくほうが、本来は望ましいことなのではないだろうか?人の命を簡単に奪うことのできるそうした武器類に早くから接することで、人の命についての認識を改めることができるはずだ。
 少年は最近になって増加してきた無差別通り魔殺人等の、弱者に狙いをさだめた卑劣な犯罪には深い憤りを覚えていた。
なぜ女性や年寄り、子どもたちなどといった抵抗できない相手を狙うことしかできない卑怯者が続々と登場してくるのだろう。それがもし、国会議事堂に殴りこみをかけただとか、警視庁本部に殴りこみをかけたというのだったら尊敬にも値するだろうに……。
少年は無防備の市民と、厳重に警備された組織本部との区別ができなかった。
 少年はいつものごとく、温かいベッドの中で最近の一連の犯罪について分析を始めた。
なぜそうした犯罪が後を絶たないのであろうか?またそうした犯罪者たちは、本当はいったい何を求めていたのだろうか?そうした犯罪に走る者は決まって若者だ。現代の若者は何を求め、何に不満を感じているのだろう?
そうした一連の犯罪者たちよりも若年である少年は、そうした哀れな犯罪者たちの欲求がなんであるかを知りたく思った。
 ありあまる欲望、持て余すパワー!
 少年の達した結論はこうであった。すなわち、あのような犯罪の起こる原因は日本に徴兵制度がないせいなのだと。血気盛んな若者たちから武器を取り上げるようなことはせず、生きることに必死になるよう鍛え上げ、自国を自分たちの手で護ることが当然のことであるとの認識をもたせるのである。国を護るために一つになることによって、自国の弱者を傷つけようなどとは間違っても思わないようになるのだ……と、少年は自分の行き着いた結論に満足し、それが正義であると信じようとした。

 武器を我が手に!

 現代の若者が本当に求めているものは、最新機能つきの携帯電話などではなく、AK‐47なのだ!
 勿論それは少年の、銃を撃つ機会のある戦闘に参加したいという願望から作り出された理屈であったが、いまだ高校生にもなっていず、社会での経験などなきに等しい少年にとってそれは立派な思想であった。武器を手にすることで日本の男たちは自信を取り戻し、アメリカ人に対しても、中国人に対しても、あるいは他のいかなる国の人間に対しても、臆することなく胸を張って接することができるようになるのではないだろうか、と。
 そうだ!アメリカの支配から逃れるためには、日本人は武装する必要があるのだ。日本は武装強化し、軍事強国としてアメリカと対等に渡り合わなければなければならない!
 話し合いで達する世界平和といった考えは、甘過ぎるものとして少年の頭には浮かばなかった。世界を変えるのは銃であり、マイナス面の抹殺によってしかこの世界をプラスに導くことはできないのだ、と。
少年は自分が抹殺されるべき、世界のマイナス面であるとは夢にも思わずに心のうちで主張した。
「銃で我々の手に世界を取り戻すのだ!」
自然とおとずれる平和など信用できない。自分自身が銃をもち、血みどろの戦闘をおこなって、弾丸によって勝ちえた平和でなければ意味をなさないのだ。アメリカの支配から逃れるためには、アメリカ以上の軍事力を日本はもつ必要があるのだ。
 しかしそれではいじめっ子をやっつけるために自らがいじめっ子になるようなもので、少年の元々の主張であるはずの反帝国主義にはなりそうもないことに、いくら幼い少年であっても気づかないはずがなかった。
 どのような方法が自分の信念に矛盾せず、また自分の良心にも反することなく強大な敵に痛烈な打撃を与えることができるだろうか?テロリズム?いや、だめだだめだ。まず民衆の賛意をえなければならない。テロでは何も生まれないのだと、ある有名な革命家も言っていたではないか!
だが、なによりもその勝利は銃によって勝ち得なかればならないのだ。
 少年はなんとかして自分が銃を撃つことを正当化しようと企んだ。そしてその、自分自身の欲望が自国民のためになるのだということを立証しなければならなかった。
なんとかして、武器を手にし、それを発砲しなければならない理由を作り出す必要があった。自国民の全員が間違いなく認める敵、少年がその敵に発砲した場合、国民が誰一人の例外もなく喜ぶ敵が必要なのであった。アメリカ合衆国でなくてもよい、とにかく自分よりも強く、残酷であり、銃を発砲しても国民に咎められることのない敵が必要なのであった。あとは、それがイコール正義となるような理屈を作りあげるだけでいい。重要なのは理由ではなく、銃を撃つことなのだ。
銃を撃つ、その相手が一般的に見た場合、悪であればそれで構わないのだ。

 武器を我が手に!

 少年は興奮していた。しかし興奮はいずれ冷める。それまでの興奮が治まってくると、少年は素直に考え直してみた。
今の日本は平和ではないのだろうか?三度の食事がとれ、悩み事といえば期末試験のことぐらい。なにが不満なのだろう?いったいどこに銃を撃たなければならない理由が存在するのだろう。
少年はベッドから起き出すと、勉強机にむかって腰かけた。机に肘をつくと、両手を祈るような形で組み合わせた。
仮に世界に平和がおとずれようとも、すぐにそれを破壊しようとする者が絶対に現れるだろう……。
少年は確信していた。なにかと理由をつけて戦闘を開始しようとする愚かな人間は、決して後を絶たないのだろうと。己の破壊欲を正当化するために、平和のためだとか、自由のためだとかいった理由づけを行ない、戦闘を正当化しようとする愚か者は後を絶たないのだろうと。
目的があって戦闘をおこなうのではなく、戦闘をおこないたいから目的を生み出すのだ。これはきっと人間の本性なのだ。変えようのない人間の正体なのだ。

 武器を我が手に……。

 少年は学生鞄からノートを引き出すと、末尾のなにも書かれていないページを一枚破りとり、いつもの右肩上がりの気取った文字で誰に宛てるでもなく書きだした。
「僕は人殺しです。みんなが僕のように決意すれば、世界から必ず戦争はなくなると思います」
 少年は席を立ち、押し入れに近寄ると、扉を開けて電気毛布を引きずり出した。そして電気毛布のコードを左右に両手で思い切り引っ張ってみて、自分の体重を支えうるかどうか確認してみた。

 
                           ―了―

武器を我が手に 2

武器を我が手に 2

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 成人向け
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2012-04-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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