ある姫の決断

ある姫の決断

        一 なんでもしてくれる?

 むかしむかし、あるところに、ひとつの王国がありました。そこは呆れかえるほど平和で、今まで大きな事件なんて、何一つ起きたことはありません。穏やかな自然に包まれ、山奥の古い遺跡以外に、恐ろしそうな場所は思い当たらないほどです。
 王国なので、当然その国を治めている王様がいます。そして、今年で八歳になる、ビオラというお姫様もいました。ある昼下がりのことです。ビオラは図書室の床に寝そべって、いろんな本を読みあさっていました。古今東西のおとぎ話や昔話です。歴史の本や科学の本よりも、ビオラにはこっちのほうがあっているようでした。
「でも姫さま、バイオリンのお稽古はどうしたんですか?」
「いいのよ、そんなの。あんなこと続けていて、なんの得があるって言うのよ」
 お目付け役のメイド、アリアの言葉にビオラはそう返しました。バレエやバイオリン、お作法など、ビオラの習い事はキリがありませんでした。それよりは本を読んだり、木に登ったりと、意味のあることをしたいと思っていたのです。
 ビオラは読んでいた本に意識を戻します。おとぎ話の中にも、お姫様は出てきます。悪者に連れさらわれ、そのためにかっこいい隣国の王子様が、剣を振りかざし、お姫様を救い出すのです。そして二人は結ばれる。
「素敵なお話だと思わない?」
 ビオラは椅子で読書をしているアリアにそう言いました。
「すてきですよね、女の子なら誰しも一度はあこがれちゃいますよ」
「アリアもわかっているじゃない。ピンチを救ってくれる正義の味方。こうでなくっちゃ面白くないわ」
「姫様もきっと、素敵な王子様が現れますよ、ほら、隣国のバーセル王子とか、どうですか?」
「確かにそれはそうなんだけどね、素敵だと思うし、あの人と結婚できたら幸せに決まっているわ」
バーセル王子は隣の国にいる、ビオラより三つ年上の顔立ちの整った王子様です。今まで何度かあって、食事もしていました。ですがビオラは不貞腐れたように頬を膨らませ、足をバタバタと動かしました。
「どうかされたんですか?」
「違うのよ、そういうんじゃないの」
「そういうの、とは?」
「だって、こんな退屈な王国よ? 誘拐事件なんてほとんど聞いたこともないし」
「警備体制も法律もしっかりしていますからね」
「それはいいのよ。それにしてもよ、私にもしも結婚相手が決まるとしたら、どんな形になるの?」
「そうですね……多分、近隣の王国の王子様や貴族をよせあつめて、何度となくお見合いをさせられてから」
 ビオラはその言葉を遮り、続きを言いました。
「最後には私の言うことなんて誰も聞いてくれなくて、都合のいい男の人と結婚する。そういうことでしょ」
 ビオラの頭にある映像が浮かびました。何百人という男性の顔写真を見せられ、うんざりするような甘い言葉をお見合いの時にかけてくる。しかもそこに愛などあるはずありません。
「お父様とお母様もそうだったのよ? たまたまうまくいったのはいいかもしれないけれど、そんなの全然ロマンチックじゃないわ。しかもいつだって国の仕事ばかり。私といてくれたのは、あなただけじゃない」
「それは光栄なことですわね」
 アリアは目を細めクスクスと笑いました。姫はぶっちょう面で絵本を上下逆さまのまま本棚に突っ込み、ずんずんと部屋を出て行きました。
「なんて夢のない話」
 運命の人なんておとぎ話の世界。素敵な王子様は自分のピンチに駆けつけて、結ばれるなんてそんなことはありえない。ビオラも子供ではありますが、それくらいのことはわかってきました。ですがわかるのと望まないのとは違います。運命の人。その人と会うにはどうすればいいのか。なにか思いつきそうではありますが、喉のところでつっかえてしまうようで、なかなか出て来ません。
「どうすりゃいいのよ」
ぼやきながら陽の光の射す廊下を進みます。角を曲がる寸前、ガシャン! と大きな音が廊下に響きました。
「うわ! やっちまった!」
 今まで聞いたことのないような頼りのない低い声。誰かしら、と姫様は思いながら角を曲がりました。曲がり角の先には、枕を服の中に入れているように、お腹がぽっこりと出た、茶色く汚れた作業着姿の男がいました。身長はビオラふたり分くらいだというのに、頼りなく子供のようにあわあわと頭を抱え、廊下を行ったり来たりしています。廊下に散らばるのは、白くて小さな観賞用の皿の破片に、赤くて大きなたくさんのトマトでした。
「どうしよう、どうしよう!」
「ちょっとあんた、落ち着きなさいよ!」
 ビオラは男の態度にイラつき、走る背中にゲシッと蹴りを入れました。
「あいたっ!」
「なにあんた、どうしたのよ。そんなに慌てて」
 返事を聞く前に、ビオラは廊下に散らばる破片とトマトを見て、あらかた事情を察しました。
「……ずいぶんとはでにやっちゃったわね」
「そうなんですよ、厨房にうちの採れたての自慢のトマトを持って行くところだったんですよ。毎年この時期はおらのところの野菜を持ってきているんですだ。でも、こんな高そうなお皿を割っちまって、おら、どうしたら……」
 聞いてもいない自分のことを語っていると、男はふとビオラの姿をまじまじと見たかと思うと、男の顔はみるみるうちに真っ青に染まっていきました。
「あ、あなたはまさか、ビオラ姫さまでは!」
「見てわかるでしょ」
 呆れたように姫様はため息をつきました。
「ど、どうかお許しを!」
 男は頭を城の絨毯に擦りつけ、何度もペコペコと頭を下げました。
「わざとじゃないんですだ! ちょっとトマトが重たくて、ふらっときちゃって、そ、それに昨日の夜はあんまり眠れなかったんです! そうです、寝不足でつい、お皿を……ど、どうか勘弁してください」
 大人の男とは思えないほどの哀れな姿に、もはや滑稽さすらビオラは覚えました。
「あっはっは! あんた面白いわね。今までこんな間抜けな男、見たことも聞いたこともないわ。情けないったらありゃしない」
「ええ、誠におっしゃる通りでごぜえます! 子供の頃からマヌケのポタといじめられてきたのであります!」
「ポタっていうの? おいもみたいな名前ね」
「ええ、ポテトのようなからだなので、よく言われます」
 ビオラは顎に手を置き、考え込みました。そして何かを閃いたように、表情をぱあっと明るくしました。ポタと名乗った男は、その表情を不思議そうに眺めていました。
「ちょっと! 誰かきて!」
「ひ、ひめさま!?」
 ポタは顔をさっきよりも真っ青にして、ビオラの行動に戸惑いました。
「どうかされましたか!」
 廊下の向こうから、兵士が甲冑姿のまま、ガチャガチャと音を立ててやってきました。
「あのね、この割れたお皿なんだけど」
「ああ、こいつはひどい、姫様、お怪我は?」
「大丈夫よ、それより」
 兵士はビオラの言葉を待たずに、ポタの方を睨みました。
「まさかこの男が!」
 ポタはもうだめだと言わんばかりに頭を垂れ、手錠をかけてくれと言わんばかりに、両手を差し出してきました。
「いいえ、わたしが割っちゃったの、だから掃除しておいてくれる?」
「はっ!」
 兵士は気持ちのいい返事をして、倉庫までほうきと塵取りを取りに走って行きました。
「姫様、あなたって人は」
 ポタはまるで神様でも見たかのように、膝をついて手を組み、ビオラを拝んできました。その滑稽な姿に、ビオラはまた気分をよくしました。
「感謝しなさいよ、今まで誰かが割って、死刑になったとかは聞いたことはないけれど、誰かに褒められることではないと思うからね」
「ありがとうごぜえます! この恩は、この恩は一生忘れねえです!」
 ポタはさっきよりも深く頭を下げ、涙声になりながらビオラに感謝の気持ちを伝え続けました。
「ええ、ほんと、感謝してもらいたいわね」
「おっしゃるとおりです!」
「私がいなければ、どんな罰を受けさせられたことやら」
「まっことおっしゃるとおりです!」
「言葉だけで感謝されてもねえ」
「いいえ、もう、言葉じゃ足りねえほどです!」
「そうね、言葉じゃちっとも足りないわ」
「ええ、姫様がお望みなら、どんなものでも差し上げますだ! と言ってもおらには野菜くらいしかありませんが」
「物ねえ、ふーん」
「いいえ、そんなめっそうもない! 姫様のこの恩のためあらば、このポタ、どんなことでもします!」
「どんなことでも?」 
 ビオラは待っていましたと言わんばかりに、にやりと悪魔のように微笑みました。
「ええ、どんなことでも、なんでもいたします!」
「言ったわね?」
「ええ、言いました!」
「じゃあ、そうねえ」
 ビオラは、ふむふむと顎に手を当て、目を閉じ、言いました。
「今夜、ちょっとお願いしたいことがあるの。私の部屋はこの城の二階の一番西側の部屋なんだけど、ちょっとそこのあたりまで来てもらえる? 十一時くらいでいいわ」
「今夜の十一時、ですか?」
 ポタは、ビオラの言葉に頭をひねりました。
「いいから言う通りにするの、お皿の件、お父様に言いつけてもいいのよ!」
 そう言うとポタはあわてて首を横に振り、わかったわかったとビオラの要求を受け入れました。
「わかればいいのよ、あ、それと大きな台車みたいなのがほしいわね。いつも野菜を運んでるなら、それくらいあるでしょ?」
「え、ええそれくらいなら、で、でもどうして」
「いいから、わかった?」
 ビオラのあまりにも唐突な要求に釈然としないまま、ポタは頷きました。ポタはそれから腰を曲げ、のそのそと落ちたトマトを拾い始めました。
「よかった、どこもいたんでねえみたいだ」
「これ、あんたのとこの?」
「そうです、この国一番の自信がありますぜ」
 ビオラは一つ拾ってみました。赤くてかてかと陽の光を反射し、瑞々しさにあふれているように見えます。ですがビオラは、野菜があまり好きではありませんでした。
「あの」
「な、なによ」
 トマトに見とれていたビオラは、ポタの声かけに驚き、あわててトマトをかごに放り込みました。
「もしよかったら、一つ食べてみます?」
「あ! 姫様!」
 ポタに返事をする前に、嫌な声が聞こえた、とビオラは思いました。背後にいるのは振り返らなくてもわかります。眼鏡をかけたカマキリのようなバイオリンの先生です。
「何をなさっているのですか! お稽古の時間はとっくに過ぎていますよ!」
 ビオラはしぶしぶバイオリンの稽古に向かいました。それでも心の中は今晩の計画のことでいっぱいでした。





  


