画‐かく‐

画‐かく‐

第1章 入画審査

1.入画審査
 ボーディング・ブリッジを抜け空港ビルの通路を歩き始めたときにスマホが震え、メール着信音が鳴った。同期会の幹事をしている神村からだった。同期会は今夕予定されている。同期会の場所と時刻は早くて前々日、大抵は当日になって幹事がメールで知らせてくるといういつものパターンだ。
 時計は午後3時を少し回ったところ。まずはホテルに行ってチェックインを済ませ、その後、神村のオフィスに行って幹事の労をねぎらい、昨今の東京の情勢でも聞かせてもらおう。とはいえそうそう長居もできないだろうし、同期会まで時間を何処でどうつぶすかと考えているうちに「入画審査カウンター」への分岐点を通り過ぎ「画外出口」に向かっていた。
 
 妙に人が多くてザワついている。何となく落ち着かない気分を感じると同時に分岐点を通り過ぎていたことに気付いて立ち止まった途端、右足のすねに衝撃を受けた。
 右横を赤い大きなキャリーバッグを引いた化粧の濃いミニスカートの若い女が追い越し、後ろを振り向きニヤリとしながらわずかに頭を下げ、すぐに前を向き直して立ち去って行った。何か言ってやろうかと思った途端、後ろから「早く歩けよ!」と若い男の怒鳴る声。あわてて人の群れをかき分け窓際に逃れた。
 
 早春のすこし霞んだ青空の下、駐機している飛行機の間をコンテナを何個も連結した牽引車が器用に直角に曲がりながらせわしなく走り回っている。ガラス越しに光の温もりを感じながら、しばらくの間午後の空港を眺めていた。
 背後のザワつきが収まったようなので、人影のない通路を入画審査の分岐点まで戻り、そこを右に折れて30mほど歩いてようやく入画審査場に着いた。同じ飛行機に乗っていた人たちの姿は既になく、冷たい静けさが漂っていた。
 審査場入口には天井から「画内居住権所有者又は入画許可所有者Inner resident /  
 Entry approved」と表示された青い誘導灯と「外国人又は短期特別入画者 Foreigner / Temporary entering nation」と表示された赤い誘導灯が下がっており、短期入画者である私は赤い誘導灯の方に進む。
 
 カウンターでカード読み取り機に「国民カード」をタッチする。審査官から「宿泊先と滞在期間は?」と問われ「品川パレスホテルに3月9日まで4日間」と答える。
 審査官はパソコンの画面を見つめながら「もし滞在期間が伸びるようならホテルで延長手続きができますので必ず手続きをお願いします。では、カメラを見てください」と指示した。カメラに顔を向けて3、4秒待つとカメラの横のスタンドに緑のランプが点って入画審査が終了した。
 
 東京には「画」がある。画は「区画」の画だが今では区を省略して画と呼ばれている。今日は2035年3月6日。画の制度が始まって6年近く経つ。画に関係する施設は一部の区間を除いて着工後4年でほぼ全域が整備されたが、全ての区間が完成したのは昨年の夏だ。
 画は皇居を中心としたほぼ楕円形の区域で、幅100mの緑地帯と隅田川で囲まれている。画の内側は通称「画内」と言われているが、画内に居住できる者、画内に立ち入ることのできる者は一部の国民に限られ、居住や立ち入りは政府により厳重に管理されている。
 
 私の名前は芳野喬、3年前まで農務省森林局に勤務し東京都内のマンションに妻と二人で暮らしていた。子供はいない。
 私が東京を離れたのは、画の境界線となる緑地帯の建設が急ピッチで進められ、ほぼ全ての区間でその全貌が露わになってきた頃だ。峠は越えたものの建設工事の反対運動は随所で続いており、都内全域にヒリヒリとした緊張感が漂っていた。また、壁のない城壁が次々と完成していく中、得も言われぬ息苦しさが都内を覆っていた。
 丁度その頃、妻の親戚筋に当たる北海道の木材会社の会長から北海道北部に所有している森林の管理を任せられる人間を探しているが、農務省を辞めて来てもらえないかというオファーがあった。
 当時、画内に居住できる権利は得ていたが、画という閉塞した空間で、この先心穏やかに暮らしていける自信が持てず、一方で北海道北部の広大な森林をこの手で管理するという願ってもない仕事に心動かされ、25年間勤めた森林局を辞め、北の大地に居場所を求めて旭川の中堅木材会社に飛び込んだという次第だ。
 そして、今日農務省を退職してから始めて、まさに3年振りの東京だった。入画審査を空港で受けられることは以前から知ってはいたし、機内でもアナウンスがあったので気を付けていたはずだったが、いつの間にか田舎暮らしが身に着いたのだろう。初っ端から手痛い歓迎を受けた。
 
 入画審査を終えて、手荷物受取場を抜けるとそこは画内だ。正確には画外に作られた「出島」のようなものだ。通路の壁面に並ぶ高級衣料ブランドや化粧品の広告パネル、メタンハイドレート関連やIT関連、セキュリティー関連など今をときめく企業の広告パネルを横目に京急線の駅に向かう。歩いているのはビジネススーツ姿の男女が7割ほど、ラフな格好をしている者も3割ほどいるが、着ているものがどれも高級そうだ。急ぎ足の者はいない。エスカレータも二人並んで静かに立っている。歩いて降りようとする者はいない。
 お土産物を売る店、コンビニ、ドラッグストア、カフェなどが並んだ明るく広い通路を抜けると、そこに京急線「画内駅」の改札口があった。改札口で国民カードをタッチし、しばらく歩いて階段を下りホームに着いた。
 
 
2.画内駅
 羽田空港の駅は画がほぼ完成した2年前に、画内駅と画外駅に分割された。分割の目的は、空港発の画内行き直通電車を走らせるためだ。つまり、画内駅から電車に乗れば画外の駅を全て通過してそのまま画内に入ることができる。新しくできた画内駅を使うのは勿論今日が初めてだった。
 
 電車は停車していなかった。駅が二つに分かれたためだろう、画内駅は以前と比べて格段に乗客が少なくなった。空港の発着便が少なくなる時間帯なのでよけいに静かな佇まいだ。ホームは清掃が行き届き、中ほどには大きな鉢植えに囲まれたベンチが数か所配置されていた。ベンチにはキャリーバッグを前に置いた老夫婦一組だけが座っていた。
 線路の向こうの壁面には高級衣料ブランドと高級車の広告パネルに挟まれて真っ青な海と空を背景にしたリゾートホテルのパネルが輝いていた。
 
 羽田空港にはモノレール、京急の2社に加え2023年からJRも乗り入れていた。画の境界がほぼ全域で完成した2年前に3社は相次いで国内線ターミナル、国際線ターミナルにそれぞれ画内駅と画外駅を設けた。だから羽田空港には駅は全部で12もある。
 画内行きの電車は、国内線ターミナルも国際線ターミナルも画内駅にしか停まらない。また、空港を出ると画内まではノンストップだ。
 一方の画外を走る電車は、国内線も国際線も画外駅しか停まらない。その後は画外の区間だけを走る。画内に入ることはない。
 また、入画審査を終えた者は自動的に画内駅に行くように、審査を受けない者は自動的に画外駅に行くように空港ビルがレイアウトされているので駅を間違えることはない。リムジンバスも同じだ。
 少し厄介なのは国際線ターミナルだ。画内に行く者は入国審査が終わった後に更に入画審査を受けなければならない。慣れない外国人は入国審査が2度あるのかと勘違いし、戸惑ったり不満を言う者もいるが、事前に機内でアナウンスされているのでそれほどトラブルは起きていないようだ。
 
 天井から下がった発車標を見ると次は各駅停車の成田空港行きのようだ。発車までまだ10分ほどある。神村からのメールを確認すると7時30分から新橋のけやきという料理屋だった。知らない店だが多分神村の行きつけだろう。
 
 時間があるので友人の保坂に電話を入れる。保坂は神奈川県の相模原で農業をしている。もとは大手銀行に勤めるやり手バンカーだったが、10年前に突然銀行を辞めた。そして有機無農薬の農業を始めた。
 若い頃から趣味で畑仕事をしていた男が脱サラして就農する典型的なパターンのように思われがちだが、綿密な営農計画と販売戦略に基づいて着実に業績を伸ばしていた。
 その保坂から先週突然電話があった。会いたいので今週北海道に来るという。私が今週上京することを告げ、東京での滞在を1日延ばして相模原で会うことにしていた。
 「保坂さん?お久しぶり。旭川の芳野です。少し前に羽田に着いたよ」
 「やぁ芳野か。久しぶり。元気そうな声だ。北海道で優雅に暮らしてるんだろう」
 「のんびりやってる。田舎はいいよ」
 「そうか、そりゃ何よりだ。早速だが明日会えるか」
 「いや、明日は無理だ。うちの東京工場に行かなければいけない。明後日なら何時でも大丈夫だ」
 「分かった。なら悪いが相模原に来てくれるよな」
 「いいよ。畑が忙しいのか」
 「いや、会って欲しい人がいる」
 「誰だ」
 「お前は知らないと思う。1時に橋本駅の駅前で待ってる。白い軽トラだ」
 「分かった」と答えるや否や、ではと言って保坂が電話を切った。いつもこんな調子だ。愛想というものがない。しかし、面と向かって話していると情熱と人間の温かみが伝わってくる不思議な奴だ。
 
 通話を終えてから、わざわざ北海道まで来ようとしていた理由を聞き逃したことに気が付いた。入画カウンターの分岐点は通り過ぎるし、今日はなんだかボケてるな。3年間の北海道暮らしで焼きが回ったか、それとも東京の一足早い春のせいか。まぁ保坂の件は明後日でいいか。バッグをベンチに置いて、思い切り伸びをしたらあくびとくしゃみが同時に出た。
 
 
3.首都強化法
 画は、いわゆる「首都強化法」、正確には「首都及び高度に産業が集積する都市における機能の強化に関する法律」という近寄り難い名前の法律に基づいて作られた。
 首都強化法は2028年に成立し、2029年に施行された。つまり私が農務省を辞める4年前にこの法律ができたことになる。
 法律の目的はその第1条に「この法律は、首都及び高度に産業が集積する都市(以下「首都等」という。)における産業、行政、通信、文教、その他の機能(以下「産業等機能」という。)の保全に万全を期すため、保全すべき区画を定めるとともに、区画内における居住、就労、学習、滞在、その他の活動に係る規制に関し必要な事項を定めることにより、首都等における産業等機能の高度な発揮を図り、もつて国民生活の安定と国民経済の発展に資することを目的とする。」と、まともな感覚を持つ人間ならとても読む気の起こらない言葉が並んでいる。
 もっともらしい事を言っているが、法律の目的はただ一つ、首都東京の、しかもその中心部の治安維持の強化にある。その証拠に、画は東京のほか札幌、名古屋、大阪、福岡にも作られてはいるが、画の出入りは東京ほどには厳重に管理されていないようだし、横浜、京都、神戸は区域の設定が難しいという理由で、仙台、広島は集積度が低いという理由で作られていない。

 画は何故できたのだろうか?何故こうまで東京の治安維持の強化が必要になったのだろうか?
 発端は2026年10月31日ハロウィーンの日の夕刻に起きた凄惨なテロ事件にあることは間違いない。
 テロ事件とはどのようなものだったのか?テロが起こった背景、テロ事件に至るまでの道のり、そしてその後のこの国がたどった道のりを、暗いトンネルの先を見つめながら思い出していた。


4.金融緩和
 2013年、今から22年前になる。当時、私は森林局の係長をしていた。
 その頃、日本の森は有史以来最も豊かな森だった。まさかと思うかもしれないが本当だ。ただ、大半の国民にとってそのようなことはどうでも良いことだし、関心を寄せることもなかった。
 何故なら、その頃日本で必要とする木材は7割以上が海外から船に乗って入って来ていたからだ。そんな日本に豊かな森林資源が眠っているとは思わないだろう。
 私の仕事は、その豊かな森林資源をいかにして計画的に活用するか?その対策を立案することだった。何故なら、その頃日本の経済は停滞し、特に地方の経済は疲弊していた。中でも山村の窮状は深刻で、人口が減り高齢化は極限状態、まさに消滅の危機にあった。
 そこで、森林資源が豊富な山村を新たなフロンティアとして位置づけ、森林資源を有効に加工・流通するシステムを創出することで新たな雇用の場を生み出し、山村に人を呼び戻して発展させようと考えたのだ。そのための戦略を作る。これが当時の森林局の最重要課題の一つだった。私はその戦略作りのプロジェクトチームの一員だった。とはいえ、チームで最も若い私は使い走りのようなものではあったが。
 
 丁度その頃、日銀が起死回生の景気回復策として、劇薬とも言える「異次元の金融緩和」を断行した。
 この金融緩和が功を奏して日本経済は劇的に回復した。失われた20年、その後に襲った東日本大震災に伴う経済の混乱を見事に克服した、表面上は。
 2015年には15年ぶりに株価が2万円台を回復した。日本経済は当面順調に拡大するものと多くの人が思っているようだった。
 しかし、好景気を実感できたのは金融資産や優良な不動産をもつ富裕層や大手企業の正規社員など一握りの層だけだ。時の政府は量的緩和と円安によって企業の業績は拡大する。そして、企業の利益の一部は当然労働者に還元される。しばらく待てば必ず賃上げに反映されると盛んに喧伝した。
 
 そして、大企業のトップを集めた会議を開いて社員の賃上げを強く迫った。円安の恩恵を受けた大手企業の売上は大幅に伸びていた。売り上げがさほど伸びなかった企業も財務状況は改善した。
 しかし、業績が伸び財務状況が改善しても経営側の財布の紐は固かった。今業績が良いといっても先行きの保証など何もない。来年、再来年は良いかもしれない。しかし5年先はどうなるかわからない。そんな中で大盤振る舞いなどできるはずがない。労働者は何の裏付けもない政府のプロパガンダに期待を寄せたが、与えられる果実はわずかなものだった。
 将来に自信を持てない経営者は、正規の労働者が定年退職するとパートやアルバイト、契約社員、派遣社員などの非正規雇用に切り替えていった。正規社員として労働者を雇い入れ、労働者と力を合わせて困難を乗り越え会社を発展させていこうという気概や覚悟を持つ経営者は少数派だった。ただ、かりそめの好景気の影響で労働者が集まりにくくなると、仕方なく非正規労働者の賃金を少し引き上げた。
 政府は「ほら見ろ。賃金が上がっただろう」と胸を張った。強欲な経営者たちは安堵した。政府から強く要請された賃上げの約束を一応は果たしたからだ。しかも雇用の調整弁は維持できた。困ればいつでも首が切れる。
 
 大手企業にとって下請け業者も便利な存在だった。強欲な大手企業にとって下請けは従順な奴隷だ。「経済のグローバル化によってわが社は海外企業との間で厳しい競争を強いられている。残念だが発注先を安い海外に移さざるを得ない。国内にもお宅よりも安い価格で提供してくれる業者は他にいる」と脅せば文句を言う下請け業者などいない。いくら無理な要求をしても呑む。もし、文句を言うなら即刻取引を停止すればいい。それまでだ。こうして下請け業者もやせ細っていった。


5.画内居住権
 電車はまだ入って来ない。閑散としていたホームも少しずつ人が増えてきた。ただ、皆行儀がいいのか静けさは変わらない。ここにいる人たちの大半が画内に暮らす人たちで、あとは私のように入画審査を受けて画内に入る旅行者だろう。画外に暮らす人たちはほとんどいない。いるとすれば入画許可を得ている人たちだ。

 画内で暮らすことができる人たち、画内に入ることができる人たちとはどんな人たちなのだろうか?
 入画審査場で「画内居住権」という表示があった。居住権は正しくは「産業等機能強化区画内居住権」と言うらしい。しかし、誰もそんな面倒な言葉なんて覚えてはいない。画内も付けずに「居住権」で十分通じるし、役所だって普通は居住権と言っている。
 居住権は政府に申請すれば貰える。勿論、その人物が条件を満たせばの話だ。
 申請すると一次審査がある。先ずその人物の経歴、懲役や禁固刑の有無、過去の渡航歴など細々とした項目がチェックされる。
 次に、決定的な条件がある。1年間の収入と保有している資産の額だ。
 以前は、年収が9百万円以上で純資産が3千万円以上の世帯主とその家族か、年収が3百万円以上で純資産が5千万円以上の世帯主とその家族であることが条件だった。後者の年収3百万円以上というのは年金世代を想定したものだ。私は、辛うじて9百万円以上に引っかかるとができた。
 
 しかし、私が北海道に逃れる少し前から、治安の良い画内への転入を希望する人たちが急増したため、画内の人口過密を恐れた政府は、居住権を取得できる金額の下限を引き上げた。
 具体的には、年収が1千3百万円以上で純資産が8千万円以上ある世帯主とその家族としたのだ。
 それと同時に、私の様な引き上げ前の条件をギリギリ満たしていた階層は「2軍」扱いになった。
 つまり、新しい条件を満たす人たちは自分たちが望む時に画内に居住することができるが、新しい条件を満たせなくなった私たちのような階層は年に数回行われる抽選に当たるか、新しい条件を満たしている人たち5人以上の推薦がなければ居住できなくなった。
 このように居住権には3つの種別があり、新しい条件を満たす階層が1種、以前の私の様な階層が2種、年金世代の階層が3種という具合だ。
 
 もうひとつ「入画許可」というのがある。
 画内で暮らすことができるのは居住権を持つ人たちだけだ。しかし、1種から3種の人たちだけで都市は機能しない。そのため必要な労働力を画外から調達しなければならない。また、画内には大学などの文教施設が数多くあるから、画外から通学する人たちも多い。
 このため、居住権のない画外の住民が通勤、通学などの目的で画内に入ることができるように「入画許可」、正確には「産業等機能強化区画内立入り許可」が与えられている。
 入画許可は、勤務する会社や店が発行する勤務証明書や大学等が発行する在学証明書を添えて、地元の市役所に申請すれば取得できる。
 入画許可を取得している人たちは居住権がないので種別もありえないが、画内でなくてはならない存在になっており、いつの間にか彼らのことを「4種」と呼ぶようになった。今では少し差別的なニュアンスを含みながら一般的な呼び名になっている。また、4種に対して、居住権を得て画内に住んでいる者は種別にかかわらず「インナー」と呼ばれている。
 4種の者は原則画内に滞在することは認められていない。そのため、彼らは通勤や通学のために毎日画外から境界を越えて画内に入り、仕事や学校が終われば画外に帰っていく。
 
 年収や資産が人を選別する社会。これが今の東京だ。いや今の日本だ。東京はその象徴に過ぎない。
 

6.デフォルト
 2018年、ギリシャがついにデフォルトを起こした。債務不履行だ。2015年に一度デフォルトを起こしかけたが、ユーロ圏崩壊のきっかけになることを恐れる他の加盟国の思惑、地政学的な重要性とそこに足がかりを置きたいロシア、中国の影を巧みに利用して、一旦はその危機を乗り越えた。
 EUはその後も、ギリシャの身勝手な要求を飲み財政支援を続けた。しかし、いくら支援を続けても、約束したはずの構造改革は後送りを繰り返すばかり、財政の健全化は一向に進まなかった。
 財政支援の多くを負担してきたドイツやフランスの国民の不満は当然のこと高まる一方だ。自分たちは裕福な暮らしをしている訳ではない。毎日汗水たらして働いている。そんな自分たちの税金が、昼間からワインを飲み、優雅に日光浴を楽しむノー天気なギリシャ人たちを食わせているのだ。
 
 ドイツやフランスで大規模なデモが頻発し始めた。地方政府、連邦政府やギリシャの大使館にデモ隊が押し掛ける事件も起こった。当然国政も混乱した。財政支援策を打ち切らなければEUどころか自国の秩序も守れなくなる。もうこれ以上ギリシャを支えることはできない。
 そして2018年半ばにドイツが、その2週間後にフランスがギリシャへの財政支援の打ち切りを決断した。ギリシャのデフォルトが決まった瞬間だ。デフォルトの影響はギリシャ一国に留まらなかった。倒れたドミノがポルトガルを直撃する。デフォルトだ。その次はスペインか?スペインは何とかデフォルトを回避したが、一歩手前の状態であることに変わりはなかった。金融不安の暗雲は立ちどころに欧州全体を覆う。イタリアだって危ない。戦々恐々だ。
 
 まず、ギリシャやポルトガルの国債を多く保有していた欧州の銀行が相次いで倒産した。そして欧州域内で銀行間の資金融通が滞り始め、その波は世界の銀行間に拡がっていった。世界的な信用収縮が始まった。
 勿論問題は銀行だけではない。ドイツやフランスなどEUの主要国はギリシャやポルトガル向けの債権が焦げ付いた。スペイン向けの債権も多くを放棄せざるを得なくなった。綱渡りを続けてきた欧州各国の財政が一気に大幅赤字に転落した。そして欧州経済は長く暗いトンネルに入った。
 
 欧州の経済危機は当然日本にも大きな影を落とす。経済危機で信用を失った欧州通貨ユーロは急落し、対ユーロ80円という超円高ユーロ安をもたらした。対ユーロだけではない。米ドルに対しても超円高になった。円安を追い風に輸出を伸ばし、わが世の春を謳歌してきた日本の大手企業は急速に業績を悪化させ、赤字の坂を転がり始めた。欧州の後を追って日本も長く暗いトンネルに入っていった。
 早急な経済の立て直しを迫られた中央政府はお得意の公共事業を乱発する。滅多に車が通らない高速道路を山の中に建設し、採算の取れない新幹線を延伸する。国の借金はついに1400兆円を超えた。
 
 1400兆円の大台に乗ったころから財政破たんの影が濃くなってきた。1400兆円もの借金を返せるのか?日本政府は借金を返すつもりがないのではないか?徐々に、しかし着実に国債の金利が上がっていった。想像もしなかったデフォルトが現実味を帯び始めた。
 中央政府は焦る。財政を再建しなければいけない。すぐには無理だがとにかく何か手を付けなければならない。手っ取り早いのは歳出削減だ。早速、年金支給開始年齢を70歳に引き上げた。一方で、将来の世代に付けを残してはいけないと綺麗ごとを言って、物価が急上昇しているにも関わらず年金支給額は据え置くことにした。働かざる者食うべからずと生活保護費は切り下げだ。
 一方で、急速に業績が悪化した大手企業は、非正規労働者の解雇を始めた。既に非正規雇用の労働者数が正規雇用を優に上回っていた。働き口のない、行くところのない、やることのない失業者が町中にたむろする姿が目立ち始めた。
 間近にオリンピック開催を控えた国とは思えない風景が全国に拡がっていく。
 
 ギリシャに端を発した欧州経済の混乱が世界に伝播していた頃、気を吐いていたのが第三世界の新興国だ。
 旺盛な内需に支えられ着実に経済発展を続け、勢いは増すばかりだった。以前は先進国向けの輸出に大きく依存していた経済は、既に内需が主役になり始めていた。だから先進国経済が失速しても大きなダメージにはならなかった。
 急拡大する国内産業を支えるため新興国は大量のエネルギーや鉱物資源を必要とした。また、急速に発展する経済力を背景に新興国の国民は食料も大量に消費するようになった。そして、世界中の資源や食料を買い漁り、買い占めるようになった。
 
 2013年以降持ち直したかに見えた日本経済だが、2017年に入ると徐々に収縮し始めた。かつて経済大国と言われた日本の経済規模は、絶対額ではさほど縮小しなかったが、急拡大する世界経済の中では年々その影が薄くなり、いつの間にか非力な9番バッターになっていた。円高と高い購買力を背景に資源や食料を優位に調達できた経済大国日本の姿はすでに無かった。
 欧州の経済危機に始まる超円高は資源や食糧の輸入に若干有利に働きはしたが、貧弱な小金持ちの9番バッターは、猛烈な勢いで発展し旺盛な購買力を手に入れた新興国の敵ではなかった。
 日本は必要な資源や食料を徐々に調達できなくなっていった。資源も食料も大半を輸入に頼ってきた日本に物不足の時代が到来した。黒字の貿易収支と円高を背景に食料供給の多くを輸入に頼り、安価な食料品の山に埋もれ、必要以上の消費を謳歌し、揚句の果て食べ残しという大量のゴミを生産し続けた飽食の時代はついに終わる時がきた。
 
 
7.画内行き直通電車
 ようやく画内からの電車が到着した。各駅停車の成田空港行きだ。午後3時という時間帯だからだろう降りてくる乗客は少ない。
 各駅停車といっても各駅に停まるのは画内に入ってからだ。画外の駅は全て通過する。画内で各駅に停まった後は再び画外に出て、成田空港まではノンストップだ。成田空港には第1、第2、第3の3つのターミナルがあるが、どのターミナルでも停まるのは画内駅だけだ。
 2023年にJRが羽田空港に乗り入れると、京急はそれに対抗するため車両を大幅に改良した。特に画内行きの車両はシートの奥行きが深くなり座り心地も良くなった。それでもJR線に流れる乗客は多い。その分京急線は乗客が減り、結果的にゆったり座れるので京急線のファンは意外と多いようだ。運賃はJR線とほとんど変わらないが、私の場合ホテルが品川駅の近くなので品川に直結する京急線の方が若干早いし快適だ。
 
 電車が発車した。画内駅を出るとすぐに隣の画外駅が見えてくるが、勿論この駅は通過する。画外駅のホームには乗客が溢れていた。しばらく走って国際線の画内駅に停車した。私の乗った車両に欧米系のビジネスマン、ビジネスウーマンの5人組が乗り込んで来て、車内が少し賑やかになった。彼らも品川泊まりかもしれない。しばらく5人でしゃべっていたが、そのうちに3人がパソコンを開いて仕事を始め、2人だけが幾分トーンを落してしゃべり続けていた。
 電車はいつの間にか地上に出て、画外の駅を次々と静かに通過していく。蒲田駅で横浜方面からの本線に合流するが蒲田駅も静かに通過していく。車窓からはマンションや雑居ビルの連なりが見える。マンションのベランダには洗濯物やふとんが干してある。マンションや雑居ビルの間から家々の屋根の連なりが見える。沿線の人々の暮らしや営みを早春の日差しが包んでいる。穏やかな風景だ。
 心地よい振動についウトウトとしてくる。いくつかの駅を通過し、南立会川駅を通過した途端「グリーンベルト」が姿を現した。
 

8.襲撃
 物不足の影響は最初に庶民の暮らしを直撃する。首を切られ失業手当でしのぐ者、首切りは免れたものの首切りにおびえ賃下げ提案を飲まざるを得ない者、納入価格の引き下げを一方的に通告される下請け業者が増える中、じりじりと食料品や生活物資の価格は上昇していった。
 次いで粉ミルク、豆腐や納豆がスーパーの棚に並ばない日が出始めた。ほとんどすべての食料品と日用品の価格が毎月上がっていった。かつて庶民でさえ週に一度は口にできた牛肉は、年に数回の特別な日のご馳走になった。サバやイワシでさえ価格が倍になり以前の高級魚と変わらなくなった。スーパーは他店との価格競争をする余裕などなくなった。価格競争以前に、売るべき商品が手に入らないのだ。スーパーの経営者が考えることはただ一つ、いかにして商品を確保するか?それだけだ。
 
 万引きが当たり前になった。イタズラではない。買うお金がないのだ。正確に言えば手持ちの金で必要な物が買えないのだ。本来なら善良な隣人であった人たちが、空腹に泣き、あるいは涙を浮かべて空腹に耐える子供のためにやむなく万引きに走り始めた。もちろん万引きされるスーパーも必死だ。彼らだって仕入れるたびに商社やメーカーから仕入価格の値上げを迫られている。しかし、値段を上げればこれまで買ってくれたお客が買えなくなる。採算割れは日常茶飯事だ。ぎりぎりの綱渡りを続けていた。
 
 首都圏のとある食品スーパーで、店主が万引きをした若い母親を捕えた。母親は幼い子供にプリンを食べさせたい一心でついバッグの中にプリンを1個隠し入れてしまった。以前は150円で買えたものが350円になっていた。母親が許してくれと懇願した。しかし、赤字にあえぐ店主にしても簡単に許せるものではなかった。一罰百戒、警察に連れて行こうと母親の腕を掴む。母親は抵抗する。事情の分からない子供は泣き叫ぶ。
 騒ぎを見ていた客の中の一人が店主に許してやるよう促した。
 「お金払うって言ってるじゃない。ゆるしてやれよ。たかが1個のプリンじゃないか」
 たかがという言葉は、早朝から深夜まで休む間もなく商品の仕入れに奔走し、心身をすり減らし続ける店主の怒りを頂点に押し上げた。
 「たかがだとお?たかが1個のプリンだとお?このプリン仕入れるのにどれだけ頭下げたかも知らないくせに・・・こっちは生活掛ってんだ。1個盗んでも物を盗んだら泥棒じゃないか!」必死の形相で客に詰め寄る。
 「なにが生活だ。この母親だって生活掛ってんだ。悪いと知ってても止むに止まれないことぐらい分からないのか!この強欲オヤジ」
 「お前たちに俺の苦労が分かってたまるか。お前たちに文句言われる筋合いなんかない。泥棒は泥棒だ。お前たちもグルだ警察に通報してやる!」
 ついに客が店主の胸ぐらを掴んで引き倒し、近くの商品棚からパンを一つ掴んで袋を破って食べ始めた。
 「こんな強欲オヤジの店なんかつぶしてしまえ。元はと言えば俺たちがこれまで儲けさせてやったんだ。その恩も忘れて強欲なこと言いやがって。みんな食ってしまえばいい。持って行けばいい。元はと言えば俺たちの物だ。でもな、俺たちは泥棒じゃない。レジだけは絶対手を付けちゃだめだぞ。レジだけは触るなよ」
 この声をきっかけにして店内にいた客たちの略奪が始まった。レジは無事だった。店主は泣き叫び、客にしがみつき、振り払われ、また客にしがみつき、突き飛ばされ、そのあと気を失い、失禁した。
 この事件のあと、食品スーパーをはじめとして主に生活必需品を扱う商店への襲撃、略奪が全国に拡がっていった。不思議なことだがいかなる襲撃、略奪においてもレジだけは無傷だった。困窮する庶民たちのぎりぎりの矜持だったのか、免罪符が欲しかったのかは分からない。
 

9.グリーンベルト
 これがグリーンベルトか!
 私が東京を離れるときは建設工事が真っ盛りだった。この辺りは比較的順調に建設工事が進んでいた方だ。グリーンベルトとして整備される広大な更地が広がり、それを挟んで建設途中の集合住宅群が全貌を現し始めていた。そのとき既に画を感じさせるに十分な威圧感があった。それがついに完成したのだ。
 
 グリーンベルトは幅100mの芝生を敷き詰めただけの緑地帯だ。もっとも3月なので緑は薄く、灰色掛かっている。
 電車の進行方向左側つまり西の方向を車窓から眺めた。グリーンベルトはほぼ直線で、遠ざかるほどに少し右に曲がりながら彼方まで伸びている。目を凝らすが、春霞のせいで先の方は良く見えない。
 グリーンベルトの芝生はきれいに刈りそろえられている。そこに人の姿はない。鳥さえも飛んでいない。そこだけは時間が無いように静かだ。
 グリーンベルトの手前側、つまり南側が画外、北側が画内になる。今、境界にあたるグリーンベルトを電車がゆっくりと通過している。
 
 グリーンベルトの両側には中央分離帯のある片側2車線の車道が並行して延びている。車道とグリーンベルトの間に歩道はなく、人の胸の高さほどの金属ネットのフェンスが敷設されているだけだ。
 一方、車道の外側には画外側、画内側ともに街路樹のあるゆったりとした歩道が整備されている。
 歩道の外側には、画外側、画内側とも11階建ての集合住宅群がはるか遠くまで続いている。双方の住宅群は高さが統一され、歩道、車道、グリーンベルト、車道、歩道をはさんで整然と向き合っている。
 
 電車の進行方向の右側つまり東の方にもグリーンベルトはある。しかし300mほどで終わる。その先は海だ。ただ、海といっても見た目は運河と変わらない。岸壁から100mほど先が埋立地で倉庫街になっているからだ。倉庫街の遥か遠くに巨大なキリンを思わせるコンテナクレーンが並んでいる。
 
 グリーンベルトは総延長27.1kmある。品川区東大井から北区王子まで環七通りの内側にほぼ並行するように続き、首都の中心部を取り囲んでいる。品川区東大井では海岸に、北区王子では隅田川に突き当たって終わる。
 隅田川はグリーンベルトと同様の機能を与えられており、水の壁、お堀などと呼ばれている。
 
 幅100mのグリーンベルトのちょうど中間に高さ30m程の照明塔が並んでいる。照明塔は不審者が立ち入ったときに点灯されるらしいが、普段は夜間も点灯されることはない。照明塔には監視カメラと暗視カメラが取り付けられており、24時間監視活動が続けられている。
 
 グリーンベルトが出来た当初は、二月に一回くらいはグリーンベルトの横断を企てる者がいたが、グリーンベルトが定着した今では横断しようと考える者などめったにいない。
 車道に沿ってフェンスが設置されているが、人の胸の高さくらいなので、その気になれば子供でも簡単に乗り越えられる。しかし、今どき乗り越える者もいない。フェンスの目的は不注意にグリーンベルト内に立ち入ってしまうことを防ぐのとゴミのポイ捨て防止である。その点でフェンスは十分にその役目を果たしている。
 
 また、グリーベルトには芝生用の強力な除草剤が撒かれているらしく芝生だけがきれいに育つ奇妙な景観が常に保たれている。この除草剤は対人毒性が極めて強く、除草剤を吸い込んだり皮膚に付着したりすると失明する恐れがある、毛が抜ける、肝臓機能が低下する、インポテンツになるなど数多くの噂がある。真偽の程は定かではないが気持ちの良いものではない。当局が意図的に流していると勘ぐる人も多い。
 今も時々一部の環境保護団体が除草剤の散布に反対してグリーンベルト沿いの道路でデモ行進をしたり、隣接するマンションの住民に除草剤の被害者が出たといったニュースがネット上にアップされることがあるが、皆なれてしまったのか社会問題に発展することはない。ただ、除草剤の噂はグリーンベルトへの立ち入りを抑止する力にはなっているようだ。
 
 それでも時々グリーンベルトの横断を企てる輩はいる。グリーンベルトは、特に画外の人間にとっては目の前に広がる荒涼とした壁であり分断の象徴だ。反感を抱くに十分な代物なのだ。何かの拍子に突破する衝動が起きるのも無理はない。
 ただ、大半は酔っ払った上での暴走、学生の悪ふざけ、恋人にフラれた腹いせなど他愛のないものであり、テロまがいのもの、犯罪がらみのものはまず考えられない。
 なぜなら、画内と画外の行き来自体がそれほど難しいものではないからだ。例えば入画許可が入力された国民カードを何らかの方法で入手すれば、画内に入り、また画外に出ることなどたやすいことだ。テロや犯罪を目的に画内に入ろうとする者たちにとってグリーンベルトの横断を強行することはリスクはあってもメリットなど何もないのだ。
 

10.疑念
 商店への襲撃、略奪が中央政府に与えた衝撃は大きかった。戦後復興を終え、G7として先進国の仲間入りをして以降このような事件が日本で起こるとは夢にも思わなかった。まさに現政権の無為無策を象徴する出来事だった。現政権の、いや清貧の国日本にとっての恥辱であった。中央政府は急きょ全都道府県警の本部長を招集し、類似事件の防止と首謀者をはじめとする襲撃犯の逮捕を厳命した。
 また、遅きに失したとはいえ国内の農畜産物の増産と水産資源の漁獲量の拡大に取り組み始めた。
 
 類似事件の防止と襲撃犯の逮捕は容易なものではなかった。なぜなら、続発する襲撃は組織だったものではなく、どれも自然発生的なものだったからだ。組織的どころか首謀者がいなかった。
 襲撃の際リーダーのように振舞っていた人物を捕えてみると、本人は一切商品に手を付けていなかったということが往々にしてあった。彼らは義憤に駆られ困窮する者たちの逃亡を手助けする役回りを演じていただけだった。中には、かつて地元の警察署長から表彰を受けた善良な市民の典型のような人物までいた。
 政府は焦った。何度も都道県警本部長を呼びつけ激を飛ばした。巡回を増やし、襲撃の噂がある商店には警察官を配置した。困ったことに警察官の中には見て見ぬふりをする者まで現れた。県警本部の幹部や警察署長はともかく現場の警察官だって庶民だ。上司の命令には逆らえないが、庶民の生活が苦しいのは痛いほど分かる。いきおい現場の士気は上がらない。政府が檄を飛ばせば飛ばすほど、反感を買い、成果は得られなかった。
 
 ところが、襲撃は程なくして終息した。
 襲撃を受けた中小のスーパーのオーナーや商店の店主は商売の意欲を失い、商売に絶望して、あるものは廃業し、あるものは廃人同様になり、中には自ら死を選ぶ者さえ出始めた。 
 庶民はようやく気が付いた。自分たちが襲うべき敵は中小のスーパーや商店ではなく、庶民の生活など顧みない中央政府や中央官庁の役人であることに。役人も政治家も、景気動向が上向いてきたとか、消費者物価は横ばいで推移しているとか、失業率が改善したとか、物知り顔でしゃべっている。さも世の動向のすべてを詳細に承知しているかのように。とるべき対策、処方箋はすべて解っているかのように。
 しかし、彼らは現実など見ていない。高い報酬を得て、東京の高級住宅地といわれる快適で安全な場所に自宅を構え、国会や永田町周辺の事務所や赤坂、築地、青山あたりの料亭、レストランと自宅の間を往復し、御用学者や役人が作るきれいな数字をただ眺めているだけだ。
 怪しげな計算によって導き出されるきれいな数字、自分たちに都合の良いように細工された数字を眺めているだけなのだ。そしてその数字を拠り所にして明日の暮らしはきっと良くなる、もし明日がだめでも明後日はもっと良くなるから我慢しなさいと騙し続けてきたのだ。庶民が騙されるのも無理はない。明日が良くなると思えるような数字が並んでいたからだ。
 庶民はようやく気が付いた。中央政府や中央官庁の連中は自分たちの暮らしのことなど何も考えていないということに。敵は彼らだ。
 

11.画内
 電車はグリーンベルトを渡り切り、集合住宅群に分け入っていく。北立会川駅が見えてきた。静かに構内に入り、停車した。大きな駅だ。
 ホームには思ったより多くの人が電車を待っていた。ドアが開いたが降りる人はいない。ベビーカーを押した3組の母子のグループ、若いカップルと学生風の男が乗ってきた。ブランドで着飾った母親たちはドア付近に立ったままで、画内にある有名私立大学の付属小中学校の話題に夢中になっている。赤ん坊が一人キャッキャと言い、母親がニコリと微笑み、また会話に戻る。何度かそれが繰り返される。残る2つのベビーカーからは声は聞こえてこない。
 カップルはドアの脇に立ち、時々周りを見回し短い会話をする。二人ともダウンにジーンズというラフな服装だ。
 カップルと同じような服装でバックパックを背負った学生風はつり革を持ちスマホを見つめている。
 窓の外は春だ。外の空気にはまだ冷たさが残っているのだろうが明るい光が差し込む車内は少し汗ばむくらいだ。いくつかの駅に停まり、何人か降りたが乗ってくる方が多い。徐々に車内が混み合ってきた。ベビーカー3人組の居心地が悪そうになった頃に電車が品川駅に到着した。
 
 改札口を出て、第一京浜に架かるペデストリアンデッキを渡り、パレスホテルに向かう。ホテルが集中しているエリアだけあって外国人旅行者の数が多いのは昔と同じだが、行きかう人の数が減ったように感じる。ペデストリアンデッキが整備され第一京浜を横断する信号待ちが無くなったためだろうか。
 ペデストリアンデッキの整備に合わせて駅舎や駅前のショッピング街も建て替えられ随分歩きやすくなった。ただ、以前のように様々な国から来た人たちが大勢行き交い、混沌として活気あふれる独特の雰囲気は消え去り、画内の何処にでもあるよそ行きの顔をした駅前になってしまった。


12.農業
 この頃になって中央政府はようやく気付いた。すべての国民が食料に不安を抱かなくて済むこと、つまり食料の自給率を高めておくことが国政の大本であるということに。
 しかし、食料は工業製品ではない。工場の設備を増やせば事足りるというような単純な話しではない。一朝一夕に成果は上がらないのだ。
 数十年間にわたって大量に輸入された安価な食料品が国内農家を疲弊させ、廃業に追い込み、農地を荒れ地に変えていた。田や畑を地道に耕し作物を育てても金にならないのだから無理もない。農家の息子たちはさっさと農業に見切りをつけてサラリーマンになった。親もそれを引きとめることはしなかった。
 
 勿論、経営感覚を持った農家も一部にはいた。彼らは賃金の安い外国人の技能実習生を大量に雇用して収益性を確保しながら国内産であることを売りにして生産量を伸ばし、順調に業績を上げていった。彼らは日本の農業のリーダー、救世主として祭り上げられた。
 最初のころ、実習生たちは雇い主から様々な技術を教わった。実習生なのだから当然だ。しかし経営規模を拡大し生産量が拡大すると販売する量も増やさなければならない。雇い主は作物を育てるよりも販売先を開拓し、販売量を拡大することに時間をついやすようになる。生産は実習生に任せて営業活動が本業になる。そして農業技術の研修は先輩実習生に任されるようになる。先輩の実習生が後輩の実習生を教えるのだ。いつの間にか日本の農業の担い手は外国人実習生に代わっていった。
 ところが、新興国の経済が急成長し、それに伴って新興国の国民消費が拡大すると新興国の食料品市場の方が魅力的に見えてくる。経済が低迷し国内消費も伸びない日本よりも新興国の方が発展するに違いない。これまで過酷な労働を強いられ、差別的な言動や視線、労働条件に耐えて技能を習得した実習生たちに未練などあるはずがない。日本の洗練された農業技術を携え、自分たちの国か、もっと儲かりそうな国に新進気鋭の農業経営者として凱旋していった。
 
 そんな時に起こった食料危機だった。担い手は国外に出て行ってしまった。一度荒らした農地はすぐに元には戻らない。元に戻すためは時間も予算も必要だ。大急ぎで農地を復元しても、肝心の土づくりが待っている。作物が育つ土壌を一から作り直さなければならない。
 そして、担い手も育てなければならない。自然相手だから付け焼刃のマニュアルは役に立たない。家庭菜園なら栽培に失敗してもあきらめれば良いが、ことビジネスとなれば話は別だ。地球温暖化は着実に進行し、気象条件は苛烈さを増していた。作物や家畜を育てる条件の厳しさはひと昔前の比ではない。増産どころか国内の生産量を維持することすらままならない。
 どうしたら食料自給率を高められるのか。学者や役人は施策論争や技術論争を続けていた。だが、役に立ちそうな具体的な提案は一向に出てこない。万事休すかと思われた。
 
