愉快な増田家

概要
先天性の失読症の伯父と、甥の交流、父との対立を書いた物語。

登場人物
増田朋美
本作の主人公。彼の一人称で物語は語られる。伯父良治から、箏を習い、伯父の手助けをしたりする。学校が嫌い。父は、上級学校に進学させたがるが、本人はその気はない。祖母の死や、良治の精神科への送致で、危うく自殺をはかるが、、、、

増田良治
朋美の母親(長治郎を出産後に死亡)の兄。先天性の失読症をもち、読み書きはできない。しかし、持ち前の純真さと、容姿の美しさなどでカバーしてしまう。父には、嫉妬されている。感受性も強く、祖母が倒れたときは、パニックになって、精神科に送致されるが、精神を病んではいないため、すぐに戻された。


朋美と長治郎の父。銀行員。仕事でいつも不在であるが、朋美が中学生あたりから、急に進学先を決めるなど、厳しい父親となる。あまりに朋美に、期待しすぎたため、アルコールにふけり、ビール瓶を投げて朋美を失明させる。

祖母
良治の母親。心筋梗塞のために、急死する。


長治郎
朋美の弟。要領よく、チャラチャラした今時の男のようにみえるが、彼もまた父を嫌っている。


その他の人物
植松
朋美の同級生。良治の存在を早くから知っており、朋美をいじめる。


大槻善之
良治が師事している、箏の会「スピカ」の家元。人の心を読み取るのがうまく、指導者としても素晴らしいものがある。良治が文盲であることをみとめ、ハンディをつけながらも免状をとるまで、育て上げた。

佐野桂子
大槻の弟子。統合失調症。朋美をみて、彼を恋い、したう。後に彼の妻になる。

これは、僕が僕の顔を見ることができた時代の話である。
僕の家は、毎日箏の音で目が覚める。
「雄鹿なく、この山里といいじけむ、、、。」
この歌をきくと、ああ、今日は、良治伯父さん、元気だな、とおもう。
朝、起きると、祖母が漬け物をきる音、祖父が吸う煙草のにおい、父が新聞をめくるおとが聞こえる。弟、長治郎も起きてくる。
「朋美」と、祖母が僕に言う。
「良治伯父さんを呼んできて。」
僕は、一番奥の一番狭い部屋に行く。常に雨戸を閉め、外からみたら、物置に見える部屋で、良治伯父さんは、箏を弾いている。
「伯父さん、ご飯だよ。」と、僕は伯父さんの肩をたたく。そうしなければ、伯父さんは気がつかない。良治伯父さんは、肩を叩かれるとびくっとする。
「お、おう。」と、キーが高い声で伯父さんは、やっとこちらに戻ってくる。伯父さんは、外国人の俳優さんみたいに良い顔をしている。それなのに、結婚はしていない。伯父さんは、母の実の兄であり、僕の父は婿養子なのだ。しかし、母は弟が生まれたときに、難産で亡くなった。そうなれば、父は、名字を戻して、僕らを連れてこのうちにさようならをするはずである。
しかし、父は、増田のまま、残っている。だから、僕は増田朋美だし、弟は、増田長治郎なのだ。