  二   こうすりゃいいのよ

 その日の夜です。ポタはビオラの要求通り、城の一番西側の部屋の真下にやってきました。横には窓まで届きそうな、大きな木が伸びています。ポタはビオラのいるであろう窓を見つめていると、ガラッと窓が開きました。ふわりと金色の長い髪がなびくとともに、ビオラ姫が顔を出しました。
「姫様、こんばんはです!」
「声が大きいわ、ちょっとそこで待っていて」
 ビオラはそう言うと、部屋のそばまで延びている大きな木にがさっと猿のように飛び移りました。
「ひ、姫様! 危ないですぜ、なにしているんですだ!」
「うるさいわねえ、ちょっと黙っててよ」
ビオラは自分が今寝巻のネグリジェを来ているのは気にも留めずに、枝から枝へと足を乗せ、あっと言う間に地上へと降り立ちました。
「どう? なかなかのもんでしょ」
 腰に手を当て、はだしのままで得意げに言いました。
「危ないですよ! 怪我でもしたらどうするつもりだったんですか!」
「大丈夫よ、もう何度もやってきたことだし」
「よくとめられませんでしたねえ」
「止められたから夜中にやってるの」
 上品に生きることを強いられているビオラにとって、夜中こそが本当の自分がさらけ出せる、大切な時間でした。
「それで、姫様、なんでおらをこんなところへ?」
 ビオラは笑って言いました。
「決まってるじゃない、私を誘拐するためよ」
 ビオラの言葉に、しばらくポタは固まりました。口はあんぐりと間抜けに開き、ヨダレが今にもたれてきそうでした。
「はい?」
 われに帰ったポタは、ようやく質問をすることができました。
「すいません姫さま、もう一度仰っていただけますかい?」
「聞こえなかったの? 耳が遠いのね」
「いや、そういうわけじゃあないと思うんですけど」
「じゃあもう一度言うわね、私を誘拐して」
 ポタはまたしばらく固まり、そして。
「ええー! そそそ、そんな、まさか、えー!」
 あまりの予想外の言葉に、ポタは声を荒らげました。ビオラは慌ててポタの口を塞ぎます。
「声が大きいわ、さあ、ぐずぐずしてないですぐに出発よ」
 ビオラはそう言い、さっさとポタの持ってきた台車に乗り込み、カバーをかけました。
「ここ、困るだよ姫さま! 大体誘拐なんて、どこに、それにバレたら、おら……」
「なんでもするんじゃなかったの?」
 押しに弱く、頼みを断れないのは、ポタの素直でいいところでしたが、それは欠点でもありました。しかも、「なんでもする」などと言ってしまったのです。約束を破ることは、心優しいポタには、できませんでした。
「……わかりましただよ」
 ビオラはにんまりと悪魔のような笑みを浮かべました。そしてポタは、来る時よりもほんの少し重たくなった台車を、重い足取りでごろごろと引きずりました。
「重たい野菜だな」
「なんか言った?」
 不意に漏れた言葉を指摘され、ポタは口をつぐみました。台車を引きながら城門をくぐりぬけ、町を歩き、町はずれの草原にまでやってきました。月はいつの間にか真上に来ていました。月明かりがポタとビオラのいる台車を静かに照らします。
「で、姫さま」
「なによ」
 じれったそうにビオラは言います。
「誘拐って、どこにですだ? おらん家は無理ですぜ? 狭いしちっさいし、すぐにばれちまいます」
「そんなの自分で考えなさいよ。私だって急遽思いついたんだからそんなの考える余裕はないわ」
 やれやれとポタはため息をつきながらあたりを見渡しました。
「じゃあ姫様、あの山なんてどうですだ?」
 ポタが指差したのは、この国で最も高い、タンザ山と言う山でした。そこにはかつて町だった遺跡があり、生活には適しています。
「へえ、いいセンスじゃない、さっさと行くわよ」
「いやでも、どうしてこんなこと」
 ビオラはうんざりしたように、ポタの背中を蹴りました。
「いてっ!」
「質問攻めは嫌いなの。ついたら教えるわ。さあ、早く行きなさい」
 そう言うとビオラはまた布の下にもぐりこみました。ポタはしぶしぶ台車を動かします。草原の先にはタンザ山が高々と天を貫くようにそびえていました。ビオラは城という堅苦しいところから離れて、いろんなことを体験してみたいと感じていました。山の中で小鳥たちと一緒に、木の実を食べながら、穏やかな時間を過ごす。なんて素敵なことでしょう。そんな計画を、ポタに会ってからずっと練っていたのです。場所を具体的に考えていたらもっと完璧だったのでしょうが。
 山道にさしかかり、道が悪くなります。ガタガタと音を立て、台車は激しく揺れました。
「もうっ、痛いわねえ、へたくそ」
 全身が痛む中、ビオラはそう悪態をつきました。
「そんなこと言ったって、こんな道なんですぜ。姫様こいつは降りたほうが痛くないかもしれません」
「こんな恰好で、しかもはだしで私に歩かせる気?」
 ビオラは、はだしの小さな足を布から出して、バタバタと動かしました。ポタはそれもそうだと諦め、重い足を動かしながら、なるだけ平らで石の少ない道を選び、歩きました。夜の闇はだんだんと薄まり、東の空がほんのりオレンジがかっていたころには、ビオラはすやすやと寝息を立てていました。
 ビオラは夢を見ていました。お父さんとお母さんの夢でした。
 太陽が真上に上ったころ、ビオラはようやく目が覚めました。
「うん……ここは?」
 ほほに当たっていたのは台車の板の感触ではなく、ふわっとしたお布団のような、やわらかいなにかでした。ビオラの鼻をなにか細いものがこしょこしょとくすぐります。
「へっくちゅん!」
「あ、起きたましただ?」
 ビオラは眠い目をこすりながら、体を起こすと、ポタが両手いっぱいに果物や木の実を抱えていました。おなかもいつもより膨らんでいます。
「……おなかにまで詰め込むのね」
「結構服の下って便利なんですぜ?」
部屋を見渡すと、マキが積まれていたり、果物や野菜が詰められた籠も置いてありました。自分が寝ていたところに目を向けると、わらが敷き詰められていました。即席のベッドにしてはなかなか寝心地は悪くありません。
「この遺跡の周りにな、木の実や野菜や果物がたっぷりあっただよ、川も近くに流れていただ、魚くらいは釣れるかもしれないだよ」
 ビオラはぐっと伸びをして、あくびをしたあと、今がどんな状況なのか、ゆっくりと思い出してきました。
「あ、そうか、私誘拐されたんだ」
「誘拐、させたの間違いな気がしますが」
 ビオラはポタの反論には耳を貸さず、籠の中のリンゴをまじまじと見ました。
「おいしそうね」
「だろ? これでも農家なんですだ。果物の善し悪しくらいはわかるだよ」
「で、どうやって食べるの? これ」
 ビオラは今まで切られたリンゴしか食べたことはありません。いつもシェフに切ってもらっていたのです。このまま食べるという考えは出て来ませんでした。
「姫様、ナイフは使ったことあります?」
「ないわ、あたりまえじゃない。怪我なんてしたらどうするのよ」
「怪我をしないように使えばいいだけだ」
 ポタはポケットから小さなナイフを取り出し、ビオラに差し出しました。
「これを、どうすればいいの?」
 ポタはにやりと笑い、もう一本ナイフを取り出しました。そして籠から一つリンゴを取り出し、皮をシュルシュルとむき出しました。一本になった細い赤い皮が、ゆっくりと伸びていき、やがて白いリンゴの実だけになりました。そのリンゴをまな板で小さく、一口サイズに切り分け、ひょいとつまみ、口に放り込みました。
 ビオラはそのナイフさばきに驚き、言葉を失いました。
「さあ、やってみるだ、姫様」
 その日ビオラはナイフを使ってリンゴの皮を剥く作業に一日を要しました。どんなにやっても実が一緒に削れ、一本の皮になることはありませんでした。
「……なに、農家って人はみんなこんなことができるの?」
「当たり前だ、これくらいは朝飯前ですだ。ていうか町の人はみんなできるはずですだ」
 ビオラはあきらめてナイフを壁に叩きつけました。
「で、姫様、そろそろきかせてくれないだか?」
 ぐったりしたビオラに、ポタはそう声をかけました。
「なにをよ」
「オラに誘拐させた理由ですだ」
 ビオラはふてくされた顔で話し始めました。
「おとぎ話のお姫様ってのはね、悪い奴に連れさらわれて、そこにカッコいい王子様が登場して、その人と結ばれるのよ」
「まあ、確かにそんな話は多いだな」
「でしょ、だから、実行したの」
「なんだって? つまりオラは悪者か」
「そういうことね」
 ポタは話を聞きながら、火打ち石で火をつけることに成功し、火種の草に燃え移らせ、小枝で小さな焚火を立てました。
「王様や女王様、心配してるだろうなあ」
「お父様とお母様? そんなわけないじゃない」
 いつも仕事にかかりきりだった王様と女王様は、ビオラとの時間があまり作れていませんでした。ビオラはいつもメイドのアリアと遊ぶか、お人形や小鳥や、木登りだけがお友達でした。
「もういいの、心配くらいすればいいわ」
「ふーん」
 さっきまで苦笑いを浮かべていたポタは、だんだんと真面目にビオラの話を受け止めるようになりました。
「わかっただ」
「なにが?」
「姫様の王子様、見つけるお手伝い、させてもらいますだ」
 ビオラはその言葉で、胸のあたりがポカポカとあたたかくなりました。夜はあたりを闇に包みましたが、ポタといろんな話をしていたので、なかなか眠ることができませんでした。










