忘れ物

 忘れ物じゃないんです、と大きな声で言ってやると、彼は心底呆れたという目で私を見た。
「今週、理科の教科書を二回忘れたろう。聞けば、先週は数学の教科書と体操着、先々週は英語の教科書と絵の具道具を忘れたそうだが」
 じっと見つめるその視線を避けて、窓の外に目をやる。緑がそよぐ爽やかな午後。あの風に吹かれたら気持ちいいんだろうな、と思う。
「こら。聞いてるのか?」
「……体操着は、今週も」
 彼は、はあ、と態とらしく溜息をつく。
「それを忘れ物と言わずに何と言うんだ?」
 腕組みをするのは、困りました、のサインだ。いつもそうだから、ちょっとおかしくなる。次は、何を言い出すつもりだろうか。
 クラスメイトたちは彼をイケメンだというけど、私はそうは思わない。一重の割りに大きくて黒目がちの目は何だか子供みたいな感じだし、緩いパーマのかかった頭は寝癖みたいだし、生真面目そうな縁なし眼鏡はその髪型と合ってないし。
 だけど、理科の実験のときの白衣姿はちょっと好き。結構似合うかな、って言ってあげてもいいかなって。
「ひょっとして、何か悩み事でもあるのか」
 彼は、腕組みを解くと、幾分声を潜めて訊いた。
 そうくると思った。職員室じゃなくて、誰もいない生徒指導室に呼びつけたのは、それを確認したかったからに違いない。
 思ったとおりなので、またおかしくなる。だけど勿論、笑ったりはしない。素知らぬ顔で、いいえ、と即答する。その返事の早さを不審に思う気配が伝わってきて、そんなに何でも態度に出したら駄目じゃない、と言ってあげたくなった。
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ、何で急に忘れ物が増えたんだ」
「……窓、開けてもいいですか」
「は?」
 許可は待たずに、窓辺へ行ってガラス戸を開いた。緑のにおいのする風が柔らかに吹き抜ける。入口の引き戸が揺れる。彼は、ぽかんとした顔。
 せっかく二人で風に吹かれているのに、そんな顔はないわ。そう思いつつも、私は満足した。
「すみませんでした」
「え?」
「忘れ物、これからしないように気をつけます」
 まあ、暫くは、だけど。
「あ、ああ」
「もう行ってもいいですか?」
「ああ」
「じゃ、失礼します」
「あ、いや、ちょっと待て」
 入口で、呼び止められて振り返る。彼はまた腕組みだ。
「もし何か困ったことや悩みがあるんなら、ちゃんと相談しろよ。何でも聞くから」
 何でも?
 ちょっと二人だけで午後の風に吹かれてみたいんです、というお願いも?
 そんなの言えるわけない。だから、また私が忘れ物をたくさんしたら、誰もいない生徒指導室に呼んでね。
 私は心の中で呟き、腕組みのまま見送る彼を後にした。

忘れ物

忘れ物

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-30

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