魔王レポート
レポート一、始まりは図書館
…――提議する。
平和とは、そして安寧とは。
今、この瞬間、世界のどこかで争いが起こり世界は欺瞞に充ち満ちている。そんな世界の中で、ここにまた一つの平和の形が提示されようとしている。
一体、平和とは何か、そして安寧とは……。
*****
鳥が羽ばたく。守られていた静寂は四人の勇者どもによって破られた。魔王の口の端がニヤリと上がる。
……魔界。黒く煤けた砂漠が続き、所々に枯れ木が生えているだけの不毛な世界。空には血が滴るような色をした三日月が浮かんでいた。まさにザ・魔界といった光景が拡がっていた。
ここは魔王城。俺様の居城だ。普段は湖畔の静かな場所なのだが今は騒がしい。勇者どもが目の前にいるのだ。と、砂漠のど真ん中に湖があるというのもまた不思議な光景なのだが簡単に言えばオアシスというものだろう。
「ふははは。勇者ども血祭りにあげてやるぜ」
俺様は魔王。髪は蒼くオールバック。口からは牙が生え、唇の色は黒。唇の黒さと対比して紅いシャツを着ているのはお洒落だ。そして、死人かと思うほど色白なのはメイクだ。アウターは茶色い革ジャン。下はジーパン。どうだ? お洒落だろ? そんな魔王である俺様は魔界で最高の権力者であり、実力者。魔界の支配者だ。さっきも言ったが、そんな魔王な俺様の前にいかにも脳筋でうそ臭い爽やかさを持つ勇者どもが現われやがった。
颯爽と風が吹く。くっ。颯爽だと。そんなものは魔界の辞書にはない。魔界は混沌としたダークな世界じゃなければならんのだ。勇者の野郎が現われたから魔界の季候も狂っちまったんだな。勇者はうそ臭いほどの爽やかさだからな。
俺さまの紅く光る目から妖艶な光線がほとばしり勇者どもを威圧する。紅い光線は生ぬるい風を起こし爽やかな風を駆逐していく。ふははは。これが魔界だ。
勇者の蒼く逆立った髪が生ぬるい風になびく。
俺様は絶好調。勇者どもなどまるで相手にしていない。とっとと勇者どもを倒して晩餐の続きを楽しもうぞ。
……この時、俺様がまさか勇者などに負けるなどとは露ほどにも思っていなかった。
「よし。作戦はガンガン行こうぜでよろしくッ!」
決意に満ちた勇者の切れ長の目に力が宿る。辺りに渦巻く禍々しいオーラを切り裂き剣を構える。
俺様も剣を掴む。我が愛刀で魔界の名刀、死斑剣(しはんけん)を。死斑剣の朱色の刀身からはゆらゆらと蒼白いオーラが立ち上っている。目の前にいる勇者の命を喰らわんとして。
俺様の黒い紅を塗った口の端が上がる。俺様は魔王。そしてヤツら十把一絡げの勇者に過ぎんのだ。負ける気がしない。
「ゆくぞ」
「こい。魔王。この僕が成敗してやるッ!」
*****
「……で、何で勇者と戦っていた俺様が図書館なんかにいるんだよ。勇者どもはどうなった?」
鉄棒で殴られたようにがんがんと痛む頭をさすりつつ俺様の参謀で側近であるメルに語りかける。
メルは愛でたい程の美少女。可愛い。
「君は勇者に負けたの」
彼女が言葉を口にする度に腰まである黄色い髪が揺れる。頭のテンコツにある癖毛までも揺れていて愛らしい。
それにしても勇者どもと戦っていたはずの俺様が何故か魔界の図書館にいる。どういう事だ?
ここは魔界随一の蔵書を誇る図書館。周りには本棚が何重にも並べてあり本棚の中にはぎっしりと本が詰っていた。それにしても辛気くさい場所だな。古い本が多いのだろう。だから紙のすえた臭いが辺りに充満しているんだ。この臭いは、好きな魔人には好きな臭いなんだろうがな。生憎、俺様は嫌いだ。
何故、俺様はこんな所にいるんだ? 意味が分からん。
しかし本当に様々な本があるな。
参謀の美少女メルに連れられここに来たんだった。ただし本になどには用はない。勇者を倒すのだ。それだけだ。一体、メルは図書館なんて俺様がもっとも似つかしくない場所に連れてきてどうするつもりなんだ? エロ本でも探すつもりか?