 しかし、起死回生の答えが見つかった。簡単なことだ。農家を一軒一軒回り、第一線を退いた高齢者に指導を仰ぐことだった。指導者として再登板してもらうのだ。勿論、期待した人たちのうち、かなりの数の人が既に亡くなったり、指導する体力を失っていた。
 それでも、気骨ある人たちは、これまで輸入品に頼って自分たちを蔑ろにし続けた仕打ちに不満も言わず、わずかに残った体力を振り絞り、情熱的に素人たちに技術を伝えた。そして、指導を受けた人たちがさらに技術を伝えて技術が徐々に拡がり、定着していった。そして、オリンピックが開催された年の3年後には食料自給率が7割を超え、ようやく庶民にも必要な量の食料が行きわたるようになった。
 ただ、オリンピック前後の数年間は、庶民にとって第2次世界大戦直後と変わらない飢餓の時代になった。しかも、一度飽食の時代を経験した人たちにとって、その苦しみはより深く鋭いもので、その後も長く記憶の底に留まり続けた。

 
13.国民カード
 ホテルのフロントは空いていた。フロントの女性に名前を告げ、国民カードを手渡す。女性がカードを見てクスッと笑い「実用的ですね」と言った。
 私のカードの裏面は私の名刺をそのまま印刷してある。表面はわが社自慢の北海道の自然林の風景だ。裏面の名刺は簡易な身分証明書として使えるし、紛失したときに戻って来やすいと考えたからだ。それに妙に凝ったデザインにするのも嫌だった。

 画内の居住権、入域許可は全て国民カードに入力されている。私のように画内に比較的自由に出入りできる権利があればその情報も同様だ。
 国民カードは2021年に第3世代のマイナンバーとして導入された。国民カードの導入を機に、カードの取得は全ての国民に義務付けられるようになり、出生届を出せば同時に発行される。そのとき交付された番号は死ぬまで変わることはない。カードの管理は18歳になるまでは親が責任を負うことになっている。ちなみに国民カード導入の少し前に成年年齢は18歳に引き下げられている。
 
 国民カードには住所、生年月日、家族構成等の基本的な情報のほか、社会保障、所得、納税額、首都強化法施行後は画内居住権の種類等の公的な情報、診療履歴などありとあらゆる情報が入力されている。さらに、所有者が望めば銀行カード、クレジットカード、鉄道のIC機能なども載せることができ、コンビニ、飲食店等のポイント管理までできる。
 カードは、表面の右下に生年月日と名前を漢字とアルファベットで入れることが義務付けられているが、表面、裏面のデザインなどの制約はない。公序良俗に反しない限り何でも良く、カードの表面の印刷は電気店、オフィス用品店等で簡単にできる。デザインが気に入らなければいつでも好きなように変えられる。デザインで多いのは、子供の写真、アイドルの写真、有名な絵画、風景、鉄道写真などだ。
 
 国民カード制度が導入された当初は個人情報が守られない、資産内容が明らかになるなどの批判が絶えず、国民の多くが抵抗感を持ったが、徐々に馴れ、1枚で全てのことが処理できる便利さに負けて、今では大半の者がカードに銀行カード、クレジットカードと鉄道のIC機能を載せている。
 
 また、カード決済が当たり前になったため現金を受け取らない店が増加し、現金を受け取る店でもお釣りを十分に用意していない店が増え、現金で支払おうとすると店員から露骨に嫌な顔をされることも多い。
 そればかりか現金で支払いをする者は何か特別な事情がある者ではと怪しまれかねない。そんな訳で今では、財布を持たないのが普通になり、福沢諭吉が何円札だったかすぐには思い出せなくなった。
 
 特に画内では、どの様な取引であっても国民カードに載せられた銀行カードかクレジットカードで行うことが法律で義務付けられており、現金は一切使えない。つまり、国民カードがないと宿泊はおろか、コンビニでの買い物も、食事も一切できないことになっている。
 
 その理由は簡単だ。国民カードに居住権か入域許可が入力されているからだ。もし、これらが入力されていないカードを使ったとすれば、そのカードの持ち主は即刻、違法入域者と断定され直ちに情報が警察署に伝達される。同時に、街中に張り巡らされた看視カメラがカードの持ち主を追跡し、たやすく逮捕されてしまう。つまり居住権か入域許可を持つ者以外は画内で生活できなくしてあるのだ。
 
 では、外国人の場合はどうなのか?彼らには「居住証明カード」が発行されており、彼らがクレジットカード決済する時に同時に証明カードを提示すればよい。また、外国人旅行者の場合はクレジットカードと同時にパスポート、日本人旅行者の場合はクレジットカードと同時に国民カードを提示すればよい。
 
 
14.格差
 平穏な国なら、オリンピックを間近に控えて国民は皆浮き立つ思いを膨らませていたはずだ。
 しかし当時の日本は、職を失った者たち、失業の恐怖におびえる者たち、倒産におびえる中小企業経営者たち、いわゆる庶民といわれる人たちに食料品や日用品、原材料の価格高騰が重くのしかかり、最低限の暮らしを維持することさえままならない状態に陥っていた。
 
 各地で大規模な集会が開かれ、デモ行進が日常茶飯事になった。但、スーパーや商店に対する襲撃は二度と起こらなくなった。敵は彼らではないのだから。
 敵は中央政府か、中央政府に守られた大企業だ。国会周辺でのデモが頻発し、首切りに精を出す企業はインターネットに実名がさらされ、それらの企業に対するデモもあちこちで起こった。
 早急に何らかの手を打たないと政権が転覆してしまうかもしれない。
 強欲な大企業も政府に泣き付いてくる。こんな状態が続けば本社も工場も海外に移転せざるを得ないと。
 ようやく与党、政府が危機感を覚えるようになる。庶民が喜びそうな政策を早急に打ち出さないとまずい。パンチのあるバラマキ政策だ。しかし、欧州の経済危機のあおりで超がつくほどの不景気だ。歳入は減る一方で、ここで赤字国債を増発したら日本も即刻デフォルトだ。
 
 ある時からマスコミが富裕層と低所得者層との格差問題を盛んに取り上げるようになった。庶民の貯蓄額の減少率と富裕層の資産の増加率が比例するという研究報告がニュース番組で報じられた。高額な食料品を飼い犬に与える富裕層の暮らしぶりがバラエティー番組に登場した。海の見える邸宅に住み昼間からワインを傾ける富裕層へのインタビュー番組もあった。
 確かに格差は拡大していた。しかし格差自体今に始まったことではない。それでも、報道の効果なのか庶民が富裕層に向ける眼差しが変わっていった。羨望から憎悪に。そして、その頃から高級住宅街でのピンポンダッシュが相次ぐようになる。夜間に屋外に駐車していた高級外車に対するイタズラが頻発する。リゾート地の別荘の空き巣ねらいも連続して起きる。誘拐をかたるいたずら電話で毎月のように逮捕される者が出る。そして、資産家を狙った強盗事件まで発生した。
 富裕層をターゲットにした嫌がらせや犯罪の発生は中央政府として好ましいことではない。それは安全、安心な日本への挑戦に他ならないからだ。しかし、庶民の不満のはけ口が富裕層に向いたと見るや、中央政府は富裕層に的を絞った増税策の実行に踏み切った。
 
 「私たちが愛する日本は戦後最大の危機に直面しています。今こそ全ての国民が力を合わせてこの困難を乗り越えなければなりません。皆さん働きましょう。苦しい時は我慢しましょう。力のある人は力のない人を助けましょう」大きな身振り手振りで力説する高級スーツに身を包んだ総理大臣の姿をテレビが映し出していた。
 画面を見る者は誰もいなし、話しに耳を傾ける者などいない。将来どころか来年の自分の姿、家族の姿を思い描けない労働者たちは暗い目で仕事に戻り、高齢者はわずかに残った蓄えを数え直してため息をついた。
 そして、富裕層と言われる人たちは国を捨てる準備を始めた。
 

15.チェックイン
 フロントの女性が国民カードを読み取り機にタッチし、パソコンの画面を見つめる。確認はすぐに終わり、滞在期間を延長する予定があるかと問われ、ないと答える。
 「滞在中画外に出られる予定はございますか」
 「明日新木場に行きます。明後日は相模原に行く予定ですが」
 「そうですか。ご存知だと思いますが画外は画内に比べますと治安は良くありませんので十分ご注意ください。夜間は特に。服装もあまり高級なものはお召しにならない方がよろしいかと思います」と言いながら私のスーツにさっと目をやる。
 「それからホテルに門限などはございませんが、もし電車で画外に出られるようでしたら、帰りの電車は大体10時には終わってしまいますのでご注意ください。それ以降でも勿論画内に入ることはできますが、相当なお手間が掛かりますので」
 
 「大丈夫だと思うけど、もし乗り遅れたらどうすればいいの?」
 「タクシーで最寄りの「24時間関所」の「入画ゲート」前まで行きます。タクシーを降りられましたら「入画ゲート」をお通りください。ゲートを通られましたら、シャトルバスが停まっていますのでそれに乗っていただきます。シャトルバスは境界ゾーンを越えるためだけのものです。シャトルバスを降りられましたらもう一度入画ゲートを通っていただきます。そこを出られますと画内のタクシー乗り場がありますので、それがよろしいかと思います」
 
 「関所?24時間?入画ゲート?」
 「はい画を越える道路は首都高を含め全部で131路線ありまして、それぞれに名前と番号が付いています。例えば首都高羽田線にあるゲートは首都高羽田ゲートでセクション1になります。関所はセクションをもじったものだと思いますが、普通はシュトイチ関所などと呼ばれています。そうですね、例えば木場の方面でしたら永代橋もゲートになっていますので永代関所ですね。番号は分かりかねますが」
 「へえ、セクションだから関所ね」
 「それから24時間と申しますのは、131の関所があると申し上げましたが、そのうち3分の2は通行時間が限られています。画内行きは朝5時から夜9時まで、画外行きは朝5時から深夜1時までです。それ以外の時間は閉鎖されます。残り3分の1だけが24時間通行できますので、これらを24時間関所と言っています」
 「あと、入画ゲートって言ってたけど」
 「はい、入画ゲートですね。ゲートと申しましても外観は駅のICカードの改札口とほとんど同じです。ちょっと大き目かなと思うくらいです。国民カードを読み取り機にタッチしていただければバーが開きます。駅と違うのはゲートの近くに駅員さんじゃなくてお巡りさんが立ってらっしゃるくらいです」
 
 「閉鎖時間が違うのはどうして」
 「維持管理の問題もあるんでしょうけど、夜間はなるだけ画外から画内に入る人を減らしたいんじゃないでしょうか。よく分かりませんが」
 「何となく分かったけど窮屈なんだね。それはそうと画外ってそんなに危険なの」
 「いえ、私も画外に住んでいますのでそれほど危険なところじゃないと思います。ですが、画内に比べると画外の方が犯罪が多いのは事実です。犯罪とかじゃなくても喧嘩みたいなものとか酔っ払って大声上げているオジサンとかはたまに見かけますね。画内にいると本当に静かで安全だなぁって思います。ですから長く画内に暮らしていらっしゃる方がたまに画外に出ると波長が合わないというか、変なトラブルに巻き込まれたり、身なりの良い人はタカられたりするようです」
 「それでもあなたは画外に住んでるんだよね」
 「私は4種ですから」
 「それは失礼」
 「いえ構いません。負け惜しみじゃないですけど画外の方がいろいろな方がいて人間らしくて断然面白いんですよ。食べ物も安くて美味しいですし、物価も安いでいすしね」
 
 彼女がルームキーと宿泊カードを手渡しながら、私の後ろに目をやった。いつの間にかチェックインの客が後ろに控えていた。キーを受け取り「貴重な情報ありがとう。じゃあ4日間お世話になります」といってエレベータに向かうとき、国際線画内駅から電車に乗ってきたビジネスマン5人組とすれ違った。私の顔を覚えていたのか中の一人がニコリと微笑んだ。
 
 
16.オリンピック
 2020年、東京オリンピックが開幕した。新国立競技場の建設は遅れに遅れ、細部は仮設の状態で済ませ、ぎりぎり開会式に間に合った。
 開会式に選手団が入場してくる。ギリシャとポルトガルには選手団を派遣できる財政的余裕などなかったが、オリンピック発祥の地の面子を掛けてギリシャは30数名の選手団を送り込んできた。一方のポルトガルは10数名、スペインは40数名という選手団だった。
 フランス、イギリス、ドイツも前回のリオデジャネイロ大会の2/3程度に選手団を減らさざるを得なかった。アメリカ、ロシアの選手団も前回大会を大きく下回った。これまで商業主義を武器に規模を拡大し続けてきたオリンピックだったが、先進国の経済がどん底に落ち込んだ中での東京大会は歴史に残る寂しい大会になるところだった。
 
 しかし、これを救ったのは経済成長著しいアセアン諸国と一部の中南米、アフリカの資源国だ。また、中国も地の利を活かし大型の選手団を派遣してきた。そして辛うじて4年に一度の祭典は体裁が整った。ただ、多くのアジア勢と一部の中南米、アフリカ諸国の選手ばかりが活躍する大会はまるでアジア・アフリカ大会のようであった。
 
 オリンピック期間中、銀座、新宿、渋谷などの都内の盛り場やオリンピック会場周辺に多数の物乞いが現れた。オリンピック観戦と観光に訪れた外国人を当てにする日本の子供たちや親子だ。裏通りには春を売る女たちも現れた。物乞いや春を売る女はオリンピックの前から出没し始めたが、オリンピックを機に爆発的に増えた。
 また、地下鉄や近郊を走る電車の車内、新幹線の駅構内、空港などで、多数の外国人がスリの被害に遭うようになった。安全で安心で清潔な日本の姿は懐かしい郷愁になっていた。
 とはいえ、日本経済はオリンピックに関連する需要に支えられてなんとか収縮は免れてきた。本来なら早急に手を付けなければならない多くの課題はすべてオリンピックが終わるまでは我慢、我慢と先延ばしにされた。
 
 しかしオリンピックは終わる。祭りは終わる。嫌でも宿題が目に入ってくる。国の長期債務は1500兆円を超えた。オリンピック閉幕直後から下がり始めた日経平均株価は6千円を割り込み5千円割れをうかがう様相だ。2013年当時の政府が目論んだインフレがここにきて日の目を見た。しかし、その時政府が想定していたような穏やかなものではない。年率15%を超える暴走だ。日本経済の信用は地に落ちた。投機マネーの日本売りは続く。首切りは日常茶飯事だ。失業率は20%をとうに超えた。
 
 サラ金、コンビニ、パチンコ屋、貴金属店や資産家の豪邸など現金がありそうなところへの襲撃、強盗事件が毎月のように起るようになった。そして、中には殺人事件に発展するものまで出始めた。狙われそうな店舗はガードマンを常駐させて警備体制を固めた。しかし、よほどの資産家でもなければ自宅にガードマンまではおけない。増税は我慢するとしても殺されてしまったら元も子もない。富裕層の国外逃避が始まった。 

第2章 木の心

1.虎ノ門
 エレベータを降りて右側の廊下を進む。廊下の両側は法律事務所、公認会計士事務所、コンサルタントなど比較的小振りなオフィスが並んでいる。静かなビルだ。照明は控えめで無機的な内装だが清掃は行き届いている。突き当たりにすりガラスの自動ドアがあった。
 ドアが開くと正面と両側は暗いいぶし銀の壁だ。天井はダウンライトが逆光になって良く見えないが屋久スギのようだ。床は濃く着色したミズナラのフローリング。正面の壁の中ほどに床から天井まで幅1mほどの厚い木の板が据えられている。赤みを帯びた鮮やかな木目をダウンライトが照らしている。目の高さあたりに「KPW」の金属のロゴが配されキラリと輝いている。
 虎ノ門ヒルズ近くの25階建てビルの17階にある神村のオフィスだ。ホテルでチェックインした後、部屋に荷物を置き、神村に電話を入れてオフィスにいること、30分くらいなら時間が取れることを確かめ、ここに来た。

 ロゴを配した木の板の右横にインターホンがあった。ボタンを押すと女子社員の声がしたので「旭川の芳野といいます。社長にアポイントは取ってあります」と告げる。少々お待ちくださいとの応答があり、待っているとインターホン横のドアが開き、濃紺のタイトスカート、白いブラウス、黒いヒールを履いた背の高い女性が深くお辞儀をし「お待ちしておりました。どうぞお入りください」と招き入れてくれた。
 ドアの奥は応接室だった。誰もいない。左右の壁は漆喰で、腰板にブラックウォルナットがあしらわれている。正面も漆喰だが腰板はない。中程にジョルジュ・ブラックの絵が1枚掛けられている。床は同じくミズナラのフローリングだがオイル仕上げで少し明るい感じがする。黒いガラストップのテーブルの周りを黒い革張りの大ぶりなソファが据えてある。落ち着いた佇まいだ。ドアの方を振り返ると、ここも漆喰の壁だが、真ん中に大きなディスプレイが埋め込まれている。
 
 女性は私にソファを勧めることはせずそのまま応接室を通り過ぎ、奥にあるドアを開いて中に招き入れた。そこは事務室だった。男性社員3人と別の女性社員1人が一斉に立ち上がり、口をそろえていらっしゃいませと挨拶してきた。突然のことで一瞬言葉を失い頼りなく会釈だけをした。女性は事務室横のドアをノックし、芳野様がお見えになりましたと告げ、社長室に入るよう促した。
 社長室の床は灰色のPタイルだった。部屋の左手奥に少し大きめだが何処にでもあるようなスチール製の机が据えてある。その横から神村が笑顔で近づいてきて握手を求めた。

 「久しぶりだな、元気そうじゃないか。北海道はどうだ。まぁ座れ」
 肉つきの良い日焼けした顔で早口に話しかけ、隅が剥げた布張りのソファに座ったかと思うとすぐにタバコに火をつけた。
 「まだ吸ってるのか。いまどき珍しい人種だな。まあ元気はつらつって感じで何よりだけど」
 部屋を見回すと、机の上にデスクトップのパソコンが1台と灰皿。デスクの隣に大きな会議机があり、上に図面が広げられている。会議机の周りには車の付いた椅子が5脚。右側の壁際に応接室で見たものと同じくらいの大きさのディスプレイとスチール製の書棚がある。左側の壁に建設会社のカレンダーが吊ってあるだけで装飾は一切ない。
 「あっさりしたものだろう。社長室らしいのはドア横の看板だけだ。作業部屋だよ。何もない方がイメージが湧く。余計なものは要らない。頭の中がアトリエだ」
 「なるほどね」のっけから仕事の話、相変わらず仕事熱心な奴だ。
 「イメージが湧いてくるとな、紙に下手糞な絵を描く。あとは腕の良い専属のデザイナーがコンピュータを使って上手くまとめてくれる。俺はそれを確認して修正する。二人三脚だ。勿論現物にはかなわない。所詮イメージだ」
 レンズの上だけ金縁の眼鏡を掛けた、早口でしゃべるこの男が以前中央官庁の役人だったとはとても思えないなと妙な感慨が浮かぶ。
 
 私が3年前まで勤めていた農務省森林局で同期だった神村は、同期の中で最初に課長に昇格した。当時44歳だった。担当は木材の流通、加工に関係する部署だった。
 少々けれん味はあったが有能で将来の森林局長候補と周囲から一目置かれていた。課長に就く前から木材関係の業界に人脈を持っていたが、課長就任後さらに人脈を拡げ、この業界での地歩を固め、ゆくゆくは政界進出を目論んでいるのかとの噂もあった。
 しかし、課長を1年ほど務め、45歳になったとき突然農務省を辞めて、特殊な木材を扱う会社KPWを立ち上げた。周りの者は皆驚いた。森林局でバリバリ仕事をこなしていたし、上司の受けも良かったはずだ。与党の中堅、若手議員の無理難題も上手くさばいていた。誰も辞める理由が思い当たらなかった。しかも、立ち上げた会社が一部の好事家しか興味を持たない銘木という特殊な木材を扱うというものだ。誰もが首をひねった。
 一方、本人は至って冷静で、真剣そのものだった。上司に対してこと細かな説明はしなかったが「役所に対する不平不満は一切ない。また、任期途中に辞めることについては無責任の極みで大変申し訳ない。しかし、今なら安心して後を任せることのできる者がいるし迷惑を掛けることはない。一方で、この歳になってようやく自分のやるべき仕事を見つけたのでどうか理解して欲しい」といった趣旨のことを伝えたようだ。
 その後、神村は今の会社を立ち上げたのだが、勿論ただの材木屋にはならなかった。銘木を室内空間とともに売り始めた。つまり銘木の魅力を最大限引き出せる室内空間を創作し、大きな付加価値を付けた商品として売り始めたのだ。

 
2.メタンの灯り
 2023年。その年の2月、政府系の研究機関である先進技術開発機構と東都産業大学の共同研究チームがメタンハイドレートの採掘に関する革新的な技術開発に成功し、それを報じるニュースが日本国中を駆け巡った。当然この情報は世界にも瞬く間に広がった。
 メタンハイドレートは燃える氷ともいわれ、石油や天然ガスに代替できる未知のエネルギー源だ。しかもメタンハイドレートは南海トラフをはじめとする日本の周辺海域に豊富に眠っており、石油や天然ガスと違い日本が自給できるエネルギー資源として大いに期待されてきた。ただ、採掘が極めて難しいため利用することは夢物語と考えられていたのだ。
 ところが共同研究チームの成果を使えば商業ベースに乗る可能性が極めて高いという。その方法は、簡単にいうと海底のメタンハイドレートに熱を与えてハイドレートを分解し、ガス化したメタンをパイプで海上まで送るというものだ。
 
 具体的には海上の採集船から海底まで長いパイプを降ろす。パイプの先端部には加熱装置とポンプが装着され、その先は巨大なラッパ状の吸入口になっている。また採集船から先端の加熱装置までは別の細いパイプが繋がれている。
 始めに、細いパイプを通して加熱装置にメタンガスと空気が送り込まれる。メタンは装置内の燃焼器で燃やされ高温の二酸化炭素を発生する。これをメタンハイドレートに直接吹きかけて加熱する。
 加熱されたメタンハイドレートはメタンを気化し始める。気化したメタンを巨大なラッパ状の口から吸い込みポンプを使って海上の採集船に送り込む。
 気化が始まるとメタンのごく一部が加熱装置に取り込まれ燃焼に使われて気化を促すという仕組みだ。最初だけメタンと空気を海底に送り込む必要があるが、その後は空気だけ送り込めば自動的にメタンが噴出し続ける。採掘場所のメタンハイドレートの純度、水圧等を測定しながら燃焼をコントロールし、温度を制御すれば良い。

 研究成果が公表されると日経平均株価は直ちに反応した。1週間で1000円上げた。次の2週間でさらに1000円上げた。長く続いたトンネルの先に明かりが見えた。メタンの灯りだ。
 共同研究チームが研究成果を発表した8か月後の11月、大手石油精製会社であるジャパン石油が、高知県の足摺岬の沖合100kmの地点に研究成果をもとにした実験プラントを完成させ、実用化実験を開始したことが報じられた。
 日本の景気は底を打った。ジャパン石油は勿論のこと、プラントメーカー、造船、重機、化学、電力などメタンハイドレートに関連しそうな企業の株は軒並み高騰し、日経平均は1万2千円台を回復した。

 2024年、メタンハイドレートのロボット探査機が開発された。メタンハイドレートが豊富に埋蔵している区域を無人で探査し続ける潜水ロボットだ。ロボットは有望な埋蔵場所を次々と発見した。
 さらに、沖合に浮かべた船上でメタンを効率的に液化する技術も開発された。
 火力発電の分野でも発電ロスが極めて小さく排煙もわずかしか出さない高性能タービンが開発された。 
 この年、メタンハイドレートに関連する技術開発が爆発的に進んだ。その年の年末には日経平均が7年振りに2万円台を回復し、年明け後も一本調子で上げ続けた。


3.KPW
 「美人にお待ちしておりましたといわれると嬉しいものだな」
 「宅配業者とかOA機器のメンテ以外は、誰でもお待ちしておりましたと言って迎えるようにいってある。社員全員起立のいらっしゃいませの挨拶も同じだ。その方が気持ちいいだろう。彼女はなかなかの美人だがそれだけじゃない。俺が会社にいるのは多くて週に3日だ。しかも半日いることは稀だ。何とか回っているのは彼女のお陰だ。木のことには何の興味も持っちゃいないが、スケジュール管理と客のあしらいは天才的だ。言っとくが特別な関係は何もない。但し、あれだけの美貌と能力だから給料は奮発している。多分お前の給料の1.5倍くらいはいくだろうな」
 「へえ。そんなにか。といっても僕の給料はたかが知れてるけど」
 「それから応接室を見たろう。あれも金を掛けた。彼女と応接室でわが社のイメージは出来上がる。もっとも、あの部屋はお客様へのプレゼンくらいしか使わない。取引業者とかプライベートな客は皆この作業部屋だ。俺はこの部屋の方が落ち着く。根が貧乏性なのかもな」
 「でもあの部屋は落ち着いたいい感じに仕上がっている」
 「そりゃ俺の自信作の一つだからな。でもディスプレイが映ってればまだしも、あそこでただ誰かと話してると戦闘意欲が薄れて眠くなってくる。まあ、そういう意味では狙い通りの仕上がりとも言えるがな」
 
 「あのでかいディスプレイは?」
 「あれか?あれがうちの唯一の商売道具だ。あれでお客様に映像を見せる。うちの商売のやり方は、先ずお客様のリクエストを聞く。リクエストは別に何でもいい。具体的なものでなくてもな。勝手気ままなイメージだけでも。俺はお客様のリクエストとかラフなイメージとかを手掛かりに、お客様の希望を具体化するんだ。飛び切りの銘木を探し出してきて、その木の美しさを最大限引き出す室内空間を創作するという訳だ。とはいえ俺が創作するというより木が俺にイメージを与えてくれる。
 良い木というものはそれぞれに個性がある。いや主張してくる。このような空間にこのような姿で据えてくれというようにな。その声を聴いて俺が大体のスケッチを描く。後はデザイナーが画像にまとめてくれる。今時のIT技術は凄いよ。俺のイメージが実写したような映像になる。勿論、デザイナーのセンスと技術が一流で、俺の感性を良く理解してくれているからできるんだ。
 まあ、こんなやり方で商売ができるのはこれまでの実績がものを言うんだ。俺も商品には一切妥協しないし、絶対の自信を持ったものしか提供しない。それに宣伝は一切しない。上客の紹介しか仕事は取らない。それでも十分食っていける。殿様商売だ。いや、へたにお客を取りにいかないから上手くいくんだろうけどな」
 「なるほど、少し解ってきた。ところでKPWとはしゃれた名前をつけたもんだな」
 
 「KPWのKは神村でPはプレシャス、高貴だ。Wは勿論ウッドだ。神村銘木店じゃ年寄りの好事家くらいしか相手にしてもらえないだろう。勿論、うちは、銘木を売っている訳じゃない。銘木が創りだす空間を提供してるんだ。至宝の木と対話する、至宝の木に癒される、至宝の木に励まされる空間を創造している。プレシャスウッドスペースだよ。だからベンチャーの中堅や業績好調の大手の中間管理職あたりからの引き合いが多い。オフィスの内装を手掛けることも多い。この商売は目利きとセンスがなくちゃ終わりだが、ハッタリも大事だからな」
 「なるほど。しかし、出世街道の先頭を走っていた君があっさりと役所を辞めて社長になるとは思いもよらなかったよ。何故だ」


4.春
 2025年、日本経済に本格的な春が訪れた。
 景気が良いのはメタンハイドレート関連の企業だけでは無い。エネルギーひっ迫の影響をもろに受けていた自動車や電機、やや遅れて情報通信にもメタンハイドレートの果実が行きわたり始めた。メタン様々だ。生まれた子供にメタンと名付けた親もいた。エネルギー関連をはじめとする大手企業とその周辺の中堅企業の業績は急回復し、そこに勤める正社員にはベアや高額なボーナスが振舞われた。
 株価が上昇した。税収が増加し国の借金である長期債務も徐々に減り始めた。それを反映して国債の金利も下がり始めた。物価上昇も3~4%と若干高めだが落ち着いてきた。株価の上昇がさらなる上昇を呼ぶ。この世の春だ。
 
 一方で宿題は残ったままだ。減り始めたとはいえ借金は1500兆円を上回っている。政府としてはメタン景気に沸くこの時に少しでも借金を減らしたい。そのためには増税だ。国の信用を回復するためには避けて通れない道だ。
 まずは法人税だ。ただ国策として段階的に引き下げてきた手前、再び上げる訳にはいかない。そこで国家再生期間として5年間に限って現行の税率に3%上乗せすることとした。
 次は消費税。これは恒久措置として3%引き上げた。但し、庶民層に配慮して食料品の多くは増税を見送った。
 残るは所得税だが、これは難しい。貧困層に対して増税は言い出しにくい。もし増税を持ち出せば猛反対は必至だ。政治は大混乱する。しかも大混乱の揚句に徴収できる額は知れたものだ。
 中間層だって同じだ。もっとも、かつて労働者の中核を占めた中間層の人たちは大半が貧困層に落ち、一部が運よく富裕層予備軍になった。このため中間層と言える層はほとんどいなくなっていた。結局頼れるのは富裕層とその予備軍だけだ。幸いなことに景気は絶好調で、彼らの収入は増えるばかりだった。痛みは小さいと読んだ。
 
 政府は所得税の税率を3%アップさせた。しかし富裕層の反発を恐れ、すべての階層に均等に3%上乗せすることにした。国家再生のためには国民一丸となって汗をかこうという建前だ。だから表面上は中間層も貧困層も富裕層も同率にした。ただ、実際は中間層、貧困層には実害が及ばないように控除や交付金で工夫した。そして富裕層からしっかり徴税するようにした。
 しかし、富裕層は既にオリンピック前に税率で狙い撃ちされたことを当然覚えている。しかも、消費税にしても国民が均等に負担しているように見えるが、食料品の増税を見送ったため、食料品以外の支出のウエイトが大きい富裕層にとって負担がより重いものになっていた。
 
 中央政府は国家財政が厳しいと言うが、その原因は政権与党や中央政府の失政ではないか。今頃になって、その付けを国民に回すのは筋違いだ。富裕層にしてみれば、今ある富は自分か自分たちの親かその前の世代が必死に働いて築いてきたものだ。誰かに貰ったものではない。当然政府からも。
 たまたま今、多めの資産を持っているということだけで、何故国の借金の肩代わりをしなければならないのだ。富裕層の政治に対する不満、不信が増幅し、国外逃避しか道がないという雰囲気が醸成されていった。
 ただ、彼らを押しとどめたのは治安の回復だ。メタン景気のお蔭で犯罪が減少し始めた。そして、富裕層を狙った犯罪やイタズラも減少してきた。富裕層の人たちの緊張が少し和らいだ。できれば日本を離れたくはない。安全が保障され、自分たちの権利が守られるなら。


5.木の心
 煙草に火を点け、煙を深く吸い込み、吐き出してから神村が語り始めた。
 「本当に木が好きになったからというか、木の心が判ったからだろう。多分」」
 「木の心?哲学的だな」
 「お前も知っての通り俺は役所に入ってから何故か木材関係の仕事ばかりやらされた。鉄やアルミやセメントに負けないように木材の売込みを必死になってやってきた。品質で工業製品に負けないように。いや品質だけじゃない、生産コストも流通コストも追いつけ追い越せをモットーにやってきた。我ながらよく頑張った。挙句の果てに木材の利用を義務付ける法律まで作った。法律で無理やり木を使わせるなんて馬鹿げているよな。今になっちゃ赤面の至りだ。まあ、それだけ頑張ったということだ」
 「確かに暴走気味だったな。でも、よくやってた」
 「で、ある時出張で北陸のある町に行ったんだ。出張の合間、その町の木材商社の社長の自宅に招かれた。社長自慢の家だ。柱と鴨居、敷居は木曽ヒノキ、梁は地マツ、天井は秋田スギの柾目、床柱は黒檀だ。木材商社だけあって良い木を選りすぐって使ってね、なかなかの出来栄えだった。でも退屈なんだよな。仕事がら見慣れていることもあるしな」
 「確かにそうかもしれん」
  「社長は俺が退屈しているのが分かったんだろう。突然、先代が作った離れを見せましょうと言って俺を奥へ案内してくれた。社長は、自分は養子だが仕事はしっかりやって先代のときに傾きかけた会社を立て直した。そして地元でも一目置かれる中堅企業に育て上げた。そして集大成に家を建てた。良材を惜しみなく使って。しかし、自分は事業では成功したが肝心の木を見る目に関しては先代の足元にも及ばなかった。それが結局作った家に表れている。とにかくご覧になってくださいと案内してくれた」
 「うんうん」
 「離れは数寄屋造りの茶室を思わせるものだった。壁は土壁だ。柱はスギの面皮柱、桁は皮の付いたマツ、天井には竹の垂木にナタで剥いだようなスギの板が乗せられている。質素なんてもんじゃない世捨て人のあばら家だ。しかし違う。超越してるんだ。木が語りかけてくる。木が生きてきた年月が空間を満たしている。でも圧迫感なんてない。むしろ安らかな気配だ。木に寄り添われている感じだ。力むな。何も考えるな。自分のままでいい。そんな感じだった」
 「へえ。そりゃすごい」
 「それまで鉄やコンクリートと比べて強度は劣るが暖か味があるとか肌触りが優しいとか健康に良いとか御託を並べてきたが、自分は木のことを何も分かっちゃいなかったことを思い知らされた。これまでやってきたことは殆ど意味なかったんじゃないかとな」
 「そこまで言うかね」
 「その時思ったんだ。木の心というか、木の本当の魅力を伝えたいとね。それこそが自分のやるべき使命だと確信した。ただ、その時既に40代の半ばだった。やれる時間はそれほど残っちゃいない。とまあそんな具合で今の会社を作ったという訳だ」
 
 「なるほど、そんなことがあったのか。知らなかった。君も結構深いんだな」
 「お前もよくそんな失礼なことを言うな」
 「いや失礼。でも君の話は僕の琴線にも触れたよ、参ったな。僕はいまだに木を解っちゃいない田舎の材木屋のままだ。心中穏やかじゃないよ。でも木は好きだし、並の木は並の木なりに愛着はある」
「いやいや君の会社のような庶民相手の商売をしているところがあるから、うちの商売が引き立つというもんだ。感謝してるよ」
 「お前はもっと失礼だ。仕返しか?それはそうとエントランスのマツの一枚板は見事だな。僕でも判る」
 
 「あれか?あれは霧島アカマツだ。皇居に使われているのとグレードは変わらない。しかもあれだけ大きい1枚板はもう出てこないかもしれない。絶品だよ、高かった。うちは超が付くかそれに近い一級品しか扱わない。でも価格の問題じゃない品質だ。いや品質というと少し違うな。その木が持っている力、品格、歴史が混然一体とした何かだ。高くなるのは当然だ。木のことなんて何も知らなくても感性の鋭い人間、本物を見る目のある人間なら分かる。いい音楽を聴くようにな」
 「なるほど分かるような気がする。同じ木でも良い木目は音楽を連想させるな。シンフォニーもあればソナタもあるし、尺八の音もあればジャズのバラッドもある。いつの間にか木に慣れすぎて木を見ていなかったなあ。いい勉強になったよ」
 
 「とは言っても、木の良さを分かってくれるお客様ばかりじゃない。たまに、皇居で使われているものと同じ産地の一級品のスギを使いたいなんて言うお客がいる。そんな人間にはそこら辺りの見栄えのいいスギを使っても分かりゃしない。そういった類の人間はニューカマーが多いな。もっとも、彼らも大事なお客様には変わりない。会社の信用に関わるからご要望にはしっかり応えるし、手抜きは一切しないけどな」


6.日陰
 日の当たる場所があれば日陰がある。日差しが強ければ強いほど日陰は暗い。
 
 メタン景気に沸く2025年、その頃稼働していた原発は3基だけだ。福島の事故のあと全ての原発が停止したが、安全審査に時間がかり再稼働が遅れた。
 原発反対派は再稼働の遅れを歓迎したが、原発容認派でさえ長引く休止に慣れて期待度は徐々に低下していった。休止中の原発は、休止中にも関わらず軽微な放射能漏れ事故をしばしば起こした。廃炉を決めた原発の解体撤去作業は必要な予算が確保できず一向に進まなかった。原発に対する信頼はすでに失墜していた。
 
 そこに出現したのが自前のクリーンエネルギー・メタンハイドレートだった。国民の関心は当然メタンハイドレートに向く。かつてこの国に原発があったことなどとうに忘れてしまったかのように。
 長年原発に頼り切ってきた市町村は焦った。役場の収入は国からの交付金や補助金か電力会社が支払う法人事業税以外に目ぼしいものが無いのだから。原発が地場産業化していたから農業や水産業など見向きもしてこなかった。地元の人たちも、地域の平均をはるかに上回る給料がもらえる原発に勤めることが新卒者の目標になっていたし、原発に関連する事業に食い込むことこそが地元での成功者の証明だったからだ。
 
 原発が立地する自治体の首長は起死回生を賭けて、こんな時にしか役に立たない地元選出の国会議員に泣き付き、中央政府や電力会社に陳情した。裏金も用意した。タダ同然の価格で原発近辺の土地を用意するから何とかメタン火力発電所を建設してほしいと。
 しかし、原発と比べ周辺地域に危険が及ぶ可能性が限りなく小さいメタン火力発電所は全国から引く手あまただ。誘致合戦は熾烈で、誘致を目論む自治体からは電力会社にとって有利な条件が次々と飛び出してくる。わざわざ放射能漏れのリスクを抱えるところに虎の子を建設しようなどと考える方がどうかしている。
 
 飯の食えない原発立地市町村からは潮が引くように人が出ていく。かつて電力会社の社員や原発に勤める労働者たちや彼らの家族が行き交い賑わった商店街に人影はない。野良犬さえ歩かない。町にいるのはどこにも行くあてのない年金生活者だけだ。彼らは家に引きこもり定期的に届けられる粗末な食材をあてにただ生き続けている。
 廃墟と化しつつある街でうごめく者たちがいる。金目になりそうなものを探し回る窃盗団だ。最初は物を盗むだけだったが、いつの間にか住み心地のいい空き家を見つけ住み着いた。特に放射能漏れの噂が絶えない地区の空き家は足取りをたどられたくない者にとって格好の隠れ家になった。原発周辺集落はまともな人間が立ち入ることのできない無法地帯になった。
 
 メタン景気は、原発のような一部の時代遅れの産業を除き、多くの企業の業績を急回復させた。しかし、その果実はすべての国民に届いた訳ではない。むしろ果実を得た者は以前にも増して少なくなった。
 長く暗いトンネルを進む間に、工場では単純労働は勿論、ある程度経験を必要とする作業までもロボットが取って代わるようになっていた。人手に頼るサービス業でもIT化が進み、ロボットが応接する店舗も珍しくなくなった。生身の人間のサービスが貴重なものになっていた。
 農林水産業でも機械化やIT化が革新的に進んだ。年間3000万円を売り上げる農家や年間売上高10億円の農業生産法人が珍しくなくなった。
 
 親や祖父母の資金をもとに十分な教育を受けスキルを身に着けた人たち、豊富な資産を引き継いだ人たち、歌舞音曲や芸術の才気にあふれた人たちには常に日の当たる場所が用意された。業績の良い企業は優れたスキルを持った人材を必要とし、豊富な資産を手にした者は欲をかくことさえしなけば資産が資産を生み続けた。歌舞音曲に秀でた者たちは富裕層に愛され、富裕層は彼らに富を分け与えた。サービス業や農林水産業でも成功できるのはスキルのある人間、才気のある人間だけだ。
 
 一方で、特別なスキルも資産も才気も持たない人たちに日が当たることはない。スキルを得る道を閉ざされた者たち、資産から見放された者たち、才気を持たず生まれ落ちた者たちに日が当たることは一生ないのだ。
 日の当たらない人たちには、誰にでもできる仕事、代わりがいくらでもいる仕事、誰もやりたがらない仕事、人には言えない仕事しか回ってこない。それ故に足元を見られてわずかな報酬しか与えられない。しかし文句は言えない。言えば即刻お払い箱だ。これまでは哀れな外国人労働者がやってきた仕事だ。たどたどしい日本語を使い不法に就労してきた発展途上国の人たちがやってきた仕事だ。
 3Kと言われたこれらの仕事を担ってきた外国人たちは日本からいなくなっていた。経済発展著しい母国に帰ってしまった。日本で差別的な扱いに悔し涙を流す必要はない。これからは母国か、母国がだめなら他の新興国に行って一旗揚げられるのだから。そして、3Kの仕事は日の当たらない日本人たちの手に戻ってきた。
 
 3Kの子供として生まれた日本人たちに十分な教育が与えられることはない。引く継ぐ資産などあるはずがない。借金がなければ幸いだ。そんな子供たちも大人になる。そして、親たちと同じように日の当たらない職場に勤めることになる。生まれる前から決められていた運命をただ歩いて行くだけだ。そして貧困の連鎖が永遠に続いていく。もしそこから抜け出せる道があるとすれば、天才的な頭脳を持つ子供、天才的な芸術の才に恵まれた子供として生まれ落ちるか、3Kの親に捨てられて資産家に拾われることくらいだ。


7.相互監視
 「ニューカマーって何だ?」
 「ニューカマーだよ。そうか、君は北海道人だから知らないか。画外から新しく1種として画内に住めるようになった人たちのことだ。頑張って稼いで、目出度く画内入りを果たしたんだ。皆さん胸を張ってる。鼻息荒いぜ。億ションに住んでる人が多いな。勿論1億円ギリギリなんていうのは稀で大体は倍近い」
 「そうか。じゃあ庶民は画内には住めんな。君は画内に住んでるのか」
 「ああ、仕事があるからね。画外に住むと職場に来るのが不便で。今は山谷に住んでる」
 「山谷?山谷ってあの山谷か?」
 「そうだあの山谷だ。でも、今は昔の山谷じゃない。名前も「北斗」というんだ。で俺のところは北斗5丁目」
 「北斗?なんだそりゃ?」
 「あの辺りはメタン景気以降、一番変わったエリアの一つだよ。画ができて完全に別の街になった。つまり浅草から北側、三ノ輪辺りまで一旦全て更地にしたんだ。それでゼロから街を創り直した。今じゃ一応高級住宅街ということになってる。名前も北斗で出直しましたって訳だ。皇居から見て丑の方角だから丑町という案もあったようだが、さすがに古臭いので却下されて、北北東だから北斗に落ち着いたらしい。ただエリアが広いので北斗1丁目から北斗12丁目まである。勿論、千代田区とか港区のような趣はないし、元々が山谷、吉原だからグレードは低い。ただ街がゼロから計画的に造られてるので極めて住みやすい。価格も画内にしては手ごろだし会社に来るのにも便利だ。ニューカマーの人たちは絶対に選ばないけどな。あの連中が住みたがるのは港区か千代田区だ」
 「なるほど、知らなかった。浦島太郎だな」
 「もっとも、俺はいつまでもあそこで暮らすつもりはない。今は仕事が面白いから辞めるなんてちっとも考えちゃいないが、仕事に区切りが付いたら絶対に画外に出る。場所はまだ決めちゃいないがな」
 「そうまで嫌うかね」
 「こんな管理社会は真っ平だ。戦前の日本やドイツ、戦後のソ連みたいなもんだ。もっとも表面上はそんな強面じゃないがな。グリーンベルトがいい例だ。中央政府は巧妙だよ」
 
