アメイジア ~遥かな時を待ちし者達~

 双月(そうげつ)が明々と輝き、闇夜を照らしている。
 とうに夜半を過ぎ、全てのものが眠りに就く頃。
 ある里で不穏な出来事が起きていた。

 「お願いです! この子だけは! この子だけは!!」

 薄暗い明かりの中、部屋には数人の者達が母子を囲うように立っている。1人の男が前に出て、徐に刀を鞘から抜き放ち、切っ先を上へ向けた。
 生れたばかりの赤子を守ろうと懇願し、慈悲を請う母親。その身を赤子の前に投げ出し、涙を流しながら刀を構える男を見上げる。まさに必死である。
 さらに訴えかけようとしたその瞬間――

 ――一閃。

 母親は力なく崩れ、床に伏せた。

 「許せ……」

 男は呟くと赤子の前に歩み出る。そして、両逆手に刀を持ち替え、突き刺す構えをとった。

 「……」

 赤子は泣きもせず笑いもせず何を思うか、ただじっと男を見つめている。

 「さすがは、あの方のご子息よ……」
 「ノウイン様」

 妖艶な女の声が響く。

 「セイケイか」
 「はい、里の制圧は完了しました。オウガン候の妻と子供を捕らえてありますが?」
 「子供は男子か?」
 「双子の女子にございます。主の命は男子ならば殺せとのことでしたが、やはり禍根を残さぬためにも……」

 ノウインは(しば)し逡巡する。

 「……その者らをここに連れてくるよう兵に指示せよ」
 「……畏まりました……」
 「お前達も後始末にかかれ」

 皆は「はっ」と口々にノウインと赤子を残し、その場から去る。ノウインは目の前にいる赤子に不思議なものを感じていた。刀を鞘に納め、方膝を突いて顔を覗き見る。赤子は、何かを見透かすような瞳で、黙々とノウインを見つめるばかり。

 「泣きも笑いもせぬか……名を聞いておらなんだな……」

 ふと横たわる母親を見て、哀憐とも懺悔とも取れぬ表情を浮かべて目を瞑った。

 しばらくして、外から騒がしい声が聞こえてきた。

 「離せ、無礼者! 触るでないわっ! わらはをオウガンの妻と知っての狼藉かっ!」
 「大人しゅうなされ。轡を噛ませますぞ」
 「おのれ、わらはを馬と同列に扱うか!」

 ノウインは戸口を出ると、暴れる女に声を掛けた。

 「トモエ殿」

 声を掛けられて、トモエは驚く。

 「ノウイン殿! そ、そなたの仕業であったのか……何故じゃ? 何の故あってこんなことを!」

 ノウインは答えず、トモエと双子を中に入れるよう指示する。トモエは中に入れられて直ぐ、先刻夕食を共にし語り合った者の無残な姿を目にした。

 「シ、シズカ様! シズカ様……」

 双子は、先に居た赤子の横に寝かされた。

 「こちらから呼ぶまで入ることはまかりならん。セイケイにもそう伝えよ」

 ノウインは、扉を閉めると憎憎しげに見上げてくるトモエと対峙した。

 「おのれ、ノウイン」
 「……」
 「死した後、必ずや子らと共に黄泉より舞い戻って、貴様らを呪い殺してくれる」
 「……」

 トモエの禍々しい呪詛には耳を傾けず、ノウインは3人の赤子らの前に胡坐をかいて座る。そして腕を組みながら目を閉じた。トモエは一体何を? と思ったが、どうせ殺される身。ならばせめてと。

 「ノウイン、先に私を殺せ。母の見る前で子らを殺すなど、地獄に落ちるだけでは生温い所業ぞ」
 「……」

 答えぬノウインに、トモエの中でどす黒い炎が沸々と燃え上がる。

 「まさか最も信頼する一族の者達の手に掛かろうとは……我が夫とシズカ様の夫を敵に回して貴様達は生き残れようか? さらにはカマクラ様が……」

 トモエが言いかけたところを手を上げて抑え、ノウインはゆっくりとトモエに向き直った。

 「オウガン候もクロウ様も、お亡くなりになった」
 「なっ!? 何を馬鹿な!!」

 青天の霹靂、驚天動地。とても信じる事の出来ぬ話。自らの夫オウガンは聞こえ高き勇将である。クロウに至っては世界にその名を轟かす国一の、いや世界一と言っても過言ではない神霊(みたま)使い。

 「世迷言を申すな!」
 「……」

 ノウインは黙って静かにトモエを見つめる。その表情は嘘を言っておらぬと知るに十分なものを含んでいた。しかし、簡単に信じることなど出来ない。戦に出兵してはいるものの、あの2人をがやられるなどありえようか……。トモエは、ノウインの表情をまじまじと見ながら、ある答えに辿り着く。
 何故、突然ここを襲いシズカを殺し、今から己を含めて子供らを殺すのか。それは、後の憂いが無いから――既に死んでいるから――禍根を残さぬため――
 それに、共に戦に出兵したはずのノウインだけが先に戻ってきて、かような所業をしているのが何よりの証拠といえる。ならば、夫とクロウは戦で死んだのではなく、謀られ殺されたに違いない。しかし、それにしても簡単にいくとは思えない。もし、死んだのならば余程の策を持って闇討ちにしたのだろう。しかも、不意を突かれてはクロウでさえ防げぬほどの神霊使いによって――ノウインとキジャク!
 ならば或いは可能かも知れない。そこまで推測するが、しかし釈然としない。トモエはノウインがいかなる人物かを知っている。この忠義の士たる者が、己の謀略を以ってかような事をしでかす筈があろうか? と……。
 ならば、ノウインに指示を出したもの……つまりノウインより上の者――

 「まさか……カ、カマクラ様が自らの従兄弟と弟を殺すよう指示し、わらわ達まで……そうなのか!?」

 ノウインは、それには答えない。

 「今から、そなたに選んで頂こう」
 「……?」

 ノウインは実は葛藤していた。主の命に忠実に従うことが、自身の存在意義。今までそうであったようにこれからもそうだろう。しかし、この赤子を、クロウの子供を殺すことを何故か躊躇わせる。戦場で幾度もクロウに、命を救われた恩義があるからか? クロウを死へ追い込んだ自らの卑劣さを恥じてか? 母親を手にかけた懺悔からか? いや、この赤子の不思議な力とでもいうような、決して殺してはいけないと感じさせる何か、それに魅せられたからかも知れない。

 「双子のうちどちらかを……カマクラに連れて行く」
 「何を言うておる……?」
 「双子のうちどちかとクロウ様のお子のお命を助け申す」
 「……?」
 「拙者に下った命は男子ならば誅殺。女子ならば委任するとの事……」
 「誅殺とは……」
 「猊下に対し反逆を企てた……というな」
 「おのれ、そこまで貶めるのか……」
 「さあ、時間も無い選ばれよ」

 ノウインの言ってる事は、トモエが我が子2人のどちらかを差し出せば、男子は誅殺と命令が出ているクロウの子供を助けるという事。しかし、いくらそうだとは言え我が子を差し出す母親がいるわけがない。

 「選べるわけが無かろう!」
 「いいや、選んでいただく」
 「ならば、我が命をもってこの子ら3人を助けたもれ」
 「……できぬ相談だ」
 「何故じゃ!?」
 「クロウ様のご子息は既に幾人かの兵が男子であることを見知っておる。これは拙者にとっても賭けなのだ。だからこそ、カマクラに連れて行きその場で、誅殺を留まって頂くよう願い出るつもりだ」
 「ならば……」

 ノウインは手を上げて話を抑え。

 「9割方、命は助かるまい。しからば、連れて行くわけにはいかん」
 「……お主は……わらはの子よりクロウ様のお子を助けたいと……そう申すのだな……」
 「済まぬが、これが拙者できる最大限の譲歩だ」

 親戚として血のつながりはあっても、我が子の命と引き換えに他の子の命を助けようなど、どの親が思うものか。状況は理解できる。だが理解したくも無い。トモエは恨めしそうに下唇を噛み締める。その唇の切れ目から血が滲み一滴、また一滴……零れ落ちた。

 「先も言ったが、時間も無い。外に待機させてる者達が、痺れを切らし入って来るやもしれんのだ。さらには、拙者に対しても疑義が掛かる恐れがある。そうなった場合は、誰も助からぬと知って頂きたい」
 「……」