「メル。図書館に何の用があるんだ。本は嫌いだぞ。読んでると眠くなってくるからな」
これは本心だ。本を読むと催眠術にかかる。俺様は活字が嫌いなんだ。なあ、今、魔王レポートを読んでいるヤツに聞きたいが、眠いだろ? 猛烈に眠くないか?
「魔王。勇者を倒したくないの?」
勇者を倒す? そりゃ、倒したいぜ。倒したいがそれと本とがどんな関係があるんだ。本を読んだだけで強くなれれば誰も苦労なんてしないぜ。修業なんて言葉もないと思うぜ。
「勇者は倒したい」
様子をうかがうようにメルに答える。そんな俺様を尻目にメルは急かすように言う。
「だったら本を探す。はい。はい。いった。いった」
だから何の本を探して、どうすればいいんだよ。勇者を倒す方法なんて本はないと思うぜ。
「いや。意味分かんねえし。本だろ?」
メルは小さい体を精一杯伸ばし高い所にある本を一冊、手に取る。そして本を覆っていた埃を吹き飛ばし表題を確認し、また元の場所に戻す。一体、何を探しているんだ。
「魔王。見てないで、とっとと本を探す。はい。はい」
立ち尽くす俺様を横目で見てメルがまん丸な目をより一層、見開き怒る。俺様は呆気にとられた。
いや、だから何の本を探しているんだよ。勇者に勝つ為の本だろ。必勝、勇者戦なんて攻略本ぽいものか。きっとないぞ。
大体、本なんか読んで勇者に勝てればマジで苦労しないって。
メルが、また健康的な唇を尖らせ言う。可愛らしい体を一杯に使って呆然としている俺様を急かすように。まるで謳うような声色で。いつも思うが声も可愛いな。思わず聞き惚れる。
「魔王。原初の魔王って知ってる?」
メルが言う。俺様は面倒くさそうに一冊の赤い背表紙の本を手に取る。そして表題を確認して元に戻す。一応、メルの言葉に従って本を探すフリをしたのだ。どんな本を探しているのか、まったく分からなかったがな。
「原初の魔王? 知ってるも何も。魔王の中の魔王。魔界の住人だったら誰でも知ってる伝説の魔王だろうがよ」
…――原初の魔王。
この世の全てを一瞬で灰燼に帰すだけの力を持つ魔王の中の魔王。魔界では誰でもその存在を知る伝説の魔王だ。しかし実際にはいないと思われている。何せ伝説だからな。
「だったら原初の魔王を呼び出す方法がある事も知ってる?」
んっ! 何となくメルの言いたい事が分かったぞ。そうか。メルは伝説である原初の魔王を呼び出そうという訳か。
だから図書館にいると。
つまり原初の魔王を呼び出す方法が書かれた本を探しているという訳だな。それで図書館に来たのか。うむ。
確かに原初の魔王の力さえあれば勇者どもにも勝てる。それどころか勇者の故郷、人間界すらも滅ぼす事だって夢じゃないぞ。
夢じゃないが、原初の魔王なんて伝説の代物だろ。実際にはいないと考えてる魔人の方が多いぞ。俺様もその一人だ。大体、原初の魔王は魔界の支配者である魔王の更にその上な魔人だ。やっぱりいないで確定だろう。だろ?
「メル。原初の魔王なんて伝説でしかないだろう」
「甘いわね。魔王」
メルの大きな青い瞳の光が増す。なにが言いたい?
「実際に原初の魔王の加護を受けている魔人がいるのよ。君が勇者に倒された後に現われたの。その魔人はね」
原初の魔王の加護……。
「私も耳を疑ったわ。でも、どうやら本当らしいの」
もし、それが本当なら勇者どもにも勝てる。でも原初の魔王なんて、やっぱり伝説でしかないとしか思えない。
「詳しくは今度、時間がある時に話すわ。今は本を探して」
原初の魔王か。確かに実際、存在すればそれは一大ニュースだろうな。しかしな……。伝説だろ?