 「グリーンベルトね。今日初めて完成したものを見た。コンクリートの壁よりはましだけど寒々しい風景だった。しかし、いろいろあったよな境界の整備については。農務省も関係ない訳じゃなかったけど、お互い巻き込まれなくて良かった」
 「そうだな。画を設けること自体が大問題だけど境界をどうやって区切るかということも色々議論があった。俺はもう役所を辞めてたから高みの見物で面白がっていただけだ」
 「そういえば、最初は高さ7~8mのコンクリートの壁で囲うというのがあったね。境界を守る効果という意味では簡潔明瞭だしね。建設用地が狭くて済むから土地収用の負担が比較的小さいし工事期間も短縮できる。予算的にも有利だというのも役人的には説得力があった」
 「そうそう、しかしな。東西冷戦の時代とかイスラエルの入植地じゃあるまいし、コンクリートの壁じゃいくら何でもイメージ悪すぎるだろう。結局、あの案は早々にボツになった。壁よりグリーンベルトの方が民主的だなんて訳の分からないこという野党議員もいたがな」
 「あとコンクリート壁を主張する議員の中にセメント業界から献金をもらってるのがいたろう。国会で問題になって、あれで流れはできたね」
 「緑の少ない東京の緑化に貢献するとか、ヒートアイランド現象を軽減するとかで結局、環境にやさしいグリーンベルト構想に一件落着したという訳だった。何が環境にやさしいのかよく分からんが」
 
 「でも、あの頃も問題になったけど、グリーンベルトと言っても要するにやたら長い芝生広場だろう。あれで画内の治安が守られるのかね」
 「それが中央政府の巧妙なところさ。見てのとおりグリーンベルトは一見ソフトだよな。でも、今じゃ機能を十分果たしてる。何故だか分かるだろう?」
 「相互監視システムという奴か?」
 「そのとおり。国民カードと「相互監視通報システム」だよ。国民カードは日本人なら皆持ってるしな」
 「ああ、何にでも使えるから便利だしね。最初は抵抗感あったけど今は当たり前になった。落とすと何もできなくなるからその方が心配なくらいだ」
 「そうだよな。だから国民カードを居住権とか入画許可の証明証として利用することも特に問題にならなかった」
 「そうだね。僕も東京にいた頃カードに居住権を入力してもらったけど、まあそんなものかなあという感じだったし」
 「君はノー天気だからな。勿論正規に手続きしているから何の問題もないけど。もし、正規の手続きをしないで画内のコンビニで買い物でもしてみろ、監視カメラに追い回されて即刻逮捕だぜ」
 「怖いね」
 「国民カードの怖いところさ。これに加えて相互監視通報システムだからな、なかなかガードは固い」
 
 「相互監視システムね。僕がまだ東京にいる頃に始まった。あのハロウィーン事件の後もテロが続いて、全国でテロ対策が強化されたのが始まりだったよな」
 「そうだ。あの頃は街中のあちこちに警察官が立って。劇場とかでも手荷物検査がうるさくなった。飛行場の手荷物検査なんかテロ前に比べて通過するのに30分以上余計に掛るようになった。東京は厳戒態勢という感じで特にひどかったな。あちこちにパトカーや装甲車が停まって、路上で職務質問受けている奴を結構見た」
 「大きなのはなかったけどテロが続いたからね。街中ピリピリしてた」
 「警備当局もなりふり構ってられなかったんだろう。ナーバスになってる画内の居住者を看視体制に取り込むなんてな。居住者が不審者を見つけたら警察に通報するシステムを導入するとはうまく考えたものだ」
 「そういえば僕の家にもお巡りさんが来て、通報システムのパンフレットを置いていったよ。ハロウィーン事件があったのも霞が関からそんなに遠くなかったし、まあテロとか犯罪を防止するためなら仕方ないのかなと思ったけどね」
 「ははは。さすがノー天気の芳野らしいな。まあ、東京都心部の住民の大体は抵抗感なく通報システムを受け入れたようだしな」
 「でもね。いくらノー天気の僕でも画の境界が出来上がってくるとね。なんとなく窮屈な感じがしだして。それに加えて通報システムだろう。本当に息苦しくなってきたんだ。通報システムのお蔭で東京を離れる決心が付いたのかもしれない。でも、考えてみたらシステムと言っても何かあったら警察署に知らせるのって当たり前じゃないか。システムというから構えてしまうんだよな」
 「そうか、君はシステムのことを良く知らないんだよ。単に警察に知らせるだけじゃないんだ。要は通報すると、その者には報奨金が出るんだよ。まあ、通報されたものはほとんど軽犯罪レベルだけど。それでも、確か400件に1件が過激派によるテロ関係がらみ、100件に1件がテロじゃないが何等かの犯罪がらみだったって聞いたな」
 「じゃあ、それなりに効果があるんだ」
 「そうかもしれん。しかも、通報がテロとか犯罪の未然防止につながったということが公共放送のローカルニュースでよく取り上げられる。勿論通報者を特定できる情報は出ないで、未然防止の決め手になったことだけが大々的に報じられるんだ。通報者に支払われる報奨金の額は分からないが、ある程度インセンティブになってるらしい。次第にテロまがいだけじゃなく小さな犯罪も減ってきた。ということは、相互監視通報システムというのは一応は成功したと言える。グリーンベルトに囲まれた画内はこれで安泰という訳だ」
 「なるほどよく分かったよ。東京がそんなことになってたとはね。確かに安全にはなったんだろうけど、人間らしく暮らせるところじゃないな。北海道に逃げたのは正解だったよ」


8.憲法改正
 メタン景気で国民が浮かれ始めた2024年、憲法が改正された。但し憲法9条ではない、憲法42条から44条だ。要するに国会に関係する規定が改正された。
 2010年に「身を切る改革」と称した国会改革は案の定うやむやにされた。しかし、ついにその付けを払う時が来た。

 国会のことは憲法の第4章に定められている。その文章はこうなっていた。2014年までは。
 第41条 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。
 第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
 第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
 2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。
 第44条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、
 社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。

 国会とは議員の集まりだ。だから議員たちは国会議員と呼ばれる。平たく言えば政治家だ。彼らは国民の代表だ。代表なのだから誇りを持って良い。いや、誇りを持ってもらいたい。何しろ選ばれた人たちなのだから。
 しかし、だからといって彼ら自身が特にえらい訳ではない。えらいのは国会だ。そこを勘違いしてもらっては困る。
 国民の代表なのだから常に国民の暮らしに目を向けて、国民のだれもが安心して暮らせるように、国民のだれもが心豊かに暮らせるようにその身を捧げてもらわなければならない。
 また、国民に新たな負担をかけ国民が反発しそうな政策であっても、それが真に国民にとって必要なものであるなら、粘り強く、分かりやすく国民に説明し、国民から理解と支持を得られるように最大限努力してもらわなければならない。
 さらには、国のあるべき姿、進むべき道を高い見識を持って思い描き、その実現に没頭してもらわなければならない。それが代表となった者の使命だ。
 
 ところが、実際には何のために政治家になったのか?と疑いたくなる人たちがいる。ある種の業界の利益だけを考えている人たち、ある種の思想に染まってその思想を広げることに奔走する人たち、ひとりよがりの使命感に酔って現実というものが見えていない人たち、絵に描いたような理想を掲げるが実行に移す気持ちも能力もない人たち、政治家という身分に身を置くことだけが目的になっている人たちだ。このような政治家は要らない。国民の代表と言えるような使命を果たしていないからだ。
 
 国の借金がとんでもない額に膨らみ、慌てて社会保険料の掛け金を引き上げたり、医療費や介護費用の国民の負担割合を引き上げたり、逆に年金支給額を減らしたり、さらには消費税の税率を引き上げたりと国民に重い負担を求めるのであれば、政治家たるもの率先垂範して身を切る努力をしてもらわなければならない。それが国民の代表としての当然の務めだろう。
 
 国会の姿を大きく変えることになる憲法改正が何故行われたか?
 それは、今からちょうど四半世紀前、憲法が改正される14年前の2010年にさかのぼる。
 「身を切る改革」と称して政治家たちは議員定数の削減に取り組むことを国民の前で約束した。国会というおおやけの場で。
 また、これに合わせて前々から指摘されていた一票の格差の問題も解決するとして、選挙区の区割りを見直すことも約束した。国民の眼の前で、胸を張って。
 
 ところが、政治家という実入りの良い仕事を一度手に入れてしまうと、周りから先生、先生と持ち上げられてしまうと、その身分を手放したくなくなるようだ。それは与党も野党も同じだ。そして、彼らの間では定数問題には触れないでおこう、選挙区の区割りには触れないでおこうという暗黙の了解が出来上がる。
 彼らは言う。議員定数の問題は極めて重要な問題である。何故なら国会議員は国民の代表だからである。幅広い国民の意思、つまり民意が正しく国会に届くようでなければならない。選挙区割りも同じである。国内のそれぞれの地域の民意が正しく汲み取られなければならない。
 議員定数と選挙区割りについて、現状に問題があることは十分承知している。そのため早急に改革に取り組まなければならない。しかし、一方で国民にとって極めて重要な権利である選挙権が損なわれることがあってはならない。そのためこの問題は慎重な上にも慎重に議論、検討することが重要である。むにゃむにゃむにゃ・・・


9.画外
 「北海道か、いいな。とにかく画内は人間の住むところじゃない。そりゃ画外に出れば小さいトラブルとか摩擦は多いかもしれん。でもな、それこそが人間として生きている証だし、そうした中に生きている面白さもあるんだ。つまり画外でこそ生きているということを実感できる。バーチャルなんだよ画内は」
 「バーチャルね。高度に管理され、制御された箱庭での人間ごっこかもね」
 「そういうことだ。画外の方が人間臭いし絶対面白い。ニューカマーの連中はどうして好き好んで画内なんかに住みたがるのかね。仕事の都合なら分からんでもないが」

 「画外といえば、羽田に到着したらすぐに君からメールが入ってね。メールに気を取られて危うく画外に出そうになった。急に止まったら女の子にキャリーバッグを思い切り脚にぶつけられてね。焦ったよ」
 「はは。そりゃ災難だったな。出てしまうと面倒だぜ。俺も一回だけやった。あの時は京急を使ったんだが、なにしろ画外駅始発だからな。最初に蒲田行きで蒲田まで行って、蒲田で南立会川行きに乗り換えてだろう。で、南立会川に着いたらエスカレータで改札階まで降りて改札を出て。それから入画ゲートだ。ゲートを通ったらシャトルに乗って、境界を越えたらまた入画ゲートだ。それでめでたく入画という訳だ。それから北立会川駅の改札を通って、ホームに昇って、さあ北立会川始発でゆっくり座って行こうと思ってたら、その時に限って空港からの直行電車がホームに入って来やがった。直行を見送って次発の北立会川始発を待つのも変な話しだし、結局直行電車に乗って、本当にバカバカしいことをしたと悔やんだよ。でもな、4種の連中は毎日あんなことやってんだからな。感心するよ」
 
 「というと乗り換え3回か。相当なロスだ」
 「それだけじゃなかったんだよあの時は。知ってのとおり入画ゲートと言ったって読み取り機でカードをタッチするだけだから大した手間じゃない。ところが、あの時に限ってゲートの1台が整備のためとかで休止しててね。おまけに1台調子が悪くなって使えない。混雑しているところに、たまたま俺より少し前にゲートを通ったのが4種の奴で、入画許可が切れてるらしくて、あきらめてくれりゃいいのに仕事の都合でどうしても入画させてくれ。今日だけでいいから何とかしてくれと警察官にしつこく食い下がって。それを見ていた周りの4種の連中が加勢してな、「俺たちを差別するのか!4種をなめんな!」とか言って警察官を取り囲んでわいわいやりだした。もうてんやわんやだ。詰所から警察官が大勢駆けつけてきてね。ちょっと怖いくらいだった」
 「へえ」
 「結局、会社に着くまで2時間半ほど掛ったよ。画内行きの直行なら早けりゃ50分で会社に着けるのにな。とんだ災難だった」
 
 「しっかり者の君が何でそんなウッカリをやっちゃたんだ」
 「それがな、住宅を新築するときにうちの商品を入れてくれた社長がたまたま同じ飛行機に乗っててね。世間話をしているうちについ画外に出ちまったんだ」
 「え?君のお客には画外の人間もいるのか?」
 「何とぼけたことを言ってる。1種、2種、3種の資格を取れる人間で実際に画内に住んでいるのは半分もいないさ。生まれ故郷に愛着のある人間は沢山いるし、仕事の都合で地元を離れたくても離れられない人間もいる。権利が有っても画内居住権を申請しない者は沢山いる。また、下手に申請して懐具合を探られたくない富裕層もいるし、意地でも画内なんぞには入らんという気骨のある老人もいる。ちなみに飛行機で一緒になった社長は旧家の人間だからおいそれとは地元を離れられなくてね。工場が近いということもあって画外で暮らしてる。もっとも300坪の豪邸は高い塀と看視カメラと警備会社のシステムでガチガチに守られているけどね」
 「なるほど」
 「画外に住んでる富裕層は、大体があの社長のように暴力団の組長かと思うような家に住んでるか、高い壁と門番に守られたセキュリティータウンかセキュリティー機能の高い要塞みたいなマンションに住んでる」
 「北海道では考えられんな。なんだか空恐ろしくなってきたよ」
 「それほどじゃない。慣れだよ。ところで何日まで東京にいるんだ?」

 「9日までだよ。明日は新木場にある東京工場に行く。明後日は相模原だ。新木場の工場に行くのは初めてだ。僕の方は特に用事はなくて挨拶だけなんだけど、工場の方で色々と相談したいことがあるらしい。相模原の方は学生時代の友人に会いに行く。そいつは相模原で農業をやってるんだけど先週突然電話を寄越してね。折り入って話があると言ってきた。役所嫌いだから農務省に関係する話ではないだろうし、用件が何だか見当がつかない。元々何を考えているのか判らないところがある奴なんで怖くもあり楽しみでもある」

 デスクの電話が鳴った。
 「なんだ・・・そうかつないでくれ・・やあ、内藤さんこの前のコンペじゃお世話になりました。お陰様で2年ぶりの優勝で。一緒に回るメンバーがいいと違いますね。有難うございました・・・えっ?・・そんなに?・・そりゃ今すぐにでも見に行きたいですね。ところが、明日から四国と九州に出かけるもんで。戻りは日曜日の夜だから月曜日には伺います。とはいえよそに取られちゃまずいから取りあえず、明日うちの松田に見に行かせます。えっ?・・まだまだ任せられるレベルじゃないが筋はいい方ですよ。本人にはお前はまだまだ勉強が足りんと厳しく言ってますがね。内藤さん、商売抜きで鍛えてやって下さい。・・ではよろしく」
 「商売繁盛だな」
 「いやな、アメリカから飛び切りのマホガニーが入ったらしい。ワシントン条約で規制されているから氏素性がはっきりした良材はめったに入らなくなったんだ。きっと上物だと思う」
 
 「マホガニーね。さすがKPWだな。で、内藤さんって?」
 「ああ。内藤さんというのは新木場の銘木屋なんだがな、気をつけていないと通り過ぎてしまうようなちっぽけな材木屋でね。但し、銘木の目利きは天才的だ。しかも70歳近いのに、良材があると聞くと地球の裏側のジャングルまで分け入って行くような人だ。銘木ゲリラだな。しかも、法律に触れるような原木をつかませることは99%ない。もっとも本人は結構危ない目に遭ってるようだがな。勿論間違いない分だけ値段は張る。今はお互いウインウインで良い関係が出来ているから最初にうちに声を掛けてくれるんだ。ただ、物が物だけに何処に横取りされるか知れたものじゃない。取りあえず買う気を見せておかないとな。ということで明日うちの松田に行かせるということだ。良かったら松田の車に乗って行けよ。お宅の工場まで送って行かせる。ついでにお宅の工場にも挨拶して、それから内藤さんところに行かせるよ。お前も良かったら内藤さんところでマホガニー見てきたら?目の保養になるぜ」
 「そりゃ助かる。お言葉に甘えるよ。何しろ画の外に出るのは初めてだしね。ただ、マホガニーの方はあいにく時間がない。工場の方でいろいろと説明しておきたいようなのでね。それにマホガニーといったって丸太を眺めただけじゃ何が良いのかよく分からんしな」
 「何でも勉強だけど、本業の方が大事なのはもっともだ。じゃあ取りあえず明日松田に送らせる。ホテルはどこだ?」
 「品川のパレスホテル」
 「じゃあ9時にロビーでいいか?松田に庶民向けの材木の話でもしてやってくれ」
 「何か引っ掛るな。ところで松田さんは今いるの?」
 「ああ、いる。君が出るときに紹介する」
 

10.違憲判決
 2017年、国債発行を続ける中央政府の借金は増える一方だが、日本経済は足踏みしたままだ。
 国会改革はこれまで延々と時間と予算だけは費やされるが、そもそもやる気がないので何の成果も出てこない。そしてこの年、衆議院議員選挙いわゆる総選挙が行われた。
 投票率は過去最低の48%だった。年代別では、18歳以上を含めた20歳代の投票率が28%、30歳代が37%、40歳代が45%と年齢層が下がるほど投票率が低かった。若者たちは政治というものに期待も関心も持たなくなっていた。
 
 選挙が終わるや否や、全国各地で原告団が結成され、選挙の無効を訴え出た。予想通りだ。ただ、今回は一部の学者や政治マニアによる告訴では終わらなかった。
 給料は期待したように上がらない、逆にいつ首を切られるかわからない。学校を出ても定職につけない。子供を持つ親たちはやっと働き口を見つけたと思ったら保育所に空きがない。老人たちはあてにしていた年金を減らされる。それなのに消費税はしっかりと上がる。
 国は何をやっている?政府は何をやっている?そして国民の声を代弁するはずの国会は何をやっている?何もやっていないのだ。怠け者の国会を糾弾する裁判に対する関心は今までになく高まった。
 ただ一方で、裁判の無力さも痛感させられる。仮に裁判所が違憲と判断しても何も変わらない可能性が高いからだ。過去にも多くの違憲判決が出たが国会は何もしてこなかったからだ。
 
 国民の間に重い怒りが広がっていく。国会なんか要らない。勿論政治家も要らない。金ばかり使って何もしてくれないのだから。国会があるところは一等地だから、つぶして再開発して借金返済の一部に充当すればよい。無茶苦茶な話だが国民の中に中央政府や国会に対する怒りが膨らんでいく。
 そして、国会議事堂周辺から霞が関、永田町周辺への抗議デモが毎週土日になると行われるようになり、参加者の数は増えていった。
 その動きは大阪の御堂筋でのデモ行進に飛び火し、名古屋、福岡、札幌と全国に拡がっていった。インターネットでも国会や政府、与党への批判が拡大していった。
 「国会合理化!議員は半減!歳費も半減!国会合理化!議員は半減!歳費も半減!」
 
 そして2018年春の札幌高裁を皮切りに大阪、東京、広島のすべての高裁が2017年の総選挙の選挙結果を無効とする判決を下した。裁判所もこれまで見たことのない国民の怒りに抗うことはできなかった。国は直ちに上告した。これが国民の神経を逆なでし、反発をさらに増幅させた。デモ行進はさらに拡大する。それは地方の小都市にも広がっていった。

第3章 地方発展計画

1.夕暮れ
 あの後、松田を紹介してもらい、残った仕事を片付けるという神村を残してKPWを後にした。同期会の場所はお馴染みの新橋だ。虎ノ門からならゆっくり歩いても15分で着いてしまう。7時半までは1時間以上もある。
 以前の上司や同僚、関係省庁の知り合いに出くわすのは面倒な気がしたので霞ヶ関方面は避けて、久し振りに内幸町から日比谷公園辺りを歩いてみることにした。内幸町までは虎ノ門の裏通りを歩く。以前に比べて行き交う人が少なくなって随分歩きやすい。昔は間口の狭い小さな飲食店が軒を連ねていたが、小さな雑居ビルの多くが取り壊されて小奇麗なビルに生まれ変わり、1階は明るいカフェやラーメンショップ、小洒落た和食処に変わっていた。
 
 外堀通りに出ると、ここも以前に比べ人通りが少なくなっていた。歩道が随分広くなったように感じる。外堀通り沿いのビルもほとんどが高層ビルに建て替えられ、歩道に沿って銀行や証券会社が並び、所々に高級ブランドのブティックやゴルフショップ、ワインショップが入り、カフェのテントやレストランのイタリア国旗などが見える。歩道はレンガ敷きで、葉を落したプラタナスが立ち並び落ち着いた佇まいだ。
 歩いているうちにオレンジ色の街燈が点り始めた。車道をみても以前と比べ車が少なくなった。スピードを上げる車もなく静かに流れている。タクシーは全て無人の自動運転車だ。
 
 画内では3年前にタクシーが全て無人化された。乗り方は昔と変わらない。こちらに向かってくるタクシーを見つけたら手を上げれば良い。空車なら停まってくれる。乗車拒否はしない。ドアが開いたらシートに座り、座席前のモニタ画面に映る男性乗務員に行き先を告げれば良い。昔のタクシーと違いモニタ画面の乗務員は丁寧に「いらっしゃいませ。ご乗車いただきありがとうございます。どちらまで参りましょうか」と聞いてくるので、行き先を告げれば「かしこまりました」と落ち着いた品のある声で応対してくれる。女性乗務員の場合もあるにはあるが、タクシーの場合は男性の方が安心感があるとかで8割方男性だ。無人だからどちらでも関係ないようなものだが。
 目的地に近づいたら停車位置を口頭で指示すれば停まってくれる。運賃は全て国民カード決済だ。行き先を告げたときに顔のデータが記憶されているので、読取り機にカードをタッチすればそれで終りだ。
 メカニズムは分からないが、かなりの精度で外国人を識別できるようで、乗客に応じて英語、中国語、韓国語で対応してくれるらしい。同じような顔をしているはずだが、ちゃんと日本語、中国語、韓国語を使い分けるそうだ。試してみたい気もするが、今は時間をつぶさなければならないのでタクシーは使わず気ままに歩くことにする。
 
 日比谷公園は以前と同じように大木が鬱蒼としていた。図書館は既に取り壊され、跡地にはオープンカフェを併設したギャラリーが木立の中に佇んでいた。外のテーブル席に座っている人はおらず、明かりの灯った店内で何組かのカップルやグループが語り合っている。公園は新緑間近でウメとモクレンの花が見えるくらいだ。散策している人の数も少ない。
 
 夕闇が濃くなってきた。日比谷通りに出て、帝国ホテル横の道を数寄屋橋方面に向かう。さすがにこの当たりまで来ると行き交う人の数は多い。人波の中に何組もの外国人観光客がウインドウショッピングを楽しみ、夕食の店を物色している。この辺りも人々はゆったりと歩き、急ぎ足の人はいない。数寄屋橋交差点まで来るとすっかり夜の風景になり大型ビジョンの広告が眩しい。昼間の暖かさはすでになく、寒さが増してきた。コートのポケットに手を突っ込む。スクランブル交差点は以前のように混雑することはなく歩きやすい。
 晴海通りを銀座4丁目交差点に向かう。オレンジ色の街燈の下を行き交う人々はこれからディナーなのか映画を見るのか、皆着飾り笑顔で話しながら歩いている。歩道沿いには高級ブランドの衣料品や靴、宝飾品などを扱うブティックが並び、それらを眺めながらゆったりと歩いている。半分くらいは外国人旅行者だ。
 
 時刻はいつの間にか7時10分を回っていた。新橋まで歩こうと思っていたが、遅れるとまずいので地下鉄を使うことにした。
 銀座4丁目交差点そばの出入り口から地下に降りていく。駅の構造は以前と変わらないが、明るく綺麗になった。改札を抜けホームに降りて行く。最も混雑する時間帯のはずだがあまり混み合ってはいない。
 ホームに降りるとすぐに渋谷行きの黄色い車両が入って来た。降りる人を待って乗り込む。少し混んではいるが押し合いへし合いというほどではない。着飾った中年婦人のグループ、品のある熟年夫婦がシートに座り静かに語り合っている。ビジネススーツを着た人達がつり革を持ちスマホを眺めている。
 落ち着く間もなく新橋に到着した。ホームから階段を昇り、改札を出る。新橋駅も随分明るく綺麗になった。オリンピックの後しばらくは地下通路にホームレスがたむろしていたが、景気の回復に伴い徐々に姿を消していき、画ができてからは画内にいたホームレスは全て画外のシェルターに移されたらしい。
 コンビニ、衣料や雑貨を扱う小さなブティック、ドラッグストアの並ぶ地下通路を抜け、階段を上り、JR新橋駅の駅前広場に出た。
 

2.議連
 2010年代後半、日本経済は失速し、多くの国民は日々の暮らしを維持することで精一杯。政治に対する不平、不満が日本中に充満していた。
 活政治家たちはここに来てようやく事態の深刻さに気付いた。このままでは自分たちの身分が危ない。早急に定数削減と選挙区割りの見直しをしなければならない。国民の目に見える形で。とは言え、なるべく自分たちの首だけはつながるように。
 
 そして、早々に与野党合同の協議機関の設置を決めた。しかし、問題はこれからだ。自分たちの首がつながる、自分たちだけは首がつながるような協議機関にしなければ意味がない。まずは協議機関の構成をどうするか?政党ごとの人数の配分をどうするか?協議機関が出した結論をどの様に具体化していくのか?入口からもめ始めた。また始まった。学ばない人たちなのだ。

 2019年、「納税者党」が旗揚げされた。東京の都心部や山の手に住む富裕層が中心になって立ち上げた政党だ。国のやることは富裕層から税金を吸い上げることと、その税金を役に立たない人気取り政策にばら撒くだけだ。
 苦労して納めた自分たちの税金だ。意味のないことに使わずに有効に使ってもらいたい。この国の経済の発展のために、この国の安全を確保するために、国民の生活を快適にするために。富裕層が次々と国外に逃避するのも元はと言えば税金が正しく使われないためだ。
 庶民も庶民だ。政府や国会は何もしない、何もしてくれないと文句ばかり言っているが、ろくに税金も納めないでよく言えたものだ。ただ飯を食っているのは政治家だけじゃない庶民も同じだ。

 国の政策とは突き詰めれば税金の使い途だ。大事な税金を何にどれだけ使うかを決めることだ。だから、国会は納税者の声を第一に聴くべきなのだ。税金を納めていない人たちは政策に対して意見を言う権利などないのだ。株を持っているから株主総会に参加できるのだ。株を持たない人たちにはその権利は与えられないのだ。納税者だけに選挙権、被選挙権を与えるべきだ。
 憲法や戦後長く続いた民主主義体制に真っ向から挑戦する荒唐無稽な主張を繰り広げる政党に対して、学者やマスコミは集中砲火を浴びせた。しかし、政府や国会の無為無策振りを嫌というほど見せつけられてきた国民の中に支持する声が広がっていった。そして、次の総選挙では議席を獲得するかもしれないとの憶測が出始めた。
 
 この年の7月、参議院議員選挙が行われた。一票の格差は3年前に微調整されたが、すぐに3倍以上に拡がった。しかし、国民の反発は総選挙ほどではなかった。全体の投票率は過去最低の44%だった。20歳代以下は23%、30歳代は34%、40歳代は43%だった。国民は参議院に期待することを止めた。
 そして、「参議院廃止国民運動」が起こる。参議院は一体何をしているところだろうか?衆議院で決まったことを追認しているだけではないか。これまで何度か衆議院で決まったことに反対したことはあった。しかし、結局は衆議院に押し切られるのが落ちだ。議員はといえばタレントとかスポーツ選手とかテレビによく出てくるニヤけた学者とかの集まりじゃないか?有名人が政治家面してえらそうにただ飯食ってるだけじゃないか?衆議院も大した仕事をしている訳ではないが、強いていえば衆議院だけあれば十分じゃないか。参議院はもう要らない。これまた憲法や戦後の民主主義体制に挑戦する国民運動だったが、生活苦にあえぎ、不公平感が募り、重税感に嫌気がさした国民の支持が広がっていった。

 2020年、超党派の現職議員により「納税額比例選挙制度創設議員連盟」と「参議院廃止議員連盟」、いわゆる「納税議連」と「廃止議連」(産廃ならぬ参廃議連だと陰口をたたく者もいた)が相次いで発足した。日本国憲法のもとで選出された議員たちが日本国憲法に真っ向から挑戦しようというのだ。以前なら内閣総辞職か衆議院解散ものだ。いや、その程度では済まなかっただろう。国政は、いや国内が大混乱したはずだ。しかし、経済が疲弊、混乱する中で国民の政治に対する期待、関心は薄れ、信頼は地に落ちていた。
 形だけとはいえこの国の骨格をなしてきた戦後民主主義体制が崩壊する危機に、本来なら声を大にして反対したであろう学者や文化人、マスコミ関係者たちも相次ぐ国政と経済の大混乱の中で感性が鈍り、反対の大合唱が巻き起こることはなかった。

 納税議連はともかく廃止議連に名を連ねる参議院議員はいないだろうと誰もが思った。参議院を廃止するということは自らの身分を失うことなのだから。
 ところが廃止議連のメンバーの三分の一が若手の参議院議員だった。何故か?それは参議院の廃止に取り組む方が得策と判断したからだ。参議院に対する風当たりは強くなる一方だ。そう遠くないうちに参議院は廃止を余儀なくされるだろう。このまま参議院に留まっていても展望は開けない。それなら参議院の廃止をいち早く宣言し、自ら身を切る改革派政治家として名を売った方が得だ。そう考えたのだ。
 そして、参議院が廃止された後に衆議院に鞍替えするのだ。改革派の若手が老いぼれの現職衆議院議員を追い落とすのは簡単だ。同情票も少しはもらえるかもしれない。勿論、今は鞍替えの話は一切口に出さない。今は自ら身を切ることを決断した改革派政治家なのだから。


3.けやき
 新橋駅前。猥雑でエネルギッシュで人間臭い、かつてサラリーマンの聖地と呼ばれた風景はそこには無かった。居酒屋、サラ金、風俗店、パチンコ屋など男達の欲望を満載した多くの雑居ビルはもうどこにも見当たらない。待ち合わせの定番だった蒸気機関車だけがぽつんと残されていたが、再開発によって機関車を取り巻く一帯は大きな広場に変わっていた。
 広場には葉を落して寒そうなマロニエが格子状に整然と立っている。マロニエ周囲にはベンチが置かれている。広場を取り囲むように高層のオフィスビルやホテルが並んでいる。広場は乗り入れが禁止されているのか車は全く見えない。ビジネスマン、ビジネスウーマンたちが談笑しながら行き交っている。酔っ払って陽気に騒ぐ中年サラリーマン、ひざの抜けたジーンズを穿いた若者、作業服を着た中年男などかつての新橋の主役たちの姿はもうそこにはない。
 
 広場を取り囲む真新しいオフィスビルやホテルは、その1階から3階までが歓楽街として統一的に整備されている。そこにカフェやレストラン、ビアホール、カラオケ店、和食や中華の店が入っている。その一角にはバーが連なるエリアがあり、辛うじてサラリーマンの聖地たる新橋の面影を残している。ただし、画ができてから、画内の風俗関係の取り締まりが徹底して行われたため、それらしき店は全く見掛けなくなったという。
 
 蒸気機関車を横目に見ながら直進し、正面の高層ビル横の歩道を歩く。その先に目的のビルがあるはずだ。そこは駅正面のビルよりは若干低いがそれでも優に30階はあった。上はオフィスビルかマンションのようだが、1階から3階まではやはり飲食店が入っている。1階には飲食店のほかにコンビニとドラッグストアが入っていた。スマホのGPSで確認するとこのビルで間違いなさそうだ。
 飲食街のエントランスホールに入り、ズラリと並んだ店名の中から目当ての名前を探す。3階の店名の中に「和食けやき」という名前を見つけ、エレベータで3階に昇る。ドアが開き正面の案内に従って左側の通路を行く。通路左側の4軒目、小さな行灯に和食けやきの文字を見つけた。神村の行き付けの料理屋だ。新潟の漁港直送の魚と地酒が自慢の店らしい。コースの値段は他のお客の手前安くはできないが、女将秘蔵の地酒をサービスしてくれるとのことだった。
 
 引き戸を開くと掃き清められた土間があった。ケヤキの上り框の奥にヒノキの廊下が伸びている。白檀がかすかに香る。靴は並んでいない。スリッパが廊下に4組綺麗に揃えてある。まだ誰も来ていないのかと思う間もなく女将が奥から出てきた。三つ指をついていらっしゃいませと迎えてくれる。神村さんの名前でと告げるとお待ちしておりました、こちらへどうぞと廊下の一番奥の部屋に通された。障子を開けると神村と増本、小西、前田が茶碗を手に一斉にこちらを向き、お久しぶりと声を掛けてきた。
 「やあ久しぶり。みんな元気そうだな」と応じる。
 「今日は芳野が主役だからこちらへどうぞ」と小西が奥の席を勧める。
「何で主役なの」と問うと「遠路北海道から出てきたんだから」と小西が答え、「主役と言っても勿論割り勘だから心配すんな」と前田が付け加えた。
「まあ気を使うメンバーでもないから何処でもいいか」と言いながら奥の席に座り「他には誰が来るの?」と聞いた。
「矢崎と大原だ。藤田は海外主張中なので今日は7名だ」と幹事然と神村が言う。
 「藤田から昨日メールをもらった。今頃はローマで仕事中だろう。参加できないので皆によろしくとのことだった」と私から伝えた。

 障子が開き、「お客様がお見えになりました」と言いながら女将が私のお茶を持って入ってきた。その後から大原が入ってきた。外はかなり寒いはずだが額に汗が見える。少し息が荒い。大きなバックパックを背負い、登山用のシャツにウインドブレーカーを羽織っている。下はチノパンだ。アマチュア登山家が山から帰ってきたようだ。
 「お待たせ。悪い悪い。みんな久しぶりだね」
 「今回も現場か?このところ毎週出張だな。情熱の人だね、よく身体が持つよ。ほどほどにしておいた方がいいぜ、頑張っても給料は変わらんだろう。身体を壊したら元も子もない。俺の場合は頑張れば頑張っただけ儲けになるからいいがな」と神村が労いにならないような労いを言い「矢崎は少し遅れると言ってたから始めるか」と女将を呼び、始めるように言った。
 「今日はメバル、ノドグロ、サクラマスの良いのが入ってます。こちらのお任せで用意させて頂こうと思いますが何か苦手なものがあれば仰ってください」と女将が言うと「ありません!」と全員が即座に答えた。思わぬハーモニーに女将がプッと吹いた。
 「日頃まともな物食ってる奴はいないのかよ?ここは魚が絶品だからな。刺身は勿論だけど、煮物、焼き物、蒸し物何でも旨いから楽しみにしていてくれ」と神村が期待を持たせ「で、大原今回は何処に行ってたんだ?」と聞いた。


4.袋小路
 最初は荒唐無稽と思われた二つの議連だったがその勢いは増すばかりだった。景気はなべ底を這ったままだ。庶民は日々の暮らしを守るのに汲々とし、政治に目を向けるゆとりはない。そもそも政治に何の期待もしていない。テレビの中で、世間のことは何でも承知しているかのような顔でインタビューに応える政治家を見ていると無性に腹が立ってくるが、腹を立てても腹の足しにもならない。これまで何回か選挙で投票してきたが何も変わらなかったし、これからも変わることはないだろう。彼らは庶民のことなど何の関心もないのだから。投票に行くのは時間の無駄だ。選挙権なんてどうでもよい。勝手にしろ。参議院を廃止するらしいが、無くなるならそれはそれで結構なことだ。これで役に立たない政治家が一人でも減るなら国の財布も少しは楽になるだろう。ざまあ見ろだ。庶民にとって二つの議連の活動などどうでも良いこと。応援する気持ちなどさらさらないが、反対する理由もなかった。

 富裕層は大賛成だ。相次ぐ増税で政治に対する不満は高まる一方だった。税金の使われ方だって我慢ならないことだらけだ。仮に納税額比例選挙が導入されたら少しは自分たちの意見が反映されるかもしれない。参議院の廃止にしても異存があろうはずがない。そもそも何の役にも立っていないのだから。衆議院にしても役に立ってはいないが、とりあえず一つくらいは残しておかないと先進国としての体裁が保てない。取りあえず残すなら衆議院だろう。まあ、その程度だった。

 先に現実味を帯び始めたのは納税額比例選挙制度の方だ。与党の支持層は相対的に高所得層が多い。仮に納税額比例選挙制度が導入されたら、当然与党に有利に働く。歓迎すべきことだ。
 しかし、与党としてもこの話に安易に乗る訳にはいかない。憲法の根幹に関わる話しだからだ。ましてや憲法をないがしろにして我田引水を企んでいるなどと言われたら元も子もない。
 与党幹部や政府高官はいろいろな場で「納税額比例選挙制度は明らかに憲法44条に反するものである。権利の平等は当然保障されなければならない。しかし一方で言論の自由は保障されるべきものであり、制度について議論すること自体を妨げる訳にはいかない。いずれにせよ、本件については慎重な上にも慎重な対応を願いたい」と釘を刺した。
 
 参議院廃止の方はもっと厄介だ。与党にも参議院議員が多数いるからだ。身内を切る話に簡単に乗れるはずがない。彼らを救済できる方法があるとすれば話は別だが。
 「参議院は立法の一翼を担う重要な機関であります。憲法を尊重する我が党としましては、現行憲法に定められている参議院を廃止するなどという問題が軽々に論じられることは極めて遺憾であります。今後、与党内においてこの問題を議論することは厳に慎んで頂きたい」与党総裁である長田が議論禁止令を出した。
 しかし、この時、長田は与党の政策調査会のごく少数の幹部に対して、納税額比例選挙制度が導入された場合の与党が獲得できる票数、当選できる議員数、参議院から衆議院に鞍替えしてきた場合の議員の受け入れ可能数、鞍替えできない議員の救済対策などを極秘裏に検討することを指示した。
 
 その後しばらくの間、日本経済は底を這う。回復の兆しは一向に見えない。大手企業は発展著しい新興国に本社を移し始めた。富裕層の国外逃避も止まらない。失業者が街をさまよい、物乞いが列をなす。今こそ、思い切った手を打たなければこの国が消えてなくなってしまう。それは与党も消えるということだ。税収は落ち込み、国債残高は膨らむ一方だ。時間だけは怠りなく進む。
 
 こんな時の伝家の宝刀は、これまでは中央省庁の再編、合理化だった。しかし、これはすでにやり尽くして、目ぼしいタマはない。
 同じく役人の人減らしと賃金の引き下げも限界だ。それでなくても最近の中央省庁のモチベーションの低下は著しい。役人の能力の低下も目を覆うばかりだ。中央省庁の厭戦ムードは深刻だった。
 この国の将来について、役人たちがどれだけ立派なビジョンを描いてみても、その内容がどれだけ優れていても、実行に移す予算は始めからゼロ査定なのだ。国民の暮らしを必要最低限守ろうと役人たちが知恵を絞っても、認められるのは予算の削減につながるアイデアだけだ。役人たちがやれる仕事は前年度まで続けてきた事業をうまい理屈をつけて廃止するか、廃止が無理なら大幅に削減することだけだ。
 そんな状態だから役人たちだっていつ首を切られるかわからない。しかも今や給料は中堅企業並みに引き下げられてしまっている。公務員になれば将来は安泰といわれたのは遠い昔話だ。
 それでも一般庶民の思い描く公務員像は高給取りのエリートだ。だから公務員を羨ましく、妬ましく思い、目の敵にする。不景気になればなおさらだ。結果的に優秀な人間、やる気のある人間は次々と中央省庁を辞めていく。残るのはほかの職場ではとても使い物にならない者たちだ。また、そんな中央省庁に新しく勤めようとするのは中央省庁しか勤め口を得られない者たちだけだ。
 
 政治家たちはここにきてようやく自分たちの失敗に気付く。公務員たたきは国民の不満を解消する極めて有効な方法だった。しかし、やりすぎて行政が機能しなくなってしまった。これまでは、分かったような分からないような、曖昧で抽象的な指示でも、とりあえず指示さえしておけば、役人たちはもっともらしい政策に仕立て上げてくれた。そして「この政策は○○先生が立案されたものです」と手柄をお膳立てしてくれたものだ。しかし、今は役人に指示してもまともな答えは返ってこない。へたに役人に指示して、つまらない政策を考案され、それが大きな問題に発展し、指示を出した自分の責任を問われかねない。元はと言えば政治家の身から出たサビだが、後の祭りだった。


5.地方発展計画
 「先週の金曜日から九州に行ってたんだ。土曜日は阿蘇山麓の町のセミナーに出て国の方針を説明してね。その後はお決まりの懇親会で、翌日はセミナーの現地見学会に同行してね。月曜日は県庁主催の講演会があって、そこでまた国の方針を説明した。ここまでは変わりばえしない内容だよ。まぁ本業だから手は抜けないけどね。ただ、講演会の出番が午前の部だったから、夕方の懇親会まで付き合ってくれというのを丁重にお断りして、会場から車を飛ばして蔵原村に行ってきたんだ。それで今日の昼過ぎまで村にいた。あそこはすごいね。面白かったよ。頑張ってる地方は本当に頑張ってる。勿論頑張ってないところの方が圧倒的に多いけどね」と大原が汗を拭きながら答える。
 
 「そうか、そういえば大原は「地方発展推進本部」に出向中だったよな。で、今は本部で何やってるの?」と挨拶代りに聞いた。
 「えーっと。地方発展計画は知ってるだろ。あれが去年12月に正式に閣議決定されたんだ。で、その計画をしっかり進めるためにお決まりの推進本部が出来た。で、計画の農林水関係部分の説明行脚をしてるということだね。農林水関係のスタッフはスタッフ長とアルバイトさんを含めて10人しかいないし、アルバイトさん2人と庶務の1人を除くと中身を説明できるのは7人しかいない。その7人で国会対応、関係省庁対応、地方回りをしてるってことだよ」
 「なるほど。じゃ忙しいはずだ。確かに地方は大変だよ。旭川だって今じゃ人口が30万人を割って、高齢化は当たり前すぎて話題にもならない。デパートは10年前に完全撤退。企業倒産も相変わらずだ。それでも旭川はまだましで、観光資源に恵まれた一部の自治体を除いたら北海道の北部や東部の自治体は大半が消滅寸前だ。昼間に町の中心部に行っても人の姿がないというのは20年くらい前からあった話だけど、街中を走ってる車すら見なくなった。昔賑やかだったはずの商店街は街並みだけはそのまま残ってるんだけど、看板は錆びて、剥がれて、プラスチックの看板は割れて、中には窓ガラスが割れたままになった空き家もちらほらあってね。空き地は草ぼうぼう、舗装の割れ目からも草が生えてきてね。昔は町一番のおしゃれな洋品店だったと思われる店のショーウインドの奥から裸のマネキンがにっこり笑ってる。まるでホラー映画だ。棄てられた町だよ。ゴーストタウンというのは例えでも何でもない現実の姿だ。政府は地方の活性化が最重要課題だとか言ってるが口先だけとしか思えないな。地方に暮らしたことがあるのかと言いたいよ」とついぼやいてしまった。
 