僕は、極普通の人が行く、市立の小学校に入学した。入学式の日、父は、出張で不在であった。銀行員の父は、月に何度も出張にいった。祖父も、祖母もそれぞれ仕事に出かけなければならず、結局良治伯父さんが行ってくれることになった。前日に、夕飯をたべながら、祖母は、こんなことをいった。
「良治、明日はあなたが主役じゃないのよ、朋美をひきたててあげてね。」
「わかりましたよ」と、良治伯父さんはいった。僕は、なんとなく、変な気持ちになった。
次の日、良治伯父さんは、黒の紋付きを身につけ、僕は、ランドセルを背負った。ズシッと重かった。良治伯父さんと僕は、手を繋いだ。二人並んで道路をあるいた。すると、近所のおばあさんたちが、こんなことをはなしていた。
「あんれまあ、あんな良い顔の男が、働きもしないくせに、よう子どもを引っ張っていけるねぇ。あの子どもは、将来どうなるかねえ。」
良治伯父さんは、全く気にせず、六段の調べのメロディーを口ずさんだ。
すこしいくと、派手な洋服をきた、おそらく僕と同じ学校へいくと思われる、少年が、良治伯父さんをみて、指さした。
「あ、増田良治。頭のおかしいオヤジだー。よう、増田良治、きみは、漢字も平仮名も書けないんだよねえ。おれねえ、ついに漢字を書けるようになったで。増田良治、お前は漢字かけないから、俺のパシりになれー。」
「こら、そんな事を言っちゃいけません。頭のおかしい人ではないのよ!」
と、母親がよびとめた。この少年は、後に腐れ縁のようになる。その当時の僕は、予想はしていなかったが。
入学式の会場に入った。どの子も、みんな母親と一緒で男性は、良治伯父さんだけだった。
新入生呼名が始まった。大規模な学校だから、えらく時間がかかり、僕は、眠くなった。すると、
「おい、朋美、次によばれるぞ!」と、こえがした。と、同時に校長が、
「増田朋美君!」とよんだ。僕は、
「は、はい?」と周りをみわたした。すると、そこには、冷たい目がずらっと並び、ざわめきが聞こえてきた。
「お静かに!次は、佐藤加代子さん!」と校長が、よんだ。
「はい!」隣に座った少女は、佐藤加代子であった。とても朗らかなこえだった、
本来なら、こういう返事をするはずだろう。僕は、それができなかった。それがすごく
くやまれた。
式はおわり、教室へとおされた。むろん、保護者なのだから、良治伯父さんもはいるのであるが、
母親たちの何人かが教室のドアを閉めて、伯父さんは、廊下に追い出された。
僕は、机の上にある教科書を、みつめた。心に重石が乗ったようだった。
隣に座ったのは、佐藤加代子。前に座ったのは、あの、道路で遭遇した、植松であった。
僕は、不安でたまらなかった。この先、やれるだろうか。
教科書が入ったランドセルは、漬け物石のようだった。
僕は、大人の人たちがなぜ同じ大人の良治伯父さんを、邪険に扱うのか、理解できなかった。それは、次第にわかるようになる。それは、地獄の始まりであった。

僕は、晴れて小学校という世界、即ち学校という世界に入った。しかし、五時間近く椅子に座らされ、威張っている先生の話をきくのはなりの苦痛だった。学校から帰ってきたら、二時間近く眠った。祖母が、それを見て、勉強しろしろと、怒鳴りつける。確かにもじや、計算ができて、嬉しい気持ちもあったが、学校は、憂鬱であった。
「朋美」と、良治伯父さんが僕の部屋にやってきた。
「辛そうだね。」
伯父さんは、僕の気持ちを初めて共感してくれた。
「勉強も、いいけど、たまには息抜きも必要だよ。」
「伯父さん」と、僕は、これぞとばかり頼んだ。
「お箏を教えて!」
伯父さんは、にこりと微笑んだ。タンポポの花のような笑顔だった。
早速、僕と伯父さんは、物置部屋にはいった。箏が二面と、布団があるだけの小さな部屋。
伯父さんは、三角形の部品を絃の下に置き、それを動かして、ミラシドミファラシドミファラシと言う音がでるようにした。これは、平調子と、言うものであった。
「では、桜桜を弾いてみようか。」と、良治伯父さんは、箏を弾き始めた。
桜桜という単純なメロディーなのに、どうしてこんなに美しい音なのだろう。
良治伯父さんは、僕もハンサムなひとだと思っていたが、箏を弾いている時の伯父さんは、天の羽衣を身につけた、天人のようだ。その音、そうして慈しむような顔。良治伯父さんは、やっぱりすごい、と、僕は、おもった。
しかし、疑問があった。良治伯父さんの部屋には楽譜がない。教則本らしきものも、応用作品などもない。この部屋には押し入れもないし、箪笥も机もない。楽譜がないのになぜ音楽ができるのか。僕は、学校で、音楽はオタマジャクシのようなモノを読んで演奏するんだと、習ったし、箏のばあいは漢数字で、壱弐参四五六七八九十斗為巾と言う物が、オタマジャクシの代わりになると言うことも習ったが、その数字譜もないのだ。
しかし、良治伯父さんは、桜だけではなく、様々な曲を弾く。タイトルはわからないけれど、美しい曲をたくさん知っている、、、。
「朋美、伯父さんが弾くから、真似をしてごらん、それが一番近道だよ。」
「うん。」
と、僕は、伯父さんのあとに続いて桜を弾いた。はじめは、絃の位置を見きわめるのに苦労した。間違えると、伯父さんは、僕の手を掴んで、正しい絃のところへ持っていき、決して怒らずに、何回もやとてくれた。一時間したら、僕は、桜が弾けるようになった。
その次の日は、荒城の月、その次の日は、みかんの花咲く丘、など、毎日毎日欠かす事なく、この稽古は続いた。楽譜は一切しようしなかった。

