「向こう側からの手紙」


 かつて“向こう側”には希望があった。“向こう側”の象徴が「物質的豊かさ」にあったのは言うまでもない。生産物の発展で揺るぎない理想郷がもたらされるだろう、異口同音に信じられていた。けれども――、当然のことながらそれは時代とともに変遷を余儀なくされ、“向こう側”は着々と形を変えることになる。「豊かさ」は「未来型思考」へ、「物質」は「心理的・宗教的な無形物」へ、ともなって人々のスタイルや興味は心変わりを繰り返した。そうしてついに、「豊かさ」への羨望が解ければ、皆揃い踏みして俯いた。……なんという惨憺たる有り様。笑うに笑えない。対岸の希望は蜃気楼……“向こう側”は完全雲散霧消し、楽屋裏を失った我々は無様にも街路をさまよっているではないか! ……憤りながらもなんとかしてこの現実を生きなければならない、そう息巻いて、息巻いて――いまや“向こう側”は、虚構の只中へと埋没してしまった。時代か、人か、はたまた人知外の天命のせいか。より誠実で、より清純な、今度こそ偽らない“向こう側”を求めて――人々は「ドラマ」の内奥へ逃げこんだ模様である。
 はじめから虚構なのだから幻想が潰えることはない。いわんや例え潰えようとも、再び毛色の違うドラマ性を構築しなおせばいいだけの話だ。そうして味をしめた人々は、――やがて、日常と非日常の境界すらも曖昧にしてしまった。
 私はここではっきり申し上げたい……。こりない奴等よ、よおく聞くのだ。いいか、虚構なんぞはクソ食らえだ! 豚の餌である! ……学習のない奴め……虚構が虚構性を見失ってしまったら……お次はなんだ。もう……放浪の旅は、こりごりだ!
 これを読んでいるあなた。くれぐれも、くれぐれもご留意いただきたい。私なんぞもう、……こうして紙面上を、うろうろ、うろうろと、十数年も彷徨っている。だれか、だれでもいい……いいえ、どなたさまか……いらっしゃいましたら、ここから……出してくれ。お願い……だ……、出して……、くれ

ダレカ。

「向こう側からの手紙」