君がために

 二人で暮らしている部屋に帰ると、妹がいなかった。部屋の電気は付いているのに鍵はかかっていて靴もない。それだけで、僕は妹がどこにいるのかわかった。
 僕と妹は二人きりの兄妹で、都心で部屋を借りて一緒に住んでいた。妹は大学生、僕は社会人だ。突然のことだが、先日、久々に両親と出かけた旅行で僕らは交通事故に遭い、両親を失ってしまった。僕は妹を守る――といっても、もう彼女はそんな年ではないのだが、そのために、これまで以上にしっかり生きていこうと決意した。
 妹は、流石にまだ気持ちの切り替えが出来ないらしく、ことあるごとに泣いている。

 外の非常階段を降りていくと、妹の嗚咽が聞こえてきた。きっとまた、いつもの場所で泣いているのだろう。
 妹は悲しいことがあると、マンションの外側に取り付けられている非常階段の一番下にしゃがみ込んで泣く癖があるのだ。
 そこはちょうど街灯が一つだけあって、夜闇の中、妹だけにスポットライトが当たっているように見える。僕は今まで何度もそこで彼女に「帰るよ」と手を差し伸べてきた。
 階段を降りて行くにつれて、妹の嗚咽がはっきりと聞き取れるようになってくる。まったく、泣き虫の困った奴め。手のかかる奴ほど可愛いと言うが、僕にとっての妹もそうなのかもしれない。
 階段の途中で少し立ち止まっていると、僕が今さっき出てきた、上にある非常階段の出入り口が開く音がした。次いでそこから足音も近づいてくる。ここの階段は古いので、足音を消そうとしても消えない。一歩ごとにギシギシと耳障りな金属音を付き纏わせながら、そいつは降りてくる。
 当然妹もその音に気付いたらしく、しゃくりあげるのをやめてこちらを見上げた。 
 目が合ってしまったので、仕方なく曖昧に微笑む。
「見つけたよ」
「……なん、で」
「部屋にいなかったからさ。泣く時はいつもここなんだろう、きみ」
 こくん、と微かに妹が頭を縦に振る。
「ほら、帰るよ」
 差し出された手を見て、妹がゆっくり階段を上がって来る。階段を軋ませながら妹は近づいて来て、そうして、
 僕の体をすり抜けた。

「もうじき寒くなってくるし、外で泣くのはやめなよ。風邪をひくよ」
「うん……そうする。ありがとう」
 照れたように笑う妹の声が聞こえた。
 振り返ると、二人は手を繋いで階段をのぼっていく途中だった。
 あぁ、頼んだよ、と僕は口の中で呟いて、二人を見送る。扉が閉まって二人が見えなくなるまで待って、僕は階段を降りていく。
 足音は、鳴らなかった。

君がために

君がために

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-24

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