ある日のことだった。僕は、いつも通り学校にいった。すると、同級生三人が、僕をとりかこんだ。
「お前のオヤジは、なんで字が読めないんだよ、馬鹿じゃねえの。」
「小学校一年だって、もう漢字習わなくちゃいけないのによ、何であいつは習わなくていいのかなあ。」
「俺達が、こんなつまらない学校に行かなきゃならないのによ、あいつは学校行かなかったんだなよなあ。」
と、ビニール袋から、僕の頭上に砂をかけた。
次のひも、その次の日も、同じことをされた。

僕は、家にかえった。帰り道で砂をかけられたので、髪は白くなっていた。
家のドアをあけると、良治伯父さんがでた。
「朋美、どうしたの、すぐお風呂に入って綺麗になっておいで。」
僕は、伯父さんに言われるがままに、お風呂にはいった。
お風呂から出ると、伯父さんは、ホットケーキと、ジュースをだしてくれた。
「ほら、これ食べて、元気だしな。」
僕は、国語の教科書をとりだした。
「良治伯父さん」
僕は、ごくりと生唾を、のみこんだ。
「この字、読める、、、?」
僕は、国語というタイトルを指さした。
「読めない、、、。」
と、伯父さんは、涙を堪えながら、いった。ああ、ついにわかってしまったか、という表情だった。声を出して泣こうとはしていなかったが、悲しみをこらえている事がわかった。
「ごめんね、朋美。ごめんね、ごめんね、、、。」
僕は、何といったらよいのかわからなかった。

その夜、僕は、祖父にきいてみた。
「良治伯父さんは、字がよめないの?」
「お前も気づいたか。」と、祖父は静かにいった。
「良治伯父さんは、ディスレクシア、という障害で、いくら練習しても読み書きができないんだ。知恵遅れでも、自閉症でもない。それなのに、平仮名も片仮名も漢字も読めないし書けない。だから、雇ってくれるところがないから、おばあちゃんが箏を習わせたよ。楽譜は全て暗譜。朋美、これは、仕方ないことなんだ。」
「大丈夫、」と、僕は、張り切っていった。
「僕が伯父さんの力になる。僕、良治伯父さん大好きだから。」


