恋の花

「立川君ってかっこいいよね」
「わかるー」
「えー。そう? 立川君っていつも無表情でなんか怖くない?」
「そこがクールでいいんじゃーん」
「そうそう」
クラスの女の子達が話しているのを聞きました。
僕の知るりっ君と彼女達の目に映るりっ君との差がなんだか面白くて、僕は隣を歩くりっ君を見ました。
無表情にまっすぐ前を見据えるりっ君の鼻から、鼻水がコンニチハしています。
「りっ君、鼻水出てるよ」
何を考えているのかわからない表情のまま、りっ君は鼻水を啜りました。
「最近いっそう寒くなったね」
「ああ」
「指先が冷え切ってるもん」
僕は手を開き、指先に息を吐きかけました。
それを黙って見ていたりっ君が僕の手をぎゅっと握り、制服のポケットに突っ込みました。中はほんのりと温かいです。
「今日、体育があってね、サッカーだったんだけど、僕は全くボールに触れなかったよ」
「そうか」
「りっ君だったらきっと、かっこよくゴールを決めたりするんだろうねぇ」
「どうかな」
僕の話にりっ君が相槌を打ちながら、学校から家までの道を歩きます。これはいつもの光景です。
並び建つりっ君の家と僕の家の前まで来ると、どちらからともなく手を離しました。
鍵を開けて家に入る僕の後ろを、我が物顔でりっ君がついて来ます。そして当然のように靴を脱いで、ただいまと言って階段を登るのです。これもいつもの光景です。
僕の部屋に入ると、りっ君は大きく息を吐きました。
「疲れたー! 顔の筋肉固まっちまうよ!」
りっ君はうんざりとした表情で床に座りました。そしてクッションを抱きしめて、ベッドにもたれ掛かります。
ここからは僕がりっ君の話に相槌を打つ番です。
「お疲れ様」
「おう。あ、そうだ。今日さー、超おもしろいこと……っふ。今思い出しても笑えっ……ぷはっ。はははっ」
お腹を抱えて思い出し笑いをするりっ君の頭の天辺に、ぽんと音をたてて花が咲きました。りっ君が震えるのに合わせて、ぴょこぴょこと揺れています。
ひとしきり笑った後、りっ君は自分の頭から花を引っこ抜きました。
「あー、これ。名前忘れたけど、笑った時に咲くやつだ」
「ハルシャギクだね」
「そう。それだ」
やる、と言ってりっ君が花をくれました。この花は後で押し花にして、栞を作ります。初めて花の栞を作った時、
「何これ! すっげー! 作ったの!? すっげーな! カワイイ! すげー! すっげー!」
と言って、りっ君は大喜びしてくれました。それからは毎回、りっ君の花で栞を作ることにしています。
「しっかし、なんで咲くのか不思議で仕方ねえな」
りっ君は心底不思議そうに腕を組みました。
その理由がわかるなら、僕だって知りたいです。
笑ったり、泣いたり、感情を表に出すとりっ君の頭は草花を咲かせます。生まれた時からそうだったらしいです。
そのことを知っているのはりっ君の家族と僕の家族だけです。
りっ君は自分の感情をうまく制御できない間、いつも帽子を被っていました。でも小学校に入学する頃には、りっ君は外では決して感情を見せなくなりました。だから周りのりっ君の印象はクールだったり、何を考えているかわからなくて怖いだったりするのです。本当のりっ君は明るくて元気で感情表現豊かな人なのに。
「それで、おもしろかった話は?」
「ん? ああ、そうだった。小林がさー」
話の合間にちょいちょい吹き出すので、りっ君の頭にはお花畑ができています。綺麗です。
身振り手振りを交えて楽しげに話すりっ君を見るのは、僕も楽しくて好きです。
「ただいまー」
話の途中、階下から叫ぶお母さんの声が聞こえてきました。
ドアを開け、顔だけを出しておかえりを言います。りっ君も僕の上に顔を出して、お母さんにおかえりを言いました。
「りっ君、今日ハンバーグだけど食べてく?」
お母さんが買い物袋を掲げてみせます。
りっ君は目を輝かせました。
「食べてく!」
「りょうかーい」
リビングに消える母さんを見送り、ドアを閉めました。
振り返ると、りっ君は嬉しそうに笑っています。
「今日ハンバーグだってよ。やったな」
ぽん。
りっ君の頭に花が増えました。
そこへ手を伸ばすと、りっ君は少し俯いて僕に花畑を向けました。
両手で花畑を掴み、引っこ抜きます。ごっそり取れたけど、りっ君の頭皮には傷一つありません。抜く時の痛みもないらしいです。
さっき抜いたハルシャギクと纏めて机の上に置いておくことにします。
りっ君がうずうずと僕を見てます。言いたいことはなんとなくわかりました。
「話の続き?」
「うん! 小林がーー」
お母さんが呼びに来るまで、りっ君の話は続きました。



