桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君12

続きです。女は度胸!

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君12

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 そう思うと、急にすっと身体が軽くなった。限られているのなら、選択肢が少ない分、何も迷うことはないじゃないか。そう腹を決めると、光顕はおもむろに鹿王の前に座った。こんな時、自然と正座してしまう辺り、自分はやはり日本人だと思う。
 「俺には今のこの状況でどう動いたらいいのか分からない。けど、お前は少なくとも俺よりずっとこの世界のことを知っているはずだ。だから、俺にできることを教えてくれ。頼りないけど、やらないよりマシだろう」
 鹿王は面白そうに切れ長の目を細めた。
 「光顕、そなたは私を信じるか。光顕の常識では測れない私の存在を受け入れると?」
 目を、逸らしてはいけないと思った。
 この聡い神の愛し子は一瞬の迷いすら許さない。そう直感して、光顕は眦に力を込める。
 「信じるよ。正直、信仰心とかないし、神の存在なんて考えたこともない。クリスマスの後に除夜の鐘ついて次の日には初詣に行くし、最近ではハロウィンにノリノリで仮装してたりするけど。目の前にいるお前は間違いなく現実だ。俺は、今、ここに立ってる鹿王、お前を信じるし、お前の存在を受け入れるよ」
 その応えが鹿王の満足いくものだったかどうかは光顕にはわからない。しかし、ふうん、と呟いた鹿王の反応が思いのほか幼く見えた。
 「光顕、そなたは愚かしいが・・・、まあ、どうしてもというなら助けてやらないこともない」
 扇で顔を隠しながら、光顕の口まねでそんなことを言ってくる。
 ここへきてまさかのツンデレか。
 食えないヤツだ。全く。
 光顕がげんなりしていると、鹿王が不意に遠くに音に耳を澄ます仕草で、目を細それから、実におもしろそうに、ふふふと笑う。
 「それに、光顕の他にもあの汚れに自分から突っ込んでいくお馬鹿さんがおるようじゃ。全く、人間とは愚かしくも興味深いものよの」
 言い様、鹿王は開いた扇を、何かを招くようにひらひらと上下に動かした。
 「ほらほら、こっちじゃ。迷うてはならぬ。帰られなくなるぞ。そうそう、その明かりを辿っておいで」
 急に大きな独り言を始めた鹿王に、光顕はぎょっとなる。
 気でも触れたか
 しかし、すぐに思い直す。ここまで、光顕の知らない異常な世界に頭までどっぷりと浸かってしまっているじゃないか。今更、急に踊り出したからと言ってなんだ。 鹿王がこのまま奇声を発してリンボーダンスを始めたとしても驚かないでおこう。光顕はそう心を決めて、鹿王の動向を無言で見守る。
 始めはひらひらと上下させているだけだった扇が、次第にその動きが複雑になり、足の運びに規則性が生まれる。それは何かの舞のように見えた。長く垂れた袖が風を孕んで揺れた。光顕は思わず、その一連の動きに見入ってしまっていた。
 持っている扇が、不意に重みを増したように鹿王の動きが鈍る。鹿王はわずかに眉を顰めるが、そのまま舞い続け、のんびりと口を開いた。
 「お方々、邪魔立て召されるな。その娘は我が眷属。失えば、私は泣きますよ」
 鹿王は優雅に舞い、詠うように声を発する。
 次第に、扇の動きがまた大きくなり、サイズの合わない光顕のコンバースを履いた足が、緩急を付けて規則的なステップを踏んだ。
 「ほうら、こっちだ。おいでおいで」
 一際大きく鹿王が扇を下から上に振り仰ぐ。
 すると、何もない白い世界の中、光顕のちょうど頭の上のあたりから突然、紺色のセーラー服の背中が現れた。その背中が光顕に向かって落下し、避ける間もなく、光顕は見事にその下敷きになった。
 「よく来られたのう、沓部の当代。しかし、そなたといい光顕といい、なんと無茶をすることか」
 傍でのんびりと声を掛けるのは、舞を止めた鹿王だ。しばらく光顕の上で目を回していた鈴が、はっとなって勢いよく跳ね起きる。
 「童子様、ご無事ですか。お怪我はありませんか」
 「私には怪我などない。そなたの尻の下には怪我人がいるかもしれぬ」
 そこで初めて、鈴は地面に目を落とした。
 「…あのさ、とりあえず退いてくれねえかな」
 鈴の下で、光顕が潰れた声を上げた。

