招霊機 「逝く処」 2章「黒い影」

 すでに衣替えは終わっているというのに同級生達は半袖シャツの上に黒のブレザーを羽織って並んでいる。
 たくさんの白い菊で飾られた祭壇の上には大きな自分の写真が掲げられている。
 それも願書用のイケてない身なりの写真。
 なにもあの写真を使わなくたって・・・もっと可愛く映っている写真なら他にもいくらでもあるのに。
 杏奈は心底めげていた。
 誰も彼女には気がつかない。
 彼女は長い長い焼香の列のすぐ横で全身傷まみれの血まみれの姿で自分自身の葬式を眺めていた。

 あ、あの子・・・。

 杏奈は一人の少女の傍に近づいた。
 同学年の2組の生徒で肩まで髪を伸ばした美少女―霊能者だという噂のある水月美月という生徒である。
 杏奈は彼女の横顔すぐ近くまで自分の顔を寄せた。生きていれば鼻息が頬にかかる程の距離だ。
 しかし何の反応もない。
 その深い湖のような神秘的な光を放つ瞳は真っ直ぐ前を向いたままだ。
(ふうん。ただの噂だったんだ・・・ていうか)
 また絶望が杏奈を襲った。
(私に力がないってこと、か)
 惨めだ。情けない。
 死んで幽霊になれば、祟りなんてすぐにおこせるものだと思っていた。
 だから殺された直後、佐々木の傍に行き首を絞めたり殴ったり念力をかけてみようと試みたが、全く何の手ごたえもなく彼はぴんぴんしている。
 どうやら祟りというものはちょっとやそっとでは簡単に実行できないもののようだ。
 幽霊でいる期間の問題か生まれつき持っている力量の問題か。怨みが浅いからとは到底考えられない。なんてたって自分は惨殺されたのだ。
 ただ、人に取り憑くことだけはできた。だがそれも取り憑ける人間が母親だけと限られている。
 多分、母親にも犯人を殺したいという気持ちがあり、それにシンクロできるのだろう。杏奈は難なく「入る」ことができたのだ。
 しかし、佐々木殺害作戦はことごとく祖父と父に阻止された。そのうち杏奈自信も、これでは身内に犯罪の責任をとらせてしまうことになる事に気づき憑依を断念した。
(このまま)
 杏奈は涙でかすむ目で、うなだれている家族を見た。
(殺され損?)
 殺された自分ばかりでなく母も父も祖父も一生悲しい寂しい悔しい思いと一時も離れる時なく暮らしていかなくてはいけないのだ。
 自分が死んでしまったことよりも、そのことがずっっとずっと辛かった。
 誰も何も悪い事なんかしていないのに。
 ただ皆それなりに泣きながら笑いながら普通に生きてきただけなのに。
 何故?
 杏奈は唇をかみしめた。

 と、水月美月が立ち上がった。
 
 席を離れ会場を後に歩き出す。
 カツカツと小気味よく綺麗な姿勢で歩く彼女の行き先はトイレだった。
 もちろん、杏奈はそれついて入った。
(え?)
 入口をくぐった杏奈の見た風景は彼女のトイレの個室に入る姿ではなかった。
 腕を組んでトイレ中央に立っている水月美月。
 彼女の瞳は真っ直ぐ杏奈を見ていた。
「何か?」
 凛とした声。
 まったく隙のない美月の気迫溢れる態度に杏奈は正直たじろいだ。
(わ、判るの・・・?)
「あんなに顔近づけなくてもね」
 判ってたって?
(じゃ、なんで・・・)
「シカトしたかって?普通、人前で堂々と幽霊と話しできる?」
 杏奈の咽喉から出かけた責めの言葉が腹の底へと戻っていく。
 だけど、何だ?このぶっきらぼうな口の効き方は。すっごい霊媒ですっごい美人だからって思い上がってるのか、コイツ。
(あの)
「何」
(いつも・・・そんな感じ?)
「どんな」
(その・・・幽霊と話す時、そういう態度ってのは)
 フッ・・・・美月は不敵に笑った。
「人に祟りを成そうっていう霊体にはね」
 ノックアウトだ。杏奈はうなだれた。
(私、殺されたのよ。でも仕返しする力がないのよ・・・やられ損よ!)
 叫んだ拍子に胸の傷から血液が噴出した。
「・・・違うわ」
 美月は悲惨な姿の霊体にたじろぐこともなく告げた。
「それはサイテーじゃなくて、ラッキーなのよ」
 美月の怖いくらい美しい顔がすぐ横に来た。
 同性でもつい見とれてしまう綺麗な目。
「人を呪い殺せば、あんた、それなりの処に落ちる」
 自分の視線が泳いだのを杏奈は自覚した。
「未来永劫、命日・お盆ごとでさえも家族に会えない世界にね。金かけて何十回忌も法事するってのに空振りするって勿体ない話よね」
 重なり重なり襲い掛かってくる昔々からの死後の世界の話。
「あんたは手を下さなくていい。犯人は警察にとッ捕まえてもらいなさい」
 杏奈は激しく首を振った。
(それ、不可能だと思う)
 杏奈はじりじりと後退した。
(アイツ、私に指一つ触れていないんでしょ?だから警察の人が困ってるんでしょ?)
「そこ」
 美月の眼光と口調に力がこもる。
「そこ、聞きたかったの。アンタ、一体どうやって殺されたの?私の義兄は刑事で、この事件の捜査に関わっている。だから何でもいいから教えて」
 杏奈は泣き出しそうな顔で首を振った。
(覚えてない・・・あいつに待ち伏せされて教室で二人っきりになったところまで覚えているんだけど)
 美月は小さくため息をついて俯いた。
 告別式会場で彼女を見つけた時から確信していた。
 木村杏奈は自殺していない、殺されたということを。
 自殺者の霊体は様子が違う。
 自殺者は死んだことを理解できず同じ行動を延々と繰り返すことが殆どである。
 彼女のように意思を持ってあちこち彷徨うことはしないのだ。
 ならば、常識の範囲で殺人の立証の手掛かりになることが聞き出せたなら義兄の圭に伝えようと思っていたのだ。
(これじゃ、警察が見つけだした範囲のことでしかない・・・)
 美月の心中を読んだ杏奈の顔が歪んだ。
(だけど、アイツが私を殺したことには間違いはないわ。私には死ぬ気なんてこれっぽっちもなかったんだもん!)
 杏奈は美月の片手を思い切り握りしめる。
(私が触っているの、解るでしょ?これくらいのことなら出来るのに、どうして佐々木を絞め殺せないんだろう・・・)
「それはね」
 力がこもってくるばかりの杏奈の手の甲に自分の手を添えて美月は言った。
「あなたを護るモノの力があなたを罪に陥れない為に頑張ってるからよ」
(何、それ!守護霊様とか御先祖様って奴?)
「そうとも解釈する霊能者もいるわ・・・だけど、私や養父には、それがその人の魂の一部分に見える。今はあなたの『意思』より『それ』の力の方が勝っているわ」
(・・・て、ことは)
 杏奈の充血した眼がぎらっと光った。
(私の意思が『それ』に勝つことができることもある、というわけね)
「待って!」
 初めて美月は焦った声を出した。
 しまった、いらない説明だった。これでは説得できない。
 杏奈の姿がどんどん後退していく。
 行かせてはならない―残るは呪縛、美月は印を構えた。
 ―しかし遅かった。
 杏奈の霊体は瞬間でどこかに飛んでしまったのだ。

「うううっ」
 杏奈が消えたと同時に美月はトイレに駆け込み激しく一気に嘔吐した。
(『気』が悪くなっている)
 憎しみのあまり木村杏奈の霊体が濁り、魂から異常な『臭気』を漂わせていたのだ。
 思ったより事態は悪い方に向かいつつある。
 もう杏奈は存在するだけで周囲の人間に悪影響を与えてしまうレベルに達している。このままいけば『祟り』を起こせる悪霊に本当になってしまう。
(なのに・・・説得できなかった)
 折角、接触できたのに・・・。
 悔しい。

 
 気がつけば杏奈は葬式の会場に戻ってきていた。
(瞬間移動はできるんだよね)
 役に立たない能力だけど・・・杏奈はまだ続いている坊さんの読経を聞きながら溜息をついた。
 お経で成仏できたらこんなにも辛くて悔しい思いも抱かなくて済むんだけど。

 誰かが肩にそっと手をのせてきた。

 誰?
 