 着物姿の若い娘が瓶ビールを運んできて各人に注いで回り、一度奥に戻ってから八寸を持ってきて卓に並べた。手際はいいのだが、空腹気味なので料理の出るのを遅く感じる。神村が皆の顔を見回し、美味しいものを美味しいタイミングで提供するのがこの店のスタイルだとのたまう。
 「さあ、先ずは乾杯だ。芳野ご発声」と神村が促す。
 「ではご指名なので。今日は皆さん集まってくれてありがとう。皆さんのご健康とご活躍を祈念して乾杯!」私の発声で近くの者同士がグラスを合わせて乾杯し、一斉に飲み干して、互いにビールを注ぎあってひと段落。ようやく落ち着いて箸を進め始めた。ホタルイカの煮物、雪下にんじんのムース、ズワイガニの手まり寿司など、素材の旨味が利いている。ビールより辛口の酒が合いそうだ。後に続く料理が楽しみになる。
 
 「ところで、地方発展計画の話だがな。俺も原木の買い付けで年中地方回りをしているが、計画通りには行ってないな。すべての地方とは言わないが、大半の市町村は元気がない。政治家は本当にどこを見てんだろうな」と神村もぼやく。
 待ってましたとばかり大原が「それよ。選挙区は全国各地に散らばってるから国民の皆さんは政治家はほとんどが地方出身だと思ってるけど、殆どの先生は東京生まれの東京育ちだからね。大阪圏とか名古屋圏の選挙区でも東京生まれの東京育ちが結構いる。だから地方の実情なんて本当のところは分からないだろうな。与野党とも一応勉強会みたいなのは開いているし、ごく一部勉強熱心な先生もいるにはいる。でもそんな先生だって言うことは理想論というか机上の空論というか、どこかの大学教授や評論家の受け売りか、一部の成功している自治体の宣伝のようなものが多いんだ」
 「なるほどそんなものかもな」
 「地方発展計画にしても書いてあることは至極もっともで、間違ってないとは思う。計画通り行けば上手く行きそうに見える。でも現実はご覧のとおりさ。これまで同じような計画を何本も作ってはきたけど、計画通りにいかなかった原因、理由をしっかりと調査、分析していないから上手くいくはずがない。でも、自治体は目先の金が欲しいから計画自体に反対はしない。まあ、僕が言うのも変だけどね」
 「確かに」
 「だから、蔵原村みたいに必死で頑張って成果を出しているところは、発展計画なんて言うと鼻で笑うよ。中央政府には一切期待してないから計画づくりでも何でも適当に遊んでろってね。ただし邪魔だけはしないでくれと釘を刺されたよ」


6.シミュレーション
 2022年7月の参議院議員選挙の投票率は33%と過去最低だった。20歳代以下は15%、30歳代は20%、40歳代は28%だった。組織票を持つ与党は大きく過半数を上回った。しかし、与党執行部に歓喜の表情はなかった。国民が参議院を見捨てたこと、国民が政治を見限ったことが明白な事実として突き付けられたからだ。

 国会改革に取り組むしかない。2022年の暮れ、この国の将来に何ら明るい展望を示せない貧弱極まりない政府予算案を仕上げると、与党総裁であり内閣総理大臣を務める長田は腹を固めた。
 国会を改革したくらいでここまで悪化した国の財政が改善するとは毛頭考えてはいない。ましてやこの国の将来を切り拓く手段になるはずもない。しかし、やるしかない。政府、与党の覚悟の程を見せるのだ。国民に対して、世界に対して。
 これは生きるか死ぬかのカケだ。国会は大混乱するだろう。国会どころか国内がまたしても大混乱だ。連日連夜国会議事堂や永田町をデモ隊が取り囲むだろう。しかし、ここに至っては政府、与党が一致結束してこの壮大な実験を完遂させなければならない。この賭けに勝てる公算は極めて大きいからだ。

 密かに作業を続けてきたシミュレーションの結果が2022年の秋に出ていた。
 納税額比例選挙を導入したとすると、衆議院の投票総数に占める与党の得票数の割合は1.5倍から2.5倍になった。1倍もの開きがあるのは、納税額に対応する得票ポイントをどのように設定するか、また投票率をどの程度見積もるかによって差が生じるためだ。

 納税額比例選挙とは、例えば、前年の納税額をもとに複数のグループに分け、最上位のグループに属する者が1票、その次のグループの者が0.7票、その次が0.5票というように1票の効力に差を設けるというものだ。保有する株式の数に応じて株主総会の議決権に差を設けるのと同じようなものだ。
 設定する数値によって当然のこと結果に違いが出るが、与党への得票数が仮に2倍になったとすると獲得できる議席数は大体1.8倍になった。単純に考えれば議席数も2倍になるはずだが、比較的野党が強い都市部の定数を多くせざるを得ないため野党に有利に働いた。

 また、シミュレーションでは、衆議院の議員定数を50増加することとした。これは、参議院を廃止することによって国会に民意が反映されにくくなる弊害を軽減するためだ。勿論、本音は参議院議員の救済策の一つだが、これには野党も反対しないだろう。むしろ100人くらい増員しろと言い出すかもしれない。しかし、そんなことをしたら何のための参議院廃止かと国民にそっぽを向かれてしまう。
 もし、衆議院の議席数を1.8倍にできれば、参議院の若手で将来役に立ちそうな者たちの7割は衆議院に鞍替えさることで救済できる。さらに、高齢の衆議院議員の地盤を引き継がせればほぼ100%救済できることになる。残る役に立ちそうにない参議院議員たちには、野党の議員たちと同様に相応の救済策を用意してやれば乗り切れるだろう。


7.自治体連合
 「面と向かって発展計画にダメ出しするなんて強気だな」と神村。
 「そうだね。蔵原村の場合は鼻で笑う余裕があるけど、僕が政府の職員だと判ると俺達を見殺しにするのかと食って掛かる首長までいる。でも、食って掛かる元気が残っている自治体はまだいい方で、消滅寸前の自治体なんかは首長のなり手がいないなんてところがある。将来の展望は全く見えないし、首長になっても待ち受けてるのは苦労の連続だということが明白だからね。結局、以前財政状況が比較的良かった時代に首長になったか、その後何かのはずみで首長になってしまって、そうしたら後任がいないから辞めたくても辞められなくて、という後期高齢首長のところが多くなるばかりだよ。住民も企業も減るだけ減って自前の税収はほとんど無し。借金が嵩むばかりで、行政サービスなんて必要最低限のレベルの半分もできない。自治体の職員は、先輩が定年で辞めも後補充されないから減るばっかり。人口が半分になっても仕事の量は半分にならないから、一人で何役もこなさなければいけないし、この先楽になる見通しもない。意欲がなくなるのも無理はないよね。節電は当たり前で、暗い事務室に青白い顔をして目がぎょろぎょろした職員がチラホラいて、暗い顔でパソコンに向かっている。もっとも、訪ねて来る住民もほとんどいないからあまり問題もなさそうだけど。ああ、この自治体も死に向かっているんだなと心が寒くなる。現場に行くたび自分の非力が情けなくなるよ」
 大原の嘆きに「こうなったのは何も君のせいじゃない。あまり自分を責めるな」と神村が柄にもなく慰める。
 
 ただ、大原も凹んでばかりいる訳もなく面白いことを言い出した。「でも、捨てたもんじゃないよ。蔵原村のように元気な自治体は既に中央政府を見限って自治体の有志連合を作ってるんだ。そして地元の名産品や工業製品の見本市を海外で共同で開いたりしている。そればかりじゃない、ニューヨークとパリと上海には有志連合の現地事務所まで持っている」
 「やるじゃないか」
 「でもね、こんなことで驚いてちゃいけない。自治体運営に必要な短期資金や公共投資に必要な長期資金を融通し合う基金を有志連合で創設してるんだ。ほかにも地域で起業する人材の養成とか自治体職員の研修も合同でやっている。目的がはっきりしていて、戦略があって、何よりやる気が違うからやることなすこと全部上手く行っている」
 「へえ、そうなると霞ヶ関は面目丸つぶれだ。関係省庁は面白くないだろうなあ」と役人時代に遭遇した何人かの顔を思い出して、つい口走ってしまった。
 「そうなんだよ。黙ってやりたいようにさせればいいんだ。助けが必要になったら向こうから泣き付いてくるんだしな。泣き付いて来たら大人の対応をしてやればいい。
 ところが、貿易は国の産業政策の要だから勝手にやるな。国の方針に従ってやってもらわないと困るとか。融通し合えるくらい資金に余裕があるなら有志連合に参加する自治体への交付金は減額すると脅しをかけてくる。何のことない、自分達がロクな仕事もできないくせに、自分たちの権力が損なわれるんじゃないかと心配してるだけだ。地方は生き残りを賭けて必死にもがいているのに、霞ヶ関はこのザマだ。何のための政府かって言いたいよ。僕だってこんな連中の仲間と思われるからやり難くて仕方がない」また大原のぼやきが始まった。


8.決断
 2023年の年明けを長田は今まで経験したことのない緊張感を持って迎えた。今年こそ、これまで先延ばしを繰り返してきた宿題に決着をつける。現行憲法を改正するのだ。改正といっても文言の一部を修正するような生易しいものではない。憲法の根幹部分の改正だ。
 現行憲法の核心部に真っ向から切り込む重圧を長田は感じないわけにはいかなかった。自宅に与党幹部を招いて行った恒例の新年会の場では意気軒昂な姿を演出し、皆で力を合わせて戦後最大の難局を乗り切ろうと気勢を上げたのだが、皆が帰り一人残されると、迫りくる壁の高さと厚さに震えが止まらなくなった。
 シミュレーションの結果は予想以上に楽観的なものだった。しかし、それは所詮仮説、仮定の話だ。もしシミュレーションに反して大敗し、下野することになれば、その責任の全てを背負わなければならない。自分がやらなくても良かったのではないか。何故、わざわざ火中の栗を拾わなければならないのか。馬鹿な男気を出したものだ。後悔の念が何度も押し寄せた。しかし、もう後戻りはできない。悶々とする日が続いた。

 ところが、この年の春、日本経済は図らずも急回復する。メタン景気の始まりだ。起死回生の神風が吹いた。その後も日本経済は追い風を受け続ける。
 
 この年の1月に招集された通常国会は、年末に編成された超のつく緊縮予算を予定通り年度内の3月に成立させた。何の混乱も起きなかった。国に金がないことくらい野党だって知っている。予算の拡充を要求しても実現できないことくらい初めから分かっている。取れない予算を要求しても恥をかくだけだ。一方で、予算の無駄を追求して、削減を迫れば実現することはほぼ間違いない。しかし、予算削減の首謀者にされては困る。ということで予算審議は粛々と進み、予定通りに可決成立した。
 同時に、前年に仕込んだ法案のうち百二十本ほどが粛々と成立していった。新たに財政負担が生じるような法案は皆無で、治安の悪化に対応して防犯対策の強化を図るもの、孤児や浮浪者の増加に対応して彼らの保護を効率的に行うもの、農畜産物の増産を促すため農地の利用促進を図るものなど、これまでの予算を組み替えて対応するものばかりで、どこからも反対が出そうにない代物ばかりだった。
 6月に入り、成立を見ていない法案が20本ほど残っていたが、この国会で成立させなければ国が立ち行かなるようなものは無く、6月の上旬には国会は終わったも同然になった。勝負に出るならこのタイミングしかない。メタン景気が始まり、ようやく訪れた春に国民は浮き立っている。争点は勿論「国会の大改革」だ。この国の戦後民主主義体制を土台から作り変えるのだ。
 

9.蔵原村
 「それはそうと蔵原村って最近よく聞くけど何処がスゴいの?」と今は森林政策研究所に出向している前田が聞いた。
 「先ずは直接民主制だな」
 「えーっ?直接民主制て、スイスみたいな?」と前田が食い付いた。
 「そう。内務省がうるさいから形だけは村議会を置いているし議員も一応いる。でも議員イコール区長で、議員は肩書きだけで議員報酬はゼロ。議会に出た日だけ日当が出る。議会と言っても実際は区長会議だけど」
 「へえ。そんなこと聞いたことない」と前田。
 「内務省がマスコミに手を回して報道させないように抑えている。他に波及すると不味いと思ってるんだろう。で、直接民主制のことだけど、赤ん坊だって意見が言える。勿論赤ん坊が発言する訳ないけどね、例え話しだよ。つまり発言する権利には年齢制限は設けていないということなんだ。小学生くらいになると結構意見を言うらしい。しかも具体的な政策に反映されることもたまにはあるようだ。しかも何をしゃべってもいい。夢物語、大言壮語大歓迎だと村役場の職員が言っていた。但し、勿論ルールはある。あくまでもテーマに関係する意見であることと本人が真剣に考えたものであることだ。そんなことですか?どうやって判断するんですか?って職員に聞いたら、村民は皆真剣だから不真面目な意見を言うとブーイングが出たり、雰囲気が一瞬にして凍るらしい」
 「なるほど、じゃあうまく運営できてるんだね」
 「直接民主制を導入した頃は、受け狙いの不真面目な意見もあったらしいけど、いつの間にかそんなことをするバカ者はいなくなったと言ってたな。だったら雰囲気は結構堅苦しいんじゃないのって聞いたら、職員いわくどんな意見でも皆真剣に聞いて、それに対する反論や応援も堂々と発言するが、場の雰囲気は全然堅苦しくなくて、むしろ和気あいあいとしてるらしい。要は皆でこの村を盛り立てていこう、もっと元気にしたいという意欲が浸透しているからだと思うと胸を張ってた。しかも「全員集会」の映像は全てネットで配信するようにしてあって、都合で集会に出られない村民も情勢をフォローしているようだ」
 
 「画内とは大違いだな。蔵原村に比べたら画内の人間は去勢された牡牛だ」と神村が嘆く。
 「そういえば画内には議会はあるの?選挙のことなんて聞いたことないな。もっとも北海道で東京のローカルニュースは流れないけど」と私。
 「実はこの前、俺の会社に中央政府の役人がやって来てね。議員に立候補してくれないかって頼まれた」と神村。
 「なんだそりゃ、官製選挙か?」と私。
 「まあな。芳野以外は皆知ってるが、画内には事実上自治はない。中央政府の直轄地みたいなものだ。これは東京だけじゃない、大阪も名古屋も同じだ」
 「へえ」
 「画が導入されたとき、画内は統一的に維持、管理した方が治安上も機能上も効率的だという理由で、中央政府が地方自治法を改正して、これまでの区を解体して単一の行政区にしたのは芳野も知ってるよな」
 「知ってる」
 「そのとき、画内のインフラ整備とか住民の管理や監視も中央政府の意思が強く働くようにしたんだ。それで、本来地方政府がやるはずの都市計画や住民福祉なんかも中央政府の一部のセクションが担当することになった。要するに住民から自分たちの暮らす土地を管理運営する権利を取り上げたんだ」
 「そこまでは知らなかったな。でも誰も文句言わないの」
 「それがな、住民たちは自分たちの意思で画内で暮らすことを選択してる訳だし、画内は画外と比べてはるかに安全だし、住民サービスが行き届いているからな。誰も文句なんて言わんさ。だから去勢された牡牛だと言うんだよ」
 「なるほどね」
 「ただし、地方自治がないというのは民主国家として体裁が悪いということなんだろう。一応は首長もいれば議会もある。ただ、首長とか議員になってもやる仕事なんて何もない。住民だって彼らに何も期待していない。そんなのがいることすら知らない。だから誰も首長とか議員に立候補なんてしない」
 「そりゃそうだ」
 「で、中央政府の役人が、画内の住民から適当な人物を首長候補とか議員候補に選んで立候補させるんだ。今年は統一地方選挙があるだろう。選挙にならないと格好が悪いから候補選びに躍起になってるんだ」
 「じゃあ、神村もめでたく議員様か」
 「馬鹿言え。俺はそんな暇人じゃない。丁重にお断りしたよ。それより蔵原村の話の方が余程建設的で面白い。大原ほかにも言いたいことがあるんじゃないの」
 
 「そうだね。エネルギーだけど完全自給だ。太陽光と木質バイオマスがメインで、小水力発電も取り入れている。村内の全部の電力需要に対して30%以上の余力があるらしいけど、遺憾せん山の中の村だから送電コストがかかるので売電は難しいらしい」
 「山の中の村だからやっぱり林業は盛んなの?でも林業だけじゃ食えないか」と前田。
 「山の中だから木材資源だけは豊富だよ。しかも良い木ばかりだ。ただ、特別な理由が無い限り丸太では村外に出さない。全て村内で加工する。家の構造材、内装材から家具、日用品、玩具に至るまで加工している。家の部材の市場は主に九州で、遠くは岡山県くらいまでを商圏にしているらしい。受注すると加工した部材を施工場所に直送する。そもそも木の質が良い上に加工精度が高いから注文が相次いで工場はフル稼働だ。家具、日用品、玩具は蔵原村の魅力に惹かれて優秀なデザイナーが続々と村内に移住してくるから今やKURAHARAはブランドだよ。しかも、国内だけを相手にしてないからね。今ではアジアの新興国の富裕層をターゲットにして売れ行き好調らしい。内外比率は去年海外向けが国内向けを上回ったと言っていた。勿論林業だけじゃない。農産品、農産加工品にしても有機、減農薬のKURAHARAブランドは強い。あと染色、織物、衣類もあるしね。あの村は何をやってもセンスが良い」
 
 「センスね。ただの田舎の村じゃないんだな」と前田がうなずく。
 「そうだよ。村の中心部に150mほどの商店街があるんだけど、これがなかなか素敵な街でね。電線は地下に埋設されて無粋な電柱はない。昔宿場町だった雰囲気を生かした歩行者専用道路で、中ほどに広場があって休めるようになっている。土日は何がしかのイベントかパフォーマンスをやってる。パフォーマーと言ったって大半は村内のアマチュアで、さすがに若者が多いけど熟年層や中年層も負けじと頑張ってる」
 「力強いなあ。でも田舎だから夜は早いんだろう?」
 「僕もそう思ってたんだけど、これも良い意味で裏切られた。食堂、レストランは地産池消でおいしいものを出す店ばかりでね。まずいと競争に負けるから。衣料品や日用品を扱う店も皆センスがいい。だから村外から大勢の人が遊びにやってくる。だから儲かる。夜、飲食店は、早いところで8時に閉まる店もあるけど大抵は9時までやってるし遅いのは11時というのもある。普通の商店も7時までは開けてるし8時までやってるところもある。だから平日の夜もそれなりに人が歩いてる。金、土の夜は賑やかだよ」
 「旭川と変わらんな」
 「ところがね、コンビニは村のポリシーとして一軒もない。12時から6時は寝る時間で、この時間に起きてウロウロしている奴は人間のクズだという考えが浸透していて誰も文句を言わない」
 「そりゃあっぱれだ」
 
 「ただし、3月下旬の金土2日間の桜まつり、お盆の13日から15日の3日間、稲刈りが終わった10月下旬の金土2日間の秋祭り、年末の29日から31日の3日間は、夜市と称して、一般の店は10時、飲食店は深夜1時頃まで店を開ける。中央の広場で村民大歌謡大会とかのイベントもやる。羽目を外す時は外すんだ。メリハリが利いている」
 「でも遠隔地の集落の人は車だろうから運転手役は酒が飲めないので気の毒だな」と酒好きの前田が我が事のように心配する。
 「これもちゃんと考えてるんだな。通常でも無人の電気バスが夜10時頃まで村の中心部と遠隔地の集落を結んでいる。だから店を開けてられるんだ。で、朝は6時頃から走ってる。通勤、通学の時間帯は30分おき、それ以外は1時間に一本くらいかな。電気は腐るほどあるからエネルギーの心配をする必要がない。夜市の日は深夜2時が最終だよ。酒を飲むかどうかはともかく交通の便が確保されてるから高齢者もどんどん町場に出てきてワイワイやってるから年寄りは皆元気はつらつだ」
 
 さらに大原が続ける。「でもあの村は、一面ドライというかちゃっかりしててね。村の運営について話を聞かせてくれと役場に電話したら、先ずは広報を通してくれと言われてね。広報に電話したら、広報担当者の対応は実に手慣れたものでね。さわやかな声で「取材費は資料代を含めて1時間4千円です。半日なら1万円2千円、丸一日なら2万円になります」とサラッと言われた。
 結構な値段ですねと言うと、担当者曰く村民へのサービスが自分たちの仕事なので、村民に対するサービスは基本的に無料ですが、村民以外の方には有料で対応させて頂いております。但、村のPRにつながることでもありますので特別お安く設定しておりますと言ってのけるんだ。なかなかあっぱれだよ」
 「確かに」
 「蔵原村に行ったのは公務というより個人的に興味があったからなので、一日休暇を取って行ったんだ。だから、取材費は勿論自腹だよ、痛かったなあ。先方は、一日目は午後から、2日目は午前中なので本来なら半日かける2なので2万4千円になりますが、1日分の2万円にまけておきますとこれまたさわやかに言いやがった。こっちも自腹だから遠慮なく色々聞かせてもらった。対応はすべて責任者かその代理が自信を持って、いやな顔一つせず的確に答えてくれる。そう考えるとあの値段は安いかも知れない」


10.信を問う
 「本日、衆議院を解散いたしました」6月16日夕刻記者会見に臨む長田内閣総理大臣の第一声だ。幾分紅潮している。いつも以上に胸を張り、ゆっくりと記者たちを見回し、言葉を続ける。
 「日本経済は今春、奇跡かと思える回復を始めました。勿論、これは奇跡ではありません。これは国民の皆様がかつて経験したことのない苦難に耐え、たゆまぬ努力を続けてこられた成果であります。私は国民の皆様の忍耐力、持続力に対して深甚なる敬意を表するものであります。わが党はこれまで常に国民の皆様とともに歩んで参りました。そして、これからも国民の皆様と苦楽を共にし、この国の発展のために一身をささげて参る所存であります」ここで正面を見据える。
 「しかし、経済の回復に安んじているいとまはありません。この回復を確実なものにし、この国を再生、発展させなければなりません。この国を一から創り直さなければならないのであります」一呼吸おいて話しは続く。
 「この国の経済は今後しばらくの間、着実に発展していくことでありましょう。では、国を動かす両輪、すなわち政治と経済でありますが、片方の政治は万全と言えるのでしょうか?今後、我が国を再生、発展させる力量が政治にあるのか?そう問われれば、私は遺憾ながらその力量はないと断ぜざるを得ないのであります」ここでコップの水を一口飲む。

 「冒頭申し上げましたように、我が国の経済は回復を始めました。しかし、これまで長期間経済が低迷したことで、国内産業の疲弊は深刻であります。また、その影響により国民の皆様の生活水準も遺憾ながら低下していると言わざるを得ない状況にあります。一方、海外に目を転じますと、欧州の経済は依然混乱の只中にあります。また、中東やアフリカ諸国ではテロ組織の動きが一層活発化しております。このように国内外ともに情勢は困難極まりないものがあります。今後、情勢がどのように変化していくのか。そのことに思いを巡らせますと、楽観できる材料は一つとしてありません」ここで一度演台に目を落とし、正面を見据えて続ける。
 「しかし、山積する困難な課題に直面している現在、我々はここに立ち尽くしている訳にはいかないのであります。私は国民の皆様の先頭に立って、国民の皆様と手を携えてこの難局を乗り越えていきたい、そう思うのであります」ここで一呼吸置く。
 「今後、国民の皆様の負託を受け、私が方向を見誤ることなく国政を着実に前進させるためには、国民の皆様のご意思をしっかりと受け止めることができる政治体制、日々刻々と変化していく諸情勢に対して迅速に、かつ的確に対応できる政治体制、即断、即決できる政治体制が不可欠であります」そしていよいよ本題に入っていく。

 「私はこのたび国政の大改革、すなわち国会の大改革を国民の皆様にご提議申し上げる決断をいたしました。具体的に申し上げます。「納税額比例選挙制度」と「国会の一院化」であります」これまでタブーとされてきた二つの言葉が、ついに国民に向けて発せられた。
 「私は、かねてから政治とは国民の皆様のためのものであり、国民の皆様こそが政治の当事者であると固く信じて参りました。即ち、国民の皆様には政治に対して応分の責任を担って頂きたいのであります。但し、これは私たち政治家が政治の責任から逃れようという意図では毛頭ございません。責任を担って頂く国民の皆様の力をいただきながら先頭に立って責任ある政治に邁進して参りたい。そう考えるのであります」最初は威勢が良かったが、段々と奥歯にものが挟まってきた。
 「また、国民の皆様に責任を担って頂くからには、国民の皆様のご意思が最大限尊重されるのは当然であります。同時に、ご意思が政治に反映されるよう努めることが私たち政治家の責務であります」そりゃそうだ。
 「では、皆様に担っていただく責任とは如何なるものでありましょうか?その一つは、国民の皆様の賢明なるご判断であります。国を憂い、国を思い、国を愛する心に根差した国への献身であります。賢明な国民の皆様のご意思が国政を動かすことは自明の理であります」そして核心に迫る。
 「もう一つ重要な責任がございます。それは国家財政への貢献であります。言うまでもなく国の財政は国民の皆様の浄財に支えられております。ですから、国民の皆様にご支援をお願いする以上は、政治は国民の皆様のご貢献に応える必要があることも自明の理であります」なるほど。
 「そこで考えていただきたい。果たして、国民の皆様の国家財政への貢献度が正当に国政に反映されているでしょうか。勿論、選挙権は全ての国民に平等に与えられるべきものであります。しかしながら、現在行われている選挙の投票効果が真に平等であると言えるのでしょうか。国家に対して多大な貢献をされた人たちと図らずも国の財政により支えられている人たちが同じ一票ということが真に平等と言えるのでしょうか。貢献度の大きさ、国を愛する重さをできる限り投票効果に反映させることこそが真の平等と言えるのではありませんか」いよいよ核心部分に入ってきた。
 「そこで、私は今般、納税額比例選挙制度をご提案させて頂くことにいたしました。選挙権は所要の年齢を満たした国民の皆様すべてに与えられることを基本といたします。これが大原則であります。そして、これに加えて、国家財政への貢献度すなわち納税額に応じて一票の重みを調整し、もって真に平等な投票効果を実現することといたしたいのであります。この制度の仕組み、効果、運用方法等につきましては、後日開会される国会の場で詳細にご説明させて頂き、十分なご議論を賜りたいと考えております」一つ山を越えた安ど感からか、いつの間にか顔から紅潮が消え余裕が見える。そして次の山に登っていく。
 
 「さて、今さら申すまでもございませんが、国会には衆議院と参議院の二院がございます。我が国が二院制をとってまいりましたのは、民意をできる限り幅広く国政に反映させるというのがその本旨であります。しかし、国内外の諸情勢が急速に変化する現代において、果たして二院で審議するいとまがあるのでしょうか。あえて言えば、二院で審議することによる支障が生じているのではないでしょうか。衆議院又は参議院で審議、可決し、それを参議院又は衆議院に送り、さらに審議、可決するという時間的猶予が許されるのでしょうか。我が国の経済はようやく回復軌道に乗ったところでありますが、国家財政は依然危機的状況にあることに変わりはございません。こうした中、両院を維持し、議事を運営する財政的、時間的余裕が今の日本にあるのでしょうか」ここでコップの水を含み、一度息を吐き、そして続ける。
 「我が国は勿論独裁国家ではございません。与党も野党も存在しております。国会の構成を一院に集約し、今以上に多くの審議時間を確保する。そして十分に議論する。論議を尽くした後は速やかに採決し、可決したものは速やかに実行に移す。そうすることで幾多の難題を迅速に解決できるのではないでしょうか」いよいよ本題だ。
 「では、一院にするとはいかなることでありましょうか。衆議院もしくは参議院のいずれかを廃止するということでしょうか。いえそうではありません。両院を統合するということであります。戦後、我が国の国会は衆参の両院によって支えられて参りました。この歴史の重みを新たに構成される一院が引き継ぐのであります」いずれ国会を追われることになる参議院議員に対する心配りを忘れてはいけない。
 「ここに国会改革のもう一つの柱である国会の一院化を改めてご提議させて頂きます。一院化した場合の院の構成、議員定数、議事の運営、選挙制度等につきましては、後日開会される国会の場で詳細にご説明させて頂き、十分なご議論を賜りたいと考えております。今般、国民の皆様にご提議させていただいた国会の大改革は、景気が着実に回復し始めた今しかできないのであります。この国政の大改革が成就した暁には、我が国の政治は強靭なものに生まれ変わり、強い経済と両輪を成して、我が国の再生、発展をより確実なものとし、さらに前進させることができると確信しております。私のこの考えが果たして正しいのか間違っているのか。私は、政治生命をかけてここに国民の皆様の信を問いたいと考えるのであります」長田内閣総理大臣は力強く宣言し、決戦の火ぶたは切られた。


11.与党PT
 障子が開き矢崎が顔を出した。以前より少し肉付きがよくなった感じだ。やり手官僚らしくなった。
 「悪い悪い。与党のPT(プロジェクトチーム)に呼ばれて、さっき局に戻って局長に報告してきた。今日は早く終わると思ってたけど、なかなか帰してくれなくてね。おう、芳野元気そうだな」と矢崎がニコリと笑う。官僚臭さが消え昔に戻る。
 「久しぶり。商売繁盛でなにより。それに元気そうだ。ところで先ずはビールかい?」と応じる。
 皆は店自慢の刺し身を食べ終え、シンプルに塩焼きにしたメバルをつつき始めていた。ビールは最初だけで、その後、女将秘蔵の地酒が振舞われ、既に半分近くが無くなったらしい。相変わらずのハイピッチだ。
 「そう、絶対ビール。早く飲みてー」
 神村が女将を呼ぶ間もなく障子が開きお盆にビールを乗せて女将が入ってきた。「さすが読みがいいね」と神村が言うと「取りあえずはビールでしょう」と女将が応え、矢崎にビールを注ぎ奥に戻っていった。
 
 矢崎は、同期の出世頭で現在森林局の筆頭課長を務めている。同期の間では神村か矢崎のどちらかが森林局長になるというのが共通の認識だったが、神村が早々に退職したため矢崎が順調に出世の階段を昇っている。私の同期は役人の世界には珍しく仲が良い。皆それぞれ個性的で、自分の役回りを全うすることには熱心だが、出世欲がない。
 そもそも局長というのは面倒なだけのポジションで誰もえらいとは思っていない。能力と体力がそこそこあって運の悪いのが局長になると思っている。だから神村と矢崎にしても本来なら局長候補のライバルになるのだろうが昔から親しく付き合っている。

 「矢崎さん、今日のPTは何があったの?」と神村が聞く。
 「森林買収。以前から問題になってる外国企業とか外国人による森林買収問題だよ。最近は景気が良くて土地の値段が上がってるから、以前ほど買いあさられることはなくなったけど、それでも一年に20件ほどはあるしね。PTは現行の法規制では甘すぎるから法律改正すべきというスタンスなんだ。ただ、中には自分の息のかかった企業が持ってる二束三文の山林を政府に高値で買い取らせようとたくらんでいる先生もいてね。それで怪しい外国企業が買収を進めているから早く政府で何とかしろと騒いでいるというのも中にはある。どっちがハイエナか判らん」と矢崎が嘆く。
 「なるほど。でも、分からんでもないな。山奥で外国人の姿を見ることがたまにある。リゾート地ならまだしも、何もなさそうなところで見かけるんだ。日本人は山を見捨ててどんどん山から出て行って、代わりに外国人が山に入っていく。確かに不気味ではある。で、今日は何で長引いたんだ?」
 
 「今日はね、中国地方に高台山ってあるだろう。あの高台山の山麓で去年から中国系企業が100ヘクタールほどの森林買収を進めていてね。これで大騒動だ。先週、局長が桧山先生から呼び付けられてね「自衛軍の演習場の隣接地を勝手に中国企業に買わせて良いのか。森林局は何処を見てるんだ」と怒鳴られたんだ。
 それで、調べてみたら買収は別荘地の多い南麓側で、演習場がある北麓側とは全然関係がない。土地買収の目的は主に中国人富裕層をターゲットにしたリゾート開発で、少なくとも怪しい事案じゃなかった。勿論、水源地の問題とか、希少動植物の有無のとか、開発の手続きなんかはしっかりウォッチしておかないといけないけど、自衛軍とは全然関係ない。ということをご説明申し上げた」
 
 「で、一件落着したんじゃないのか?」
 「それが、そうはいかないんだ。一度拳を振り上げたら簡単に下ろせないだろう、あの人たちは。今の技術なら南麓でも北麓でも同じだ。リゾート開発というのはカモフラージュかもしれない。トンネルだって掘れるだろう。なんて滅茶苦茶なことを言い出してね。さすがに回りの先生方もあきれ顔だったよ」
 「そりゃ大変だ」
 「でもな、ある意味仕方がない面もあるんだ。桧山先生にしたら中国地方選出と言ったって東京生まれの東京育ちのボンだからな。子供の頃に夏休みの時だけお爺ちゃんの家に4日か5日遊びに行ったくらいで地元に住んだことなんて一度もないらしい。今は選挙の時しか帰らない。だから地元のことなんてほとんど知らないし、土地勘なんてあるはずがない。全部地元の秘書任せだ」
 「よくある話しだな」
 「で、今度のことだってリゾート開発に関連する土地買収で、欲をかいて中国企業に売り損なった連中が先生のところにガセネタをご注進したという訳だ。でも先生はそんな事情は知る由もないから局長を呼びつけてこの顛末だ」
 
 「しかし先生には納得してもらうしかないよな。何とかして」
 「そう。で、先生のご懸念はごもっともでございます。こちらの危機管理が甘うございました。今後このようなことのないよう状況把握に万全を期して参ります。また、本件につきましても国防省と然るべく連携し、監視を強化することといたします。今後ともご指導をよろしくお願いしますと平身低頭して何とか許してもらった。最後に先生から、こちらも怒って悪かった、局長によろしく伝えてくれと労らわれたよ。局に戻ってから一応国防省の担当課長に電話して事の経過を説明しておいた。手数をお掛けしました、何かあれば然るべく対応しますと笑ってたよ」
 「やれやれ、お疲れ様」
 
 「俺だって外国人が日本の森を買いあさることに良い気はしないさ。でも外国人富裕層の旅行者誘致の号令を掛けておいて、つまらんガセネタで大騒ぎだ。政治家の連中はこの国の現状を何も解っちゃいないし、この国の将来のことなんか何も考えちゃいない。今の好景気が続けばそれで良い。GDPがどんどん増えてくれれば良い。そうすれば国民は満足だし、自分たちの身も安泰という訳だ」
 「そんなことで良いのかね」
 「自分たちは画という安息の地に身を置いて、役人が用意した絵に描いたような国民の暮らしぶりとか希望に満ちた市井の営みの動画を見て、都合のいいように調整した経済指標を眺めてこの国の運営はうまく行っていると錯覚しているだけさ。要するにバーチャルな世界に身を置いてバーチャルな政策をしているだけなんだ。彼らは政治家という稼業を親から受け継いで、子供の頃から大事に育ててくれた家臣のような取り巻きに囲まれて江戸屋敷でお殿さま同様の暮らしをしてるだけだ。政治に関心を持たない国民も悪いには悪いが、それを良いことに気楽なもんだ」いつも強気で如才のない矢崎がひとしきり政治家の悪口を言って大きなため息をついた。
 

12.圧勝
 2023年6月に衆議院が解散し、総選挙に突入した。選挙日程は6月27日公示、7月9日投票日と決まった。解散後も株価は上がり続けた。久しぶりに訪れた満開の春の恩恵をいち早く手にした人たち、春の温もりを感じ始めた人たちだけでなく、恩恵にほど遠い人たちまでもが何となく明るい顔つきになっていた。景気回復に中央政府、与党が関与した形跡はみじんもなかったが、政府、与党がいろいろな場で、様々な形で自分たちの功績であると喧伝した。国民にしてみれば政府が関与しようがしまいが、与党が関与しようがしまいが関係ない。景気が良くなることは大歓迎だ。いつの間にかこの景気回復は政府、与党が頑張ってくれたお蔭だと多くの国民が思い始めていた。

 国会改革のうち納税額比例選挙制度は金持ちを優遇するようで、初めのうちは国民の多くが抵抗感を持った。しかし、そもそも選挙権自体、国民が血を流して勝ち取った権利ではない。進駐軍と時の政府から与えられたものだ。そんな歴史があるから国民の権利意識は薄かった。
 また、一票の格差にしても以前からあったことだ。また、格差があったからといって何か実害があったのかと言えば思いつくようなものは何もない。
 むしろ、この制度のお蔭で税金を多く納めてくれるお人好しが増えるならまんざら悪い制度とは言えないんじゃないか?これをきっかけに、お金持ちからガッポリ税金を取ってもらえばいい。まあ。我々庶民はたいして税金を払っている訳じゃないからあまり文句も言えないか?
 良く言えば分をわきまえる、悪く言えば大勢になびきやすい国民性、お任せ民主主義の伝統からか、納税額比例選挙制度に対する抵抗感は次第に薄れていった。

 もう一方の国会の一院化はもっとあっさりとしていた。これに対する国民の抵抗感は初めからゼロだった。国会議員の取り巻きや議員から何らかの恩恵を受けている者たちはごく少数派であり、大半の国民にとって、国会議員とは選挙の時だけ妙に愛想が良いが、選挙が終われば物知り顔で演説をぶっている目立ちたがり屋。その実、いつもは何をやっているのかさっぱりわからない人たちというのが大体のイメージだ。そんな国会議員がいなくなっても何も困らない。むしろ、国会議員が減って、彼らに支払う給料が減って、それが国民に少しでも回ってくるなら願ってもないことだ。
 何のことはない、一院化の最大の抵抗勢力は失職を余儀なくされる国会議員、特に参議院議員たちだ。勿論、憲法学者や政治学者、弁護士たちは民主主義を否定する暴挙だと批判したが、国民の共感は全く得られなかった。

 7月9日の投票日は全国的に朝から晴れわたっていた。しかし、梅雨の晴れ間にしては気温はさほど上がらなかった。投票所への出足は朝から順調だった。
 週末の株価は今年の最高値を付けていた。金額はともかく多くの労働者がボーナスや一時金を手にしていた。最終の投票率は71%まではね上がった。与党は勝利した。すべての常任委員会で委員長を独占し、なおかつ過半数の委員数を確保できる絶対安定多数を15議席も上回った。勝利を確信していた与党の幹部さえも予想できないほどの圧勝だった。国民の大多数が与党を支持した。長田は賭けに勝った。もう躊躇することはない、国会の大改革を断行するのみだ。 

第4章 密入画

1.アイラ
 踊場のない急な階段を昇りきった2階の右側に分厚い木目のドアがあった。ドアの横に「バーアイラ」の看板が架かっている。
 けやきの入っているビルから2ブロック虎の門方面に行ったところに昭和時代そのままの4階建ての雑居ビルがあった。1階は間口の狭いコンビニで、その左手に2階に上る入口が開いている。入口の壁にバーアイラ2Fと虎の門探偵社3Fの表札が2枚だけ貼りつけられている。手すりを持たないと転げ落ちそうな急な階段だ。暗くて少しかび臭い。目的がないと絶対に昇って行こうとは思わないところだ。
 あと2ブロック行けば神村の会社のあるビルだ。新橋や虎の門の再開発に乗り遅れた区画なのだろう。いまどき探偵社などやっていけるのかと思うが人間の欲望や猜疑心はいつの世も涸れることはないのだろう。

 けやきで旨い酒と魚を堪能したはずだが、やはり二次会は欠かせないという神村、矢崎、前田と私の4人で神村行きつけのバーにやってきた。大原は明朝出張結果をまとめて午後一に課内報告会をするというので不参加。酒があまり強くない増本と小西は一次会で退散した。
 前田は筑波の研究都市に住んでいる。研究都市には国内の研究機関が集積しているのでセキュリティーの関係から「ミニ画」になっている。だから、夜間も11時頃までは画内発研究都市直行の専用電車が走っている。秋葉原駅を出ると研究都市のミニ画内の最初の駅まではノンストップで30分少々で到着するので下手に東京の画外に住むより便利だ。ということで前田も10時過ぎまでは付き合えるとのことだ。
 研究都市のミニ画の周囲は東京のようにグリーンベルトで囲まれてはいない。手っ取り早く高さ3.5mのコンクリート壁で囲われている。このため筑波監獄と呼ばれ研究都市に住む研究者たちにはすこぶる評判が悪い。ただ、ミニ画と言っても面積は広大で普段暮らす分には壁を目にすることはなく、当然のこと出入りは自由にできるし、画外と比べ安全性が格段に高く、福利厚生施設や教育環境が十分に整備されているので、文句を言う割には長く住み続ける人が多く人口も増えている。

 ドアを押し開け店内に入る。神村がカウンターの中のマスターに軽く会釈し、無言で親指を折った右手を挙げ、4人であることを知らせる。マスターも軽く会釈しカウンター奥の4人掛けの席を指さす。神村に続いて3人も席に向かう。店内はカウンターに10席ほど、カウンターの奥に4人掛けの席が1つと2人掛けの席が3つある。
 4人掛けの奥、つまり店の一番奥はフロアが一段高くなってステージのようにしてある。電子ピアノとドラムセットが据えてある。たまにライブでもやるのだろう。ビルの外観や重々しいドアの印象とは違って中は結構広い。
 店内は、カウンターの中ほどに中年男が一人座ってマスターと何やら話している。二つ席を空けたカウンターの端にカップルが一組ほとんど会話することもなくグラスを傾けている。2人掛けの席の一つにもカップルが座り語り合っている。店内には低くコルトレーンのバラッドが流れている。
 
 マスターが近づいてくる。
 「お久しぶり。2月の雪が降ったとき以来でしたか」
 「そうだね。あの時は早めに引き上げて良かったよ。お客さんたちはちゃんと帰れたのかな」と神村が応える。
 「4種の皆さんは画外に出るだけだから、電車がいつもより遅れたくらいで特に問題はなかったみたいです。むしろあの日画外に出ていたインナーの人たちが大変だったみたいですね。雪で画外線の電車が遅れて。ようやく画外のゲートに辿り着いたと思ったら入画の閉門時間は早いから入画できなくて。警察は24時間関所へ回るように指示したんだけど。画外電車が着く度にゲート前に入画できない人があふれ出して。インナーの人たちは皆さん強気だから、こんなときくらい入画時間を延長しろと押し問答になって相当混乱したみたいですね。結局、ほとんどの駅で入画時間を延長して、臨時のシャトルを走らせたようです。画内に入ってしまえば本数は少ないけど深夜まで電車は走ってるから何とかなったようですが。翌日常連さんがやってきて、なんだかんだで家に着いたのは夜中の3時で、風邪をひいたってぼやいてました。あ、長話になっちゃった。何にしましょう?」
 「じゃ、ラフロイグでいいかな?」と神村が皆の顔を見る。
 矢崎と私はうなずいたが、前田があの香りはちょっと言ってメーカーズマークのソーダ割りを注文した。神村が、じゃ二人はロックでいいよなと言ってから目でオーダーし、マスターがうなずいた。
 
