つみき遊び 退屈
この世の中のつまらないことは、全て、つまらないと思う人の溜息で成り立っていると思う。だから私は、なるべく溜息をつかない。
私がテストで九八点をとったとき、あと二点がとれなかったことに対して母が小言を言った時だって、溜息をつかなかった。父が家を出て行った時も、友達が仕様もないことではしゃいでいた時も、何もないところで躓いてお腹を擦りむいた時も、私は溜息をつかなかった。
そんなわけで私はこの十三年間、溜息をつかないように生きてきた。
できるだけ、なるべく。
「琢磨、おはよう」
「おはよう母さん」
午前七時半には身支度を整えてリビングに入る私は、とても輝いて見えると思う。母の容姿端麗を受け継いだし、黒髪のボブカットに校則通りの黒いセーラー服は、優等生の雰囲気を醸し出していているはずだ。優等生というものは、いつの時代も愛される。
「ねえ、今日お弁当作れなかったんだけど……」
鏡に向かって口の端を吊り上げながら化粧をしていた母が、さほど抑揚のない声で呟く。一瞬、ひとりごとかと思ったぐらいだったけど、どうやら私に話しかけているらしいことが分かった。
「え、ああ、うん。わかった。」
「ごめんね」
「いいよ、いいよ」
化粧を終えた母は、せわしなく鞄のなかに手を入れて、財布から四百円と五十円玉二枚の計五百円を取り出し机の上に置いた。
「おつりはあげるわ」
「どーも」
お茶は家から持っていくし、私は小食だからせいぜい買うとしても百円のおにぎり二つ程度だ。つまり、本日のお小遣い、三百円。まいど、ありがとうございますお母様。
なんちゃって。
どうせ一か月、使い切れないほどお小遣いはもらってるんだ。知ってる、母は私にお金を与えていることで、育てている気になってるんだ。駄目だよ母上、愛よりお金なんて育て方したら、娘の人格歪んじゃう。でも言わない。お金大事。違う違う。つまらない考え方は、やめよう。
「それじゃ、いってくるわ」
「気を付けて」
慌ただしく出勤する母の背中を見つめてみる。振り向かないかな。結局母は私を少しも見ていない。こんなに私は輝いている、のに。つまらないの。
溜息
と見せかけてあくび!
今日の牡羊座は、三位。天気は曇り時々晴れ。降水確率〇パーセント。五十円玉二枚を弄びながら、私は思った。そうだ、今日は早めに学校に行こう。学校までは徒歩五分で、この五分の道のりをわざわざ私と一緒に通学しているやつがいる。もちろん今日も、やつは私を迎えに来るだろう。始業開始の十分前。いつもへらへら笑って、くだらない妄想の話を私に聞かせ続ける彼女は、私の親友。彼女を置いて、先に学校についてしまおう。
どうなるかな。
面白い。
桜倉つみき
彼女は私の世界にとって、唯一の面白いことなのだ。
+
妄想と空想の違い。空想はこの世にありえないことを想像することで、妄想は、この世にあるかもしれないが根拠のないことを想像することだと、私は解釈している。つまり、空想ということ自体この世にありえない。たとえば宇宙人や妖精について想像することを一般的に空想というのかもしれないが、私に言わせれば、それは空想ではない。ありえないと決めつけるのは、つまらない。神様だっているかもしれないし、死人だって生き返るかもしれない。
全ては妄想だといえる。
「たあああああああああああああくまああああああああ!」
中学一年生って、多分謙虚であるべきだと思う。二つや一つしか歳の違わない先輩たちに目を付けられないように、静かに、なるべく目立たないようにしていなくてはいけない。
だから、グラウンドで大声を出しながら疾走してはいけない。しかも一限目の授業中。遅刻してきた生徒がグラウンドだけでなく、廊下も走るなんでもってのほか。でも彼女はきっと今、頭に血が上っている。だから気づいたときに後悔するのだろう。
騒々しい足音が、教室の前で止まる。
自分のしたことの重大さに気が付いたらしい!教室の前で気が付くなんて、なんと可哀そうなやつだろう。どうせならその勢いで、教室の中まで入ってきてしまえばよかったのに。どうやら恥ずかしくて入ってこれないみたいだ。
