妖学園好敵手物語

プロローグ

意識が薄れていくのがよくわかった。
もう何日もなにも食べてない。
こんなことなら、ばあちゃんにもっと山菜のことを聞いとけばよかった。
樹の根元に寄りかかり、視界に入るのは微かに上下する自分の胸だけだ。
手も足も、もうピクリとも動かない。
耳鳴りのような鼓動を頼りに、僕は精一杯余す力全てを使って叫んだ。

僕はここだよ。

あはは、声すら出ないなんて。
さよなら、もう二度と君には会えないんだね。
記憶の中で、静かに笑って君が言いかけた言葉には、きっとどうしようもない本当が孕んでいて、耳を塞ぎそうになる手を握り締めることもできずに、僕は最期の瞬きを終えた。
いつか君が僕を思い出したとき、ほんの少し泣いてほしいとだけ願ってーー“俺”は目を醒ます。

カルマの呪縛

「…核鬼、」
「わ、うわぁぁぁあっ!あ、あぁー、なぁんだーあきかぁ。吃驚させんなよ」
「そんなつもりはなかったんだけど」
微睡みの果てに聞こえた侃の声に、俺は存外驚いて飛び起きてしまった。
「というか、もうすぐ授業だぞ」
「ん〜いいや…」
「あっそ、じゃあ俺も寝ちゃおっと」
そういうと侃は俺の隣に寝転がる。
山奥にある俺たちの学校から、少しだけ人間界に近い場所、というのはこれこうと示せるものじゃないが、妖気だの霊気だのでなんとなく判別がつくようになっている。
とはいえ低級思念や霊力のない人間なんかはそれを判別出来ずに迷ってしまうこともなくはない。
そんなとある一角が、俺のお気に入りの場所。
ここは陽が当たって長閑で心地よい。
ひおりや希汐も時々来るが、あの2人授業は真面目に受けるから今は来ないだろう。
…ちゃんと内容を聞いているとは言わないが。
「てかあきくん、希汐ちゃんと一緒じゃないって珍しいな」
「ああ…まあ、な」
希汐の名を出され、照れ隠しにそっぽを向く侃。
こういうのって揶揄い甲斐があるよな。
「なーにー?何を考えてるんですかぁ?」
「うっせ!その顔やめろ腹立つ!」
によによと笑ってみせると、彼は包帯の間から覗く瞳を鋭く光らせ、耳をさらに赤らめた。
次の瞬間、彼の顔がおおむね憂色と不機嫌さを往来するような表情を浮かべたのを、核鬼は見逃さなかった。
「…あんだよ、ジロジロ見てんじゃねぇ」
「ん、なんでもっ。ごめんごめん」
俺が口出すことじゃないなぁ。
核鬼は適当に謝ると、侃と同じように寝転がって天を仰いだ。
「…あのさ、核鬼、」
「ん?」
「お前って、いつか輪廻に戻るのか?」
「……どうだろうねー」
俺が妖として存在していられるのは、輪廻の輪を抜けたからである。
妖は二種いる。
もともと生物として生まれた魂が、輪廻を抜けて妖になったもの。
そして、ただの思念として生まれた魂が強大な力を持ち妖になったもの。
俺は前者…中でも特殊な、魂の集合体だ。
いつからか“うわん”と呼ばれるようになる前に、九百九十九の魂を取り込んで妖化したのだ。
俺が輪廻に戻るには、この世に遺した未練を晴らせばいい。
簡単なことだ。
しかしそれが容易に出来ないのは…まだ“あの子”への想いがあるからだろうか。
「なあ、」
「なぁに?」
「もし、もしも、輪廻に戻ることがあるんだったらーー」
些細なことだった。
やれと言われれば出来なくない。
でも、自分からは絶対にしないだろう行為。
能力の行使。
だけど俺は約束した。
守るしか為す術のない、どうしようもなく綺麗事な小さな小さな約束。
「ーーいいよ」
水のように澄んだ空が、涙を零して紅く滲む。
こめかみを伝ったのが何だったか、よく分からなかった。