 「ここは4種の人もよく来るから面白いよ。インナーの店は大抵がよそよそしくて落ち着かない。バカ高い店も多いし、慇懃無礼な店員もいるしな。ここは気持ちよく飲める。しかも安い」
 「いい店じゃないか。どうやって見つけたんだ?」と矢崎が聞く。
 「偶然だ。このビルの前はよく通ってたんだが、ある日このビルの階段に目が留まってね。それで上を見上げたら古臭いビルだろう。昭和の匂いがプンプンだ。俄然興味が湧いてね。で、階段の入口をみたらバーアイラだろう。ラフロイグ好きの俺としちゃ入らない訳にはいかない。という具合だ。しかも、マスターが魅力的でね。淡々として飾り気がない。ああ見えてこのビルのオーナーだ。4階に住んでる。バーは道楽みたいなもんだ。3階の探偵社も家賃の滞納が多いらしくて、いつもボヤいてはいるが、探偵社の社長が、俺も二度ほど話したことがあるが、怖いのか怖くないのか、悪人なのか善人なのかよくわからない人物でね。マスターの小学生時代の同級生だとかで仲がいいんだ。水商売だからたまに訳の分からない人間が出入りすることがあるんだが、そんなとき探偵社の社長が頼りになるみたいだ。とにかくこの店は落ち着くし飽きない」
 「さっき4種の人がよく来るって言ってたけど?」と矢崎。
 「ああ、多いね。マスターがあんな人だから4種の人も入りやすいんじゃないの。値段も安いし。マスターはそもそも画の存在を認めてないし、というより人間が昭和のままだから。誰でも飲みたい奴がバーに来て好きな物を飲んで、楽しくやればいいという感じでやってる。ライブも大半は4種の人間だ。インナーもたまにやるが全然面白くない。ノリが違う。マスターも昔ベースをやってて、今はもっぱら聴くばかりだがライブもマスターの趣味だな。そんなこともあって4種の人を大事にするのかもな」
 「なるほど、俺もたまに飲みに来るよ。居心地がいい」と矢崎。
 「来るのはいいが、重鎮にはそんな暇ないんじゃないか?」と神村が応じる。
 「重鎮こそ気の休まる穴場が必要なんだよ。まあ重鎮は冗談だけど。ところで芳野、北海道はどうだ。神村が辞めて、そのあと芳野も辞めたから随分さみしくなった。北海道に行ったのは奥さんの関係だったよな」


2.特訓
 総選挙で圧勝し、その後の特別国会で再び内閣総理大臣に指名された長田は、8月に入ってすぐに長い夏休みを取り、信州の高原のホテルで過ごした。
 お盆明け早々に始まる臨時国会に備え、心身を万全の状態に整え、憲法や関連する法律をみっちりと勉強しておかなければならない。この臨時国会が正念場だ。年末までに一気に憲法の改正と国会改革関連法案を成立させなければならない。
 歴史に残るであろう国会を思い描きながら、早朝から昼食を挟んで昼過ぎまで東京から呼び寄せた学者からレクチャーを受けた。その後はゴルフかジョギングで過ごした。大学を卒業して以来これほど熱心に勉強したことはない。いや学生時代でもここまで勉強しなかった。レクチャーの中身は興味深いものばかりだった。早朝から始めてもすぐにランチの時間が来た。時間が惜しくてランチを頬張りながら質問し続けた。
 しかし食後のレクチャーは必ず2時には終えた。その後はゴルフでハーフを回るかジョギングで過ごした。雨が降ればジムのある近くのホテルに出かけた。充実した時間だった。少し日焼けし鷹揚さを増したが目には力がみなぎってきた。歴史に名を残す宰相になる高揚感に満たされた至福の10日間だった。


3.北海道
 「北海道に行った理由は三つある。一つは確かに女房の母親の関係だ。お母さんが旭川で一人暮らししてて。80幾つになるんだけど体調が思わしくなくて女房がそばで面倒みたいと言い出してね。二つ目は、女房の叔母さんの嫁ぎ先が旭川の木材会社でね、叔母さんの旦那さんがそこの会長なんだけど、専務で来てくれないかというオファーがあったんだ。社有林の管理を任せられる人材が欲しいということでね。もっとも女房が叔母さんにお願いしたのかもしれないけどね」
 「三つ目は?」
 「画に馴染めなかったことだね」
 「そりゃ分かる。こっちは、仕事で追い廻されてるのと少し慣れてきたのか、抵抗感が薄れてきたけど、やっぱり嫌なところだ。とろで専務さん、給料は良いのか?」
 「良い訳ないだろ。勿論下がったよ。でもね、旭川は物価が安いだろ。それに女房が市内のマンションを相続してるから家の心配はないしね。寒いところだけど、四季がはっきりしててのんびり暮らすには良い街だよ。それよりも、社有林が北海道北部に1千6百ヘクタールくらいあってね。それをこの手で管理経営できるというのは何とも魅力的だったからね。矢崎じゃないけど、霞が関で机上の空論を言い合っているより何倍も面白い」
 「そりゃそうだ。芳野のように現場で実のある仕事をしている方が余程やり甲斐がある。さっきの話じゃないが、画の中で生まれ育って、地方のこととか庶民の暮らしを何も分かっちゃいない政治家の相手をしてるのが虚しいよ。俺も役所をやめて田舎へ引っ込もうかな。まあ泣き言は止めとこう。ところで芳野、社有林の管理だけど具体的にはどんな仕事をしてるんだ?」と矢崎が聞いてきた。
 
 「さっきも言ったけど、わが社は旭川の郊外に1千6百ヘクタールの社有林を持ってる。森の7割はエゾマツ、トドマツ、カラマツの人工林だ。まずはこれの管理だな。要するに林道づくりと間伐だな。あと補助金の申請なんかもある。それと、大雪山に向かう国道沿いにまとまった自然林があってね。ミズナラ、カンバ、ハリギリ、イタヤカエデなんかの落葉広葉樹にエゾマツ、トドマツが混じった素晴らし森だ。夏は森林浴、冬はスノーシューを履いてトレッキングするには絶好の森だ。国道から150mほど入ったところが森の入り口でね。入り口横の林の中でレストランを経営してる。結構人気があって土日は満席になることも多い」
 「えっ?じゃ脱サラのレストラン経営者みたいだな?」と前田が突っ込む。
 「いやいや。僕はレストラン自体は関与していない。建物は会社の所有だから建物と敷地の管理は僕がしてるけどね。中は札幌のホテルでシェフをしていた者が経営している。わが社はシェフから家賃を貰うという訳だ。もっとも家賃収入といっても会社の儲けはほとんどない。建物の維持修繕には結構お金が掛るし、それを考えたら収支トントンだよ。でも、赤字さえ出さなけりゃいいと会長も社長も割り切ってる。二人ともああいうのが好きなんだろう。本当に良いところだし、常連からの勧めもあって、今は会社の業績が良いからこの際増築してオーベルジュにしようかと社長と相談しているところだ。ペンションが出来たら一度遊びに来てよ」
 「そりゃ脱サラしたペンション経営者だ」と前田もしつこい。
 「まあ、レストラン関係の仕事はごく一部で、大半は森の管理だよ。今年も林道を500m入れたし、人工林は50ヘクタールくらい間伐して、約2千?丸太を生産した。それからね、旭川市内の中堅建築会社と合弁で住宅販売事業もやってるんだ。肝心なところはわが社の森から出した良材をふんだんに使ってね。8割くらいは人工林材だけど2割くらいは自然林から抜き伐りした広葉樹を内装に使ってる。勿論自然林をバックにしたしゃれたレストランの佇まいがわが社の森づくりと住宅のイメージアップに一役かってる。地元ではすこし注目され始めてるんだ」
 「なかなか楽しそうな仕事してるじゃない。東京なんかよりよっぽど暮らしやすそうだしな」と矢崎がうらやましそうに言った後で聞いてきた。「で、参考までに聞くが給料はいくらくらい貰ってんの?」
 
 「年によって違うけど大体800万円くらいかな。一応専務取締役だから給料じゃなく役員報酬だけどね。社長からはもっと取っていいと言われるけど、社有林の林道整備の経費を捻出するのに無理を聞いて貰ってるし、オーベルジュの投資もあるから、しばらくは締めていきましょうと言ってるんだ」
 「えらく殊勝だな。雇われ重役のくせして」と神村が茶化す。
 「仕事が面白くて苦労は無いし、借金も無い。物価が安いからこれで十分だ。住宅販売が軌道に乗ったらしっかりもらいますよと社内で宣言している」
 「欲のない奴だな。でも800万円だと居住権は返上か。もう東京で暮らすことがないから関係ないか。そういえば芳野は都内にマンションを持ってたんじゃなかったか?あれはどうした?」と神村。
 「よく覚えてるな。あれは2年前に売った。それから、居住権なんだけど、まだ継続して持ってるんだ。というのはね、例のマンションは10年前にうん千万円で買ったんだけど、これが画内の不動産価格が高騰したお陰で8千万円近くで売れたんだ。で、ローンの残額が3千5百万円くらいあったのを全て返済してね、それで退職金が2千5百万円くらい出たんで、旭川で暮らす準備に幾らか使ったけど、結局手元に7千万円近く残った。そしたら、2種の居住権は失ったけど、リタイア組の3種の基準に適合するようになった」
 「じゃあ、その年にして小金持ちの年金オヤジだ」
 「まあね。もう画内に住むことはないから関係ないけど、出張なんかで東京にくるとき一々入画許可を取らなくて済むから便利だよ」


4.逆襲
 長い夏休みで準備万端整えた長田は意気揚々と臨時国会に臨んだ。
 「世界に誇る平和憲法に手を付けることは日本の信頼を損なう」「国政選挙は民主主義の根本だ。その根本をないがしろにする暴挙だ」「1票の効力に差を設けるのは国民の権利の平等に反するものだ」「国会は株主総会ではない」「2院があるから、仮に1院で間違った判断を下しても残る1院がこれを是正することができる」「幅広い国民の意思を国会に届けられなくなる」「先進国として1院では恥ずかしい」質問は予想通りのものばかりだった。かすり傷さえ負わない。長田は自信に満ちた顔で身振り手振りを交え質問者たちにレクチャーを続けた。
 国民の圧倒的な支持を追い風に、粛々と審議日程が消化され9月末には憲法改正案と国会改革関連法案が衆議院を通過し、参議院に送られた。
  
 一院化に限れば衆議院は所詮他人事だ。しかし、参議院はそうはいかない。自分たちが席を置く伝統ある院を廃止する法案を審議しなければならない。まさに屈辱の日々だ。しかし、国民の多くが参議院の廃止を支持していることは明らかだった。既に勝負は着いていた。ここで下手に反対しても「口ではえらそうなことを言っているが、要するに政治家というおいしい仕事を失いたくないだけだろう」と勘繰られるのが落ちだ。
 それだけではない。与党の参議院議員のうち約半数の者は次の職場として衆議院議員の席が一応は用意されていた。つまり、次の総選挙で立候補する予定の選挙区が内々に決まっていたのだ。勿論、選挙の洗礼は受けなければならないが、今の与党の支持率なら、余程のことがない限り当選することは確実だ。ここで、下手に長田総裁の機嫌を損ねるようなことをしたら元も子もない。ここは神妙にしておいた方が得策だ。
 
 敗北ムードがただよう中で、気を吐く者たちはいた。与野党を問わず一院化によって議席を追われることが確実な古参の議員たちだ。
 「良識の府、再考の府である参議院に身を置くものとして今般の国会の大改悪に断固反対する。納税額比例選挙制度にしても国会の一院化にしても、民主主義の何たるかに思いを致そうとしない、拝金主義に陥った薄っぺらな政治家たちの軽挙妄動であると断言する。このような法律が成立してしまったら民主主義の根本である国民の権利の平等が失われてしまう。貧乏人は2割の権利しかないのか。2割の価値しかないのか。金を持っている者だけがまともな人間として扱われて良いのか。我々は票の効力だけを指摘しているのではない。長田総理!あなたは人間の価値を金で測ろうとしているのだ。このような人間の尊厳に泥を塗りつけるような発想がどこから生まれたのか。あなたは恥ずかしくないのか」野党の議員ではない。与党のご意見番と言われている木下参議院議員だった。
 野党席から「そのとおりだ」「いいぞ」のヤジが飛び、議場に拍手が渦巻いた。与党席でも数人が思わず拍手をしてしまい気まずそうにうつむいた。木下の舌鋒は鋭い。これまで自信満々に答弁を続けてきた長田総理も神妙な顔つきになった。

 「次に、参議院の廃止の問題である。参議院がこれまで十分な役割を果たしてきたかと問われれば内心忸怩たるものはある。そこは素直に反省しなければなるまい。第二院である参議院は大所高所から国政を考え、第一院である衆議院の決定を正さなければならない。しかし、幸か不幸かこれまでは若干の行き過ぎはあったにしても衆議院の決定にあえて異議を唱える事態が起きなかったのだ。ところが、この度衆議院が決定した法案はどうか。これに対しては、参議院は明確にノーと言わなければならない。勿論、議員の身分が惜しいから反対するのではない。この法案は国民の意思をないがしろにするものであるからだ。参議院が廃止されれば我々参議院議員は身分を失う。それは、我々に投票してくれた数多くの国民の意思を全て消し去ることになるのだ。私は、参議院の使命、すなわち衆議院の暴走を食い止め、慎重な議論を促すという本来の使命を今こそ痛感している」一呼吸おいて、天井をにらみ、その後正面を見据えて続ける。
 「ここはひとまず衆議院の決定を白紙に戻し、改めて一院化が真に日本国民にとって有益なものであるか否かについて慎重に議論頂きたい。その上でなお一院化が望ましいという結論が出されれば、我々は潔くその法案を審議しよう。しかしながら、今般の衆議院の決定はあまりにも拙速である。再度申し上げる。私は国会の一院化と納税額比例選挙制度に断固反対である。他の議員諸君のご賛同をお願いしたい」木下が長田総理をにらみつけて締めくくった。同時に「そのとおりだ」「民主主義を殺すな」というヤジが飛び、委員会室内に拍手が沸き起こった。与党席の大半の議員も拍手していた。衆議院の議席が約束されているとはいえ、また、影が薄いとはいえ、これまで所属していた参議院には愛着があったし、これを短期間の議論で廃止してしまおうとする与党執行部に対する憤懣が思わす噴出してしまった瞬間だった。長田総理の顔面は蒼白になった。


5.密入画
 ドアが開いて若者が二人入ってきた。二人とも下はジーンズで上は一人がダウンジャケット、もう一人がフリースだ。ダウンジャケットがマスターにぺこりと頭を下げ、カウンターを見やり、テーブル席の方を見た。そのあとフリースにカウンターの席を指さし、こちらの方に歩いてきた。
 「神村さんお久し振りです」
 「え、おお森下君か久し振りだな。元気そうだ」
 神村は壁に向かって座っていたので二人が入ってきたことに気付かなかったようだ。
 「今日は何?デートなの?一人?」と聞きながらカウンターの方を見る。
 「二人です。男だけど」 
 「なんだ。まあいいや。良かったら友達も一緒に飲まないか?オゴるよ」
 「いいんですか?ありがとうございます。じゃお言葉に甘えて」と言ってからカウンターのフリースのところに行き、それからマスターと一言二言話し、フリースと一緒に戻ってきた。
 
 「紹介します。僕と同じアパートに住んでる上村君です。マスターがテーブルを付けていいと言ってるのでテーブル付けます」と言って二人で横の二人掛けのテーブルと椅子を寄せてきた。フリースが上村です言いながらぺこりと頭を下げた。
 「まずは森下君の紹介からだけど、その前に酒はラフロイグでいいか?」
 「できれば普通のやつがいいですけど」
 「何が普通だ。俺たちが飲んでるのは真っ当なアイラウィスキーだぜ、失礼な。じゃ前田と同じのにしとけ」と言ってメーカーズマークのソーダ割りを二つマスターに注文した。「で、この失礼な森下君はうちでたまにアルバイトをしてもらってるんだ。見ての通りの好青年でしかも現役の経世大の学生だ。確か出身が北海道と言ってたよな。この芳野は今は旭川市民だから紹介しておくよ」と言って私を指さした。
 「芳野です。よろしく。で、北海道はどこなの?」
 「深川です」
 「じゃ隣町じゃないか。奇遇だね」
 
 「で、次は上村君だ。自己紹介するか?」
 「え?はい。上村と言います。今森下君と同じ蒲田のアパートに住んでます。森下君は経世大だけど僕は川崎にある専門学校に行ってます。出身は甲府です」
 我々も一応自己紹介しとくかと神村から、私、矢崎、前田の順番で簡単に自己紹介した。自己紹介している最中にマスターがソーダ割りを持ってきたので紹介が終わると同時に乾杯した。

 「皆さんえらいんですね。緊張するなあ」と森下が言ってのける。
 「えらかあない。ただの中年オヤジの集団だ。でも全く緊張してないくせによく言うよ」と神村が応じて場がなごむ。
 「森下君は今3年生で、俺がクライアントの家とかオフィスに出かけてプレゼンをやるときに運転手兼荷物持ち兼ディスプレイ担当で手伝ってもらってるんだ。うちの社員を使えばいいんだけど行く場所によっては1日つぶれるし、もったいない。パソコンの画面じゃ小さ過ぎてイメージ湧かないんだ。今はどこの家やオフィスでも大きなディスプレイはあるから、俺がクライアントと挨拶とか世間話をしている間にパソコンとディスプレイを繋ぐセッティングをしてもらうんだ。他に、使う予定の部材の見本を並べたりしてもらう。結構イイ男だから高級ブランドの少し地味目のスーツを着せればうちの商品がより高級に見えるという利点もある。順調にいけば来年卒業だろうからいい跡継ぎを見つけておいてもらわないと困るぜ。で、就職はどうするんだ?経世大なら引く手あまただろう」
 「まだ全然です。このままいけば東京に本社のある企業に勤めることになるんでしょうけど。ゼミの先輩たちのように画内で働いて、30代で画内のマンションを買って、海外勤務か海外出張以外はずーっと画の中で暮らすと思うと全然楽しそうじゃないですよね。何だか息がつまりそうで。いっそのこと北海道に帰ろうかなとも思うんです。ただ、北海道は勤め先があまり無いので」
 「じゃ、芳野のところに雇ってもらえ」
 「いやいや、経世大の卒業生が来るような大手じゃないから。来てくれるんなら勿論うれしいけどね」
 「そうですか?神村さんところの仕事って面白いし。僕も木のことがちょっと好きになってきたから、芳野さんところも木の関係のようなので考えてみます」
 「うれしいこと言ってくれるね。期待しないで待ってるよ。でも経世大ってたいしたもんだ。お宅もお金持ちなの?」
 
 「いえ、うちのおやじは普通の教員です。だから画内には住めないので蒲田でアパート暮らしです。同期の友達はほとんど画内から通ってますけど。だから皆それなりのお金持ちなんでしょうね。そういえば僕のアパートにもう一人経世の学生がいます。実家は名古屋の近くのなんとか市って言ってたけど、そいつの家もお金持ちみたいです。ただ他の友達と違って画内は嫌いだって言ってます。講義とかゼミで用事のない日はもっぱら川崎あたりで遊んでます。今日も学校がないから川崎に行くって言ったんで、上村君が彼のカードを借りてこっちに来たんです」
 
 「え?ということは密入画っ?」
 「しっ!!」神村が制する。
 「聞こえたらまずいぜ。アイラはこんな店だからそんなに心配することはないと思うけど。相互監視システムは強力だからな、どこにどんな奴がいるかわからない」 
 「ごめんごめん。しかし大胆だな。でも普通には来れないの?」
 「結構難しいですね。僕らは大学から在学証明書が出るからフルに入れる入域許可が簡単に取れるけど。上村君のようにただ画内を見てみたいという理由じゃ入域許可って下りないんです」
 「そうか、なるほど。で、上村君は画内は初めてなの?」
 「ええ、今20歳なんですけど、今まで一度も画内に入ったことなくて。一度見てみたいなと思って。彼女いるんですけど彼女は一度入ったことがあるらしくて、それが自慢で。街がすごくオシャレでゴミも落ちてなくて。みんな恰好良くって、いつか画の中で暮らしたいって言うんです。僕それまで、画の中って関係ないし、あんまり関心もなかったんだけど。そんなに言うなら一度くらい見てみてもいいかなって思って。で、坂本さんにちらっとそんなこと話したらカード貸してくれるって言ってくれて」
 
 「で、坂本っていう経世の奴なんですけど、その坂本が僕に上村君も一人じゃ心細いだろうから案内してやれって言うんで。じゃたまには東京見物でもするかってことで、午前中は大学に案内して、そのあと渋谷とか浅草とか行って、最後の締めがアイラです。でもアイラってちょっと画内らしくないから失敗だったかも」
 「そうか、じゃ上村君には悪いが、これからは一応坂本君ということにしとこう。俺たちもバレると色々と難しい立場にいるし、アイラにも迷惑が掛るからな。さあ坂本君遠慮なく飲め」神村が酒を勧め、マスターに何か旨いオードブルがないかと尋ねた。
 「で、画内はどうだった?」私から聞いてみた。
 「ええ、女性がみんな綺麗でした。着てる服も彼女と大違いだし。街だって蒲田とか川崎とか甲府なんかとは全然違う。日本にこんな綺麗なところがあるなんて知りませんでした。みんなお金持ちっぽいし、日本じゃないみたいです。でも、僕には合ってないのかもしれない。なんか落ち着かないんですよね。何だか疲れました。僕なんかの来る場所じゃないんだろうなあ」
 「初めてだからだよ。でも彼女と対等になったじゃないか」慰めにもならない。
 「そうですね。良かったです。今日は思う存分遊んだから、また明日から真面目に勉強します」
 
 「上村君て偉いんですよ。アルバイトで稼ぎながら川崎の専門学校に通ってるんです。今夜も本当は仕事があったんですけど、今日は学校もアルバイトも休んだんです」
 「どんな関係の専門学校行ってるの?」
 「福祉です。僕お婆ちゃん子で。離婚しておふくろが働かなきゃいけなかったんで、妹がいるんですけど僕たち二人はお婆ちゃんに育てられたみたいなもんです。だから、年寄を相手するのが上手くて。年寄嫌いじゃないし。福祉なら働き口に困ることもないだろうなって。でも、妹がまだ高校に通ってるんで、おふくろに苦労かけられないから自分で稼げるだけは稼ごうかなって」
 「偉いな。若者の鑑だ。年取ったら面倒見てくれ」胸が詰まりそうになる。
 「はい喜んで」
 「しかし、こんないい青年を大事にしなくてどうする。政府はなにをやってるんだ。おい矢崎お前何とかしろ政府の端くれだろう!!」酔いが回ってきたのかな?
 「おいおい。そりゃ俺じゃなく福祉省に言えよ。酔っ払ったのか芳野、分からんでもないが。そういえば最近、若い人が政治のこと話すことってないよな。昔は若い人が政治のことを語り合う番組があったがそんな番組もなくなったよな。ところで君たちは選挙権あったんだっけ?」


6.参議
 思いも寄らない参議院の抵抗を受けたが、政府、与党の方針が無論変わるはずはない。思わず拍手をしてしまった議員のうち衆議院に鞍替えを予定していた者たちは翌日幹事長に連れられ与党総裁室を訪れ、平身低頭詫びを入れた。勿論、長田からは厳しい叱責を受け続けた。中には土下座をして涙を流す者さえいた。
 長田の怒りはそう長くは続かなかった。最後には長田も彼らに労いの声を掛けた。未来永劫彼らが長田に弓を引くことはないことを確信したからだ。
 木下の反対討論で参議院が一致結束するかに見えたが、逆に木下の討論で溜飲が下がったのか参議院は一気にガスが抜けてしまい、その後の審議は順調に進んだ。
 野党議員の中にも衆議院に鞍替えを狙っている者がいたし、ここで無理に抵抗するよりも潔く身を引き、衆議院選挙で弔い合戦に臨む方が得策だと考えた。
 また、一院化、すなわち参議院廃止に伴う現職議員に対する処遇が思いのほか手厚いものであったことも反対が盛り上がらなかった理由だ。
  
 一院化するにあたって最も重要なことは、一院化によって国民の意思すなわち民意の反映に支障が出ないよう最大限配慮することだ。院が一つになるということは民意を伝える機会が半分になるからだ。
 そこで二つの対応策が採られた。一つは衆議院の定数を増やすことだ。これにより民意をよりきめ細かく反映できることとされた。
 もう一つの対応策は参議院議員に政治に参画できる権利を与えることだ。それは、参議院議員は国民の投票で選ばれた者たちであり、民意を背負った者たちだからだ。
 この裏には失職を余儀なくされる参議院議員の処遇にできる限り配慮する狙いがあったことは当然だ。

 議員定数の50増については、当初、野党が100にすべきであると主張したが、何のための国会改革かと国民の失笑を買い、すぐに取り下げた。なお、定数を50増やすことに伴う選挙区割りについては、別途、公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法を一部改正することで対応することとされた。
 次に、参議院議員の政治への参画だが、参議院の廃止に伴い「参議制度」を創設することとされた。
 具体的には、参議院廃止時点で参議院議員であった者は「参議」になることができることとした。参議は、自ら辞職を申し出ない限り終生参議職を務めることができることとした。また、参議院議員会館は参議会館となり、参議は以前の部屋を無償で利用できることとされた。
 参議には、「国政参画費」として、従前の議員報酬の半額が支給され、「国政調査費」として一律に月額で20万円が支給された。
 また、参議には特別に「法案提出権」が与えられた。これで多くの参議院議員は不承不承納得した。

 では、実際のところ参議はどのような活動をするのか?最大の出番は4月と12月に開かれる「参議会」だ。この場で、内閣から国政報告が行われ、参議から意見、提言を述べることになる。また、法案の提出は何時でも可能であるが、参議会の場に提出することが推奨された。なお、4月は新年度予算の説明、12月は翌年度の主要施策と予算案の説明が主要議題であった。
 しかし、4月時点では予算はすでに決定されたものであり、12月時点で予算案を説明されても実際のところ修正する余地は残されていない。そのため、型どおり国政報告が行われ、これに対して応援演説をするか意味のない反対を表明するだけだった。このため、初めのうちは総理大臣以下すべての閣僚が出席して国政報告が行われたが、徐々に総理大臣が出席することはなくなり、官房長官と各省の副大臣が出席するようになった。

 また、参議には、参議の権威を損なわないことを条件に兼職が認められていた。兼務できる職業には都道府県知事や市町村長も含まれていた。このため、衆議院を目指さない40代、50代の議員の多くが首長選に出馬し、参議院が廃止されて5年を経過した時点で43名の参議が首長を兼務していた。ただ、実態は、首長が参議を兼務していたと言う方が正確だろう。
 このほかにも参議たちは宮中晩餐会や諸外国の元首を交えたレセプションにも招待された。一院化によって議席を失う参議院議員たちにはこのように手厚い救済措置がとられたため、大きな混乱もなく一院化に関する法案が参議院を通過したのである。

 なお、参議院廃止に最後まで抵抗した木下をはじめとする10人は「議会制民主主義は死んだ」との言葉を残して参議院を去り、参議に就くこともしなかった。また、長期間入院し3年間議員として活動した実績のなかった1名も参議になることを辞退した。
 一方、11名を除く231名の参議院議員は全て参議になった。また、2022年の参議院議員選挙で参議院の廃止を訴えて当選した議員が15名いたが、全員が「参議院の廃止を勝ち取った」と胸を張ってそのまま参議に収まり、国民の失笑を買った。
 また、231名のうち125名は、一度は参議になったものの、次の総選挙に出馬して衆議院議員になり、参議職を返上した。
 
 参議の特権として認められた法案提出権とはどのようなものだったのだろう?
 参議が提出できる法案には制限があった。すなわち、憲法の改正及び憲法に抵触するものは認められなかった。また、民法、刑法など憲法以外の6法に関連するものも事実上認められなかった。要するに提出できる法案は特別法に限られていた。これは唯一の立法機関である国会の役割と参議の役割を峻別する必要があったからである。
 また、提出を予定する法案は、事前に、「法案審査委員会」で審査を受けることとされていた。委員会は8名の法学者と2名の官僚OBで構成されていたが、政府からは独立した中立的な機関であった。
 また、委員会が審査する項目は法律によって厳格に規定されており、基本的に法案の目的、内容に関しては審査の対象としてはならないとされていた。
 委員会は、あくまでも法案が憲法、民法、刑法等に抵触していないか?その他の一般法、特別法と整合性がとれているか?法理上内容に矛盾がないか?法律の形態を備えているか?用字・用語に誤りはないか?などの純粋に技術的な事項についてのみ審査することとされていた。
 委員会発足当初は、政府の恣意的な運用が免れないとの批判があったが、政府にはそのような意図は毛頭ないようだった。それは参議の能力を甘く見ていたからに外ならない。
 また、実態をみても、参議制度発足後提出された法案は年に2~3本程度しかなく、参議が提出して成立した法律も新たな祝日を設けるもの、スポーツで活躍した選手に特別の年金を給付するものなど他愛のないものだった。今では、委員会の運営に疑問を呈したり問題を指摘するような者はいない。


7.ペナルティー
 「選挙権ですか?僕はあります。詳しいことはよく分からないけど、森下君なら良く知ってるんじゃないのかな?」と上村か答えた。
 「一応法学部なんで知ってるよ。僕らも一応選挙権はあります。でも被選挙権はありません。それから、神村さんたちだと年収高そうだから1票か0.8票はあると思います。勝手に想像してすみません。で、僕たちなんですけど、学生なんで一律0.2票しかありません。納税額比例選挙権制度というやつです。納税額に応じて人それぞれに一票の格差があるという訳です。それから、これは調べてみないとわらないけど上村君はアルバイトしてるでしょ。上村君の場合は僕と違って常勤で働いてるからひょっとしたらあと0.2票上乗せされて0.4票になる可能性がないでもない。職場でちゃんと報告してれば。僕の場合、神村さんのところのバイトは金額が小さいし闇というか表に出てないでしょうから無理でしょうね」
 「人聞きの悪いこと言うな。ちゃんと給与で払って経費として処理してるぞ。でも君の選挙権のことまで考えちゃいがな」
 
 「ところで法学部のお兄ちゃん!ついでに教えてくれ。国民カードを失くしたら選挙ポイントが引き下げられるって聞いたけど本当か?そんな馬鹿な話ないよな」
 「もちろんありませんよ。そりゃ誤解です。ちょっと話が長くなるけどいいですか?」
 「もちろん」中年4人組が口をそろえる。興味津々だ。
 「結論を先に言うと、他人が落としたカードを届けるとポイントが加算されるということです。神村社長のおっしゃってることと逆です。つまり、誰かが落したカードを拾って警察に届けると報償として現金5万円か50万円の税額控除か投票権0.2ポイントが与えられるという制度です。目的はもちろんカードの不正使用を防止することです」
 「じゃあ失くしても問題はないんだな。安心した」
 「でもペナルティーはありますよ。もし再発行するとなったら5万円取られます。しかも再発行まで2~3日はかかるし、警察でジクジクと説教食らったりもするらしいです。皆さん失くされたことないんでしょうね。僕もないですけど、友達が失くしましてね。結局出てこなくて5万円パーです。皆さん気を付けてください」
 「そりゃ気を付けるけど5万円は高すぎる」
 「そうですね、実際に再発行に掛かる経費なんて数百円だと思いますけど。カードの管理をおろそかにしないようにペナルティー的な意味合いを持たせてるんでしょうね。でも、普通はすぐにカードは見つかるので、半日もしないうちに元の所有者の手元に届くらしいです。報償制度の効果は絶大ですね。ただ、この場合は届け出てくれた人に別途に謝礼をするのが慣例になってて相場は1万円だそうです。届ければ5万円の報償プラス1万円だから悪くないですよね。制度としては税額控除とか選挙ポイントも選べるけど5万円もらうのが圧倒的に多いみたいです」
 「そりゃそうだろう。でも報償が良すぎると報償狙いで盗む奴も出そうだな」
 「そうですね。その可能性は否定できない。だから、1回報償を受けると5年間は拾って届けても報償は受けられないというのが原則になってます。また、報償金をもらった人のうち、警察が怪しいとにらんだ場合は、届けられたカードじゃなくて届け出た人のカードの使用履歴が1年間追跡されるようです。これはどこにも書かれていないのでことの真偽は分かりませんけど」
 「今の政府ならやりそうだ。やろうと思えば簡単だしな。たかが5~6万円で追跡されちゃかなわん。下手に届け出ない方がいいな」
 「そんな風に考えるのは神村社長のようなお金持ちだけですよ。ついでに「関所破り」のこともご説明しましょうか?」
 「うんうん」中年4人組が身を乗り出してきた。
 
 「関所破りと言っても、セクションを強行突破するような馬鹿はいませんよね。そんなことしなくてもその気になれば画の中なんて簡単に入れますもんね。要するに出入画ゲートを通らないでグリーンベルトを歩いて越えたり、隅田川を泳いで渡ったりすることですけど」
 「それそれ」
 「案外ペナルティーは緩いんです。照明塔とかフェンスとかグリーンベルトの施設を壊したりするとこれは勿論罰則がありますけど。ただ、これって器物損壊ということですから関所破りとは直接関係ない」
 「そりゃそうだ」
 「で、単にグリーンベルトを越えたとか隅田川を渡っただけで、特に悪質なものでなければ、一時的に最寄りの関所所管の警察署にしょっ引かれて、身元を確認されて、説教を食らって、はい帰っていいよということになります。拘置されることは滅多にないらしいです。その後、数日したら罰金の納付告知書が送られてきて、それを払って一件落着です」
 「へえ、大したことないな」
 「だって、画内に入るのは上村君じゃないけどそんなに難しくないし。あっ、上村君ごめんね余計なこと言っちゃった。まあそんなことで、あまり厳しく取り締まっても意味ないんです。ただ、落しものカードの報償制度じゃないけど、関所破りをした履歴はしっかりと国民カードに残されて要注意人物扱いされることは間違いないでしょうね」
 「なるほどブラックリストか」
 「それから、もう一つペナルティーを忘れてました。関所破りするような人間は国の秩序を守らない者、国政に貢献する意識が低い者と断定され、選挙ポイントが0.2から1の幅で引き下げられます。引き下げ率は、動機や内容に応じて決まります。引き下げの適用期間も動機や内容に応じて5年から20年の幅で決められます。処分のうち軽いものは正式な裁判を経ずに略式命令で処理されます。交通違反みないなものですね」
 「なるほどな。良く分かったよ。さすが法学部だ。見かけによらずしっかりしてる」
 「こんなことは大学じゃ教えてくれません。社会人としての常識です。ていうか、大学にはいろんな奴がいるから、そいつらの経験談とかの受け売りです」
 「そうか常識か?しかし、選挙権が増えたり減ったりするなんて変な制度を作ったもんだ。大人になっても点数付けられるなんて感じ悪いな」
 

8.即断即決
 国会の一院化については不承不承賛意を示した参議院だったが、納税額比例選挙制度に対しては激しく抵抗した。
 自分たちが所属する院を廃止する法案を審議しなければならない屈辱の中で、参議院議員たちは良識の府、再考の府として、何としても衆議院に一矢報いたかった。その思いは与党、野党の所属を問わなかった。

 衆議院で議決され参議院に送られてきた時点の法案では、納税額を年収に換算すると年収300万円までの者の1票の効力は0.1票、年収500万円までの者の効力は0.3票、同じく700万円までの者は0.5票、1000万円までは0.7票、1000万円以上が1票となっていた。
 また、収入のない18歳以上の学生は0.1票とされ、被選挙権は25歳以上で0.7票以上の投票効力を持つ者とされていた。

 これに対し、参議院は、国民の意思はあまねく国政に反映されるべきである、国民の権利の平等は守られるべきであるとの正論を盾に、多くの国民の声に後押しされて投票の効力をできる限り平準化することを参議院議員の総意としてまとめ上げ、法案を修正した。
 修正した法案では、年収300万円までの者と18歳以上の学生は0.2票、500万円までの者は0.4票、800万円までの者は0.6票、1000万円までの者は0.8票、1000万円以上の者は1票とし、被選挙権は25歳以上で0.6票以上の投票効力を持つ者とした。また、「この区分は次期の衆議院議員選挙を経た後、遅滞なくその効果等について検証を行う」とする付帯決議まで付けた。

 一度議決した法案を修正された衆議院側にとっては青天の霹靂である。これまでカーボンコピーと侮っていた参議院から思わぬ反撃を受けたからだ。
 「第一院である衆議院が議決した法案を修正するとはけしからん。一部の文言を修正するならまだしも制度の根幹を修正するなど言語道断だ。すぐさま衆議院で再議決すべきだ」との発言が与党議員から相次いだ。
 しかし、長田たち与党執行部は、仮に参議院の議決を認めたとしても、与党にとって特段不利にはならないこと、失職する参議院議員たちへの絶好のはなむけになること、そして何よりも今般の国会改革に対する国民の根強い抵抗感が和らぐことを見て取り、参議院から回付されてきた修正法案を衆議院が同意することを決断した。
 こうして、納税額比例選挙権制度と国会一院化に関する法律が成立し、1年間の周知期間を経て2024年11月に施行された。
 日本は「即断即決できる国」になった。

第5章 東京工場

1.画外仕様
 エレベータの扉が開いた。目の前にはホテルのロビーが広がっている。中庭に面した大きな窓ガラスを通して朝の陽ざしがぬくもりを届けている。欧米系、アジア系、アフリカ系などビジネススーツ姿の客が数組立って談笑している。窓際のソファには日本人らしい初老のグループが座って静かに談笑している。派手目のダウンジャケットやフリースを着たアジア系の観光客のグループが賑やかに行き交う。
 ロビーの中ほどに大理石の大きなオブジェが据えられており、その横に松田が立っていた。ガッチリした体躯の上にくたびれた作業服を羽織っている。あたりの華やいだ雰囲気の中でそこだけ暗く沈んで見えた。昨日は明るい感じのビジネススーツを着ていたはずだが?と思いながら近付いていった。松田もすぐに私に気が付いたが、一瞬「えっ」というような顔をした。
 
 「お早うございます。お待たせして申し訳ありません。今日はよろしくお願いします」
 「お早うございます。思ったより早く着いてしまいました。こちらこそよろしくお願いします。地下の駐車場に車を止めてありますので申し訳ありませんが駐車場まで歩いていただくことになりますがよろしいですか?」
 「もちろん。かえって手間をかけて申し訳ありません。ところで、さっき僕を見たとき、えっという顔しませんでしたか?」
 「いやあ、まいったな。バレましたか。なんでもすぐ顔に出てしまう」
 「どうかしましたか」
 「実は芳野さんがスーツを着て来られたので、ちょっと」
 「スーツがまずいの?」
 「そうですね。画から出る時はスーツじゃない方がいいですね」
 「でも、昨日森下君はスーツ着てプレゼンに行くようなこと言ってたけど」
 「ええ?森下君に会われたんですか?彼いい奴でしょ。私たちも助かってます。社長と一日一緒にいるとさすがに疲れますからね。僕なんかずっと怒られっぱなしですよ。彼は社長の扱いが上手いからなあ」
 「そりゃ期待度が違うもの。森下君はバイトだから少しくらい甘くてもいいけど、社員の皆さんはそうはいかないんじゃないの。厳しく言われるのは当たり前だよ。でも神村は松田さんのことほめてましたよ。期待されてるんだよ。これは内緒だけど」
 
 「いやあ、まいったな。で、スーツの話ですけど、社長と森下君が行くときは行き帰り車ですからいいんです。社長って面白いんですよ。運転が好きで結構自分で運転するんだけど、クライアントの家の近くまで来ると運転代わって自分は後部座席に座るんです。KPWの社長はえらいんだと思わせなきゃいけない。これも品質のうちだとかおっしゃってます。だからスーツは当たり前なんです。しかも仕立てのいいブランドのスーツが。でも、電車を使うときはスーツはやめた方が無難ですね。画内から来たことがバレバレですから。今日は行きは私がお送りしますけど、帰りは電車でしょうから。ちょっと心配ですね。帰りも私がお送りできればいいんですけど。内藤さんところで現物を確認したら、とんぼ返りでオフィスに戻らなきゃいけないんで」
 「大丈夫ですよ。女の子じゃあるまいし。それに、そんなに遅くならないから。でも、そんなに治安が悪いの?そういえば昨日ホテルでも注意されたけど」
 「そうですね。あまり言いたくはありませんが、画内と画外じゃ空気が違います。画内が安全すぎるんで余計感じるのかもしれませんが。特に画外の人の中には画内の人間を良く思わない人も結構いるんで。私も目立たないようにこの姿です。これだと比較的安全ですから。オフィスではスーツを着てますが、通勤は画外らしいラフな格好ですよ。スーツはオフィスに置いてあるんです」
 「服装に気をつかわなきゃ外も歩けないなんて変な国になっちゃたな。もっとも北海道じゃ考えられないけど。まあ東京だけかもしれない」
 「今は慣れて何とも思わないけど、言われてみれば確かに変ですよね。でも、こういうラフな格好の方がいいところもあるんですよ。何というか解放されるんですよね。鎧兜を脱ぐという感じかな。画内ってなんだか皆気取ってて、型苦しくて。何か息苦しい感じしませんか」
 「昨日来たばかりだし、ホテルと飲み会だけだからあまり気にならなかったけど」
 「そうですよね。でも長くいると感じるかもしれませんね。画内って安全だし、綺麗だし、便利なんですけどなんかいつも監視されてるみたいで居心地悪いんですよね。画外はちょっとがさつで荒っぽい感じはするけど、自由というか人間臭いというか、本当に気楽なんですよね。この姿ならしっくりとその雰囲気に溶け込めますから。慣れれば画外の方が絶対暮らしやすいです。高級レストランはないけれどうまくて安い居酒屋は沢山あるし、おいしいビストロなんかも結構あります。物価も安いですしね。画内にこもってお高くとまってるのと画外で自由にやるのと、どっちが幸せかわからないですよ」
 
 話している間に地下駐車場の松田の車の前に着いた。車は白い背の高い四駆だ。バンパーは所々凹んでいて、ドアにも何本か引っ掻いた傷がある。取っ手を握って助手席に乗り込む。
 松田が慣れた手つきで車を操り、第一京浜に入っていく。車の数は思ったより少ない。流れはスムーズだ。
 「ボロい車ですみません。でも一応掃除はしておきましたから」
 「いやいや全然構いませんよ。この車も画外仕様なの?」
 「あっ?いえ、これは画外仕様ということじゃないです。原木を見に森に出かけることが多いんで。でも、確かに画外仕様と言われればそんな感じがしてきますね。芳野さん面白いこといいますね」
 「はは。ところで、松田さんはどこに住んでるの?画外みたいなこと言ってたけど」


2.準常任理事国
 納税額比例選挙権制度と国会一院化に関する法律が施行された2024年、日本は国連の安全保障理事会の「準常任理事国」になった。
 さすがに常任理事国にはなれなかったが、日本政府とりわけ外交省が長年抱き続けてきた念願がこの年ついに叶った。
 
