鉛の兵隊
ある公立高校に、奇妙な生徒がいた。名前を澤田双葉という男子生徒は、先天性の障害であるマルファン症候群というものをもち、骨と皮ばかりに痩せていて、右足が不自由だった。
さらに、彼の手は女子生徒の倍ちかくあった。
かれは、いつも一人だった。動かない右足を引きずり引きずりしながら、学校にくる。そして、きっちり授業をうけて、帰っていく。その姿は、どこか、上官に敬服する兵隊のようなところがあり、他の生徒は、アンデルセンの童話に登場する、一本足の兵隊のようだ、といって、「鉛の兵隊」とよんでいた。
私は、非常勤講師だった。だから、県の職員ではない。この学校は、県立の高校だから、非常勤講師のわたしには、ああだこうだという権限はない。
。いちおう、副担任とは、なっているが、担任の付属物のようなもので、さらに私は、体育教師だから、あまり重要な立場ではない。
この学校は、大変な不良校だ。超ミニスカートや、腰パンで、ほとんどの生徒は尻をだしている。また、いじめもよくあったし、体罰もざらにあった。さらに私は、その体罰が、生徒のためでなく、「進学率」の三文字からくるものだ、ということをしっていた。でも、口にはできなかった。なぜなら、非常勤講師であったから。
「いいか、おまえたち!」
と、担任教師の声がひびく。
「おまえたちは、お金がないために、ここへきている。お父様、お母様は、おまえたちのために、毎日汗水たらして働いてくださるのだ!そのできるだけの努力を無駄にしないよう、国公立の大学にいって、お父様お母様の恩返しをしろ!」
高野というその教師は、進路課の課長だった。一日一度は男女関わらず、木刀で生徒を叩いた。叩くことで、他の生徒にも、相乗効果がでて、よい結果がでる、というのが、その教師の口上であったが、はたしてそれは、本当にそうなのか、は不詳だった。
私は、女性であったから、女子生徒の体育実技を担当していたが、ときに、保健体育の体育講義も行うことがあった。この場合は男女共学で学ぶ。
せめて、このときばかりは、生徒たちを囚人扱いしないであげよう、とおもった。そうすると、生徒たちは、自然な、若者の姿をみせるのだ。保健体育だから、少々、真面目なひとは閉口する話もしたが、思春期の男女が、異性に興味をもつのは、当然のことだ、と私は思っていた。そのなかで、
私は、鉛の兵隊ならぬ、澤田双葉をみつめていた。かれは、淡々とノートをとるばかりで、全く発言もしない。
つまり、学校では、一言もくちをきこうとは、しないのだ。
あるとき、
「双葉!」
と、高野が怒鳴っていた。
「おまえは、なんて言う場所にいくつもりなんだ!」
双葉は答えなかった。
「どうしたんですか?」
と、私は、教室にとびこんだ。
「これをみろ!」
高野は、湯気をたてているほど、怒りに満ちた顔で、怒っていた。押しつけられた紙をみてみると、
「志望校、東京音楽大学」
と、かいてあった。素晴らしいではないか、音楽を学ぼうなんて。しかし、高野は、苦虫を噛み潰したかおをしている。私は、大体わかった。双葉は、国公立にいける学力があり、しかし、東京音楽大学という、私立を志望したため、高野は、おこったのだ。
「いいかおまえ!」ゆでたこは、怒鳴っていた。
「音楽なんてものは、自己本位でしかない、そんなものは、仕事にはなにもならないんだ!いいか、おまえは、一千万円学費がでるところにいき、しかも、ホームレスにしかなれないところへ、いくんだぞ!それがわからないなら、今すぐ死ね!」
ゆでたこは、双葉の頭をたたきのめした。でも、かれは、なにもいわなかった。マルファンに特有の長い耳は、何回も、高野にひっぱられているのだろう、真っ黒な痣がついていた。私は、おもわず、
「やめてください!」
と、双葉の前にたった。高野は、さすがに、女性をたたくことはしなかった。
「双葉君、痛かったでしょう、いつも、あんなことされているの?」
私は、必死できいた。でも、彼の口は開かなかった。私は、ある意味で鉛の兵隊だとおもった。彼が必死に耐えようとしているのが、よくわかったから。双葉は、汚いものでもみるように、私をみた。「お前も、高野の手先だろう!」という感情が諸共に感じ取れる。彼は、くちを強く結び、歯を食いしばって耐えていて、そしてうつくしかった。
「もう少し、」と私は、いった。
「高野先生が優しくなってくれるといいんだけど。」
双葉は、踵をかえし、不自由な足に片手をそえ、本人にとっては、全速力で走っていった。私は、胸がいたくなる思いであった。
双葉は、友達らしい友達もいない。だから、愚痴や嘆きをいうものもない。私は、放課後、彼と接点を持つようにこころがけた。相変わらず、頷くか、首を振るかしかないコミュニケーションだけど、それでも、かれの力になりたかった。
かれは、決していわゆる、ふれあい恐怖症などではなかった。スマートフォンを持っていたが、「スマホのメールなら言葉がでる。」という、現代の若者にみられる傾向はない。むしろスマートフォンは、しまいっぱなし、という表現のほうが、よいとおもわれる。さらに、何か精神疾患があるわけ
でもなさそうだ。ただ、頷くか、しかないけれど、障害があるそぶりもしない。
例えば何か聞こえてくるとか、誰かに悪口をいわれているのではないか、と、訴えることは、全くない。かれは、淡々と勉強をして、悪い足を引きずりながら帰る。その繰り返しだった。
