桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君13

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続きです。やっとたぬきの姫君がでてきます。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君13

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うーん、と光顕は唸った。
 「つまり、俺があの最低男になって、山神姫の怒りに触れないようにすればいいってことか」
 その言葉に、鹿王はわずかに眉を上げ意外そうに顔をした。
 「最低男?」
 「だって、山神姫を騙して徳利奪った挙句、他の女にうつつをぬかしてたんだろ。そのうえ、他の貴族のその徳利を奪われて殺されるとか、バカとしかいいようがねえじゃん」
 鹿王は切れ長の目を細め、扇で口元を覆った。
 「光顕、お前は山神姫と桃井の男の話をそう聞いておるのか」
 「いや、叔父の話は別。何か、桃井の男が山神姫を封じたとか何とか、恰好いい話になってたな。今のは、そこの鈴ちゃんから聞いた話。違うの?」
 「ほう」
 鹿王は、今度は鈴に話を向ける。
 「沓部ではそんな話になっておるのか」
 「はい。そのように伝え聞いております」
 鈴はおずおずと口を開くと、鹿王はふむ、も一度唸って、口を開いた。が、一向に、その口から声が発せられない。パクパクと唇を動かしては、柳眉を顰め、何度か声を出そうとしているようだった。しかし、声は聞こえてこなかった。
 「何だ、鯉の物マネか?」
 「童子様、どうされました」
 心配そうな鈴に、大事ないと応え、鹿王は喉を手で覆った。
 「さすがにそこまではお許しくださらんか」
 独り言ちたその言葉に、鈴が抑えた声で反応する。
 「天津ヶ原の神々ですか」
 「語りたくとも語れぬ。何の知識も持たぬ真っ白なまま、再度己たちで選びなおしてみせよとの思し召しのようじゃ」
 鹿王は少し扇の向こうで少し笑ったように見えた。呆れたような乾いた笑みだった。鈴も小さく、そうですか、と呟いて俯く。
 「あー、と。つまり、何だ?俺たちが聞いた話はどっちも実際とは違ってて、でもその話は天津ヶ原?の神様たちが邪魔して話せないってことか」
 光顕が一応の確認をとる。そうです、と鈴が肯定した。
 「そのさ、天津ヶ原のうんちゃか様って何なの。そんなに偉いのかよ」
 「偉いんです。言葉を慎んでください」
 鈴が目を剥いて叱責に近い語調で光顕を窘める。しかし、光顕にとっては今日初めて聞いた話ばかりだ。畏れ畏めと急に言われても実感が伴わない。
 「で、その神々はもう一回、話をやり直すことに関しては同意してるわけ?」
 「今のところ、邪魔される気配はない」
 「じゃあさ、もし、失敗したらどうなんの」
 光顕の問いに、鹿王はいとも簡単に答えてくれた。
 「お前は汚泥に溶かされて死ぬ。鈴はこの閉じた箱庭なかで山神姫と一体化し永遠に非業の時を過ごすことになる」
 光顕は、思わず、げっ、と声を上げ、音のする勢いで鈴を見る。鈴は覚悟を決めた眼差しで光顕の視線を受けた。
 「私は沓部の当主です。覚悟はできています。しかし、光顕さん、あなたは一般の方です。私には無理にあなたにお願いすることはできません」
 つまり、鈴はいつで死んでもいい覚悟を決めて、今日、桃井家にやってきていたということか。そういえば、あの汚泥に襲われた時も、鈴は光顕と叔父を背に庇うように立っていた。まだ年端もいかない少女が、そんな悲壮な覚悟を決めていた。この子に、こんなこと言わせていていいのか。
 「なあ、それって、この子じゃないと駄目なのか。俺と桃井のおっさんとかさ。そういう、何ての?今回のことに責任があるヤツがやるべきだと思うんだけど」
 「私では役者不足だということですか!?」
 鈴が叫ぶように声を荒げた。
 思いのほか強い反発に遭い、光顕は慌てて言葉をつなぐ。
 「いや、だからさ、危ないだろ。こういう事は大人に任せたほうが」
 「否。不可能」
 光顕の言葉を遮ったのは鹿王だった。
 「魂の根源に刻まれた真名を使うのだ。よく似た魂でなければ成り変わりは不可能。お前に桃井はできても山神姫はできぬ。鈴は代々山神姫を祀る沓部の当主だから、山神姫ができるのじゃ。鈴以外に誰もできぬ」
 「でも、子供にそんな危ない橋を渡らせるわけにいかねえだろ」
 「子供じゃありません」
 「子供だろ」
 「沓部の当主です!」
 涙目になって反駁する鈴を見ている、何だか自分が子供をいじめているようで罪悪感に苛まれそうになる。しかし、それでも、鈴に命をかけさせることに、どうしても抵抗があった。