  三   まっていたのに

 ビオラの国にあるタンザ山。そこにある遺跡にビオラとポタはいました。その遺跡は別名空中都市とも呼ばれ、人々から神聖な場として扱われていました。
「まるでおもちゃの家を並べたみたいね」
 と、ビオラは言いました。
「どうしてですだ?」
 ポタはビオラと遺跡を歩きながら尋ねました。
「だって、天井がない岩の家がほとんどよ。まるでおもちゃじゃない」
「確かに言われてみればそうですな。オラたちがいるところはたまたま天井がありますけどね」
 遺跡はとても高い所に位置していて、雲と同じ高さに二人はいました。
「ここなら雲に触れそうね」
「おや、姫様はご存じないんですか?」
「なにが?」
「曇ってのは空気みたいなもんで、触ろうとしても手がすり抜けちまいますよ?」
 ビオラは間違いを指摘された羞恥心を抑えるため、ポタの足を踏みつけました。
 二人はあの夜から十日、奇妙な共同生活を送っていました。
 最初のころ、ポタが釣りに行くと言ったときです。
「釣りって、みんなできるもんなの?」
「まあ、たいていの人は、知ってるだね」
「ふーん」
「まあ、おとなしく待っててもいいですだよ?」
 その時ビオラは考え込んだのち、重い腰を上げました。こんな間抜けな男になんでも任せきりなのは、どうにもしゃくだったのです。
 ポタはビオラに釣りを教えました。
 魚が逃げたときには、釣竿を壊すかもしれないほど怒りだしたので、あわてて引き留めました。
「なんで餌ってこんなに気持ち悪いの?」
「これが魚たちの大好物なんだよ」
「信じられない、あんたが餌つけてよ」
「嫌ですだ」
「姫の命令よ?」
「姫様が自分でやるって言っただ」
 ビオラはその言葉にしぶしぶ従い、餌を自分でつけました。でもビオラは思いました。バイオリンのお稽古に比べたら、はるかに意味のあるものだと。
「やっぱりこういうことのほうが好きだわ」
「こういうこと?」
「バイオリンをやってても、こういうところでは役に立たないでしょ」
「ああ、なるほど。確かにこういうことやってたほうが、いつかは役に立つかもしれないだ」
 ビオラの中で、初めて意味のある活動と言う物を見つけたような気がしました。
 一緒に果物も探しました。
 中には虫がついているものもあり、ビオラは悲鳴をあげました。
「気持ち悪い!」
「山なら当然だよ」
「もうやだ、帰る」
「じゃあ食べ物はオラのぶんだけしかとらねえだよ」
「ひっどい、最低」
 そう言うとビオラはしぶしぶ果物を指先で触りながら、食べられる物を探しました。その姿が滑稽に見えたのか、ポタはにたにたと笑っていました。ビオラはまたポタのおなかを蹴りあげました。
 キノコ狩りにも行きました。
「このキノコはなに?」
「ああ、そいつはいけねえ。眠りキノコだ」
「ああ、食べたら眠ってしまうやつ?」
「その通り、お、ここにあるキノコは食べれるだよ」
 ポタは得意げにキノコをビオラに差し出しました。ビオラは、ポタを時々頼もしいと思いながら、少しずつ心を開き始めていました。
 一緒に木でおもちゃも作りました。小さなコマを作りました。竹トンボを作りました。二人でどれだけ飛ばせるか、回せるかを競い合い、笑いあいました。
「あんた器用なのね」
「姫様が不器用なだけだ」
 最初はちぐはぐでうまくいかないビオラの作品は、形は歪み、お世辞にもきれいなものとはいえませんでした。
「ふん、いいわ、姫だもの」
「不器用な姫より、器用な姫のほうが王子様はうれしいだよ」
 いつもビオラはポタにそう言いくるめられます。そして反論できず、しぶしぶ作業を続けるのです。
 二人の服は、ポタが台車に積んでいた着替えを洗いながら使いまわしていました。
「汚い服、こんなのいや」
「裸で過ごすだか?」
「もっといや!」
 ビオラはポタのすねをけり上げました。
「ねえ、やたらとこの台車には物が多いわね」
「そうだか?」
 蹴られた痛みに耐えながらポタは答えます。
「そうよ、服に水に布に食糧。生活できるためのものがそろってるじゃない」
「オラだって城にだけ物を持ってってるわけじゃない。たまに遠いところに果物や野菜を運ぶこともあるだよ」
 ポタはいつもより少しだけ早口で答えました。いつものんびりしているのに、どこかおかしいなと思いました。
「へー、大変ね」
 違和感を覚えながらも、とりあえず納得することにしました。
「食ってくために仕方がないだ」
「なんであんたは農家になろうと思ったの?」
 生まれたときから姫で、これから国を治めることしか教えられていないビオラにとって、他の仕事のことにはとても興味がありました。
「うーん、なんでだろな。野菜が好きなんだ」
「野菜?」
「そうだ。姫様、おらの野菜、食っただか?」
「そんなわけないじゃない。野菜なんて嫌いよ、大嫌い」
 ビオラは苦いものが何よりも大嫌いでした。お城の食事の野菜も、かまずに飲んで、水で流し込んでいました。
「もったいないだ。後で台車に積んでる野菜食わしてやるだ」
「いいわよ、そんなの」
「まあいいだ。野菜が好きだから、農家になった。それだけの話だ」
「そうなの?」
「ああ、オラの両親は両方ともオラが十五歳くらいのときに死んじまっただ。だけど、親父の育てた野菜は、どこの八百屋にも負けないうまさだった」
「……お父さんとお母さん、いないの?」
「いないだ。今はオラ一人で暮らしてる。だからここにいても、誰も心配しない。仕事は毎回その場で受けて持って行くだけだから、抱えてるもんもなんにもないんだ」
「……ふーん」
「そしていつか、オラの野菜を使ったレストランを開いて、国で一番おいしい野菜レストランを作るのが夢なんだ」
 夢を語るポタの姿を見て、ビオラはほんの少しだけ胸が苦しくなりました。そんなにハンサムでもなく、おなかも出ている間抜けな男のはずなのに、いつももよりほんのちょっぴりかっこよく見えました。
「まあ、姫様には無縁のことだ。姫様にはカッコいい王子様のほうがお似合いだよ」
「当然じゃない」
 口ではそうビオラは言いましたが、なんだかカッコいい王子様のことなんかどうでもよく思えて来ました。この山の景色を見ながら、ポタとのんびり暮らす日常が、いつまでも続けばいいと思っていました。
 そしてその日も釣りをするために、二人で川に向かっていました。
「姫様もだいぶたくましくなっただな」
「でしょう?」
 お城では教えてくれなかったことを、ポタはすべて教えてくれました。そして一つ一つのことに驚きながら、ビオラはいろんなことを身につけていきました。
「最初は服が汚い、温かいシャワーを浴びたい、トイレが外なんて信じられない、なんて言っていたのにな」
「ほんとうよ、最初はこんなところにするんじゃなかった、帰りたいって何度も思ったわ」
「でも姫様、帰ろうとはしなかっただね」
「当たり前じゃない」
 ビオラは少し間をおいて、うつむきながら言いました。
「王子様を待たなきゃいけないんだから」
「そうだな」
「それに、あんたみたいなおデブさんに、いっつも頼りっきりなんて、そっちのほうが恥ずかしいわ」
「あはは、姫様ひっでえ」
 川にたどり着き、釣り糸を垂らしながら、魚をのんびりと二人は待っていました。ポタはビオラに尋ねました。
「そういえば姫様。王子様というか、国ではちゃんと姫様のこと、誘拐されたって、わかっているんですだ? もしかしたら家出って思われているかもしれないだよ」
「そこら辺は心配ないわ。ちゃんと書置きを残してきたから」
「ほほー、それはどんなものですかい?」
「姫は誘拐させてもらった、見つけてみろ、ってね」
「安直な内容だなあ」
「わかりやすくていいじゃない」
 そうビオラが笑うと、釣り糸がピクンと動きました。
「お、かかっただか?」
「みたいね、これは大物よ」
 ぐっと力を入れた瞬間、糸を引く魚の力も強くなりました。バランスを崩したビオラは、そのまま川のほうへ倒れこみ、ばしゃんと音を立て、落ち込んでしまいました。
「姫様!」
「た、たすけて!」
 溺れるビオラを助けるため、ポタは川に飛び込みました。底は案外深く、ポタでもつま先がつく程度でした。流れは速く、ビオラはどんどん河口まで流されていきます。ポタは息を止め、水の中にもぐり、両手両足を駆使しながら、必死でビオラを追いかけました。ビオラは溺れるさなか、伸びている小枝を見つけ、ぐっと手を伸ばし、つかみました。しかし頭が後ろにそれ、ゴツンと岩に頭をぶつけ、ビオラはそのまま気を失いました。
 遠ざかる意識のさなか、ポタの必死な呼びかけが聞こえていました。
 目が覚めた時はあたりはすっかり暗くなっていました。頭は熱く、体はゾクゾクと寒気が残っています。
「お、大丈夫だか?」
 ビオラのおでこに乗っかっていたのは、濡れた小さな布でした。おでこを触るとほんのりと熱があることに気がつきました。ぞくぞくと寒気がし、体は鉛のように重たかったのです。
「まさか風邪ひいちまうとわな、いいだよそのまま寝てて、無理しちゃいかん」
 ビオラはかすれた声で尋ねました。
「あなたは、大丈夫なの?」
「あの程度、へっちゃらだよ」
「でも、結構流れも速かったし」
「姫様のためなら、あのくらい平気だよ」
「……生意気、デブのくせに」
 ありがとう、と言いたかったのですが、照れくさくてうまく言えませんでした。
 その日ポタは、朝までビオラの頭を冷やすため、起きていました。ポタの作った即席のお粥は、とてもまろやかで、やさしい味がしました。
「ごめんな姫様、野菜と少ないお米しかなかったから」
「別に」
 これがポタの作った野菜と思うと、なんだかとても美味しく感じられました。
「王子様、きっとすぐきてくれるだよ」
「ねえポタ、あなたは私が王子様に助けられた後、どうするの?」
「家には帰れねえだな、誘拐犯の罪は重いだ。こっそり逃げ出して、遠くの国で暮らすだよ」
「……あなた、この国の生まれでしょ」
「ああ、そうだよ」
「国を、捨てるの?」
「それしか方法はないだ」
 ビオラは、今は王子様と一緒になることより、ポタと一緒にいることだけを考えていました。
「なにか方法はないの?」
「だって、姫様を誘拐するってのは、それくらいのことですだ」
「……なんで、そこまでしてくれたの?」
「頼まれたからしかたないだ」
「……本当?」
「ああ、本当だ」
 ポタの笑顔はすべてを包み込むほどの、優しいものでした。その笑顔を見ていると、王子様のことなんて忘れてしまいそうでした。
「王子様、くるといいだな」
 ポタの言葉に答えたかどうかは定かではないまま、ほどなくビオラは目を閉じ、眠りの世界に行きました。
 夢は何も見ませんでした。
 まどろみの中、ビオラは目覚めました。部屋にポタはいません。もう外は明るくなっていました。寒気はすっかりなくなり、体も軽くなっています、どうやらポタの看病のかいはあったようです。
「これ、西日だわ。もう夕方になってしまったのね」
 ビオラはどうやら丸一日眠り込んでしまっていたようです。ポタはどこに行ったのでしょうか。すると、外から声が聞こえます。
「貴様! 早く姫様を出せ! ここに隠しているのはわかっている!」
 どこかできいたことのある、透き通ったカッコいい男の人の声でした。
「さあ、そいつはオラを倒してからだな。このたくさんの建物の中、どこにいるのかあんたにわかるのかな」
 ポタの声も聞こえます。何やら言い争っているようです。ビオラは顔をひょこっと出しました。剣を片手に持ち、マントを翻し、きりっとした眉をした男性でした。何度か離したことはあり、アリアともカッコいいと話していました。
隣国、デュシャンヌ王国の王子様、バーセル王子です。
 ついに念願の、ビオラの待ち望んだカッコいい王子様が来てくれたのです。
 ですが、ビオラの顔から笑顔は消えました。ポタに今にも切りかかりそうなバーセル王子の姿より、棍棒を片手に持ち、おなかをふくらましたポタのほうばかり見てしまいます。力の差は歴然です。のろまなポタなんか、バーセル王子はすぐにやっつけてしまうでしょう。
「覚悟しろ、このけだものめ!」
 バーセル王子は剣を振りかざし、ポタのほうへ駆けだそうと、一歩を踏み出そうとしました。ゴツン! とバーセル王子の頭になにか固いものが当たりました。それは玉ねぎくらいの大きさのとげとげした岩でした。
 ポタは何事かと岩が飛んできた方向を見ました。そこにはビオラがいました。立ちすくみ、両手には落ちていたものをさっきまで持っていたように、泥が付いていました。バーセル王子は頭にたんこぶを作り、寝込んでいました。
「……姫様、どうして?」
 ビオラはその問いに答えることなく、ポタに背を向けました。
 そしてそのままはだしでかけだしました。草や泥や石の感触が痛くて、一歩踏み出すたびに激痛が走りました。日はどんどん傾きながら、ビオラの姿を闇に隠そうとしていました。
 ビオラは自分が岩を王子様にぶつけたことを、ようやく自覚することができました。
 それと同時に流れてきたのは涙でした。
 ほほをぬらし、ただ息を切らしながら走り続けました。
 頭の中は、逃げることだけでいっぱいでした。でもビオラは、自分が何から逃げているか、わかりませんでした。