 水月が追いかけてきたのかと杏奈は怖い顔を造って振り向いた。
 だが、そこにいたのは水月ではなく、黒服の背の高い男だった。
 葬式の会場だから黒服は当たり前なのだが思い切りぶかぶかの帽子を深々と被っているので妙な印象を受けた。会場が暗いこともありこれでは顔が見えない。
 男は杏奈に顔を寄せてきた。
 怖い。
 幽霊になった身だというのに杏奈の胸の奥から恐怖の感情が湧いてきた。
 理由は判らない。だが、男から何か感じてしまう。冷たい、血生臭い、何か。
 男は杏奈の両肩を掴み揺さぶった。
「キムラ・アンナ」
 どあつかましく下の名前を呼び捨てにして男は顔をますます杏奈に近寄せた。
 大きな帽子のつばが彼女の額にあたり帽子が持ち上がった。
「・・・!」
 眼下に見えるは銀色のお面。
「リベンジ、イコウ」
 もろたどたどしい機械の音声。
 震えが止まらない。だがとてつもなく惹きつけられる感情が湧いてきた自分がいる。
「・・・あんた・・・何者?」
 銀色仮面がニヤリと笑った、ように見えた。
「ワタシハ、ショウレイキ」

 焼香を済ませ自分の席に戻ってきた美月はあたりを見回した。
 自分にあんなにアピールしてきた木村杏奈の霊体の気配がまったく感じられない。
 あきらめて身内の傍に戻ったのだろうか。
 それにしても存在感がなさすぎるのが引っかかる。
 あんなに怒っていた人がそうやすやすと成仏するとは考えにくい。
 美月は溜息をついた。


 木村杏奈の告別式が終わった頃。
 
 校門の前に一台の車がぴたりと停められていた。
 それを、不審に思った警備員が何の心の準備もなく中を覗いてしまった。
「うわああああーっ!」
 警備員は後方に大きく飛び跳ね、勢いよく吐き戻した。
 
 車内の内部は、捜査慣れした警察関係者も怖気を感じるほどの状態であった。
 凝固した血液まみれの車内に、腹に包丁が突き刺さったままの女性の死体。
 全身、刺し傷だらけで、皮膚が破れた箇所から全ての内臓が飛び出していた。
 車から身元はすぐに検討がついた。
 その車はここ2週間ずっと警察が行方を捜してきた車であった。
 車の主の女性の名前は、佐々木和子。
 重要参考人の佐々木信也の母親である。

「うええええっ!」
 もう、我慢できない。
 現場の学校のトイレに駆け込み、圭はそれまで辛抱していた腹から込み上げてきたモノを思う存分吐いた。
やってしまった。
 悲惨な被害者の遺体の壮絶さに吐き戻してしまうというドラマで定番のあの若手刑事のリアクションをガチでやってしまった。
(匂いがなあ・・・)
 見てくれより、そっちにやられた。
 ざらに二十度後半に突入する、この季節の内臓の腐敗臭。
 口をハンカチで拭い圭は深く深呼吸した。目を閉じれば溜まった涙が頬を伝う。
 いつまでも吐いてもいる場合ではなかった。なにしろ、圭はこの課でも刑事としても新米なのである。
 ふらふらしながら圭は口をすすいで顔を洗った。
「吐いたんですね」
 現場に戻ると検視医がニヤニヤした顔で声をかけてきた。
「・・・大丈夫です」
 ハンカチでごしごし顔を拭きながら圭は努めてはっきりした声で答えた。
「ちょっと、聞いて欲しいことがあるんですがね」
 いかにも柔道かラグビーかプロレスをやってます的な空気の持ち主は山のごとき体をゆすってやってくる。
 その後を体長1メートル程の銀色の筒状のボディのロボットがついてきている。
 警視庁の誇る鑑識ロボットNTP1―21である。それも、この間モデルチェンジしたばかりの最新機種だ。
「どうしたの?」
 圭は検視医の眉間の皺にただならぬ気配を感じた。
「・・・水月さんが新米だからって言うわけじゃないんですが・・・」
 明らかにそれしかないじゃないかと、言うことを口にしながら検視医は大きな四角い顔を圭の耳元に近付けてきた。

「死亡時刻に問題が」

「は?」
 それが何を意味するか掴めない圭は顔をしかめて検視医を見つめた。
「だから、僕とNTP―21との出したガイシャの死亡推定時刻が、です」
 周りの先輩刑事達に聞かれたくないのだろう、目をきょろきょろさせながら早口で検視医は囁いた。
「いや、多少の時刻のズレはでるでしょう?人間とロボットじゃ・・・」
 検視医は肩をすくめてNTP―21の頭をつついた。

「おい、ガイシャの死亡推定時刻は?」
「被害者ノ死亡推定時刻、5月1日21時頃。原因、腹部ノ刺シ傷ヨリノ出血多量」

「ありえないだろ」
 ロボットの分析に圭は思わず鼻で笑ってしまう。
「死亡推定時刻が事件発生の2日前って・・・」
 木村杏奈殺害の後、容疑者の佐々木信也と共に母親の和子も車も行方が掴めていなかった。当然、息子を連れて逃げ回っている可能性があるということは警察はずーっと捜していたのだ。それを、運転手役の人間が事件2日前に死んでいた?
 では、あちこちで目撃情報が寄せられていたこの車は誰が運転していたというのだ。
「機械は所詮、機械なんですね。故障するから性質が悪い。その点、人間のプロの目は確かだ・・・」
「・・・いや。そうじゃなくて」
 検視医の眉間の皺が益々深くなる。

「・・・後に解剖して確認しますが、死後2週間は経っているかと。多少の誤差はでますが5月1日か2日に死亡したと考えられます」
「エエ?」
 圭はまぬけな声をあげた。

 次の言葉を失ってしまった人間達に代わり、NPTP―21が得意気に報告を続けてくる。
「自殺ノ可能性、99%。対象者、腹部ノ包丁ニ本人ノ指紋ノミデス。包丁ヲ自分ノ腹部ニ両手デ突キ刺シタママノ状態で発見サレマシタ。殺害後二犯人ガソノヨウナ姿勢ヲトラセタトモ、考エラレマスガ指紋カラ見テソノ可能性ハ薄イデショウ」
「・・・ありがとう。戻っていいよ」
 力ない声で検視医はNTP―21に言い渡すと、胸ポケットから外国の煙草を取り出して口にくわえた。
「どう、思う?」
「どう、思うって・・・」
 圭は一息ついて自分の考えを提案した。
「見たままの事を報告して、他の検視医にも検視して貰う・・・しかないでしょうね」
「・・・そうだろうなー」
 顔をしかめて検視医は煙を吐き出した。
 そりゃ、そうだろう。プライドが許さないんだろう。
 彼に同情しながら、圭は彼なりの見解を頭の中で巡らせる。
(申し合わせてもないのに最新型ロボットとベテラン監察医が同じ間違いするだろうか)