僕は、いつでもどこでも、良治伯父さんと一緒だった。伯父さんの買い物は独特だった。まず、スマートフォンを常に出している。それには、きゅうり、人参、などの野菜の写真。牛肉、豚肉などの食材の写真をみて、同じ物を買っていくのだった。だから、すぐパッケージが変わるようなものは、買うことができない。なので良治伯父さんは、インスタント食品は全く買わず
全て生鮮食品を買った。調味料も、塩こしょうや醤油程度しかない。それゆえに、伯父さんのつくる料理は、野菜のにものばかりだった。よく同級生の植松がからかうことがあったが、小学生だったので、まだ親の力が大きい年であるから、べつに気にしなかった。
伯父さんは、駅の名前なども、読むことはできないが、電車が発車するときになる音楽で、駅を識別していた。また電車の色などで、各路線をある程度把握していた。本を読むこともできないが、図書館の朗読サービスなどを利用していた。きいているときの伯父さんは、とても真剣であった。
楽しかった小学生時代もおわり、中学生になった。やはり、入学式は、良治伯父さんに来てもらった。しかし、中学校は、小学校と全く違った。各教科ごとに教師がいる。そしてなにより、「試験の点数」、「内申点」に縛られた。
入学式の翌日のことだった。
「ただいま。」と、父が帰ってきた。
「なんだおまえ、こんな早く帰ってきたのか。」
と、祖父は、間延びしていった。
「お父様、僕は、今年から支店長に、なりました。なので、帰宅も早くなります。これから朋美と、長治郎は、僕がみます。」
父は、選挙演説のように話した。
「朋美、お前は、内申点を取って、私立高校へいけ。長治郎もだ。」
「はいよ、」と、長治郎は、ふてぶてしくいった。
「直樹君、君は焦りすぎじゃないのか、朋美はまだ、中学生になったばかりだぞ。もっと楽しませてやれよ、受験は、その後でいいだろ、」
「お兄さんは、社会人経験がないから、そんなこと言えるんですよ。いいか朋美、まず、箏を処分しなさい。そして睡眠を削って生活しなさい。中間テストまでもうすぐきてしまうぞ。三年になってからでは、おそすぎるから。」
僕は、父が何故このようなことをいうのかわからなかった。
その日から、僕の生活は天国から地獄になった。父は、毎日勉強したか、と怒鳴りつけ、ノートを全てみて、気に入らないことがあれば、紙筒でひっぱたく。例えば、僕がアルファベットのスクリプト体を習って、覚えるために、何回か書いて、形が崩れてしまったときの激怒は、すさまじかまった。
「おまえは、真似をすることもできないのか、このばかもんが!」
などといい、背を物差しでぶった。しかし、弟の長治郎は、同級生の書いたものをトレーシングペーパーなどで、写して、実際にはしなかった。暇があれば遊びにいった。
祖父も、祖母も父には何もいえなくなった。父は、二人が大切にしている、着物などを自分の部屋に持っていき、朋美や長治郎のことについて文句があるなら、燃やしてしまいますよ、などといって脅し、誰も逆らえないようにしていた。
良治伯父さんだけが父に刃向かっていた。朋美が可哀想だ、と、僕の見方になってくれた。しかし、
父は、馬耳東風。読み書きのできない伯父さんに、朋美に近づいたら箏を没収するという誓約書を
書かせた。
一体、父は、何故鬼のようになってしまったのだろうか?

