アラーム

チッチッチッ、カチ、ピー

「おはよう、もう朝だよ。そろそろ起きないと仕事に遅れちゃうよ。それに寝過ぎは肌と、もちろん頭にもよくないよ。」


私は毎朝、彼のからかうような声で起きる。
もちろん隣に彼がいる訳ではなく、これは目覚まし時計のアラーム音だ。

早起きが苦手な私のために、彼がプレゼントしてくれたこの時計。
見た目はすごく可愛い。
私の好きな赤いバラのモチーフで縁取られた、ちょっとレトロな雰囲気を漂わせた素敵な時計。

しかし喜んだのは次の日の朝、アラーム音の代わりに彼の声が流れてくるまでの間だけだった。
機械音痴の私には設定の仕方が分からず、しかも朝から彼の声が聞けるのは、悔しいので認めたくはないが少し嬉しいというのもあり、もう二年近くもこのままにしてある。

もそもそとベッドから這い出ると、全身をひやりとした空気が包み込み、思わずベッドに戻りそうになるが必死で我慢する。
季節や体調に関係なく、いつになっても朝起きるのはつらい。

彼が私を養ってくれたら仕事に行かなくてすむ、つまり早起きせずにすむのに、と考えて少し笑ってしまった。
こんな理由で結婚をしよう、なんて言ったらどうせお腹をかかえて笑ったあといつもみたいに目を細めて、馬鹿だねえって言うんだろうな。

ぼんやりとした頭のままどうにかこうにか身支度をすませて仕事へ向かう。
仕事自体は嫌いじゃない。
上司や同僚にも恵まれているし仕事内容にも誇りを持てる、まさに天職だと思う。

だけどやっぱり私は幸せなお嫁さん、になりたいんだ。
旦那さんに尽くして、いや、彼に尽くすのはなんだか納得いかないな。
まあ、でも彼を支えて人生を一緒に歩いて行くのはなかなか楽しそうだしずっと笑ってられるだろうなって思う。
いじわるだし私のことを馬鹿にしてばかりだけど、大切にしてくれるし頼りがいもある。
そしてなにより、わたしは彼と一緒に年をとりたいんだ。

「なあに、ニヤニヤしちゃってー」

隣のデスクから声をかけてきた彼女は同僚でもあり親友でもある。
なんでもないよーとおどけてみせると、彼女は安堵したような顔で笑った。
私たちは昔から一緒にいて、もう家族と同じようなものだものね、心配ばかりかけてごめんね。
口にはしないけど私は本当にあなたに感謝してるんだ。


そして仕事を終え帰宅する。
鞄を置くよりも先に目覚まし時計の横にあるボタンを押すと、聞き慣れた彼の声が流れてきた。

「おかえり、お疲れ様。今日もよく頑張ったね。ちゃんとご飯いっぱい食べな?もちろんトマトも!たくさんご飯食べてお風呂入ってゆっくり休んでね」

私もうトマト食べれるんだからね、と呟きながら携帯を見るが、彼からのメールはなかった。

アラーム通りに食事をとり、お風呂に入る。
寝る前にもう一度携帯をチェックするが、やっぱり彼からのメールはない。
履歴を見ると最後にメールをしたのはもう二年も前のことだった。

思い出すのはやつれた姿で病院のベッドに横たわる彼。
泣きわめく私の頭を撫でながら、彼は目を細めて馬鹿だなあ、と言って笑った。
そして嘘みたいに痩せた両手で私に時計を渡した。


私は幸せなお嫁さんにはなれなかった。
けれど、彼の遺した目覚まし時計があるから、私は今日も生きている。


明日の起きる時間をセットすると、また声が流れる。


「そろそろ僕の声がなくても大丈夫なんじゃない?」

諭すような優しい声だった。

ごめんなさい、まだ消せないわ。

小さな声で呟いて、私は彼に見られないようにそっと涙を拭った。

アラーム

アラーム

メールをしない彼は、代わりに私の目覚まし時計に声を吹き込んだ。

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更新日
登録日
2015-11-01

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