 トモエはそれでも選ぶことが出来ない。しばし、逡巡して、答えた。

 「わらはは後ろを向いておる故、そなたが選んでたもれ……どちらを選んだかわらはには分からぬように……」
 「承知した……」

 ノウインは、赤子らに向き直った。それを見てトモエは咄嗟に言葉が出た。

 「ま、待ってたもれ! せ、せめて最後に抱かせてくりゃれ!」

 ノウインは、静かに頷きトモエの縄を解く。トモエは、縄が解けるや否や双子に駆け寄った。どちらを見るともなく見ながら「許してたもれ、許してたもれ」と抱きながら涙を流している。ノウインは、それを見つめ己がいかに罪深き事をしているか、痛切に感じていた。

 暫しの後。

 「時間だ……」
 「……」

 トモエは、抱きかかえた双子を悲哀に溢れた表情で床に寝かせた。その場から一歩二歩と去りながら後ろ髪を引かれ、今にも振り向いてしまいそうになる。双子に後ろを向けたまま肩を震わせ、太もも辺りを握り締め、断腸の思いで耐えている。
 ノウインは、双子の片方を包む布を外し、クロウの子供の物と取替えた。そして抱きかかえて立ち上がる。

 「この薄明かりの中だ。見た者達もしっかりと面影は覚えていまい」
 「……」
 「もしも、命が助かった時の為に、名前を聞いておこう……」
 「……チヨメとハツメじゃ……」
 「合い分かった、どちらか分からぬが、こちらで勝手に呼ぼう。これからは、人里離れた……カマクラの者が知らぬ場所で静かに暮らせ」

 ノウインは、双子の片割れを抱き、戸口へ向かう。

 「お主等……必ずや地獄に落ち、業火に焼かれようぞ……」
 「……拙者とて、これほどの業を抱えて極楽に逝けるとは思っておらぬ」

 ノウインは、そう言うと戸口を開け、出て行った。いくらかの時間が経ち、ノウイン達は撤収したのだろう。外からは風が戸を叩く音だけが聞こえるばかりとなっていた。
 トモエは、はっと気がついて振り返ろうとするが、何故か身体が動かない。いや理由は分かっている。怖いのだ。一体どっちが連れて行かれたか、知ってしまうことが恐ろしくて堪らないのだ。先ほどは「どちらを選んだかわらわには分からぬように」などと言ったが、それは本心ではない。母親だ、どっちが連れて行かれたかなど、一目見れば分かる。
 もし自分が選べば、その選ばれた子は十中八九、殺される。それが分かってて選ぶことは、自分が我が子を殺す事と同義。トモエは選んだその責任を抱えて生きていけるほど、強くもなければ無恥でもない。
 しかし、だからこその無責任。自分が選んだのではないと、自分の所為ではないのだと、どこかで逃げ道を作ってしまった……。振り返ればその現実が、必ずそこにある現実が、きっと自分を責め立てるだろう。自分の無責任を……振り返り知るという恐怖……。それを、身体は正直に拒否反応を示して動かない。
 そんなトモエの心の悲痛が嗚咽となって零れた出た。やがて、溢れ出した感情は、その身体をも動かし、積み木が崩れるように床に落ちた……。

 どれほどの時間、咽び泣いていたのだろうか、いつの間にか窓の外は白んでいた。隙間を通って吹き付ける寒風は、トモエの心と相まってより冷え冷えとし、身体を凍てつかせていく。
 トモエはやがて意を決して振り返り、残された我が子を抱きかかえた。そして、連れて行かれたのがどちらかを知った……。

 「許してたもれ……ハツメ……」

 もう1人の赤子を一瞥し、見つめてくるその子に対して表情は陰る。我が子に見せる情の様な物を全く感じさせない。ただ心の奥底にある何かを思い、トモエは無表情のまま見つめ返した。

 やがて、外に出る。暁に浮かぶ双月は、今は1つしか見えず、いつもは聞こえる小鳥のさえずりも、寒々冷々と吹く風に身悶えているのか聞こえない。

 トモエは、周りに転がる死体の中を、当ても無く歩き、どこへ行くとも知れず、朝靄(あさもや)の中には消えていった……。

隠れ宿

 
 あれから18年の歳月が経っていた。


 ここアトランティス地域は、アメイジア大陸の東に位置し、比較的穏やかな気候と豊富な資源が存在する地であった。
 他の地域の事は、ここに住む者たちには分からない。何故なら、神々の壁と呼ばれるものの存在によって互いの行き来が出来なかったからである。

 陸地を大山脈が、海を大渦が、空を大風が壁となって、互いを干渉させなかった。

 だからこそ、壁の向こうがどうなっているのかを知る者は誰もない。何があるのか? 生き物達はいるのか? 陸地はあるのか? など何も分からないのである。

 アトランティスには、現在は3つの大国と5つの小国が、大国の領土間を埋めるように存在していた。

 カ―メリ帝国は、3大国の中でも非常に短い期間で、大国になった国である。
 国々を討ち倒して支配下に置いた期間がまだ短いため、戦時中に被害を受け、または敗れた国々の国民はいまだ帝国に対して強い反発心があった。

 そこで、帝国は元々の直轄地以外を、余ほどの反逆や能力不足でない限り、国であったところは国のまま残し、国とまでは言えない一民族の支配していた地域等を郡として、それまでそこを治めていた者に委任統治をさせることで緩和を図った。

 ある程度の自由統治と領土の保障をする代わり、帝国への忠誠と戦時出兵の義務などを科す制度を導入することでうまくバランスを保ったのだ。

 そんな帝国の中に、異例の国がある。

 帝国と戦もせずに傘下に入り、国と言えるほどの規模がないにもかかわらず国として認可され、さらには、その扱いは各ある国はおろか直轄領の諸侯らよりも上の扱い。

 その国こそ、神霊(みたま)を発見し、数々の神霊使いを排出し続け、18年前が最後となってる戦でカ―メリを帝国という大国へと押し上げた功労国。

 その国の名はヤマト。

 首都はカマクラ。その沿岸にユイガ浜と呼ばれる浜辺がある。そこから南にある森を海岸沿いに1キロ行った場所の出っ張った地形。

 神々の壁の1つである大渦の荒波によって削られ、鋭く突き出た岬。
 そこに、跪座し手を合わせ祈っている男の姿があった。
 座した手前には5、60センチ程度の石。
 墓石と思われるそれは、野晒しで人の手入れがないのか薄汚い。

 神妙な面持ちで祈っていた男に静かで落ち着いた女の声が掛かる。

 「アソン……時間……」

 アソンは、ゆっくりと目を開き、何か物思わしげに答える。

 「……ああ……今回は出るかと思ったんだが……」
 「出ないにこしたことない……」
 「そうかもしんねぇが、恨み辛みってのはよぉ、受け止める奴がいねぇと神霊食って暴走すんだろ? それに、こいつは俺のために犠牲にされたんだ……」

 立ち上がっても、まだ名残りがあるのか哀愁の表情を浮かべ墓を見つめている。

 「アソンの所為じゃない……」
 「わぁってるわぁってるって」

 腰に手を当て頭を掻きながら、面倒くさそうに答える。

 「それでもよ、もし怨んでんなら受け止めてやりてぇんだよ」
 「もう何年も危険冒して……」
 「義務とか思ってるわけじゃねぇ。来たいから来てんだ。お前だって毎度付いて来んのは会いたいからだろ?」
 「違う……目付役兼護衛……命令だから……」

 わざとらしくため息を吐く。

 「じじいは心配しすぎなんだよなぁ、自分の弟子を信用しろってんだよ」
 「長居は無用……」
 「あいよ」

 後ろの下の方に向かって一瞥すると、再び墓石に向き直り声をかけた。

 「あんま来てやれんくて悪りぃな、また来っからよ、そん時にもし……」
 「アソン!」

 別れの挨拶を遮られるが、アソンに不機嫌さはない。緊張感のある声であったためだ。刀に手を置き、警戒レベルを上げ周囲を伺いながら、小声で答える。

 「どうした、チヨメ」
 「たぶん……カマクラの……」
 「数は?」
 「7……いや、8……」
 「俺らに気づいてっか?」
 「分からない……でも、近づいてきてる」
 「距離は?」
 「……およそ……1キロ……」

 アソンは少し逡巡する。

 (近づいてるのはたぶん見廻りのもんだろう……接触したところで、俺の素性がバレることはねぇが、しかし、ここにいた理由を説明するのは難しい……この姿も怪しまれそうだし……まだ、気付いているとは限らねぇなら……)