 もし、他の検視医も同じ見解を出したとしたら?
 佐々木の母親は死んだ後でも車を運転していた、ということだ。

 ありえない。
 刑事としての圭は即否定する。

 だが、実家がゴーストバスター神社の圭は小さく呟く。

 ありえるかも、しれない。

 それが、どういう名の現象かは見当もつかないが。
 
 偶然かどうか解らないが、ここしばらく説明のつかない事件が他の件であった。
 
 一つは×区の無職男性の件と、もう一つ幼児虐待致死の件で仮釈放中の○区の男性の件である。
 この互いに全く関係のない二人の人物が同じ日に同じ場所で殺されていた。
 しかも、それは木村杏奈の死んだ日と一致している。
 ×区の件の被害者男性の遺体は身元判明にDNA鑑定しか使えなかった程ぐちゃぐちゃに引き裂かれていた。刃物も乗り物も使ったわけではなく、ただ強い力で掴んでちぎった、としか言いようのない奇妙な死体だった。
 ○区の件はもっと奇妙だった。
 遺体の状況は×区とは変わらないが、目撃情報がとんでもないものだった。
「子供が男性を引きずっていたのを見た」
 普通なら当然のこと悪戯とするのだが、その情報が寄せられたのは一件や二件ではなかった。
 7件もの同じ情報が、お互いに何の繋がりも持たない目撃者達から寄せられたのだ。

 超常現象、その言葉で調査すれば何かしらの答えが出てきそうな予感がする。

 だけど、圭は職場に父を紹介する気はどうしても起こらなかった。

「で」
 美月のモロに不愉快そうな顔。
「お父さんに言わないで、私になら話すとは、どういうナメた御了見で?」
 兄妹は朝っぱらから汗びっしょりになって社務所の床に座り込んでいた。
―いつまでも本殿に御神体以外のものを置くのもなあ―
 という、 父・和夫の言いつけで本殿に置いてあった銀色ロボットをここまで二人で運んできたのだ。
「ロボットってマジ重い・・・・」
「一体、何キロあるんだ、これ」
 二人は持ち上げて運ぶことは断念して、それぞれ足を一本ずつ持って引きずってきたのだ。
 鎮守の森の木々が噴出してくれる清らかな冷たい空気が境内を満たしてくれたいるというのに兄妹はだらだら汗を流しながら無言で社務所まで辿り着いた。
 やっとのことでロボットを社務所の壁にもたれ掛けさせた時には二人とも疲れ果ててしまった。
 そして、疲労のあまり動けないまま圭は美月に事件の事を話してしまった。
 義妹の憶測するとおり、まともに彼女の見解を仰ごうという気持ちはさらさらなかった
 ただ、愚痴っただけというのが近い。
「答えは、解らない、よ」
 むっとした表情を崩すことなく修行中の義妹は答えた。
「現場を霊視しないと何も言えないし、第一、霊視の結果がでたとしても警察は証拠として取り上げてくれないじゃないの。だから、解答不可能に等しい」
「だ、ろうな」
 予想どおりの答えに圭は溜息をついた。
 だから父には相談できない。
 美月も圭に負けないくらいの大きな吐息をつく。

―アイツが私を殺したことには間違いはないわ。私には死ぬ気なんてこれっぽっちもなかったんだもん!―

(確かに被害者本人から聞いた情報も何の役には立たないんだ・・・)
 これまで何度も味わってきた、そしてこれからも味わい続けるであろう霊媒という職業の限界。
 自然、視界が下方に落ちる。
「あ!」
 美月は開けっぱなしの社務所のドアから見える景色を見て嘆きの声をあげた。
「砂利、ぐちゃぐちゃだ・・・」
 ロボットを引きずってきた後に見事に砂利がえぐれた道ができている。
「直さなきゃ―」
「御苦労さま」 
 そんな美月の肩をぽんと叩いて圭は出て行こうとする。
「ちょおっと待てぇ」
 美月の手が圭のワイシャツの裾を掴む。
「何。用が済んだんだから解散だよ」
「おまえも砂利補修手伝えよ」
「遅刻しちゃうからヤダ」
「それは私もだ」
「俺は社会人、おまえは学生。遅刻の重さが全然違う」
「可愛い妹の内申書がつくのに心が痛まない?」
「全っ然、可愛くねーから知ったこっちゃねーよ」
「実子の養子いびりだ、お父さんに言いつけてやる」
「おまえすぐそれだろ!いつも訳も聞かずに殴られる俺の身になれよ!」
「だったらさっさと手伝う!」
 美月はロッカーから熊手を取り出して圭につきつける。

 プルルルル。

 社務所の電話の呼び出し音が兄妹の会話を止めた。
 美月は圭を視線で縛りつけながら電話に出る。
「もしもし、水月神社です」
 
 美月の視線が圭から離れた。

「はい、はい。どのようなことが・・・」
 もう砂利の整備がどうのこうのという雰囲気ではなかった。
 圭に背中を向けて真剣な声で対応している。
(これは心霊関係の相談だな)
 物心ついたころから見慣れてきた光景だ。
 ならば、これは正式に氏子さんからの紹介された上の依頼であり、圭に口を出す資格はない。
 ということは、それに関しては圭には何もできることはないということで、この場から去ってもよろしい、ということだ。
(俺は間違ってないぞ)
 彼はそおっと社務所を出た。

 この時に電話の主に興味を持たなかったことを圭は非常に後悔することになる。
 
 
 その夜、ある家の前に美月の姿があった。
 その家の木の表札には「木村」と大きく墨で書かれている。
 まだ新しさを残す家をぐるりと囲む庭の手入れの行き届いた植木達も一人娘を失ったこの家の家族同様に力なくしおれているように見える。
 本音をいうとこんな時に「依頼主」の家に訪問するのはとても気が重いのだが美月は勇気を出して玄関のインターホンのスイッチを押した。
『どちら様ですか?』
 中年男性の声が返ってきた。
 美月はインターホンのカメラに顔を近づけた。
「水月神社の者です」
 一礼。
『えっ?』
 驚きの声の後にしばらく聞き取りにくい会話の声が聞こえた。
『どうぞ。お入りください』
 シンプルなデザインの白い玄関ドアを開けると、木村家全員が美月を出迎えてくれていた。
 でっぷりとした貫禄のある大きな顔面の中年男性、杏奈によく似た顔立ちの中年女性、そして小柄で皺くちゃ顔の、それでいても小奇麗さを漂わせている老人。
 美月はもう一度、一礼した。
「水月神社宮司の命で参りました、水月美月です」
「・・・君が?」
 中年男性―木村杏奈の父親、容一がとても信じられないという顔をして確認してきた。
 いくら亡くなった娘と同学年とは思えないような落ち着きのある雰囲気をかもし出しているとはいえ、美月があまりにも若すぎるからであろう。
「ご依頼人の総司様は?」
「おうおう、ワシじゃ」
神社に依頼の電話をかけてきた容一の体半分のサイズの老人は皺くちゃの顔をもっとしわくちゃにして笑って頷いた。
「噂の跡取りのお嬢さんだね。以外とお若い」
美月は微笑んで頷いた。
「ここではなんですので中へどうぞ」
やっと信用できたのだろう杏奈の母、春奈が美月を家の中に招き入れてくれた。
木村杏奈の遺影に美月は手を会わせ冥福を祈り美月は用件を切り出した。
「早速ですが、お電話の件を詳しくお願いします」
 杏奈の家人―父 容一、母 春奈、祖父 総司に一礼し、美月は切り出した。
 だが容一は口をもごもごさせ、春奈はずっと下をむいたままである。
 総司がたまりかねて口火をきった。
「杏奈の幽霊が嫁に憑いてるんですわ」
「・・・そうらしいです」
 半ば恥ずかしそうな表情で容一が妻の方を顎で指し示した。
「いえ、私は全く信じてないんで。あなたには失礼だがショックか何かで異常行動をとると思っています」
 春奈が顔を上げ泣き明かした真っ赤な目で夫を睨みつけた。
「全然、信じてない・・・」
「親を嘘つき呼ばわりしおって!最っ低じゃ」
 容一は大きくため息をついて首をふった。
「いつ頃からですか?」
 不信感ばりばりの容一の態度に動ずることなく美月は質問を続けた。
 その膝にはメッセンジャーバッグから取り出されたモバイルパソコンが乗せられていて綺麗な白い指が忙しくキーをタッチしている。こんな「非」科学的な職業でも正確なデータ収集と保護は大切な作業である。それらは自分自身にも同業者や研究者にとっても貴重な資料となるのだ。今時のまともな霊能者の極々常識的なたしなみである。
 ハンカチを鼻にあて春奈が話し始めた。
「おかしなことはあの子が『殺された』当日から始まったんです・・・」
 美月の指が一瞬、止まった。
(やっぱり、自殺って信じられないんだ)
 自殺の理由が思い当たらない、娘に付きまとうストーカー野郎が行方不明、条件が揃っているのに殺人を疑わない家族なんていやしない。
 