「どちちにしろ勇者を倒したいんでしょ? だったら探しなさい。話はそれからよ」
メルが俺様に告げた。俺様は半信半疑のまま原初の魔王について書いてあると思われる本を探す事となった。
「本当にあるのかよ。そんな本」
と半ば投げやり気味にぼやいた。面倒くせえなと。
「うるさいわね。探す。探す。はい。はい」
とメルが怒った。可愛いピンク色をした唇を尖らせて……。
~ レポート一、始まりは図書館、了。
レポート二、厨二な魔神器
勇者に敗れ、俺様は魔界の支配者である魔王の座を追われ落ちぶれた。魔界に再び戦国時代がおとずれたのだ。あるものは自分が次の魔王で支配者であると宣言し、またあるものは武力をもってして、混乱する魔界をまとめようと決起した。
そんな中で……。
ブタピックという魔人が実力をつけ、魔界の支配者を自認するまでになっていた。噂ぐらいは聞いた事がある。
俺様はブタピックを知っていた。ブタピックはいじめられっ子だった。ブタのような容姿を持ち醜く肥え太った姿をしていた。そんな姿がいじめの対象になったのだ。ま、哀れなヤツだった。それが何の間違いか魔界の支配者を名乗っているのだ。勇者に敗れた俺様が批判するのはお門違いだがそれでも気に入らない。ブタのくせに。
そのブタピックを倒し魔界の支配者に返り咲く。
俺様はそう心の中で誓っていた。そして今、俺様と参謀のメルは図書館で本を探していた。原初の魔王を呼び出し、再び魔界に覇を唱えようと画策していたのだ。ま、原初の魔王は伝説でしかないがな。あまり期待はしていないが。
「なに。なに。超図解。漫画で見る魔界の全貌(すべて)……」
うむ。魔界にも漫画家がいるのか。俺様は青い背表紙の本を手に取り、魔界にも漫画家がいた事に妙に感心する。漫画家などという職業は人間界の専売特許だと思っていた。そういえば余談だが、ある漫画がギネスに載ったな。俺様はあいつの友達だから自分の事のように鼻が高いぞ。よくやったと言いたい。
「春画大全……」
うほっ。何て本を見つけてしまったんだ。素晴らしい。漫画家がいるんだから浮世絵画家がいてもおかしくない。それにしても表紙の女の魔人、色っぽいな。うひひひっ。早速、メルに報告しなくては……。
「死ね」
メルはピクリとも表情を変えず、俺様を殴った。いやね。メル……、俺様は一応、元魔界一の実力者で支配者だった訳よ。で、君は参謀。分かってる? 本当に分かってる?
「そんな馬鹿な本、見てないで、さっさと探すのよ」
だから俺様は元支配者なの。で、君、参謀さ。オッケ?
「それにしてもどこにもないわね。原初の魔王を呼び出す方法が書かれた本。探し方が悪いのかな」
うぅん。これだけ探しても無いって事はやっぱり伝説は伝説じゃないのか。結局、民間伝承の与太話じゃないのか。
「おっ」
俺様はメルの気を引く為に大げさに驚く。
「どうしたの、魔王?」
「こ、これは!」
「なによ」
俺様がもったいぶったからメルが唇を尖らせた。
「……徹底攻略、魔界の風俗。今、魔界のここが一番エロい」
言うまでもなくまたメルの鉄拳が飛んできた。俺様は頭に大きなコブができた。煙まで立ち上っている。とほほほ。本当に凶暴だな。メルさんは。
「馬鹿ばっかり言ってないで、さっさと見つけるのよ」
メルの目つきはめっちゃ真剣だった。いや、俺様だって真剣なんだよ。でもね、その前に一人の男だって事なんよ。大体、この図書館、何でエロい本がこんなにもあるんだよって話。公共の図書館なのにさ。それが問題なの。
わかるかなあ? わかんねえだろうな。……鶴家千とせ。
メルが埃の被った歴史を感じさせる本を手に取る。その本は緑色の背表紙で表題はかすんで、よく見えなかった。
メルは慎重に本をめくる。中身をゆっくりと読み進める。と、本をめくる手が止まる。
どったの?
「やったわ。あったわよ。遂に見つけたわッ!」
メルが謳うような声色で叫ぶ。メルさん、ここ図書館。あんまり大きな声は迷惑だぞ。魔王の俺様が言うのも何だけどな。
俺様は相変わらずエロそうな本を見つけてはニヤニヤしていた所だった。彼女の歓喜の声に背筋が伸び思わず飛び上がりそうだった。だから声でかいって。お静かに……。
「これよ。魔王。遂に見つけたわ」
官能小説? そういえば最近、DR.博士という作者がエロい話を書いているらしいな。もちろん俺様好みのマニアックでエロティックな官能小説を……。これこそどうでもいい情報だな。
ってッ!