  四    あなたじゃないのよ

 日はすでに沈んでしまっていました。ビオラは自分がどこにいるのかもわかりませんでした。まるでお妃さまから逃げて、森をさまよっている白雪姫の気分でした。真っ暗で何も見えず、しかも疲れと足の痛みでビオラはもう動こうとは思えませんでした。
 たまたまあった近くの洞窟に逃げ込みました。洞窟の中も外も、同じくらい暗いのに変わりはありませんでしたが、その閉塞感は、いくらかの安心感を与えてくれました。外ではしとしとと雨の降る音がします。洞窟にきて正解だとビオラは思いました。
 どれくらい時間が経ったでしょう。ビオラはだんだんと心細くなってきました。王様と女王様の顔がまず浮かびました。いっぱい迷惑をかけたことを、謝らなければいけないなと思いました。
 次にアリアの顔が浮かびました。アリアは今頃どうしているのだろう。私のことを心配しているのだろうかと、考えていました。
 次に浮かんだのは、ポタの顔でした。
 ポタが今どうしているかとか、そういうことを思い出していたわけじゃありません。
 ポタとの時間を思い出していました。一緒にご飯を食べて、遊んで、話して、楽しかったあの時間は、何よりもの宝物でした。
 バーセル王子の顔が浮かぶことはありませんでした。
 雨がだんだん強くなり、ビオラの不安は一層強くなりました。ゴツゴツした地面では、眠りにつけるはずもありません。ビオラは途方に暮れました。どうしてあんなことをしたのだろう。ポタを王子がやっつけて、それで王子様に連れられて帰ればそれで済む話じゃないかと、もう十ぺんは心の中で唱えていました。
「なんで私はあんなことしちゃったのよ」
 そうつぶやきました。雨の音は強まる一方でした。
 しばらくしたら、足音が聞こえました。ビオラは伏せていた顔をばっと上げました。胸がどきどきしています。
 足音のほうに少しずつ近づきます。ほんのりろうそくのような小さな明かりが見えました。「ポタ? ポタなの?」
 そうききました。そのあと、ビオラは明かりに照らされました。それと同時に足音の主も照らされました。その男は無精ひげを生やし、頭はフケで真っ白な、あまりにもみずぼらしい男でした。
「お、女の子じゃねえか」
 そのヘドロのような汚らしい声に、ビオラは不快感を覚えました。
「へへ、結構かわいいじゃねえか」
 気持ち悪いと思い、ビオラは逃げようと後ずさりしようとしました。けれど足は動きません。体中が恐怖で固まっていたのです。
「いいねえ、しばらく女には飢えていたんだ」
「や、やめ」
 男はビオラに手を伸ばしてきました。その瞬間、ゴツンと鈍い音がしました。男の表情はかたまり、白目をむいたままずるずると倒れてしまいました。
「ポタ!」
 ビオラは思わず、後ろの人影にそう言いました。
「大丈夫ですか?」
 そこにいたのはバーセル王子でした。
 ビオラは力が抜け、そのまま座り込んでしまいました。
 どんな顔をしていいのかわからず、ただ茫然とバーセル王子の顔を見ました。その顔がきっと安心した顔だとバーセル王子は思ったのか、やさしく頭をなでてきました。
 それは全然気持ちよくありませんでした。
 雨はいつの間にか止んでいました。ですが空はどんよりと暗いままで、月明かりはどこも照らしていませんでした。王子はたいまつであたりを照らしながら、ビオラの手を引っ張っていました。
「いやあ、驚きましたよ。まさかあの男、岩を私の頭にぶつける仕掛けをしていたなんて、おかげで気絶してしまいました」
 ビオラは何も言いません。
「でも、すぐに目覚めましたよ。私だって訓練を積んでるんです。あの程度平気です」
 ビオラは何も言いません。
「まるでおとぎ話みたいですよね。王が国どころか隣国にまで姫が誘拐されたことを広めて、国を挙げて大捜索です。時間はかかりましたが、無事で本当によかった」
 ビオラは何も言いません。
「その汚い服は誰のですか? まさかポタのですか? まったく、粗末なものを着せたものだ。どうせ姫への待遇も、ひどいものだったんでしょう」
 ビオラは何も言いません。
「姫様、でももう安心してくださいよ」
 近くの木に囲まれた大きな池に差し掛かったあたりで、王子は言いました。
「ポタの野郎には、きちんとした制裁を加えました」
 ビオラは何も言いません。
「腹には、剣を深く差しこんでやりました」
 ビオラの足が止まりました。
「血を流して、あいつは地獄に落ちました。だから、もう心配しなくていいんですよ」
 ビオラは足をとめたまま、俯きました。
「どうしました?」
「ねえ」
「はい」
「私ね、ずっと待ってたの」
「はい」
「ずっとずっと、運命の王子様が来てくれるのを待っていたの」
「光栄な話です」
「ずっと、ずっとよ。ずっと待ってたの」
「はい、わかってますよ」
「でもね」
「はい」
「あなたには、こんなところまで来てもらって、すごくうれしいわ。カッコいい剣に、カッコいいマント。カッコいい顔に、もう最高よ。でもね」
 王子はビオラが何を言いたいのかわからず、茫然としていました。雲が少しだけ薄くなり。まん丸のお月さまが顔を出しました。
「あなたじゃないの、ごめんなさい」
 ビオラはバーセル王子の背中を押しました。その先には池がありました。バーセル王子は体勢を崩し、そのまま池にばしゃんと音を立てて落ちました。
「うわっ! つつ、冷たい! 姫様、なんてひどい!」
 王子の声に耳を傾けることなく、ビオラは山を駆け上がりました。足の裏の痛みも、寒さも忘れて走りました。途中で蜘蛛の巣にひっかかりましたが払いのけました。落ちてる小枝を踏み、枯れ葉を蹴散らし、水たまりをよけることなく、足をぬらし、水しぶきを散らしながら、そのまま進みました。
 遺跡は山の上にあります。だからビオラはただひたすらに上を目指し続けました。
 どれくらい走ったかわかりません。ですがビオラは、ポタが台車を引きながら、こんな険しい道を越え、自分を運んでいたことに、たまらない罪悪感がわきあがりました。それだけではありません。誘拐を頼んだこともそうですが、王子が、いいえ、王子でなくとも誰かが姫を助けに来れば、ポタは無事では済みません。殺されることくらい、考えたらわかることでした。なんて考えなしだったの! ビオラは心で自分を呪い、ポタにごめんなさいと謝り続けました。
 でも、そのポタが死んだ。そんなことを信じたくなくて、ビオラはひたすら昇り続けました。
 頂上にたどり着きました。ずっと暮らしていた遺跡の街並みに、胸をなでおろしました。ビオラはポタを探しました。遺跡の隅から隅まで目を凝らしました。そして、最後に二人の寝泊まりしていたあの家にたどり着きました。
 中を見ました。
 おなかにべっとりと赤い染みがついたポタが、目を閉じて倒れこんでいました。
 ビオラはその姿に泣き崩れました。
「ねえ、起きてよポタ」
 ビオラはポタの体をゆすりました。大きな体は、まだぬくもりが残っていました。
「ねえ、ポタ! ごめんなさい、あんなこと言いださなければ、あなたは死ぬことはなかったのに。ごめんね。ごめんね。ねえ、私の王子様はあんなやつじゃないの。もっともっと素敵な奴なのよ。ねえ、ポタ。二人でもっと遠いところに逃げて、暮らしましょう。いつかきっとカッコいい王子様がまた私を助けに来てくれるわ。あんまりよくなかったら、そうよ、また逃げて、それで、ずっとあんたと一緒! ねえ、素敵でしょ! 私約束するわ。自分のことは全部自分でするし、わがままも言わない。嫌なことだってがんばるわ。あんたみたいにやさしい人になるから。ねえ、お願い。目を開けてよポタ!」
横たわるポタの顔を見ました。ポタの豆のような小さな瞳が、やさしくビオラを見つめていました。
「そいつは素敵ですなあ、姫様」
 ゆっくりと、その声はビオラの耳に届きました
 ビオラはポタのほほをばしんと手のひらで叩きました。
 ポタの服の中からは、つぶれたトマトがごろごろと出て来ました。
 ポタは生きていました。おなかにたくさんのトマトを詰めていて、死んだふりをしていただけでした。さらに一晩中ビオラの看病をしていたので、眠りこけていただけのようでした。
 ビオラは泣きじゃくりながら、ポタのおなかをグーでポカポカと叩き続けました。
「さすがに刺されるときは冷や汗ものだっただよ」
 ひとしきりビオラの攻撃を受け終わった後、ポタはそう切り出しました。
「よくやるわ、死んだふりして、そこからは?」
「この間言った通りだよ。国を逃げるつもりだっただ。よその国で、のんびり野菜を育てるつもりだっただよ」
「のんきなもんね」
 二人は焚火を囲み、いつものように座って話をしていました。まるで王子様がまだ助けに来ていないときのようです。
「なあ、姫様」
「なに?」
「なんで、戻ってきただか?」
 ビオラはその質問にどうこたえていいかわからず、膝の上に乗せたこぶしを、ぎゅっと握りました。
「なんで、石をぶつけただか?」
 それにもビオラは答えません。
「王子様は、どうしたんだ?」
 ビオラの反応は変わりません。ポタはため息をつき、立ち上がりました。
「どこいくの?」
「今晩はごちそう、作ってやるだよ」
 ポタはそう言うと、台車から運んできた大量の野菜と木の実を取り出してきました。お湯を沸かし、鰹節を中に入れ、だしをとります。キャベツにネギに、そのほかたくさんの野菜を入れ、少ないお米も突っ込み、塩と胡椒をかけます。ふつふつと煮たってきたところで、鳥の巣からとってきた卵をとき、鍋の中に入れました。太陽のように黄金色のお粥が完成しました。野菜たちの青々しさが、より食欲を掻き立てます。ビオラのおなかがぐうとなりました。
「こんなものしかできないけんど、我慢してくれるだか?」
「ええ、いいわ、ううん。これがいい」
 ビオラはお粥をスプーンで一口頬張りました。とろけるようなお米の感触と、しゃきしゃきとした自然の味を再現したような野菜は、ビオラの舌を虜にしました。そのまま二人は笑いあいながら、ゆっくりとお粥を食べ、時間は過ぎて行きました。あたりが暗くなり始めてから、ポタは薪をかき集め、焚火を立てました。
「なあ、姫様」
「なによ」
「これからどうするだ?」
 ビオラは持っていたスプーンを下ろし、腕を組みました。
「さっき言った通りよ」
「ああ、これからも逃げ続けて、本当の王子様が来るのを待つってやつだか」
「そうよ」
「じゃあ、お城には戻らないんだな」
 ポタは顔をうつむけながら、横に置いてあるトマトにかぶりつきました。
「そういうことね」
「本気なんだか?」
「ええ、もちろんよ」
 ポタはしばらく黙りこんだ後、横にまだ散乱しているトマトを一つつかみました。
「ほら、姫様もお食べ」
「ありがとう」
 ポタはトマトをビオラに手渡しました。トマトは大きく、ビオラの片手では収まらないほどの大きさでした。焚火に照らされたトマトは赤みがより一層増し、太陽を思わせるほどの輝きを放っていました。
 ビオラはそれにかじりつきました。はじけるような甘みが、ビオラの口いっぱいに広がりました。
「おいしい、トマトってこんなにおいしかったのね」
「ああ、すごいだろ? 野菜ってな、作る人の愛情が強ければ強いほど、甘くなるんだ」
「それって自分で言っちゃだめでしょ」
 ビオラはそう言いながらトマトをがぶがぶと汁をまきちらしながら食べ続けました。口の周りはトマトでべたべたになりました。その様子を見てポタは笑いました。ビオラは足でポタのすねを軽く小突きました。ちっとも痛いはずもなく、ポタは笑いながらビオラの足を蹴り返しました。
「あら、姫になんてことをするのでしょうこの男は」
「お返しくらい許して下せえお姫様」
 そう言うとビオラはまた笑いました。
「私ね、ここにきていっぱいいろんなことが知れたわ。魚の釣り方にリンゴの向き方、天気の読み方に食べられるキノコの見分け方。数えきれない程よ」
「まだまだお嬢様が残っている気がしますがねえ」
「うるさいわねえ。私だってがんばったんだから、見逃しなさいよ」
「あはは、わかっただわかっただ。そうだ、姫様。食後のスープは飲みますかい?」
「ええ、いただくわ」
「そう言うと思って、魔法瓶にもう淹れていただ。どうぞお飲みください」
 ポタはまるで執事のような風貌を装い、芝居じみた動作でコップにスープを注ぎました。
「執事にしてはえらく肥えているわね。ブタを執事にした覚えはないわ」
「ダイエットしていくんで、どうぞお許しくださいだ、お姫様」
 ビオラは笑いながら、湯気の立つスープにふーふーと息を注ぎ、冷ましました。中にはキャベツやニンジンが細かく切られ、かつおぶしのまろやかな香りが中から漂ってきます。ビオラは一口、スープに口をつけました。
「とてもおいしいわ」
「お褒めの言葉、とても光栄でごぜえます」
「ねえ、ポタ」
「はい」
「あんたのおかげで、ちょっとは私、変われたかな」
「少なくとも、ただのわがままの姫様ではなくなっただよ」
 ビオラは二口、三口とスープを飲み続けました。するとだんだん瞼が重たくなってきました。
「……ん、なんだか眠いわ」
「一日走っていたんだ。しかも病み上がりときたもんだ。眠くなって当然だ」
「そ、そうね」
 ビオラは眠い目をこすりながらスープをまた飲みました。体の力がだんだん抜けて来ました。まるでお城で以前に強い風邪薬を飲んだ時のように感じました。
「ねえ、ポタ」
「はい」
「私たち、ずっと一緒よね」
「なにかあった時は、いつでも駆けつけますだ」
 ポタの返事が聞こえたか、聞こえなかったかあやふやなまま、ビオラの意識は闇の底に沈んでしまっていました。眠りに落ちる中、キノコ狩りに行った時に採った、眠りキノコのことを思い出していました。
 目が覚めたとき、まず見えたのはいつもの石の天井ではなく、大きなシャンデリアでした。眠りに落ちていたのは草のベッドの上ではなく、真っ白なシーツが敷かれた、ふかふかのベッドでした。
 ビオラは、自分のお城に戻っていました。
 