 「離れるぞ」
 「分かった……術、使う?」

 ゲンは、森を西に向かって走り始める。

 「いや、止めとけ。何者かが居たと知られんのは好ましくねぇ。じじいの話に聴く限り、伯父はともかく、あの人なら……」
 「そうね……了解」

 アソンは、行く道を邪魔する枝葉を器用に掻い潜り、全く苦にせず走っている。その姿は、明らかに何らかの訓練を受けたものであることは間違いない。ただ、それだけなら驚くほどの事はないだろう。しかし、彼は、来た道を向いているのだ。つまり、後ろを向いたまま、木々の枝葉を掻い潜っているのである。
 後ろ向きに走る意味、それは特にない。ただ、油断しきっていたのだ。今まで何度か来ているが、見つかったことが一度もない。そうした積み重ねが油断となって後ろ向きに走るという意味のない行為に表れただけである。
 それでもかなりの速さではあるのだが……。

 先程の岬から3キロの地点で立ち止まる。

 「追って来てっか?」
 「……来てない」
 「だろうな」

  それも束の間。

 「……え! ……そんなまさか?」

 先程の緊張したチヨメの声とはまた違う、緊張の中に不安や迷いの様なものを感じる声。

 「チヨメ?」
 「1人だけ……こっちに向かってくる……」
 「!?」

 それを聞いた瞬間、ゲンは前を向いて全力で走り出した。嫌なものを感じたからに他ならない。数キロ離れても追ってくるということは、何かしらの術などを用いてか自分らを確認したことになる。そのような術を使うものがただ者のはずがない。見廻りのような下っ端の連中に、そんなことができるものが居るとは思わなかったために、油断しすぎていた。後悔の念は強くなるが、今は、まず人相を知られないことが第一である。

 (失態だな……じじいが心配するわけだ。俺もまだまだ修行が足んねぇや……)

 先程の倍以上はあるスピードで駆けながら、チヨメに尋ねる。

 「まだ追ってくるか?」
 「……後数分で追いつかれる」
 「何!?」

 思いがけない返答に驚きの声を上げる。全力で走ってる自分に追い付く者。それは、神霊使いでもかなり上位の可能性が高い。アソンは、相手の評価を数段上げ、熟考する。

 (もし、じじいに聞いたラッパ衆とかいう奴らなら厄介だな……。どうする……チヨメに罠を……いや、もしラッパなら掻い潜ってくる可能性は高いか……仕方ない……)

 「チヨメ! あれを使うぞ!」
 「!?」
 「どうした、早くしろ!」
 「あれは、余ほどの……命の危険があった時にと……追って来る者は……」
 「確かに、俺とお前なら追って来てる奴は何とかなるかもしれねぇ。だが、ここは相手の庭だ。仲間を呼んでないはずはねぇ。相手はかなりの実力者だ。姿を見られ情報を持ち帰られる可能性がある以上、接触を避けるのが第一じゃねぇか?」
 「……わかった」

 アソンの言葉に納得し、チヨメは封を切る言の葉を唱えた。

 「我らが身を彼方へ飛ばせ――空間転移!」

 アソンの影が淡く光ったと思われた瞬間、その場に居たはずのアソンの姿は消えた。

 (しば)くして、アソンを追って来た者だろうか? 消えた辺りを見つめる人影があった……。

 ◇

 カマクラから西に向かって果てしなく伸びるトウカイ道は、国にとって重要な幹線道路である。
 西に向かってしばらく行くと、ヤマト三名山に数えられるフジと呼ばれる綺麗な円錐形の山が見えてくる。裾野には、全国から一目霊峰を拝みたい者達が集まる、ヤマト国でも指折りの景勝地となっていた。
 その一角にヨシワラという宿場町がある。

 道幅50メートル以上のトウカイ道が街の中央を通り、街道沿いにはこれでもかと様々な店が建ちなんでいる。
 西から首都へ向かう各国の要人も、この景勝地で一息つくことが多く、ヤマト独特の旅籠から、他国のデザインや文化を取り入れたホテルと呼ばれる宿などもあり、比較的開かれた街である。
 だが、面白いことに、ホテルを利用する客は大抵がヤマト国民であり、他国の者達は異文化を味わうべくヤマト国独特の宿に泊まることが多いのである。
 もちろん、異国文化を味わうだけが目的とは限らないが……。

 大通りから外れた小道を幾度か曲がった先に、看板も無く外観は廃れた普通の民家のような建物がある。その一室が光ると、突如人影が現れた。

 「ふう」

 部屋の窓を開け、首を出してフジを眺める。

 「あぁ、くそっ! ここからじゃ中途半端にしか見えねぇ」
 「当たり前……観光のための宿じゃない」
 「ま、そうなんだけどよぉ」
 「油断……したね」

 アソンは、ばつが悪そうに磨りガラスの窓を閉める。

 「また、じじいに説教されんな」
 「ええ、必ず……」
 「まあ取り敢えず、姿を見られてねぇのは良かったがな。しかし、見廻りの中に俺らを嗅ぎつける者がいるとは思わなかったわ」
 「油断し過ぎ」
 「ああ、これからはもっと気ぃ付けるよ」
 「そういえば……いつ来るの?」
 「その話は飯の後でいいだろ。それよりそろそろ出たらどうだ?」
 「そうね……」

 アソンから伸びる影が揺らめくと、すっと女が現れた。漆黒に身を纏い、長いまつ毛に切れ長の目をした非常に美しい女性である。腰には両側に交差するように小太刀を携えている。

 アソン達は、いくつもある隠れ宿のうち、このヨシワラを首都近郊に行くときの中継地点として、よく利用していた。ここは景勝地であり、人が多いため紛れるのは好都合であることと、里からちょうど中間地点にあることが理由である。
 他にも異国の人間が多く、世界の国々などについての情報収集という意味でも、非常に重宝する場所であった。

 「ぷはぁ、食った食ったぁ! よいっしょっと」

 アソンは、仰向けに横になって伸びをする。

 「いつまで経っても行儀が身につかないのね……」

 アソンは横寝に肘枕をしながらチヨメを向く。

 「そんなことねぇだろ、里ではちゃんとやってるつもりだぞ?」
 「今ほど悪くないだけ……」
 「けっ、どこぞの大貴族の坊ちゃんじゃあるまいに」
 「アソン……」
 「……まあ、何だ、俺らにとっては今更じゃねぇか」
 「でも、母上様は……」
 「敵討ちか……確かに今の里の……クラマ衆で奇襲掛ければ出来ないこともないかもしんねぇが……。けどよ、両親を殺されたと言われても、話したこともねぇんだ。憎しみとか実感が湧ねぇよ」

 チヨメは茶をすすって一息吐くと、どうでもいいという態度のアソンと違い、手に持った湯呑に映る自分の顔を、思うところがあるのか静かに見つめている。何か違うものが見えていたのだろうか? 一瞬手を揺らしたことで、小さな波紋が起きた。波紋の揺らめきは顔の形を崩し、やがてまた自らの顔を映し出した。
 アソンはそんなチヨメの様子を観察しながら、呟いた。

 「お前は違うみたいだな……」
 「分からない……ただ、母上様が望むなら……」
 「そうか、そうだな……」

 アソンには復讐という気持ちはまるでなかった。チヨメも多分そうなのだろう。しかし、チヨメは母親の望みを叶えたいと考えている。ならば自分は全力でチヨメを助けようと思っていた。何故ならアソンも同じようにチヨメの望みを叶えたいと考えているから。
 少し重くなった雰囲気を変えようと、話題を変えた。

 「そうそう、いつ来るかだっけか? 詳しくはわからねぇが、取り合えずしばらくはのんびり出来ると思うぞ」
 「適当……」
 「仕方ねぇだろ、繋ぎがいつ来るか分かんねぇんだしよぉ、まあ、無事この国に入って来られるか……入って来てもここまで無事に来られるか……」
 「なら迎えに……」
 「駄目だ。じじいからここで待てと厳命されてんだ。国境付近はカマクラの手の者でも上位の神霊使いが見張ってるからなぁ」
 「その何人で……何しに来るの?」
 「俺が知るかよ、じじいに用があるんだろ。まあ、モモチさんが案内役でここまで連れてくるらしいから、無事だとは思うけどな」
 「あの方は、滅多に里に居られないけど……」
 「ああ、何でも昔じじいが世話になった国との密通役として、その国に留まってるとか言ってたな」
 「初耳……」
 「そりゃ、お前が聴かねぇからだろ? 俺に対しては質問攻めにすんのに里のもんに対しては無口になるよな、お前」
 「そんなことは……」
 「お前、きっと根暗だと思われてんぞ、ハハハ」
 「別にかまわない……」
 「かぁあ、からかい甲斐がねぇな」