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暫く大学生と中学生の言い合いを眺めていた鹿王がおもむろに口を開いた。
 「光顕、先ほどお前自身が口にしたように、事はお前の世界の範囲を大きく超えているのだよ。鈴よりお前のほうがよほど危うい」
 「ほらっ」
 鹿王のこの言葉に、鈴は子供のように胸を張る。いや、子供とか大人とかを超えている。
 「・・・わかった。俺も腹を括る」
 無理やり絞り出したその言葉に、鹿王は、珍しくにっこりと笑った。
 「無論、私も赴き力を貸そう。鈴、お前には阿狛と吽狛をつける。いいね」
 「はい」
 「光顕」
 鹿王はしばし、じっと光顕を見つめると手にした扇を閉じ、その先を光顕の額に押し付けた。その瞬間、眉間の辺りに焼けるように痛みを感じて、思わず身体を大きく跳ねる。
 「痛ってぇ!何するんだよ」
 未だ痛みの残る眉間の辺りを抑えると、そこに違和感があった。何か固い感触がある。
 「額に私の翡翠玉を埋め込んだ。何かの役に立つであろう」
 切れ長の目を眇める鹿王の姿が徐々にぼやけ、視界がぐるぐると回り始める。
「いいか、ゆめゆめ忘れるな。お前は桃井の男となるが、桃井の男ではない。田中光顕だ。桃井の男の記憶に呑まれるでないぞ」
 鹿王の声が遠く近くに曲がって聞こえ、この白い空間に入った時同様の酷い吐き気と眩暈が襲ってきた。やばい、気持ち悪い。
 嘔吐感がこみ上げ、限界に達したとき、光顕の意識はふつりと途切れた。


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山道を走っていた。新緑の山は、むせ返るような生命力に満ちて、溢れんばかりの命の息吹を空へ、大地へと供していた。木々が大きく腕を伸ばし、重なり合った葉がざわざわと揺れる。目には見えなくとも、この山の恵みを受けた小さな生き物たちの息遣いがそこらじゅうで感じられた。男はまばゆい木漏れ日に、目を細める。鼻腔に、生い茂った草花の若い臭いを感じながら、通い慣れた道を進む。息が弾み、若い頬が紅潮していた。
 さあ、もうすぐだ。
男は一度、歩を緩め小さく深呼吸をした。鼓動が激しいのは、何も山道を駆けてきたからという理由だけではない。男は、酷く緊張していた。しかし、それと同じほど、いや、それ以上に、期待に胸を膨らませていた。細い獣道の終点、この木々の間を抜けたところの彼女の住まう社がある。
 「山神姫っ」
社の前庭に、山神姫の姿を認めた。
山神姫の庭は、一年を通して四季の花が咲き乱れ、常に甘い香りに満ちている。
その中でも山神姫が一際丹精を込めて育てているのが桃の低木で、滴るような甘い芳香を漂わせていた。
 その桃の木の根元に座り込んでいた山神姫が、声に気付いて振り返る。男はそれだけで嬉しくなって、息を弾ませ再び走り始めた。。
「山神姫」
息せき切って駆け寄ってきた男に、山神姫は微笑んだ。
「これこれ鷹雄、何をそんなに慌てておるのじゃ。ツグミが驚いて飛んで行ったではないか」
クスクスと笑いながら話すその姿は
 あれ、鹿王?いや、鈴か?
脳裏をよぎった自分の疑問に男は違和感を覚えた。
 鹿王、鈴、とは誰だ。この人は山神姫以外のどなたでもないではないか。
「鷹雄、いかがした。何か悪いものでも食べたか」
固まってしまった男が面白いのか、山神姫は童女のように笑う。
 鷹雄って誰だ。俺か。そうか、俺は鷹雄なのか。
そう思えばそんな気もする。そもそも、自分の名前に違和感を覚える道理などない。そう納得しかけたところで、急に眉間に激痛が走った。山神姫に、突然、額の辺りを打たれたからだった。
「な、何をする」
「たわけ者めが」
くすくすと可愛らしく笑っていた山神姫から急にごっそりと表情がなくなり、声音が変わる。黒目勝ちの瞳が男を叱るように眇められていた。
「ついさっき申したであろう、そなたは田中光顕ぞ。早速、桃井の男の記憶に呑まれておるではないか」
山神姫の桜貝のような桃色の爪先で、額をぎゅっと押される。余りの痛さに光顕は、ぎゃっと悲鳴をあげた。
「痛ってえ!お前、やっぱり鹿王か」
涙目になって誰何の声をあげると、重そうな十二単に身を包んだ鹿王が、ふふふと笑った。山神姫の無邪気な笑みとは異質な、心の内を読ませないいつもの鹿王の微笑みだった。
「こんなこともあろうかと思うてな。鈴であり、山神姫でもあるこの魂に直接干渉をしているのだよ。いいか、光顕、お前の役割を忘れるでないぞ。長時間干渉すると、この魂を壊してしまうからそう度々は助けてやれぬ」
 さあ、戻れ、という声とともに、表情があどけない山神姫のものに戻る。
 未だ痛みが残る額を押さえながら、光顕は幾度か目を瞬く。
 そうだ、山神姫を助けないと。そのためにここにいるんだった。
 腕を上げると、ばさりと垂れた袖が顔にかかる。なんとも動きにくい。手を拡げて右手の指先から左手の指先へと眼を移動させた。何やら鹿王が着ていたようなズルズルした装束を着こんでいた。長く垂れた袖と胴体部分の布が肩の後ろの方で簡単に括られているだけなので、身頃の両脇が大きく空いている。幅広の裾を紐で閉じたようなズボンが鹿王のものより長いのは、大人用だからだろうか。