三者面談の時期になった。みな、親御さんと、担任教師と話をするのだ。親御さんたちは、みんな、本人が希望する大学へいかせたい、と口にする。しかし高野は、親御さんたちにまで、私立大学の悪さや「一千万円」をくちにし、とくに「一千万円」を強調するため、親御さんたちも、まんまとその罠にはめられてしまう。親御さんたちは、一生懸命働いている。でも、自分の生活もかかり、一千万円は、大金すぎるとわかったから、みんな国公立にいって、しまう。
双葉も、三者面談には、でなければならない。しかし、彼には親はいないのだ。大地震のために、二親ともなくなっている。かれは、親戚から、仕送りをもらい、一人でくらしていた。そういうわけで、一人で面談をうけることになったのだが、相変わらず、志望は、東京音楽大学しかなかった。音楽大学だから、あまり学力は必要としない。だから、彼の成績はよくなかった。高野は、現代文ができない、とよくどなったが、たしかに塾でおそわる、正しい答えはまるで出ず、自分の感性で問題を解いている、という傾向があった。それは、アメリカなどであれば、賞賛されるだろう。私は、彼のことを、かわいそうにおもった。高野が、いくらどなっても、叩いても、かれは、くちをひらかない。そういうわけで、高野は、「もう、すきにしろ!」と、どなり、彼に一切関わらなくなった。
それでいいと、思っていた。しかし、他の生徒が、次々にマインドコントロールされて行くもの、教育者のいうことをくそくらえとして、不良化して分かれていく中、双葉は、どちらにもつかなかった。さらにかれは、足が不自由であり、「鉛の兵隊」と、して、不良たちのパシりのように扱われたが、かれは、不満をもらすこともなく、不良の命令にも従わなかった。どんなに、殴られたり蹴られても。養護教諭は、彼の心をしんぱいしたが、かれは、口をひらかなかった。
わたしは、不良たちが彼の現金を盗み取ったり、暴行されたりしているのをみて、止めようとおもったが、私自身の身がもたなかった。わたしは、女性であり、若い男に殴られたら、ひとたまりもないからだ。双葉自身も助けをもとめなかった。わたしは、違和感を覚えた。本当に、戦争で戦う兵隊のようだ。いくら殴られても、黙って耐えるその姿は、二十一世紀の若者の姿だろうか?
いよいよ、受験の日がきた。双葉は、本人が望む、東京音楽大学にいった。私は、一緒についていきたかったけれど、それは、できなかった。入試を終え、かれは、二度と学校には、戻らなかった。そう、二度と、二度と!
合格したのかも、わからないまま。
双葉は、受験にはいったが、途中で電車が脱線事故を起こし、死亡してしまった。私は、葬儀にいきたかったが、忙しさで行くことができなかった。
わたしは、卒業式を終えた翌日に、双葉の住んでいる地区にいってみることにした。その地区は三年前に、大地震がおこり、壊滅的な被害をうけ、衛生面もよくなく、まるで、戦争のやけのはらと同じようになっていた。臭いにおいが、充満したり、壊れた家がむき出しになっており、人々は、略奪を繰り返していた。復興は、進んでいなかった。三年前と、ほとんど変わっていなかったのだ。
わたしは、駅を降りた。駅前商店街もなにもない。掘っ建て小屋がぽつりぽつりとあるだけだ。野良犬ならぬ、野良牛が、うろついていた。
そのときだった。後ろの方からお経がきこえてきた。誰かの葬列だ。振り向いたら、棺をかつぎながら、数人の喪服をきた人たちが歩いてくる。先頭をある青年が位牌を持って、白色の着物をきて、歩いていた。この地域はまだ、未婚の喪主は、白色を着なければならない。
わたしは、その青年の顔をみて、思わず
「双葉くん!」
と、叫んでしまった。まさに、澤田双葉にそっくりだった。生きていたのか、と言おうとすると、葬列はとまった。
「僕は双葉ではありませんよ。僕は澤田双葉の息子です。」
「む、息子?だってわたしは、双葉君を受け持っていて、かれは、東京音大、、、。」
「父は、」
と、青年はいった。
「高校生になれなかったんですよ。豆腐屋で住み込みで働いていたので。三年前にこの町で、大地震があり、父は有毒ガスで脳浮腫になってしまったんですよ。三年間治療しましたが、意識が戻らずに亡くなりました。だから、こうして弔っているんです。」
わたしは、あっけにとられ、自分の素性と、澤田双葉と言う生徒が自分の高校にいたということをはなした。そして、東京音大の入試の日に、事故にあったといってみた。
「そうですか、」と、息子はいった。
「父は、脳浮腫で眠っている間に、心は、高校生になっていたんですね。音大は父の夢でしたよ。しょっちゅう口にしてましたからね。なくなったのは、ちょうど入試の日だったんですよ。」
「どうして、お父様はそんなに、大学へいきたかったのですか?」
「父は、高校入試の日に、精神疾患で入院したんですよ。退院したときは、もうご両親もなくなって、働かなくちゃならなかったんです。でも、毎日紙鍵盤で、練習して、まともな暮らしができたらピアノを買い、毎日毎日弾いていました。それなのに、この大地震ですから、二度といけなくなってて、しまったんですよ。父はそういう人間ですから、亡霊だけでもいいから、高校に、いきたかったんじゃないかなあ。」
息子は、時計をちらりとみた。
「もういいですか?火葬場に間に合わなくなります。」
「あ、ごめんなさいね、」
「いえいえ、亡霊の父は、きっと、学校生活を楽しんでいたんじゃないかなあ。」
私の前を通り過ぎた葬列。
わたしは、学校が今まで犯してきた罪を初めて知った。
もはや、逃げ場所はない。わたしは、教育者なのだから。
鉛の兵隊