僕は、憂鬱だった。鬼のような父。そして、同級生からはいじめ。二つの狭間で苦しんだ。
小学校に入学したときばかにした、植松は、中学生になっても、同じだった。ある時は顔を書道の墨で真っ黒にされたり、ある時は靴の中に10近く画鋲が入っていたり。学校にも家にも安らぎはなかった。そんな中、
「朋美」と、良治伯父さんが部屋に入ってきた。
「伯父さん、僕の部屋に入ってはだめだよ、また、お父さんにしかられるよ。」
「いま、出かけていった。当分帰ってこないとおもうよ。ねえ、僕らもどこか行こうよ。」
僕は、伯父さんの提案通りにすることにした。
伯父さんと僕は、家からあるいて五分のところにある、バス停に向かった。バスは、数分のうちに来てくれて、僕らは終点までのった。そして、バスをおりると、立派な桃の木がある家にいった。良治伯父さんが、呼び鈴をおすと、
「はい、どなたですか?」と、若い女性の声がした。
「増田良治です。甥をつれてきました。家元、いらっしゃいますか?」
「おりますけど、いま生徒さんと一緒です。ちょっとおまちください。」
おそらく家政婦さんとおもわれた。
「お待たせしました。上がってください。」
家政婦さんは、ドアをあけてくれた。
僕が、良治伯父さんと一緒に中にはいると、箏の音がなっていた。
良治伯父さんは、構わず一番奥の部屋にいった。へやには、八十代と思われる男性と、二十歳になるかならないかの女性がいた。
「久しぶりだね、増田君。」と、男性がいった。とても、
ゆっくりした話し方だった。
「はい、半年ぶりですかね。今日は甥の朋美をつれてきました。」
「は、はじめまして、増田朋美といいます。」僕は、しどろもどろに挨拶をした。
「朋美君ね。私はこの箏社中、スピカの家元で、大槻善之といいます。どうぞよろしく。で、この子は、弟子の、佐野桂子。仲良くしてやってください。」
「佐野桂子です。どうぞよろしく。」と、女性がいった。しかしその顔は、笑顔でもなく、悲観でもなかった。能面のような顔だった。
「桂子ちゃん、何か一曲ひいてやろう。ひぐらしはどうかな。君は本手をやりなさい。」
と、大槻はいった。二人は箏を調弦して、ひぐらしを弾き始めた。
素敵な曲だった。桂子の演奏は、ひぐらしというより、みんみん蝉に近い演奏であったが、彼女の真剣なかおは、いまの社会になかなかないとおもわれた。
途中、テンポがずれたりもしたけれど、彼女は無事にひぐらしを弾き終えた。
弾き終えた桂子は、肩で息をしながら、
「今度は、良治さんと、朋美君の番。何かひいてよ。」といった。
僕は、小学生いらい弾いていなかったのだが、伯父さんは、大丈夫だといった。
僕と伯父さんは、片岩戸調子に調弦して、「小督の曲」をひいた。古典であったけれど、長い曲だった。でも、彼女は、ニコニコして、きいていてくれた。
弾き終えたあと、桂子は、僕を庭へつれていった。
「あなた、お箏やってなんねんになるの?」
「小学生の間だけですよ。」僕は、正直にいった。
「そうとは思えないくらい、うまかったわよ。ねえ、あなた家元直門したらどう?
せっかくの才能がもったいないわよ。」
「い、いや、そんなこと、」鬼のような父の顔が浮かんだ。
「じつはあたし、統合失調症なの。昔は、精神分裂病。あたし、入院したことあるのよ。でも、全然気にしてない。むしろその方が楽よ。確かに症状はつらいけれど体が疲れたってことを教えてくれた、病気だから。ただ、みんなより、つかれるだけ。あなたのおじさまも、文字が読めないのは、辛いとおもうわよ。でも、読めない分、心のはなしが出来るでしょう。だから、何事も、ひっくり返せば、良いことになるのよ、」
僕は、そのあとの言葉をわすれない。
「あなたが好きよ、あたし。」
顔がカッと赤くなって、めまいがしたようなきがした。
彼女は、メールアドレスとスマートフォンの番号をくれた。


