幸福とは
なんだか出来はひどく、学校で授業をしているときに構想が浮かんだものを文字にしただけのモノになってしまいました。
短いですが、まあ久しぶりにしては楽しくかけたと思います。
ついでに、主人公は小学生です。
言い回しが小学生じゃない? つっこむのはダメです。
私たちの言葉で「幸福」なんてものはどのように言い表せばよいのでしょうか?
明日までに、その答えを考えてきてください。
今日の授業は少し特別だった。
道徳的な内容で、私たちが生きていくことだとか成長することの定義だとか・・・
最後に幸福と言うものを考えてきてくださいと宿題まで出されてしまった。
幸福って一体なんなのであろうか?
辞書の定義のことを先生は聞いているようには聞こえない。
しかし、この場合の幸福はもしかしたら人によって違うものなのではないでしょうか?
などと一人で机の前で原稿用紙をにらみ続けるが、一向に僕にとっての幸福が浮かんでこない。
人生なんてまだ十数年しか生きていない僕に果たして幸福なんてものが語ることが出来るのだろうか?
そんなことまで考えていたらきりがなくなってしまいそうなので一旦は休憩をとることにした。
ベランダに出ると少し生暖かい夜風がなんとも言えない気持ちにさせた。
月は今日は半月で、それでいて満月なんじゃないかと思うくらいの光を出していた。
手にした双眼鏡で星を眺めながら、これから書くであろう自身の幸福についてぼんやりと考えた。
そして、ふっと気がついた。
もしかしたら僕はこうして生きていることが幸福なのであるかもしれない。
月は綺麗に見えるし(戦争のある地域では月を眺める暇もないであろう)生暖かいが
包まれているような感覚さえする夜風がとても心地よく感じる。
たとえ僕にとってそれだけのことが僕にとっての最上級の幸せであり幸福なのかもしれない
だなんて思ったのだけれど、もしかしたら戦争のある地域の人だって幸福を感じているのかもしれないし
こんなのは僕の気持ちであってほかの人の気持ちなんて一切考えていないんだ。
結局僕は幸福が何かよくわからないようで、学校で教えてくれることでもないですし
自分が感じているこれさえも僕の言葉では表すことができないのです。
僕はそれも確かにそうなんだなあなんて自分で自分に納得しながら原稿用紙に
「幸福とは、考えることなのかもしれません」と一文だけ書いて床についたのです。
遂に次の授業になりました。
みんなは自分の考えをまとめた原稿用紙を名簿順に読み上げています。
みんなの幸福はゲームだったり本を読むことだったりピアノをすることだったり・・・
なんだか僕の幸福はみんなとは違うのかもしれないだなんて思っていたところで
出番が来てしまって、僕は恥ずかしくて固まってしまいました。
先生は怪訝そうな顔でこちらを見て僕の名前を読んでいますが、緊張した僕には聞こえずにただ下を向いていました。
先生がこっちにきて
「原稿用紙に書いてきたのでしょう? それを言えばいいだけです」
だなんて言うものだから僕は勇気を振り絞って言ったのです。
ですが、やはりみんなは僕の幸福が理解できないようで不思議そうな顔でこちらを見ていました。
この時に僕は理解したのです。
幸福とは考えることでもゲームでもピアノでもなく
奇異の目で見られず、人の意見から外れないで、平凡に生きることなのだと
幸福とは
読んでいただけて嬉しいです。
こんな訳わからん文章を目を通すだけでも時間の無駄なのにあとがきまで読んでいただけるとは
これは実話ではないのですが、なんとなく面白くできたと思います(思うだけ)
人から外れたことを考えても口に出してはダメなのですよ・・・