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 「さてさて、鈴、大事ないかい」
 「はい、童子様。私は大丈夫です」
 「ならばいい。ところで、鈴。事はなかなか複雑であるぞ」
 「はい、童子様」
 鹿王はどこから出してきたのか、螺鈿細工の施された、見るからに高価な脇息に寄りかかって座り、その正面に紺色のセーラー服姿の鈴が畏まった様子で正座している。どうやら鈴は、鹿王と光顕があの泥に呑まれた直後、自分もあの中に飛び込んだらしい。なかなか肝の据わった子だ。
 二人から少し離れた所に行儀悪く胡座をかいた光顕は、マジマジと鈴を眺めた。
 鈴は躾の行きとどいた忠犬のように、鹿王の言葉一つ一つに反応していた。あるはずのない幻の耳と尻尾が見えそうだ。きっと、耳はピンと立って、常に鹿王の方を向き、尻尾はちぎれんばかりに左右に振れているだろう。
 「そこで一つ、私に策があるのじゃが、どうだ、私に手を貸してくれるか」
 「はい、もちろんです」
 「たいそうね危険が伴なうぞ」
 「承知しています。私は沓部の当主です」
 はきはきと答える鈴を満足そうに眺めると、鹿王は口元を扇で隠し、やんわりと光顕を見遣った。
 「さて、これで役者が揃ったのう。光顕、もそっとこちらに寄れ」
 命令し慣れた言いぐさに、光顕も慣れてしまった。よいしょと腰をあげる。
 この訳の分からない少年を信じると決めたのだ。策があるというならばやってやろうじゃないか。
 鹿王は懐から上質な和紙を二枚取り出すと、左手の小指をすっと立て、扇でさっと空を切った。女のように艶やかな小指の先から赤い血がこぼれ落ちる。鹿王はその血で、それぞれの和紙にさらさらと淀みなく何やら書き付けた。それは何かの文字のようにも幾何学模様のようにも見えた。
 書き上げると、扇の上に乗せ、小さく何事が呟く。すると、その和紙は独りでにふわりと浮き上がり、一枚は鈴の、もう一枚は光顕の左胸の辺りにくっついた。糊がついているわけでもないのに、和紙は服に着いて剥がれない。これも鹿王の不思議の力なのだろうと、光顕は無理矢理に納得した。
 「さて、ここからが大変」
 鹿王は脇息から身を起こして、袂から先ほどの翡翠玉をとりだすと、それを両の手に収めた。その手を左右に広げると、固い鉱石は飴細工のように柔らかく伸びて、くてんと鹿王の目の前に横たわる。半透明の緑色の中では、やはり黒いヤモリのような山神姫の影がぐるぐると蠢いていた。
 「さて、あとは頼んだよ」
 そう言うと、鹿王はさも疲れたようにまた脇息に身を預ける。すると、鹿王の声に応じるように、飴細工のように伸びた翡翠玉が転がっている下の辺りがぽこぽこと泡を吹くように波立ち、その泡の飛沫から、一つまた一つと小さな白い球が生まれていった。その球は瞬く間にわらわらと数を増やし、翡翠玉の緑を覆い尽くす。白い球達は、高い歓声のような音を立て、大きく柔らかな動きで緑色の物体をこね回しているようだった。その様は巨大なカブトムシの幼虫が蠢いている姿に酷似していた。虫の苦手な光顕は密かに悪寒をやり過ごす。
 暫くすると、白球は次々に小さな音を立てて独りでに弾けて消えていった。
 「何が起こったんだ」
 泡が消え去った後には、翡翠玉の姿はどこにもなく、漆塗りの箱がちょこんと座している。二段構えのその箱は、まさに、意匠、大きさともにちょうど正月の食卓に上るお節用のお重だった。
 「お節でも入ってんのかよ」
 光顕はまじまじとそのお重を眺めた。
 「開けてみるがよい」
 少し気だるげに、脇息に寄り掛かったままの鹿王が、鷹揚に声をかける。光顕は、思わず鹿王をみるが、鹿王はうっすらと笑うだけだった。隣に座る鈴に目を向けると興味津々といった様子でその箱を見ている。しかし、自分は触れることを許されていないと思っているのか、手を伸ばすことはなかった。そんなところも、お預けを命じられている賢い子犬のようだ。
 光顕は恐る恐る蓋に手をかける。漆の蓋はひんやりとしたが特別な感じはない。 そこで、えいとその蓋を両手で持ち上げた。
「・・・なんだこれ」
 箱の中身は、町だった。ジオラマのように箱いっぱいに小さな町の模型が入っている。
 「京です。しかも、昔の。平安時代」
 覗き込む鈴も感想をもらす。確かに碁盤の目のように区切られたその町は、在りし日の京都なのだろう。今は消失してしまった南の朱雀門も完全に再現されている。町を歩く人や、牛車なども動いているが、動力が何なのかはわからない。まさか、電気仕掛けではないだろう。
 