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 「どうされた鷹雄。ほんに気分がすぐれぬのか。困りましたな。仙酒を飲ませるわけにはいかぬし」
 情けなく眉をさげ、困った、困ったと繰り返す様がどこかユーモラスで可愛らしい。光顕は小さく吹き出した。
 「なんじゃ、笑うておるのか」
 「いや、すまん。大事ない」
 口が勝手に動いて、光顕の意思とは別のところで言葉があふれ出す。
 そうか、これは桃井の男、鷹雄の記憶か。
 話しているのは、光顕ではなく、在りし日の鷹雄らしい。
 「まこと、病の類ではないのじゃな?まことじゃな?」
 「ああ、大丈夫。山神姫は心配しすぎだ」
 からかうと、山神姫は俯いてしまった。
 しまった。仮にも神籍にある姫君に無礼であったろうか。
 俯いたまま、山神姫は小さな白い手で自分の裳裾を固く握りしめる。
 「そうは言うても、鷹雄は唯人じゃ。唯人は元来、儚い生き物と聞く。そのうえ、仙酒を振る舞えぬとなると、お主に何かあっても、妾にはお主を助けてやれる術がない」
 そう言うと山神姫は悲しげに瞳を揺らした。
 「俺は救って欲しくて、姫に会いに来ているのではない」
 「妾が何かしたいのじゃ。妾はお主と共にありたいのじゃ」
 確かに、神々に比べれば遥かに劣る寿命だろうが、そのことを今、山神姫に告げても仕方がない。
 鷹雄は、不意にちいさな山神姫の身体を抱き上げた。
 「これ、何をする。危ない!危ないではないか」
 「はは、見ての通り俺は頑強な質だ。ちょっとやそっとのことでは命を落したりせぬ。姫を抱いて、あの山を越えることもできるぞ。そう心配するな」
 笑いながら、そのまま、くるくると回って見せた。
 「わかった。しかとわかったゆえ、疾く降ろせ。目が回る」
 「ははは、わかってもらえたならばなによりだ」
 柔らかな草の上のおろすと山神姫はほっとしたように、身体から力を抜いた。
 「鷹雄、お主は冗談が過ぎる。こちらの身がもたぬわ」
 拗ねたように、口を尖らせる様がいとけない。
 「これは困った、ご機嫌を損ねてしまったか」
 「そうやってまた、冗談ですまそうとするのじゃな」
 本格的にへそを曲げ始めた山神姫の目の前に、鷹雄は懐に入れていた包みを差し出した。
 「なんじゃこれは」
 包みの中には小さな棗が入っていた。
 「開けてみるといい。今日はこれを届けに参った」
 山神姫が棗の蓋を開けると、中にはとろりとした粘度の高い琥珀色の液体が入っていた。
 「これは」
 「よいから、よいから。舐めてみてくれ」
 山が姫は訝しげに棗の中身を見つめた。しかし、鷹雄があまりにも満面の笑みで勧めるので、ついに意を決し、桜色の指先を液体にちょこんと浸け、恐る恐る口に運んだ。
 「これは」
 山神姫が、零れ落ちそうなほど目を見開く。
 「甘い。甘いぞ、鷹雄。これはなんじゃ」
 瞳を輝かせて、聞いてくる。この反応が見たかった。
 「これは、甘葛だ。旨いだろう?」
 「旨い!甘いぞ」
 山神姫は再び棗に指を差し込み、琥珀色の液体を舐める。
 「本来は、尊い身分の方々しか口にできんものだが、此度は偶々、女御様より御下賜品として賜った。どうしても山神姫に食べさせたくてはせ参じたのだ」
 「ニョゴ様とは誰ぞ?」
 「主上の奥方にして、春宮様のご母堂にあらせられる」
 「春宮?」
 「次代の主上になられるお方だ」
 「では主上とは」
 「国を統べる天子様のことだ」
 「偉いのか」
 「人の世で一番偉いお方だ」
 ふむふむと頷きながら、しかし山神姫は甘葛に夢中になっている。