しばらく教室内に沈黙が訪れた。教職員は教科書を持ち、チョークで黒板に向かって書き物をしているというべたな姿勢のまま止まっているし、クラスメイトのみんなは笑いを堪えながら、愚か者が入室してくるのを今か今かと待ち構えている。
何の変哲もない、平凡な学園生活のつまらない日常のなかで、彼女の存在はみんなにとってのスリルなのだと思う。
スリルは、退屈な子供にとってイコール面白いことにもなる。
「桜倉さん、入ってきなさい」
べたな教職員は、べたな姿勢のまま教壇の横の出入り口の向こう側に立っているであろう生徒に向かって声を投げかけた。なんと慈悲深い!これで桜倉つみきは更に入室し難くなったはずだ。スポットライトのように教室中の視線がその出入り口に注がれる。もっとも、大声でわめきながら校内を滑走した時点で、恥じらいなど捨てるべきだと思う。よく考えて行動しようね、つみきちゃん。
さて、この状況で彼女の性格を踏まえて、彼女がどういう行動に出るか、私は三択で可能性を考えてみることにしよう。
壱、何事もなかったかのように、入室。「おはようございます」あるいは「すみません」と言い放ちながら、ぶっきらぼうに席に着く。
弐、そそくさと教卓横の出入り口から、教室の後ろの出入り口に移動し、一瞬反応が遅れたクラスメイト達を横目に入室。
参、出入り口の前で「すみません遅刻しました」とかなんとか呟いて、「しばらくここで立ってます」と自ら罰を宣言して入室してこない。
できることならばこの三択の可能性を覆した、「あ!」と驚く行動に出てほしいものだと、私は切実に願う。
「いや、先生、和崎さんが私を置いていったんです」
つみきは喋り始めた。
「私はいつもどおり起きて、いつも通り学校に向かったんです。それなのに、和崎琢磨は待ち合わせの場所に現れず、おかしいなーって思ってたら……こんな時間になってしまっててですね。」
なんと!入室せず、出入り口の外でまさかの言い訳を始めた。私の名を出すことで皆の興味の矛先を、私に向ける気なのだ。なんという浅はかな戦略。なんという恥知らずな行い。でも大丈夫。
私の名が出たことで、教職員は私の方を見て首をかしげた。もしかして、いじめとか喧嘩とかの可能性を考えているのかもしれない。日ごろから桜倉つみきと私、和崎琢磨は一緒にいるということは公事項だからみんなは、私たちの関係を友達だと思っているはずだ。友情関係に亀裂!?クラスメイト達はそんなことを考えているかもしれない。
でも誤解しないでほしい。私とつみきは、友達なんかではない。親友なのだ。つみきのことをこの世で理解できるのは、私だけ。私のことを理解できるのも、つみきだけ。そういう関係なのだ。
私は心の中で、ふっと微笑んだ。この瞬間、きっと教室の外でつみきも微笑んでいるだろう。
結局、つみきは「なんちゃって、すみません遅刻しましたー」と言いながら、無事入室。クラスメイト達にクスクス笑われながら私の隣の席に着いた。
「おはよ」
私はなにごともなかったかのように挨拶。
「く、おはよっ」
つみきはどこか悔しそうに挨拶。
[二〇××年五月六日 一限目遅刻]
小さいノートを取り出して、私はそれを書き込む。これは、観察ノート。つみきの生態を緻密に書き込み、その日々を綴っている。私の楽しい遊び。
だからこのノートの名前は つみき遊び
退屈な日常の、唯一の楽しいこと。この楽しさを味わいながら今日も私は溜息を飲み込む。
[……一限目遅刻、席に着いた後睡眠。]
つみき遊び 退屈
読んでくださってありがとうございます*
学生時代の、退屈で刺激を求めていた頃のことを思い出しながら書きました。
箸が転がっても楽しいお年頃な彼女たちの、つまらない中に楽しみを見出そうとする光景を思い描きながら書いていると、懐かしい思いがして、私が楽しかったです(笑)
また続編のようなものも書こうと思うので、そちらも楽しんでいただけたら幸いです!