アルストロメリアを抱いて

抜き足差し足忍び足…。
薄い翡翠色が風になびく。
背後から…近づいて…そーっと……!
「…うわんっ!」
「ひゃあ!もー核鬼ちゃんったら、驚かせないでよね!」
そういうとヤナは子供っぽく頬を膨らませ、リスのようにくりくりした可愛らしい目に小利口そうな色を浮かべる。
「びっくりした?」
「したした!」
二人は顔を突き合わせると、同時にぷっと吹き出した。
「ね、ね、今日は誰に仕掛けよっかっ」
「うーん誰にしようか?」
ヤナは核鬼の悪戯に付き合ってくれる友人のうちの一人だった。
核鬼が学校に通い始めてから最初に話しかけてくれた生徒でもある。
曇天の日の底光りのような自由を体現したかと思えるくらい、明るく元気な少女の妖怪だ。
「そうだ、今日は本校の方に行ってみよーよ!」
「本校!いいねそれ!」
二人は目を輝かせ、それぞれの想いに浸る。
「ハルちゃんどうしてるかなぁ」
「月白くん元気かなぁ?」
核鬼たちの通う妖学園は、好敵手校と呼ばれる。
本校はまた別にありーーとはいえ同じ敷地内だがーー、本校と好敵手校が互いに切磋琢磨し合い勉学に励めるようにと理事長がそういうシステムを作ったらしい。
規模の大きいクラス編成のようなものだ。
「ねえ核鬼ちゃん、突然だけどさ、」
ヤナの顔に影が差した。
唇を凛と引き結び、伏せがちな長い睫毛をゆっくり上下させる。
これ以上なく真面目な表情だった。
「うん?」
「核鬼ちゃんは…なんで輪廻を外れちゃったの?」
どうして輪廻を外れて、ここに留まったの?
ヤナの瞳はどこまでも真っ直ぐで、心の底まで見透かされていそうだった。
「…俺がさ、まだ人間だった頃ね」
好きな子がいたんだ。
真面目だけど面倒くさがりで、根は優しくて、そんな子。
その子に想いを伝えられなかったから、“僕”は輪廻から外れてしまった。
「その子に会いたいの?」
「会いたくないかな」
だって、もう死んでいるのだから。
会えたとしても、覚えてないだろうから。
「っあーもう!らしくないなぁ!僕だったら会いに行っちゃうね」
「なんで?」
「だってさ、」
ふわりと秋の匂いが鼻を掠める。
「僕だったらその子に好きって、ちゃんと伝えたいからさ」
ああ、こんな日は特に愁思に頭まで浸かってしまう。
彼女の言葉に詐りは無かった。
どこまでも真っ直ぐでフラットな一直線を描き、俺の心臓に刺さる。
「でも、俺はーー」
「気負わないで?なんとなく、興味あっただけだからさ」
ぐぐ、と背伸びをして、ヤナは打って変わっていつもの無邪気さを取り戻し、にこりと笑った。
「じゃあ本校まで競争しよっか!」
突然の提案に驚きつつも、核鬼もつられてにかりと笑った。
「ええ〜それヤナちゃんが勝つに決まってんじゃん!」
「わかんないでしょーっ」
ほら、よーい、と不敵な笑みを浮かべると、ヤナの姿はしゅるりと煙を巻いたように消え、次の瞬間には翡翠色の龍に姿を変えた。
「どん!!」
「ちょっ、妖モードとかずるいぞ!」
核鬼も慌てて地面を蹴り出す。
もう遥か先を行く龍を懸命に追った。
「約束してくれるー?」
「何を?」
「もし、輪廻に戻ることになったらーー」
朧げなことだった。
「ーーいいよ」
それでも俺はこの約束を守るだろう。
梢の悲鳴が古びた校舎に届く。

妖学園好敵手物語

妖学園好敵手物語

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-28

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  1. プロローグ
  2. カルマの呪縛
  3. アルストロメリアを抱いて