フェンスの向こう側

十枝倉庫

 あのときの秋は私にとって淡く甘いピンク色のような色をしていた。

 秋。
 夏の余韻で暑い日が続いたり、そうかと思えば冬の寒さが突然やってきたり、とにかく中途半端な季節。
 毎年この季節になると私は思い出すことがある。
「ねぇ、さなえ」
 一緒にお弁当を食べていたカナが食後のデザート、とでもいうのかアメを一つ私に渡してきた。
「あげる」
「ありがとう」
 私は袋を雑に破り口の中に放り込んだ。

 もう何年も前、私がまだ幼稚園児だったときのこと。私には秘密の場所があった。
 それは幼稚園の校舎の裏側、木や花で隠された小学校と幼稚園を区切るために付けられたフェンスの右端。
 私はそこからこっそりと小学校を覗くのが楽しみだった。
 別に私に覗き趣味があったわけではない。
 第一そこは体育館の裏側で小学生は誰もいなかったのだ。
 でも幼稚園児の私にとって小学校は今までとは違う何かがあるんだと予感させる桃源郷のような場所だった。
 ランドセルを背負うお姉さんに強く憧れていたことも認めよう。
 手を伸ばせばその指先が聖域に入れてしまう。
 というかフェンスさえ登れば校舎や運動場にだって行けてしまうのだ。
 そのワクワクが楽しかった。
 しかしバレれば先生にもちろん怒られるわけで。
 もちろん怒られたくない私は毎日ここから小学校を覗き、フェンスを越えようか超えまいかを悩んでいた。
 そんな趣味を持っていた私が彼と出会ったのは本当に偶然というかなんというか。
 落ち葉がそこらじゅうに落ちて絨毯を作り出す前、その日も秘密の場所へ行くとフェンスの向こう側に画板を持っていた男の子がいた。
 どう見ても私より身長も高く、小学生だったことは明らかだった。
 その男の子を見つけたときの私はただただ固まっていた。
 小学校は今授業中のはずなのにどうしてこんなところにいるんだろう。
 授業をサボっている? ということは悪い人なんだろうか。
 そんなことをグルグルと考えていた。
「どうしたの?」
「えっ」
 その場に突ったっていた私は逃げる前に男の子が気づいてしまった。
「あの、えっと……。な、なんでお兄ちゃんはここにいるの?」
「え?」
 私は校舎を指差す。
「だって今学校は授業中でしょ?」
 そういうと男の子は納得したようにうなずく。
「僕も授業中だよ。図工のね」
 そういって見せてきたのは画板と一緒に持っていた一枚の白い画用紙だった。
「お絵かきするの?」
「そう、秋の風景ってテーマで学校のどこかを描いてくるんだ」
「ここを描くの?」
「そうしようかなーと思って。ここなら木や花もあるし」
 そういって男の子は体育館の壁にもたれて座った。
「それで君はどうしてそんなところにいるの?」
「私の秘密の場所なの」
「そこが?」
「……」
 私は黙ってしまった。
 小学生である彼に小学校に憧れているなんていうのは、なんだか恥ずかしかったから。
「秘密の場所ならここは描かない方がいい?」
 何もいわない私に男の子はそう尋ね、私は慌てて首を振った。
「いいよ。ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「お絵かきしたら色も塗るの?」
「うん。絵の具でするって」
「ここで見ててもいい?」
「いいよ。黙ってやるのも暇だし」
 男の子は苦笑いしていう。
「お絵かき嫌いなの?」
「運動場走り回ってる方が好きだよ」
「ふーん、私はお絵かき好きだよ」
「いいなぁ。じゃあ困ったら助けてもらおうかな。あ、そうだ。名前はなんていうの?」
「さなえだよ。お兄ちゃんは?」
「まなと」
「まなとお兄ちゃん」
「アハハ、お兄ちゃんなんて呼ばれたの初めてだなー」
 それからまなとさんは毎週火曜日の四時間目。
 その日が図工の時間だと教えてくれた。
 そして、私とまなとさんは週に一度のその時間だけ会うようになっていった。