 特に表情を変えないチヨメに、呆れるようにため息を吐くと立ち上がり、戸口まで来て引き戸を開けた。

 「さて、ちょっくら行ってくっかぁ!」
 「ついていく」

 廊下に出て歩き出すアソンを追い、その影に潜るチヨメ。

 「えぇ? マジかよ? いいって、一人で行くって」
 「そうゆうわけにいかない、見てないと」
 「見ていたいのか?」
 「当たり前」
 「まあ、興味があってもおかしくねぇよな……年頃って奴なんだろうし……俺は構わねんだけどよぉ……厠だぞ?」
 「……」

 姿は見えないが、廊下からドカッと鈍い音が聞こえた。
 やがて、チヨメだけ戻ってくると、静かに正座しブツブツと呟いている。

 「……」

 声が小さく何を言ってるかは分からないが、頬は少しばかり薄桃色になっているようだった。

兄妹

 数日後。
 宿場町ヨシワラ。その、賑わう街の中心をフ―ドに犬の仮面で全身を隠して歩く人物がいる。見るからに怪しいその人物。しかし、それを気にする者は誰もいない。行きかうの者達の中にはちょいっと見る者はいるが、直ぐに何もなかったように通り過ぎる。これは、その人物が怪しく危険な香りがするための行動……と、いうわけではない。ただ『そうゆう人』なのだろうと理解するためだ。
 他に目を向けてみれば、ちらほら似た様に顔を隠す者の姿がある。服装もフ―ドで覆うものもあれば平民そのものと思われる服装をしている者もいる。仮面も多種多様。中には口だけを隠したり、目だけを隠したりする者もあった。
 こういった者達は、通称『仮面様』と呼ばれ、その殆どが各国の要人達である。各国要人達は、暗殺の警戒や情報漏洩、思惑などを知られないために、自分がどこの国の何者なのかを互いに隠しているのだ。公然と隠すことで、互いにそうそう無茶なことが出来ないわけである。人違いをして暗殺などをしたら、それこそ目も当てられないことになる。相手が大国の者であった場合などは特にそうだろう。だからこそ、小国の人間もかような格好をすることで、身の安全を図ることが出来ているのである。
 中にはヤマトの警備の者や要人もいるし、他国のスパイもいるが……。

 犬仮面は、大通りをすいすいと歩いていく。体格は小柄ではないが成人の男性よりかは一回り小さく見える。その足取りは見るものが見れば訓練された者であろうことがわかる。仮面で表情は分からないが、特にこれと言って何かを探す素振りを見せるわけではない。ただ、何らかの目的をもって周囲を観察しているようであった。

 (しば)く歩いていくと、通りに輪を作るように人だかりが出来ている。

 「離せ! 離せぇ!」
 「なぁんにが離せだ、こんの小童めぃ!」

 手前の店の者らしき男が、10歳くらいかと思われる子供の首根っこを掴み吊るし上げている。その足元には、さらに幼いと思われる子供が泣きじゃくっている。

 「泣くな、大丈夫だ。おいらが、この乱暴者を成敗してやるからな」
 「はぁ? こん小童は何にをとち狂ってんだ? 先に盗み働いたんはおめぇでねぇが! しっかも仮面様の物に手ぇつけるたぁ、とんでもねぇやい!」

 子供は吊るし上げてる男の手に噛み付く。

 「あっだぁ! こんのっ!」

 男は乱暴に地面に男の子を叩きつけた。男の子は数度地面を跳ねて転がる。

 「兄様(にいさま)! 兄様!」

 泣いていたもう一人が駆け寄る。

 「もぅ、許さなねぇべ」

 男は、腕を捲し上げながら子供らの前に立つと、拳を振り上げた。少しはなれたところで見ていた犬仮面の人物は、それを見て、止めに入ろうと思ったのか、動こうとした。だが、それより先に男の拳は振り下ろされた。

 パシン――

 乾いた音が辺りに響く。

 「おいおい、これくれぇで勘弁してやっちゃどうだい、番頭さん?」

 男の放った拳を片手で軽々と止める者がいた。番頭は、止められた自分の拳から、止めている者へと目をぎろりと動かした。そして、次の瞬間、驚いたように目を大きく見開いた。

 「こ、これは、ぼっ、ぼっ……」
 「……」

 男は番頭を含んだ目で見つめる。

 「あ……アソンさん……」
 「俺は、子供殴るってぇのはどうかと思うぞ?」
 「あ、いや……ついつい頭に血が上っちまってぇ、へへ」
 「まあ、脇から見てたがどうにも悪いのは小童どものほうだけどな」

 と、子供たちに視線を移す。兄のほうは「ふん」と不貞腐れてる。もう1人は申し訳無さそうに、俯いた。そこに、店から何者かが出てきて声をかける。

 「番頭。我々も騒ぎはごめんだ。それくらいにしてやってくれ」

 声のする方を振り向くと、獅子の面をつけた人物が立っていた。

 「そ、そうですかい? 仮面様がそう言うんなら……」
 「おうし、こいつらが盗んだ物は俺が払おう」
 「いや、アソンさん、盗まれた物はもうとっくに取り返してんで……」

 番頭は獅子面の人物を見る。

 「ああ、返してもらってる」
 「そうかい?」

 アソンは、子供達と同じ高さまで視線を落とすと、俯いてる方の子の帯の結び目から何かを取り出す。

 「あっ!」
 「駄目だぞ、嬢ちゃん。事情があんだろうが、やっぱ盗みはな」

 女の子は手を伸ばして懇願するように訴える。

 「そ、それがないと母様(かあさま)が……」
 「かぁ、この小童共、こいつは高級薬でねぇが」
 「こっちが本命だったんだろ。で、いくらだい?」
 「50はしますぜ」
 「そっか、ほらよ」

 アソンはポンと袋を番頭に渡す。番頭は少々慌てて聞き返す。

 「ぼっ……あ、アソンさんいいんですかい?」
 「ああ、かまわねぇよ」
 「……まあ、アソンさんがそうゆうなら……」
 「そこの獅子面の方も、これでいいかな?」
 「元より、私に損害はない。それよりも、こうして騒がれる方が迷惑だ」
 「だとよ」
 「へ、へい」

 アソンは、子供らに向くと不貞腐れてる男の子に、包み紙を差し出した。男の子はきょとんとした後、ぷいっと顔を横に向けた。

 「何だ、いらねぇのか?」
 「……」
 「兄様……」
 「ば、馬鹿にすんじゃねぇ、誰が民草の施しなんぞ受けるか!」
 「民草?」
 「兄様!」

 (こいつら貴族の出か……だとすると……)

 アソンは思い当たることがあるのか、子供らを見つめる。

 「民草だろうがなんだろうが、これが必要なんだろ?」

 男の子は暫し逡巡していたが、突然アソンの手から紙包みを奪うと、妹と思われる女の子の手を引いて駆けだした。そして、走りながら叫んだ。

 「貸しだ何て思うんじゃねぇぞ、チンピラ!!」
 「な、何て小童だ! ぼっ……アソンさんに向かって……」
 「いいって、いいって、これにて一件落着。じゃあな」

 アソンはそう言うと、欠伸をしながら人だかりをすいすい、歩いていく。

 先ほどの場所から、随分と離れアソンは、大通りを曲がって小道に入った。

 「追って来てはいねぇな」
 『ええ……』
 『何で念話なんだよ』
 『念のため……』
 『今の……駄洒落か?』
 『何?』
 『いや……』
 『目立つ行動は控えろと言われてた……それでなくても……』
 『わぁってんだけどよ、だが、どうもああゆうの見るとよ……』

