月見泥棒

月見泥棒

 七つまでは神のうちと言って無理に諦めをつけることもありますけどね、あんまりむごいじゃありませんか。あの娘はもう十一だったんですよ、これからどんどん娘らしくなっていくって時に。
 お蝶ってんですよ、あの娘。目のくりっとした聡い娘でした。
 名前が、良くなかったのかもしれねえです。左手首に蝶に似たあざがあるからってお蝶にしようって話だったんですけどね。わたしらは反対したんですよ。蝶は死人の魂の化身だから、子につける名前としちゃあ縁起がよくねえんじゃねえかって。
 でもおかみさんったら、そんな由来があるなら尚のこと良いって聞かなくってね。
 おかみさん夫婦は最初の子を亡くしてんですよ。おはるってんですけど、可愛らしい女の子でね、不幸なことに川で溺れ死んじまったんです。五つの頃かな、うなぎ取りだか何かしてる友だちを見てる時に、どぼんと落っこっちまって、あいにく泳げなかった。
 それから二年してふたりめの女の子が生まれた。この娘は死んだおはるの生まれ変わりだって、そういうわけだからお蝶で良いんだって、おかみさんは言い張ったんです。
 お蝶は死んだねえさんのことをさんざん聞かされ、比べられながら育ちました。おはるは色白で器量よしだった、おはるはおとなしくって行儀がよかったって、五つだったんですからそんなしっかりしていたとも思えねえですけど。さぞ嫌だったろうに、お蝶はよく辛抱していっつもにこにこ笑って。
 去年の十三夜でしたな、お蝶が死んじまったのは。

「今年も十三夜が来ましたな」
 老人はそう言って表へ目をやった。沈みゆく陽が空を赤紫に染めている。すこしすれば月が煌々とあたりを照らすだろう。気の早い虫がもう鳴きはじめている。
「十五夜だけじゃ片見月ってね。今夜もお月見泥棒が来るでしょうから、この団子と芋をそこの縁台に並べてもらえねえですか」
 私は老人から笊を受け取って軒下に置いた。近所の子どもらが月見に乗じてこっそり食べものを取りにくるのだ。月見の夜だけはかれらの盗みも許される。
「お兄さんはおかみさんの甥っ子なんだってね」
「はい。父からこのあたりへ行くんなら、妹の、つまり私の叔母の話を聞いてきてほしいと頼まれまして。こちらへ嫁いでから長らく連絡がつかないもんですからずいぶん気にしていまして。ふたりも子を亡くしていたとは知らず」
「せっかくここまで来ていただいたってのになんですがね、おかみさんは会っても話せるような様子じゃありませんよ」
 叔母は狭い座敷にこもりきりでいるという。きれいな千代紙から屑紙まで手当たりしだいに集めて、蝶を折っているのだそうだ。色とりどりの動かぬ蝶を畳いっぱいに敷き詰めて、その真ん中で寝起きしているのだという。
「そうすりゃ魂が返ってくると思い込んでいるんでしょうな」
「お蝶が恋しいのでしょうね」
「それがちがうんで」
 湯呑みを私のほうへ押しやりながら老人は声を落とした。陽はもう落ちたらしい、部屋の隅から立ち上がった暗がりが私たちをすっぽり包んでいる。
「おかみさんが呼び戻したがってるのは、お蝶じゃねえ。おはるなんです。紙の蝶の羽にはおはると書いてあるんですよ。わたしはこの眼で見た」
 