「ねぇ、まなとお兄ちゃんは何年生なの?」
 まなとさんが来るようになってから数回目、私はすっかり打ち解けていて作業を進めるまなとさんを見ながら質問した。
「五年生だよ」
「じゃあ来年は六年生なんだ」
「そうだね、さなえちゃんは? 来年から小学生?」
「そうだよ! 冬休みになったらランドセルをお父さんとお母さんと一緒に見に行くの!」
 私はワクワクとしながらいった。
 実際、ランドセルを見に行った日は何時間も色やら見た目やらにこだわって両親をクタクタにさせたのだ。
「んー、じゃあ春の遠足は一緒に行けるね」
「春の遠足?」
「そう、四月になったら小学生全員が歩いて近くの公園に行くんだ。それで、六年生は一年生の子たちと一緒に行くんだよ」
「へー、遠足かぁ」
「あと一年生は何があったかなぁ」
「幼稚園はお遊戯会や運動会があるよ。あと、小学校の運動会で踊ったこともある!」
「そうそう。あっ冬になったらお祭りがあるよ!」
「冬なのにお祭りなの?」
「うん。夏休みもお祭りがあるけど、そういうんじゃなくて、一時間目と二時間目にだけするお祭りで、僕たちが出し物をするんだ。低学年は確か遊び放題じゃなかったっけなぁ」
「すごーい。小学校は幼稚園と全然違うね」
「楽しいことがある分、勉強もあるけどね」
「勉強って難しいの?」
「難しいよー。九九がいえないとお昼だってなかなか食べられないんだから」
「えぇ」
 私は急に不安になる。
 九九ってまず何? という状態だったから。
「アハハ、冗談、冗談。そんな青い顔しなくてもそのうちいえるようになるよ」
「もうっ!」
 私はまなとさんにたくさんのことを聞いた。
 本当にメガネをかけたガリ勉はいるのか。
 バケツを持って廊下に立たされたりするのか。
 給食とはどんなものなのか。
 登下校は親と一緒じゃないのか。
 もっとたくさん聞いた。
 もう全部なんて覚えてないけどね。
 そうして月日が少しずつ過ぎて、まなとさんが持っていた鉛筆はいつの間にか筆に変わっていた。
「そういえばさなえちゃんって僕が来る前からここに来てたの?」
「うん」
「何かしてたの?」
「ずっと見てたの」
「ここを?」
 そういってまなとさんは辺りをキョロキョロと見渡した。
 きっと何か特別なものでもあるんだろうかと思ったんだろう。
 しかし周りには特に珍しいものも何もなく、まなとさんは不思議そうに私に首をかしげた。
「……笑わない?」
「え、うん」
「私ね、早く小学生になりたいの。幼稚園も楽しいけど小学校ってどんなところなのか早く見てみたい。おかしいかな?」
 私がそう尋ねるとまなとさんはクスクスと笑った。
「あーっ、笑わないっていったのに!」
「フフフ、ごめん、ごめん」
 そういってまなとさんは筆を置く。
「わかるよ。僕もそうだから」
「え?」
「僕にはお兄ちゃんがいて、今は中学生なんだ。幼稚園の頃はお兄ちゃんと同じ小学生に早くなりたくて、やっと追いついたと思ったら中学生になっちゃってさ。どんどん先に行っちゃう」
「まなとお兄ちゃんは早く中学生になりたいの?」
「うーん、そうだね。お兄ちゃん見てたら今よりもずっと忙しそうだけど」
「……」
 私は足元を見た。
 私が小学生になったらまなとさんは最高学年で、すぐに中学生になってしまう。
 中学校が何年間なのかなんて当時は知らなかったけど、まなとさんが小学校を卒業してしまえばもう二度と会えないのだとわかった。
「さなえちゃん」
 まなとさんの声がいつもよりも近くから聞こえた。
 顔を上げると筆を置いたまなとさんがフェンスの向こう側、すぐ近くにいた。
「ありがとう。ほら、完成したんだよ」
 そういってまなとさんが私に画用紙を向ける。
 そこには赤や黄の天地と、フェンスの向こう側でコスモスと笑顔で並ぶ私の姿も描かれていた。
「……」
 何もいえずにいる私の手をまなとさんはフェンス越しに掴み、小さなキャンディーを握らせる。
「話し相手になってくれてありがとう。これはお礼。先生には内緒ね?」
 そういってイタズラっ子のように人差し指を口に当てて笑うまなとくんの笑顔が当時の私には眩しくて、私は涙目になった。
「もう来ないの?」
「そうだね、来週からは別のことをするらしいから」
「……」
「ごめんね、前から授業があと何回かはわかってたんだけど、なんだか伝えるタイミングが見つからなくて」
 私はブンブンと首を横に振る。
「私、小学生になったら、絶対まなとお兄ちゃんに会いにいく。だから待っててね。一年間だけでもまなとお兄ちゃんと一緒の小学生になるから」
「うん。春の遠足一緒に行こう。冬のお祭りは友達と僕のクラスに遊びにおいで」
 私はうなずく。
 握っていたキャンディーをグッと握りこんで涙をこらえる。
「約束だからね」
「うん、約束」
 そういって笑った彼の顔が私が見たまなとさんの最後の姿だった。

