招霊機  「逝く処」 プロローグ

初めまして。猫メイドです。
長々と書きますがよろしくお願いいたします。

プロローグ


誰からでもいい。
現金を獲得しなければ今日から何ひとつ食べられない―。
弱冠八歳の少女は多くの人が行きかう交差点の信号の一つの元で朝からずっと客を探していた。
「あの」
美月は一人の若い男性に駆け寄って声をかけた。
かつて母がいつもそうしていたように。

母は昨夜、死んだ。

母の魂すら見当たらない。
バラバラになった体は未だあの家に放置されたままだろう。
父も、母の客も命からがら逃げ出した。
娘の自分も母の屍もそのままにその場を脱出してきた。
もう、あの家には誰も戻らないだろう。
母の再婚相手のアイツ・・・全く美月に愛情を寄せていなかったあのヒモ男が彼女を捜すことはないだろうし。
他に依るべき身内もない美月にもう帰る家はない。

だから自分の食い扶持は自分で稼がなくてはいけない。
バイトなどできるわけのない小学生の美月が糊口をしのぐ手段に躊躇なく選んだのは、いつも母がしていたことだった。
「女の人、ついてきてます」
「はあ?」
胡散臭いモノを見る目つきで男は美月を見下ろした。
逆ナン何目的の若い女性ならともかく、きれいな瞳でかわいい顔だが、どこか薄汚い服装のやせこけた小学生が訳の解らないことを話しかけてきたら誰だってそんな顔をする。
「・・・髪の短い、目の細い女の人が、あなたについてきてるんですけど・・・」
一瞬、ごく僅かだが男の眼球が揺れた。
素早く彼の視線が美月から自分の背後に移る。
 しかし、そこには指摘されたような女性の姿はない。
 舌打ちの音。
「脅かすなよ」
若者は軽蔑の交じった苛立ちの視線を美月に投げつけて去ってしまった。
 彼の後ろに「憑いてきている」険しい顔つきの切れ長の目の女性と共に。
「心当たりあるくせに」
 美月はため息交じりに呟いた。
 あの女の人は、あの男の人をひどい目に合わそうとしている。理由までは解らないが、凄くあの男の人にひどい事をされたから仕返ししようとしているのに。
このままだと、あの男の人は死んでしまうのに。
自分にちょっとばかりのお金を払って徐霊してもらえば助かったのに。
美月は植え込みの麓に座り込んだ。
空腹と絶望感で立っていることすら困難であった。
(どうしよう)
 目の前を車が次々と走りすぎていくのをぼんやり見ながら僅か8歳の少女は思った。
(ここに、飛び込んだら、駄目、かな)

「お嬢さん」
 突然、女の顔が彼女の眼前に出現した。
「わっ。」
「フフフ」
 驚く美月に女は微笑んだ。
「今日はお嬢さん一人なの?お母さんは?あなた、いつもここでお母さんと一緒に立ってたでしょ?・・・おばさん、見てたのよ、いつも」
 
 美月の全身に鳥肌がたった。

 それは、女の異様に丸い青白い―もう少し美月が大きければ、それが酷い浮腫によるものだということが判るのだが―顔に対してではない。

第一、美月には彼女の顔は見えていない。
傍を通りかかる人々には、その丸い顔の割には骨と皮だけの異常に細い体を高価そうな服や装飾品で飾った中年女が、薄汚い服装の美少女に話しかけている光景が見えるだけである。

しかし美月には女の姿が見えない。
何故なら女の全身を黒い霧が覆い隠しているからだ。

怯える少女に女はもう一度笑いかけてみた。
しめた。母親ばかりでなくこの子も本物だ。
「見えてるのね?」
 震えが止まらない皮膚と骨だけの指でバッグから財布を取り出し、少女に中身を見せてみる。
 あ、食いついてる。
「・・・いくらでも、払うわ」
 女の眼から涙がこぼれおちた。
「だから、お願い、助けて」

 子供であっても、女に見せられた現金に美月は負けた。
 あれだけのお金をもらえば何か食べられる。
 だけど、その前に、今までの最大級の恐怖を乗り越えなくてはいけない。女に手をひかれながら美月は震えていた。
 そんな少女の震えに女は喜びと安堵を感じていた。
「視えているのね」
 無理やり美月の小さな手を取り歩き続ける。
「さ、どこでやってもらいましょ」
 黒い霧の向こうからオバサンの弾む声が聞こえる。水の中で絶叫するような泡立った音声なので美月には彼女が話している内容がひどく聞き取りにくかった。
 怖くてもつれる両足。よろめいた美月はオバサンの手をひっぱってしまった。
 ぷち。
「ああ」
 オバサンの軽い悲鳴と同時に体内で何か千切れた音がする。骨か筋かが破壊されたのだろう。
(・・・このオバサンは・・・)
 目的地に彼女を誘導しながら美月の心臓は激しく鼓動していた。
(一体、何したんだろう・・・こんなになってしまうまで。)
 牙を剝く顔顔顔・・・それがオバサンを覆い尽くす黒い霧を構成する「モノ」であった
 それらの念は、さっき美月が声をかけた青年が背負っていた女の持っていた恨みつらみの想いなど比べ物にならない程、深く重く激しくどす黒いものであった。
「あー」
 さっきより大きな声でオバサンが溜息をつき立ち止まった。
「苦しい」
 
 おばさんを覆う黒い霧の顔達の視線が一斉に美月に向いていた。
 顔は黒いくせに、眼球の白さだけがやけにはっきり見て取れた。

「大丈夫ダヨ」
 アイツらがオバサンの声帯を通して言ってきた。
「殺シハシナイカラ」
 全ての顔が同時にニヤリと笑った。
 美月の全身に悪寒が走る。
(こいつら―)
 今更のように、今まで繫いでいたオバサンの手が異様に冷たかったことに気がついた。