 ところで、国連を運営するにはお金が必要だ。そのお金は国連加盟国が分担金として支払っている。最も多くの金額を負担しているのはどの国だろうか?それは勿論アメリカだ。ニューヨークに国連の本部を置かせ、自他ともに認める国連の胴元として振舞っているのだから。では、二番目はどこか?ロシアか?フランスか?それとも中国か?
 それは日本だ。では、三番目はどこか?ドイツだ。日本は1956年に国連への加盟を許され、ドイツは1973年に加盟を許された。国連が設立されたのは1945年だから、設立後11年目に加盟を許された日本と、18年目にようやく許されたドイツが二番目と三番目なのだ。アメリカは予算の22%、日本は11%、ドイツは7%を負担している。   
 アメリカ以外の常任理事国である英国、フランス、中国はいずれも5%だ。いつもアメリカに敵対し、いかにも準主役のような顔をしているロシアは2%しか負担していない。

 なぜか?何故、常任理事国でもない日本とドイツが多額の負担をしているのだろうか?その答えは簡単だ。先の第二次世界大戦で負けたからだ。立派な理想を掲げて、私利私欲なく世界のために尽くしているように見える国連だが、何のことはない国連というのは先の大戦の「戦勝国クラブ」にすぎないのだ。だから大戦で負けた側はせっせと貢がないと仲間に入れてもらえないということだ。
 
 しかし、先の大戦からは既に半世紀以上が過ぎた。日本もドイツもこれまで品行方正、平和に尽くし、国連を運営する予算についても大きな貢献をしてきた。もうそろそろ「敵国扱い」は止めてほしい。一人前に扱ってほしいと思うのは当然だろう。そこで、外交省は21世紀に入り、国連の安全保障理事会改革すなわち日本の常任理事国入りに真剣に取り組み始めた。

 さて、日本が常任理事国になるためにはどうすればいいのだろうか?
 それには、国連が存在する根拠である「国連憲章」という法律のようなものを改正する必要がある。具体的には国連憲章のうち安全保障理事会について定めた第5章を改正することだ。
 では、国連憲章はどのようにすれば改正できるのだろうか?
 第一のハードルは国連総会だ。国連総会で2/3の国から賛成してもらわなければならない。過半数ではない、2/3だ。これだけでもハードルは高そうだ。
 次のハードルも結構高い。国連加盟国の2/3に「批准」してもらわなければならない。批准とは聞きなれない言葉だが、平たくいえば2/3の国が憲章の改正をそれぞれの国で承認する手続きが必要なのだ。これは確かに面倒くさそうだ。日本がいくら焦ってみても、相手にとっちゃ所詮他人事だから、後回しにされることも多い。ただ、そうは言っても一度総会で賛成してくれた国ならいずれは手続きをしてくれるだろう。単純にいえばこれで国連憲章は改正できるということになる。
 何だ?そういうことなら粘り強く頑張れば何とかなりそうじゃないかと思うが、実はもっと大きな壁がある。
 
 大きな壁とは2/3の中に5つの常任理事国すべてが入っていないといけないということだ。例えば2/3をはるかに上回る国が賛成してくれたとしても、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5か国のうち、どこか一つでも反対する国があれば絶対に国連憲章は改正できない、つまり常任理事国にはなれないということだ。


3.田園調布
 「今は二子玉川に住んでます。画内には住めません、まだ居住権ありませんから。一生持てないかもしれません。でも、仮に居住権が取れたとしても住まない可能性の方が高いでしょうね」と松田が答える。
 「居住権か。そうだったね。でも、いいところに住んでるじゃない」
 「そうですね、画外ではいい方かもしれませんね。ただ、芳野さんの知ってる二子玉川とは違うと思いますよ」
 「どうして?」
 
 「画が出来てから二子玉川のような郊外型の高級住宅地と言われるところが一番微妙な雰囲気になっちゃったみたいです。隣近所で居住権を持てた人と持てない人ができて。居住権を持てた人は徐々に画内に移っていくし、持てない人は取り残されたようになって。画内に移った人の家には私たちみたいな新住民が越して来るし。以前住んでた人たちと私たちとは年収が違うから、残された人たちとは初めのうちお互い馴染めなくて。特にギリギリの線で居住権を持てなかった人たちは取り残されたという思いが特に強いようで。隣近所と付き合わなくなったり、家に閉じこもったままという人も結構いるようです。人間関係って難しいですよね」
 「なるほど。画が生み出す人間ドラマだね」
 「私は新住民だし、そもそも鈍感な方だから気になりませんけど。多摩川がすぐそばでジョギングしても気持ちいいし、高級住宅地の名残で生活は便利だし、それに通勤も便利だから気にいってます。画が出来る前なら絶対住めなかったところだから画のお蔭ですかね」
 「なるほどね。じゃあいっそのこと田園調布に住めばいいのに。あそこも画外じゃない。自慢できるのかできないのか分からないけど」
 「それがですね。あそこは特別なんです。二子玉川は住宅地のエリアが広いからまとめられなかったんですけど、田園調布の豪邸のあるエリアは一つ所にまとまってるでしょ。だから、その一帯をぐるりと城壁のような高い壁で囲っちゃったんですよ。勿論城壁の入り口には門番もいます。回りからは隔絶された世界です。逆にその周りが以前より格落ちしちゃって。とにかくあの辺りはちょっと異様な感じがして住みたいとは思いませんね」
 「へえ。難しいもんだね」
 

4.贖罪
 日本は、戦後、自国の復興を終えると、戦争への償いの思いを込めて、かつて侵攻した南の国々をはじめとする発展途上国に対して様々な援助を続けた。代表的なものは「円借款」だ。これは「えんしゃっかん」と読む。何ともへんな言葉だが、要するにある国に対して超低金利で長い期間お金つまり円を貸してあげますよというものだ。お金を借りた国はその金を使って発電所、ガス供給設備、鉄道などの社会インフラを整備することができる。但し、借りたお金なので返さないといけない。
 何だ、貸すだけかと思うかもしれないが、発展途上国は社会の信用が低いので貸してくれるだけでも十分有難いのだ。また、せっかく借りたお金だから無駄使いしにくい。だから、結果的にその国の自立を促すことになるという理屈だ。要するに超がつく低金利で長期間お貸ししますよというのがミソだ。このように返済を条件とする協力のことを「有償資金協力」という。
 もう一つ「無償資金協力」というのもある。これは特に貧しい国に対して行うもので、病院、学校、道路などの建設や医療機材、教育訓練機材などの購入に充てる費用を日本が全額負担するというものだ。この場合は勿論返済しなくていい。
 このほかにも日本の進んだ技術を日本が費用を負担してその国の国民に教える「技術協力」というのもある。
 このような援助を長年続けてきた結果、発展途上国はその名のとおり発展を続け、中には新興国といわれるほどに経済が発展した国も現れた。援助に汗を流す日本人の姿を目の当たりにして、多くの国は戦後の日本の変化を信じ、平和国家としての日本の歩みを支持してくれるようになった。当初、戦争への償いを目的として始まった援助も、半世紀ほど過ぎた頃には日本を赦し、友情と共感を醸成するものに変わっていった。


5.勝どき関所
 いつの間にか車はJRの高架下をくぐり、新橋駅の東側を通過して、正面に銀座通りが見えてきた。銀座通りも新橋駅周辺も以前に比べてビルが随分と高くなった。その分、道路が少し狭くなったように感じる。この辺りも走っている車の数は少なく、スムーズに流れていく。
 ここで車は右折して昭和通りに入った。緩やかにカーブしてしばらく直進し、東銀座の交差点でまた右折した。晴海通りだ。左に歌舞伎座が見えた。13代目団十郎は得意の荒事をちょっと艶っぽく演じているのだろうか。しばらく走ると築地の交差点だ。左手のエキゾチックな築地本願寺を見ていたら車が止まった。渋滞だ。
   
 「渋滞してますね」
 「いえ渋滞じゃなくて、この先に勝どき関所があるので」
 「ああ、関所ね。始めてだな。関所通るの。緊張するね」
 「いえ、高速の出入り口と変わりません。大したことありませんよ。密入画者とかでなければ何も問題ありません。あっそうだ。芳野さん、すみませんが国民カードをそこのカードリーダーに入れてもらえますか?挿入口が5つあるんですけど。上の段の左側にお願いします。カードの向きとか裏表は関係ありません」
 ダッシュボードの上、真ん中より少し助手席側に寄ったところにカードリーダーが置かれている。上の段に2個。下の段に3個挿入口がある。上の段の右側には既に一枚カードが挿入されている。松田のものだろう。
 「ここね。面白いなあ。ETCみたいだね」
 「そうですね。関所を通るのはETCとほとんど変わりません。実際、私のカードはETCもつけてますので高速道路ではそのまま使えます。今日は一般道だから関係ないですけど確かに便利ですよね」
 「でも、ETCのようなものでちゃんと管理できるんだろうか?」
 「私も詳しいシステムは分かりませんが、ゲートに入ると1、2秒で乗車している人数を確認して人物も特定できるそうです。同時に車内に不審物がないかもX線か何かで検知するらしいです。ですから、バーの開くのがETCに比べると少し遅いですね」

 車は徐々にだが動いている。途中から道路は2階建てになった。私たちの車線が2階、対向車線は1階だ。2階建てになってからしばらく行くと道路が扇型に広がった。扇の要を過ぎて、全部で6ある列の右から2番目の最後尾に松田が車を付けた。
 「どの列に付けるのかはちょっとしたギャンブルなんですよ。車が少ない列の後に付けてラッキーと思っていたら先の車が出画審査でトラブって、延々と待たされたりするんで。逆にトラブった列を横眼に見ながらスムーズに抜けられるとちょっと得した気分です。人間小さいですかね」
 「分かりますよその気持ち。今日はうまくいくといいですね」
 「私は、勝どき関所ではいつもこの2列目ですね。ここでは引っかかったことがない。ゲンがいいんです」
 「なるほど。ところでゲートは6か所なんですか?」
 「勝どきは下りは6か所ですね。別にシャトルバス専用のレーンがあります。シャトルのレーンはゲートではなくてただのレーンですけど。上りは一般車両用のゲートが11か所あって、シャトルのレーンが1か所あります。上りは通勤時間帯に入画する車が集中するのと、入画の方がトラブルが多いからゲート数を多くしてあるらしいです。下りは時間帯が分散するし、トラブルも少ないからゲートも少なくていいんでしょうね」
 
 話している間にゲートが近づいてくる。ゲートの横に今は見かけなくなった高速道路の料金徴収員が入るボックスより少し大きめのボックスがあり、中に人が2人入っているのが見える。勿論料金の徴収などしていない。座っているだけだ。
 前方の車がゆっくりとゲートを通過していく。止められている車はここからは見えない。ゲートが近づいてくる。何だかドキドキしてくる。空港では何ともなかったのに不思議な気分だ。松田の車がゆっくりとゲートに入っていく。高速道路のETCよりも遅い。ボックスの警察官は二人とも無表情だ。カードリーダーがピッと鳴る。同時にゲートのバーが開く。これで終わりだ。ゲートを抜けた車は加速し扇の要に向かっていく。
 
 「あっけなかったですね」
 「でしょ。あんなもんです簡単でしょ。今日もついてました。プチハッピーという気分ですね」
 「でも、何かあったらあの警察官が出てくるんだよね」
 「そうですね。飛び出してきます。運転者や同乗者を職質します。車の中の検査はそのときはやりません。渋滞が起きますから。詰所から代わりの警察官がやってきてボックスに収まったら、車を詰所に連行していきます。結構手際よくて5分くらいで連行していきます。私の前の前の車が捕まったのを別の関所で見たことがあります。実際に見たのはそのときだけですね」
 「事件ぽかったんですか?」
 「よく分からないですけど。警棒持った警察官が怖そうな顔で運転者に怒鳴ってましたから。こっちは変に巻き添えを食いはしないかと冷や冷やでした」 
 「へえ。何だか物騒だね。考えたら現代の関所破りだもんな。江戸時代なら下手すりゃ獄門さらし首だ。とにかく今日は無事関所を通れて良かった。面白かった」
 
 車は隅田川を超え勝どきに入った。まだ晴海通りを走っている。正面の高層マンション群に圧倒される。橋を渡ると晴海だ。高層マンションの谷間の大きな交差点を左折する。谷間が続いている。
 「すごいマンション群だなあ。この辺りのマンションは値段も結構高かったんだろうけど画外になってガッカリしたんじゃないかな?」
 「ところが、このあたりは画外ではうまく対応した方ですね。もともとセキュリティー機能の高いマンションが多かったんで、機能を強化して簡単に要塞化できたみたいです。しかもこの辺りは水路で区切られてて、住民の所得レベルやマンションのグレードが大体同じくらいなので町ぐるみで警備会社と契約してしっかりと治安が維持されています。それに、都心に近くて便利だし、画内と違って自由な雰囲気も残ってるので居住権があっても画内に移らないで住み続けている人が多いようです。画外では珍しく成功している場所じゃないかな」
 
 車は緩やかに右に曲がって橋を渡り、さらに右折して直進するとまた橋を渡る。橋以外は埋立地特有の平坦な道だ。両側は高層から中層のマンション群に変わり、大型ショッピングモールの横を通り過ぎる。やがて正面に首都高湾岸線の高架が見えてきた。首都高の下をくぐって左折する。この辺りまで来るとさすがに風景が一変した。物流倉庫や低層のオフィスビルが並び、海側にはトラックヤードや資材置き場が広がっている。いい天気だ。
 「もうすぐ新木場に着きます。お疲れ様でした」
 「いやいや、疲れたのは松田さんの方だよ。僕は外を眺めていただけだから。お蔭で予定より早く着けて良かった。久しぶりに東京見物もできたし、関所も体験できたしね。本当にありがとうございました」
 左手に新木場駅が見えてきた。向かい側には高いオフィスビルが建っている。そこを過ぎると道の両側に倉庫や低層のビルが延々と並んでいた。その中に目指す東京工場があった。松田が慣れた調子で車を駐車場に入れた。


6.駆け引き
 国連は一国一票だ。超大国のアメリカやロシアも一票、南太平洋に浮かぶ人口1万人にも満たないツバルという国も一票だ。票の効力は平等だ。日本が長年援助を続けてきた発展途上国は日本に味方してくれる可能性が高い。2/3の国が賛成してくれる可能性も十分期待できる。

 ところがどっこい、そうは問屋がおろさない。日本に好意的な国ばかりではないからだ。ましてや日本が常任理事国になるなどもってのほかという国がある。例えば中国だ。その中国は常任理事国だ。中国一国でもその壁はとてつもなく高い。
 他の国はどうか?常任理事国のうちアメリカは日本が常任理事国入りすることは賛成だ。何故か?それは日本がアメリカの言うことをよく聞いてくれるからだ。いつも賛成してくれる従順な見方なら多い方が良い。
 イギリスはどうか?イギリスは基本的にアメリカが良いなら特に反対しない国だ。しかも国王、天皇と違いはあれ同じ立憲君主制をとる国同士、日本に対して好意的だ。
 フランスは微妙だ。日本のような東洋の島国がどうなろうと知ったことではないが、もし日本を認めてしまうとバランス上ドイツも認めざるを得なくなる。もしドイツが常任理事国になったら、これまで保たれてきたフランスとドイツのバランスが一気にドイツの方に傾いてしまう。これは嫌だ。
 最後にロシアはどうか?もちろん反対だ。アメリカの味方というよりアメリカの子分が一匹増えるのだ。賛成するはずがない。こんな状況だから常任理事国への道は険しく遠かった。

 東京オリンピックの翌年、新彊ウイグル自治区とチベット自治区で中国政府は広範囲で強硬な弾圧を開始した。大選手団をオリンピックに送り込んで国の威信を見せつけた中国だったが、国の財政事情は軍事費の増大が重石となって極めて深刻な状況に陥っていた。
 公表された数値を見る限り特段の問題はなく、経済もそこそこ順調に推移しているように見えた。しかし、無理に無理を重ねて膨張した経済はいつ弾けてもおかしくないまさに臨界状態だった。
 都市部では、バブル崩壊が秒読み段階に入り、政府関係者、国営企業、産業界、投資家、小金持ちたちの疑心暗鬼が渦巻き、国全体を暗雲が覆っていた。地方、農村部はさらに深刻だ。長年の農薬、化学肥料の大量投入と地球温暖化の影響で収量が激減し、飢餓が常態化していた。
 中国政府は、辺境のウイグル族、チベット族の土地に活路を見出すべく飢餓に苦しむ漢民族を大量に移住させ、権益の拡大を図った。同時に、民族の誇りである独自の言語や宗教を圧殺し、着々と中国化を進めていった。
 弾圧された側だって黙って見過ごせるはずがない。平和的なデモもあれば少々過激なものもあった。しかし、何らかの抵抗活動を行えば中国政府は彼らにテロリストのレッテルを貼り、容赦のない取締りと拷問で応酬した。弾圧と抵抗の連鎖が始まった。
 
 中国政府のあまりに強引なやり方にアメリカをはじめとする西側諸国はついに口を開き始めた。これまでは、対中貿易に影響が出ないように穏便にことを済ませてきた。しかし、インターネットを通じて世界に流出する人権侵害、人権弾圧の動画の多さにさすがに見て見ぬふりができなくなったのだ。
 しかも、経済の失速によって中国国内の市場としての魅力が薄れ、同時に人件費の高騰と相次ぐ労働争議で世界の工場としての地位も低下し、経済面で過度に配慮する必要性がなくなっていた。遠慮する必要がなければ人権問題に敏感な西側諸国は一斉に文句を言い始めた。
 国連、APEC、アセアン拡大外相会議、G7サミットなど様々な場で中国叩きが始まった。勿論中国も「明らかな内政干渉だ」として猛烈に反攻したが、経済の凋落とともに勢いは低下するばかりだった。

 この機を逃す手はない。日本政府は同じく常任理事国入りを狙うドイツ、インド、ブラジルと結束して国連加盟国への説得工作を開始した。多くの発展途上国は日本やドイツには借りがある。インド、ブラジルが入ることは発展途上国の仲間と思えば反対はしにくい。一つ一つ賛成してくれる国を増やしていった。
 一方、反対する国は中国ばかりではない。隣国だ。日本に対する韓国、ドイツに対するイタリア、インドに対するパキスタン、ブラジルに対するアルゼンチンなどだ。彼らは彼らで反対の説得工作を始めた。

 日本にとってもう一つ厄介な国があった。ロシアだ。日本とロシアの間には北方領土という避けて通れない難問があった。戦後のドサクサに紛れて手に入れた領土だったが、半世紀以上も占拠し続ければ領土と同じだ。簡単に返すはずがない。
 しかし、ロシアにしてもシベリア、極東地方の開発を進める上で日本の技術や投資は魅力的だ。これまでシベリア、極東開発では中国の力を利用してきたが、中国の侵食力は猛烈で下手をすると領土まで持って行かれかねない。ここは日本と中国を競わせてロシアがおいしいところを頂くというのが得策だと考えた。そんな思惑から領土の返還をチラつかせながら平和条約交渉を断続的に続けてきた。
 そうした中2023年、日本が画期的なメタンハイドレートの採掘技術を開発し、日本経済は復活を始めた。欧州経済崩壊の影響をもろに受け国民生活が困窮していたロシアにとって、日本は眩しく輝く国になった。
 中国にかつての勢いはない。何としても日本に接近したい。沿海州の沖合やカムチャッカ半島北部の沖合にはメタンハイドレートが大量に眠っている。日本から技術と投資を呼び込むことができれば、極東だけでなくロシア経済の復活につながるかもしれない。北方4島すべてを返す気などさらさらないが、歯舞群島と色丹島くらいなら返してやってもいいだろう。それに拒否権のない常任の理事国にしてやると言えば文句はあるまい。そう考えた。

 これで日本の準常任委理事国への流れができた。先ず常任理事国5か国によるハイレベルの非公式会合が始まった。
 アメリカとイギリスは歩調を合わせていた。日本とドイツは先の大戦後、民主主義国家として着実に発展してきたこと、国連に対して財政面をはじめ多大な貢献をしてきたことを考慮すれば常任理事国とすることに反対する理由はないというものだった。
 一方で、インドとブラジルに関しては、常任の理事国とすることに敢えて反対はしないが拒否権は与えられないというものだった。その理由は両国とも政治体制がいまだ不安定であり、責任能力も貧弱であるということだ。つまり常任理事国ではなく準常任理事国が妥当であるというものだった。

 ロシアは正反対だ。インド、ブラジルは常任理事国として認め、ドイツと日本は準常任理事国とすべきであるというものだ。理由は常任理事国の中に発展途上国の代表が中国以外に入っていないということだ。一方で、先進国はアメリカ、イギリス、フランスの3か国が入っており、現在の国連加盟国の構成割合からすると3か国でも多すぎるくらいで、ドイツと日本は準常任理事国で十分だというものだ。
 ロシアとしては、BRICSの盟主としてインド、ブラジルを常任理事国に加え、安全保障理事会での影響力を一層強める狙いがあった。

 中国はロシアとほぼ同じ主張だった。ただ一つ違うのはドイツはともかく日本が準常任理事国になることは絶対に認められないというものだ。理由は、日本は先の大戦の反省をしていないというものだ。
 最後まで態度を保留していたのはフランスだった。他の3か国に特に興味はないが、ドイツの常任理事国入りは絶対に阻止したい。しかし、そのような思惑は絶対に悟られたくない。結局4か国すべてを準常任理事国として認めるという決断をした。理由は、4か国ともそれ相応の力量は認めるが、拒否権を持つ国が一挙に4か国も増えてしまうと、ただでさえ混迷状態に陥りやすい安全保障理事会が完全に機能しなくなるというものだった。

 フランスの提案は、アメリカ、イギリス連合の提案とロシア、中国の提案の間を取った案でもあった。流れはフランス案でまとまるかに見えた。しかし、これに猛反対したのは中国だ。日本だけは嫌だ。準常任理事国とはいえ安全保障理事会に毎回日本が顔を出すことなど想像したくもない。そこで、アメリカ、イギリス、フランスに対して説得工作を続けた。先の大戦で日本はどれだけ極悪非道な行為をしてきたか。こんな鬼のような国を安全保障理事会の構成メンバーにしてはいけないと。ロシアは日本が準常任理事国になること自体好ましいとは思わないが、極東開発を考えると日本を敵に回したくはなかった。そしてダンマリを決め込んだ。

 中国は執拗に説得工作を続けた。しかし、ウイグル族、チベット族の問題を抱える中国の説得はなかなか功を奏しない。逆に「貴国の国内の混乱がこのまま続くようなら国連としても見過ごすことはできなくなる。民主的手段を用いて早急に問題を解決してほしい」と要請される始末だった。
 そして、2023年秋、常任理事国5か国のハイレベル協議においてフランス案が承認された。後は総会で2/3の賛成を得るだけだ。韓国、イタリア、パキスタン、アルゼンチンなど抵抗勢力は反対の説得工作を続けたがすでに勝負は着いていた。
 2024年の国連総会で国連憲章の改正、すなわち安全保障理事会の理事国の総数を4増やすとともに4か国を準常任理事国にすることが決議された。
 また、4か国が正式に準常任理事国となるのは2/3の加盟国が批准したときとするが、4か国については直ちに非常任理事国として選任し、安全保障理事会の主要メンバーにすることが併せて決議された。


7.東京工場
 「着きました。よろしければ挨拶だけさせて頂いて、それから内藤さんのところに行こうと思いますがいいですか?」
 「勿論。とはいえ僕も初めてなんで勝手がわからない。とにかく一緒に行きましょう」
 勝手を知った松田が先導し、駐車場に面した鉄骨造りの質素な3階建ての事務所に入っていく。事務所の横は大きな倉庫だ。工場らしい建物は見えない。
 
 「お早うございます。いつもお世話になっております。KPWの松田です。今日は芳野専務をお連れしました」松田が良く通る声で事務所に入るなり挨拶した。まるで秘書のようだ。事務所内の全員が振り向き、立ち上がった。
 「お早うございます。旭川の芳野です。皆さんには日ごろからご尽力いただき感謝しております。また、今日初めて東京工場に伺うことができて、皆さんのお顔を拝見でき嬉しく思っています。どうかよろしくお願いします」心の準備もないまま挨拶をした。
 事務所には中年の男性職員が2人、若手の男性職員が2人、中年の女性職員が1人、若い女性職員が2人いた。痩せた方の中年の男性職員が近づいてきた。作業服を着ている。私と同い年くらいだろうか。もう一人の太めの中年は電話中だ。私より若そうだ。
 「お早うございます。総務部長の三浦です。よろしくお願いします。今、工場長のところにご案内します。松田さんありがとうございました。ご一緒にどうぞ」
 「改めまして芳野です。よろしくお願いします」
 「ありがとうございます。じゃご挨拶だけさせて頂きます。このあと内藤さんのところに行かないといけないので」
 三浦が私たち二人を事務所奥の工場長室に連れて行ってくれた。工場長は白髪、長身の男だった。工場長だけは背広を着ていた。ニコニコ笑っている。社長の話では来年定年を迎えるとのことだが元気そうだ。
 「ようこそお越しくださいました。工場長の門脇です。お待ちしておりました。さあお座りください。松田さんもどうぞ座って」我々にソファを勧めたが、松田はこれから内藤木材に行くのでと言って挨拶だけして退出した。入れ替わりに太目の中年が入ってきた。作業服だ。
 「ご挨拶遅れました。営業部次長の市川です。よろしくお願いします」
 「こちらこそ、芳野です。よろしくお願いします」
 門脇工場長、三浦総務部長、市川営業部次長と私の4人がソファに座り、一通り世間話をして場が和んだところで、門脇が東京工場について説明をし始めた。
 
 東京工場という名前ですが今は工場はありません。勿論以前は工場がありました。主に北米産の丸太、特にカナダ産の丸太を製材していました。今は全て現地で製材して人工乾燥したものが北米から入って来ますので、製材を仕入れて販売するというのがうちの事業の柱になっています。木材問屋と言った方が実態に近いです。今のところ赤字は出していませんが業績は胸を張れるものではありません。
 東京工場の沿革については、本社でお聞きになっているかもしれませんが、昭和30年に東京支店として置かれたのが始まりです。わが社は北海道の会社ですから、最初のうちは北海道で製材したトドマツ、エゾマツとフリッチという広葉樹を粗挽きしたものを首都圏で販売する拠点として先代が出店を決めました。
 その後、首都圏の木材需要が爆発的に拡大しまして、木材の輸入が自由化されたので、北米から丸太を輸入して製材する事業に転換しました。そのとき名前も東京工場に変更したのです。
 しかし、その後、ご承知の通り製材での輸入が拡大し、国内で製材するメリットがなくなってきましたので製材工場を売却しました。その時に東京支店に戻した方が良かったのかもしれませんが、当時は東京工場という名前が定着していましたので、敢えて変更することもないだろうとそのままにして今日まできました。
 ただ、今後の首都圏の木材需要、特に住宅用の柱や梁の需要を考えると、画内で木造住宅が建つことは99%ありませんし、画外でも近郊は高層化が進んでいます。ですから、柱や梁を扱っていてもこの先商売になりません。その上で、今後の首都圏の事業戦略を考えないといけない。
 そこでわが社は何が自慢できるかと考えると北海道が母体であるということでしょう。幸い北海道産の広葉樹は内装材として今も根強い人気があります。また、トドマツ、エゾマツも内装材としては使いやすい素材だと思います。わが社には北海道という良いブランドイメージがありますので、これをうまく活用した事業戦略を立てられないかと思っています。
 また、本社で始めた住宅販売事業は出足が好調なようですが、首都圏でも画内に入ることを嫌う富裕層は結構います。彼らを主なターゲットにして、セキュリティー機能を備えたリゾート型住宅団地の建設が進んでいます。エリアとしては新幹線を利用して東京までのアクセスがドアツードアで2時間以内に限られますが、こういったところは有望な市場になるんじゃないでしょうか。そんなことを考えています。
 東京工場の名前については、今後の事業戦略の方向が定まってからそれにふさわしい名前に変えればいいと思っています。
 私は来年定年ですので、次の代で考えてもらうのが良いのですが、着手するなら早い方が良いし、幸い今は本社の業績が良いので、ある程度冒険も出来ると思います。
 私が東京工場にいる間に出来る限りの準備はしておきたいと思っていますが、私はこう見えて石頭なので、やはり新しい発想で臨んだ方が良いと思います。芳野専務は入社されて日は浅いですが、森や木材のことは詳しいでしょうし、業界の慣習に染まってらっしゃらないので、きっと良い方向を示して頂けると期待しています。どうか我々の力になってください。
 
 太宗このような内容だった。それに関連して三浦、市川が補足的に説明してくれた。その後、本社のこと東京工場のこと、今後の東京工場の事業の戦略について熱心に情報交換、意見交換を続けた。すぐに正午がきて、出前の鰻が届き、食べながら意見交換を続けた。
 2時近くになって、三浦が時計を見て「そろそろ挨拶回りに出かけて頂かないと」と門脇に伝え、門脇が「そうだ忘れてました。芳野専務には主な取引先だけですが、挨拶回りをお願いできますか?それから夕方6時半から工場の者全員で顔合わせ会を予定していますのでご参加をよろしくお願いします」と問うてきた。
 東京工場の概略はある程度頭に入り話も少し散漫になってきたころだった。頻繁に来られる訳ではないので、この機会に挨拶回りすることに異存はない。ひとまず会議を終えた。


8.派兵
 準常任理事国となった日本とドイツには当然のことながら拒否権はなかった。そのため、常任理事国と同等の絶対的な権限は得られなかった。しかし、当時国連の予算の11%と7%を負担する両国は、PKO予算の分担金を盾に、事実上の拒否権を手に入れることができた。一方、同時に準常任理事国となったインドとブラジルは、安全保障理事会に恒常的に議席を持つという名誉ある地位は得ることはできたが、権限は他の非常任理事国と大差はなかった。

 日本とドイツは先の大戦から80年を経てようやく国連で枢要な地位を得た。常任理事国と同等とはいかないがそれに次ぐ地位だ。両国に対する世界各国の見る目が変わった。国連の主要な会議には必ずメンバー国に加えられ、発言を求められた。日本の地位が一気に向上した。中国や韓国の苛立ちは如何ばかりだったろう。
 しかし、尊重される地位を得るということは、同時に責任がこれまでとは比較にならないほど重くなるということだ。これまでは分担金さえ支払っておけば良かった。しかし、これからは軍事的な責任まで負わなければならない。つまり世界のどこかの国の平和が脅かされ、平和が破壊され、又は侵略行為が始まったときに、日本とドイツは率先してこれに立ち向かっていかなければならない。見ず知らずの国の国民を守るために自国民の血を流す覚悟を求められるようになった。

 2001年9月11日に起こったワールドトレードセンタービルへの自爆突撃は世界に衝撃を与え、これを実行したイスラム系国際テロ組織アルカイダとこれと連携するタリバンの名が世界の人々の心に焼き付けた。同じ頃に組織されたISILは2010年代にはイラクからシリアの国境をまたぐ広範囲な地域を支配し、戦力の強大さ、行動の残虐性が世界を震撼させた。
 その後も、彼らイスラム系テロ組織は、米、英、仏、ロやアメリカが支援するイラク政府軍、ロシアが支援するシリア政府軍や反政府勢力と対峙するなかで盛衰を繰り返し、テロ組織同士の合従連衡を重ねていった。そして、2020年代中頃には世界各地に中小の組織が乱立する状況に陥った。
 一方、2010年代に混迷を極めたイラクは2020年代も混迷したままかと思われたが、2021年シリアの独裁政権が崩壊しシリア国内が大混乱に陥ると、主戦場がシリアに移り、ようやく小康状態が訪れた。
 
 2025年、日本政府はシリアに自衛軍を派遣した。国連平和維持軍PKFとして、武器を携行しての初めての本格的な派遣だった。日本が準常任理事国になるのと前後して自衛隊は国際的な呼び名と整合性を取るため自衛軍と名称を変更していた。
 以前なら、自衛隊を非戦闘地域に派遣するだけでも国会の内外で大もめにもめたものだが、この頃参議院は既になく衆議院一院で決議すればことは済むようになっていた。しかも衆議院は与党が圧倒的な議席を占めていた。自衛軍の派遣は即断即決で承認された。

 シリア第二の都市アレッポに入った自衛軍は、規律正しく秩序立って行動した。積極的に現地の言葉を覚え、現地に溶け込む努力を惜しまなかった。欧米の部隊のように現地人を見下すような態度は一切取らなかった。同じアジアの仲間を救うためにやってきたのだから。
 自衛軍の隊員の大半は、日本では貧しい家庭の子息だった。日本では活躍する場、自己の存在を確かめられる場所は見付けられなかった。しかし、シリアには自分たちを心から歓迎してくれる人たちがいた。頼りにしてくれる人たちがいた。隊員たちの意気はさらに上がった。
 「彼らは仲間だ、同胞だ。十字軍ではない」長きにわたる戦禍に疲れた現地の人たちにとって自衛軍は一筋の灯りだった。
 「ヤバニ(日本人)!ヤバニ(日本人)!」現地の子供たちは日本の兵士に手を振り、笑顔で兵士を取り囲み、仲良く写真に納まった。
 自衛軍は、高性能の武器と高度な技術力をもってテロ組織の支配地域を次々と奪還し、同時に現地の一般市民に食料を与え、住居を修理し、インフラを復旧していった。まさに和戦両様、大車輪の働きだった。自衛軍の存在感、期待感は日を追うごとに増大していった。

 日本軍は欧米の部隊以上に手ごわい。テロ組織は当然のこと危機感を覚えた。
 アレッポ近郊の村に進駐し、休息を取っていた自衛軍の兵士のもとに「ヤバニ!ヤバニ!」と手を振りニコニコと笑いながら母娘が近付いてきた。兵士は手元の黒糖飴の袋に目をやり、現地の人の口に合うだろうか?と思った。瞬間、高音と閃光が兵士を襲った。兵士の姿は消えた。母娘も消えた。自衛軍最初の犠牲者だった。
 これからは安易に地元民を近付けてはならない。安易に彼らと接触してはならない。近付く者はまず持ち物を検査し、危険な物を所持していないことを確認せよ。事件後数日してから出された司令部の指示だ。方針は大転換された。
 しかし、司令部の指示が出るまでもなく、兵士たちの現地人を見る目は変わっていた。いつ自爆テロに遭うか分からないのだから。今や現地人は全て自爆テロに見える。とにかく現地人を近付けないようにすることが一番だ。

 最初の犠牲者が出た4日後、アレッポ市街で警備に当たっていた自衛軍兵士たちのもとに3人の男の子が「ヤバニ!ヤバニ!」と叫びながら走ってきた。彼らは手に何かを持っていた。それを兵士たちに向けた。「撃たれる!」兵士たちは咄嗟に自動小銃をかれらに向け、引き金を引いた。3人が崩れた。手には現地の人たちの好物のパイ菓子の包みが握られていた。
 警備に当たっていた兵士の中に1週間前にチョコレート菓子をくれた親切な日本軍のお兄さんがいた。彼らは母親が焼いた自慢のパイ菓子をそのお兄さんに食べてもらいたかっただけだ。それなのに殺された。日本人に。
 「日本人も十字軍の仲間だった。結局彼らは自分たちの敵なのだ」自衛軍に対する現地の人々の視線が親しみから疑い、疑いから憎しみに変わっていった。日本人兵士と現地住民双方の疑心暗鬼が増幅していく。自衛軍が進駐した土地では、現地住民との小競り合いが起こるのが当たり前のようになった。ときには衝突に発展し、回数は少なかったが自爆テロも起きた。そして、シリアから遠く離れた太平洋に浮かぶ島国日本をテロリストが標的として捉えはじめた。


9.市川次長
 挨拶回りは市川が同行してくれた。市川は営業部次長だが、門脇が営業部長を兼ねているので、実質営業部を取り仕切っているようだ。明るくて屈託のない男だ。
 「市川さんは北海道出身なの?」と聞いてみた。
 「いえ、東京です。中野ですから東京っ子ですね」
 「へえ。うちは北海道の会社なのに珍しいね。どうして入ったの?」
 「オヤジが北海道の旭川出身で、会長とは遠い親戚筋にあたるらしくて、その縁ですね。私は自分でいうのも何ですが都内の三流大学を出てまして。卒業してすぐに関東圏を地盤とする中堅食品スーパーに就職しました。私の性に合っていたのか仕事が面白くて、やり甲斐があって、売り上げを伸ばして、同期の中で一番最初に店長になりました。まあ同期と言っても高卒6人、大卒3人だけですけど。で、33歳になったときに結婚しまして。相手は高校時代に付き合ってた彼女です」
 「えっ?初恋の相手とそのまま?純情だなあ」
 「そんなんじゃないんです。私もいろいろありました。自慢じゃないですが都内某三流大学ですから。純情と言われると沽券に関わります」
 「それって沽券というのかな」
 「そうですか?まあいいや。それで、大学時代もいろいろあって、食品スーパーに勤めてからも取引先の女の子とか、店のレジの女性とかとも・・あんまり言うと評価下がりそうだ。危ねえ。なんか芳野専務って話しやすいですね。ついつい余計なことまで言っちゃう」
 「まあ何でも言って。今は真面目にやってんだろうから。昔のことはあまり気にしなくていいよ」
 「そうですか?ありがとうございます。今は一所懸命にやってます」
 
 「それで、結婚したという話の続きだけど」
 「そうそう。それですよね。で、仕事の方はわりかし順調で、北関東でも売り上げの大きい店を任されて頑張ってました。それでそろそろ身を固めようかなと思い始めた頃に、久しぶりに中野の実家に帰ったんです。その時中野の商店街でバッタリ彼女と鉢合わせて。何しろ高校出てから二度くらい会って、そのまま何となく別れて、それから11年振りくらいですから。お互い「あっ!」って言って、その後「久しぶりっ!」って言って、お茶して、自分のこと彼女のこと話して。聞いて、話して、聞いて、何だかいいなと思って。でも、彼女一度結婚してて、その後離婚してて。前の旦那との間に男の子が一人いて、その頃は中野の実家に子連れで居候してるっていうような話をして」
 「うんうん。で、市川さんは悩んだわけだ」
 「いえ大して悩んでません。三流大学ですから」
 「じゃ一気に結婚?」
 「まあ、大体はそうなんですけど。彼女が離婚したのは前の旦那の浮気なんです。単身赴任中に女作って、あっちに子供まで作って。その後はよくあるドロドロですよね。結局別れてひと段落したんですけど。だから結婚するなら単身赴任は絶対嫌だということで」
 
 「そりゃそうかもね。でも難しいよなあ、ずっと東京という訳にもいかないだろうしね」
 「でしょ。それにあの頃、食品スーパーの襲撃事件が全国で起こったでしょう。私の会社も何店舗かやられました。私の店は大丈夫だったんですけどね。その分すごく気を使いました。私が苦情処理を専門にやって、円形脱毛症になって激ヤセして。でも、食品スーパーっていう仕事は嫌いじゃなかったんで死に物狂いで頑張りました。まあそんなこともあって、この際東京で腰を落ち着けて人生やり直そうかと思いだして、なんていうとちょっと大げさですけど」
 「なるほどね。そういえばあの頃そんなことがあったね。一時的だったけど。このままいくと飢え死にする人が出るんじゃないかと心配になった。僕は森林局だからあまり関係なかったけど、食料関係の部局の人間は大変だったね。農務省の周りは連日デモ隊に囲まれるし、街宣車は走り回るし、庁舎に火炎瓶が投げ込まれたり、異臭騒ぎがしたりで。担当の何人かが追い込まれて亡くなったなあ。今じゃすっかり忘れて、またノー天気にやってるけど、本当に日本人て学ばないよね。それはそうと、何でうちの会社にしたんだっけ?」
 
 「そうそう、それでしたよね。で、東京で勤め口を探そうということになったんですけど、あの頃はめっちゃ景気が悪くて。三流大学卒の中途退職者を採用してくれるところなんてそう簡単に見つからないでしょ。そしたら、オヤジが新木場の材木屋さんで営業ができる人間を探してるのでお前行ってみないかって言ってきて。材木なんて分からないって言ったら、そんなもの行きゃあわかる。そんなこと言ってられる身分かって言われて。で、まあどんな会社か見に行くだけは行ってやろうということで来てみたら。何とも地味な場所に地味な会社があって。こんなとこで営業?って思ったんですけど。町中に木の匂いがしてて、なんかいいなって思って。私は物を売るのが性に合ってるんで、こんな地味なとこで材木みたいな地味なものを売るってどういうことなんだろうって少し興味が湧いてきて。で、工場長、その時は営業部長でしたけど、本当に木が好きな人なんですよね。木のことをいろいろ教えてくれて、そんなこんなでやめるにやめられなくなっちゃったという訳です」
 「案外そんなものかもね。で、入って良かった?」
 「ええ。大会社じゃないけど、皆さんいい人ばかりで。お得意さんも面白い人多いし。まあ給料は安いですけど」
 「どこに住んでるの?」
 「今は、東陽町に住んでます。会社に入ったころは中野だったんですけど、画ができて通勤が不便になったんで越してきました。職場が近くて助かってます。女房と子供と3人仲良く暮らしてます。でも、子供ももうすぐ一人前になるんで、そうなったら、せっかく北海道の会社に入ったんだから、一度は北海道で働かしてもらえるようにお願いできないかなって思ってます。もちろん女房も連れて行きます。彼女も北海道なら一度は暮らしてみたいなんてのんきなこと言ってます」
 「そりゃ頼もしいね。是非おいでよ」


10.ハロウィーン事件
 2026年10月31日ハロウィーンの夕刻、汐留にある高層マンションで死者214名に及ぶテロ事件が起こった。このマンションには米国系企業の幹部や自衛軍の幹部が複数居住しており、そのことがテロの標的になったと考えられている。しかし、居住者に占める米国系企業や自衛軍の幹部の家族の割合は数パーセントにすぎず、犠牲者の大半は彼らとは何の関係もない家族だった。

 このマンションに米国系企業や自衛軍の幹部が居住していたのは、施設のセキュリティー機能が高く、管理体制も群を抜いて厳格だったからだ。しかし、これまで日本国内で大規模なテロ事件が発生したことはなく、いかに厳重な警備体制を誇ったとしても、どこかでテロの脅威を甘く見、隙があったのかもしれない。
 テロリストたちは、この日が電気系統の定期的な点検日であったことを事前に察知していた。当日、マンションに向かう電気設備会社の作業員の乗った車を3人のテロリストが襲撃し、彼らを別の場所で殺害した後、作業員に成りすまして易々とマンション内に侵入した。いつもは静かなマンションで、仮に不審な行動があれば容易に気付いたはずだが、この年のハロウィーンは土曜日と重なっており、いつもの年以上に仮装した子供達や若者がマンション内を行き来し、注意が行き届かなくなっていた。
 3人は、地下の電気室、機械室、倉庫などに時限爆弾と発火装置を仕掛けた。3人がマンションを退去した30分後に爆弾が破裂し、火焔が立上った。火災による有毒ガスも館内に充満していった。爆弾には建物を崩落させるほどの威力はなく、地下室の壁の一部と1階フロアのドア、窓ガラスなどを吹き飛ばしたくらいだったが、館内の電気設備、水道の配管等の機能を完全に停止させた。
 このため、爆発による直接的な犠牲者は10人前後だったが、館内に充満した炎と有毒ガスが土曜日の楽しい夕食を待つ多数の善良な市民を犠牲者にした。