 おかみさんはおはるを亡くしたときに壊れてしまったんだろうと思います。それで、お蝶のこともおはるの生まれ変わりとしか見ていなかった。言葉の綾じゃありませんよ、ほんとの生まれ変わりだって信じてたんです。
 おまえの左手首にはあざがあるねえ、おはるにはおんなじところに黒子がふたっつあったんだよ。だからね、おまえのこの手はおはるの手なんだ。
 そんなことを言い聞かせてばっかりいるから、わたしらはお蝶がかわいそうでならなかった。やめるよう言ってもおかみさんはにこにこ笑って、だってそうなんだようとしか言わねえ。
 お蝶がひとりぽつんと川をながめている時なんかね、おまえはおまえだねえさんと比べなくったっていいんだって声をかけてやらずにはいられなかった。お蝶は確かに小町娘ってわけじゃねえけどそれでも愛嬌のあるいい子でした。それにとっても頭がよかった。母の気もちも、母に強く言えない婿養子の父の気もちも、周囲でうるさく言うわたしら大人の気もちも、ぜんぶ分かって小さな胸の内に収めてたんです。
 そんな大人びた子だったからか同じ年ごろの友だちができなくってね。よく家へ来てわたしや女房と話をしたり、折り紙をしたり、あやとりなんかしたもので。わたしら夫婦に取っちゃあの子は娘も同然でした。
 去年の十五夜でしたね、近所の子のうしろからお蝶もお月見泥棒にやってきた。わたしらは気づかないふりをしていたんだけど、去年はたまたま障子が細く開いていたんで月明りで子どもらが盗みをする様子がよく見えた。お蝶は他の子たちがあらかた選び終わったあとに近づいてきて、きょろきょろあたりを見回していました。そんでなぜだか右手を背に回して、左手で供え物を盗ったんです。あの子の利き手は右だったから、わたしはなんだか変に思いました。
 次の日、訊いてみたんです。どういうおまじないだいって。そうしたらあの子うつむいて小声で。
「左手は、どろぼうの手だから」
 左手はあたしからあたしを盗った、ねえさんの手だから。
 それを聞いたとたん昼間だってのにわたしの腕にはぶわっと鳥肌が立ちました。せつなくって、哀れで、すこしおそろしかった。思いつめ方がこわかったんです。いっつもにこにこして我慢して、いやなことをぜんぶ左手に押しこめて。子どもらしくねえような、いや子どもだったからこそなのかもしれねえ、可愛らしいのに仄暗いまじないが不気味だったんです。 
 でもやっぱり哀れが勝ちました。不憫でならなかった。お蝶はお蝶だ、何にも気にすることはねえんだぞとしか言ってやれなかったのが情けねえです。
「あたし、ねえさんの気持ちもわかるわ。ちっちゃいうちに死んじまって、みれんもあるだろうと思うわ。でもね、あたしはあたしを返してほしいの。他のものは何でも盗らせてあげるから、あたしを返してほしいの」
 真昼の空に薄く貼りついた月を見上げ、おくれ毛を風にひらひらさせながら、お蝶はそう言ったんです。おひな様みたいに無表情でした。涙も盗られちまったか、と馬鹿なことを考えて、それからわたしはおかみさんに対する怒りを抑えられなくなった。姉を大事がるのはいいが、それで妹を不幸にしてどうするってんです。あんまり頭に来たから直接ねじこみました。
「お蝶はおはるの生まれ変わりなんですよ。今はあんまり似てないようだけど、これからだんだん芋虫が蛹になって羽を生やして出てくるみたいに、おはるになっていくんです。左手は元からおはるでした。最近は額がおはるになってくるようですよ」
 話にならなかった。おかみさんの頭はすっかりゆるんじまって、ありゃもう狂ってるって言っていいでしょうよ。旦那もそれが分かってんのに、お蝶はいい子だから大丈夫だって、そう言うんです。いい子だから、なんだってんです。いい子だからなんでも我慢できるって、我慢させときゃいいってんですか。あんないい子なんだ、抱きしめて頭を撫でてほめてやるべきだったんだ。わたしらじゃなくって、親がそうしてやらねえと、あの子はどんどん自分を押し込めて失くしちまうっていうのに。
 それでもお蝶は静かに笑っていたんです。何をするにも左の手を使うようになって、時どきその手に話しかけていることもありました。このままではお蝶も狂ってしまう、わたしらはそれがこわかった。
「あたしをお蝶として見てくれるのは、おじちゃんおばちゃんだけよ。お母ちゃんの言う通り、あたしだんだんおはるになっていくのかもしれない。おはるが話しかけてくる気がするの。返せって、体を返せって。あたしのなのに。でももしかしてほんとはおはるのなのかもって近ごろ思うの。おはるが生きるはずの分もあたしが盗っちまったのかな、そんなら返さないといけないのかなって」
 とうとう十三夜がやってきました。お蝶はその日の昼間やけに明るくふるまっていて、なんだか痛々しかったのを覚えています。後で聞いた話では、お蝶の様子が陰気でおはるらしくないってんでおかみさんにひどくぶたれたんだそうです。痛むだろうにそれを隠そうと変に元気なふりをして。
「おじちゃん、今夜は大きな金いろお月さまが見られるだろうね」
「そうさ、だから団子を盗りにおいでな。お蝶のようなやさしい子どもはお月さまのお使いだから、何を盗ったってだれも咎めねえんだよ」
「お月さまはおはるのこともとがめないんだろうね。人を盗ったってゆるされるのかな」
「だれもおまえのことを盗ったりしねえよ。お蝶はお蝶なんだから」
 その夜、お蝶は月の下をひとりで歩いてやってきました。いつもより白くはかなげに見えたのはお月さまのせいだったんでしょうか。道に影が焼きつきそうなほど真っ白でまぶしい月の光を浴びて、あの子はなんだかひどくさびしげでした。子どもらがわいわいやっているのをうしろで見ていて、空くとつうっと前へ来て笊に手を伸ばしたんです。
 右手でした。わたしも女房もほっとしたんです。あんな哀しいことはやらねえほうがいい。お蝶は覗いているわたしたちに気づくとにっこり笑って手をひらひら振りました。その手は左手でした。それが最後です。
 翌朝、お蝶の亡きがらが川に浮かびました。杭に引っかかっているのを醤油売りが見つけたんです。月見泥棒のあと一旦は家に帰ったんだそうなので、もう一度抜け出したんでしょうな。何か落し物でもしたのか、橋の欄干から身を乗り出して落ちちまったんだろうって話でした。橋の上にあの子の履き物がかたっぽ残っていたんだそうで。
 わたしはこの話を醤油売りの男から直に聞いたんです。気の毒だけど思い出すと吐きそうだし震えがくるとやつは言いました。
 土左衛門ってのはひどいありさまになるっていうでしょ。でもそうじゃねえってんです。ちがう、死体はきれいだったって、色白でかわいらしい娘っこだったって、生きてるみたいだったって。
 何が嫌だったって、お蝶の亡きがらは自分で自分の首を絞めていたんだそうです。
 自分の細い首を強く絞めたまま、お蝶は死んでいたんです。どちらの手だったかは思い出せないと醤油売りは言いました。