僕は、桂子さんに、スマートフォンのアドレスと番号をもらって、涙が出るほどうれしかった。学校にも、家にも居場所がない僕にとって、スマートフォンは、非常にありがたいものであったから。僕は、しばらく桂子とたわいのない話をして、伯父さんと一緒に家にもどった。父は、まだ帰っていなかった。そこで、僕は、彼女にメールをした。いわゆる恋文だ。昔の人が和歌を交換していたのと同様に、スマートフォンでやりとりをしたのだった。桂子さんは、確かに統合失調症ではあった。時に、一人で、ディズニーランドにいったのを、架空の友人と一緒にいったと、嘘をついた。しかし、それは、そういう友人が欲しいから、そうやって、架空の人を作ってしまうんだな、と、友達のない、僕は、おもった。そこで、桂子さんにこうきりだした。
「差し支えなかったら、一緒にディズニーランドにいきませんか?」
「本当?嬉しいわ。でも、増田君、お家の方に迷惑を、かけては。」
「いいさ。予備校に行くと言っておけば。」
と、僕は、送った。実際、父の命令で、予備校に週に三回、いかなくてはならなかった。
それに、弟の長治郎は、なんども、予備校に行くといっておきながら、歌舞伎町や、秋葉原に行っているのだから、おなじようにすればいいとおもった。
日曜日、僕は、予備校の鞄を持って、新幹線にのった。予備校は、東京にあった。東京駅で、桂子さんと待ち合わせ、二人で京葉線に乗って、舞浜でおりた。そして、ディズニーランドに入った。僕と桂子さんは、いろいろなアトラクションにのり、時に水に濡れながら、毎日の事も忘れて、あそんだ。あっと言う間に1日経ってしまい、桂子さんとわかれて、僕は、八時頃家にもどった。
「只今」と、僕は、家にはいった。
「どこに行ってきたんだ!」と、祖父が怒鳴った。
「いま、予備校にでんわしたら、欠席してるそうじゃないか。携帯に何度かけても、でないし!」
僕は、スマートフォンを出した。すると、十以上着信が入っていた。あわてて、留守録をきいてみると、
「おばあちゃんが、たおれて病院に運ばれた。すぐ戻ってこい!」
と、祖父のこえが入っていた。僕は、みるみるうちに蒼白になった。
「お父さんと、良治伯父さんと、長治郎は?」と、恐る恐るきいた。
「お父さんと長治郎は、おばあちゃんと帰ってくる。良治は、パニックをおこして、精神病院にいれた。もう、戻ってこないだろうね。」
僕は、床に崩れおちた。
すると、車の音がして、父と、長治郎、そして、祖母が帰ってきた。
祖母は、きれいにお化粧していた。でも、その眼は開かなかった。
「おばあちゃん、ど、どうしてこんなに、まだ、逝かないでよ、起きて、お願い。」
「お前がおばあちゃんを殺したんだ。」
と、父がいった。
「お前は、おばあちゃんが狭心症なのをしらなかったな。それが、心筋梗塞に発展してしまったんだ。なんていうひどいことをしたんだ、この不良息子め!」
父は、スマートフォンを取り上げトイレの下水道に流してしまった。
僕は、ひたすら泣くしかなかった。僕は、部屋に閉じ込められ、食事も、家族と一緒にとることは、許されなくなった。
そして、学校にいかないと、父の百たたきがはじまる。なので、学校にいかなければならない。どういうわけか、いじめっこというものは、弔辞をよくしっているものだ。
僕は、植松に、祖母殺しの犯人で、指名手配写真のようなものを、スマートフォンで撮られ、クラスメート全員にチェーンメールをされ、さらには植松に金を脅しとられた、
家にかえれば、父がいる。長治郎がうらやましかった。弟は、兄のようにならないとちかう生き物だから、適当にごまかして、適当にやっている。僕は、死ぬことにした。
せめて、これだけは、と、想い、弟に一万円を渡して、桂子さんにさよならの恋文を送らせてもらった。
僕は、死ぬことにした。ホームセンターでカビキラーを買い、真夜中にそれを全部飲んでしまった。
頭は心地よい浮遊感を感じ、死ねる、これはきっと、とおもったら、猛烈に苦しくなった。
「お願いだから死なせて、邪魔しないで死なせて!」
と、僕は、金切り声をあげた。すると、
「しんじゃだめだ、しんじゃだめだよ!」
と、また別の声がした。はっと我にかえった。きがつくと、そこは病院だった。
「なぜ死なせてくれないの?」と、僕は、叫んだ。
「馬鹿やろう!」と、強い腕が、僕の体を抱きしめた。強く強く強く抱きしめられた。今までに経験したことのない、暖かさであった。
「お、お、お、伯父さん!」
「やっとわかったな、」と、良治伯父さんは、また、僕をだきしめた。
「兄さん。」と、弟の長治郎が僕の手をにぎった。僕は、病院のベッドの上にいることがわかった。
「兄さんが桂子さんにメールしただろ、桂子さんは、良治伯父さんに電話をしたんだよ。良治伯父さんは、明日、家に、戻る予定だったんだ。伯父さんは、暴れたとか、何かを壊したわけじゃないし、ただ、読み書きできないから、びっくりした度合いが強いだけなんだよ。病んでいたのは、お父さんのほうさ。精神科の先生は、うつ病なんかでもないし、入院させる理由がないから、出てくれというんだよ。だから僕らも、こっちにきたんだ。」
「長治郎、君はどうして、君はお父さんのしんがりみたいに。」
「違う違う。」と、長治郎はいった。
「僕も、お父さんのこと、嫌いだったよ。自分が良治伯父さんみたいに、凄い芸を持っている立場ではないから、兄さんを、利用して対抗しようというのが見え見えだったから。僕も、兄さんのこと、心配だったよ、、、。本当に、、、。兄さんが、死んでしまうんじゃないかなって。」
長治郎の目に涙が溢れた。
「朋美、君はまだ、15歳じゃないか、そんなのは、まだ青二才だ。それなのに死のうなんて、最高にわがままだ。僕らは、生きる権利がある。悪いことをした人でも、弁護士がついて、いきる権利を与えている。それを放棄してはいけない。」
「兄さん、桂子さんと結婚すればいいじゃないか。そうすれば、独立して、財産ももてる。」
「なにバカなことをいう。」
「朋美、かおがまっかだよ、さあ、家へかえろう。」
僕たちは全員、笑顔になった。何年ぶりだろうか。