     五 どこなのよ

 ビオラが城に戻ってから、いろんなことがありました。
 まずは、王様と女王様は、泣きながらビオラを抱きしめていました。
「ごめんなさい、お父様、お母様、あと、苦しいわお父様」
 そうは言っても王様は泣くばかりで、まともに返事すらしてくれませんでした。ビオラはその日から、王様と女王様に対して、いつもより目を見て話すことが多くなったようでした。
 アリアも当然同じ反応をしました。ビオラの背骨がミシミシと音を立てるほど、つよく体を抱き寄せていました。
「もう姫さま! 本当に誘拐なんてされてどうするんですか! もう、この馬鹿!」
「わかったわかったわかったから、腕を離してよ、体が折れそうだわ」
 そうは言ってもアリアの抱きしめる力は強くなるばかりで、まともに会話をしてくれません。ビオラはその日から、アリアとは一定の距離を取って会話することにしました。
「そんなに離れないでくださいよ! もうあんなに抱きしめませんから!」
 アリアのそんな訴えで渋々会話の距離は元に戻しました。
「ねえ、それより教えてくれる? わたしがこの城に戻ってきた状況を」
「状況というか……そんな説明するほどのことじゃないんですよね。姫さまが夜に城門前で毛布にくるまれていたところを兵士が発見したんです」
「……毛布ねえ」
 ビオラは不満げに窓の外に目を向けました。ついこの間まで過ごしていたタンザ山は、今日も高々とそびえ立っています。天気はあまりすぐれず、灰色の雲がタンザ山の頂上を隠していました。
「むしろ姫様は、本当に何も覚えてないんですか?」
 ビオラは、自分が誘拐されたことに対して、言わぬ存ぜぬを通しました。ショックで記憶をなくすというのはよくある話なので、疑う人はいませんでした。
 ですが、アリアのまっすぐな瞳を見ていると、嘘をついているのがどうにも申し訳なくなってしまいました。
「……アリア」
「はい」
「だれにも言わないって、誓う?」
 アリアに嘘はつけませんでした。ビオラは、ポタとの長いようであっという間だった共同生活の話をしました。アリアは笑ったり、涙ぐんだり、ビオラと一緒に怒ったり、とても真剣に耳を傾けていました。
「全く、姫様って人は」
「ごめんね。危ないことをしたのはわかっているわ」
「いいんですよ。今無事なんですから」
 アリアのやさしい言葉に、ビオラはほっと一息つくことができました。それと同時に、話しながらビオラの脳裏に浮かんできたのは、ポタのことでした。ポタ何かをやったり、話したことを思い出したのとは少し違います。ポタの存在を、ビオラは思い出していました。同時にビオラは床にどさりと寝転がりました。
「どうしました?」
「うーん、なんだろ、体を今動かしたくないの」
 話しながらも、ビオラの頭の中をポタが埋め尽くしていきます。ポタの言葉の一言一言が、次々に再生されていきました。
「ねえ、アリア」
「なんですか?」
「ずっと一緒って言ったのよ」
 アリアが答える間もなく、ビオラは続けます。
「約束したのに。あいつは私を捨てたのよ」
 アリアは何を言っていいかわからず、黙りこんでしまいました。
「本当最低な奴、デブで間抜けで、ドジで、でもやさしくて」
 アリアは何も言えません。
「ねえ、アリア」
 ビオラはまたアリアに尋ねました。
「はい」
「ポタは、いま、どこに、いるのかな」
 言い終わる前にビオラは泣き出してしまいました。わんわんと子供らしく、大声を出して泣きました。アリアは何も言えませんでした。ビオラはどうして自分が泣いているのかわかりませんでした。ひとしきり泣いて、ビオラの喉は枯れ、ひっくひっくと嗚咽を漏らした後、ビオラは気がつきました。
 その感情がなんなのか、うまく説明はできないけれど、その気持ちはとても大きくて、温かくて、やさしいなにかでした。
「ポタさん……ですか」
「どうかしたの?」
「いえ、ポタという農家の人は、今一つきいたことがなかったので」
「そうなの?」
「はい、姫様がさらわれた時も、確かに主犯は誰かと騒がれましたが、結局容疑者は特定できなかったんです」
「……変な話ね、ポタは毎年野菜をうちに運んできているって言ってたわ」
「確かに野菜を運ぶ業者さんはいますが、少なくとも、ポタという名前ではありません」
 ではポタとは何者なのか。今まであった謎がさらに深まりました。
「どうしたらいいのかしら」
「手掛かりかどうかはわかりませんが。今の姫様の言葉が本当なら、この手紙はなにかの道しるべになるかもしれませんね」
 アリアは一通の手紙をビオラに渡しました。差出人はデュシャンヌ王国。つまりバーセル王子の国です。
「なんでバーセル王子から? 池に落としたこと怒っているのかしら」
「いいえ、なんでも謝罪したいことがあるようです。後日落ち着いたら会いたいとおっしゃっております」
 ビオラは二日後、バーセル王子と会う約束をしました。王様まで来るということで、国は大騒ぎになりました。いったい何事かと、いろんな憶測が騒がれました。バーセル王子がビオラを助けに行ったことは、国中が承知していました。それから王子はずぶぬれの恰好のまま国に帰ってきて、「誘拐犯は殺した。だが姫はいなかった」と言ったそうです。おそらくビオラに池へとつき落とされたことを言えなかったのでしょう。ビオラがさらわれてから、一番に救いに行くと言ったのはバーセル王子だったそうです。だから国では、ビオラを救えなかったことの謝罪だろうとささやかれていました。誠実なバーセル王子なら、だれしもが納得する結論はそこでした。
 ですが実際は違います。バーセルがビオラに告げることは、そのような内容の謝罪ではないことは確かです。では何か、ビオラは頭をひねりながら、謁見室でバーセル王子の来訪を待ちました。お昼過ぎに、王様とバーセルは申し訳なさそうな顔でとことこと部屋に入ってきました。王子の頬は腫れていて、ガーゼを貼っていました。
「姫様、お久しぶりです」
 ビオラはどうこたえるか悩みました。一応記憶はなくしている設定でしたが、今部屋にいるのは姫とバーセル王子と、デュシャンヌ国王の三人です。嘘をつく必要はないと感じました。
「ええ、お久しぶり」
 バーセル王子はビオラの対応に、やはり記憶喪失は嘘だったと判断できました。
「なぜ記憶をなくしたと嘘を」
「ポタのことを話すとややこしいでしょ」
 バーセル王子は口をつぐみました。
「で、何しに来たの」
 ビオラの問いに、国王が口を開きました。
「この馬鹿息子の愚行を許してくれ」
「父上!」
「まだ殴られたりないか?」
 国王はこぶしをちらりとバーセル王子に見せ、すごすごと王子は頭を下げました。どうやら国王が王子をぶったようです。
「説明しなさい」
 ビオラの催促に、バーセル王子は、覚悟を決めたように口を開きました。
「まず先に謝罪の言葉を述べさせてください。このたびは」
「いいから、早く」
 王子の謝罪の言葉をさえぎり、ビオラは結論を急ぎました。ビオラはそんなことをききたいわけではありません。
 王子は長々と、経緯を話し始めました。
「私は、以前からビオラ姫様のことをお慕いしておりました。国同士の距離も近く、私たちは何度もお会いしましたね。確かにこのままうまくいけば、結婚し、むすばれる流れにはなる可能性はある。しかし私は思いました。ピンチの時に駆けつける、そういう英雄のような存在に、世の女性たちは皆憧れているのでは、と。ですから私は、そんな子供じみた思想で、城の作物係の男に声をかけました。その男はあまり城でも目立たず、いてもいなくても変わらないような男でした。そういう男が必要だと思ったのです。そう、私はそいつに、ポタに金を渡し、姫の誘拐を依頼しました」
 ビオラの頭はその言葉で真っ白になりました。口の中は渇き、今までの出来事が走馬灯のようにかけぬけます。握ったこぶしには汗がじわじわとしみだし、部屋の温度が一気に下がったように感じました。外から聞こえる喧騒は、一気に遠くのものに感じました。
「そしてポタは、計画通り姫をさらいました。そして違和感がないように、時間をかけてゆっくりと、指定しておいた遺跡へと捜索の手を伸ばしました。それからは、姫様のご存じのとおりです」
 バーセル王子はソファから立ち上がり、床に座り、頭をつきました。
「申し訳ありませんでした!」
 ビオラは何も言いませんでした。
 ビオラが頼む前から、ポタは誘拐を計画していたのです。あの台車も、そのためのもので、遺跡もビオラが言う前から決めていたのでしょう。あらゆる偶然がつながり、二人の要求は一致したのです。
 幾多の事実が判明して、ビオラの頭で整理するのにしばらく時間が必要でした。机の上にあるコーヒーは、とうにぬるくなってしまいました。土下座を続けるバーセルの頭のてっぺんを、ビオラはじいっと見つめます。
 そして、一度深呼吸をしました。
「……一つ」
「はい?」
 王子は頭をあげ、ビオラを見上げました。ビオラの表情は今まで見たことがないような無表情で、怒っているのか悲しんでいるのかもわかりませんでした。
「一つききたいの」
「なんでしょう」
「ポタはどこ」
「何を言っているんですか。私は、あの男を刺し殺しました。」
「いいえ、死んではいないわ。だってあの後ポタとご飯を食べたもの。ねえ、ポタはどこなの」
 バーセル王子はビオラが何を言っているのかわからず、とまどっていました。ビオラは立ち上がりました。目からぼろぼろとこぼれた涙が、絨毯に染みを作りました。そしてヒールで王子の頭を踏みつけました。鈍い音とともに、王子は頭をじゅうたんに押し付けられます。
「ねえ、ポタはどこなのよ! 教えなさいよ! 私はあいつに会って、ぶん殴ってやるのよ! あの勝手なブタ野郎を! お願いしたのがあんただとしてもなんでもいいの! あいつはどこよ! どこなのよ! あいつはどこに住んでいたのよ! あいつはなんなのよ! ねえ、答えなさいよ! この馬鹿王子!」
 踏みつけられながら、王子は何も言えず、ただただ攻撃を受け続けました。国王はその風景を、おろおろと見つめていました。
 しばらく罵倒を続けたビオラは、足をどけ、椅子に力尽きたようにもどりました。バーセル王子は痛む身体を起こしながら、ビオラの顔を見ました。ビオラの目は真っ赤にはれていました。
「姫様」
「出てって」
「は」
 王子の返事をビオラはさえぎりました。
「早く出ていって。二度と私の前に出てこないで。あんたの国との貿易は別に続けるわ。なんにもなかったことにしてあげる。でも、二度と私の前に現れないで」
 そう言ってビオラはソファにへたりこみました。王子と国王は深く頭を下げ、部屋を後にしました。部屋にはビオラだけが残りました。耳鳴りがするほどの静けさが部屋を包みます。
「姫様」
 外からアリアの声がしました。
「来ないで」
 アリアはビオラの言葉を無視して、部屋に入ってきました。
「姫様」
「一人にして、お願い」
 ビオラは顔を入り口から背け、アリアの顔を見ないようにしました。アリアは頭を下げ、部屋を後にしました。
 そのあとまた、ビオラは静かに泣きました。
 そう言えば、なにかの本で読んだことがあります。
 初恋は、報われないと。
 外では、例年より早めの雪が、こんこんと降り、少しだけ町を白く染めました。