 頭を掻きながら歩くアソンには、あまり反省の色は見えない。

 『誰に似たの……?』
 『知るか。しかし、あの仮面の2人……ただものじゃねぇな』
 『ええ……特に犬の方は私に気づいてるようだった……』
 『確かに、俺に何か違和感の様なものを感じてる雰囲気だったな』
 『もしかして、追ってきた……?』
 『まさか、消えて相手を追える奴なんているのかよ』
 『カマクラ舐めないほうがいい』
 『まあ、そうだな、失敗してるしなぁ……。それと、獅子面の方。あれは男じゃねぇよな? 声色を術か何かで変えちゃいるが女だ。まあ、普通の奴にはわからねぇだろうが……』
 『そうね……』
 『まあ、尾行もねぇんだ、撒く必要もねぇんなら、とっとと宿に戻るかぁ』
 『ええ……それに夕食が……』
 『何か言ったか?』
 『……何も』
 『お前、太るぞ?』

 「いっでっ!」と片足でケンケンするアソン。どうやら、チヨメがアソンをつねった様だ。

 『お前な、念話切らなきゃ聞こえるに決まってるだろ?』
 『うるさい……』

 アソンは、肩を竦めておどける。

 『何?』
 「なぁんでもねぇよ、ハッハッハ」

 何やらやり取りしながら宿へ戻っていくのであった。

 アソンの姿が見えなくなるまで、見つめていた2つの仮面は、お互いに全く別の事を考えながら眺めていた。それからふと、互いに面越しに見合ったように見えたが、興味がなかったように一瞥しただけで、獅子面は店に入り、犬仮面は通りを歩いていった。しかし、何の因果からか、互いがまさか剣を交えることになろうとは、この時はまだ知る由もない……。

 ◇

 見るからに立派な書院造の武家屋敷。
 そこに夜の帳に逆らうように明々とした一室があった。
 書斎と思われる部屋で、座具を2つに折って脇下に置き、肘枕をしながら本を読む男の姿。
 後姿で定かではないが歳は中年であろうか。派手さの無い上等な服を着、襟下には丸に割り菱の紋様がある。
 男は外に気配を感じ、意識を後ろに向ける。
 それに呼応するかように入り側から障子越しに声が掛かる。

 「ノウイン様」

 ノウインは横寝を崩さず。

 「トウリンか」
 「はっ」
 「して、見つかったか?」
 「いえ。数十名のラッパ衆で山野を捜索しましたが、見つかりませんでした」
 「……そうか」
 「どこぞの国のスパイに攫われた可能性がございます」
 「痕跡はあったのか?」
 「それが……森に足跡が複数残っており、西に向かって続いておりましたので、辿っていきましたが、半ばで途絶えておりました」
 「ふむ、西か……攫ったのか……或いは……」
 「しかし、ラッパ衆きっての神霊(みたま)使い。ろくな痕跡も残させずに攫うことが可能とは思えません」
 「足跡は戦闘の形跡か?」
 「いえ、足場が乱れておりませんでした」

 トウリンの声には焦りや不安といった感情が見え隠れしている。それに比べてノウインからは動揺の色は見えず、ゆったりと落ち着いている。

 「そうか……ご苦労であった、下がって休め」
 「お待ちください! ……もう少し範囲を拡大し捜索を! 何か手掛かりさえ掴めれば……」
 「もう数日だ……。お前の気持ちは分かるが、これ以上は無駄だ」
 「ノウイン様!」

 トウリンは、気持ちを抑えきれず声が大きくなる

 「……何時だと思うておる」
 「も、申し訳ありません」

 ノウインは、溜め息を1つ吐く。

 「状況から考え得る事は2つだ。あれよりも明らかに実力差がある者による拉致。もう1つは何らかの理由でわざと捕まったか……」
 「恐れながら……後者は考えられません。前者も実力を良く知る者としては……もし仮に前者であった場合はかなりの手練が複数いて計画的に罠を仕掛けたとしか……」
 「どちらにせよ、今はどうしようもあるまい。情報があまりにも無いのだからな」
 「しかし……」

 トウリンは、下唇を噛み締める。

 「下手に動けば相手がどこの何者かも分からなくなる可能性のほうが高い。最悪、殺されて亡き骸すら見つからずじまいになりたいのか?」
 「……」
 「良いか、今は隠忍自重せよ。さすれば自ずと機が訪れる」
 「……畏まりました」
 「下がって休め」
 「はっ……」

 下唇から血が滲み零れ落ちる。血の一滴が床に落ちる頃にはトウリンの姿は消えていた。

 暫しの間。

 ノウインは、やがて起き上がると障子を開け、入り側に出た。
 先ほどまでトウリンが居たと思われる床を一瞥し、両の手を袖に入れて腕を組む。

 (許婚が行方不明なのだ、気持ちは分かるが……)

 ノウインの目は中空を見るともなく見ながら、消えた者の事を思った。

 (あれは既に限界に来ておった……生来の優しさがラッパの任務と正反対。それでも拾われた恩に報いようと必死に心を隠し、すり減らし……。拾われた恩などと……。このままどこぞに消えるのも良いではないか。)

 ノウインは過去の、トモエが最後に言い放った言葉を思い出していた。

 (地獄の業火か……まさに、その通りになろうぞ、トモエ殿。我の行く先は地獄のみであろう……もう随分時が経った……あれ以来すっかりお変わりになられた上様の元におれば……。上様がああなったのも、あの親娘が……この考えは不敬か……)

 「さて、上様にはご報告するべきか……」

 中空に落ち着いていた目はやがて上へと上がっていく。そこには、双月(そうげつ)が対称的な形を成している。

 「そうか、今宵は望月(もちづき)月陰(つごもり)であったか……まるで……」

 何かと照らし合わせるように目を細めた。

 (ふむ……しかし、もしやとは思うが、可能性は無いわけではない……)

 あることを思い出しながら、そうであったならと願った。

 闇の寂寞(せきばく)の中、梟の鳴き声は響き、ノウインの心を表すかのように辺り包んでいた……。

案―①

 
 「何とも奇妙なことになっちまったな……」
 「……」
 「……」 

 ヨシワラ宿を抜けて直ぐ北にある森、その中の少し開けた場所に三つ巴に対峙する者達の姿があった。1人はアソンであるが、チヨメはアソンの影に潜っているのか姿がない。もう1人は犬の面に全身フ―ド姿の者。そして、2人組は獅子面を付けた者達。その2人組の傍らには倒れている者の姿がある。
 3者均等に距離をとって見合い、相手の出方を窺っている。

 「見られたからには、ただで帰すわけにはいかないな」

 獅子面の1人が、血が滴り落ちてるレイピアを構えた。

 「ふん。ただじゃなければ帰してくれんのかよ?」
 「ああ、死んだ後ならな」
 「あっそ。たく、さっき会ったばっかで殺し合いとか、世も末だねぇ……」
 「運がなかったな……。こんな場所に駆け込んでくるとは」
 「全くだ。面倒は御免被りたいんだがな、あんたと同じで」
 「先程は、自ら面倒に関わってたようだが?」
 「あれとこれとじゃ話が別だろ」
 「まあいい……。お前は、あっちの犬をやれ。こいつはどうか知らないが、あれはヤマトの警備の者だろうからな。きちっと始末しておかないとまずい」 

 もう1人の獅子面は甘ったるい声で応える。

 「あいよん」

 もう1人の男は、徐に腰から剣を抜く。刀身は波打っている。

 「犬さん、覚悟はいいかな?」

 犬の面の者は、答えずアソンを見ている。

 「あちゃ―無視ですか? 寂しいなぁもぅ!」

 アソンは、腰を落とし刀の束に手を置いて構える。

 『アソン、私も……』
 『いいや、お前はまだ様子を見てろ』
 『でも……』
 『相手は1人だ。もう1人はどうやら犬を相手にしてくれるらしいからな』
 『……』
 『心配すんな』
 『……アソン、人が殺せるの?』
 『殺しはしたことねぇし、したいとも思ってねぇが、何が大切かくらいはわかってるつもりだ』
 『……わかった、ただし、状況によっては出るから』
 『ああ、もしもん時は頼むわ』

 アソンに向かって、獅子面がレイピアを上下に振りながら独特の構えをとる。ヒュンヒュンと風切り音を鳴らしながら、片足をさらに後ろにずらす。ピリピリとした空気が辺りを包んでいく。やがて、レイピアがゆっくりと段々にその動きを小さくしていく。そして、動きが止まったと思われた瞬間。

