無知幼女。

家族の帰りを待つ家から出たことのない無知な幼女の話……。

 ドアの向こう、外にはね、行っちゃダメなんだって。
 怖いものがたくさんあるから。
 ママがそう言ってたの。
 外は怖いことがたくさんあるからお家の中にいなくちゃダメよって。
 パパはね、その怖いことを終わらせるために遠くの遠くに行っちゃったんだって。
 ママも時々お家から出てた、でも私は外に出ることはできないからただただ待つの。
 パパとママがこのお家に帰ってきてくれるのを、ずっとずっと待ってるの。

 私はいつも家の中にいるから外で何が起こっているのは知らなかった。
 それでも時々聞こえてくる大きな大きな音は私をとても不安にさせた。
 その感情ははずれではなかったようで、その音が聞こえた後、母の顔は必ず青ざめ外の様子を気にしているようだった。
 毎日毎日部屋に電気も付けず、カーテンも窓も閉め切りさらに外から木の板を貼り付けられていた。
 母は私にとても優しくしてくれたけど大声ではしゃぐこと、泣くことは決して許してくれなかった。
 母は日に日に顔がやつれ、生気もなくなっていった。 
 私がそんな母を心配すると母は決まってやつれた笑顔を私に向け「ありがとう」と言った。
 あの頃の私はまだ幼くて何もかもわからないことだらけだった。
 そう、母は私に何度も教えてくれたはずだ。
 私たちの命のこと、戦争のこと、父のこと。
 それを私が理解しきれなかっただけのこと。
 無知は悲しい。
 置いてけぼりにされるから。
 私はひざの上に置いてある本のページを1枚めくる。
 私がこの本を読んだのは何回目だろう。
 母が砂となったあの日から私の日課はこの家にある本を読むことだけになってしまった。
 あれは何年前のことだったんだろう。
 いや、何百年も前? 
 母は外から帰ってくるなりいきなり私に飛びついてきた。

「ママ?」
「希望を捨てましょう」
「え?」
「ママたちは悪い魔法にかかっていたの。でも大丈夫『生きることへの希望』さえ捨てれば魔法は解けるわ、何も怖いことなんてないのよ、ね?」
 母はその直後いきなり砂となって私の目の前から消えた。
 あの時優しく笑った母の顔を私はまだ忘れることができない。
 待って。
 待ってよ、ママ。
 希望って何?
 捨てるってどうするの?
 待って消えないで。
 教えてよ、ねぇママ。

 私はまたページを一枚めくる。
 何故母は砂となったのに、私は今こうして生きているんだろう。
 いや、答えはわかっている。
 私が無知だからだ。
 私は本を読み知識をつけた。
 私たちの永遠に続く命のこと。
 その命は例えどんなことがあっても終わらないこと。
 外では長年続いている戦争のこと。
 その戦争は人間が自暴自棄になり始まったこと。
 けれど、どの本を読んだって『生きることへの希望』とはなんなのか。
 どうして母が砂になってしまったのか。
 それを知ることはできなかった。
 私はドアを見つめる。
 外にはきっとその答えがある。
 いや、あるはずだ。
 それがわかっていながら私はそのドアを開くことができなかった。
 だって母にそう言われたのだから。
 外に出てはいけないと。
 もう砂になってしまった母にそう言われたのだ。
 だって約束したのだ。
 父がそのドアを開けるのを待っていると。
 もう顔も声も覚えていない父と約束したのだ。
 そう決めたじゃないか。
 父が帰ってくるその日まで外には決して出ないと。
 それでも私の外に対する思いは確実に日に日に大きくなっていった。
 そう言えば最近、外はやけに静かになった。
 爆弾が爆発する、あの不吉な音も遠から聞いていない。
 いつからだろう。
 一年前?
 十年前?
 いや、もっと前からだ。
 母が砂になったあの日から――?
 私はイスから立ち上がる。
 本が足元に音を立てながら落ちるが私は気にせずドアに向かう。
 外では何が起こっているんだろう。
 もし、戦争が終わっているなら人々の歓喜に満ちた声が何故聞こえてこないんだろう。
 何故母は砂になってしまったんだろう。
 様々な疑問が私の胸の中でさまよう。
 誰か教えてくれと叫びだす。
 私はドアノブをそっと握り締めた。
 いいの?
 本当に外に出ちゃっていいの?
 私の中にいるもう一人の私が私に尋ねる。
 ママに言われたじゃない外には怖いものがたくさんあるって。
 パパと約束したじゃない帰りをここで待つって。
 それでも私は答えが知りたい。
 外は今どうなっているのか。
 何故母は砂になったのか。
 『生きることへの希望』とはなんなのか。
 それはどうやって捨てることができるのか。
 知りたいんだ。
 私は目を固く閉じドアノブを握っている手に力を入れた。
 長年開くことのなかったドアは錆び付いた音を出しながら少しずつ動き出す。
 目を閉じていてもわかる、明るい日差し。
 私はそっと目を開く。
「……」
 そこには無人の世界が広がっていた。
 足元には砂。
 見渡す限り砂。
 青空と砂の2色しか目に映らない。
 あ、でも昔は家があったのだろうか、砂に混じってボロボロの木材が埋まっている。
 老朽化して潰れてしまったのか。
 私がそう考えていると、背後に唯一立っていた私の家もそうだと言わんばかりに崩れ始めた。
 役目はもう終わっただろう、もう休ましてくれ。
 そう言っているように私は見えた。
 私は家が静かになるまでその様子を黙って見続けた。 
 誰もいない。
 みんな母と同じように砂になってしまったのか。
 もしそうだと言うのなら私は一体どうすればいいのだろう。
 父はどうなんだろう。
 まだ生きているんだろうか。
 それとももう砂になってしまっただろうか。
 いや、もうどちらにしたって。
 父の帰りを待つことはできやしない。
 家はなくなり。
 人は砂になって。
 砂と空しか見えないこの世界で。
 どうして私は生きていられよう?
 希望も答えも見つからない。
 どうすればいいかわからない。
 私は本当に無知だ。
 あぁ。
 ママ、パパごめんなさい。

無知幼女。

無知幼女。

高校3年生になった。続いた。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-28

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