 3人は新しい若すぎる仏の前に言葉もなくただ座りこんでいた。
 どのくらい時間が経過したのだろう。
 春菜が言葉を発した。
「・・・ゴメン」
 夫と舅は春菜の方を見る。
 泣き濡れて充血した眼が虚ろにどんより奇妙な光を放って輝いている。
「どうした?」
 容一が顔を覗きこむ。
 春菜はくいっと顔をあげた。
「ゴメン、レモクヤシイノ」
 呂律が回っていない。
「容一」
 父が声をあげた。
「おかしいぞ」
 春菜は立ち上がった。
 ずる、ずる。両足を引きずり部屋を出て行く。
「おい」
 容一と総司は春菜の後を追った。
 春菜はふらふらと台所に入っていく。
 しばらくガチャガチャという音の後、再びふらふらと台所から出てきた。

 手には包丁を持って。

「おい!」
 容一が叫んだ。
「早まるな!おまえが死んでも杏奈は喜ばないぞ!」
 妻が娘を追って自殺しようとしているのかと思ったのだ。
 春菜の唇がゆっくり動いた。
「チガウ」
「違う?」
「・・・シカエシ」
「シカエシ・・・仕返しか?」
 総司が叫んだ。
「杏奈、か?」
 その問いには答えず春菜は玄関に向かって歩き始めた。
「おい、杏奈!」
 総司は春菜について行きながら尋ねた。
 気味の悪いことに老父の視線は春菜ではなく、彼女の背後の位置に向いている。
「奴の、あのガキのいるところが判るんだな?頼む、おじいちゃんに教えてくれ、おじいちゃんが仕返ししてやるから!」
「何、馬鹿言ってるんだ!」
 容一が妻の腕を掴んで強く揺さぶった。
「しっかりしろ!」
 包丁を急いで取り上げる。
「え?」
 妻は目をぱちくりして頭を振った。
「・・・私、・・・杏奈の夢を見た」
 だけど、どうしてここにいるにか、どうして上腕がやたらと痛いのか判らない。
「どんな夢じゃった?」
 総司が尋ねる。
 春菜は眼を潤ませて答えた。
「杏奈は・・・やっぱり、殺されたのよ」

「ワシには見えるんじゃ、怒っている杏奈の姿が」
 総司と春奈は怖がるどころか眼を潤ませている。
 ただ容一だけが渋い顔をしている。2人の証言をかけらも信じていないのだ。
「で、それは、その1回できりですか」
 美月はパソコンのキーを打つ手を止めずに質問を再開した。
「いいえ、それから毎日です」
「そのたんびにワシと倅で春菜さんを止めるんじゃ」
 当の春菜は瞳を伏せて畳を見つめている。
 止めなくっていいのに。そんな母親の心の声が聞こえる。今、警察でさえ見つけられない犯人の佐々木信也の行方を亡き安奈は知っていて自分を誘導しようとしているのかもしれない。ならば法なんてどうでもいい、娘の仇を討ちたいという親族の願いを誰も咎める事はできない。
 やるせなくて仕方がない。
「1日のうちで、いつ頃その現象が現れますか?」
「まちまちですね・・・夜も昼も」
「時間は決まっていない、と」
「最後にあったのは?」
「最後・・・」
 春菜が首を傾げた。
「そういえば、おじいさん・・・」
「そうじゃ」
 総司が声をあげた。
「今日は何もないな・・・」
 言葉が途切れた。
 美月は顔を上げ無言で周囲を見回す。
「跡取りさん」
 この事態をなんとかしようと昨日の夜、水月神社に電話をかけてきた総司が美月の顔を身を乗り出して覗き込んできた。
「この家に今、杏奈はいますか?」
 きっぱりと美月は答えた。
「いません」
「いない?」
「おじゃましてから探しているのですが気配すら感じません」
 春菜と総司は意外な霊視結果に愕然としている。
 容一だけが怪訝そうな目つきで美月を見ていた。
 人類の大多数を占める「視えない」人々にはあって当たり前の表情である。美月はそういうものに慣れていた。いや、幼い頃から慣れなくてはいけないものであったのだ。
「一体、あの、杏奈はどこに・・・?」
 春奈が夫の膝を叩き、涙声でたずねてきた。
 水月神社の跡取り娘は顔を真っ直ぐ被害者の家族に向けた。
「解かりません。ただ、この家にいないことだけは確かです」
「じゃ、成仏した、のですか?」
「それならいいんですが、彼女は普通の亡くなり方をしていない。まして家族に憑依してまで復讐をしようとしているので、そうとは考えにくいです」
 その顔には厳しい表情が浮かんでいた。
「普通でさえも亡くなったばかりの人が、四十九日も終わらないうちに家からいなくなること自体が異常です」
 美月は先日の告別式での不可思議な現象を思い返す。
 彼女は杏奈の気配が突然消えたのは、ひょっとして家族の元に帰って落ち着いたのかと推測していた。
 しかしここにもいないとなれば、次に挙げられる居場所は犯人の佐々木の潜伏先か。
 
(やばいな)

 そんな素振りはプロとして依頼主の前では決して見せないのだが美月の胸の内は危機感でいっぱいであった。
「いない、ね・・・」
 皮肉のこもった語調で容一が吐き捨てた。
「そりゃ、存在しないものはいないとしか言いようないもんな」
「容一!」
 総司の叱責が飛んだ。
「ワシの顔を潰すのか!わざわざ徳田さんに間に入ってもらってお願いしたんじゃぞ!氏子でもないのに来て貰っただけでありがたいのに!」
「でもさ、親父、こんな訳の解からない事に料金払うのかよ!高いんだろ?」
「お父さん!」
「せこいぞ!」
 当の美月は、容一の言い分に気を悪くした様子もなくにっこりとした。
「ご心配なく」
 二対一で睨みあっていた木村家の顔が一斉にこちらに向けられた。
「私はまだ修行中の身なので謝礼の類は受け取ってはいけないんです。この件が落ち着いたら、うちの神様にお礼に来ていただければ十分です」
 美月は鞄から一枚の紙を取り出した。
「誓約書です。この件に関しては料金の要求をいたしません」
 総司が唸った。
「あんた、なんて無茶なことを・・・!無料でこんな危険な仕事をするなんて」
 霊に関する仕事は霊能者自身にも危険が及ぶ事が非常に多い。時には命がけで霊と対決することもある。だから、謝礼もそれなりの料金を取られるのが普通である。修行中だからと他より安いというのなら判るが、無料とは・・・。
「これ、水月神社(うち)の流儀なんです。早く一人前になってお金を貰おう、って気合が入るから、って・・・」
「あんた、それでいいのかい?」
 見習い霊能者は頷いた。
「スパルタ教育じゃな・・・さすが、水月様」
 神社としては小さくマイナーな存在なのではあるが有能有名な霊能者を数多く輩出しているだけのことはある。
 この孫と同じ歳の跡取りの少女とて、金目当てだけで厳しい命がけの修行をしている訳ではなさそうだ。
(判らんか、容一。一人前になれなければ死んでもいいという、この心意気を)
 総司はいたいけな美月の生き様に心を打たれつつも、「無料」の声でかなり心が動かされたらしい情け無い息子にあきれていた。
「では、これから杏奈さんを探します」
「今からぁ?」
 誓約書から顔を上げた容一の声が裏返った。
「もう夜も遅いし、女の子が外をうろうろしたら危ない」
「ご心配なく」
 綺麗な目をぱちくりさせて水月神社の跡取りと呼ばれる少女はさらりと答えた。
「ここから探します」