同じクラスの長谷部君と弁当を食べていると、女子二人が僕の机の側までやって来ました。
モデル体型の方が中川さんで、小柄な方が宮田さんです。
「ちょっと話があるんだけど。ついて来て」
中川さんの後ろに隠れた宮田さんは、小さな声でお願いしますと言いました。
僕は長谷部君と顔を見合わせました。何か思い当たることでもあったのか、長谷部君はにやにやとしています。
「さっさと行ってこいよ」
その言葉に押され、僕は席を立ちました。
中川さん達の後ろについて歩きます。何も言わない二人が少し怖くて、やっぱりついて来るんじゃなかったとちょっぴり後悔しました。
二人が足を止めたのは校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下でした。
腕を組んだ中川さんが振り返り、僕を見ます。宮田さんは再び中川さんの後ろに隠れ、顔だけを覗かせました。
「毎日、立川君と一緒に登下校してるよね。仲いいの?」
「いいよ。幼馴染だもん」
付き合ってるとは言いません。それは、りっ君の頭に草花が生えるのと同じくらい重大な秘密だからです。
「立川君って彼女いる?」
「いないよ」
彼氏ならいます。ここに。
「じゃあさ、立川君の好みのタイプとかわかる?」
「聞いたことないなぁ」
嘘じゃありません。
りっ君が僕のどこを好きになったのか、聞いたことがないのです。きっと訊いたら教えてくれるだろうけど、あまり気にしたことがないので、このまま知らなくてもいいと思っています。
「なら、立川君の好きなもの教えてよ。食べ物とか、音楽は何聴くとか」
「好きな食べ物はハンバーグ。あと甘いものも好きだよ。音楽は全く聴かないなぁ」
「甘いもの好きなんだ。意外ー! 志歩、あんたからも何か訊きなよ」
中川さんに押しやられ、宮田さんが僕の前に出てきました。目線を泳がせ、チラチラと僕を見ています。もじもじした後、宮田さんは意を決したように口を開きました。
「あ、あのっ。訊きたいこと、じゃ、ないんですけど、私っ、立川君と二人で話をしてみたくって。その、今日の放課後、立川君と二人で帰れるようにしてっ、くれませんかっ」
「志歩、よく言えたじゃん。えらい! ね、あんたも協力してくれるよね?」
「うん。わかったよ」
よろしくねと言って、中川さん達は嬉しげに去って行きました。
宮田さんはりっ君と仲良くなりたいみたいです。
りっ君は学校では無口で無愛想なので、友達が少ないです。だから、りっ君に友達が増えるのは、とても嬉しいことです。
教室に戻ろうとすると、誰かに後ろから腕を強く握られました。
「りっ君」
驚いて振り返った先にいたのは、氷のように冷たい表情をしたりっ君でした。いつもより表情が無くなっていて、正直ちょっと怖いです。
「こんなとこで会うなんて珍しいね」
「さっき女二人と話してた」
「見てたの?」
「何の話してたんだ」
「何って……」
りっ君のことだよ、って言いかけてやめました。
秘密にしていた方が、宮田さんに話しかけられた時、りっ君の喜びも大きくなると思ったからです。
「りっ君には関係ないことだよ」
りっ君の目が細められました。
腕を掴む力が強くなって、ちょっと痛いです。
「……あ、そうだ。僕、今日は一緒に帰れないんだ」
「なんで」
「せっ、先生に呼び出されてて」
嘘をつくのは苦手です。目が泳いでしまいます。
「待ってる」
「待たなくていいよ。待っちゃダメ。先に帰って。お願い」
「なんでだよ」
「なんでも。とにかく、今日は先に帰ってね」
りっ君の手を解き、もう一度しっかり念を押しておきました。