 それから冬が過ぎて、春がやってきて、私は小学生になった。
 まなとさんがいったとおり、春の遠足はあったし、私たち一年生は六年生に手を引っ張ってもらった。
 九九を習う前には足し算や引き算があったし、国語の時間は漢字を覚えた。
 冬になると、クラスでは祭りのことで話がもちきりになり、パンフレットが配られると友達とどこに行くかとか、どう巡るかの話だってした。
 でも、いつまでたってもまなとさんの姿は見つからなかった。
 遠足も祭りでも探せるときはいつだって探した。
 でもまなとさんは見つからず、そのまま一年が過ぎてしまった。
 そして私もまなとさんと同じ、最高学年になって卒業が見えてくる歳になり、過去の卒業アルバムが残っていることを知った。
 もう会えないってわかっているくせに、なんだか諦めきれなくてまなとさんの年のアルバムを見せてもらったりしたけど、やっぱりどこにもまなとさんの姿は写っていなかった。
 まなとさんは小さな頃に見た幻だったのかもしれない。
 そう自分で思い込むしかなかった。

 あれからもっと時間は流れて、まなとさんが憧れていた中学生も過ぎて高校生になった。
 それでも私は未だに秋になるとまなとさんのことを思い出すのだ。
 我ながら諦めが悪いというかしぶといのかもしれない。
「さなえ?」
 カナが不思議そうに私の顔を覗き込む。
「ん? どうかした?」
「そりゃこっちのセリフだよ。急に黙り込んじゃってさ」
「えへへ、ごめん。ちょっとなつかしいことを思い出してた」
「何それ、聞かせてよ」
「教えないよー」
「ずるーい。いつか聞き出してやるんだから。……あ、そうだ。ねぇねぇ、この前二組にやってきた体育の教育実習の先生知ってる?」
「あの男の先生?」
「そうそう。爽やかでかっこいいって有名なんだよ」
「ふーん」
「あーあ、私たちのクラスも持ってくれたらよかったのにねぇ」
 かっこいいか、まぁそれは否定しない。
「ねぇ、カナ。このアメって何味?」
「え、今更? レモン味だよ」
「なるほど、すっぱい訳だ」
 あのときの秋は私にとって淡く甘いピンク色のような色をしていた。
 それからは彼を思い出しては寂しくなる水色の秋。
 あの時もらったキャンディーの包み紙を今でも大切に持っているといったらあの人はどんな反応をするんだろうか。
「ね、今からまなと先生に会いに行ってみない?」
 カナの提案に私はうなずく。
 私はもう、あのフェンスを越えた。
 今年の秋はどんな色になっていくだろう。

フェンスの向こう側

余談 最初、少年殺す気しかなかった。
没った理由 テーマに合わなかった。いろいろと中途半端。

フェンスの向こう側

秋号 ボツネタ。 恋愛物を初めて書こうとして諦めた。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-13

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