         六 関係ないでしょ

 ビオラはバーセル王子来訪の日から、人が変ったようでした。誘拐後に、性格が内向的になったりするとはよく言われますが、ビオラの場合はその逆でした。
 まずはバイオリンのお稽古にとても熱心になりました。
「姫様、今日のレッスンはもう」
「いいえ、今のフレーズのとこだけ教えて、よくわからないわ」
 先生も困り果てるほど熱心になってしまい、昼も夜もビオラはバイオリンを弾き続けました。意味のないことは今までずっと嫌いだったビオラの行動に、皆首をかしげました。
「意味のないことは今でも嫌いよ。意味のあることは今でも好き。私は何も変わっていないわ」
 疑問を口にしたアリアに対し、ビオラはそう返しました。アリアはその言葉の意味がわからず、首をかしげました。
 バレエに格闘の稽古も同じくらい熱心になり、バイオリンの音が聞こえない日は、大抵誰もいない大広間でステップを踏むか、回し蹴りの練習をサンドバックに延々としていました。
 正直うまいとは言い難かったビオラのバイオリンも、バレエも、日に日に上達していきました。一年もするころには、コンクールで優勝を飾るほどになっていました。
 棚に飾るトロフィーも賞状も、年を重ねるごとに増えて行きました。ビオラが十九歳になるころには、部屋中にトロフィーや賞状が散乱しているようなありさまになっていました。
「ずいぶんと頑張られましたね」
 メイドのアリアがトロフィーをうっとりと見ながら言いました。
「それほどでもないわ。まだまだ私よりうまい人はいるんだから」
 十九歳のビオラは、子供のころとは違い、背も伸び、大人びた仕草もするようになりました。子供のころのガサツな言動も減りはしましたが、アリアに対しては子供のころから何も変わっていませんでした。
「それはそうですが、姫様も類稀ない才能をお持ちだと思いますよ?」
 アリアや他の人が褒めても、ビオラは一向に喜ぶことはありませんでした。コンクールで優勝をしても、ビオラが笑顔を見せたことは一度もありませんでした。まるでビオラの目的は優勝以外のどこかにあるように。
「格闘技は大会には出ないんですか?」
「出たかったんだけどね。お父様に反対されたわ。野蛮すぎるって」
 文化系の大会にはいくらでも出させてはくれましたが、体を動かすものは、こぞって王様は首を横に振りました。
「まあ、私が出ちゃったら男どもは顔負けしちゃうしね、勘弁してあげるわ」
「あらさすが姫様、お優しい」
「そうでしょ」
 そう言って二人でクスクスと笑いました。実際のところ、ビオラの格闘の腕はこの城の兵士と対等に戦えるほどになっていたので、もし大会に出場していたら、よい成績が残せたかもしれません。
「ところで姫様」
「なによ」
「先週の姫様の優勝の記念もあり、少し遠いですが、アンタム王国で姫様のバイオリンを是非とも聴きたいとお便りが来ていますよ」
 ビオラはこの類の誘いは、コンクールより乗り気でした。そして今回も例外ではありません。
「支度をするわよ」


 ビオラのバイオリンの名声は海の向こうまで届いていました。王族のたしなみ程度の音楽は、そこまでの技量を求められていたわけではありません。ですがビオラの場合は、その求め以上の演奏を見せ、世間では「バイオリン姫」と呼ばれていました。
「名前はビオラなのに、皮肉な話よね」
 港で船を見上げながらビオラは言いました。
「姫様の名前のビオラは楽器からきたわけじゃないんですよ」
「そうなの?」
「ビオラってお花があるんです。パンジーとてもよく似ていてかわいらしいんですよ」
 ビオラは変な機会に自分の名前の由来を知って、なんだか照れくさくなりました。
 ビオラはアンタム王国への船へと乗り込みました。アンタム王国は距離が離れていますが、ビオラの国とは親交があり、以前にも何度か訪問はしていました。
「姫様、今回の演奏会が絶賛されれば、姫様はさらに有名になりますよ」
「それは悪くないわね」
「姫様は、どうして有名になりたいのですか?」
 アリアの質問に、ビオラは何も答えませんでした。ただぼんやりと、遠ざかるタンザ山を見つめていました。姫という特権さえあれば、ある程度名前を知られることは何の努力もなく成し遂げられるものです。それゆえに、ビオラの行動にだれしも首をかしげました。ですが、アリアには確信はありませんが、ある程度の予想はできました。
「ポタさん、ですか?」
「よくわかったわね」
「わかりますよ。有名になれば、いつかポタさんが会いに来てくれる。そう思ったんですよね」
「安直な考えだと思う?」
「いいえ、ちっとも」
「正しいことをしていたら、真面目になにかを取り組んでいたら、いつかたどり着けると思ったんだけどねえ」
 ビオラはけだるそうに背伸びをしました。
「難しいものね」
「きっと、なにかしらの結果は出て来ますよ」
 アリアの言葉に頷きながら、ビオラは空を横切るカモメの姿を見ていました。大勢のカモメがいる中、二羽でぴったりくっついているのもいれば、ひたすら一羽で飛び続けているカモメもいます。カモメたちにも、個性があるのでしょうか。
「やってやるわよ」
 そう言ってビオラはこぶしを天に振りかざしました。海を照らす太陽が、ビオラのこぶしを赤く染めました。その姿は十年前と何ら変わりなく見えました。
「姫様は変わりませんね」
「背は伸びたけどね」
 アリアはクスクスと笑いました。
「ポタさんに会ったら、まず何をします?」
「ヒールで足を踏んでやる」
 そう言って二人で笑いました。
 翌日、アンタム王国の港にビオラ一行はたどり着きました。馬車に乗り換え、城へと進みます。町は賑やかに人々が行きかい、笑顔であふれていました。
「この町に来たのは、私は初めてかしら」
「二回目ですかねえ、姫様をお妃さまが出産されてからしばらくして訪問したんです。この国の王子様ともその時遊ばれたんですよ?」
「覚えてるわけないわねそんなの。どうりで懐かしくはあるけど記憶にないのね。王子ねえ、どんなやつ?」
「さあ、わたくしもしばらくお会いしてないんでなんとも。おそらく今日の演奏会でお顔を見ることにはなりますけど」
「なるほどね、演奏会は明日だっけ」
「ええ、明日のお昼過ぎになります」
ビオラは「ふうん」と言うと、活気だった街並みを見ていました。自分の国とはまた違った雰囲気に気分を良くし、鼻歌を歌いながら流れていくお店に目を向けていました。長い金髪を揺らしながら、主婦のような女性が、道を歩いていました。その時です。
「きゃー!」
路地裏から現れたはげ頭で筋肉質の男が女性のカバンをひったくって、すたこらさっさと道の向こうへと逃げて行きました。
「大変! 早く追いかけなきゃ!」
 町の人が男を追いかけようと駆け出しているところをすり抜けるように、ビオラは馬車から飛び降り、ひったくり犯を追いかけました。スカートの裾を持ち、ヒールは脱ぎ捨ててはだしで駆け出しました。
「姫様! お待ちを! 危険です!」
「関係ないでしょ! 誰だってこういうときには一番に動かなきゃいけないのよ!」
 兵士の止める言葉を聞き入れず、ビオラは男を追いかけました。バイオリンにバレエに格闘技、故にランニングやトレーニングは欠かしていませんでした。おかげでビオラの足は人一倍早く、ひったくり犯との距離を、少しずつ詰めていきました。ひったくり犯は振り返ると、冷汗をかきながら路地裏へと逃げ込みました。ビオラも後を追います。スカートがふわふわとして邪魔くさく、脱いでしまいたくなりました。路地裏の籠ったにおいや、落ちているガラス瓶は、あまり体験したことがないもので、すこしだけ抵抗がありました。
 それでも女性の荷物は取られたままです。ビオラは駆け出し、迷路のように入り組んだ路地裏を進みました。
「足音がまだ聞こえるわ。こっちね」
 音を頼りに、路地裏を右へ左へ曲がります。しばらく進んだ先は行き止まりになっており、そこにひったくり犯は壁へ追い詰められていました。
「さあ、観念して荷物を返しなさい」
「へっ、えらくべっぴんさんな格好してるなお譲ちゃん」
「お譲ちゃんじゃないわ、姫よ」
「姫だあ? ああ、バイオリン姫とかいうやつか」
「ビオラよ」
「なんでもいいさ。なんだってそんな高貴な方が、ちんけな国民のためにわが身を呈してやってきたんだい?」
「関係ないでしょ」
ポタとの約束。優しい人になる。それを他人に言うことは、その約束が弱まってしまう気がして、言えませんでした。そしてビオラは蹴りを男の股間に問答無用でたたきこみました。
「ぐはっ!」
あまりにもその行動が唐突で、男は油断していました。まともに攻撃をくらってしまい、うめき声を上げながらうずくまりました。あまりにもあっけなくやっつけることができたので、拍子抜けしました。
「さて、荷物は返してもらうわよ」
 そう言って、ビオラは荷物のほうへと歩み寄りました。その時でした。後ろから足音が聞こえました。それも一人や二人ではありません。ぞろぞろと五人以上はいます。ビオラが振り返るころにはもう遅すぎました。男たちがバールやこん棒など、大小さまざまな武器を構えていました。どうやら仲間がいたようです。
 ビオラは頭を殴られ、そのまま意識を失いました。