「そうよ。原書の魔王を呼び出す方法が書かれた本よッ!」
伝説は伝説で終わらなかったのか。まさかこんなに簡単に見つかるとは思わなかった。でも逆に言えば、こんなに簡単に見つかるって事は本当に原初の魔王がいるのか怪しいもんだ。俺様はいまだ半信半疑って訳だな。
でもラッキーだ。これで紙のすえた臭いが充満するつまらない所から脱出できる。やれやれだぜ。
メルは、本をめくる。俺様は半ばあきらめ気味にメルの言葉を待つ。ページをめくっていくメル。ゆっくりと進む。
「ふむ。ふむ。なるほどね。うん。うん。原初の魔王の生い立ちから、世界の創世までを書いてあるわ」
メルは一人言をつぶやきながら妙に納得してうなずいている。ページをめくる度に埃が舞う。古い本だな。
「うん?」
本のページをめくる手が止まる。
「ちょっと待ってよ。原初の魔王の生い立ちって……」
俺様は鼻をほじって待っていた。どったの?
「ふむ。ふむ。なるほどね。一つの魔神器には一人の魔神が宿っている。その魔神を呼び出すには……」
何がなるほどで、何に疑問を持ったのか分からなかった。分からなかったがどうでも良かった。早くこんな退屈な所から退散しようぜ。メル。あくびが出るぜ。ふあ~…。
「魔王。分かったわ。原初の魔王を呼び出す方法が」
五分ほど本を読んでいたメルが言う。まださわりの部分しか読んでないんじゃないか。本当に分かったのか。原初の魔王を呼び出す方法。怪しいもんだ。
「原初の魔王を呼び出すには魔神器(まじんぎ)ってものが必要なのよ。分かったわ」
魔神器?
何だ、それは。魔神器なんて、どことなく厨二臭い気がする。大丈夫か。本当に、その本。
「魔王。君が倒された後、魔界で勢力範囲を伸ばしてきた魔人がいるでしょう」
「ああ。ブタピックだな。調子に乗ってやがる魔人だ」
「そそ。そのブタピックが手に入れたのよ」
メルの目が光る。
「何を?」
俺様はメルの態度にやや腰が引ける。
「分からない? 魔神器をよ。それで力をつけてきているのよ」
「手に入れただけで力を得る事ができるのか? 魔神器って」
「そうよ。これに書いてあるわ」
メルは、そう言うと自信満々に埃まみれの本を掲げあげた。なるほど。その話、納得出来ない話じゃない。
ブタはいじめられっ子だった。それが最近、ヤツは何故か調子に乗って魔界の支配者を名乗っている。その裏には魔神器なるものがあったのか。でも手に入れただけで力を得るなんて魔神器って何て便利な道具なんだ。俺様も欲しいぜ。
メルの言葉にうなずいた。メルの頭のテンコツにある癖毛が自信満々にピーンと立つ。こういう時のメルは頼りになる。様々なアイデアが彼女の頭の中にあり、俺様を助けるのだ。
で、どうする?
「この本には魔神器がどういったものかは書かれていないわ。けど、それを奪えば……」
なるほど。ブタから魔神器を強奪するんだな。曲がりなりにも俺様は元魔王。魔界で一の実力者で支配者だ。強奪など造作もない事。任せろ。メル。
待ってろ。ブタ。今からヤツの本拠地に乗り込み奪ってやるぜ。俺様のピンク色の筋肉が盛り上がり闘いに喜びを感じ打ち震えた。やってやるぜ。
「じゃ、辛気くさい図書館とはおさらばだ。行くぜ。メル」
メルは小さくうなずいた。相変わらず彼女の癖毛はピーンと胸を張って立っていた。
~ レポート二、厨二な魔神器、了。
レポート三、我慢を重ねる
図書館を出た俺様達は一路、ブタピックを目指して旅へと出た。ブタピックが持つという魔神器を奪う為に。果たして魔神器とは……。
ブブッ。まさか魔神器は真っ白な真珠じゃないだろうな。流れから言ってさ。ブタに真珠。考えたら笑っちまったぜ。違うか。メルはどう思ってるんだろう?