 「なぜ、その偉いトウグウ様が、鷹雄にこれを?」
 「ああ、俺が都の薬典寮の医得業生だという話をしたことがあるだろう」
 山神姫は視線を棗に向けたまま小さくこくんと頷いた。
 「唯人のための薬をつくる仕事をしておるのであろう?」
 「そうだ。それで、先日、女御様がお風邪を召された折に、俺が調合した薬をお出ししたところ、これが殊の外よく効いたとのこと。大層喜ばれて、これを賜った。本来そのお声をお聴きすることすらあり得ないのに、女御様はわざわざ薬典寮までおみ足をお運び下さり、直々に賜ったのだ。あれには腰が抜けるほど驚いた」
 そこで、山神姫ははっとなって頭を上げた。
 「では、これは鷹雄への褒美の品ではないか」
 「ああ、そうだ」
 山神姫の急な反応に鷹雄は目を丸くする。
 「馬鹿者っ。なぜ、それを早く言わぬ」
 「なんだ、急に」
 「お前への褒美を妾が食べてしまったではないかっ」
 泣きそうな顔の山神姫の手の中には、空っぽの棗があった。
 「早う言わぬか。余りにも旨いゆえ全部食べてしもうた。すまぬ、鷹雄。妾の食い意地がはっておるばかりに。すまぬ」
 今にも泣き出しそうな山神姫を見て、今度こそ鷹雄は腹を抱えて笑った。
 「何を笑う。」
 「いや、よいよい。よいのだ。そのために持ってきたのだ。姫に食べてほしかったからここに持ってきたのだよ」
 「では、代わりにこれを持って行け」
 そう言って、山神姫は袂から小さな壺を取り出した。
 「なんだ、これは」
 「山躑躅の花の蜜を煮詰めたものじゃ。これも甘くて旨いぞ。妾秘蔵のおやつじゃ」
 「しかし、山神の姫の秘蔵の品を人間に分け与えていいのか?」
 戸惑う鷹雄に、山神姫はにっこりと笑った。
 「大事ない。これはこの山の恵みで作ったもの。妾の神力を使うたわけではない。山の恵みは皆のもの。人とてその例外ではないのじゃ」
 遠くから、野太い遠吠えが聞こえる。阿吽の狛犬たちが山神姫を呼ぶ声だった。
 「しもうた。狛犬たちに気付かれたか」
 山神姫はいたずらが見つかった子供のような渋面になる。
 「今日は何をしでかした?」
 「何もしてはおらぬ。ただちょっと、今日のご挨拶が短めであったかもしれぬ」
 「挨拶?」
 「天津ヶ原のお方々へのご挨拶じゃ。仕事の一つじゃ」
 「挨拶が仕事なのか。神々の仕事にも色々あるのだな」
 「神々にもいろいろあるのじゃ。妾は元化生の神にて、天津ヶ原の神々とは性質が異なる。故に、神々の中でも位が低い。それで、毎日、天津ヶ原の神々にご機嫌伺いをする必要があるのじゃ」
 「神にも位があるのか。人の世と同じだな」
 「鷹雄は、位の低い妾は好かぬか?」
 急に心配になったのか、山神姫が不安そうに鷹雄の袖の端をきゅっと握る。鷹雄は安心させるように小さく笑った。
 「神世のことはわからん。姫、人の世で身分卑しい俺は嫌いか?」
 山神姫はきょとんとした顔で鷹雄を見た。
 「人の世のことはわからぬ」
 「では、俺も同じだ」
 「同じじゃな」
 そう言って今度は二人で笑いあった。
 夏の初めの懐かしい記憶だった。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君13

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君13

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-15

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