僕の世界は君がつくった箱庭
僕は、僕が覚えている一番昔から英雄だった。
お父さんお母さんはいつも何かに苦しんでいて、よく顔を歪ませて涙を流した。
そして繰り返し繰り返し僕に言った。
お前は俺たちの英雄なんだ、と。
意味は分からなかったけど、両親の助けになるならばと僕は必死で働いて、常に彼らのためだけに生きた。
ある時、町外れで一人の女の子を見かけた。
胡散臭いごろつきみたいな男達に囲まれて、建物の間の小道に入って行くところだった。
どう見ても親子でも、もちろん知り合いにも見えなかったけど僕は子供で勇気が無かったから遠くからそれを見ていることしかできなかった。
どうか、あの子が無事でいますように。
そこで震えながら小道を睨んでいるとしばらくして女の子が姿を現した。
ほっとしたのと同時に僕は知ってしまったんだ。
猫みたいにしなやかな身のこなしで走っていった彼女は手足や顔にもべったりと血がついていた。
ああ、君はそういう仕事をしているんだね。
善であれと教えられた僕にとって、彼女は恐怖でしかなかったけれど何かを諦めたような彼女の静かな目が忘れられなくて僕は両親だけでなく、あの女の子を救えるような英雄になることを決めた。
僕は毎日町中を走り回って色んな仕事をしていたから、ほとんど毎日のように彼女を見かけた。
そして自然に仕事、というよりは彼女が人を殺すサイクルや、彼女の両親、家の場所ですらも知ってしまった。
今すぐに彼女を救うことは出来ないけれど、でもいつか必ず君を守ってあげるから、なんて思っていたある日、いつもの場所で彼女の両親を見なかった。
不思議に思っていたら次の日、彼女は仕事のはずだったのだけれど町のどこを見ても仕事のあとが見つからなかった。
なんとなく不安になって彼女の家の周りをうろうろとしていると、家の奥の方から潰れるような叫び声が聞こえた。
普段なら決して近付いたりはしない。
ましてや他人の家に飛び込むなんて考えることもなかっただろう。
けれど、あの日僕は、やっと彼女を救い出すことができだんだ。
そして月日が経ち、彼女と同じだけ僕は大人になった。
両親が望んだように僕は人々から英雄と呼ばれるようになった。
たいしたことが出来るわけじゃない、ただ救いたいのだという意思を持って接しているだけなのに、皆が僕に感謝して救われてくれた。
だけど、僕は両親から教わらなかった。
この世には善と悪だけじゃないんだってことを。
善であるが故の悪や、善ではないと分かっていても選択肢を与えられない悪がこの世には存在したのだ。
僕に天秤で計ることが出来ないようなとき、彼女はいつも優しく笑ってこう言った。
「本物の悪以外は全てが善だと思うわ」
そして僕の頭を悩ませる善悪の問題は、それを遥かに越える悪によってその全て、僕が救うべきものになった。
彼女が言う言葉の意味を僕はきっと知っているんだろう。
けれど僕は何も気付かないふりをした。
だって僕は英雄で、僕は正義で、僕は善だから。
悪とは対岸にいる僕は、彼女が立っている場所に気付くわけにはいかなかったのだ。
彼女は、愛は善よ、と言ったけど、僕はそうは思わなかった。
愛に善悪はなく、ただ愛であるだけで無条件に人を救うものだ。
そして今日も僕は誰かの英雄であり続ける。
この世界には救いを求める人が多すぎるから、その悲しみと苦しみに僕は溺れてしまいそうなんだ。
だけど、僕は英雄としてしか生きられないから、これが僕の輪郭をはっきりとさせてくれる唯一の道だから。
だから、僕が僕であり続けるために、君はどうか君のままでそこに立っていて欲しい。
そして、いつかこの世に君と僕だけが残されたなら、なあ、僕に君を救わせてくれ。
僕の世界は君がつくった箱庭