「台湾旅行記。」


 空港の両替場にて海外紙幣をはじめて手にした。恥ずかしながら印象はまるで玩具銀行の安紙さながら、これが一万円、これが二万円分か、とかざしてみても、実感と貨幣価値とがなかなか直結しない。殊更異国を感じる奇妙な体験である。
 街路の夜店に種々雑多な品々と金額が躍る。それらを眺め眇めつ勘定をすれば、ようやっと感覚が慣れてくる風。いやはや、貨幣とはじつに珍妙な仲介人である。
 「金」とは本来欲望を具現化する代替物にすぎない。しかしながら、生え抜きに日本円を散財してきた日本人にとって、その一万円が「一万円」として、感覚が染み付いているのであろう。つまりは貨幣の「重み」が麻痺している。――が、反して海外紙幣は色柄形は勿論のこと、レートさえ異なる。不慣れな金額で貨幣価値を判別する頭はなく、当座は自然品物との比較に目がいく。臨床的に、この紙ペラ一枚で、なるほどこの饅頭一個が手に入るのか、ふむふむ、と学習の仕様がまるで違うのである。貨幣は従来の役割を取り戻し、形骸化した「重み」が艶良く生き生きと従順になる。
 残念ながらその麻薬的雰囲気にやられ、吝嗇気質は脆くも崩れ去るのだが、――これも異邦人だからこその、外貨の醍醐味である。

「台湾旅行記。」