 美月は腕時計を見た。
 9時少しすぎたところ。
 木村家の玄関の前に立ち、深呼吸して目を閉じる。
 精神を集中して『木村杏奈』を『探す』。
 背後では木村家の人々が玄関のインターホンのカメラで彼女の行動を固唾を呑んで見つめていた。

 息を吸ったり吐いたりしながら美月は夜の『気』と同化していく。
 意識が街の気配と同じになったところで、体中の『神経』を伸ばして『異種の気』を探す。
 いつものようにイメージを造り上げ美月は遠隔霊査を始めた。
(早く見つかりますように)
 水月の神様に祈る。
 広範囲の霊査はエネルギーの消耗が激しく短時間しかできない。
 しかも杏奈の霊を発見した後には一合戦が待ち構えていることが予想される。できるだけパワーを温存しておきたいのだ。
(最長15分。それ以上は・・・)
 
 『それ』は異様に早く、美月の『神経』に触れた。
 
 美月は目を開け息を呑んだ。
「・・・!」
 月のない闇夜。
 街の灯りのせいで星すらもまばらにしか見えない街の空に、のびあがる黒く大きな人影。
 ミニスカート姿の巨大な女性の形の影が薄暗い街を歩いている。
 付近に建ち並ぶ住宅の屋根を軽々と見下ろせる大きさになってしまった『木村杏奈』の影がゆらゆらと音もたてずに歩いてゆく。
 顔も着けている制服の色も全く判別できない正真正銘の黒い影。
 あれだけ超ド級にデカければ見つけ出すのも早いワケだ。
「あそこに」
 カメラのモニターの中の美月が、こちらを向きながら東の方向を指さした。
「さすが。こっちが見てるのを判っていたんじゃな」
 総司が肩をすくめた。
 木村家一同は外に出た。
「ご家族の方がよく見えるかも。あの辺です。正確な場所はまだ掴めていませんが」
 もちろん視えない容一は何もコメントができない。
 しかし、妻と老父は違った。
「杏奈!」
「おお!」
 祖父は身をのけぞらせ、妻は膝から地面に崩れ落ちた。
「では私は彼女を追跡しますので家でお待ちください。危険ですので決して追いかけてこないで下さい。連絡はお祖父さんの携帯にします」
 静かで落ち着いた口調でそう言い残すと美月は杏奈の影の方向に駆けて行った。


 確かに杏奈の影はゆっくりゆらゆらと移動していた。
(方向は間違ってない)
 その証拠にだんだん影が大きく見えてきているのだ。
(でも、どうして・・・こんなでっかい影なんかに?) 
 幼少の頃から数え切れない程の霊達と対峙してきた美月でも、この異常な霊の形は初めて見た。
 若くして世界中の誰も認めない不条理な理由で若い命を奪われた杏奈の無念さの現れなのか。
(判るんだけど、復讐にはペナルティがあるのよ、木村さん。トイレでも言ったのに)
 師でもある養・和男に教えられた。
 いつもはおちゃらけている養父が珍しく真面目な表情になり、そんな話をした。

「死者には『逝く場所』がある」

 それは一つではなく無数にありとあらゆる場所あらゆる世界があり、それぞれの魂がそれ相応のふさわしい場所に逝くのだと。
 だから杏奈の衝動からくる行動の結果は、本当に『割が合わない』ことなのだ。
 早く木村杏奈に追いついて解かってもらわなければ。
(いや、解ってもらう。解らなさなければ・・・私にはその責任がある)

 もしかして、それは気負いすぎなのかもしれない。
 仕方のなかったことかもしれない。
 でも、後悔の気持がどうしても湧いてくるのだ。

 それは先月、入学したての頃。
 初めて回ってきた日直の仕事で帰りが遅くなってしまった日の出来事だった。
 相方の男子は仕事が終わるとそそくさと部活へ向かって行った。
 神社の業務があるので帰宅組の美月は一人、帰り仕度を済ませて教室を後にした。
 4階にある1年生の教室5クラスを階段に向かってどんどんと通過していく。
 静かだった。やけに。
 運動場からは部活中の生徒達の声が聞こえてくるが、この階だけは不気味なほど静かであった。
「・・・?」
 静けさの中に、美月はさっきまではなかった気配を感じた。
 廊下に充満する邪気すら感じてしまう重くどろりとした空気。
 早くここから立ち去されという他人の神経をチクチク刺してくるような雰囲気。
 何か自分の存在自体を弾き飛ばすように背後から吹き付けてくる冷たい気配。

 自然な空気ではない。
 
(参ったな)
 美月は学校では閉じている『感覚』を少し開いた。
「うっ」
 とたんに眉間あたりに襲い来るどしりと重たい圧迫感。
(マジ?)
 夥しい数の死霊の気配が廊下全体に溢れていた。
(学校っていうより墓場だわ)
 普通の人間がその場にいるのは危険すぎる量の死霊であった。
(何故、こんなところにここまでたくさんの死霊がいるの?)
 真っ先に頭に浮かんだのは誰かがコックリさんかなにかして不用意に呼んでしまったのか?である。
(もしそうだとしたらなんて馬鹿なことを・・・また、こんなにたくさんもの・・・)
 美月は鼻息荒く、根源を探し始めた。
 ここまでひどければ、父の加勢も頼んで本格的に祓わなければいけないかもしれない・・・怒りに燃えた美月の『感覚』はすぐに噴出源を発見した。
 1年4組。ここからだ。
 ガラッ。
 勢いよくドアを開ける。
「・・・え?」
 教室の中に一人、いた。
 窓の外に上半身を乗り出した男子生徒。
 片足がサッシに掛けられている。
 
 どう見ても飛び降り自殺敢行の寸前。

「あのっ・・・」
 美月はとっさに話したこともない男子生徒に声をかけた。
「も、もしもし・・・?」

 男子生徒の上半身が教室側に戻った。
 切れ長の目の顔色の悪い少年。別クラスなので美月は彼の名前は知らなかった。
「あの・・・間違ってたらごめん、もしかして・・・飛び降りるのかなあ、なんて思っちゃったんで」
 美月はできるかぎりの笑顔で、ほがらかに話しかけた。
「何があったんだか知らないけど自殺は駄目だと思う、よ?」
 いつもの自分より数百倍、愛想のいい声で。
「放っといてくれない?」
 死の直前なのに夢見るようなぼんやりとした少年の表情。
「あんた、俺の友達でもなんでもないでしょ、水月さん」
 おい。なんで私の名前知ってるんだ、こいつ・・・多分、99.9%の初対面の人間が印象悪いと思わせる愛想のなさすぎる少年の顔を美月はまじまじと見つめた。どう記憶を探っても絶対、こいつとは今日の今が初対面だ。
「あんた、あの水月神社の子の水月さんだよね。有名だよ」
 自分から言ったこともないのに、そういう情報はちゃっかり早く広がるもんだな。
 美月は少しうんざりする。
「私がどこの誰であんたとどういう関係であろうと、眼の前で自殺は止めてもらえるかな気分悪いし」
 感じの悪すぎる少年の態度に、いつもの口調に戻る美月。
「じゃ、行けよ。その後するからさ」
「行けるか」
 だんだん腹が立ってきた。
「あんた」
「佐々木。アンタって呼ぶな。偉そうに」
 驚くほど高い所から喋っているのはお前だろう。人との話し方、知らないのか。
「じゃ、佐々木・・・君。その水月神社の人間だからアドバイスするけど、人間自殺したらどこにも『逝けない』わよ。永遠に自殺した現場で自殺した時の行為を繰り返すだけになっちゃうのよ。誰にも永久に会えない、それでもいいの」
「知ってるよ」
 佐々木の目が初めて美月を見たのが解った。
 なんだか、ぞっとする目つきではあったが、美月は我慢して目をそらさなかった。
「・・・あんた」
「佐々木君だ」
「佐々木・・・君は永久に二度と誰にも会えなくていいの?」
 少しの間をおいて、彼は呟いた。
「そういえば・・・そうだよな」