   七  ばか

 ビオラが意識を取り戻したのは、どこか懐かしい暗闇でした。ごとごととなにかに揺られ、寝そべっている床は木の板でできていました。
 すぐにこれが以前ポタに連れられたときの台車のようだなあと思いました。運び方はポタより乱暴で身体の節々が痛みました。
 喋ろうとしても猿轡をされているためできません。体を動かそうにもロープでぐるぐる巻きにされているため不可能です。すっかりあのひったくり犯の仲間たちにさらわれてしまったようです。今頃自分がどこにいるかもわかりませんし、助けも呼べず、自由もきかない。何も抵抗するすべがなく、大変後悔と悲しみに襲われました。あんなに深追いせず、とり返したらさっさと帰ればよかった。いいや、いっそ取り返すのにも集団で行くなど、いくらでも手はあったはずです。考えれば考えるほど、どれだけ自分がばかだったのか思い知り、激しい苛立ちを感じました。
 このまま自分はどうなるのでしょう。野蛮な男たちに乱暴をされてしまうのでしょうか。それとも、どこかの貴族に売られてしまうかもしれません。いいえ、もしかしたら王国に多額のお金を要求してくるかもしれません。考えれば考えるほど、状況が最悪なことの理解が進むだけで、なんだか泣きそうになってしまいました。優しい人であり、正義を持った人であろうとしたつもりでした。でもそれは、ビオラの中だけのことでした。だからこそ、ビオラはとても悔みました。
 こんなことを何度も考えたあたりで、台車がぴたりと止まりました。目的地に着いたのでしょうか。
「どうもお疲れ様です」
 どこかで聞いたことのある声でした。
「こんな時間にずいぶんと大きな荷物ですねえ」
「そうなんだよ警備員さん。すぐにこいつを運ばないと。さ、早く通してくれ」
 警備員の男は少し声を大きくしました。
「いえねえ、今なんでも来訪された姫が行方不明とのことで、王国全体で警戒態勢なのです。ここは範囲外とのことだったのですが、名バイオリニストのビオラ姫のためなら、広い範囲を見なければならないとあるお方の命を受け、こちらを警備しておりました」
「へ、へえ、そいつはご苦労なこって、じゃあ、俺らは」
「中身を拝見させてもらえませんか」
「お、おいちょっと」
 ばさっと、布がのけられる音がしました。ビオラの乗っていた台車にかぶさっていたカバーを警備員がはがしたようです。
「こんばんは、姫様。夜分遅くに変わったところで会えましたなあ」
 そこにいたのはポタでした。警備員の服を身に纏い、無精ひげを生やした顔で、にかっと笑ってビオラの頭をなでました。ひったくり犯の仲間たちはどうしようと顔を見合わせています。
「あんたら、誘拐するにしても相手を間違えただなあ、こいつは重罪だ。一国のお姫様を誘拐したんだ。一生牢屋の覚悟はできてるんだか?」
 ひったくり犯たちは武器を構え、じりじりとポタに近寄ってきました。
「そう、確かに俺たちは重罪を犯している」
 リーダー格の男が言いました。続いて長身の男が言います。
「だが、それを目撃したのは、今のところあんただけだ」
 おそらく男たちは、数では五人と有利。ポタ一人くらいなら口をふさげると言いたいのでしょう。ポタはそんなことは百も承知といった具合に、澄ました顔をしています。
「じゃあな、警備員さん。地獄で会おうな」
 そう言って男たちはポタに殴りかかろうと一斉に飛びかかりました。ですが、
「うぎゃあああ!」
 男の一人が倒れました。驚いて他の男も振り返ります。そこには縄がほどけたビオラがナイフを持って得意そうに仁王立ちをしていました。どうやらポタが隙を見て縄をほどいていたようです。
「てめえ!」
 ビオラへと敵意を向けたときには、ポタに誰も目を向けていませんでした。ポタはポケットからハンカチのようなものを取り出し、男たちにかがせました。目をとろんとさせた男たちはそのまま地面に倒れこみ、いびきをかいて眠ってしまいました。どうやら眠り薬を仕込んでいたようです。
「やるじゃない、ポタ」
「姫様もなかなかですよ」
 そう言って二人は握手を交わしました。
 男たちは台車にあった縄で縛りつけ、「姫をさらった悪者たちです」と書かれた紙を頭に貼られる羽目になりました。ビオラは面白がって犯人をパンツ一丁にしてしまい、大笑いしていました。
 ポタは台車からひったくられた荷物を肩に下げ、それから夜の道を歩きました。城まではしばらく距離がありそうです。
「姫様、靴は?」
「脱いだわ、ヒールは走りにくいし」
「あの日と同じじゃないか」
 そう言うとポタはひょいと膝と腰を大きな腕で抱え、お姫様抱っこをしました。その安定感はビオラを安心させるには十分なものでした。
「ポタのくせに生意気ね」
「姫様眠らせて城までもこれで運んだんですだ」
「あっそ、ご苦労なこと」
「姫様、怒ってるだか?」
「なにを?」
「お城につき返したことだよ」
「怒ったわ、ふざけるなって思ったわよ」
「ごめんな、姫様」
「言い訳くらいはきいてあげるわ」
「おらな、家族がいないんだ」
「きいたわ」
「でもな、おらが親なら、あんなに長い間、娘がいないなんて、耐えられないと思ったんだ」
 ビオラは黙ってポタの話を聞いていました。
「だから姫様には、おらより王様とお妃さまと一緒にいるべきだと思ったんだよ」
「じゃあ誘拐なんて引き受けなきゃいいのに」
「ほんの十日ちょっとだけだ。だから引き受けただ」
「バーセル王子からいくらもらったの」
「なんだ、そこまできいていただか」
「当たり前じゃない」
「後払いの約束だっただ。でもな、バーセル王子は本気でおらを殺しにきただ。だからこの人、おらをだましたんだと思って、お金はあきらめただ」
「ほんと間抜けね、あんな男の言葉を信じるなんて」
「おっしゃる通りですだ」
「ほんと、間抜け」
 ビオラはしばらく、ポタの腕の温かさを感じていました。ずっとずっと、求めていたものでした。だから嬉しくて、しばらくこのままでいたいと思いました。
「姫さま、背伸びただなあ」
「でしょ、もう子供じゃないのよ」
「成長して、すっかり大人だ」
「重いとか言ったらぶん殴るから」
「姫様くらいなら軽いもんだ」
「でもあんたは太ったわね」
「あ、ばれただ?」
「見りゃわかるわよ。あれよりぶくぶくになってどうすんの」
「これでも運動とかがんばってるんだよ」
「あれからどうしてたの?」
「あの後、デュシャンヌ王国にいるのは気が進まなかったので、よその国でやって行こうと思っただ。別に失うものはなにもなかっただ。育てていた野菜は惜しかったけどな」
「ふーん、もったいない」
「今頃もう全部土になってるだよ」
「もう野菜は作ってないの?」
「そうさなあ、全然だ」
「なによ、熱い夢を語ってくれたくせに」
「おらにも生活があるだ。やりたくてもやれないだよ」
 ポタのその声色は、どこかつらそうでした。
「警備員って儲かるの?」
「まあ、普通だなあ。昔のほうが稼ぎは上だっただよ」
「かわいそうに」
「別にいいだ」
「また野菜育てたい?」
「当たり前だ、でも現実は難しい。そんな感じだ」
「難しいのね、普通の人って」
「姫様も姫様なりに難しそうですがねえ」
「そうかしらね。あ、ねえポタ、私ね、バイオリンがんばったのよ」
「みたいだなあ、おらびっくりしただよ。あの怠け者の姫様にあんな才能があっただなんて」
「素直に褒めなさいよ」
「すごいだよ姫様、よくがんばっただね」
「なんかむかつくわね」
「じゃあどう言えばいいだか」
「……もういいわ」
「一度でいいからききたいと思っただが、仕事が忙しくて、全然休めなかっただ。でもな姫様、本当なら演奏会のときの会場の警備はおらが担当だったんだよ」
「へえ」
「仕事しながら姫様のバイオリンが聴けるの、楽しみにしてただ」
「ごめんなさいね、余計なことして台無しにして。今頃王国はどうなってるのかしら」
「国中が姫様探しまわってるだよ。早く帰らなきゃ」
「またどっかの遺跡で暮らしましょうよ」
「もうそれは勘弁だ、姫様」
「それもそうね。じゃあポタ」
「なんだ、姫様」
「誘拐した罰として私と結婚しなさいよ」
 緊張して、ビオラの口調はいつもより早くなっていました。二人とも黙りこんでしまいました。ポタはビオラを抱えたまま、ゆっくりと城への道を進んでいました。夜空にはあの誘拐された初日のような満月が、二人の様子を窺うようにやさしく照らしていました。星はその月を囲むようにきらめいています。それはまるで宇宙が二人の上を覆いかぶさっているようでした。ポタが草原を踏み締める音と、鈴虫が鳴く音、風の音、ほのかに聞こえる町の喧騒。たくさんの音が強調されて聞こえました。いつもと空気の香りが違うことに、ビオラは今更気がつきました。
「姫様」
「なによ、文句あるの」
「おら、もう奥さんがいるんだ」
 ビオラはポタの肩に下げた荷物を見ました。それを抱えていた女性は、確かに既婚者のような雰囲気でした。
「その、荷物の人?」
「ああ、べっぴんさんだろ?」
「ええ、とてもきれいだったわ」
 また二人とも無言になりました。お互い何を言えばいいのかわからないという感じでした。最初に口を開いたのはビオラでした。
「奥さんのこと、好き?」
「ああ、大好きだ」
「それは奥さんも?」
「そうだとおらは信じている」
「デブなのに、よく結婚してくれたわね」
「おらも信じられないだ。あんな子と出会えて、本当に幸せだ」
「ふーん」
「姫様は、どうして結婚しないだ?」
「あんたを見つけるまではしないつもりだった」
「……そうだか」
「思いついたんだけどさ」
「なんだ?」
「あんたの奥さん打ち首にしていい?」
「だめに決まってるだよ」
「じゃあ私と結婚しなさい」
「そんな無茶を言わないで下せえ」
「訴えてやる」
「ひどいお人だ」
「本気だからね、覚悟しなよ」
「ああ、わかった。覚悟しとくだ」
 いつのまにかビオラは眠りについていました。
 目が覚めた時、見覚えのない豪華な天井がビオラを出迎えていました。