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「これは、箱庭なのじゃ。山神姫は今そのなかで、昔の悪夢を繰り返している。ほら、ご覧」
 箱庭の世界が夜になったようで、箱の中身が真っ黒に塗りつぶされた。そこここで星の様にちらついているのは松明の灯りだった。その明かりが、一斉に吹き消されたかと思うと、箱の端から黒い煙のような雲が生まれ、それがみるみると小さな世界を覆っていく。やがて雲は荒れ狂う嵐を呼び、黒い油を落したように、箱のなかに黒い染みが広がっていった。これは、あの汚泥なのだろう。光顕が先ほど相対していたあの汚泥が、京の町を覆い尽くし、人を、町を飲み込んでいる。耳を澄ませば、その世界に住まう人間の悲壮な悲鳴さえ聞こえてきた。黒い染みが粘度の高い液体となり、やがて箱はその液体をいっぱいに湛えた。
 「光顕、一度蓋を閉じろ。世界が一度終わってしまった」
 光顕はあわてて蓋を閉じた。あのままでは箱から粘液が溢れていただろう。
 「これが、今、山神姫が繰り返している悪夢だよ」
 可哀想に、と鹿王は呟いた。それは、山神姫に向けられたものなのか、小さな悲鳴とともに消えていった無数の無辜の民を思って言ったものなのかは、光顕にはわからなかった。
 「私は、何をすればいいですか」
 鹿王からの指令を待ちきれず、鈴が申し出る。
 「まあ、そう急くでない」
 鹿王はまたも懐から上質な和紙を二枚取り出し、さきほどと同様の手順で何か書き、呪文のようなものを唱え、一枚は鈴の、もう一枚は光顕の左胸の辺りにくっついた。
 「これには、何て書いてあるんだ」
 「…、…、…」
 光顕の問いに答えるように鹿王に口を動かす。しかし、光顕にはききとれなかった。それは言葉ではなく、声でもない。何か低音の弦楽器を響かせた音に似ていた。
 「は?何だ。今、何処から声だした?てか、今のは声か」
 「古の言葉、天津ヶ原の神々の言葉で、桃井の男の名を書いた。真名と言う。こちらに生まれた時に名乗る名とは別の魂の名。今では発音できる人間はほとんどおらぬ」
 「魂の名、ね」
 今一つピンと来ていない光顕とは別に、鈴は自分の心臓の上に張り付いた和紙を見つめ、表情を引き締めていた。
 「では、私のこれは、山神姫の真名ですね」
 意図をいち早く察した鈴相手に、鹿王は嬉しげに目を細める。
 「さよう。鈴、できるか」
 「はい。そのために、ここにまいりました」
 「よい子だ」
 どうやら状況を理解していないのは自分だけらしい。光顕は焦って、声をあげた。
 「ちょっと待て。結局、俺は何をすりゃいいの」
 鹿王は呆れたように扇で口元を覆い溜息をついた。ものすごくバカにされた気がする。
 「察しが悪くてすみませんねえ、俺は一般人なもんで」
 「あの、つまりですね」
 これ以上説明する気のないさそうな鹿王に代わり、鈴が説明を始める。
 「あの箱の中に入って、山神姫と桃井の男の物語をやり直すんです。私と、あなたで」
 「は?」
 あまりに突飛な発言に、光顕は間の抜けた声を上げた。
 「ですから、私は山神姫役で、あなたが桃井の男となって、悲劇で終わってしまった二人の恋物語を、ハッピーエンドに書き換えるんですよ」
 「書き換える?あの箱の中に入って?」
 鈴はさらに言い募るが、どうにも理解が追い付かない。光顕は怪訝そうに鹿王を見た。
 「何を頓狂な声をあげておる。鈴の言った通り」
 にべもない答えに光顕は困惑した。
 「箱の中にねえ」
 「信じると言うたであろう。偽りであったのか」
 微かな侮蔑を孕んだその声に、光顕ははっとなった。そうだった。信じると、大見えを切ったばかりではないか。
 「信じるよ。信じます。で、うまく二人の恋愛を成就させれば、あの黒いドロドロも消えるってことでいいんだよな」
 「怨念自体がなくなるからのう」

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君12

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君12

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-10

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