 「――白突(はくとつ)!」

 ◇

 時は遡り、アソンが、隠れ宿に逗留する1週間前のことである。

 ある1室。数名の王侯貴族と思わせる者達が集まっていた。
 ある者は腕を組み、ある者は天井を見つめ、ある者は俯き……。
 表情は険しく、誰も口を開こうとしない。

 時間にしてどれくらい沈黙していたか、重々しい空気に耐えかねた1人が、一息吐き口を開いた。

 「何か、良案は浮かびましたかな?」

 そう口を開いたのは、イタリーシャ国法王グレゴリウス17世。本名はニコラス・ディ・コンティ。真っ白な髪を隠すよう法王冠(ミトラ)を被り、口と顎は繋がるように髭を伸ばしているが、上品に整えられている。絹で出来た白い法衣を着用し、首からはロマ―ネ教のシンボルである十字架のネックレスを提げる姿は、まさに法王と呼ぶに相応しいものである。

 ニコラスは順繰りに顔を見たが、誰もが首を横に振った。

 アトランティスでは、過去から現在に至るまで資源を巡り、或いは価値観の相違などから幾度となく、戦が繰り返されてきた。大規模な戦の度に国々は形を変え、人間は勿論のことそこに暮らす様々な生き物達が犠牲になった。
 しかし、100年前の『神霊(みたま)』の発見により18年前の大規模な戦を最後に平和は保たれていた。

 神霊とは、大気や大地に無数に漂う膨大な力を秘めた物質である。
 それを、扱うためには魂と呼ばれる器に取り込まなければならない。
 器が大きければ大きいほど強大な力を使うことが出来る。
 その力を使うことが出来る者達は通称『神霊使い』と呼ばれた。

 しかし、国家規模で見た場合は扱える者は少なく、また扱える者達の中でも、その殆どが下位に属し、生活を少し便利にする程度の力しか持たなかった。
 神霊使いの中上位者達でも、火は顕現できるものの水は無理であったり、風を起こすことが出来るのに土は操れ無かったりと、その者の特性が顕著に現れた。

 それでも、国家とすればその力は絶大である。
 国々は互いに研究を重ね、独自の術を開発し洗練していった。
 その結果が18年前の大陸全土を巻き込んだ大規模な戦となったのだが……。

 神霊が発見された約100年前の初期の頃より研究を重ね続けていた3カ国。
 カ―メリ、アロシ、ドイングランは戦況を圧倒的有利に進め、今の大国になったのである。 
 小国は大国へ対抗するために互いに同盟を結び、イスペガルド諸国連合を形成したが、大国のどの国とも対等に戦える力はなかった。
 それでも、微妙なバランスが保てたのは、位置的に大国間の緩衝地帯となっていたためである。
 大国も、アトランティス全土を巻き込んだ今までにない大規模な戦で疲弊し、そのあまりに凄惨な光景は国民に強い厭戦感情をもたらした。さらに、急激に諸国を飲み込んでいった影響で、統治機構の再構築などの整備に追われたことも戦が起こらなくなった要因と言える。
 しかし、最大の要因は神霊使いである。その圧倒的な力を前に、大国同士が戦を躊躇し、互いがどの程度の力を持つかを探るように牽制しながら、小国や無国籍地帯という緩衝地帯を置く事で今の姿に落ち着いたのであった。

 まだ、多少の小競り合いは起こるが、大規模な戦に発展することはなかった。しかし、小競り合い自体が緩衝地帯である小国の国境と、大国間の国境の間の無国籍地帯で行われるため、それによる二次被害や小国の領土内への侵入など主権の侵害が度々起こり、小国にとっては頭を悩ませる原因となっていた。
 弱者であるが故に強者の横暴を、ただ苦々しく見てることしか出来なかったのである。

 イスペガルド諸国連合の1つであるイタリ―シャ国はアトランティス地域のほぼ中央に位置し、大国間の流通を担う交易の要衝であると共に、世界会議や諸国連合会議が行われる地でもあった。それによって大陸のありとあらゆるものが、人という人がイタリ―シャへ集まってくる。そのため、他の小国と比べると大変発展した豊かな国となっていた。

 その首都ロマ―ネの宮殿は、老練な建築家によって設計され、派手さはないが細部にまで拘った造りになっており、目の肥えた者達を楽しませる。
 そんな宮殿には似つかわしくない一際派手な造りとなっている部屋がある。
 四隅には最高級の壷などが置かれ、中央は大理石で出来た楕円形の長テ―ブル。その周りに金銀を使って細工を凝らした10席程の椅子を配している。
 ここは世界会議などが開かれる一室である。

 そこに、諸国連合会議をしている5人の諸侯らの姿があった。
 議題は、度重なる大国同士の小競り合いの件である。どうしたら止めさせることが出来るのか。いや、止めてもらえるのかと言ったほうが正しいだろう。何せ、諸国連合とは言えど大国に対抗する武力も経済力も資源もないのだから。

 問題は小競り合いそのものよりも、終わった後である。大国は正規軍を出した場合だと損害が出た時の出費の面から、傭兵を雇って行うことが多かった。傭兵は安く雇えることと、後腐れのなさから大国にとっては実に使い勝手が良かったからだ。

 傭兵達は手柄をあげて褒賞を狙ったり、正規軍入りを目指している者が多い。そのためか、戦いが終わると手柄をあげられなかった一部の者達が野盗まがいの事を始め、村などに押し入り乱暴狼藉を働くのである。中には、それを目的に戦に参加するものもいる。村に金品が無ければ、子供を攫って売り飛ばすなど非道なことが小競り合いの度に起きていた。
 それこそが、小国にとっての最大の悩みであった。

 その度に、抗議をしても大国の返答は「我々の軍ではない」の一点張りで取り合おうとしないのだ。

 ニコラスは、皆を見回した後、ため息混じりに呟いた。

 「今日はここまで……ですかな」

 集まった各々が「ですな」などと相槌を打った。 

 現在は夕方だが、朝から行われていた会議に、皆一様に疲労の色を濃くしていた。
 議題は全く進まず、誰かが案を出しても、すぐに穴が見つかり廃案となり、議論している時間よりも沈黙してる時間のほうが圧倒的に長かったためであろう。また、この3日、ずっとこの調子であったのだ。

 それぞれが、帰り支度を始め出したのを見て、ニコラスは何かを言いかけようとして、直ぐに俯きやめた。
 実はニコラスには妙案が在ったのだ。ただ、1つ大きな懸念があった。自分の案が通った場合、そのために街の、国の治安が悪くなるかもしれないことを恐れていたのである。

 (言うべきか……しかし……)

 ニコラスが迷ってる間にも帰り支度を整えた諸侯らは席を立ち、軽い挨拶をすると扉に向かった。始めの一人が、扉に仕掛けてあるボタンを押すと、重厚な扉が開きはじめた。
 扉に仕掛けられたボタンは神霊具(みたまぐ)と呼ばれるものの一つである。神霊具の中で莫大な力を発揮できる物は希少価値が高く、回数制限もあるために生産性の問題から、重要な国際会議の場であっても倹約されることが多い。
 この分厚く重たい扉は普段は部屋の前で待機している4人兵士によって開閉されるが、3日も議題が一向に進まず、あまりに疲れているため合鈴でのやり取りを待てなかったのであろう。
 扉が開ききる前にその者は出て行った。それを見て他も次々と退出して行った。
 ニコラスは、最後まで見送ることなく立ち上がると、窓から差し込む斜陽に目を細めながら遠くにある1つの場所を眺めた。

 (あそこを……だが、やはり民のことを考えれば……)

 やがて扉が閉まる音が聞こえ、誰も居なくなったであろう会議室で外を見るともなく見ながら、物思いに耽っていると後ろから不意に声が掛かった。

 「何をご覧に……いや、お考えになっていらしたのかな? それとも両方でしょうか?」

 柔らかく暖かさを感じるその声に、少々驚きながらニコラスはゆっくりと振り返った。
 そこには、ニコラスの直ぐ隣に座っていた男の姿があった。

 「コンラ―ト陛下」

 そう呼ばれた男は、ツドイクデンマ―国国王コンラ―ト6世である。本名はヘルマン・フォン・ワルポット。その容姿は長身で服の上からも分かる程に、筋骨隆々とした頑強な身体をしている。額や頬には刃傷。短く整えた黒髪はそれなりの若さに見えた。戦士然とした面立ちは服装がそう言ってなければ、国王には絶対見えなかったことだろう。

 ヘルマンは苦笑しながら。

 「陛下はよして下され、今は2人です。どうでしょう気軽に名前を呼び合うというのは?」
 「いや、しかし……」
 「私は、どうも堅苦しいのは苦手でしてね。どうぞヘルマンとお呼びくだされ、聖下」

