桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君8

続きです。おっとり主人公が再登場です。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君8

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「おい、吽狛!何事じゃ」
驚いて声をひっくり返らせたのは恐らく阿狛だ。吽狛は、口をへの字にしたまま、ううむ、と年かさの老人のように唸った。
「八百万の神々が愛し子を手放したくないと言っておる。先ほど遣わせただけで十分だろうと仰せでな。神々の愛し子、鹿王に怪我を負わせたと、大変お怒りでもある」
「怪我?かすり傷だ。ともに居たわしが言うのだから間違いない」
怒鳴り返す阿狛の声に、床に縫いとめられたままの状態で、光顕が反応する。
「おい、今、鹿王って言ったか」
真上からの圧力を一切感じていない様子の吽狛がぎょろりと光顕を見下ろした。
「鹿王ってあいつだろ。なんか古いびらびらした感じの服着て、扇持ってる不思議ちゃん。あいつ、無事だったのか?」
「無論、無事じゃ。神々の愛し子に何かあっては、わしらの面目が立たん。しかし、鹿王の助力がないと、これは厄介なことになるのう」
後半は独り言のように呟いて、吽狛はまた、ううむと考え込んでしまった。
 その間にも、壁の崩落は続いており、最早人が簡単に立ったまま入ってこられそうだ。一度は白煙の勢いに怯んでいた黒い汚泥が神々の出し惜しみを聞いて歓喜の声をあげるように、ざわざわと蠢き始める。
「私がお願いしてみる」
鈴が悲壮な決意に満ちた声でそう宣言し、制服のポケットから何か紙を取り出した。それは、人型に切り抜かれていた。
「天の愛し子、地の養い子、我らに今一度あなたさまのご加護を」
そう言うと、人型を唇に挟み、ぱんっと小気味よい音を立てて両手を合わせる。すると、鈴の髪が物理の法則に抗い、風を孕んでふわりと浮きあがる。鈴の白い靴下の足もとから螺旋状に風が吹きあがり、制服の裾が狂ったようにはためいた。光顕は未だ真上から押さえつけられる重圧に耐えながら、何が始まったのかと目を見張る。しかし、鈴を取り巻く風は彼女の唇から人型を取り上げてしまった。
ああ
鈴が落胆の声を漏らす。
「やはり、無理かのう」
吽狛が、失望を隠せない様子で、宙に舞った人型を眺めた。全く事態を飲み込めないながらも、光顕は、あの人型が鹿王に関係する何かであることだけはわかった。普段の何倍もの重力に耐えながら、無理やり床から自分の体を引きはがし、ありったけの力で跳ね上がると、ひらひらと舞い落ちる人型を捕まえ、思い切り握りしめた。
「おい、こっちは困ってんだよ。わけ分かんないことばっかりで、いっぱいいっぱいなんだよ。ちょっとくらい手を貸してくれてもいいじゃないかっ」
いきなりの暴挙に、鈴と吽狛は唖然としている。
「ほら、靴。靴貸してやっただろ。おろしたてのコンバース!あれもうお前にやるからさ。だから、お前が怪我しない程度でいいんだよ」
自分でも無茶苦茶なことを言っていると自覚しながら、光顕は叫んだ。
「鹿王、助けてくれ!」


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すると、しっかりと握りしめていたはずの人型が、光顕の手からするりと抜けだし、ぼっ、と軽い音をたてて独りでに燃え上がった。赤々と燃える小さな火はそのうち柔らかい橙色をした球体に変化し、密度の濃い炎がマグマのようにしたたり落ちた。その球体は、急速に収縮し始め、ビー玉ほどの真っ赤な塊に凝縮したかと思うと、突如、ぱん、と音を立て破裂した。その瞬間、球体から眩いばかりの閃光があふれ出し、光顕の視界は、今度は光でもって奪われた。
気づいた時には、白く眩いその中に、見覚えのある装束の少年が立っていた。
「いやはや、阿狛、吽狛、遅くなって悪かった。天津ヶ原の御方々は過保護で困る」
扇で口元を覆いながら難儀そうにそう呟くのは、間違いなく山門で光顕が出会った少年、鹿王だった。その身体を柔らかい光に包まれ、淡く発光して見えた。
「鹿王!!」
少年の名を呼ぶ。阿狛と吽狛は光顕に先を越されて吠え損なった。同時に、突然、雷鳴が響き渡り、その次の瞬間、どおん、という鼓膜が破れそうな轟音とともに桃井の家めがけて天を裂くような雷が落ちた。
「い、家が壊れる」
床に押さえつけられたまま小さく呟いた桃井を眺め、鹿王がふふふと典雅に笑った。
「御方々はお怒りのようじゃ。なにしろ御方々を振り切ってきてしまったゆえ」
「鹿王、おぬし、そのような無茶をしてよいのか」
吽狛が心配そうにマロ眉を下げる。
「なに、構わぬ。どのみち私はこちらに来なければならなかったゆえ。ほら」
鹿王は面白そうに自分の足もとを指し示す。袴の口を膝の辺りで絞ったその足には、確かに光顕のコンバースを履いている。
「そこの、何と言ったかな」
「田中光顕だ」
視線で促され、光顕は再び床にへばり付きながら改めて名乗った。
「そうそう、田中殿であったな。光顕と呼ばせていただくとしよう。その光顕が私に靴を履かせたから」
「なんとっ。おぬしが靴を!」
吽狛がギョロ目をさらに見開いて、光顕と靴を交互に眺める。光顕は、自分がなにか失態をおかしたのかとひやひやする。
「でかした!でかしたぞ、坊主!」
吽狛が吠えるような声で、光顕を褒めた。何のことか分からないが、靴を貸したこと自体は悪いことではないらしい。それならせめてこの押しつぶされそうな重圧だけでも何とでしてもらえないだろうか。畳で暮らすことに慣れているとはいえ、床の上にいつまでもへばりついていて楽しいわけがない。そんな光顕の様子を意に介さず、鹿王が今度はおっとりと鈴に声をかける。
「そなたが、当代の沓部かな」
それまで呆然と、成り行きを眺めていた鈴は跳ねるようにその場に正座し、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。本日沓部を襲名いたしました。名を鈴と申します。裸足童子様におかれましては……」
「ああ、長々しい口上はご無用。肩が凝る。ここではそなたの姿をお借りするゆえ、よろしくお頼みいたします」
「あの、はい、こ、こちらこそよろしくお願いいたします」
鈴がそう言った瞬間、またも轟音を響かせ、桃井家に雷が落ちる。
「あの、天津ヶ原の神々がお怒りなのでは」
鈴が聞き難くそうに問うと、鹿王はカラカラと少年らしく笑った。
「気になさらずともよい。あれは単に癇癪を起こしておいでなのだよ」
「はあ、癇癪ですか」
癇癪を起した程度でそう何度も落雷にあってはかなわないと、思わず臍を押さえながら光顕は、胸中で文句を垂れる。鹿王は口元を扇で覆い、おっとりと天に話しかけた。
「そうお怒り召されるな。為すべきことを為せば、すぐにでも御元へ戻ります。私が早々戻れるよう、どうぞお力をお貸しください」
何かを払うように腕を上下に打ち振るった。長く垂れた袖が柔らかく風を孕むその様子は舞で待っているかの様で、場違いなまでに優雅だった。桃井も光顕も今まで真上から圧し掛かっていた重みが一気になくなり、急に身体が軽くなった。
鹿王は、さて、と呟き壁に目をやった。
「まずは、あれを何とかせねばのう」

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君8

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君8

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-26

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