「メル。魔神器ってまさか真珠じゃないだろうな?」
俺の前を歩いていたメルの足が止まる。
「ブタに真珠って事?」
「そそ。そう考えたら笑えないか?」
「違うと思うけど。でも確かにある意味、ブタに真珠ね」
「だろ。ブタピックが魔神器を持ってた所でしょせん猫に小判。ブタに真珠だろう。クククッ」
俺様、ナイス。やっぱり魔神器は真珠なのか? そう思ったらまた笑えてきた。ブタにはピッタリだぜ。
「魔王。下らない事言ってないで、さっさと行くわよ」
「へい。へい」
とにかくそうして俺様達が魔界の荒野を旅する事、三日あまり……。そこで面倒くさいヤツらに捕まっちまった。ブタピックまで後、一歩という所でアホ面をしたアイツらに捕まっちまったのだ。ツイてねえな。ため息がでる。
「見つけたぞ。魔王! お前、また何か企んでいるらしいな」
ゲッ。俺様達を待ち受けていたのは脳筋で爽やかな勇者ご一行だった。勇者は決意に満ちた目で睨み付けた。
俺様は一度勇者に敗れている。今は勝てない。
まずいとメルが可愛い青い瞳を不安げにクリクリさせ俺様を見つめる。勝てないと不安になったんだろう。ま、俺様もヤツらには勝てる気がしないがな。情けねえが。
「魔王、その悪巧み、ここで成敗し阻止してやるぞッ!」
メルの目の色が焦りを帯び始める。
分かってる。今、こいつらと戦っても勝てない事はな。しかし勇者達から逃げだすって事は俺様の魔王としてのプライドが許さねえ。それが勇者と魔王の抗えない関係なのだ。
俺様は無言でゆっくりと愛刀、死斑剣を鞘から抜く。やるしかあるまい。ゆくぞッ!
死斑剣の朱色の刀身が露わになる。ゆらゆらと陽炎のように蒼白いオーラが立ち上る。前に勇者の命を喰い損ねたと再び彼らの命を欲するように。メルも慌てて幻魔の杖を構える。
行くぜ?
「よっしゃ。魔王もやる気のようだぜ。じゃ、みんな作戦はガンガン行こうぜでよろしくッ!」
勇者が叫ぶ。それに呼応し女僧侶が答える。その脳筋ぶり、何とかしてよと呆れ果て。
「ていうか君はいつもガンガン行こうぜでしょうが。呆れるわ。まったく。何とかならないのその脳筋ぶり」
保護者であろう老齢な魔法使いが女僧侶の言葉に続く。
「たく。本当にその脳筋ぶり何とかせい。付いていくワシらの身にもなれ」
どうやら勇者の作戦はいつでもガンガン行こうぜの全開だったらしいな。そんなファイト一発な勇者に負けた自分が悔しいぜ。最後に戦士が言う。しめるように。
「ファイト一発ッ!」
戦士、お前もか。つくづくこんな脳筋なパーティに敗れた自分が情けない。とほほだぜ。
しかし今のままではまた敗れるだろう。
今、現状、悔しいが松岡修造な勇者と、その一行は俺様達の力を遙に凌駕している。くそっ。どうしたもんか。何とか、この窮地を凌がねばならない。
死斑剣を構え、はて、どうしたものかと考えた。そこでメルが何かを思いついたのか小さな声で囁く。
「ブタピックよ」
ブタ? いじめられっ子のブタがどうかしたのか? 今、ブタの名前を出してどうするつもりだ。俺様はブタの名前がメルの口から発せられたのを不思議に思った。
「ブタは魔神器を持っているわ」
またメルの目が光る。癖毛はピーンと立っている。つまり、メルに何かいい作戦があるんだろう。
「だろうな。でもそれが今の状況とどうリンクするんだ?」
俺様の疑問はもっともだろう。ブタが俺様達の目的、原初の魔王を呼び出す為の魔神器を所有している。それは分かっている。が、それが目の前にいる勇者達とどう繋がるんだ。
メルの目がイタズラっぽく微笑む。そして可憐な口から信じられない言葉が発せられる。
マジ……?
「逃げるのよッ!」
だから逃げるのは魔王としてのプライドが許さんのだ。魔王と勇者の関係はだな、太古の昔から宿命の敵(かたき)同士なのだ。決して背を向ける事はできん。お前も知ってるだろうが?
俺は彼女にそう抗議しようとした。が……。
「これは戦略的撤退なの」
メルの口の端が上がる。悪巧み完了の合図だ。
「戦略的撤退だと?」
俺様は意味が分からず聞き返す。
「そうよ。魔神器を持つブタピックの所まで逃げきるのよッ!」
!
そうか。魔神器を持つブタまで逃げるという事はすなわち!
「そそっ。魔王。ブタピックと勇者をぶつけるのよ。魔神器の実力も計れるわッ! 勇者も倒せて一石二鳥よッ!」
なるほど。俺様達を上回るであろう力を持つ勇者。そして多分だが魔神器を手に入れ俺様を凌ぐ力を手に入れたブタピック。その俺様より強い両者をぶつけて漁夫の利を得る訳だな。
おい。天才だな。メル?