        八  見てなさい

 ビオラが目覚めたとき、ぼろぼろの服を着た男がベッドの横の椅子で腰掛けて眠っていました。服はボロボロですが、顔立ちはどこかしら高貴さを感じられますが、でっぷりと出ているおなかがなんだかポタを思わせました。
「あ、姫!」
 男は目覚めたビオラに気がついたようです。その声はポタのものではありません。ポタより少し高く、大人と子供の中間のような声でした。
「あんた誰?」
「この国の王子を忘れるなんて、姫様もなかなか御冗談を」
 顔を確認していなかったのを思い出し、こいつがここの王子様なのかと、ビオラはうなづきました。
「で、なんでそんなぼろぼろなの」
「なんでって……国中で探しまわったんですよ! どれだけ心配かけたと思っているんですか!」
 王子様は声を荒げてビオラを叱りました。まるでその姿を見ていると、ポタに怒られているみたいで不思議と笑いがこみあげて来ました。
「なにをお笑いになっているんですか!」
「別に、なんだかあんたおかしくて」
「おかしいだなんて……全く、とんだおてんば姫様が来日なされたことだ」
「おてんば姫だなんて、デブ王子に言われたくないわね」
「デブだなんて、ひどいなあ」
 ビオラの言葉に怒る様子もなく、王子は笑いました。
「で、あんた名前は? 王子様」
「パラスです。ビオラ姫」
 今まで会ってきた王子は、皆気取った雰囲気の人ばかりでした。しかし、パラス王子はなんだか柔らかくて、子供のような笑顔をする人でした。
「ふーん」
「僕たち、子供のころに会っているんですよ」
「みたいね」
「覚えてます?」
「いいえ、全く」
「僕もです」
「なによそれ」
 また笑いがこみあげて来ました。なんだか不思議な魅力のある人だなあとビオラは思いました。
「ねえ、私をここまで運んできた男は?」
「ああ、警備員の男ですか。仕事があるからとすぐに部屋を後にしましたよ」
 ビオラはその言葉に残念そうに俯きました。
「でも、ご無事でよかったです」
 パラス王子は、ビオラの手をそっと握りました。その笑顔は本当にうれしそうで、まぶしいなと、ビオラは思いました。
 その時、ノックの音が部屋に響きました。
「失礼します、姫様、お目覚めになられましたか?」
 ドアの向こうにいたのはアリアでした。紅茶を淹れてきたようです。アリアは手を握るパラス王子とビオラを交互に見つめ、顔を赤くしました。
「し、失礼しました」
「ま、待ってアリア! 違うの! そ、それよりごめん、心配かけて!」
 アリアはため息をついて、紅茶をテーブルの上にそっと置きました。そして笑顔のままビオラに近づき、パチンと乾いた音が部屋に響きました。アリアがビオラに平手打ちをしたのです。
「今度心配かけたら、本当にしりませんからね」
 アリアは涙をこらえるのに必死で、頬の内側をかみしめているようでした。ビオラは途端に自分のした行為がどれだけの迷惑だったのかを思い知りました。
「ごめんなさい。アリア」
「……わかればいいんです。もう勘弁してくださいね、こんなことは」
 アリアはそう言うと、部屋の隅のバイオリンをビオラに突き出しました。
「え、アリアさん、まさか今日やらせる気ですか? なにも姫はお疲れでしょうに」
 パラス王子はおどおどとアリアに言いました。
「いいえ、ビオラ姫はやる気です。そうですよね、姫」
 ビオラの決意は固く、手はバイオリンへと向かっていました。
「ええ、あいつに見せてやらなきゃ、私の晴れ舞台」
 ビオラはにかっと笑いました。
 演奏会は午後三時。それまでは後三時間を切っていました。
 それからは城の兵士や王族関係者に謝罪して回る作業で、軽く一時間は消費してしまいました。
「本当に申し訳ありませんでしたって、何回言ったっけ」
「十回あたりで数えるのをやめました」
「奇遇ね、私もよ」
 ビオラとアリアは城の寝室でぐったりとしていました。窓の外を見ると、城の入り口に国民がごった返していました。どうやらビオラの演奏会の順番待ちのようです。
「ご苦労なことね」
「ねえ姫様」
「なによアリア」
「ポタさんに会えたらしいですね」
 ビオラは何も言わず、ただばしばしと顔をトマトのように真っ赤にして、アリアの背中をたたきました。
「痛いです、痛いです! 嬉しかったのはわかりましたから!」
「でもね、アリア、きいてほしいの」
 ビオラはあらかたポタの事情を話しました。
「なるほど」
「もうさ、こんなもんなのかなあって」
「姫様は、それでいいんですか?」
 いつもビオラの言葉に対して肯定的なことしか言わないアリアが、珍しく意見をしました。
「……どうしたものかしらね」
「姫様?」
 ビオラはバイオリンを持ち、部屋のドアの前に立ちました。
 ビオラはドアを見上げました。目を閉じ、鼻で大きく息を吸い、口で吐きました。肺の中の空気をすべて交換し、頭をすっきりさせてから、ビオラは言いました。
「とりあえず、弾いてくるわ」
「はい、いってらっしゃい、ビオラ」
「呼び捨てなんて、無礼ねアリア」
「たまにはいいじゃないですか」
 ビオラはくすくすと笑い、アリアのほうへと歩き、手を伸ばしました。
「いろいろありがとうね」
「はい、ビオラ」
 二人は固く握手を交わしました。
 演奏会の時間にはまだ早いですが、ビオラは舞台へと歩き始めました。

 一時間後、バイオリンの音色が城中に響き渡りました、庭園の小鳥までもが鳴きやみ、その音に聞き入っていたとのちに言われるほどの演奏でした。静かに、それでいて力強く、会場に入っていたお客さんの心を、ビオラは鷲掴みにしました。そこには大きくて、温かくて、やさしいなにかがたしかにあって、それを受け止めたお客さんは、静かに涙を流していました。
 ビオラはただただ無心に弾き続けました。今まで持っていたしがらみや思いをすべて忘れ、バイオリンと一体になり、音を楽しむことだけが、今のビオラのすべてでした。
 演奏会は大成功に終わりました。過去最高のバイオリンだったという声も上がっていました。今までにきいたことのない拍手を、ステージ上のビオラは受けていました。体は震え、鳥肌が立っています。その時間はあっという間のようでした。あまりにも現実感がなく、まるで夢でも見ているようでした。
 ビオラは会場の入り口にいる警備員を見ました。あの太った体型、見間違えるわけがありません。ポタです。ポタは目があったことに気がつき、小さく手を振りました。ビオラはその姿ににこりと笑いました。
 その満足そうな姫に、近づいてくる人がいました。それは、先ほど会ったばかりの、パラス王子でした。
「姫様、とても素敵な演奏、ありがとうございます。一日ずれてしまいましたが、とても胸に響きました。よろしければ、今後ともこの国との友好関係を、続けていただけないでしょうか? それと、わたくしめとも、もっと」
 そこまでパラス王子が言った後、姫は言いました。
「ねえ、それより一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
 その姫の、場違いな質問に会場全体がざわめきました。
「は、はい、なんなりと」
「私が誘拐されたとき、ある男の警備配置を変更した人は、どなたですか?」









     九 王子様の決断

 時は少しさかのぼり、昨晩のことです。無数の星がきらめく草原真ん中に立つ一本の木。そこには真新しい縄で、三人の男たちが縛られていました。その三人を、ある男が見つめます。男たちは彼が来たことに驚きの表情と同時に、安堵のため息を漏らしました。
「待っていましたよ、バーセル王子」
 三人組の一人は言いました。月の明かりが男のはげ頭に反射しています。
「ご苦労だった」
 バーセル王子と呼ばれた男は、三人を縛る縄をほどきました。そして懐からひもで縛った茶色い袋を取り出し、放り投げました。
「報酬だ、受け取ってくれ」
 縄から解放された男たちは、袋に群がり中を見ました。中には男たちの両手にあふれるほどの金貨が詰められていました。
「こんなに、いいんですか?」
「ああ、かまわん」
 王子は表情を変えることなく答えます。
「にしても王子、何故このような命を?」
「そうですよ、あの女の荷物を奪って、姫を拉致してここに逃げろなんて」
「実際、俺たちはしくじっちまってるし」
 三人の男は浮かんだ疑問を次々に王子へとぶつけます。王子は頬を緩め、空を見上げました。吹き抜ける夜風が温まった体を冷やします。
「いや、いいんだ。それで。何も問題はない」
 間をおいて王子は続けました。
「ひきょう者には、ひきょう者らしい罪滅ぼしがあるということだ」
 そう言うと、王子は振り返ることなく男たちの前を後にしました。王子は以前、ビオラ姫に対してのあまりにも非常識な行動を、数年にわたり後悔してきました。これが王子なりに考えた罪滅ぼしなのでしょう。王子はその国の安宿に戻りました。
「じい、戻ったぞ」
「おかえりなさいませ、王子」
 じいと呼ばれた豊かなひげを携えた老人は頭を下げました。王子は変装するために纏った白い布の服を脱ぎ、寝巻へ着替えました。
「明日はいよいよビオラ姫の演奏会。こちらに明日のための服を用意させていただきました」
「いや、それはもう必要ない」
 ソファに腰掛けた王子は、窓の外を見ながら言いました。老人は目を丸く見開きま、ひげをぴくりと動かしました。
「それはまた、何故でしょうか」
「もう、必要ない」
「今までずっとお聴きに参っていたではありませんか」
「もういいと言っている」
「王子」
「くどい」
 王子はそう言い放ちました。老人は口が過ぎたと思い、顔を俯かせました。
「王子が恋した姫と結ばれるなんてものは、おとぎ話だけの話なのさ」
 王子の心の中には、ずっとビオラ姫のことがありました。それが薄まることはなく、日が経つにつれて、その思いが強くなりました。しかし王子はわかっていました。姫が一緒に幸せになりたい男は、自分ではないことを。そして、自分は姫が幸せにならない限り、幸せになれないことを。だから王子は、自分は姫にも、姫の恋した男にもかかわることなく、姫とその男を会わせることにしました。
「彼女の物語に、私はもういらないんだ。きっと」
 老人はしばらく考えた末、言いました。
「明日、御帰還いたしますか」
「ああ、そうなる。船の手配をしてくれ」
「御意」
 老人は頭を下げ、部屋を後にしました。部屋に王子だけが残りました。国では来日した姫が戻ってきたことで大賑わいでした。しかし王子は外の喧騒に顔をしかめ、ベッドに飛び込んだ後、耳をふさぎ、あの日山で姫と手を握り合い、走った夜のことを思い出していました。
 好きだ。その気持ちだけで動いた結果、姫を傷つけた。その罪悪感を保証するためにした行動だというのに、王子の心はなにかがかけたままでした。
 結局その日、王子はほとんど眠ることはできませんでした。
 翌日、王子は港に向かいます。王子と悟られないよう、昨日同様地味な服を身に纏い、護衛は誰もつけないようにと言いました。その日だけは、王子は一人の男として地上を歩きたかったのです。姫よ、どうか幸せに。そう祈りながら、歯を食いしばって王子は歩きました。
「おいきいたかよ、城の演奏会の話」
 町人の噂話が王子の耳に入ります。
「ああ、聞いたぜ。なんでも演奏会の後、早々と城を飛び出したんだって?」
 姫が? あいさつはいつも丁寧にした後、関係者の人間すべてに礼を言って回るような彼女が? 王子の疑問を助長するかのように、町人の噂話はいたるところに広がっています。
「きいた? なんでも城を飛び出した姫、でっかい荷車に乗り込んだらしいわよ?」
「きいたわ、なんでも城の護衛兵がその台車をひっぱっていったんだって?」
 ……ポタか? と王子は思いました。もしかしたらまたあの時のように二人でどこかに行ったのかもしれません。でも、それが二人の選択ならと、王子は自分の心に言い聞かせました。鼻の奥がツンとしびれたような感覚が走り、あわてて王子は上を向き、泣きそうな気持ちを抑えようとしました。
「でよ、その荷車どこに行ったか知ってるか?」
「さあな、でもあそこにある荷車、それっぽくないか?」
 町人たちは港の方を指差します。王子もつられて向き直ります。そこには一台の荷車と、大柄な男が息を切らして座り込んでいました。
「も、もう駄目だ、限界だよ」
 息も絶え絶えに男は言いました。王子はその男のことを知っていました。ポタです。かつて自分が姫を誘拐させた、ポタです。そしてそれは姫の初恋の男でした。
「あ? わ、わかっただ、ちょうどいるだよ」
 なんのことだかわからないまま、ポタは荷車を引きずるように持ち、王子のもとへ近づいてきました。
「お、お久しぶりです、バーセル王子」
「……」
 仮にも王子が一度、殺そうとした男です。そんな男との対峙に、言葉を失いました。
「いいですよ、何も言わなくて。ただ、届けものがあってきただけです。おらは城へ帰りますだ。もう会うことはないでしょうが、どうかお元気で」
 ポタは荷車を置いて、王子のもとから逃げるように去りました。王子の前にくすんだ荷車があります。その上の煤けた布は、まるで風が吹いたようにはだけました。
 中にいたのは姫でした。
「……」
 姫は俯いたまま何も言いません。王子も同じでした。姫のドレスはよれよれで、ヒールは履いておらず、はだしでした。
「走って、ここまで来ようと思ったんだけど、あいつが乗れって」
 姫は場を取り繕うように、そう言いました。
「……そう、ですか」
「あんたにはさ、もう会いたくないとか言ったし、あんたがしたことは許せないわよ? でもさ」
 姫は荷車からスカートなのもお構いなしに、大股で降りました。王子はあの時に比べて、ずいぶんと背は伸びていました。姫の頭は、ちょうど王子の胸の高さほどです。
「これくらいはさせて」
 姫は王子の腰を、両手でやさしく抱きしめました。「     」かすれた声で姫はなにかを言いました。
「姫、今なんと」
「うるさい」
 姫はさらに強く王子を抱きしめました。
「いろいろ決めるのは、この後でもいいでしょ」
 背は昔にくらべて、すっかり伸びてはいましたが、今のバーセル王子にはかなわないようで、姫の頭や身長は、とても小さく見えました。



                             おしまい

ある姫の決断

こんなのもありではないでしょうか。

ある姫の決断

昔々のお話です。 わがままなお姫様は、童話の世界のお姫様を夢見て、ある計画を立てました。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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