コンビ解散

 カネの切れ目が縁の切れ目とは、よく言ったものだと怜次は思った。あれほどうるさく付きまとっていた取り巻きが、怜次の懐具合が淋しくなるにつれ、一人減り二人減り、ついには誰もいなくなってしまったのだ。そして、気がついた時には、億を超えていた印税収入もゼロになっていた。
 元々怜次は売れない漫才師であった。それが、自分の生い立ちを面白おかしく書いた本がベストセラーになってしまったため、生活が一変した。いきなり一生遊んで暮らせるだけのカネが転がり込んできたのだ。ちまちまと寄席に出るのがバカバカしくなり、度々舞台に穴を開けるようになった。
 ついに、出入り禁止を言い渡された時、相方の三治は寄席の支配人に土下座したが、怜次はプイッと横を向いていた。それがますます心証を悪くしたようだ。手荒な連中に寄席からつまみ出された。
 二人で借りていたアパートへ帰る道すがら、呆然と歩いている三治に、怜次は悪びれもせずにこう言った。
「ふん。あんな貧乏くせえ寄席なんか、こっちから願い下げだ。当分はテレビ中心にやって行こうぜ」
 三治の顔に、今まで怜次が見たことがないような表情が浮かんでいた。
「おい、それ、本気で言ってんのか」
「ああ、マジさ。これからは、テレビのバラエティーにでも出て、ちょこっと気の利いたことを言えばいいだろ。別に生活には困らないんだからさ」
 三治はものも言わずに殴りかかってきたが、学生時代にボクシングをやっていた怜次は軽くよけた。
「危ねえじゃねえか。おれが本気出したら、ケガすっぞ!」
 三治は肩で息をしながら「やってみろよ!」と言ったが、怜次は鼻で笑った。
「やめとくよ。金持ちケンカせず、だ。それより、腹減ったな。焼肉でも喰おう。奢るぜ」
 三治は力なく首を振った。泣いているようだった。
「ちくしょう!おれはただ、漫才がやりたいだけだ!」
 走り去って行く三治をみながら、怜次は西洋人のように肩をすくめた。

 それ以来、怜次は別にマンションを借りて住むことにした。時々アパートを覗きにいったが、三治は開けてくれず、しまいには怜次もキレて「それなら、解散だ!」と叫んだ。そのまま帰りかけたが、ふと思いついて封筒を買い、ヘタクソな字で『手切れ金』と書いた。その中に百万円の札束を突っ込むと、三治の部屋の前に戻ってドアの新聞受けから中に押し込み、「あばよ!」と捨て台詞を吐いた。
 その後、怜次は芸人としての仕事をほとんどしなくなり、毎日取り巻き達と豪遊した。三治は一人で寄席の舞台に立ったり、テレビに出たりしていたが、必ず「星空怜次三治の三治です」と自己紹介していた。一度など、意地の悪い司会者から「相方はどうしたの?」と聞かれ、笑顔をゆがめて「風邪ひいて休んでます」と答えていた。司会者は「ずいぶん長い風邪だねえ」と笑った。
 それからも、三治は少しずつテレビの仕事が増えて順調そうに見えたが、常にその表情には陰りがあった。
 そんなある日、仕事を終えた三治がアパートに戻ると、部屋の前に怜次が立っていた。怜次は三治を見て、ぎこちなく笑った。
「やあ」
 三治は答えず、ドアを開けた。
「なあ、久しぶり、だな」
 三治はぶっきらぼうに「何の用だ?」と聞いた。
「まあ、その、おれも色々あってさ。また漫才がやりたいなって、思ってさ」
 三治は怜次の顔も見ず、「じゃあ、誰かほかのヤツとやってくれ」と言い捨てて、中に入ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。おれが悪かった。頼むよ。また昔みたいに、二人でやろうよ」
「解散と言ったのは、おまえの方だぞ」
「すまん。取り消すよ。おれの相方は、おまえしかいないんだ」
 三治は、しばらくうつむいていたが、「本気か?」とつぶやくように聞いた。
「もちろんさ。マンションも引き払って、というか、もう払う家賃もねえんだけど、またここに戻りたいんだ。最初からやり直させてくれないか」
 三治は、ようやく怜次の顔を見た。
「練習は厳しくやるぞ」
「えっ、いいのか」
「ああ。おれだって、漫才がやりたくてやりたくて、ウズウズしてるんだ。そのかわり、サボりや怠けは許さねえ」
 怜次は泣きそうな笑顔で「もちろんさ!」とうなずいた。
「それじゃ、マンションの荷物を整理しないといけないから、今日は一旦帰るよ」
 そのまま帰ろうとする怜次を、「ちょっと待ってくれ」と三治が呼び止めた。三治は部屋の中から何かを持ってくると、怜次にそれを手渡した。
「忘れ物だ。解散が取り消しなら、もうこれはいらねえ」
 それは、ヘタクソな字で『手切れ金』と書いた、分厚い封筒だった。
(おわり)

コンビ解散

コンビ解散

カネの切れ目が縁の切れ目とは、よく言ったものだと怜次は思った。あれほどうるさく付きまとっていた取り巻きが、怜次の懐具合が淋しくなるにつれ、一人減り二人減り、ついには誰もいなくなってしまったのだ。そして、気がついた時には、億を超えていた印税も...

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-11

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