老人とイヌ

 由紀夫は腹が減っていた。ズボンのポケットを探ったが、300円しか残っていない。
(バカなことをした。年金が入り、つい気が大きくなって、パチスロに直行してしまった。せめて、先に食事に行っとけば良かった)
 後悔はしたが、自分にそれができないことも、よくわかっていた。まだ手元に注ぎ込める資金があるのに、勝負しないという選択肢など考えられない。いわゆるギャンブル依存である。
 由紀夫は二年前に定年を迎えた。妻には先立たれていたし、子供も独立していたので、退職金を自由に使うことができた。会社人間だった由紀夫には趣味もなく、ギャンブルぐらいしか使い道がなかった。軍資金は豊富にあるから、年金をもらえる歳まで充分楽しめるものと思っていた。だが、世の中はそんなに甘くなく、一年もしないうちに退職金は底をついた。
 持家でなかったら、その時点で生活が破綻してホームレスになっていただろう。それでも、日々の糧を得るためには、働かざるを得ない。これが定年直後ならそれなりの会社に再就職できただろうが、一年間の空白は条件を悪くする。かろうじてハローワークの紹介で、短期のアルバイトを転々とした。
 今月からは年金の一部が支給されるようになり、久々に残金を気にせずに勝負ができると喜び勇み、朝一番からパチンコ屋に入り浸った。その結果がこれである。
(もう外は真っ暗だ。朝出がけにパンをかじったきり、水さえ飲んでない。とにかく、この300円でなんとかしよう)
 由紀夫はパチンコ屋の筋向いにあるスーパーに入った。最近では珍しくなくなった24時間営業のスーパーで、値段もコンビニなどよりうんと安い。しかも、コンビニと違って賞味期限の近づいた弁当などは値引きしてくれる。由紀夫は、一番安い海苔弁当の三割引きになったものと、プライベートブランドのウーロン茶を買った。合わせて277円という激安ぶりだ。
 家に帰るのももどかしく、近くの児童公園のベンチに座った。街灯は点いているが、薄暗い。人間の味覚というのは、視覚によるところが大きいので、この暗さでは味がしない。空腹でなければ、とても食べる気がしなかったろう。
 半分ほど食べたところで、視線を感じた。暗がりに目を凝らすとイヌのようだ。野良ということはないだろうが、首輪はしていない。
「おまえも腹減ってんのか?」
 イヌは「クゥーン」と力なく吠えた。老犬のようだ。
「しょうがねえな」
 由紀夫は、弁当の中身にイヌが食べてはいけないものが入っていないか確認してから、そっと地面に置いた。
 少しためらっていたイヌは、由紀夫の「食べていいぞ」という言葉がわかったのか、タッタッタと舌を鳴らしながら食べ始めた。
「おまえも一人ぼっちなら、うちに来るか?」
 またしても言葉がわかるように、イヌは「クゥーン」と吠えた。
「そうか。それじゃ、おまえのために、明日からまた働くとするか」
 由紀夫は久しぶりに笑顔を見せた。
(おわり)

老人とイヌ

老人とイヌ

由紀夫は腹が減っていた。ズボンのポケットを探ったが、300円しか残っていない。(バカなことをした。年金が入り、つい気が大きくなって、パチスロに直行してしまった。せめて、先に食事に行っとけば良かった)後悔はしたが、自分にそれができないことはわかっていた…

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-08

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