「メル。お前、天才だな」
「魔王。君がアホなだけよ。とにかく、ブタピックの所まで逃げるわよッ! レッツ・ゴー!」
メルの頭のテンコツにある癖毛はまたピーンと立っていた。さすがは俺様の参謀だけはあるな。褒めてつかわす。
ってか、アホって……。俺様は元魔界の支配者で魔王なの。君、参謀。って言っても無駄か。俺様、最近、全然いいところ見せてないし。本当に情けなくて涙が出るぜ。愛刀、死斑剣も行き場を無くして寂しそうだった。
ま、でもとにかく今はメルの提案した漁夫の利作戦でいくしかないな。俺様は勇者に背を向け逃走した。プライドをかなぐり捨て。これは戦略的撤退なんだと強く自分自身に言い聞かせ。
「魔王。逃げるのか。情けないぞ。僕達と真っ正面から正々堂々、勝負しろッ!」
背後で勇者が何か叫んでいたが今の俺様には聞くだけの余裕がなかった。自分のプライドを慰める事に必死だったのだから。
逃げる俺様。追う勇者達……。
そしてブタの前に着いた。ブタの醜い口の端がニヤリとつり上がる。厭らしいな。相変わらず。
「ブヒ。ブヒ。元魔王様、ようこそここへ。歓迎致しますぞ」
ブタの口調は余裕だった。プライドを必死で慰める俺様とは、まったく対照的に。元魔界で一の実力を持ち支配者であった魔王である俺様の心を打ち砕くように。まるで、現魔王は自分だと言わぬがばかりに。
俺様はブタの態度にカチンときた。が、情けない事に今はその怒りすらぶつけられなかった。ちくしょう。
メルが言う。
「今は我慢するのよ。我慢よ。魔王。必死で耐えるの」
と子供をあやすように慰めつつ。
~ レポート三、我慢を重ねる、了。
レポート四、ファイト一発!
ブタピックの姿はまさにブタが二足歩行になったもの。潰れた大きな鼻が特徴の猪八戒。醜く太っている。ちくしょう。その見事な鼻にフックをかけて引きずり回したい衝動に駆られる。それほどもまでの鼻以外特徴がない猪八戒だった。
「ブヒ」
鳴き声も狙ったようにブタにそっくりだった。だから言っただろう。俺様が魔王だった時は、ブタはみんなにいじめられる存在だったのだ。
そんなブタに軽くみられる俺様。情けない。悔しさで涙の海で溺れそうになる位だ。
何で、こんな事になってしまったんだ?
全てはあのアホ勇者が悪い。あんな脳筋パーティに倒され魔王の座を失ってしまった事が全ての元凶なのだ。ま、負けてしまった今、どうのこうの言っても始まらないがな。
「ブヒ。ハンサムな魔王様が、ここに何用でございましょう?」
ブタの余裕をかました一言、一言に悪意を感じ異様にむかつきを覚える。今、この場で叩き斬ってやろうか。いじめられっ子だったくせによ。……と言いたい。が言えない。本当に情けない。
死斑剣を構える。
「魔王。今は無理よ。アイツは魔神器を持っているの」
分かってるよ。悔しいが今のブタピックは俺様を凌ぐ力を手にしているんだろ。だから俺様をさしおき魔界の支配者に名乗りを上げていると、そう言いたい訳だな。メル?
「悔しいけどね」
メルの声も震えている。青い瞳に涙すら滲んでいる。あんな醜いブタ野郎に大きな顔をされている事に憤りを感じているのだろう。やっぱり腐っても俺様の腹心だな。メルは。
「はっくしゅん。花粉が飛んでるわ」
あれ? メルさんの声が震えていたのは花粉のせいですか? うーん。魔人も花粉症になるんだ。って、違うッ!