 ニコラスは、一瞬躊躇うが、そうゆうことならと。

 「ならば、私のことも聖下ではなくニコラスと呼んでくださるかな、ヘルマン殿」

 敬称は、各国で微妙にニュアンスが違ったりしたため、国際会議の場では外交儀礼として二人称で呼称する場合、君主国ならば皇帝や王を陛下、継承権を持つものは殿下と呼称し合う。その他の国は概ね閣下である。中には、イタリーシャの様に国を治める者が聖職者である場合は聖下、国によっては猊下と呼称する。
 三人称の場合は一部例外はあるが、名前と帝、王、法王との組み合わせで呼称される。
 臣下同士の二人称は爵位を持つものなら主に名前と卿の組み合わせで呼称されるが、将官になると国によって様々である。
 三人称の場合は領地名と爵位で呼称される。
 これらはあくまで国の統治者同士や臣下同士の儀礼的な呼称である。
 各国々では、それぞれの価値観や文化によって君主や将官や貴族も呼称のされ方が違うことはままある。
 大体は官職で呼称されることが多いが、名前と様だけの軽いものから中には2つ名と爵位などがある。

 ヘルマンは、笑顔でうなずくと話し始める。

 「ニコラス殿には、何か良い案があると思われるのだが?」
 「どうしてそう思うのですかな」
 「この3日……いや、違いますな。前の会議も、その前の会議でも何か言おうとしながらやめてらした」
 「気づいておいでだったか……」

 ヘルマンは、席を立つとニコラスが立つ窓際まで来て。

 「何を悩まれておいでか、お聞かせ願えますかな?」

 そう優しい顔で言うと先ほどまでニコラスが眺めていた場所のほうを見る。
 ニコラスは少し視線をずらし、(しば)し考える、そして元の座っていた椅子に腰をかけた。
 しかし、まだ、迷っているのか声がない。
 それを見てか、ヘルマンは独り言のように話し始めた。

 「あそこはとても良い広場ですな。まあ、広場にしては大き過ぎますが……」
 「……」
 「ここはとても発展した良い街です。アトランティスのあらゆるもので溢れ、活気があり人々は平和を謳歌している」
 「……」
 「しかし、その活気が時に疎ましく思われる事もありましょう。そんな喧騒から少し離れたい時などにはもってこいの場所ですな」
 「……」
 「国を預かる身としては羨ましい限りです。私の国では大国の……」

 言いかけて止める。

 「ハハ、愚痴を言っても始まらんですな……しかし、大国の都合に振り回され続けるわけにはいかんのです。小国とは言えど誇りがありますからな。いくつかの国は我慢の限界も近いように思われますし……」

 少しの間。

 「聞いていただけるかね?」
 「もちろんですとも」

 そう言うと、ヘルマンも自らが座っていた椅子に腰を下ろした。
 その顔は、先程と変わらぬ優しげなものであったが、目だけは力強くニコラスを見つめていた。
 ニコラスも決心がついたか話し始めるのであった。 

案―②

 外は既に日が落ちていた。
 ニコラスの私室。
 そこは全くの飾り気が無い。
 平凡な書斎机があり、上には大量の書類。その前に、これまた平凡な長椅子とテ―ブル。片側の壁は本棚。窓際にはマドンナリリ―と呼ばれる花が一輪飾られている。
 ただそれだけの部屋である。先ほどの会議室に比べたらみすぼらしいとさえ言える。誰かに聞かなければ、ここが法王の私室だとは思わないだろう。

 ニコラスの私室に移動した2人は(しば)しの談笑を楽しんでいた。
 3日も朝から晩まで重苦しく堅苦しい場所で眉間に皺を寄せていたが、もう直ぐ一段落するだろう前の休憩を楽しんでいるといった感じだ。
 心身ともに疲弊してはいるが、あと一息という気持ちが安堵の笑顔となっているのかもしれない。

 扉をノックする音。
 扉の近くに立っていた侍従が外を確認し。

 「お茶の準備が整いました」
 「そうかね、ではさっそく頂こうか」

 派手さはないが良い造りの台車の上に白色のティ―セット。金の縁取りと花が描かれた上品なものである。
 テ―ブルにソ―サ―が置かれ次にその上にカップが置かれた。
 それを見ながらヘルマンは嬉しそうな笑顔をした。
 侍従が慣れた手つきで紅茶を淹れると一礼し、扉の近くに控えた。
 ヘルマンは、さっそく香りを嗅ぐとカップに口をつける。

 「ほう、これはキ―マンですな? しかもブレンドでないとは」
 「良くご存知で。ありがたいことにイタリ―シャにはいろいろな国のものが入って来ますのでな」
 「私の国も無国籍地帯が間を挟みますが、ゲンミン国は隣国のようなもので」
 「おお、そうでありましたな。原産地はゲンミン国でしたな。では、馴染みもございましょう」

 ヘルマンは、ニコラスの気遣いに感謝していた。ヘルマンが大の紅茶好きであり、特に好んでキーマンを飲んでいる事を、ニコラスは知っていたのだろう。それだけではない、ティ―カップとソ―サ―にはヘルマンの国ツドイクデンマ―の国花であるコ―ンフラワーとイエロ―サルタンがあしらわれているのである

 ヘルマンは、侍従が茶葉にお湯を淹れてる時に香った臭いで直ぐにキーマンであることは分かったし、カップやソ―サ―の絵柄が何であるかも気づいているが、敢えてそんなことはおくびにも出さない。
 何故なら相手の気遣いに一々反応するのは野暮というものだからだ。
 こういったことに気づかなければそれまでの人物と思われるが、逆に次にもてなす側になった時にそれとなく返礼するのが王侯貴族の礼儀である。

 「落ち着きますなぁ」
 「そうですな」

 実際に、ヘルマンもニコラスも紅茶が五臓六腑に染み渡るのを感じていた。疲弊していることもだが、喉も大分渇いていたからに他ならない。

 暫し、沈黙の中でゆっくりと紅茶を味わう2人。

 また、扉をノックする音。
 同じように侍従が確認し。

 「アグリ様がお呼びの方と参りました」
 「おお来ましたか。入ってもらいなさい」

 侍従は、扉を大きく開き待機する。
 先にアグリが入り一礼し。

 「フリ―ドリヒ様をご案内いたしました」

 そう言うと侍従の横に並んだ。
 続いて赤髪の少年、フリードリヒが姿を見せた。
 それを見て、ニコラスは少々驚いた。
 先ほど少年とは言っていたが、若すぎると思ったからである。

 「初めまして、聖下様。私はシュヴァ―ベン伯ハインリヒが子フリ―ドリヒでございます」

 明朗快活な少年の声が響く。

 「グレゴリウスです」

 そうニコラスが答えるのも束の間。強めの声がフリ―ドリヒに飛ぶ。

 「フリ―ドリヒ!」
 「はい?」

 それに対して全く物怖じせず、不思議そうな顔をしている。
 ヘルマンは溜め息を吐く。

 「何度か注意したことがあるだろう。敬称に敬称を重ねたらおかしいんだと。聖下様、ではなく聖下だけで良いのだ」
 「はあ……」
 「何だその気の抜けた返事は」
 「分かってはいるんですがついつい……ですが、様をつけた方が、より敬ってるように聞こえませんか? 例えば○○大臣と呼ぶよりも、○○大臣様とか○○公よりは○○公爵様とかのように」
 「馬鹿者。お前も伯爵家の子息なら正しい言葉遣いを身につけよ。大臣ならば大臣という官職そのものが敬称なのだ。正式に言う例えとすれば国務大臣○○卿などだ」
 「では、王というのも敬称ではありませんか?」
 「む……」
 「王様、国王陛下……どちらも二重敬称になるように思うのですが?」

 (へ、減らず口を……)

 ヘルマンは、もっと強く言い聞かせなければと思ったが、ある視線に気付く。

 「これは大変失礼をした」
 「いえいえ、何とも面白い話です」
 「いやはや、私としたことがお恥ずかしい」
 「フリ―ドリヒ君」
 「はい」
 「王というのは君主号だが、確かにそこに敬意があるとみれば、敬称と言えるかもしれない。しかし、そうではない国もあるのだ。18年前の戦を機に世界の秩序を安定させるために世界会議が開かれた。そこではたくさんの難題が持ち上がったのだが、その1つに敬称問題があってな。そこで外交儀礼として呼称の統一のが図られたのだ。皇帝陛下や大臣閣下のように二重継承は使わずに、陛下や卿だけをつけて呼ぶと言ったね。だが、これはあくまで外交儀礼であって、その国々に根ざした文化や価値観などがあるだろう。国によっては二重敬称を推奨している国もある……要するにだ、その場その場で臨機応変に呼称すればよいのではないかね?」
 「なるほど、良く分かりました」