 事件後、警視庁は直ちに地元の愛宕警察署に特別捜査本部を設置し、公安部と刑事部から大量の警察官を投入して大規模な捜査を開始した。すぐに電気設備会社の車が作業員の遺体とともに豊洲ふ頭の海底から発見された。電気設備会社社員に扮した犯人と思われる3人の顔もマンション内に張り巡らされた防犯カメラがはっきりと捉えていた。現場検証では時限装置とみられる時計や乾電池も発見された。使われたプラスティック爆弾の種類も特定できた。犯人を特定するのは時間の問題と思われた。

 事実、犯人はすぐに特定できた。犯行の3日後に犯行声明がインターネット上に掲載されたからだ。遠い異国の地シリアでアップされたものだった。声明を出したのは政情が不安定な複数の国で勢力を伸ばしていたイスラム系テロ組織ムスリム連合MCだった。
 「日本は愚かにも十字軍の仲間になった。お前たちは我々の国に攻め込み、罪のない子供たちや女を殺した。我々はお前たちを赦さない。これはジハードだ。日本人たちよ思い知るがよい。これは始まりにすぎない。お前たち日本人が本当の恐怖を味わうのはこれからだ」
 MCが掲載した映像の中に爆弾を仕掛けた現場のものが挿入されており、その映像を分析した結果爆破されたマンションに間違いはなく、犯行はMCの手によるものと断定された。


11.新宿
 市川の話を聞きながら東京工場周辺のお得意先を回り、さらに木場から浦安に足を向けた。
 「芳野専務、新宿って最近行ってないでしょ」
 「なんだよ出しぬけに。真面目にやってんじゃなかったのかよ」
 「いやいや真面目な話なんです。画ができたでしょう。それでどこが変わったって言っても新宿ほど変わった場所はないですよ。昔はあっちの方で結構お世話になったんですけどね。今はそんな面影はまったくない。静かな年寄りの町になっちゃった」
 「なんだそりゃ?あの新宿が年寄りの町?」
 「特に歌舞伎町界隈ですね変わったのは。画ができて画内の風俗の取り締まりは無茶苦茶厳しくなりましてね。しかも、画内はどちらかと言えば品行方正なお金持ちしか住めなくなったでしょう。画外のやんちゃな人間は夜遅くまで画内でウロウロできないし。それで歌舞伎町界隈の風俗とか飲食店はあっという間につぶれるか画外に出ていきました。それが歌舞伎町の周辺にまで広がって」
 「なるほど。ある意味画の被害者だな」
  
 「そうですね、ボラれた経験のある連中にしてみたらざまあ見ろと言うでしょうね。で、跡地の再開発計画ということになるんですけど、何しろ歌舞伎町はあのイメージですからオフィスビルを建てたってテナントが入ってくれるかどうか分からない。ということで、3種の金持ち年金グループを当てにしたマンションが次々と建てられましてね。今では歌舞伎町は健康老人たちの朝型の街になっちゃった。朝早くから公園でラジオ体操とか太極拳やってるし、昼間はウォーキングに犬の散歩。夜も8時頃までは結構賑やかですよ。ただ、年寄りは寝るのが早いから9時過ぎれば一気に静かになります。画内だから安全だし、都内のどこに行くにも便利だし、まさに年寄り天国ですよ」
 「そういえばKPWの社長も山谷に住んでるって言ってたよ。今は北斗って町名らしいけど。昔なら山谷で暮らしてるなんて言ったら、借金踏み倒して身を潜めてるのかって思うよな」
 「そうですよね、画が出来て一番変わったのは、歓楽街とか風俗の街とか山谷のようないわく因縁のある街でしょうね」

 木場、浦安方面のお得意先を5社ほど回って新木場に戻ってきた。市川はどこの社に行っても人気者だった。良い人間関係を築いているようで一安心だ。
 「今日で主なところは全部回れたと思います。お疲れ様でした。しばらく事務所でお休みになってください。このあと皆でタクシー分乗で門前仲町の居酒屋に行きますので」


12.捜査 
 MCが関与していることは判った。次は3人の実行犯を特定し逮捕することだ。そして、実行犯に犯行を指示した者、犯行に加担した者たちを一網打尽にしなければならない。
 マンション内の防犯カメラに映っていた3人は、勿論目だし帽などかぶってはいなかった。ただ、3人とも帽子を深めにかぶり、メガネをかけひげを生やしていた。
 この3人とはマンションの管理人が応接していた。電気設備の点検にはいつも3人のスタッフが来ていた。3人はいつも同じメンバーという訳ではなかったが、リーダーはいつも田畑という男だった。
 しかし、この日は3人の中に田畑の姿はなかった。3人の中の一人が「田畑さんたちは別のオフィスビルで大きなメンテが入ってそちらに応援に行ってまして。今日の定期検査は我々3人でやることになりました。私、庄田と申します。ここは始めてですが、勿論免許は持ってますし、ビルは1年、マンションは3年の経験がありますので検査はしっかりやらせて頂きますので安心してください」と丁寧に挨拶してきた。
 3人は電気設備会社の制服を着て、帽子をかぶっていた。庄田という男は愛想が良かったが、残る二人は不愛想だった。ちょっと嫌な感じがしたが、今時の若者らしいとも思った。ただ、その日がハロウィーン当日で、昼過ぎからは仮装した子供たちや若い母親の出入りが激しく、どうしてもそちらの方に気を取られてしまっていた。3人と接触したこの管理人は、爆発があったとき偶然1階詰所の奥で夜勤の管理人への伝言メモを整理していたため、爆発の被害には遭わず有毒ガスを少し吸っただけで済んだ。
 
 帽子をかぶり、メガネをかけてひげを生やしているとはいえ、防犯カメラには顔が明瞭に映っていた。管理人の記憶もしっかりしていた。このため3人の似顔絵はかなり正確なものが描けた。また、庄田と名乗る男は、訛りのない標準語をしゃべり、外国語訛りなど全くなかったと管理人が証言した。残る二人についても管理人の印象は日本人に間違いないだろうというものだった。
 3人は日本人である公算が大きい。また、今のところ国外に逃亡した形跡はなく、事件の後、首都高や都内の防犯カメラからも不審な車は察知できなかった。捜査当局は、犯人は多分首都圏、しかも犯行のあった港区からそう遠くないところに潜伏しているとみて、東京の都心部から23区及びその周辺に大規模な捜査を展開した。
 また、MCに関連するサイトへのアクセス履歴などのデータが捜査当局に提供され、調査、分析が進められた。その結果、アクセス履歴が複数回あった200人弱が浮かび上がり、アクセスの頻度、職業、経歴、年齢等をもとに30人の人物が絞り込まれ、極秘裏に周辺への聞き込みや尾行、盗聴が行われた。
 
 事件が発生して15日後、3人の身元が特定され、即時、逮捕状が請求され、治安に重大な影響を及ぼす者として特別指名手配された。
 庄田と名乗っていた男の年齢は33歳、勿論本名ではなく、住所は杉並区内のアパートになっていた。アパートは田坂という偽名で借りていたが家賃の滞納などの問題は起こしておらず、隣近所とのトラブルもなかった。というよりも隣人は全て独身または単身の学生かサラリーマン、アルバイトなので日中顔を合わせること自体無かった。聞き込みをするにしても日中は誰もおらず、夜間でも反応のない部屋が多かった。
 庄田と名乗った男は、東京23区内の新興下町で生まれた。子供の頃から成績は良く運動もできる活発な子供だった。しかし、小学6年生の時に父親を労災事故で亡くし、その影響で母親が情緒不安定になった。しかも、労災事故に対する十分な補償がされなかったため家計は相当苦しかったようだ。
 それでもアルバイトをしながら都立高校を卒業して都内の国立大学に進学し、奨学金とアルバイトを糧に5年かけて無事卒業した。しかし、卒業したときに志望していた企業のどこからも内定の通知はもらえなかった。
 やむなく塾の講師のアルバイトを続けながら就職活動を続けたが、事実上の門前払いを受けることが多く、いつの間にか塾の講師が正業のようになっていた。そして、30歳の誕生日に突然塾を辞め、語学留学を目的としてロンドンに渡った。そして半年前に帰国していた。
 なお、ロンドン滞在中に、観光目的でヨルダンに3回渡航していたが、その間の行動については把握できていない。

 残る二人のうちの一人は千葉県市川市で両親、妹と暮らす26歳のアルバイト、もう一人は埼玉県和光市在住の学生だった。市川市在住の男は、千葉県内の工業高校を卒業して一度県内の中小企業に就職したが3年後に会社が倒産した。その後は長期短期のアルバイトを転々としていた。目立ったところのない男で、職場でトラブルを起こしたこともなかった。辞めるときも特に理由は言わずにただ辞めさせてほしいと言って辞めていったそうだ。当時の同僚に聞いてもほとんど記憶がなく、一緒に働いていたことすら忘れている者もいた。

 和光市在住の男は、福岡県出身で東武東上線沿線のアパートに一人で暮らしていた。東京都内の私立大学に籍を置いていたが、近ごろは殆ど大学には来ていないようだった。家は裕福な方ではなかったが、第一志望の大学に合格できたため、上京してすぐに住み込みのアルバイト先を見つけ、大学に通い始めた。演劇サークルに所属し、舞台の設営なども先輩の指示に従い真面目に取り組み、出番のほとんどない端役でも熱心に役作りに励んでいた。
 しかし、2回生の春休みに中東に3週間ほど旅行に出かけ、帰国後しばらくしてサークルを辞めた。サークル仲間には演劇への興味を失ったと言っていたが、辞める理由は具体的に言わなかった。仲間は中東への旅行が彼を変えたに違いないとは思ったが、本人が何も言わないので、引き止めることもしなかった。その後、学内で彼の姿を見ることもなくなった。

 3人の接点はすべてがインターネットだった。MCに関係がありそうだということを除けば3人の間に共通するものは何もなかった。犯行前に一度顔を合わせただけで、それ以前にどこかで一緒に何か行動したという形跡は確認できなかった。
 3人に逮捕状が請求され、家宅捜索を行ったときに市川市の男の自宅からパソコンが押収された。パソコンの解析から、事件は庄田と名乗る男がMCジャパンの幹部二人と共謀して計画を練ったこと、市川市の男と和光市の男の二人は事件の2日前にMCジャパンの指示を受けて杉並区の庄田のアパートに出向いたこと、そこで初めて3人が顔を合わせたこと、その時、MCジャパンの幹部は同席していなかったことが判った。

 捜査当局はMCジャパンの幹部二人も特定した。そして、即刻特別指名手配した。庄田はナンバー3だった。トップは在日ムスリムで、13年間日本で暮らし日本人の妻がおり永住権も取得していた。ナンバー2は首都圏の私立大学の文学部史学科で中東の近現代史を教える助教だった。3人はいずれもイスラム教徒だった。ただ、どこかの時点でイスラム教の教義から大きく外れてしまったのだ。残る実行犯の2人がイスラム教をどの程度信奉していたのかはわからない。しかし、アクセスの履歴を見る限りMCに傾倒していたことは違いないだろう。
 実行犯の二人以外にも、MCの関連サイトに頻繁にアクセスしていた者28人の周辺を捜査したが、このうち21人については事件に直接結びつくような証拠は得られず不審な動きも見られなかった。残る7人は所在が確認できなかった。7人全員かそのうちの何人かは事件に関与している可能性が高かった。ただ、7人に対して逮捕状を請求するだけの裏付けは得られなかった。


13.門前仲町
 事務所で工場長と雑談しているとすぐに6時を過ぎた。事務所のメンバー8名と私の総勢9名がタクシー3台に分乗して店に向かう。門前仲町といっても駅からはかなり離れたところにその店はあった。居酒屋ということだったが店構えは料亭のようだった。立地は少々悪いが魚料理に定評のある店らしい。
 工場の人たちと酒を酌み交わし、全てのスタッフと自己紹介をし合い、楽しい時間が過ぎていった。 
 いつの間にか時計の針が9時を回っていた。ホテルのフロントの女性は10時頃には画内方面行きの電車が無くなると言っていた。今夜は一人で入画しなければいけない。なにしろ経験のないことだからそろそろホテルに向かった方が無難だろう。工場長に断わってから、皆に挨拶する。
 「盛り上がっているところ申し訳ありませんが、終電の時間が心配なのでそろそろ宿に戻ろうと思います。今日は工場長をはじめ皆さんと親しく歓談できて本当に楽しかった。ありがとうございました。まだ、料理もお酒も残ってますので、皆さんはどうぞごゆっくりしていってください」と言って腰を上げた。
 「大丈夫ですか?この辺りは人通りも少ないので心配だな。送っていきますよ」市川が言う。
 「大丈夫、大丈夫。門仲は何度か来たことがあるし。店の前の道を真っ直ぐ行けば大通りに出るし、そこを左に曲がれば門仲の交差点が見えるでしょう。女の子じゃないんだから。それに市川さんが抜けたら場が白けてしまう。大丈夫だから」
 「そうですか?心配だなぁ」
 「大丈夫、大丈夫。ところで会費は?」
 「会費は工場長持ちです。というか工場の経費で落とします。今日は特別です。社外というか工場のメンバー以外のお客様との懇談はオッケーです。でも、一応本社には内緒にしておいてください」
 「それは申し訳ない。でも本社も同じようなルールでやってるから問題ないよ」
 
 心配する市川を振り切って外に出た。酒に火照った顔に3月の夜気が冷たい。挨拶回りの途中、車の中は少し暑く感じたくらいだったが、夜になると冷え込んでくる。暗い夜道を大通りに向かって足早に歩く。
 突然、横の路地から若い男が二人出てきて道をふさいだ。横をすり抜けようとすると胸をドンと突かれた。転びそうになるのをこらえて体勢を立て直した。片方の男の手元が光っている。ナイフを持っているようだ。
 「何だ、君たちは。何の用だ」
 「お前は画内の人間だろう。ここはお前らの来るところじゃない。目ざわりなんだよ」
 「君たちに文句を言われる筋合いはない。しかも私は画内の人間でもない。北海道だ。君たちこそ邪魔するんじゃない」
 「ダメだね。スーツなんて着やがって。何様だあ?金持ってんだろ。出せよ。通行料だ」
 「何が通行料だ。馬鹿を言うな。それに私は現金なんて持っちゃいない」
 これ以上関わりたくない。とにかく店に戻った方が良さそうだ。ゆっくり後ずさりを始めたら、背中をドンと突かれた。後ろにも悪いのが二人いた。
 
 不味い、はさまれている。どうやって逃げるか。前後どちらかに強行突破するしかなさそうだ。前はナイフを持ってるからリスクは大きい。やるなら後ろの奴らを突き飛ばして店まで一気に走れば何とかなりそうだ。
 
 「こらっ!お前ら何やってる!警察だっ!」良く通る市川の声だった。事務所の若手二人も一緒だ。「覚えてろ!」月並みな捨てゼリフを吐いて四人が逃げて行く。助かった。
 「やっぱり送って行けば良かったですね。何となく気になって出てきたら遠くで芳野さんが囲まれてるんだもの。若い衆二人を引き連れて助太刀参上つかまつったという訳です。やっぱり気を付けないと。あいつらはチンピラだから可愛いもんですけど。スーツ姿はやっぱり狙われるんだなあ。まあ、何事も無くて良かったです。もう大丈夫でしょうけど門仲の駅までお送りします。君たちは戻っていいよ」若手二人を返す。
 
 「いや、申し訳ない。今朝もKPWの松田さんから注意されたんですが、まさか自分がこんな目にあうなんて。僕も甘いな。でも、スーツ着てるだけで何でこんな目にあわなきゃならないんだろ。高級品でもなんでもないのに」
 「以前はこんなことなかったんですけどね。画が定着してからは画外の人間にとって画内は自分たちには縁のない天国のような場所になっちゃったんですよね。その分画内の人たちに対する反感も芽生えてきて。この辺りも画内で働いている人は沢山いるけど、彼らは画内に住んでる人間から顎で使われてるって、しかも安い賃金でこき使われてるって感じるみたいです。中には、まるで奴隷扱いだっていう奴までいる」
 「そんなにひどいのかなあ?」
 「実際は画内も画外も給与水準は変わりません。むしろ画内の方が少し良いみたいです。でも、画内に住んでいる人たちは給与水準が高いから、格差についつい目がいってしまうんでしょうね。それに、画内で働いている人間の中には、不満があるくせに画内で働いてることを自慢するところがあって。画内に入ったことのない人たちに、画内は豪華な高層ビルが林立してて、高級ブティックが並んでて、公園は綺麗に整備されてて、カフェでお茶してるのは美人ばっかりで、街を歩いている連中は高級スーツを着てて、皆美味しいものばっかり食べて、高い酒を飲んでなんて、断片的な情報を大げさに話すものだから。それで、羨ましさとか憧れとか憎しみとか色んな感情が段々と膨らんでいくんでしょうね。特に10代後半から20代始めの人たちは。確かに彼らが画内の住人になる確率はほとんどゼロですからね」
 
 しゃべっているうちに門前仲町の駅に着いた。時計を見ると10時近い。電車はまだあるだろうかと心配になる。
 「今日は最後の最後までお世話になりました。今度来るときは画外仕様できめてきますよ。市川さんも奥さんや子供さんを連れて是非一度北海道に遊びに来てください。歓迎しますよ。じゃ、終電に乗り遅れるとまずいのでこれで失礼します。工場長や皆さんによろしくお伝えください」


 14.カラマツ林
 最初の特別指名手配が出て10日後、11月24日の火曜日、奥多摩山中で二人の男の遺体が発見された。登山者が近道をしようと通常の登山道をそれた踏み跡を10mほど入ったところに大きく埋め戻された跡を発見し、不審に思って近くの派出所に届け出たのだ。二人は裸の状態で所持品はなく、身元確認に手間取るかと思われたが、埋められてから発見されるまでの時間が短かったため身元確認が迅速に行われ、3日後には実行犯の二人であることが確認された。周囲に庄田の遺体はなかった。

 その後、首都圏を中心に捜査が全国的に展開されたが新たな発見はなかった。MCのサイトもその後しばらくはこの事件に関する発信はしなくなった。捜査は膠着状態に陥った。
 初期の捜査で所在のつかめなかったのは7人だったが、そのうち4人はその後所在が確認され、MCとの関わりは否定できないものの事件との直接的な関係は無いものと断定された。残る3人は依然所在不明のままだった。 
 一方、初期の捜査で網に掛ったものの関係なしとされた21人について洗い直しが行われた結果、二名がその後の行動、インターネットの通信履歴、スマホの通話内容から事件に関与している可能性が極めて高いことが判明した。
 捜査当局は、この二名に任意同行を求めるとともに、所在のつかめない三名の逮捕状を請求した。
 まず、所在のつかめない三名の自宅を家宅捜索した結果、一人の家の倉庫に爆弾を作るのに必要な薬品が保管されていることが確認された。また、離れで爆弾を製造したと推定される化学反応が検出された。残りの二人の自宅からは爆発事件に直接関与していたことを裏付けるものは出なかったが、動静を把握されている二人とは面識があることを裏付ける証拠が出た。捜査の結果、彼ら4人はMCジャパンの活動資金の調達を任されるとともに、兵士としての訓練を山梨県の山中で受けていたようだった。
 任意同行を求められた二人に対する取り調べは苛烈を極めた。国家の威信がかかっていた。任意同行とは名ばかりで、情け容赦ないとはこのことだ。一人が、警察官が5分ほど部屋を空けたすきに隠し持っていた青酸カリを飲んで自ら口を閉ざした。取り調べが集中したもう一人が決定的な証言をした。知り合いの別荘が山梨県内にあるという。奥多摩からもそう遠くないところだった。
 6人全員か少なくとも一部の者が潜伏している可能性が高い。当然、武装していることだろう。

 12月28日月曜日の早朝、カラマツ林は既に葉を落とし地面にはうっすらと雪が積もっていた。曇り空に小雪が舞っていた。別荘を機動隊が幾重にも取り囲んだ。勿論別荘からは見えないように。
 電力会社の車が新雪に轍を付けて別荘に近付きそして止まった。制服を着た二人の中年男がツールボックスを片手に別荘に向かう。一人がドア横のインターホンを押した。応答はない。もう一度押す。応答はない。別荘のなかに人の気配はなく灯りも点ってはいない。二人はゆっくりと別荘の裏手に回る。薄く積もった雪に足跡が付く。勝手口を見つけ、ドンドンと叩く。静かなままだ。勝手口の右上に電力メーターがあった。メーターの円盤は回っていた。中に人がいる可能性が高い。別荘の持ち主の名前を大きな声で呼ぶ。「お留守ですか?東京電力ですが。どなたかいらっしゃいませんか?」ガチャガチャとドアノブを回す。鍵が掛っている。「いらっしゃいませんか?また、明日伺います」と大声で言って表側に回り、電力会社の車に乗って元来た道を帰って行った。

 電力会社の制服を着た男が6人歩いて別荘に近づいてくる。その中に先ほど来た二人もいる。6人とも大きなツールボックスを持っている。3人ずつに分かれ玄関と勝手口の前に立つ。同時に両方のドアを蹴破った。中からダダダダッ!!ダダダダッ!!と弾が飛び出してきた。玄関で先頭にいた制服の男が弾き飛ばされた。勝手口で先頭にいた制服の男は咄嗟にドアを離れて撃たれずに済んだ。制服が玄関、勝手口、窓、ベランダから中に向かって応戦するパンッパンッパンッパンッ!!!いつの間にか別荘の周りをジュラルミンの盾が取り囲んでいる。中からダダダダッ!!と乱射してきた後、ドンッ!!という轟音とともに別荘が膨らみ、窓やドアから火炎が噴出し、破片が四方に飛び散った。ジュラルミンの壁が吹き飛ばされた。
 
 この事件で、警察官6人が死んだ。後日DNA鑑定の結果、別荘に潜んでいたのはMCジャパンのトップの在日ムスリムと所在がつかめなかった三人のうちの一人だった。
 残りは4人だ。別荘近くのコンビニや周辺道路の防犯カメラの画像を解析したところ1台の車が頻繁に映し出されていた。車種が特定された。この情報は極秘中の極秘とされた。年が明け、お屠蘇気分を締め括る成人の日の1月11日。ハッピーマンデーの午後、首都圏で一斉検問が行われた。狙いは表向き飲酒運転撲滅だ。
 網にかかった。車のシートの下から爆弾が発見された。運転していたのは同じく所在をつかめなかった三人のうちのもう一人だった。助手席にはナンバー2の助教が座っていた。抵抗する術はなかった。
 二人を徹底的に締め上げた。前回の失敗があるので所持品検査は尻の穴までしっかりとやった。残る二人の行方をなんとしても掴まなければならない。あと二人を逮捕できれば、この大事件は一山越える。しかし、二人は口を割らなかった。二人とも同じ言葉を発した以外は黙秘を続けた。「恐怖はこれからだ」残る二人、庄田と名乗る男と爆弾を製造していた男は完全に姿を消した。


15.シャトル
 手短に挨拶を済ませ、お気をつけてという市川の声を背中に受けながら階段を駆け下りていく。電車は間に合うだろうか。改札口の発車票を見る。間に合った。永代橋駅行の最終は10時13分発だった。時計は10時を回ったところだ。改札口で国民カードをタッチしてホームに向かう。改札口付近には人影がない。先ほどのことがあったので不安になるが、駅事務所の窓越しに駅員が二人見えたので少し安心する。エスカレータでホームに降りていく。門前仲町の駅は永代橋行きと西船橋方面行きはホームが異なる。永代橋行きホームには30人くらいの人がいた。さすがに最終だ。人の多さに少しほっとした。ほとんどが画内に行く人だろうか?皆静かに電車を待っている。なんとなく穏やかだ。お酒が入っていそうな人が半分くらいいた。
 
 電車が入って来た。永代橋駅はすぐ隣の駅だ。歩いても簡単に行ける距離だが、画が設けられて、境界を越えるためにできた新駅の一つだ。だからこの駅には画外駅と画内駅がある。私の乗った電車は勿論画外駅行きだ。発車したと思ったすぐに永代橋の画外駅に到着した。駅には改札口が二つあり、その一つが入画ゲート方面改札口になっていた。迷わず入画ゲート方面に向かう。まだシャトルはあるはずだが何となく心細い。改札口を急ぎ足で抜ける。20mほど先に入画ゲートが見えた。改札口と同じような形をしたゲートが10ほど並んでいる。ゲートの両側には警察官が立っている。ゲートの読み取り機に国民カードをタッチすると1~2秒後にゲートのランプが緑色に点りバーが開いた。警察官は無表情なまま閣外駅改札口の方を見ている。いちいちこちらを見ない。機械まかせだ。あっけなくゲートを通り過ぎ、矢印に従って進むとシャトル便のホームだった。シャトルはまだ来ていない。終電間近なのかホームには100人近い人がいた。ホッとした。シャトルは単線だった。200mほどしかない距離を行ったり来たりするだけだから当然か。線路をはさんで向かい側もホームになっている。到着専用のホームだろう。誰もいない。
 
 しばらくすると画内方面からシャトルが入ってきた。運転手はいない。無人だ。車内は混んでいる。立っている人も多い。向こう側のドアが開いた。こちらのドアは開かない。疲れた顔、放心したような顔が多い。笑顔はほとんどない。皆無言で降りていく。車内は空になった。ドアは開かない。警備員が最後尾の車両から順番に車内を点検していく。
 
 ようやく、ドアが開いた。ホームにいた人たちが一斉に乗り込む。車内はベージュ色だ。座り心地の悪そうなプラスティックのシートが並び、つり革がぶら下がっている。天井には4mおきくらいにカメラが設置されている。シートに座る者はいない。つり革を持つ者もほとんどいない。スマホを見ているか、仲間うちで話しているか、ただぼんやり立っているかだ。車内に死角になるような凹凸や構造物はない。網棚もない。広告もない。監視し易いように設計されているのだろう。機能的だが殺風景だ。くつろぐ場所ではないし、走行時間が数十秒のことだから良いようなものだが、毎日乗ると気が滅入りそうだ。画ができてから整備された物だから、どこのシャトルも同じような構造なのだろう。
 
 ドアが閉まりおもむろに動き出した。と思ったらすぐに到着し、乗ったときと同じ側のドアが開いた。皆一斉にホームに出て入画ゲートに向かっていく。ゲートを抜けると画内駅の改札口が見えた。まだ電車は走っているのだろうか?ちょっと気になったが、万が一電車が無くても取りあえず画内に入ったので何とでも対応できる。ホッとする同時に画内の有難さを感じる。
 

16.背景  
 ハロウィーン事件は日本の歴史上最大のテロ事件になった。事件発生直後からマスコミは連日連夜、関連するニュースを流し続けた。また、多くの学者や評論家たちが事件について論じた。国民の眼はこの事件に釘づけになり、犯人たちに対する怒りが膨らみ、それ以上にテロ再発に対する恐怖心が膨らんでいった。
 事件はどの様にして起こったのか?爆弾はどこに設置されたのか?犠牲者が多く出たのは何故か? 
 何故あのマンションが狙われたのか?命を絶たれた人たちはどのような人たちだったのか?
 また同じような事件が起こるのではないか?次に狙われるのはどこか?
 MCとはMCジャパンとはどんな組織なのか?日本国内にまだMCの関係者がいるのか?
 国連PKFに派兵したのが間違いだったのではないか?
 ハロウィーンなんかで浮かれているからやられたのではないか?
 真摯な疑問、感情的な疑問、興味本位の疑問が次々と湧き出し、マスコミは有頂天になって様々な疑問に答えを出し続けた。そして、11月末に奥多摩で実行犯二人の遺体が発見されるとニュースは沸騰し、12月末の山梨県の別荘爆破事件で年末の特番を独占した。しかし、年が明け、成人の日に爆弾を隠し持ったメンバー二人が逮捕される頃になると、国民は事件報道に慣れっこになり、恐怖心も徐々に薄れてきた。二人が逮捕後に「恐怖はこれからだ」と発言していたことは公表されることはなかった。

 3月に名古屋と大阪で大規模な爆発が起こった。爆破された場所はいずれも軍需産業に関連した施設だった。自衛軍と企業のダメージは計り知れないものだった。しかし、狙われたのが深夜の工場と倉庫だったため死傷者はおらず、国民にはそれらの施設が軍需産業に関連したものであることが伏せられ、爆発にテロ組織が関与している可能性が高いことについては曖昧にされた。そのため、大半の国民は工場と倉庫で大きな爆発が連続して起こっただけだと感じた。ただ、爆発の二日後、MCから犯行声明が出されるとハロウィーン事件の記憶が戻り、事件が未解決のままであることを思い知らされた。
 「これは寛容な予告だ。今すぐイスラムの地から軍を引き上げろ。さもなければ今度は真の恐怖を味わうことになるだろう」
 その後も小規模な爆弾騒ぎが3件続いたがMCは声明を出さなかった。3件とも爆薬の種類が異なり模倣犯の仕業と断定された。
 
 何故あのような凄惨なテロ事件が起きたのだろうか?元凶はMCとそれに連なるMCジャパンであることは間違いない。あのような凶悪な組織が存在しなければあのような残虐な事件は起きなかった。
 しかし、本当にそう言い切れるのだろうか?MCがやらなかったとしても別の組織が別のテロ事件を起こしたのではないか?
 テロ事件を生む温床、テロ事件が起こる背景があるのではないか?あるとすればそれは一体何なのだろうか?そのことを明らかにして、有効な対策を取らないとテロ事件がまた起こるに違いない。テロを再発させないためには何をすれば良いのだろうか?

 大規模な工場爆発や小規模な爆弾騒ぎが続く中、ハロウィーン事件が発生した当時の熱気は徐々に収まり、恐怖に向き合う中で国民は自問自答し始めた。
 やはりPKFで派兵したことが間違いだったのではないか?日本に止まっていれば石油を買うくらいしか縁のない中東の訳の分からないテロ組織から恨みを買うことなどなかったはずだ。
 平和ボケの日本だから狙われたのではないか?テロはどこでも起こる。PKFに派遣しようがしまいが、テロの脅威は迫っていたはずだ。日本は安全だと高をくくっていたからすきを突かれたのだ。国内の治安機能を高めておけばそんなに簡単にテロ事件など起きなかったはずだ。
 貧しさが原因ではないか?狙われたマンションは富裕層が暮らす高級マンションだった。狙ったのは金銭的に恵まれず、将来の希望が見えない若者たちだった。彼らが世間に対する不満を膨らませ、富裕層を狙ったのだ。テロが多発している国にはどこも貧困問題がある。
 景気が少し良くなったくらいで浮かれているから罰が当たったのではないか?宗教に対してもあまりにも鈍感だ。ハロウィーンの日に狙われたのが象徴的だ。何がハロウィーンだ。何でもかんでもミーハーに飛びつくからだ。

 庄田と名乗る男と爆弾を製造していた男の二人は未だ消息を絶ったままだったが、事件の全容がある程度明らかになり、同時にMCジャパンのメンバー構成も明らかになった。
 MCジャパンのナンバー1は在日ムスリムの男で、この男は山梨の別荘で爆死した。ナンバー2が私立大学の助教で、爆弾を隠した車に乗っていて検問に遭い逮捕された。ナンバー3が実行犯を率いた庄田と名乗る男で今も逃走中だ。実行犯の二人は何者かに殺害された。爆弾を製造していた男も逃走中だ。このほかに事件に関与していた者が四人いたが、一人は青酸カリを飲んで死に、一人は別荘で爆死した。残る二人は逮捕され拘留中だ。
 この中で、曲がりなりにもイスラム教徒といえるのはナンバー1からナンバー3までの三人だ。あとは良く分からない。MCに強く惹かれていたことは間違いなさそうだが、果たしてイスラム教を信奉していたのかどうかはわからない。
 何が彼らをテロ行為に走らせたのか。昼夜を問わずテレビ番組では評論家や学者たちが喧々諤々、自説を声高に語っていた。


17.大手町
 電車は永代橋画内駅に既に停車していた。始発駅らしく車止めがある。まだ発車しそうない。ホームの時刻表を見るとすべて西中野行きだ。夜の10時台までは8分ごと、11時台でも大体10分ごとに電車があった。12時台も15分から20分ごとに運行され、深夜も1時間に2~3本は運行されている。ホテルのフロントの女性が画内に入る終電の時刻は早いが、画外に出る電車は遅くまで走っているようなことを言っていたが、画内に限っては終夜運行されていた。
 
 西中野も画が設けられてから出来た新駅に違いない。永代橋の画内駅と西中野の画内駅の間なら深夜も移動が可能ということだ。神村がメトロの画内線とJRの山手線は昨年から全て無人運転になったと言っていた。それだけ画内では安全が保たれているということだろう。駅構内は勿論、駅周辺もガチガチのセキュリティー機器で監視されているに違いない。
 発車のサイン音が聞こえたので電車に乗る。先頭車両に乗ってみた。運転席の中を覗き込んでみる。まるで子供だ。計器がいくつか並んでいた。手動で運転ができるようにイスがあり、レバーの取り付け部やペダルは設置してある。勿論今は運転手はそこにはいない。
 男の声で「西中野行きが発車します。閉まるドアにご注意ください。次は茅場町に停まります」とのアナウンスがあった。車掌もいないので勿論合成された声だ。運転手も車掌もいない電車が暗いトンネルの中をゆっくりと進んで行く。トンネルの暗闇の先に伸びるレールの輝きを眺めていると、遠くに駅のホームの灯りが見えた。茅場町の駅だ。大勢の人がホームに立っていた。電車が停まりドアが開くと一斉に乗り込んできて空席がすべて埋まり、つり革も半分近くが埋まった。次の日本橋駅でつり革はすべて埋まった。
 仕事を終えて、これから西中野まで行き、そこでシャトルに乗り換え、画外駅からそれぞれ画外の自宅に帰っていくのだろうか。車内には疲れと安堵が充満していた。
 
 大手町駅でメトロを降りた。久し振りの東京なので、地上に出てJR東京駅に向かうことにした。冴えた冬の大気を感じる。風はないが冷え込んできた。高層のオフィスビルが整然と並んでいる。見上げるとどのビルも10階あたりまでは石彫の装飾が施されているが、そこから上は無機的な機能本位の造りだ。窓の半分くらいには明かりが灯っている。夜空に下弦の月が浮かんでいる。
 歩道に面した一階は高級ブランドの店が入り、どの店もダウンライトが春物のワンピースやスカートスーツ、バッグや靴を照らしている。閉店後の静けさが無人の店を感じさせる。レンガ敷きの歩道にはオレンジ色の街灯が点り、その下をビジネスマン、ビジネスウーマンが姿勢を正し、談笑しながら東京駅の方向に向かっている。決して急ぐことはしない。私もそれにならって歩いていく。街の一角に終夜営業のコーヒー店が見える。8割方席が埋まっている。深夜まで働く人たちが休息しているのだろう。


18.貧困
 「自衛軍をPKFに派遣したのが間違いだった」こうした意見が大勢を占めた。これを否定する者はほとんどいなかった。しかし、今さらこんなことを言ってみても意味がない。もう派遣してしまったのだから。
 また、間違いだったと気付いても、では今から撤収しますなどとは国の威信に掛けてできない。遠い他国に派遣した部隊だ。周辺には日本以外の国から派遣された部隊もいる。撤収を決めたとしても、実際に撤収するまでには多くの制約がある。
 しかも、この国の政治家は、事柄が重大であればあるほど、緊急を要すれば要するほど、方針の転換ができない。要するにtoo lateなのだ。これがこの国の政治の常だ。
 重い代償は払ったが、「派遣は間違いだった」という貴重な教訓を国民は得ることができた。

 「PKF派遣はきっかけであって、原因は日本の社会のあり方だ」
 PKF派遣で、偶然とはいえ自衛軍の犠牲になった人たちの親類縁者が事件を起こしたのなら復讐ということで理解できなくもない。しかし、事件を起こしたのは中東から遠く離れた日本に暮す日本人たちだった。日本人が自国を攻撃したのだ。イスラム諸国へのシンパシーはあったにせよ、日本に対して、日本人に対して恨みや怒りを持っていたから標的にしたのだ。

 では、恨みや怒りの原因は何だったのか?犯人たちは皆貧しき者たちだった。実行犯たちは3人とも裕福な家に生まれてこなかった。皆相応の能力と希望があった。若者らしく未来に向かって挑戦した。しかしいつかの時点で社会の壁にぶち当たった。大きな壁だった。勿論本人たちの能力不足もあっただろう。だから社会が悪いと言い切るのは早計だ。しかし、貧しさが足を引っ張ったことは事実だろう。
 MCジャパンの他のメンバーも貧しき者たちだった。在日ムスリムは平和で豊かな暮らしを夢見て日本にやってきた。日本人の妻を得て平和な暮らしは手に入れることができたが、何年経っても日本人として扱ってはもらえず、常に偏見と格差にさらされ続けた。
 助教はMCジャパンの中では経済的に恵まれていた方だ。だが、大学の教官といっても世間が想像するような高給取りは有名大学の教官だけだ。しかも、この男の場合40歳を過ぎて教授どころか准教授の目もなかった。恨みは経済的なものだけではなかっただろう。
 それ以外に事件に関与したメンバーも似たり寄ったりだ。年収300万円から600万円の家庭の出身者が多かった。幼少期は皆学業成績が良く真面目な子供たちだった。しかし彼らの才能、能力を思う存分伸ばす機会に恵まれることはなかった。
 事件当時年収が辛うじて600万円を上回っていた助教を除き、全員が年収600万円以下の階層の出身者で、事件当時もその階層に留まったままだった。
 
 マスコミや大衆が導き出した結論は貧困であり格差だった。貧しい者たち、貧しいが故に将来に夢を描けない者たちが、社会や国家に対して恨みや怒りを増幅させ、富める者たちを襲撃したという構図だ。
 その根拠とされたのが犯行に加わった者たちのうち助教を除いて全員が年収600万円以下の階層だったからだ。もっとも助教にしても600万円をわずかに上回っていただけだが。
 しかし、仮に全員が600万円以下の階層だったとしても、そのことが貧困を要因とする根拠にはなりえない。何故なら、国民の7割近くがその階層に入っていたからだ。貧困が要因だとすれば、半分以上の国民がテロリスト予備軍になってしまう。また、MCジャパン関係者の中に、今回の事件には加わらなかったが年収1200万円を超える者も2名いた。邪悪なテロリスト集団といえども所得階層は日本全体の構成を反映したものだった。但、彼ら2人のことに触れるマスコミや評論家、学者はいなかった。折角見つけた答えを揺るがせたくはないから。


19.山手線
 ビルを曲がると東京駅が見えた。レンガ造りの駅舎がライトアップされている。駅構内に入り、高く広いドームを見上げながら改札口に向かう。改札口を抜けるとコンコースだ。山手線ホームに向かう階段を昇る。駅構内は驚くほどに明るく綺麗になった。昔のように混雑もしていない。ビジネススーツにコートを羽織った人たちが多い。
 ホームはベージュ色に塗装され汚れが見えない。電車を待つ人の数も多くない。朝晩は少しは混雑するのだろうか。駅員の姿は見えない。ただ、無数のカメラがホーム天井に設置され、死角はなさそうだ。
 5分ほど待つと外回り電車が入ってきた。もちろん運転手はいない。アルミのボディーに緑のラインは健在だが、車両が幾分小さくなり、凹凸がなくなってシンプルだ。ホームドアと車両のドアがほぼ同時に開いた。降りてくる人はほとんどいない。
 27年に開業した中央リニア新幹線の最終が出た後だろう。大阪や博多の画内間を結ぶ長距離新幹線も到着列車があるだけだ。以前なら東京始発の東海道線や東北本線、中央線があったが、今は在来線の東京駅始発はなくなり、全て画内の端から端を行き来するだけだ。
 だから、この時間に東京駅で降りる人は、画内間の長距離新幹線やリニアで到着して画内の自宅に帰る人たち、駅周辺のホテルに泊まる人たち、駅に近い超高層マンションに暮らす人たちくらいだ。
 
 山手線の車内は空いていた。乗り合わせた車両には30人くらいしか乗客はいない。外装に負けず車内もシンプルだ。クリーム色に統一された車内に濃紺のシートが据えられている。但し、この車両も凹凸が少なく死角がない。棚はあるがパイプの隙間が広くて不審物が置かれても判かりやすくしてある。カメラが至る所に取り付けられている。ディスプレイが大体1mおきに設置され広告が流れている。中吊り広告はない。
 窓の外を眺めると、昔あったようなネオンサインや蛍光灯に照らされた広告看板は一つもない。高層ビルの壁に巨大なディスプレイが並び、高級そうな酒やリゾート地の広告が流れている。
 有楽町駅で何人かが静かに降り、何人かが静かに乗ってきて、同じように新橋駅でも人が降り、乗ってきた。浜松町駅、田町駅、泉岳寺駅でもそれを繰り返し、品川駅に到着した。
 
 時計の針は11時を少し回っていた。駅前は街灯が程よい間隔に点され、カフェや飲食店の多くが賑わっていた。30代から40代のサラリーマンや外国人旅行者が寒さをものともせず楽しそうに会話し盛り上がっている。これも山手線の終夜運行の賜物か?
 賑わう店々の前を通りすぎホテルに向かう。ホテルのロビーは、土産物らしい大きな包みを抱えたアジア系の人たち、酒で頬を赤くした白人のビジネスマンたち、少し派手目のジャケットを着た日本人男性のグループなどが行き交っていた。そんな彼らの横をすり抜けてフロントに行き、ルームキーを受け取ってそのまま部屋に上がった。
 
 カーテンを開けると、JR品川駅をはさんだ対岸に超高層のビル群が並んでいた。3月の冴えた夜気のせいでビル群の窓の灯りが鮮やかだ。半分以上の窓に灯りが点っている。この辺りはグローバル企業や外資系が多いので、業務は24時間体制なのだろう。そのため深夜に働く人も大勢いるに違いない。
 窓のはるか下、品川駅の10本のホームがLEDの冷たい灯りに照らされている。人の姿はホームの屋根に遮られて確認できない。電車が何本か到着し、発車して行った。もう少しすれば終電だ。終電を見送ったホームには束の間の安息が訪れる。
 ただ、終夜運行の山手線ホームだけは別だ。24時間、働く人たちを迎えて、そして送り出す。山手線は今夜も静かに画の中を回り続ける。そして朝を迎え、昼になり、また次の夜が来る。


20.フィールド
 貧困にテロの要因を求めることは安易に過ぎるが、貧困自体が大きな問題であることに変わりはない。貧困であるが故に将来の夢を絶たれる子供たち、若者たちがいる。
 貧困は大きな要素だが、それ以上に大きな闇がある。この国には奪う者たちと奪われる者たちがいるという事実だ。支配する者たちと支配される者たち、富める者たちと貧しき者たちがいるという事実。
 これを格差というのだろうか?多分違う。最初は格差だった。格差とは同じフィールドに立って、その中で優劣が生まれることだ。しかし、今、この国にあるのは分断だ。プレーできるフィールドは生まれ落ちた時から既に決まっている。
 奪う者たちのフィールドと奪われる者たちのフィールド、支配する者たちのフィールドと支配される者たちのフィールド、富める者たちのフィールドと貧しき者たちのフィールドだ。
 運悪く後者のフィールドに生まれ落ちれば死ぬまでそのフィールドでプレーし続けることになる。そのフィールドでいくら活躍しても得られる果実の大きさはあらかじめ決められている。しかし、運よく前者のフィールドに生まれ落ちれば、無限の可能性が用意され、実力により優劣は生じたとしても、欲をかかなければ相応の暮らしが保障されるのだ。