「魔王!」
そこへ息を切らせ勇者が現われた。ま、ここは当初の予定通りメルが考えた勇者とブタをぶつける漁夫の利作戦でいこう。どちらにしろその作戦以外、ヤツらに勝つ方法はないからな。
「むぅ。なんだ、このブタは?」
勇者がブタに気づく。
「ブヒ。何者だ。ブタとは失敬な。吾輩はブタピック。現魔界の支配者なり! ブルヒンッ!」
ブタの野郎、言っちゃったよ。魔界の支配者だって。
どの口が言うんだ。おお? ……とは口には出せなかった。悲しきかな。嗚呼、悲しきかな。悲しきかな。
勇者に続き女僧侶と老齢な魔法使いが追いつく。戦士はばかでかい剣が邪魔でかなり遅れて、ここにたどり着く。ようやく勇者ご一行のご到着だ。
「勇者よ。どうやらヤツが今の魔界の支配者らしいですね」
女僧侶が言う。女僧侶は知的なインテリ。青い眼鏡がまた知的な雰囲気を高めている。
「そうじゃな。ブタピックか? こやつから邪悪で邪なオーラを感じるわい。魔王以上じゃわい」
老齢な魔法使いが答える。女僧侶と老齢な魔法使い、この二人はパーティの知恵袋のようだ。しかし勇者と戦士。この二人が癌だ。考えるという事とは正反対の存在に見える。
「何でもいいぜ。全部、ぶっ叩けばいいんだろ?」
戦士が言う。筋骨隆々な戦士は、担がなければ持てないような大きな中華包丁を持っている。いや、中華包丁とは乱暴な言い方だが、そうとしか見えない。殺傷力マックスな中華包丁……。
「作戦はガンガン行こうぜでよろしくッ!」
最後に青く光る剣を持った勇者が締める。いやはやまたもやガンガン行こうぜとは、いかにも脳筋な勇者らしい発言だ。
「はい。はい」
女僧侶が、面倒くさいと答える。
「ま、なんでもいいわい」
それに、老齢な魔法使いもやれやれだと続く。
しかし戦士だけは勇者に追随するように中華包丁を担ぎ上げ、大声で叫ぶ。
「ファイト一発ッ!」と。
ま、暑苦しいが、予定通りだな。これでいいんだろう?
とにかく無事に勇者ご一行とブタが戦う事となった。よし、メルが考えた作戦通りになったぞ。魔神器の力を見極めてやる。
「ブヒ。何だか知らんが。吾輩に剣を向けるとは、馬鹿な事をしたものだな」
うん? ブタの右手には、何かが握られているぞ。あれか? あれがヤツの手に入れた魔神器か? 俺様はブタを注視した。原初の魔王を呼び出せるという魔神器の真の実力を見極める為に。
「ブヒ。吾輩の力を甘くみるなよ。ゆくぞッ!」
とブタが言った。……いや、吾輩の力というより、魔神器の力だろうがと思った。
~ レポート四、ファイト一発! 、了。
レポート五、祝! アニメ化
「ゆくぞ」
ブタの右手に握られた魔神器がまばゆい光を放つ。まぶしくて目を開けていられない。凄まじい閃光だ。例えるならばあれだ。真っ暗闇で懐中電灯を顔に向けられたような……。いや、あれか。見事な禿っぷりなオッさんの頭で反射する太陽光か。
どうやらブタのヤツ、惜しみもなく魔神器の力を解放したようだな。しめしめ。作戦通りだ。
「くっ。何だ、この光は……」
閃光で目が眩んだ勇者が声を漏らす。女僧侶も老齢な魔法使いも光に、たじろぎ固まっている。戦士だけ、あの大きな中華包丁で光を遮断し攻撃するチャンスを窺っている。
「ブヒ。間抜けどもめ。細切れにしてくるわ。ブハハハッ」
魔神器の光が集束し大きな鎌へと形を変えていく。あれが魔神器の力なのか。俺様は目をこらす。
「勇者など敵ではないわ。ブヒヒッ!」
って、ブヒ、ブヒ、うるせえな。お前は自分が自分で紛う事なきブタだと認める気なのかよ? ブタピック、お前、いかにもな中ボスぶりだな。噛ませ犬っぽいぜ。
「ブヒヒッ!」
……もう、何にも言う事はねえ。
「くっ。ひるむな、みんな。僕達は光の加護を受けている。ゆくぞ!」
やっと終息した光に勇者が剣を構え鼓舞するように叫ぶ。光の加護って、何、その厨二。さすが勇者。
ま、勇者は放っておき、今は魔神器に注視しよう。
「ブヒ、ブヒ、ブヒ」
……本当にもう何も言うまい。
「みんな、作戦は、ガンガン行こうぜでよろしくッ!」
勇者が叫ぶ。
同時にブタピックの会心の一撃が豪快な風と共に勇者達をなぎ払う。何だ!? あの力は!?