 たんっ。
 佐々木の両足が教室のリノリュームの床に着いた。
「やあめた」
 その口元には微笑みすら浮かんでいた。
 
 ほっとする美月。
 解ってくれたようだ。
「何、悩んでるんだか知らないけど、友達とか先生とか親とか思い切って相談した方がいいよ」
 彼女のアドバイスに答えもせず、佐々木は自分の席にさっさと移動し鞄を肩に掛けた。
 
(何だ、こいつ)
 美月は、ムッとする。
 普通、自殺を止めてくれたら「ありがとう」じゃないのか?別に感謝して欲しいから止めたのではないのだけども。いや、あんな初歩的な説得にすぐに応じる態度にも正直拍子抜けした。
 こいつ、本当に自殺したかったのか?
 初対面の同級生に呆れられているのも伝わっていないらしく、佐々木は足取りも早く教室の入口へ向かった。
(あほらしい。もう関わらないぞ)
 美月も彼の後に続く。一刻も早く、彼から離れたかったのだ。
 
 佐々木がドアの所で足を止めた。
「あんた」
 さっき自分がそう呼ばれるのを嫌がった呼び方で美月に話しかけてきた。
 美月は歩みを止めず彼を抜かして教室を出た。

「さっき、『視た』んだろ?だから、俺を見つけられたんだろ?」

(あ・・・)
 自殺騒動でぶっ飛んでいた。

 廊下中に満ち溢れていた、正体不明の邪悪な死霊の気配。

「あんた・・・いや、佐々木君・・・」
 だが、佐々木は彼女の問いに答えることなく、だっといきなり走りだしあっという間に階段を降りて行った。
「コミニケーション能力ゼロだわ、あいつ・・・」
 残された美月は、もう一度、感覚を研ぎ澄ませる。

 さっき、あんなに感知できた邪悪な気が跡形もなく綺麗に消え去っていた。

(あの時、私が自殺を止めなければ・・・いや、せめてあの変な『気』を追跡していたら、木村さんは殺されることはなかったのかも)
 人間として当然の事をしたというのに、悔やんでも悔やみきれない結果になってしまったのだ。
 あの時、佐々木を死に向かわせた原因は、木村杏奈への思いが叶わなかったことではないのか。
 そして杏奈の命を奪った原因も、あの不気味な『気』が関わっている可能性だってあるかもしれないのだ。
 そう思うと益々、杏奈とその家族に申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。
 だから、せめて杏奈には罪を負わせたくない。
 

「おい」
 リビングのソファの上でうたた寝を満喫していた圭は父の声で起こされた。
「・・・ふぁい?」
 天井を背景に、珍しくニヤけていない父の顔。
「美月、どっかに出かけたのか?」
「ああ?」
 圭は眼をこすりながら身を起こす。
「知らねえよ」
 そういえば、ここ数時間、あのうるさい声を聞いていない。
「部屋にいないの?」
「いない」
「風呂にも?」
「ああ」
 だんだん眼が醒めてくるうちに圭は父の顔色が悪いことに気がついた。
「何も言わないで出かけたのか?アイツ」
「・・・だろうな」
 ただ事ではない事が起こりつつある・・・圭は携帯を手にする。
 言うこと聞かない暴れん坊義妹ではあるが、家族に声もかけずに夜に出かけるという事はしないケジメは持っている女だ。
「無駄だ。携帯は社務所に放置していた」
「ええっ?」
「GPS追跡もできないんだよ」
 水月神社、宮司は荒い呼気と同時に言葉を吐いた。

「オマケにあの馬鹿娘、三日月丸を持ちだしている」
「えええっ!」

 三日月丸、満月丸、十六夜丸。
 この三振が神社に伝わる霊刀だ。

 いつもは床の間に設置している金庫に保管していて、浄霊・徐霊時に取りだして使用する。
「本当だ・・・ない・・・」
 残り二振りの刀のみの金庫の中身を凝視しながら圭は呟いた。
「泥棒?」
「いや、ないのは三日月丸だけだ。十六夜丸も満月丸もちゃんとある」
「て、ことは」
「美月は三日月丸しか使えない」
「・・・持ち出して外で幽霊退治か?」
 父に視線を移した圭の目が丸くなる。
「そういえば」
 今更ながら思い出した。

「親父、なんでここにいるの?」

 今度は父の目が丸くなる。
「は?」
「いや、久し振りの出張浄霊は?いつ?今日?」
「はあ?なんだ、そりゃ」
「え?まじ?」
「だから、何を。訳が判らんぞ」
「いや、だから、誰だか知らないけど、徐霊かなんか依頼があったんじゃないの?」
 しばし、言葉を失う父。
「・・・いや、ない」
「え?俺、例の招霊機ってロボットを社務所に運び込んだ時に電話あって、美月が受けたんだ・・・けど」
 まさか。
 父息子は同じことを思って顔を見合わせた。
「あいつ、一人で浄霊に行きやがったな」
 父が声を絞り出す。
「どこに」
「判らん。圭、おまえ知らないか?」
 圭は首をぶんぶんふった。
「・・・いや、まだ、徐霊に行ったって決まったわけじゃないし」
「真剣持ってお散歩か?人斬りか、徐霊しか考えられないだろ」
 一部物騒なことを口走る父。
「三日月しか使えん未熟者のくせに!」
 怒る父親に圭はおずおずと尋ねた。
「そんなにやばいことなの?一人で徐霊って・・・」
 でかい態度の憎まれ口叩き女ではあるが、圭は義妹の能力は素直に評価していたのだ。そんじょそこらのチンピラ霊感少女が束になってかかろうが到底、美月の足元にも及ばないと信じているのだ。
「もし、対象が三日月丸でも斬れない霊体が相手ならば、な。ヘタすりゃあいつが返り討ちにあう可能性は十分ある。そうなりゃ廃人かお陀仏だ」
「三日月丸に斬れない霊・・・?」
「そうだ。三日月丸では斬れないレベルや数の霊体だ」
 圭の心中に後悔の念が大波のごとく押し寄せてきた。
 あの時、砂利掃除から逃げ出さなければ、いや、電話を俺がとっていたら・・・。
 

 まずい・・・美月の胸の底から危機感という感覚がむくむくと込み上げてきた。
(木村家で本人を説得するだけで済むと思っていたのに・・・何、これ、嫌な感じ)
 人の形の小さなビルほどの巨大な真っ黒い影を見上げながら追いかけている―己のしている奇妙な行動に確信がもてなくなってきた。
(これ、本当に木村さん?)
 近づくつれ、だんだん、自分の判断に疑いの気持ちが出てきたのだ。
(て、いうか、これは・・・)
 その疑いは近づけば近づくほど確信へと変化していく。
 
 人間の魂の気配がしない。

(この気配は―)


その頃、社務所に放置されていた「彼」も、その存在を確認していた。
「現、地点・・・カラ・・・北・・・北西・・・4.2、キロ。巨大、エネルギー、確認」
 人工頭脳の中でビジョンが明確に形作られてくる。


