祈る人

 祈っている人がいる。
 教会ではなくて、お地蔵さまの前でもなくて、祈っている人がいるのはただの空地である。
 一年前には一軒家があった。住んでいた老夫婦が相次いで亡くなり、空き家になってからつい先日取り壊れたばかりだった。都心に住む夫婦の子どもが家を売りに出そうとしたようだが、改築するより建て直した方が安いと不動産屋に言われるほど、老朽化が進んでいたそうだ。今はところどころ雑草の生えた空地となっているが、すでに土地は売れ、また新たに一軒家が建てられる予定となっているらしい。ご近所のうわさである。
 祈っている人は、となりのとなりの家に住んでいる四十代の女性だ。独身とのこと。ときどき、夕方に歩いている姿を見かける。よく近所の本屋に入り浸っているという話を聞く。仕事はしていないようだが、身なりはちゃんとしている。いつもロングスカートを穿いている。おおかたブラウン、時折、ブラック。となりのとなりの家の人だが、あいさつをしても返ってこない。それどころか誰とも目を合わせようとしないので、根暗だの、どこかおかしいだの、あの年齢で結婚はともかく無職であることなど、ご近所のおばさまたちの格好のえじきとなっている。女性の両親は健在であり、父親は定年後再雇用で働きに出ているし、母親は近くのパン工場に勤めている。自分の母親含め、おばさまたちはどうしてこうも他人の家の事情に詳しいのか、またそれを喜々として話したがるのか。謎である。
 私は他人の家の事情などに興味がない。興味があるのは追いかけているアイドルグループの次のコンサートの日程と、最近週刊誌に掲載されたメンバーの熱愛報道と、それと、今年の秋冬はどんな洋服を買おうかしら、くらいである。平和でしょう。仕事は楽しくもなければ、つまらなくもない。恋愛はしているけれど、周りにはそれは恋愛をしているとは言わないと怒られる。熱愛報道されたグループのメンバーは、私が恋をしている相手である。友だちはそんな私を、痛い子、と詰る。私は大人になって夢見ることをやめてしまった友だちを、かわいそうな子だと思っている。
 今日も空地で祈っている四十代の女性、独身無職。四方をコンクリート塀に囲まれた正方形である空地の、ど真ん中に立って両手を合わせ、天を仰いでいる。黒い長袖のシャツに、黒いスカート。黒いロングヘアー。聖母マリアとは程遠い。日が暮れ始め、カラスが鳴きながら飛んでいく。買い物帰りのご近所のおばさま方が、ひそひそ話をしながら足早に去って行く。私は女性のうしろ姿に見とれている。仕事は退屈ではないが、一日の終わり、これといった充足感もない。
 明日から空地は空地ではなくなる。誰かの土地として、家が建つ。新たな人が住まう。夫婦、または家族。女性がなにを祈っているのか、わからないが、わかるような気もする。私は明日も仕事に行く。

祈る人

祈る人

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-27

CC BY-NC-ND
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