放課後、僕は特にすることもなくぼんやりと自分の席に座っていました。
宮田さんはうまくりっ君と一緒に帰ることができたでしょうか。
気になって、そわそわしてしまいます。
「おっ。教室にいたんだ」
その声に顔の向きを変えると、中川さんが教室のドアから入ってくるところでした。
「宮田さん、うまくいった?」
中川さんはにんまりと笑って、指で丸を作りました。
「うまくいった。立川君が靴履いてるところに、あたしが志歩をぶつけてやったわ」
かなり強引な手段をとったようです。
二人に怪我がないか心配です。
「協力してもらっといて先に帰るのもなんだし、時間潰し、あたしでよければ付き合うよ」
「そんな……別にいいのに」
「いいから。いいから」
中川さんは僕の前の席に後ろを向いて座ると、僕の机に頬杖をついて話し始めました。
時々話が途切れることもあったけど、中川さんとの会話は楽しく、時間の経過を忘れてしまいます。
近所の野良猫の話の途中、中川さんの携帯が鳴りだしました。
「あ、志歩からだ。もしもし……志歩? どうしたの」
中川さんの表情が曇りました。宮田さんに何かあったのでしょうか。
僕がどうしたのと口にしようとした時、教室のドアが勢いよく開きました。
「た、立川君!? えっ、なんで」
驚く中川さんと僕。ドアに手をかけたまま、無表情にこちらを見るりっ君。
「……ふうん。そういうことかよ」
りっ君はそう呟き、ずかずかと教室に入って来ました。僕達の前で止まると、りっ君は中川さんから携帯を奪いました。そして電源を切ってしまいました。
「な、何すんのよ!」
「お前らが二人きりになるために、俺を先に帰らせたのかよ」
「はあ!?」
「今日の昼、話してたのもこういうことか。二人きりになるには俺が邪魔だから、あの女使って……」
「ちょ、りっ君? 何言ってるの」
りっ君は何やら誤解しているようでした。
そんなことより何より、僕が心配だったのは、りっ君が中川さんも居るこの場で感情を露わにしそうだということです。
「俺からこいつ奪うために、あの女を仕向けやがったな」
「奪う!? 何言って」
「りっ君、落ち着いて」
宥めようと掴んだ手は、乱暴に振り払われました。
「こいつは俺のだ!」
りっ君が声を荒げると同時に、彼の頭の天辺から黄色い薔薇が突き出しました。
中川さんが目を見開いて固まっています。
僕は慌てて立ち上がり、りっ君の頭から薔薇を抜いて背後に隠しました。棘が刺さって痛かったけど、作り笑いを浮かべます。
「い、今……花……」
「えっ? なんのこと? 気のせいじゃないかな?」
「いや、でも……」
「おい、女。こいつは俺のなんだよ。二度とこいつに近づくな!」
しゅっ。
再びりっ君の頭から黄色い薔薇が突き出します。
それも慌てて抜き、背後に隠しました。
「やっぱり、今……!」
「きっ、きき気のせいだよ。ほら、りっ君、帰ろう。中川さん、誤解は解いておくから、心配しないでね。さっ、りっ君、帰るよ」
何か言いたげな中川さんを残し、りっ君の背を押して校舎を出ました。鞄を教室に忘れてきてしまったけど、もう仕方がありません。
「話はまだ終わってねえぞ」
「話なら僕の部屋でするから、今は花を生やさないことに集中して。中川さんは言いふらすような人じゃないから大丈夫だと思うけど、これ以上人に見られて困るのはりっ君なんだからね」
渋々頷いたりっ君は、家に着くまでポーカーフェイスを貫きました。
僕の部屋に入った途端、りっ君はまた黄色い薔薇を咲かせました。
「あの女に何言われた! どんな風に誘惑されたんだ!」
「ちょっと落ち着いて。りっ君、誤解してるよ」
「誤解?」
りっ君を床に座らせ、クッションを渡します。クッションを抱き締めたりっ君は、じっと僕を見つめておとなしくなりました。
僕もりっ君の隣に座り、まっすぐりっ君の目を見つめて言います。
「中川さんは誘惑なんかしてないし、僕のことを好きなわけでもないよ」
「じゃあ、なんで俺を先に帰らせたんだよ」
「りっ君、今日途中まで一緒に帰った女の子がいたでしょ? 宮田さんっていうんだけど。彼女がりっ君と二人きりで話をしたいって言うから、僕がそうなるように仕向けたんだ。僕と中川さんが二人きりになるためじゃないよ」
りっ君は考えるようにクッションに顎をうずめました。パチパチと瞬きを繰り返し、僕と目を合わせます。
「もしかして、俺、勘違い?」
「勘違い」
りっ君はクッションに顔をうずめました。耳が少し赤くなっています。可愛いです。
「うー。あー。恥ずかしい。俺、勘違いしてたんじゃん。めっちゃ恥ずかしいんだけど。あー。どうしよ」
黄色い薔薇のすぐ側から枝が突き出し、白い花を咲かせました。見たことがない花です。後で調べようと思います。
「うーん。でも、お前をとられそうだったわけじゃなくて良かった」
顔を上げ、りっ君は安堵したように笑いました。その頭にぽんとアザミの花が咲きました。
「たとえ誰かに誘惑されたって、僕はりっ君のことだけが好きだよ」
「う……。好き! 大好きだ!」
ぎゅっと抱き締められました。少し痛いけど、幸せです。
ぽん。
花畑に桃の花が追加されました。
りっ君がまっすぐ見つめてきます。何をされるかわかって、心臓がばくばく大きな音をたて始めました。
りっ君は優しく微笑んでいます。
僕はぎゅっと目を閉じました。

この後何があったかは、恥ずかしいので秘密です。

恋の花

恋の花

僕には恋人がいます。りっ君こと立川陸君です。りっ君は明るくて感情表現豊かな人だけど、外では無口で無愛想です。それにはりっ君の秘密が関係しています。秘密は秘密です。ここではちょっと言えません。※小説家になろうにも投稿しています。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-26

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