「体ガ腐ラナイ程度二生カシテルンダカラ。心配シナクテイイヨ。オ嬢チャン」

 だけど、美月には聞こえる。
 いつ死んでもおかしくはないオバサンの、ほとんど機能していない内臓を抱えつつ意識だけははっきりとしながら生きている苦痛の叫びが。
 
 おおーおおーおおーっ。

「オバサン」
 美月は叫んだ。
「この人達に謝って!」
 もう、それしか術はない。
「謝る?」
 オバサンは首を傾げた。
「何に?なんで?」
 もう、だめだ。美月は唸った。
 この人がどこの誰に何をしたか分らないが罪の自覚が全くない人間は性質が悪い。救いようがない。
 美月はオバサンの手を振り払おうとした。逃げるが勝ちだ。
「やだやだやだ」
 しかし、オバサンは手を放そうとはしない。
「助けてよ、ね、ね?」
 美月の皮膚に彼女の綺麗にネイルされた爪が食い込み血が流れる。
「・・・できません、ごめんなさい」
「できませんじゃないのよ!こっちは生きるか死ぬかなんだから!」
 骨が折れるんじゃないかと思うぐらいオバサンの握力はますます強まってきた。
(助けて・・・!)
 たかが8歳の子供の力で裕に70キロは超えていそうな成人女性をどうこうできるわけがない。
「相手」はオバサンの体を使って反撃を仕掛けてきた。
「うぐっ」
 美月の細っこい首にオバサンの太い指の先が食い込む。
 首を絞められている美月と同様にオバサンの目から鼻から水分が溢れ出している。
「・・・ヤダ。ヤメテ・・・コンナコトシタクナイ・・・」
 だけど、その唇の両端は異常に上がり逆に目尻はこれ以上は下がらないくらい下がっていた。
(・・・怖い)
 苦しさよりも、人間のものとは到底思えないオバサンの笑顔に美月は怯えた。
 それは復讐の完成に対する「モノ」どもらの歓喜の表情だ。彼らはオバサンに少女殺しをさせて、その罪に対するありとあらゆる制裁を背負わせるつもりなのだ。
 そんな復讐劇に巻き込まれるのはごめんだ。何よりも眼前の怖気が走る笑顔から逃げ出したい。
 美月は全力を振り絞り、その小さな手を挙げて印をきる。
「フルべユラユラト・・・」
 母から教わった言葉を食いしばる歯の隙間から吐き出す。教えの通りの呼吸法が不可能なまま効果がだせるかどうか確信はなかったけれども。
「フルべ・・・」
 
 ぶしゅ―っ。

 オバサンの背中から一気に黒い靄が噴出した。
 と、同時に美月の首を絞める指の力が僅かに緩む。
 
 ただ、それだけのことだった。

 美月の抵抗は「モノ」達の怒りに火をつけただけであった。
 彼女の耳に何十人もの「モノ」達の声がいっぺんに入ってくる。
 怒り、恐れ、驚愕、慟哭、それらの感情が入り混じる声達は総て、このガキを早く始末しろと叫んでいる。
 僅かに緩んだオバサンの指に再び、それもさっきよりも数倍強く力が入った。

 もう、何も見えない。

「・・・オアズカリシマス」

 男の声。

 とたんに空気が喉と鼻腔に入ってきて美月は激しくせき込み尻もちをついた。

「大丈夫ですか」

 涙目の中にぼんやりと映る差し出された手。
 目をこすり見上げ、美月は心の中で呟いた。

(綺麗・・・)

 彼女に手を差し出していたのは、金色に輝く長い髪の若い男性であった。
(外人さん?)
 とっさにそう思ったのは、彼の深い青色の眼が真っ先に視界に入ってきたからである。
 外人さんは微笑んでいた。

「行きましょう、美月」

 どうして私の名前を知ってるんだろう・・・疑問に思いながらも美月はごく自然に彼の掌に自分の手を乗せていた。
 どこに行くというのだろう。
 そんな肝心で重大な疑問がぼんやり薄れていく。
 どのみち、もう自分には帰る場所はない。
 美月は外人さんに手をひかれるままに歩き出した。
 どんどん、オバサンが後ろへと遠ざかっていく。
 もう彼女は自分の力では立てないようだった。
 その場にへたり込んだままの姿勢で―どんどん身体を腐敗させていく。
「遅すぎました」
 やはり金色である長い睫毛を伏せて青年が呟いた。
さっきまで、あんなにたくさんいた悪霊達の姿は彼女の周囲から消えていた。
 一体、この外人のお兄さんはあいつらをどうやって始末したのだろう?あんな力も念も強い奴らの気配が一瞬にしてなくなるなんて。
 まるで―どこかへ消えてしまったかのように。
「どこに行ったの」
「何がですか?」
 青年が優しい視線を投げかけながら聞いてきた。見かけは外人なのに完璧な日本語だ。
 何だか可笑しかった。子供の私に大人のこのお兄さんがすごく丁寧な言葉を使っている。
「あいつら」
「彼らですか」
 青年は手を繋いでいないほうの手の人差し指で自分の胸をさした。

「ここです」
 
 

招霊機  「逝く処」 プロローグ

次回から事件です。

招霊機  「逝く処」 プロローグ

昔からカメラやビデオ等の機械類が霊魂の姿を捕えたという話がわんさかあります。 ならば、科学の最先端のロボットが彼らを捕えられないはずはない・・・よな。と、いうアホな妄想で出来た話です。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-04-15

Copyrighted
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