僕は、良治伯父さんと、長治郎と、タクシーで家にかえった。車の中で、沢山の思い出をかたり、笑った。タクシーは家についた。僕たちは、家の戸をあけた。すると、嫌に酒の臭いがした。「なんなんだろうね、このにおい。」と、良治伯父さんがつぶやいた。すると、「てめえ、また、帰ってきやがったか!まだ閉鎖病棟にいろ!」と、べろべろに酔った父が怒鳴りつけてビール瓶が、良治伯父さんの顔の前に突進してきた、、、。それが、僕が物を見た最期だった。それ以降、僕は物を見ることができない。後で聞いた話したが、ビール瓶は、良治伯父さんに向かって投げられたもので、僕は、それをかばおうとしたのだそうだ。確かに顔に激しい痛みは感じた。きっと、ビール瓶が僕の顔に当たり、僕は、失明したのだろう。何はともあれ思い出話はここまでだ。僕は、物をみることができない。僕は、結局学校にはいかず、大槻家元に引き取られ、免状をもらって、妻桂子と良治伯父さんと幸せにくらしている。良治伯父さんは、相変わらず文字の読み書きができないから、お手伝いさんを呼び、補助してもらいながらくらしている。弟は、大学の教授として、あちらこちらを行き来し、時々土産を持ってやってくる。まだ、結婚はしていない。独身貴族だ。祖父は、数年前に祖母からよびだされた。そして、、、、今日、父が仮釈放になる。もう、父の顔も見えないのだから、もういいだろう。僕たちは、父と、この家で暮らすつもりだ。また、愉快な増田家になる事を願って。

愉快な増田家

愉快な増田家

文字の読めないおじさんと、自信のない甥の、交流の物語。なにもできないとバカにされていたおじさんは、確かに美しい心を持っている。しかし、回りの大人たちは、、、。後の作品の原点といえるもの。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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