(これは)
 美月は確信した。
(動物霊だ)
 子供の頃から嫌というほど視てきた奴ら。
 眼の前の巨大な女性の影から奴ら独特の鼻粘膜を突き刺す刺激的な臭気が発せられている。
(木村さんの霊体じゃなかったってか?)
 美月は自分の迂闊さを責めた。
 世の中、霊というのは「木村安奈」だけではない。その念の大きさ深さが強烈だから形が女子高生だからと、それを彼女だと決め付けたのは浅はかな判断であった。
 美月の足が止まった。
(動物霊にしてはでかすぎる。これじゃ化け物だ)
 これまで彼女が相手にしてきたのは、あくまで他人や場所に取り憑いた一個人の人間やら少数動物霊の霊魂という単位である。
(正直、未経験。やばい・・・どうする?)
 この巨大霊について、今回の件との関連性も正体も目的も確定できない。
 だが、こんな凄まじい瘴気を放つ霊体に遭遇して知らん顔で放っておける訳がない。
(いく、しかない)
 両足を揃えて姿勢を正し、息切れする呼吸を急いで整え、両手を組む。
 こんなデカイ霊体はメッセンジャーバッグの中の三日月丸、一本だけで対応できるわけがない。
「ヒフミヨイムナヤコト・ヒフミヨイムナヤコト・ヒフミヨイムナヤコト・・・」
 呪文を唱えながら手を前後左右に動かす。
 最後に右手を挙げて一気に振り下ろす。
 ゴオッ!
 大気の塊とも重力の塊とも説明のつかぬ巨大な光の球が美月の手から巨大な影に発射された。
 
 どおん。
 光の球ー霊波動は、巨大な影の腹に大穴を開けて貫通した。
 穴の向こうに今日の満月と星が見える。

「え?」
 きれる息の最中に疑問符の声があがる。
 
 巨大な影は何事もなかったかのように立っている。

「ええーっ?」
 せっかく開けた穴も、見る見るうちに閉じてしまった。
 人生最大の気合を入れて発射した霊波動は効かなかったのだ。
「マジ?」
 だが愕然としている場合ではなかった。
 それまで進行方向しか見ていなかった巨大な影の顔面にあたる部分がゆっくりこちらに向けられたのだ。
「ひ・・・!」
 黒い巨大な塊が急に進行方向を変え美月に覆い被さってきた。
「うわあああーっ」
 急速に闇空間へと呑み込まれる恐怖の中、美月の視界に妙な光景が飛び込んできた。
(斑模様?)
 影を構成する闇に濃い部位と薄い部位がある。
 濃淡の場所は固定していない。
 ひっきりなしにグルグルと不規則に影の中を異動している。


 
 とにかく、徐霊の依頼主を割り出すのが先である。
「圭、何か思い出せないか。あいつ、電話の主の名字とか言ってなかったか」
 圭はウーンと唸りながら首を傾げる。思い出せない。というか、急いで逃げ出したので、そんなこと聞いているはずがなかった。
「・・・社務所にメモでも残してないかな」
 水月父子は部屋をとび出た。
 

 自分の手が見える・・・美月はホッとした。視力を失ったわけではない。一段と暗い場所―木村杏奈の影の中に入ってしまったのだ。
 付近にあるはずの住宅も、足元の舗装道路も、わずかに星が瞬いているはずの夜空も何も見えない。
 闇―光が届かない、真の闇が美月を取り囲んでいる。
 それでも、「視える」ものは「視える」―早速、美月は周囲を見回した。
 びゅっ!
「うわ!」
 美月の顔の真ん前を黒い塊が唸りをあげて通過した。
 彼女の人並み以上の動体視力は、それが何かをすぐにとらえる。
「うぐっ!」
 ネズミ。
 灰色のでかい、いわゆるドブネズミ。
  さすがにちょっとひるんでしまった美月に第二、第三のネズミ達が休みなくぶつかってくる。
 美月は印を切り結界を張った。
 ばしゅ!ばしゅ、ばしゅばしゅ・・・!
 結界にぶつかり赤い火花あげて跳ね返されるネズミ達。あきらかに「生きている」獣ではない。
「うわ・・・」
 美月は声をあげた。
 結界の外では夥しい数のネズミがぐるぐると渦巻いて飛び回っていたのだ。
(まさか・・・こいつらが影を形作っていたってことか?)
 どうりで霊波動が効かないはずだ。
 こんなに数があれば命中したって全体の僅かな数しかぶっとばすことはできない。すぐ修正されてしまう。
 しかし何の為だ?
 何のつもりでネズミの霊体がこんなにたくさん集まってるんだ?何故、集まって木村杏奈のものと見まごう影を形成したのだ?
 だが今は考えている猶予などない。
 明らかに敵意と殺意を持っているこいつらが、いつこの結界を破ってくるかわからないのだ。
 美月はメッセンジャーバッグから短刀を取り出した。
 短刀の柄には「三日月丸」と彫りこんである。
 この水月神社に伝わる神刀で自分の身を守るしかない。
 口の中で祓の詞を唱え、帯刀を頭上に掲げ上げ美月は刀身を抜き出した。
 
 青白い光を放ち、帯刀が長身の刀へと変化する。


 

 圭が擦れた声で囁いた。
「あいつ、メモごと持っていってるよ」
 電話の傍のメモがなくなっていた。
 それからは、水月一家の社務所捜索が始まった。
 いつもは整然と片付いている社務所がどんどん見事に散らかされていく。
 しかし、美月は何一つ手掛かりを残していなかった。
「・・・見事な証拠消しだよ」
 圭はしゃがみこんだ。
「電話の着信履歴まで消してやがる・・・いよいよ一人で行きやがったな」
 父もしゃがみこんで頭を抱えている。
 圭はポケットから携帯を取り出し、壁にもたれて脱力している父に言った。
「捜索願いだすよ。いいね?」
 虚ろな表情で父は頷いた。
「いいけど、な」
「何だよ」
「見つからないかもな」
「警察舐めんなよ」
「そういう問題じゃない」
「どういう問題だ」
 イラつく圭を父は眼球だけ動かして見つめてきた。
「俺たちに、いや、この俺に気づかれないよう美月が神刀を持ちだして外部に出る事ができた。普段ならそんなことは不可能だろ?」
 社務所捜索で上昇していた体温が一気に下がるのを圭は感じた。
 強い気を放つ神刀が移動して父が何も感知できないはずがないのだ。
「水月様が俺の感知能力をブロックして美月を庇って行かせたとしか考えられない」

『水月様』。

 神社に祀られている神を家族はこう呼んでいる。
「・・・じゃ、さ。このままあの馬鹿を放っといて探さなくてもいいってことか?」
 父の眼球目掛けてガンを飛ばしながら圭は吐き捨てた。
「それって、アンタ達霊能力者だけの理屈だ。俺は普通の人間のやり方でいかせてもらうよ」
 圭は携帯のボタンに親指をかけた。

 ピピピピピ・・・。
「わっ!」
 着信だ。
 だけど、その着信音は彼の設定したものではなかった。こんな平凡極まりないつまらない着信音、設定した覚えはない。
「ええ?」
 しかも、画面には送信主の名前も携帯番号でも非通知通信の表示も、いつも圭が設定している巨乳のグラビアアイドルのフォトも何もでなかった。
 ただのまっ白い画面。
「故障かよ!」
 こんな時に。圭は苛立ちつつ携帯を切った。 

 つもりだった。

 ピピピピピ。
「・・・!」
 切れない。
 ピピピピピ。
 何度ボタンを押そうが切れない。
 電源ボタンすら効かない。
「どうしたんだよ、これ・・・・わっ!」
 突然、圭は携帯を放った。

「何してんだ」
 父が力ない呆れ声を出す。
「い、いきなり、画面が出た・・・」
「はあ・・・?」
 こんな時に掛かってきた携帯ひとつで何をびびりまくってるんだ、大の男が。
 父は身を乗り出して息子の深いメタリックグリーンの携帯を覗きこんだ。