 ニコラスは笑顔で頷く。

 「教育が行き届いておらず申し訳ない」
 「いやいや、よいのです……では、そろそろ……」
 「ええ、そうですな」

 ヘルマンは侍従達を一瞥しニコラスに向く。
 それを理解した、ニコラスは侍従に出て行くよう促す。
 侍従の1人が出て行き、次にアグリと呼ばれた女性が出て行こうとして、扉の前で少々佇む。

 「どうかしたのかね、アグリ?」
 「……いえ、失礼致します」

 出て行くのを見届けたヘルマンはフリ―ドリヒを呼ぶ。

 「フリ―ドリヒ、こちらに来なさい。」

 フリードリヒが、ヘルマンの横に立つ。

 「フリ―ドリヒ。ここからは声のトーンを落として話すのだぞ」

 ヘルマンの真剣な様子に、理解の笑みを浮かべる。

 「わかりました」
 「よろしい。今回、お前に重要な任務をやってもらう。命の危険を伴うが必ずやり遂げなければならない。その事を良く心に留めて聴くのだぞ」
 「はい、陛下」

 ニコラスは、先ほどのは演技だったのか? と思った。何故なら先ほどまでの快活な少年はそこにはいなかったからだ。戦を幾度も経験した老練の者が放つような落ち着きがあり、深緑の眼光は鋭く表情一つ見逃さんとばかりに光を帯びている。

 「では、ニコラス殿」

 呆気にとられていたニコラスは我に返り、頭を軽く振って話し始めた。

 「今回、ある案が上がった事で、フリ―ドリヒ君にはヤマト国へ私の書簡を届けてもらいたいのだ」

 それを聴くと、フリ―ドリヒは即座に答える。

 「それは密使ということですね」
 「ほう……」

 (なるほど、ヘルマン殿が推薦するだけはあるか……ならば)

 「フリ―ドリヒ君、君は、どこまで推測できるかね?」

 ニコラスは、フリ―ドリヒの能力がどれほどなのか確かめようと思った。もし能力が、それに見合わなければ密使として送り出すことは出来ない。この案は絶対に失敗が許されないからだ。もし失敗し、帝国への敵対行動とみなされれば。自国だけではなく他の大国、諸国連合を巻き込んだ大事へと発展しかねない。
 そんなニコラスの考えをよそにフリ―ドリヒは得意げに話し始める。

 「そうですね、まず、その案というのはアトランティス中のつわもの達を集めた闘技大会を開くことではと思います」
 「ほう、どうしてそう思うのかね?」
 「今、諸国連合は大国間の緩衝地帯としての意義しか持っていません。度重なる小競り合いの度に主権の侵害などに悩まされております。ですが、小国としては大国の横暴があっても物理的にどうにか出来るはずもなく、かわいい抗議をするだけです」
 「かわいいとは何事か」

 叱り付けるヘルマンをニコラスは手で抑え。

 「それで?」
 「はい、大国が小競り合いをする理由は、自分達の力を誇示することによる相手へ牽制です。ですから、その力の誇示をする場所が他にあれば、無くなる事はなくても明らかに少なくなるでしょう。そう考えての案ではないかと」
 「ふむ……では、私はこの案自体、前々から思いついてはいたものの、会議で提示しなかったことについて分かるかね?」
 「簡単です。治安悪化を恐れてのことだと思います」

 頷きながら続けるように促す。

 「次に、何故密使なのかということです。帝国はヤマト国に対して力の均衡を図るのに苦労していることは明らかです。ヤマト国は帝国の傘下の1つに過ぎないはずですが、毎年必ず最高儀礼をもって皇宮へ招待しています。これは小国はおろか、他の大国にも、自国の郡国にも無い異例の待遇です。毎年行われるそれがどれほどの出費かと考えれば、彼の国の価値を内外に示しつつ、自国の傘下に留まらせたいという意図が如実に見えます。そんな国に恩を売るならわかりますが、借りを作りたいとは考えにくいです」
 「どうして借りと思うのかね? 価値が高いとは言え所詮は臣下。皇帝が命令すれば良いのではないかね?」
 「それは難しいかと思われます。もし、ヤマト国の機嫌を損ねれば、独立、もしくは他の大国との通謀なども考えられます。ヤマトは謎の多い国です。帝国が力で押さえつけることが出来るかわからないと判断しているのが現状と思われます。今までにもたくさんの者が彼の国を訪れていると聞き及んでますが、その内情が見えてこない。神霊(みたま)使いや神霊武器なども我々が知るそれとはかなり異質だとしか。帝国自体が彼の国を調べるのに細心の注意を払って、最上位の神霊使いなどを送っているにも係わらず、殆どわかってない様子です」 

 ニコラスは紅茶を啜りながら、感心していた。

 (素晴らしい分析だ。若くしてこの才……)

 「続けても?」
 「あ、ああ、頼む」
 「そうゆうわけでして、帝国に案を持ち込んだところで、たかだか小国のために危険を冒すはずが無いということです。寧ろ、案を全力で潰しに来ると思われます。大国からすれば今のままでも別にかまわないのですから。だからこそ、そこを逆手にとって密使を送り、ヤマト国自身が望んで治安維持をするかのように帝国へ進言してもらうといったところでしょうか……。これが私の推測ですが、合っていましたでしょうか?」

 ニコラスは驚きと喜びが同時にやってきた顔をし、合格だと言わんばかりに笑顔で頷いた。

 「若年にして頭脳明晰。私が試した事も理解しておったようだ。このような才溢れる臣下をお持ちでヘルマン殿が羨ましい」

 自分の評価を聞いたフリ―ドリヒは、場所も憚らず大きなガッツポーズをとる。どうやら元の明朗快活な少年に戻ったようだ。


 「ありがとうございます。まあ、その、多少性格に難がありますが……」

 フリ―ドリヒの行動に、ヘルマンは顔に手を当て溜め息を吐く。

 「いやいや、ハハハ。ところで……」
 「はい」
 「まだ、詰めておかなければならぬことがあるのですが」
 「と、言いますと?」
 「まず、ヤマト国に入る手はずと入った後の問題です」
 「ご心配召されるな。密使の話を出した時に、その事については考えてあったのです」
 「ほう」
 「実はヤマト国に知り合いがおりましてな、そのつてをたどろうかと……」
 「ならば、そちらは……」
 「お任せください」
 「分かりました、では、私は明日の会議に全力を尽くします」
 「お願いします。明日の会議で案を通した後、フリ―ドリヒを直ぐに向かわせようと思っています」
 「そうですか、よろしく頼みます」
 「では、この辺で……」

 笑顔で応え、立ち上がると、いつの間にかガッツポーズの形について、考え始めていたフリ―ドリヒに呆れる。

 「いくぞ、フリ―ドリヒ」
 「あ、はい。」
 「では、ニコラス殿」

 ニコラスも礼をとる。

 「聖下、私のことは今後はフリッツとお呼びください」
 「こら、失礼だぞ」
 「ああ、よいのです。わかったよフリッツ君。君も公などの場で無い限りはニコラスと呼んでくれるかね?」
 「もちろんですともニコラス様」
 「宜しいのですか?」
 「何をおっしゃられるか。先にこのような提案をしたのは貴殿ですぞ?」
 「それはそうなんですが……」

 苦笑いをしながら頭を掻き。

 「フリ……ッツ、だからと言って……」
 「はめを外し過ぎて粗相をするんじゃないぞ! ですよね? 陛下『様』」

 ヘルマンは一気に脱力感を感じながら、出て行くのであった。
 フリ―ドリヒも、扉の前で恭しく礼をとると後に続いた。
 終始笑顔で見送ったニコラスは、ゆっくりと腰掛け冷めた紅茶を飲み干す。一段落した思いから安堵の息が漏れた。

 「フリッツ君か……将来が楽しみな少年だ……」

 それから、天井を見上げ明日の会議を思い、思考の渦の中に入っていくのであった。

アメイジア ~遥かな時を待ちし者達~

アメイジア ~遥かな時を待ちし者達~

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-31

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  1. 隠れ宿
  2. 兄妹
  3. 案―①
  4. 案―②