「おかみさんはお蝶の亡きがらを前に大泣きしましたよ。またおはるが死んじまったって。ひでえ話だ、お蝶があんまりかわいそうだ」
 部屋はすっかり暗く、老人の顔もぼやっとした影の集まりのようにしか見えない。かれは泣いているようだった。
「でもわたしもほんのちょっとばかり思っちまったんです。醤油売りの話を聞いて、死んだのはほんとにおはるだったんじゃないかって。お蝶はおはるにのっとられちまって、そんでもめて川に落ちちまったんじゃねえかって」
 すっと襖が開いて老女が入ってきた。老人の妻だ。彼女は暗がりで話していたわたしたちにすっかり呆れ返り、灯りを点けると冷めた出がらしの茶を下げるべく盆にのせた。
「あなたはまた馬鹿なことを言いますね。あれはまぎれもなくお蝶です。お蝶は泥棒の手に自分を盗られちまう前に、自分で自分の魂を盗ったんです。そうするしかもうお蝶はお蝶でいられないと思ったんでしょうよ。そこまで追いつめられていたんです。それなのに、それだっていうのにおかみさんはあの子の死まであの子から取り上げた。あそこで死んだのはおはるだって、そんなこと言っちゃならないんです」
 許せませんとも、ええ。そう言って老女は出て行った。部屋は明るくなったがすこし冷えるようだ。
「どうしても会いたいって言うんならおかみさん家まで案内しますよ、お兄さん。夕飯をうちで食べてからでもよければ」
「いえ、そんな。道にまよっていた私に声をかけてこうして休ませてくれただけでもありがたいというのに、この上さらにご迷惑をかけては」
「遠慮しねえで。ここへ来たのも何かの縁ですよ。お蝶の、縁かもしれねえです」
 虫の音はいよいよさわがしかった。かれらはかれらなりに十三夜を楽しんでいるのかもしれない。
「叔母さんはいつかお蝶を想うでしょうか」
「さて、それができねえのがあの人の不幸なんでしょうよ」
 夕飯ができましたよ、と老女が襖を開けたとき、ひらひらっと何かが部屋に舞い込んだ。蝶か、と思ったが小さな蛾だ。灯の周りを飛ぶものだから、部屋中に影が大きく映ってゆれる。逃がしてやろうと老人は障子を開けた。
「蝶や蛾がこうして飛んで来るでしょう。わたしはいつもはっと見つめちまうんです。お蝶、お前の魂が帰ってきたのかって」
 蛾はひらひらと軒へ出て、笊の芋にとまった。
 お月さまはおはるのこともとがめないんだろうね。人を盗ったってゆるされるのかな。
 お蝶のつぶやいたという言葉を思い返す。おはるがお蝶を盗ったのだろうか、それともお蝶が自分自身をおはるの手から盗ったのだろうか。
 外から子どもたちのさわぐ声が近づいてくる。団子はいくつあるだろう、芋は何本かな、見つからないようにしなくっちゃ。
 ぜんぶ筒抜けなのがおかしい。
 そんなにぎやかさにも気づかぬように、蛾はじっと身動きもせず月明りの下にいた。

月見泥棒

月見泥棒

あなたはねえさんの生まれ変わり。芋虫が蛹になって羽を生やして蝶になって出てくるみたいに、だんだんねえさんになるのよ。 十三夜、月見の夜に死んだあの子のお話。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-31

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