コウモリ男

 有川は人当たりが良かった。いつも朗らかな表情をしているし、お客からの評判も悪くない。だが、社内での評価は低かった。会社というのは競争社会だから、有無を言わせないような手柄を立てるか、特定の上司に気に入られるかしない限り、大きな出世は望めない。
 もちろん、物事には両面がある。大きな手柄を立てようとリスクを冒して大失敗したり、引き立ててくれた上司が左遷されて巻き添えをくったり、ということだってある。
 有川は出世よりも平穏を望んだ。とにかく、大過なく毎日を過ごせればいい。そして、そういう社内遊泳術には長けていると自負していた。だが…

「有川主任、相談があるんですけど」
 そう言ってきたのは、同じ営業庶務の佐野日名子だった。佐野は立場上有川の部下になるが、年齢的には母親と言ってもいいくらいのベテラン社員である。一度コトブキ退社をしたのち、契約社員として戻って来たという経歴の持ち主だ。
「ええと、では、ミーティングルームで伺いましょうか」
 佐野の表情から、身の上相談的なことだろうと判断し、ある程度防音できる場所を選んだのだ。
 ミーティング用テーブルの端に向かい合わせに座り、有川はできるだけ柔らかい口調で尋ねた。
「それで、ご相談って何ですか?」
 佐野はうつむき、唇をかんでいたが、やがて決心したように顔を上げた。
「樺島さんのことなんですけど」
 佐野は心の中で、やっぱりな、と思った。
 樺島というのは昨年入社した女子社員で、帰国子女ということもあってうまく職場に溶け込めず、先輩社員たちと摩擦を起こしている人物だ。とにかく勝気で議論好きで、相手が先輩だろうが年長者だろうがおかまいなく、納得がいかないことがあると一歩も引かないのだ。最終的に論破してしまうのだが、それが相手のプライドを傷付けていることがわかっていない。
「樺島くんが何か?」
「わたしの経費処理のやり方が間違っていると言うんです。でも、このやり方で長年やっていますし、経理からも特に指摘を受けたことはないんです。それなのに」
 悔しさが込み上げてきたらしく、佐野の眼はウルウルしてきた。
「まあまあ、落ち着いてください。ぼくから樺島くんに話してみましょう」
「よろしくお願いします」
 佐野の訴えがなくとも、有川も一度樺島と話さなければと思っていた。しかし、気が重かった。

 翌日、有川は手の空いた時間に樺島を呼んだ。
「ちょっと、ミーティングルームで話そう」
 樺島は怪訝な顔をした。
「何故でしょう。話ならここでもできますよ」
「ま、まあ、いいじゃないか」
 最初から押され気味だ。
 佐野の時と同じようにテーブルを挟んで座ろうとしたが、樺島が椅子だけいいと主張したため、直接向き合う形になった。距離が近い。
(ちょっとキツイ感じだが、美人ではあるな。いや、いかんいかん)
「うん、まあ、何だ、職場には慣れたかい」
「いえ、全然」
「えっ、全然って、どういうこと?」
「馴れ合いは必要ありません。不合理です。わたしたちが為すべきことは、業務の効率化です」
「まあ、そうかもしれないが、やはり、人間関係が円滑な方が」
「無意味です。わたしの学んだビジネススクールでは、こう教えられました」
 それから延々30分ほど樺島の演説が続き、有川は根負けして、「それもそうだね」と言ってしまった。
「ようやく理解していただき、ありがとうございます。では、佐野さんをクビにしてください」
「ええっ!クビって、きみ、そんな」
「何を驚かれているのですか。彼女はパートタイマーです。しかも、時給に見合う能力はありません。ためらう理由はないと思いますが」
「いや、でも、ぼくにそんな権限はないし」
「では、課長か部長にご相談ください。わたしは忙しいので、これで失礼します」
 有川は困った。これでは逆効果である。

 あわててオフィスに戻ると、佐野と樺島が睨み合っていた。
 先に佐野が、有川に気が付いた。
「ああ、有川主任。この失礼な女を叱ってやってください」
 樺島も負けていない。
「有川さん、この無能なパートタイマーをなんとかするべきです」
 有川はダラダラとあぶら汗を流しながら、立ちすくんでいた。
「ええと、ええと、まあ、そのだね、二人とも、あの、とりあえず落ち着いて」
 睨みあっていた二人は有川の方を向き、声をそろえて叫んだ。
「いったい、どっちの味方なの!」
(おわり)

コウモリ男

コウモリ男

有川は人当たりが良かった。いつも朗らかな表情をしているし、お客からの評判も悪くない。だが、社内での評価は低かった。会社というのは競争社会だから、有無を言わせないような手柄を立てるか、特定の上司に気に入られるかしない限り、大きな出世は望めない…

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-30

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