 ある時、後者のフィールドに立つ一部の者が気付く。自分たちのフィールドが狭いこと、雨が降ればぬかるんで足を取られること、晴れれば雑草が生えた凸凹の地面に砂ぼこりが舞い立つことを。そして、彼方に広大で光あふれ緑したたるフィールドを見る。自分たちが決して立ち入ることの許されないフィールドだ。同じ人間なのに同じ日本人なのに何故フィールドが違うのか?
 この国には二つのフィールドがあった。2種類の国民が生きている。前者と後者だ。同じ国に住み、同じ空気を吸い、交りあって暮らしてはいるが、立っているフィールドだけが違う。上位のフィールドと下位のフィールドは決して交り合うことはない。
 こんな悪夢のような国を存続させておく訳にはいかない。上位のフィールドを粉々に破壊しない限り、下位のフィールドに立つ自分たちに陽が射すことはない。

 マスコミや学者、官僚たちの結論は今回のテロ事件を貧困問題、格差問題の果てに生み出された惨劇であると結論づけた。マスコミや学者はこの国の深層、病巣に迫ることはなかった。それは彼ら自身が上位のフィールドに立ち、下位のフィールドを慈悲深く見おろしていたからだ。
 富める者たちは貧しき者たちを救済しなければならない。貧しき者たちに手を差し伸べ、少しでも生活を豊かにしてやらねばならない。そうすれば貧しき者たちは日々の不満を和らげ、小さな幸福に感謝し、この国を受け入れるようになる。そして過激な行動に走ることはなくなるだろう。

 しかし、それだけで十分だろうか?貧しき者たちを救うことはテロや犯罪を減らす上で効果はあるだろう。だが、世の中には不満を持ち続ける輩はいる、常識から外れた連中もいる。救済するのは良い、援助するのも良い、しかしそれだけで安全な暮らしは保障されない。もし、本当に安全な暮らしが守られるのなら少しくらいの負担は惜しまない。身の回りからテロや犯罪の恐怖を排除してほしい。テロや犯罪のない安心して暮らせる場所を造ってほしい。

 上位のフィールドの中心に身を置き、上位のフィールドの代弁者である政治家や官僚は、富める者たちの声に押され、または国外に逃れようとする富める者たちを引きとめるため、上位の者たちに「安息の地」を創ることを決めた。
 上位の者たちが、安息の地で暮らし、安息の地で働き、世界を相手に金を荒稼ぎし、この国を富める国にしてくれれば良い。勿論、安息の地の住民になるためには応分の負担はしてもらう。つまり税金だ。富める者たち、富める企業にはしっかりと税金を払ってもらう。集めた税金の一部は勿論貧しき者たちへの救済、扶助に充てる。富の分配だ。そうすれば、すべての国民が満足するに違いない。日本はさらに繁栄し、さらに富める国になるだろう。
 上位の者たちのためだけに創られた安息の地、極限までセキュリティー機能、情報機能を高め安全と安心と利便性が約束され、惜しげなく予算を使って整えた美しく快適な楽園、それが画だ。 

第6章 再生

1.相模原 
 ホテルで朝食を済ませてから五反田に行き、「U&Q」でジーンズとブルゾンを買った。相模原に行くのにスーツではまずい。予想外の買い物になったがトラブルを避けるためには仕方がない。靴はいま履いているのが黒のウォーキングシューズだから問題ないだろう。
 保坂と落ち合うのは相模原市の橋本駅で午後1時だ。五反田から一度ホテルに戻り、画外仕様に着替え、すぐに橋本駅に向かう。何線を使うか少し考えたが、品川からならJR線が早いだろう。途中で境界を越えなければならないので余裕を見ておいた方が良いだろう。早めに橋本駅に着けば、駅前でかるく昼食を取りながら保坂を待てばいい。
 
 京浜東北線で新大井行きに乗る。新大井駅も画が設けられてから出来た駅だ。画内駅で降りて、出画ゲートを通過し、シャトルで境界ゾーンを越え、もう一度出画ゲートを通れば画外だ。昨夜のことを思い出して少し緊張する。服装は大丈夫だろうか?上手く周りの雰囲気に溶け込めているだろうか?周囲を見回す。何も変わったことはない。私を見とがめるような視線は何処からも感じない。当たり前だ、サファリパークに裸で飛び込んだ訳じゃないんだから。

 新大井の画外駅には大船行が停車していた。始発なので座ることができたが、発車間際には立っている乗客もいた。スーツ姿が一人だけいた。相当くたびれたスーツだ。あれくらいなら問題ないのだろうか。そのほかの男はダウンジャケットやブルゾンだ。下はジーンズかチノパンか。作業着の上下という人も結構いる。勿論制服を着た学生もいる。女も同じようなものだ。画内に比べるとはるかにラフな感じだ。自分の服装が周りと変わりないので随分リラックスできる。今日も良い天気だ。昨日よりさらに暖かく感じる。先ほどの緊張感はどこへやら眠気が襲ってきた。私もいっぱしの画外人だなと少し嬉しくなる。
 電車は各駅に停車し、乗客が乗り、降りていった。のどかな早春だ。窓の外には住宅が密集し、小ぶりなマンションも見える。小さな公園があり、子供たちが遊び、母親が子供を眺めている。町工場があり、トラックが行き交い、乗用車が走っている。駅前には商店街があり、日々の営みがあり暮らしがある。そういえば森下君たちのアパートもこのあたりだろうか。案外住みやすそうじゃないかと思う。

 電車が東神奈川駅に到着した。ここで横浜線に乗り換える。少し待っていると八王子行きが来た。ここまで来ると、そこが画外であることを全く意識していないことに気付いた。横浜線は京浜東北線に比べて少しローカル色があった。春の陽気に包まれた郊外電車の小さな旅だ。いくつかの駅で停車と発車を繰り返し橋本駅に到着した。
 駅周辺は想像していたようなのどかな田園風景ではなかった。商業ビルやビジネスホテルが立つ郊外のちょっと賑やかな街の佇まいだ。少しがっかりした。時計は12時25分を指していた。駅前にハンバーガーショップがあったので入り、ハンバーガーとコーヒーを注文した。ハンバーガーとコーヒーはお世辞にもおいしいと言える代物ではなかったが、空腹を満たし時間がつぶせれば十分だった。
 1時を少し回った頃に白い軽トラックが唸りを上げてやってきた。手を振ると、窓が開いて日焼けした保坂が顔を出して手招きをした。軽トラックのところまで走って行き素早く助手席に乗り込んだ。座るや否や保坂が軽トラを急発進させた。危うくむち打ちになりそうだった。床には乾燥した泥と草がこびりついていた。シートもザラついていた。私の服装も画外仕様だから構いはしないのだが、保坂の日焼けした横顔を見ながら、人生と同様に運転も乱暴な奴だなと思った。


2.保坂
 「久しぶりだな。真っ黒で元気そうだ。商売は繁盛してるんだろう?」
 「ああ。商売の方は順調だ。芳野も元気そうじゃないか。北海道の水が合ってそうだな。3年振りかなお前に会うのは?」
 「そうだね。僕が農務省を辞める前だから」
 「遠路来てもらって悪かったな」
 「いや、丁度上京する用事があったからね。しかし、君の顔を見てると昔バンカーだったとはとても思えないな」
 「ははは。俺自身昔バンカーだったとは思えないよ」
 「一度聞こうと思ってたんだが何で辞めたんだ。まあ銀行なんてところは色々といわく因縁がありそうだけど、君は結構うまくやってると思ってたけどね」
 「ああ。自分で言うのも何だが有能なバンカーだった。小さな支店だったが30代の後半で支店長になった。当然同期入行組で一番だ。鼻高々だったと思うだろう?それが違うんだな。その頃にはもう金融というものに絶望していた。でもな、負けるのは俺のプライドが許さないからな。業績だけは上げ続けた」
 「へえ。そうなのか」
 「俺はな、最初は金融に期待していたんだ。世の中を動かすエネルギーだ、つまり石油みたいなものだと思ってた。金を上手く回すことで社会に富が生まれ、人々の暮らしが豊かになるとな。俺は世の中を豊かにするために金融をより効果的に運営する夢を持っていたんだ」
 「確かに一面ではそうだ。取引するにも金がなきゃどうにもならないからな」
 「そうだ。物々交換に限界が生まれ、貨幣を介在させることで物の流通、売買が一気に効率化したところまでは貨幣は極めて優れたエネルギーだった。そこまでは良かった。しかし、今は金だけが独り歩きしている。物やサービスに裏打ちされた貨幣には意味がある。しかし、いつの間にか金が金を生む時代になってしまった。金を持っている者たちは、金を持っているだけで何の苦労もせずに金が増えていく。金のない者たちは、いくら頑張っても金は増えない。減っていく一方だ。そのお先棒を担いでいるのが銀行という訳だ」
 「確かに。僕が預けている金額なんてたかが知れてるから銀行も相手にしてくれないけど、富裕層は大事にされてるみたいだしな」
 「知ってのとおり俺は昔から趣味で百姓をやってたろう。無から有を生み出す。太陽や水や大地の力を借りて物を生み出すダイナミズムが好きだった。実は金融も同じように考えていたんだ。金を本当に必要としているところに上手に注ぎ込めば、その金を使って事業が始まり、発展し、進歩し、人の世を豊かにすることができるとな。確かに、今も無から有を生み出しているように見えるが、実際は無というより幻の中で金がいくら増えた減ったと数え合って喜んでいるだけだ。そんなものは生きた金じゃない」
 「それで農業か?」
 「簡単に言えばな。でもな、俺は物を生み出すことの意味まで考えて農業をやってる。自分で言うのも何だが志は高いぜ。美味しいもの、身体に良いもの、もっと言えば生きていることが素晴らしいと感じられるような作物を提供したいと思っている。しかもそれがビジネスとしてちゃんと成り立つようにしてな。世捨て人の道楽じゃないんだから。お蔭で最近はファンが増えて保坂ファームの売り上げは上々だ」
 「そりゃ何よりだ。じゃ何も問題ないじゃないか」
 「ビジネスに関してはな」


3.木下
 「それなら用件は何なんだ。君が北海道まで訪ねて来るということは余程のことだろう?」
 「お前が余計なこと聞くから横道にそれちゃったじゃないか。まあ時間はあるから良いがな。実はお前に折り入って頼みがある。頼れるのはお前しかいない。それで、これからある人に会ってもらいたい。勿論俺も同席する。政治の話だ。具体的には3人揃ってから話す」
 「せ、政治っ?何だそりゃ」一瞬息が詰まりそうなった。
 「僕は田舎の中小企業の雇われ重役だよ。全然役に立てるとは思わないけど」
 「まあな。驚くのも無理はない。でもお前しかいないんだよ。巻き込んで悪いがな」
 保坂が軽トラをとある屋敷の門前に停めた。やはり急停車だった。大きな屋敷だ。綺麗に刈り揃えられたイヌマキの生垣が屋敷を取り囲んでいる。戦前に建てられたと思われる2階建てのしっかりした木造の住居が見える。表札には木下とある。知らない名前だ。
 保坂が呼び鈴を押して名前を告げると「お待ちしておりました。今すぐ参ります」と上品そうな婦人の声が聞こえてきた。待っていると門扉が開き初老の婦人が出てきた。保坂が友人の芳野ですと私を紹介し、木下さんの奥様だと紹介した。私が挨拶をしている間に、保坂が軽トラに戻って屋敷の中に入れた。
 簡素だが丁寧に造り込まれた和風建築だ。屋敷の後ろの庭も良く手入れされているようだ。夫人が門扉を閉めて玄関先に戻り、玄関の引き戸を開けて中に入るよう促してくれた。古い家の匂いがした。上がり框に腰掛け靴を脱いでいると、奥から老人が出てきた。お邪魔しますと挨拶をしながら顔を見て息をのんだ。与党のご意見番、元参議院議員の木下がそこに立っていたからだ。

 「よく来てくれました。お待ちしていました。芳野さんと仰いましたね。木下です。どうぞ奥へ」
 「芳野と申します。お邪魔します」こんなことなら事前に言っといてくれよと保坂を恨めしく思う。
 保坂はいたってのん気なもので「木下さん、この前お持ちした菜の花とふきのとうはうまかったでしょう。お酒が進み過ぎたんじゃないですか」などと軽口をたたいている。
 良く磨き上げられた廊下を進み、応接室に通された。大きな部屋だ。ソファも大ぶりで12~3人がゆったり座れそうだ。さすが元政界のご意見番の応接室だ。木下が一番奥の一人掛けのソファに座り、木下を挟んでコの字型に保坂と私が座った。
 夫人がお茶を持ってきた。玉露のいい香りがした。
 「芳野、おどろかせて悪かったな。木下さんのことは知ってるよな」
 「勿論だよ。でも僕みたいな凡人に用があるとは思えないけど」
 「いやいや、保坂さんから芳野さんのことは聞いています。貴方なら私たちの力になって頂けると確信しています」
 「さて、私のようなものが木下さんたちのお役に立てるとはとても思えないんですが、用件は一体何なんでしょうか?」
 「じゃあ、私から説明します」保坂が口を開いた。


4.管理された社会
 「芳野、今の納税額比例選挙制度をどう思う?」
 「変な制度だと思う。明らかに憲法違反だ。法の下の平等に反する。でも皆あまり疑問に思わなくなった。正直僕も同じだ。情けない話だがいつの間にか慣れてしまった」
 「そうなんだ。日本人の良いところでもあり悪いところでもある。順応性が高いんだな。それとお上の決めたことには実に従順なんだよ日本人って奴は。それは事実として仕方ない。日本人の性格を嘆いてみてもな」
 「全く、情けない話だが」

 「しかしだ、その結果今の日本はどうだ。画のようなグロテスクなものが出来上がって、国民を完全に分断してしまった。画の内側と外側だ。でもな、画は目に見えるから分かりやすいが、画は象徴であって画だけが問題じゃない。要するに金を持っているかいないかで日本人を分断しているということが問題なんだ。たかが金ごときで人間を振るい分けするなんて最低じゃないか。勿論、金を卑下している訳じゃないぜ。ただ、人間の価値を金で測るということが許せないんだ」
 「確かにその通りだな。変な国になったもんだ。一昨日から画の中で寝泊まりしてるけど、確かに安心といえば安心だし、清潔だし、快適といえば快適だ。何の心配もいらない安息の地だ。電車は24時間動いているし、グローバル対応というのかな、24時間都市機能が動き続けている。機能的で効率的だ。でも落ち着かない。人間の匂いがしない。見事に制御され管理された空間だ。仕事で短期間滞在するなら悪いところじゃないが、住むのは御免こうむりたいね。今日、画から外に出て、最初は少し緊張したけど、今は何だか自由で開放された気分だ」
 「そりゃそうだ。でも問題はそうした情緒的なことだけじゃない。本質だ。政治のな」

 「というと?」
 「政治は何処でやってる?勿論中央政府の政治だ」
 「そりゃ、永田町と霞が関だろう」
 「そうだ。画の中だ。画のど真ん中だ。ど真ん中の人間たちが政治をやってる。政治家も役人も。だから画の外のことなんかちっとも分かっちゃいない。分かろうともしない。画という安息の地にこもって、耳ざわりのよい報告や抽象的なデータを眺めて政治ごっこをしているだけだ」
 「そりゃそうだな。旭川はまだましな方だが、地方の実情は惨憺たるものだ。二三日画にいるとそんなこと忘れちゃうけどな。確かに中央政府から完全に見捨てられてる感じがしないでもない。勿論、根性のある一部の地方は逆に中央政府なんて当てにしないで勝手にやってるけどね」
 「何故だか解るか?例えば政治家が画外に視察に行くとするだろう。中央官庁の役人は都合の悪いところは政治家には絶対に見せない。自分たちが考えた政策が誤っているところなんて見せるはずないよな。だから見せるのは自分たちの都合の良い所だけだ。役人たちが描くストーリーに沿って成功している事例を見せる。もし成功している事例がなければその時だけでっち上げる。そして自分たちの都合のいいように現場の人間にしゃべらせる。政治家たちはそれでご満悦だ。自分たちはうまく政治をやっている。この国をうまく運営しているとな。政治家たちは深く追求するようなことはしない。そもそも関心がないからだ。現場で苦労している者たちの大半は票にならないしな」
 「なるほど。じゃ野党はどうなんだ?少数派とはいえ野党だっているじゃないか」
 「野党は当てにならん。彼らも納税額比例のお蔭で富裕層に逆らえなくなった。庶民の味方をしても0.2票か0.4票だ。手っ取り早く票を取るなら富裕層を軽視はできない。結局富裕層を怒らせるようなこと、大企業を怒らせるようなことはしない。だから本質は与党と変わらない」
 「なるほど。じゃマスコミはどうなんだ?まあ最近のマスコミなら期待しても無理か」
 「その通りだ。特に全国ネットのマスコミはひどい。戦前戦中じゃあるまいし、別に言論統制がある訳じゃないんだが、自己規制ってやつでな。下手に社会の暗部に手を突っ込んで、中央政府や大企業に睨まれたくないんだろう。それに東京に住んでる業界人は皆画の中の安息の地に身を置いているから本質は何も見えちゃいない。要するに彼らも支配する者たちの側、富める者たちの側の人間なんだよ」
 「そうかもな」
 「勿論中には気骨のある人物はいるし、俺もそんな連中を何人かは知ってる。でもな、そんな奴らは皆会社からマークされて閑職に追いやられ、結局フリーランサーになるしかない。そうなったら発言する手段はインターネットを使うしかない。大手の出版社や流通業者は中央政府や大企業が怖いからそんな危ない連中とは関わりたがらないからな。で、インターネットなんだが、ネットは中央政府が巧妙にコントロールしている、実に巧妙にな。政府に都合の悪い情報を流したからといって摘発なんて勿論しない。警告もしないし削除要請もしない。ただ情報が何故か広がりにくいだけなんだ」
 「恐ろしくなってきたな。で、これからどうしようというんだい」


5.復活 
 「この国をもとの姿に戻したいんです」木下が口を開いた。
 「11年前私たちは大きなあやまちを犯しました。言うまでもない納税額比例選挙制度の導入と国会の一院化です。勿論私たちは反対した。しかし流れを食い止めることはできなかった。力不足を痛感しました。私は参議にはならず国会を去りました。民主主義の何たるかを忘れた、あのような腐りきった国会に一時でも身を置きたくなかった。金の亡者のような長田君の顔も見たくなかったし」静かな口調だ。しかし木下の眼には決然とした怒りが宿っていた。

 「参議院を復活させるということですか?」
 「いや、参議院を復活させることはできんでしょう。残念ですがこの国の人間は二院制を上手く使いこなせるほど成熟していませんから。二院制を復活させても、またカーボンコピーの二の前でしょう。一院ならなんとかうまく機能させられるでしょう。勿論真っ当な選挙を経た上でのことですがね。一度こんな馬鹿な国にしてしまったんだから、今度こそ頭を冷やして選挙というものをまじめに考えるんじゃないでしょうか。一院なら解りやすいでしょうし」少し表情が明るくなった。
 「ということは納税額比例選挙制度を廃止してもとに戻すということですか?今さらそんなことが可能なんでしょうか?」
 「難しいでしょうがやらなければいけません。このままだとこの国は本当にだめになってしまいます。それでは死んでも死にきれない」悲しげな眼になった。
 「ついでに画というあのグロテスクな代物も無くしてしまう。自分の国を自由に往来できないなんて民主国家って言えるか!」と保坂。
 「その通りだけど、せっかく出来たのに勿体ないな」
 「グリーンベルトのことか?あれは除草剤なんか撒かずにそのまま放っておいたらいずれ自然に帰るさ。鳥も虫もイタチもキツネもいるすばらしい緑の回廊になる。それで充分じゃないか」

 「我々の考えていることが少しは解ってくれたか?」保坂が聞いた。
 「ああ。でもどうしたらいいのかな。何から手を付けたらいいのか。あまりに話が大き過ぎて戸惑うばかりだ」
 「そうだな。こんなこと突然言われて驚かない方がどうかしてる。俺も最初、木下さんから相談されたときは腰を抜かしそうになった。さすがに芳野は大物だ。あまり動じた風でもない」
 「話が突飛すぎて着いて行けないだけだ」
 「俺と木下さんとは百姓仲間でね。百姓に関しては俺の方が先輩だ。木下さんは前から自分の目の黒いうちにこの国を元に戻したい。希代の悪法を一刻も早く葬り去りたいと願ってらしてね。色々と構想を練ってこられた。で、俺もへそ曲がりだから2年くらい前に仲間に取り込まれたという訳だ。表には出ていないが国内に大きなネットワークが出来ている。勿論法に触れるようなことは一切していないし、決して怪しい組織じゃない。ただ、今の政府与党にしてみれば危険極まりない組織であることは間違いないがな」
 「へえ。そんな組織があるとは思いも寄らなかった。勝算はあるのか?」
 「あまり勝ち負けを言うなよ。ただ、我々も思い付きでこんなことをやってる訳じゃない。俺も今でこそ百姓だが元は法学部だ。当然戦略、戦術はある。元役人の芳野にとっちゃあそんなに難しい話じゃない」
 「僕に解るかねえ」


6.三本の矢
 「選挙制度を変えるからにはそれに関係する法律を改正しなければいけないよな。参議院の復活は現時点では考えてないから憲法まで改正する必要はない。そうなればハードルは低くなる」
 「確かに。でも大変だ」
 「憲法なら絶望的だが少しはましだろう。で、法律の改正だから当然国会で議決する必要がある。ハードルは勿論高い。それは国会が衆議院一院で構成されているからだ。衆議院議員たちは今の腐った制度で当選してきた連中だから、みすみす自分たちが不利になるような法律改正をするはずがない」
 「そりゃそうだ」
 「では、どうするか?三本の矢を放つ。一本目の矢が参議だ。参議に働いてもらうんだ。かつて衆議院のカーボンコピーだ、有っても無くても同じだ、税金泥棒だなどと散々コケにされてきたんだから、ここで一つ良識の府、再考の府だった参議院の意地を見せてもらうんだ」
 「どうやって?」
 「参議の特権の一つに法案提出権というのがある。憲法の改正とか憲法に抵触する法案は認められないが、それ以外のものなら大抵は認められる。それを今年の4月の参議会に提出する。ビックリするぜ、今までロクな法案しか提出してこなかったんだからな。志を同じくする参議には根回し済みだ。我々に完全に同調してくれるかどうかは別にしても今の政府与党を良く思っていない参議は多い。何せ生首を切られたんだからな」
 「わかるわかる」木下の方をみると、木下は姿勢を正し目を閉じ、口を堅く結んでいた。
 「それにな、首長に転身した参議だって地方の窮状に冷淡な今の政府与党を良く思ってはいない。参議の多くが法案を支持すれば衆議院に対して大きな圧力になる。そして、参議会の動きに同調して全国で国民運動を展開する。これが二本目の矢だ」
 「なるほど。でも、衆議院議員だって自分たちの身分にモロに影響する話だよ。なり振りかまってられないよ。反対は必至だ」
   
 「多分な。そこで三本目の矢だ。地方議員だよ。既に全国に多くの同士がいる。現職の議員もいれば候補者もいる。彼らが全国で一斉にのろしを上げる。来月の統一地方選で勝負を掛ける」
 「統一地方選と言っても勝てるのか?」
 「勝算はあると思う。芳野が言ったとおり地方の多くは疲弊し、消滅の危機だ。しかし中央政府も与党も本気で地方のことなんて心配していない。何故かといえばGDPにほとんど寄与しないからだ。勿論、地方発展推進本部なんて作って予算をばら撒いてご機嫌取りはしてるがね。あれも富める者たちから貧しき者たちへの救済だ。本気じゃないね。大事なのは画内に本社を置くグローバル企業だ。彼らが海外に逃げ出さずにこの国に残ってガッポリ稼いでくれればそれで十分なんだ。画内の企業とか画内で安穏に暮らしている人間を相手にした方が行政は効率的にできるし税金も間違いなく入ってくる」
 「確かに効率的ではある。地方は面積も広いしな」
 「与党にしてみれば、地方なんてGDPにほとんど寄与しない割に教育や社会福祉は非効率極まりない。手間はかかるが税収の少ない厄介者だ。そんな地方の連中にサービスしても0.2票か精々0.4票だからな。どちらかと言えばお荷物なんだよ」
 「ひどいな。無茶苦茶だ」
 「そうだ。だから地方議員は必死なんだ。自分たちが暮らす地域の存亡が掛っているからな。いままで地方議員といったら教養のないヒヒ爺とか目立ちたがり屋の中小企業の若手重役というのが通り相場だったが、さすがに尻に火がついて、真剣に物事を考える議員が増えてきた。与党系の地方議員だって半分以上は党中央のことを内心快く思っていない。ただ縛りがきついから黙ってるだけだ。全国で火を放てば燃え上がる可能性は大だ」

 「ところで首都圏はどうなんだ?首都圏だけは画外も結構潤ってるんじゃないか?」
 「画外も不満は高まっている。地方とは少しニュアンスは違うがな。働き口は十分ある。画内に通勤している者の割合の方が高いがな。彼らは毎日ゲートを通って境界ゾーンを越えて画内に通ってるんだ。そりゃ画外で働くよりは給料がいいから無理して通勤する。でも、画内で暮らしている連中と画外から通っている連中の賃金格差は半端じゃない。半分諦めちゃいるが不満は溜まっている」
 「分かる。昨日画外でひどい目にあった。夜道を襲われた」
 「そりゃ芳野が酒飲んでノー天気にふらふらしてたからだろう」
 「よくいうよ。僕が何悪いことしたっていうんだ。スーツを着てただけだよ。しかも安物の。そんなの八つ当たりだろ」
 「まあそう怒るな。それだけ根が深いってことだよ。本題に戻るぞ。いいか、地方の怒りを結集させて、政府与党に圧力を掛ける。そのために同志となる地方議員を少しでも多く当選させたいんだ。勿論、これと並行して国民運動もガンガンやる。全国から中央政府、与党を包囲し圧力を掛けるんだ。そうなったら衆議院議員だってそう簡単に反対できなくなる」


7.久田
 「なるほど、よく分かった。で、僕は何をすればいいんだ?」
 「そうこなくっちゃ。見込んだ甲斐があった。では、いよいよ本題に入ろう。旭川の参議で久田というのがいるだろう」
 「え、久田?いるよ。毎週日曜日の昼頃、旭川の駅前で街頭演説をしているじいさんだろう?」
 「そうだ」
 「北海道は東京政府に支配されている。東京政府の植民地にされている。北海道は独立しなければいけないとか北海道で徴収した税金は全て北海道で使うべきだとか、過激な演説をしている変なじいさんだ。普通の人は立ち止まって話なんて聞いちゃいないよ。ただ、話が過激な分だけ面白いといえば面白いから発車時刻まで時間のある人や近所に住む暇な老人がベンチに座って聞いてるくらいだ」
 「間違いない。彼も同士だ」
 「えっ久田がか?ピンと来ないな。久田は旭川では変人扱いだよ。ようやく参議院議員になったと思ったら一期目の途中で突然参議にさせられたから無理もないが。それでも責任を感じているのか、聴衆のほとんどいない駅前で一所懸命演説してるんだ。そんな老人の姿を見るのは正直つらいよ。市民の中にはろくな仕事もない参議になって給料だけ貰ってる税金ドロボーだなんて陰口をたたくのもいるしね」
 「確かに久田という人物は少々過激ではある。労働組合上がりだから当局を追求するのは得意だ。与党も当局みたいなものだから。でも大目に見てやれよ。晴れて参議院議員になったと思ったら参議院が廃止になったんだから。恨み骨髄だろう。でもな、偏屈そのもののじいさんだが人間は悪くない。話せば分かる意外と魅力的な人だ。なにしろ一度は参議院議員まで務めた人物だからな」
 「確かに人物は悪くなさそうだけど。で、僕は何をすればいいんだ?」
 「彼を助けてやってほしい。議員時代は何人か秘書がいたが、参議になってからは一人減り二人減りしていった。で、ただ一人残った秘書が昨年末急に亡くなってな。手足となって動ける人間がいなくなった。見てのとおりのじいさんだ。気骨と気迫はあるが体力は今一つだ。それと、労働組合あがりで弁は立つが、如何せん法律とか行政とかの知識はお寒い限りだ。これまでは秘書がカバーしてきたんだ」

 「秘書なんて僕にできるかな?」
 「お前も元は役人だから法律や制度くらい少しは分かるだろう。お前はじいさんの世話をしながらシナリオを書けばいいんだ。演説はじいさんに任せて黒子に徹すればいい。しかも、長くやれとは言わん。参議会と統一地方選挙のある4月一杯頑張ってもらえば十分だ」
 「なるほど」
 「それから、もう一つ統一地方選がらみで大事な仕事がある。地方議員たちの世話をしてほしい。もっとも、地方議員の秘書までやれとは言わん。地方議員だって有力者なら秘書が何人もいるし、基本的に彼らは自分たちで動く。細々したことをやる必要はない。要するに今回の件に関しては久田が選挙区内の地方議員の束ね役をしているから、地方議員たちの演説内容のすり合わせとか、公約の内容のチェックをしてもらいたい。それから、地方議員たちが法律改正の請願を地元の議会に提出するから、その内容とかタイミングとか、そんな諸々の調整役をやって欲しいんだ」
 「なるほど。何とかできそうだな」
 「ただ、気を付けてくれ。じいさんは頭が切れる方ではないが弁は立つ。しゃべり過ぎるのが怖いんだ。今はじっと我慢して貰わないと。それに地方議員たちの勇み足も怖い。俺も木下さんとここで地方議員たちの船頭をやってるが、彼らは血気盛んで頼もしくはあるが、時に暴走するんじゃないかと内心冷や冷やものだ。もし、政府与党や衆議院の連中が我々の動きを察知したら、これまでの苦労が全部水の泡だ。間違いなく潰される。今回失敗したら二度とチャンスは来ない。やるときは一気呵成にやらなきゃ絶対に成功しない。今は何があってもじっと我慢だ。じいさんたちにブレーキを掛けるのがお前の一番大事な役目かもしれないんだ」

 とんでもないことになった。とんでもないことを引き受けてしまった。保坂の情熱と木下の真摯な態度にほだされて。迂闊だった。保坂はこんなことも言っていた。
 「最近国民カードの紛失が増えたのを知ってるか?昔はカードを拾って警察に届けたら皆5万円の報奨金をもらってた。50万円分の税額控除というのもあるにはあるがもらう奴はほとんどいない。そんなに税金払ってないからな。ましてや投票権0.2ポイントをもらう奴なんて変人扱いだ。ところが最近選挙ポイントをもらう奴が増えてきたんだよ。不思議だろう。テレビやネットでは国民の政治に対する意識が少しづつ高まってきたのかもしれない。ようやく先進国らしくなってきたって喜んでいる学者もいたな。景気が良くなって5万円もらうより、束の間のステータスが欲しくなったんじゃないかっていう評論家もいた。与党の政治家は、景気が良くなって国民の考え方も洗練されてくればそれに越したことはない。これで日本は経済も国民意識も超一級の国になったなんてノー天気に喜んでたけどな。支配されている者たち、貧しき者たちの怒りに気付いちゃいない。そんなに急にカードの紛失なんて増える訳ないだろう。おかしいと思わない方がおかしい。今に分かるさ。統一地方選挙の結果をみればな。地方選挙だって大半が納税額比例を採用しているんだから」
 これって犯罪じゃないのか?公職選挙法に違反してないんだろうか?怖くなってきた。
 「なあに、知ったこっちゃない。単なる社会現象だし一回限りだ。ちょっとスリリングなゲームが一時期はやったと思えばいい」
 この話は聞かなかったことにしておいた方が良さそうだ。私は久田の黒子に徹すればいい。

 その後、木下の家で宴が始まった。酒は木下の人徳が集めたものだろう。全国各地の銘酒から選りすぐりをいただいた。酒のさかなは勿論保坂自慢の旬の野菜を木下夫人が丁寧に調理したものだった。暴走気味の保坂を木下は時に頼もし気に見つめ、時には静かにたしなめた。初対面の私に対しても木下は以前からの友人であるかのように接した。酒の勢いもあったろう完全に取り込まれてしまった。
 午後9時を回ったので保坂と私は木下家を辞去することにした。帰り際、木下は私によろしく頼みますと深々と頭を下げた。分かりました、何とかやってみますと応えた。木下の気迫と酒の勢いがそう言わせた。
 
 車は明日取りに来ますと保坂が夫人に告げ、夫人が我々に丁寧に挨拶をし、門を閉めると保坂が「うちに泊まっていけ」と言った。タクシーが門前に待っていた。保坂を先に乗り込ませ、その後から私が乗り込んだ。
 「そうしたいのはやまやまだが、明日の朝一番に森林局長のところにアポイントを取ってある。以前局内のプロジェクトチームで一緒に汗をかいた先輩だ。ただの表敬の予定だったが、こんなことになるとは思いも寄らなかった」
 「まさか今日の話をする訳じゃないだろうな」
 「当たり前だろう。ただ、僕もこれから少し厄介なことに手を染めるし、OBとはいえ森林局に席を置いた人間として、局長に迷惑が掛かるとも限らない。阿吽の呼吸で仁義だけは切っておく」
 「お前がそう言うなら解った。今度のことがひと段落したら一杯やろう」
 「そうだな。こんどこそ北海道に遊びに来いよ。君の作る野菜にはかなわないかも知れないが北海道の野菜はうまいぞ。魚は文句なしだ」
 「そりゃ楽しみだ。うまい酒を飲むために絶対に勝たないとな」
 タクシーが橋本の駅に着いた。保坂は少し名残惜しそうだったが、お互いの健闘を誓って固く手を握りあい、再会を約束して車を降りた。後部座席の保坂に手を振り、車が見えなってから改札口に急いだ。


8.表参道
 電車は間に合うだろうか?駅員に聞くと、JRなら東神奈川駅まで行って京浜東北線に乗り換えることになるが、新大井の入画時刻には間に合わないだろうとのことだった。残る方法は9時40分発の小田急線の西北沢行きの最終か9時35分発の京王線の新笹塚行きだが、京王線は間に合いそうになかった。小田急線の最終が発車するホームに急ぎ、停車中の電車に飛び乗った。最終電車だというのにガラガラだった。電車はすぐに発車した。私の乗った車両には10人ほどしか乗っていなかった。皆風采の上がらない身なりだ。女性はいない。スーツ姿も見えない。皆作業服やらブルゾンを着ている。途中の駅で何人かが降り、何人かが乗ってきたが、乗客が増えることはない。皆静かにスマホを見ているか居眠りをしている。途中、何台か下り方面に向かう電車と行違った。大勢の人が乗っていた。立っている人も多かった。今日一日画の中で働き、いろいろなことがあり、ようやく勤務を終えて、境界を越えて自分たちの住処に帰っていくのだろう。明日もまた境界を越えて画の中で働く。そのくり返しだ。画は働く場、暮らしは画の外だ。

 電車が西北沢に到着した。降りたのは15人ほどだ。橋本駅からの乗客も5人ほど混じっていた。不思議と親近感が湧いた。ゲートを通るのには慣れた。戸惑うことはない。シャトルに乗るのにも慣れた。その後またゲートを通るのも。こうして皆画のある世界に慣らされてきたのだろう。
 ゲートを出ると西北沢始発の新荒川行きが停車していた。新荒川も新駅だ。この電車に乗れば代々木上原から地下鉄千代田線に入っていく。山手線への乗り換えを考えるとラッキーだった。
 この辺りは以前若者に人気の街だったが、画ができてからは若い人たちが住める街ではなくなった。今この街で暮らしているのは、かつてこの街で暮らし、運よく居住権を手にすることができた人たちか、富を得てこの街を気に入った人たちだ。だからこの辺りは、画の中では比較的年齢層が低く少し画外の香りがする。
 いくつかの駅で停車と発車を繰り返し電車は明治神宮前駅に到着した。ここで山手線に乗り換える。隣接しているJR線の駅名は原宿だ。この辺りも以前は若者の街だった。下北沢よりもさらに若い人たち、十代の街だ。ローティーンが奇抜な服装でたむろし、ハイティーンがちょっと気取って我が物顔で歩いていた。だから特別な用事でもない限りおじさんたちには縁のない街だった。そんな街が、画に飲み込まれてどのように変化したのだろうか?俄然興味が湧いてきた。山手線は深夜も休まず運転しているから急ぐことはない。

 しばらく東京に来ることはないだろう。画に守られた繭のような東京を再びこの目で見ることはできないかもしれない。画が滅びるかもしれないのだから。
 いや、滅びるのは運命だ。本来存在してはならないものだった。だから画を葬る一員に私も加わった。安全で快適で美しく機能的な未来都市、緑の壁に守られた楽園、無菌培養のゆりかご、選ばれた者だけに許された安息の地、金がすべてを統べる世界、富と分断の象徴、歴史の一瞬に咲いたこの奇妙なあだ花をもう一度だけこの目に留めておこう。あと少しだけこの街を歩き、その空気に包まれたいと痛切に思った。

 地下鉄の駅から階段を昇る足取りが早くなる。キンとした冬の夜気が降りていた。昼間の温もりは微塵も残っていない。表参道のケヤキ並木は冬枯れた枝を大きく左右に広げていた。空にはうす雲もなく多くの星が輝いていた。街灯は控え目にレンガ敷きの歩道を照らしていた。高級そうなブランドショップは既に営業時間を終え、ライトが商品だけを照らしている。
 通りの一角に明るい光を放つ食品スーパーがあった。深夜まで営業している高級食材を扱う店だった。地下駐車場に高級外車が入って行く。この一角にはカフェが多く立ち並び、どこも賑わっている。歩道に面したテーブルの間に置かれたストーブの煙突からは白く湯気が立上っている。画の中ならどこにでもありそうな風景だが、この辺りは通りの奥が住宅街になっているためか、皆時間を気にせず夜を楽しんでいる。
 かつての主役だったティーンエージャーたちは勿論いない。若くても20代の後半だろう。ウールのコートを着た男、毛皮を羽織った女、長いダウンコートの男、トレンチコートの女が行き交う。スーツにマフラーを巻いた男、ワンピースにカーディガンの女は寒そうだ。

 宴席を始める前、木下が久田に電話を掛け、時候の挨拶と簡単な情報交換をした後、私に受話器をよこした。私から簡単に自己紹介をした。久田は大層喜んでいた。秘書が亡くなって心細かったと素直に語った。話せば変人でないことがすぐに分かった。久田とならうまくやっていけそうな気がした。
 明日の午後、旭川に帰ったら先ずは事情を会社に説明しなければいけない。簡単に了承してもらえるような話ではない。明後日まで話は持ち越しだろう。そんな事情を話し、早ければ明後日の午後、遅くても夕刻には直接会って話を聞きたい。もし関係者で会うべき人がいれば同席してもらってもかまわないと久田に伝えた。
 
 表参道を青山通りに向かって歩きながら思いを巡らせる。会長と社長にどう説明するか。会長も社長も偏狭な人ではないが、雇われ重役3年目の身だ。勝手なことを言える立場ではない。おまけに東京工場の対応という課題も出てきた。そんなときに出しぬけに2か月近く休ませて欲しいと言ったらどう思うだろうか?しかも理由が政治家の臨時秘書だ。不安が膨らみ胃が痛くなってきた。これから一生に一度の大仕事に挑もうとしているのになんと小心なことか。我ながら情けなくなる。
 何度が夜気を吸い込み、冷静になるよう努力する。先ず、2か月間会社を休んだとしたら仕事は上手く回るだろうか?幸い、新年度の事業計画案は既に仕上げてある。その息抜きが今回の上京だった。実務の方は部下がやってくれるし、特に厄介な懸案事項も思い当たらない。突発的な問題が起こらない限り私の出番はなさそうだ。政治家の秘書と言っても黒子に徹するつもりだし、走り回るといっても旭川の近辺だろう。何かあっても部下のフォローくらいはできそうだ。東京工場の方は工場長に頼み込めば2か月の猶予はもらえるだろう。業務の上では問題なさそうだ。

 次は政治嫌いの会長が許してくれるか?会長は地元の経済界の活動や会合にはマメに顔を出し、それなりの役職をこなしてきたが、経済人に徹し政治とは一線を画してきた人だ。反対する可能性は大きい。首を覚悟しなければいけないかもしれない。しかし、一生に一度の決断だ。首になっても命まで取られることはないと腹をくくった。と同時にヤバくなったら叔母がフォローしてくれそうな気がした。また弱気の虫がうごめく、情けない。
 社長はどうか?合理的でリベラルな人だから業務に穴が空かないことが分かれば反対はしないだろう。しかも、今、私たちがやろうしいていることは、「効率」を旗印に社会の連帯や人々の心を蔑ろにし、「競争力」を旗印に弱者を顧みず、「グローバル」を旗印に地方を切り捨てるこの国の政治のあり方を正し、誰もが自由に、自らの可能性を信じて生きていける国に再生させる戦いなのだ。社長ならこのことの意味を理解してくれるだろう。むしろ会長を説得してくれるかもしれない。いや、会長にしても一本気な人だから応援してくれるかもしれない。自分に都合の良いように想像を膨らませ勇気づける。
 妻はどうか?妻は反対しないだろう。妻は私が何をしても文句を言ったことがない。鈍感というより私には悪いことができるほどの度胸はないと高をくくっているのだろう。今回のことは私にとって相当思い切った決断ではあるが人様に恥じるようなことではない。問題ないだろう。

 いつの間にか青山通りの交差点まで昇って来た。体が少し温まり、心も少し軽くなってきた。この辺りのレストランやカフェもまだ賑わっていた。熱いエスプレッソでも飲んで帰ろうかと思い時計を見ると12時を少し回っていた。
 明日の予定を考えればこのまま原宿駅に戻った方が良さそうだ。今度は原宿駅に向かって緩やかな坂を下りていく。歩きながら木下の眼差し、保坂の拳の暖かさ、電話越しに聞いた久田の言葉を思いだし、そして先ほどの思いを反芻する。
 勇気が湧いてきて、それが身体の隅々に行きわたり、胸のあたりで強い塊になった。頭が冴え、魂の高ぶりを感じた。
 突然、身体がブルブルッと震えた。少し歩き過ぎて体が冷えたのか?いや、この国を再生する戦いへの武者震いに違いない。心が熱くなり、目が熱くなりケヤキ並木が少し滲んだ。

画‐かく‐

画‐かく‐

東京には画(かく)がある。高度なセキュリティーと都市機能を備え、快適な環境と美しい景観を持つ楽園のような城郭都市だ。その楽園で暮らせる者は一部の選ばれた国民だけだ。画は何故、どのようにしてできたのか?画は本当に楽園なのか? (星空文庫、小説家になろう、novelist.jpに投稿しています)

  • 小説
  • 長編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 第1章 入画審査
  2. 第2章 木の心
  3. 第3章 地方発展計画
  4. 第4章 密入画
  5. 第5章 東京工場
  6. 第6章 再生