「う・・・・!」
 今度は父が声をあげた。
 携帯の画面にどこかしらの景色の動画が映し出されていた。
 ノイズがしょっちゅう走り、とても見にくい。
「これ・・・」
 それでも、父にはどこだかすぐに判った。
「これは水月(こ)神社(こ)の鳥居じゃないか?」
 水月神社宮司、水月和夫を唸らせたのは、映し出された風景ではなかった。
「なんだ、この気配は・・・」
 携帯なのに嫌な『気』がびんびん伝わってきている。

 鳥居。その向こう眼下にに広がる夜の街。
 そして。

 携帯の画面の中には黒くて巨大な女の影がゆらゆらと足元の建造物の間を歩んでいる。
 
 二人は社務所を飛び出した。

「あっ」
 まず父が声をあげた。
「えらいこっちゃ」
 鳥居の向こうに広がるのは静かな夜の街。
「何だよ」
 父は見事に息子の問いかけを無視して霊能者モードに入っている。
「もしかして美月はあれを追っかけているんじゃないか?」
 おいおい・・・圭はうなだれて頭を掻きむしった。
「俺には見えない・・・」
 きっと父はこの中の画面を肉眼で見ているのだろう。
 頼りは得体の知れない携帯の画面だけ。
 誰から送られているのか判らない非常に気味の悪い代物だが見なければ埒が明かない。
「親父、行こう」
 圭は父に告げた。
「なんか視えてるなら位置も解るだろう?行こうよ」
 父は無言である。
「俺、車出してくる」
 そんな父親に構わず圭は車庫に向うべく足を踏み出した。

「ぐっ!」
 急激に視界が下へと移動する。
「ぐあーっ!」
 三十近い男が無様に地面に顔面を打ちつけた。
「うあーっ!」
 自分の感覚を信用すると、一歩も歩きださないうちに誰かが自分の両足首を掴んで引っ張ったのだ。
「親父いいいい!」
「俺は何もしてないよ」
 そうだ、確かにそうだ。クソ親父は俺の足を掴める距離にはいない。
「誰がやったんだろうなー」
 その、殆ど答えを言っている父の白々しい声に、圭は振り向いて自分の足首を掴んでいるモノを確認する気も失せた。
 どうせ、自分には視えないだろうし。
「邪魔するってか・・・アンタ、それでも神様かよ!」
「罰当たるぞ、怖っ」
この腹立たしい気持ちを父にぶつける台詞を脳内で検索している圭の耳に新たな刺激が侵入してきた。

 ジャリ・ジャリ・ジャリ・ジャリ。

 砂利を踏みしめる音。

 自分たちの後ろには誰もいなかったはずだ。

 圭は立ち上がった。
 腹の立つことに外に出る気持ちがなければ自由に動ける。

 ジャリ・ジャリ・ジャリ・ジャリ。
 だんだん近づいてくる。

 だが正体の知れないモノの接近に恐怖が先走り顔を上げられない。

 だが。俺は刑事だ。
 びびってやられでもしたら末代までの大恥だ。
 
 圭は体中の勇気を振り絞って顔を上げた。

「うわあっ!」

 圭の目の前に、あの銀色ロボットが立っていた。

「・・・動いた?」
 ジャリ・・・銀色ロボットの足がジャリ石に踏み込む。
「なんで動きだした?」
 唖然とする圭を横切り招霊機は歩み続ける。
 50年前にできたというロボットというのに動きがスムーズで古いロボットにありがちな部品の軋む音もまったく聞こえない。
「おお」
 近づいてくるロボットに和夫は声をかけた。

「やっと、起きる気になったか」

 銀色ロボットは、父の問いかけに答えることなく鳥居の方向を指差した。
 
 圭は呟いた。
「この画像、もしかしておまえが送ってきた、とか」
 送信元のこいつが近づいてきたから画像が鮮明になった、そう解析するのが自然である
 だが、銀色ロボット―招霊機は圭の疑問に答えることなく歩き出した。
 ジャリ、ジャリ、ジャリ・・・。
 鳥居に向かっている。
「おい」
 父が呼びかけた。
 ジャリ。
 銀色ロボットの歩みが止まる。
「アンタ、あのデッカイ黒い奴の処に行くんだよな」
 しばし、ロボットは父の顔をじっと見つめた―見つめているようだった。
「圭」
 父の声がいつになく厳しい。
「金庫から十六夜丸を持ってきて、この人に渡してくれ」
「え?ロボットに、神刀?」
「美月に渡して貰うんだよ」
「・・・って・・・あいつには無理だろ?俺達が現場に行く方がよっぽど・・・」
「それができねぇってことはテメエも承知だろ」
 父の気迫に圭は逆らうことができず気が進まないまま、それでいても大急ぎで十六夜丸を取りに走った。
「頼むぜ、ロボットさんよ」
 水月神社の家紋を染めつけた白い布に包まれた帯刀を銀色ロボットは受け取った。
「もし、あんたが口を利けるんだったらアイツに伝えてくれ」
 父の口から残酷な言葉が吐きだされる。
「今を乗り切れないのなら、美月。お前は死んだ方が幸せだ、とな」

「・・・親父・・・?」
 普段の養子贔屓の養父の姿はそこにはなかった。

 助けはしない。
 助けたいのだろうけど。
 霊媒修行中の巫女とその師匠の関係だけを何のためらいもなく父は選んだのだ。
 圭も、また父の選択を責める言葉を探し出せなかった。

 だけど圭の両手が固く握りしめられる。

 大きくてがっしりした圭の手から、ロボットの銀色の手に十六夜丸が手渡された。
 ビュッ!
 空気が振動した。
「わっ!」
 声をあげ終わった時にはもうロボットの姿は無かった。
「アイツが動き出した。ならば相手はそんじょそこらのチンピラ悪霊じゃねえという証拠だ。対少数霊魂用の三日月丸じゃ埒があかねぇ」
 誰もいない空間を見つめながら呟く父。
「っ、だから何なんだよ、アイツ。招霊機ってそんなに信用していいものかよ」
 圭は髪を掻きむしり唸る。
「アイツなら出来る」
「根拠はぁ!」
「アイツ、水月神社から出られただろ?」
「・・・・」
「アイツもまた、この水月神社に呼び寄せられている。まただ。そうじゃねーか?」
「また・・・って・・・」

「9年前、美月をここに連れてきたのはアイツだ」

「え?」
 圭は顔をしかめる。
「それって長髪の金髪の外人さんだったろ?」
 インパクトが強かっただけに忘れる事ができない。
「ルックス全く違うんだけど」
「気配が一緒だ」
(このオッサン機械(ロボット)の気配まで読むってか?)
 普段はふざけたオッサンとしか見えない父に対しての驚愕と敬意の感情が不覚にも圭の胸中に沸いてしまった。
「ひょっとして最初から気がついていたとか・・・だったら何で言わないんだよ。美月が恩人だからって一所懸命あの外人さん探してたのを知らないわけないだろ?」
「奴さん必死で自分の正体隠そうとしてたからな。本人がその気になるまで猶予を与えたんだ」
「何故?」
「・・・還ってきたくなかったんだよ、水月神社(ここ)に。隙あらば逃げ出そうと思っていたんだろうな」
 だから、俺に修理させるふりして見張らせたり、防犯ビデオのある社務所に置いたりしたりしたのか・・・圭は父の無茶ぶりな云いつけの理由を今知った。
 だけど。
「だけど、どうしてたかが機械にそんなに気を使うわけ?」
「確か先代がこう言ってたような気がするんだ」
 父の口元が緩んだ。

「本当の招霊機には『心』がある。『心』がない招霊機なんてインチキだ、ってな」

招霊機 「逝く処」 2章「黒い影」

招霊機 「逝く処」 2章「黒い影」

被害者の木村杏奈が美月の前に現れます。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-04-18

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著作権法内での利用のみを許可します。

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