「くっ。ひるむな。ガンガン行こうぜッ!」
ブタは、ブヒ、ブヒ、言うし、勇者はガンガン行こうぜばっかりだな。お似合い同士の戦いだな。ま、俺様達の作戦は両者を疲弊させる事だからいいけどよ。せいぜい頑張って下さいな。
ところで……。
魔神器。多分、あれは武具に変身し所有者の力を高めてくれる効果もあるのだろう。そう考えなければブタがあんなにパワフルに動けるわけがない。糖分上等で太りまくってるんだぜ。それにブタは元いじめられっ子だしな。
確かに中学生の時、いじめられていたヤツが高校で化ける事があるけどな。高校に入って地元でも凶暴な暴走族に入ったりして……。いわゆる高校デビューというヤツだな。
でもブタはあの姿形だぜ。どこからどう見ても肥え太ったブタだ。あんなヤツが凶暴化する訳がない。むしろ年をとって更年期障害で弱くなるタイプだな。ヤツは。
やっぱり魔神器か。
「ブヒ!」
ブタの手に握られている魔神器が変形した妖しく光る大鎌が、勇者の頭をかする。勇者の髪が宙を舞う。
「くっ。何だ。この強さはッ!」
やっぱり、強いんだ。さっきから勇者は苦戦につぐ、苦戦で相当、力を消耗している。ブタよ。よくやった。役に立ったな。お前みたいなヤツでもよ。
「勇者よ」
老齢な魔法使いが言う。
「そうね。今の私達には、まだコイツには勝てそうもないかもね。修業し直しよ」
インテリ女僧侶が魔法使いに続く。
「そうじゃ。残念じゃが、ここは逃げるに限るぞい」
戦士が二人を睨む。どうやら知的な二人は退却を望んでいるらしい。しかし戦士がそれに反抗する。
「ちょっと待てくれ。俺の必殺技がアイツを叩き斬る。もう少し時間をくれッ!」
口惜しそうにブタを睨む。
「ダメじゃ。その少しの時間が命取りになるぞい」
老齢な魔法使いが制する。魔法使いの判断はきっと正しいんだろう。状況判断に長けていると思われるインテリ女僧侶も魔法使いの意見に賛成する。
「そうね。ここは撤退するしかないわ」
「勇者、作戦を!」
僧侶と魔法使い、戦士が勇者に作戦を求める。
「よし。作戦変更だッ!」
勇者は苦渋の決断だとパーティの面々の顔を眺め告げる。決して心は折れていないと力強く。
「みんな、ガンガン行こうぜで、よろしくッ!」
あほ。今までの流れで、それを言うか。いや、あの脳筋勇者の頭の中には、それしかないんだろうなと思った。
「馬鹿。逃げるのよ」
インテリ女僧侶が勇者をこづきつつ言った。
ま、妥当だわな。今のブタピックには、お前らでは勝てん。もちろん元魔王であり、元魔界の支配者だった俺様でも勝てんが……。
ところで、メルさん。ずっと静かなんだけど、どったの?
「メル。静かだな」
「魔王。私がしゃべる必要がある訳?」
いや、別に必要があるとか、ないとかの話じゃなくてさ……。一人で、ヤツらの戦いを解説してると寂しい訳よ。出来れば、メルさんも。ね?
「いや、あの……」
「うるさいな。今、大事なテレビを見てるのよ」
確かに彼女は魔界のスマホ、スマッポでワンセグを見てるぞ……。ネズミのストラップやら何やら可愛いストラップが色々付いたスマッポでさ。
……テレビって。今、ブタピックと勇者達の戦いが佳境を迎えているのさ。そんな態度でいいわけ? メルさん。
「テレビって……」
「うっさいな。今、魔王レポートって言うアニメを見てるのよ。邪魔しないで」
魔王レポート……って! このお話やないけッ。何、俺様達の活躍がアニメ化されてる訳? マジかよ。カメラはどこだ。どこからこのお話を撮ってる訳?
「うーん。私は、この美少女メルが推しなのよね。可愛い」
自己満足ッ! それ、思いっきり自己満足だからッ! そう言おうと思ったらブタが耳をつんざくような大声で叫んだ。
「ブヒッ! 死ねッ! 魔斬烈火(まざんれっか)」
鎌(※注、魔神器)が周りの空気を切り裂く。どうやら話があらぬ方向に脱線している間に勇者との戦いに決着がついたらしい。ブタの技で巻き上げられた砂塵がはれた後、勇者の姿はどこにもなかった。……逃げたな。
そうしてヤツらの戦いが終わった後、俺様はブタを睨んだ。次は俺様が相手だと……。
~ レポート五、祝! アニメ化、了。
魔王レポート